【完結】PERSONA3 Re;venger   作:清良 要

188 / 504
第百八十八話 前篇 好きという気持ち-勘違い-

2月14日(土)

夜――風花自室

 

 世間がバレンタインで賑わった日の夜。風花は家の自室でとあるパンフレットを見ながらにこにこと楽しそうに明日の準備をしていた。

 パンフレットには美術館の特別展の案内がかかれ、その中には風花が好きな画家の絵も紹介されており。以前から行きたいと思っていた彼女は明日行ける事になって喜んでいるという訳だ。

 

(明日は日曜日で人が多いから外で少し並んで待つことになるかも。貼るカイロとか温かい飲み物とか持っていった方がいいよね)

 

 明日の予報では天気は良いもののとても寒くなるという。マフラーと帽子、手袋もしっかりと用意して寒くない服を選ばなくてはならない。

 だが、あまり可愛い系の服を選ぶと一緒に行く湊が恥ずかしい思いをするかもしれないので、風花が持つ服の中でも少し大人っぽいものを選ぶつもりだ。

 

(有里君ってお洒落な服ばっかりだから、あんまり子どもっぽいのは駄目だよね。ゆかりちゃん達が言うには本人は別に気にしてないらしいけど)

 

 何故、風花と湊が二人で美術館に行く事になったのか。それは中学の夏休みと同じで、他の者の予定がそれぞれ埋まっていたからだ。

 バレンタインまでは全員が湊や真田など、世話になっている者や友人に贈り物をするため予定を空けていた。だが、その分、イベント後に予定が詰まっており、ゆかりは図書館で調べ物、ラビリスは運動部の休日練、チドリは着物を新調しに桜と出掛け、美紀はバレンタインでお金を使ったから喫茶店で少しバイトをするらしく、留学生のターニャはもうすぐ留学期間が終わるので、最終レポートの作成に忙しく休日は掛かりっきりになるらしい。

 そういう訳で、唯一暇そうな湊が選ばれた訳だが、実を言えば彼が一番忙しい身だった。

 ラビリスの生体ボディはほとんど完成しており、後は電気刺激で筋肉の反応を調べて、最後に湊のアナライズで細かく問題がないかをチェックしていく事になる。

 そのチェックが実は最も神経を使う部分で、脳や臓器に異常がないかを確かめるのに湊は細胞単位で調べるのだ。

 もしその段階で異常が見つかれば、黄昏の羽根を移植して生体ボディに移ったラビリスが病気や機能障害を患うことになるため、そのボディは破棄して一から作り直さなければならない。

 健康な身体を与えたいと思えば当然の行動だが、異常の有無に関わらずかなりの集中を必要とする作業で、湊も休憩を挿みながら慎重に少しずつ行うこともあって、本来なら休日に人の多い美術館に行くという疲れる事は避けるべきであった。

 けれど、興味のない風花の両親は一緒に行く気になれず、他のメンバーも忙しいとなれば風花は一人で行かなければならない。

 本人は一緒に行く人がいなくても大丈夫と言っていたが、他の女子メンバーは背の小さな風花が一人で人混みの中を行けばどうなるかを想像し、心配だから湊が一緒に行ってやれとSP役を命じた結果、当日は二人で回る事になったのであった。

 

(あ、黒いスーツで来たらどうしよう。SPってそんな感じだよね?)

 

 ラビリスが守ってやれといい、ゆかりがSP役とか適任じゃんと告げた事で、もしかすると湊は黒いスーツにサングラスの本物らしい服装で来るかもしれない。

 もしそれで、風花が落ち着いた印象のお洒落な服を着て行けば、周りからは良家のお嬢様がSPに守られているように映って、風花が作品を見ている間は他の人たちが近寄りがたくなってしまうのではないかと不安に思い始める。

 色々と考えながら準備をしていたせいで時刻は十一時を過ぎている。待ち合わせは九時半なので、もしかすると寝てしまっているかもしれない。

 

(あー、どうしよう。寝ちゃってるかな? 普通の服装でいいよって伝えたいだけなんだけど。もしスーツを用意してたら申し訳ないし。うぅー……)

 

 心配になって電話しようと思ったが時間的に厳しい。そうして、風花が選んだのはメールでの連絡だった。

 これならば仮に寝ていても起きてから見てもらえる。まぁ、既にスーツを準備済みなら申し訳なく思うが、それは別の機会に着てくださいとお願いするつもりだ。

 そんな事を考えながら風花が“服装は普通の私服でお願いします”と送れば、一分ほど経ってすぐに返事が返って来た。

 

(“お前は俺をなんだと思っているんだ”……ああ、良かった。そこら辺の感覚は普通だったみたい)

 

 メールの文面から携帯を持って呆れ顔を浮かべる湊が容易に想像できる。

 家では着物だったり、夏祭りに神父の格好で来たりなど、彼はコスプレっぽい服装をしている事もあったので、今回も形から来るのではと心配したが大丈夫だった。

 心配が杞憂に終わった風花は安心しながら急に変なメールをしたことを謝罪し、すぐに自分の準備に戻る。心配事がなくなると途端に明日を待ちきれない気持ちが湧きあがってきて、本やパソコンで明日見る画家の事を調べ直しているうちに時間は過ぎていき、気付けば時計は午前二時を回っていて風花は慌ててベッドに入るのだった。

 

2月15日(日)

朝――駅前

 

 ベッドに入ってからも携帯をカチカチと触って中々寝付けなかった風花は、寝不足な状態で目覚め、温かいお茶の用意や着替えに目を回しそうになりながら家を出た。

 忘れ物はないはずだが、寒い中で湊を待たせるのが申し訳ない。彼はいつも時間より早く来るので、集合時間五分前なら既に来ているはずだった。

 運動の得意でない風花は遅れてゴメンなさいと心の中で思いながら必死に走り、集合場所である駅前の案内板までやってくると、メガネをかけて軽く変装した湊が本を読みながら立って待っていた。

 

「ご、ゴメンなさい。遅れましたっ」

「……いや、まだ三分前だぞ」

「ん、はぁはぁ、ごほっ……うん、でも、待たせちゃったから」

 

 遅れた事を謝罪する風花に湊はコートの内ポケットから取り出した懐中時計を見せてくる。

 時計の針は確かに集合時間の三分前を指しており、風花は別に遅刻などしていない事を表していた。

 けれど、この寒い中で待っていて貰った事実は変わらない。故に、そのことを謝罪したのだと風花が息も絶え絶えに伝えれば、湊はそれ以上は深く聞かずに「そうか」と短く返した。

 待ってくれていたお礼に風花が温かいお茶の入った水筒を取り出そうとすると、青年は風花の呼吸が整うまで待ってくれ、もう大丈夫ですと伝えたところで歩きながら話す事になった。

 並んで歩くには歩幅の関係で風花の方がかなり頑張って早歩きをしなければならないが、そこはデート慣れしている青年が相手だ。ちゃんと風花の方にペースを合わせ、ゆったりとした歩調で二人は街中を進む。

 

「……回る前に喫茶店にでも入ってちょっと休むか?」

「え? ううん、大丈夫だよ。気を遣ってくれてありがとう」

 

 普段規則正しい生活をしている風花は、昨晩の夜更かしが原因で目の下に薄らと隈を作っていた。

 そこに待ち合わせ場所までのダッシュも加わり余計に疲れて見え、このままだと寝不足が原因で貧血にでもなりはしないかと湊も心配したのだが、本人は若干眠気があるくらいで大丈夫だと笑顔を見せる。

 湊の医者としての経験から言えば、疲れている人間は自分の健康状態も正確に把握出来ない状態になっていて危険なのだが、今日に関しては自分も注意して見ているから何かあっても大丈夫だなと相手の意見を尊重する事にする。

 集合場所は駅前にしたが美術館までの基本移動は徒歩で、まだ店が開ききっていない冬の街中を二人で歩いていれば、湊の方から再び話しかけてきた。

 

「両親から何か言われたりしなかったか? 一人娘が男と出掛けてくると聞けば心配しそうだが」

「だ、大丈夫だよ。お友達と美術館に行くとしか言ってないから」

 

 本当は母親に彼氏かと聞かれたが、風花はそんなのじゃないからと否定してきた。高校生になったからか、最近になって以前よりも成績の事を厳しく言われるようになりつつあるものの、両親は部活メンバーが学年トップの成績だと知っているため、遊んでも良いが一緒に勉強しなさいとだけ言われている。

 友達の事を悪く言われる心配がないのは心情的にも楽だが、親戚が医者ばかりの中で風花の両親だけ医者でないからか、両親はコンプレックスから風花を医者にしようと成績について厳しく言ってきていた。

 ただ厳しいなら教育方針として分かるけれど、自分たちの見栄のために人の将来を勝手に決められては堪ったものではない。それが原因で最近家に居場所がないように思えて来ている風花は、今日こうやって出掛けるのはいい気分転換になるだろうと非常に楽しみにしていた。

 故に、親からそういった心配はされていないから大丈夫だと風花は答え。パン屋の前を通ったときに漂ってきた焼き立てパンの香りで表情を緩ませていると、隣を歩いていた湊が唐突な話題を振ってきた。

 

「なぁ、山岸。人を好きになったことってあるか?」

「えっ!? ず、随分と急な質問だね」

 

 湊がこういった俗っぽいネタの話を振って来るのは珍しい。そも、本人に男女のそういった関係に対する興味がないようなので、興味のない事を話題として取り上げるはずもないのだが、今日の湊は理由があるのか普段通りの表情のまま尋ねてきた。

 青年が急にこんなことを聞いた理由は、以前、チドリに言っていたように“人を好きになる”とはどんな感情なのかを考える参考にしたいから。

 湊が自分の命よりも大切だと思っている少女たちと、ゆかりや風花など大切に思っている少女に対する“大切”という言葉は重さが違う。

 普通ならより重く見ている方を好きだと考えるべきだが、チドリを抱いてから改めて考えてみると、相手をより女性として意識するようにはなったが、大切に想う気持ち自体には変化がなかった。

 ゆかりとチドリのどちらに対してもそうだったので、大切に想う事と好きになることは直接関係ない。現時点での湊の考えはそうであり、ここで風花に尋ねたのは他人の意見を聞いてみようと思ったからであった。

 問われた風花は最初こそ驚いていたが、湊なりに真面目な質問だと受け取ったようで、しっかりと考えてからゆっくり口を開く。

 

「その、恋とか、そういうのはまだないかな」

「そうなのか。顔も整ってるしモテそうなものだが、告白されたりもないのか?」

「私はゆかりちゃんや美紀ちゃんみたいに可愛くないし。自分で言うのもなんだけど地味だもん。男の子からそういう事を言われたことはないよ」

 

 部活メンバーは全員容姿が整っている。中でも飛び抜けているのは湊とラビリスで、後は各個人の好みによるが赤髪の派手さでチドリが目立っている事を除けば、大人しい風花よりもゆかりや美紀の方が目立っている。

 そのため、一応風花も密かに人気はあるのだが、周囲から湊の庇護下にあると思われていることもあって、彼女は未だ男子から告白された経験はなかった。

 彼女の容姿や性格を非常に好ましいと思っている湊からすれば不思議でしょうがなく、まわりの男は見る目がないのかと思いつつも、告白に関して目立つかどうかは実際のところ関係がないのではと返す。

 

「目立つのは確かに大衆から支持を得る者だが、恋愛は個人の問題だろ。大勢から好かれようと一対十ではなく一対一の集合体だ。誰か一人の好みに合致すれば山岸だって告白されてもおかしくない」

「フフッ、確かにそうだけど、やっぱり相手を知る切っ掛けが必要じゃないかな。それには先に言ってたように目立った方が知られる機会も多くなるし。知られてすらいなければ好かれもしないと思うの」

 

 確かに湊の言う事は間違いではない。風花を好きな者が百人いようと、百人として告白してくるのではなく、あくまで百人の中にいた者が個人で告白してくるのだ。

 それを考えれば目立っていなくても、風花を好きになった者が一人いれば告白の可能性はある。

 けれど、好きになる前に興味を持つ切っ掛けも大事だと思うと少女は持論を述べて笑い、目立つという要素はそこで重要になってくるとも説明した。

 

「あ、勿論、ただ目立てばいいって訳じゃないよ。危ない人とか悪い人だって広まると誰も近付かなくなっちゃうし。目立つなら興味を持ってもらえるような、相手が知りたくなるような事でないとね」

「……なるほど」

 

 恋愛とは思った以上に繊細な問題らしい。風花の話を聞いて湊はそう思った。

 同年代の者の中にはドラマでも見ておけと呆れてしまうほど陳腐で夢見がちな者もいるが、風花は初恋も未だ経験していない身ながら、彼女なりの恋愛観を持って人を好きになるという事を考えていた。

 やはり、内面も含めて自分が評価していた人物は違う。湊が心の中で密かに風花のことを尊敬すれば、開店前の女性向けファッションブランドのショーウィンドウを眺めながら風花が意外そうに聞き返してきた。

 

「でも、珍しいね。有里君がそういう話するのって。何かあったの?」

「まぁ、ちょっとな……さっきの話とは関係ないんだが、少し聞いてもいいか?」

「うん。私に答えられる事なら何でも聞いて」

 

 事情があるのは察している。多分、それがゆかりと別れた事とも関係しているであろうことも。

 だから、どれだけ変な質問でも笑わないから相談して欲しい。そう思って相手からの質問を待っていれば、三十秒ほど沈黙してから湊は真剣な表情で静かに尋ねた。

 

「山岸、俺のこと好きか?」

「私が、有里君を好きか? ……ええっ!? なっ、きゅっ、なんでそんなっ!?」

 

 頭をハンマーで殴られたような衝撃を受け、風花は一気にテンパり顔を真っ赤にしたまま言葉に詰まる。

 湊の方は何でも聞いてと言われたから聞いたのだが、相手が質問の意味を理解出来なかったのかと思ってもう一度分かり易く伝える。

 

「山岸がどう思ってるかを知りたいんだ」

「えと、その、あの、あうぅ――――」

「あ、おい、山岸! 山岸!」

 

 そして、風花は寝不足で体調を崩していた事も合わさり、顔を真っ赤にしたまま緊張で意識を失った。

 

――???

 

「……あれ? えっと、私どうしたんだっけ?」

 

 目を覚ました風花は起き抜けで頭がはっきりせず、自分がどうして見知らぬベッドで寝ていたのか不思議に思いつつ身体を起こす。

 彼女の寝ていた巨大なベッドは部屋の壁際中央に位置し、少し離れた場所にソファーとテーブル、大きな薄型テレビに家庭用カラオケマシーン、さらに旅館の部屋に置かれているような小さな自販機らしきものが発見出来る。

 誰かの家というよりはホテルのような雰囲気だが、少女が状況を把握出来ずにぽけーっとしていると、ベッドの正面にある扉が開いて上半身が裸の湊が出てきた。

 

「起きたのか? 悪いが寝てたから先にシャワーを使わせて貰ったぞ」

「な、なんで? ここどこですか?!」

 

 起き抜けに同級生の引き締まった裸の上半身を見た事で一気に覚醒が進む。見れば自分も気を失う前に着ていた私服からバスローブになっており、ベッド近くの椅子に彼女が着ていた私服と私服で見えないように置かれたブラがあった。

 

「どこって……所謂、ラブホテルだが」

「ら、ラブホテ……っ!?」

 

 ここには湊と風花しかおらず、目覚めるまで意識のなかった少女が自分で服を着替えた訳がない。

 とすれば、服と下着を脱がしてバスローブとショーツだけ身に着けさせたのは、慌てる風花を不思議そうに眺めている青年に他ならなかった。

 

「あ、有里君はこんな事しない人だと思ってたのにっ。あんまりですっ」

 

 信じていた青年に裏切られ、風花は大粒の涙を流して手で顔を覆う。

 彼のことは好ましく思っていた。告白され、デートを重ね、恋人として過ごしていればこうなる未来もあったかもしれない。

 

「悪いとは思ったが、俺のことを好きか聞いたら顔を真っ赤にして気を失ったから、比較的近かったここに運んだんだ」

「私は何も答えてませんっ」

 

 しかし、青年は少女が気を失ったのをいいことにホテルに連れ込み、倒れる直前の相手の反応を都合よく解釈して非道な行為に走った。

 自分自身にも勘違いさせてしまう隙がなかったとは言わない。ただ、一生に一度しかない大事なはじめてを、こんな形で寝ている間に奪われた事が酷く悲しかった。

 

「ひ、酷いです。私は、有里君の事を大切な友達だと思ってたのに」

 

 知らない者にこんな事をされれば恐怖と絶望しかないが、直前まで笑って話していた信頼する友人にされると、どうしてという疑問と共に心が悲しみで満たされる。

 明日から学校でどんな顔で会えばいいのか分からず。また、彼を想っている友人たちになんと説明していいかも分からない。

 そうして、風花が膝を抱えるようにして泣いていれば、泣いている少女を見て困ったように頭を掻いていた青年がぽそりと呟いた。

 

「……俺は山岸のことを友達として見た事なんて一度もないぞ」

「……え?」

 

 聞こえてきた言葉に風花は思わず顔を上げる。そこには真剣な眼差しを向ける青年の顔があった。

 

「しょ、正直に答えてください。有里君は私のことをどう思っていたんですか?」

「どうって……大切に思ってるよ。過去形じゃなく現在進行形でな」

「そう、だったんだ……」

 

 言われるまで気付けなかったが、彼から直接聞くとそうだったのかと少し納得がいった。

 中学から合計すれば四年間同じクラスだったが、彼はその間ずっと自分を友達ではなく異性と見ていたらしい。

 大切に思っているなら、こんな形ではなく正面から気持ちを伝えて欲しかったが、四年間で積み重なった気持ちがちょっとした切っ掛けで溢れたと思えば理解も出来た。

 裏切られて悲しく感じていた風花は、自分も知らぬうちに彼をやきもきさせる事もあったのかなと自分のこれまでを振り返る。すると、静かになったことで落ち着いたと判断したのか湊が改めて声をかけてきた。

 

「落ち着いたか?」

「急にこんな事になって、そんな簡単に落ち着けないよ」

「……そうか。同意も得ずに悪かった」

 

 風花が泣いている間に上を着た湊はベッドに腰掛けると、勝手なことをして申し訳なく思っているのか、怒られて落ち込んでいる子どもの様に暗い表情で謝罪した。

 それを聞くとやはり根っこは真面目で誠実な彼のままだと思ってしまい。胸中は未だ複雑なまま風花は優しくも芯の通った様子で彼の行いを諌めた。

 

「うん。そこは、本当に反省して、もう二度とこんな事はしないって約束してください。いくら有里君の事が好きな子が相手でもきっと傷付くから」

「ああ、約束する。本当に悪かった」

 

 彼は自分を守るためには嘘を吐かない。ここでの約束は一生の物として守って行くだろう。

 それが返事からしっかりと理解出来た風花は、寝ている間に少し乱れていた襟元を正しながら、こうなるまで自分が彼をどう思っていたかを話し出す。

 

「……あのね。私も有里君の事は嫌いじゃなかったの。男の子として好きかって聞かれると、やっぱり深くそう意識した事はなかったから答えようがないんだけど。好きか嫌いかなら間違いなく好きだったよ」

 

 これが気を失う前にされた質問への答え。話す風花をジッと見つめる青年は、少女が過去形で話していることで今は違うのだと理解して、次に来るであろう拒絶の言葉を待った。

 

「でも、相手の同意も得ずに、寝ている女の子にこういう事をする人は嫌いです。嫌いというより、本当は犯罪だからね?」

「……ああ」

 

 優しい少女が明確に誰かを嫌う事など稀だ。苦手、と濁すことはあっても、嫌い、という拒絶する言葉はまず使わない。だが、青年はそれを彼女から直接告げられた。

 色々と考えた末に今回の行動に移った訳だが、少女を泣かせるほど傷付けてしまった時点で誤りで、少女の言葉がそれをより実感させ青年の心に重くのしかかってくる。

 

「繰り返すけど、ちゃんと自分が最低な事をしてしまったって自覚して、こんな事は二度としないって反省してね?」

「ああ、ごめん。本当に悪かった」

 

 数時間前の自分を殴ってやりたい。風花への申し訳なさに湊は色が変わるほど拳を握り締める。

 自分がどれだけ反省しようとそれで風花の悲しみが消える訳ではないのだ。せっかくの休日をこんな形でぶち壊してしまった己の浅慮を悔やんでいれば、その様子を見ていた風花がフッと優しい表情で湊に笑いかけた。

 

「うん。今日の事は私の胸にしまっておくね。誰にも言わないから安心して」

「でも、山岸は傷付いたんだろ?」

「本音を言えば今も複雑だよ。意識を失ってる間だったし、信じてた人に裏切られた形だから余計にね」

「ならっ」

 

 そう思っているのなら警察に突き出せばいい。それだけの事をしたのだから当然の権利だ。

 しかし、言おうとする湊の言葉を遮るように風花は自分の気持ちを語った。

 

「でもね、私は今の皆の関係を壊したくないの。意識を失ったのは前日に夜更かしした自分の落ち度だし。それがなければ有里君もこんな事しなかったでしょ? それを思ったら有里君だけを責める事は私には出来ない」

 

 風花はこんな事があっても湊を憎んではいなかった。自分勝手さに憤りを感じなかったと言えば嘘だが、そういった激情よりも信頼を裏切られた事への悲しみの方が大きい。

 老若男女誰にでも優しく、大勢の女子を痴漢やガラの悪いナンパ師から助けてきた青年が、どうして自分というパッとしない容姿の人間に劣情を抱いてしまったのかは分からない。

 だが、どのような理由があろうと既に事は起きてしまった。そして、それが周囲にばれれば友人たちとこれまでのような付き合いは出来なくなる。

 中学から続く友人たちとの関係を壊したくなかった風花は、それが分かっているからこそ、裏切られた悲しみと友人たちとの絆を天秤にかけて絆を取る事を選んだ。

 

「……何か出来る事はないか? 出来る限りのことはさせてもらう」

 

 少女の選択を理解した湊は、自分の軽率な行動で相手に一生物の心の傷を負わせたと理解し、償える物ではないが何か少しでも出来る事はないか尋ねる。

 すると、胸中は未だ複雑な風花も最初は何もないと言っていたが、湊がしつこく聞けば思い付いたのか、人差し指を立てた右手を顔の前に出して言った。

 

「じゃあ、一つだけいいかな?」

「なんだ?」

「うん。その、思い出にさせてほしいの。こうなっちゃったけど、せめて、はじめてくらい、ちゃんとした記憶として」

「それは……」

 

 相手の願いなら大概の事は聞いてやるつもりだったが、予想外の内容だったことで湊も微妙な表情をする。

 本気でそれを願っているのなら湊に拒否する気はないものの、年頃の少女の中でも大人しい部類に入る風花がこんな事を頼むなど意外で、もし場所の雰囲気に流されているのなら考え直した方がいいと改めて確認を取る。

 

「本当にいいのか?」

「本当はね、やっぱり怖いよ。自分でも冷静じゃない事は分かってる。でも、私はまだ有里君の事を嫌いになれないの。だから、今日ならこれを思い出として上書き出来る気がするから」

「……わかった」

 

 冷静とは言い難い。けれど、自棄になっている訳でもない。

 声と肩を小さく震わしながらも、真っ直ぐ見つめてくる少女の瞳と言葉からそれを感じ取った湊は、ならばもうこれ以上は言うまいと相手の望みを聞く事にした。

 相手の望みを聞くと決めた湊は、そっと風花の頬に手を当てて顔を寄せると優しく口づけを交わす。はじめての経験に風花は固まり体を硬くするが、少女の緊張を感じ取っている湊は相手を抱き寄せて何度も首筋にキスを落とし、時間をかけて相手が慣れるのを待ってから共にベッドに倒れ込んだ。

 そして、二人は後に理解する。自分たちの会話は噛み合っていたようで微妙にずれていて、その決定的な間違いに気づかぬままお互いに盛大な勘違いを犯していたと。

 そう、湊は意識を失っている風花を襲ってなどいなかった。ただ相手を休ませるため近場にあったここを選び、寝やすい服装に着替えさせただけで、自分が襲われたと思った風花が怒っている理由も青年はいかがわしい場所に連れて来られていたからだと取ったのだ。

 破瓜の痛みと出血でそれを理解する少女は、それまでずっと勘違いに気付かぬまま青年にリードされ長い時間を過ごすのだった。

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。