【完結】PERSONA3 Re;venger   作:清良 要

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第百八十九話 後篇 好きという気持ち-切っ掛け-

午後――ホテル廊下

 

 風花のお願いを湊が了承してから三時間後、顔の見えないフロントで部屋の代金を支払い。湊たちが怪しい雰囲気の廊下を進みながら出口を目指していると、青年の隣を歩く少女が耳まで真っ赤にして悶えていた。

 

「うー……」

「だから、本当にいいか聞いたじゃないか」

「だって、その、何もしてないって思わなかったんだもん!」

 

 言われた少女は潤んだ瞳で湊を見ながらしょうがないじゃんと返す。

 風花が悶えていた理由は、自分から湊に抱いてくれるよう頼んだ結果、純潔を散らすことになったからだ。

 

「随分と信用されてないな」

「そもそも、なんで服だけ着替えさせてたの? 下着も上だけ外してあったし」

「皺になるし、上は外さないと寝苦しいだろ」

 

 そう、湊は寝ている風花を襲ってなどいなかった。気を失った風花をどこかで休ませなければならないと考え、あまり良い場所ではないがしょうがないと近場にあった以前ゆかりと利用した事のあるラブホテルに運び、服が皺になってはいけないと思って寝やすい服装に着替えさせたのである。

 シャワーを浴びていたのは、ただ待っているのは暇だったので、少し頭をすっきりさせる意味も込めて浴びていただけだ。

 それを風花は自分を襲ってからシャワーを浴びていたのだと勘違いし、湊は湊でラブホテルといういかがわしい場所に連れて来られて風花が怒り悲しんでいると盛大に勘違いした。

 

「もぉ、私が誤解してるって教えてくれれば良かったのにっ」

「いや、ホテルに連れて行った事を怒ってると思ったから」

「そこも驚いたけど、気を失った人の介助が目的なら目を瞑りますっ」

 

 さらに言えば、湊の誤解を受け易い言葉が風花の勘違いを加速させた部分もある。

 風花が友達だと思っていたのにと言ったとき、湊は友達として見た事は一度もないと言ったが、それはファルロス以外の誰も友達と認めていないからだ。

 大切に思っているというのも、ゆかりに言っていたものと同じで恋愛感情は含まれていない。

 それを真剣な表情で言うものだから、ゆかりと交際していた時期を間に挿んでいようと、風花は湊が昔から自分の事を異性として見ていたのだと勘違いしてしまった。

 以前から周りの人間に言葉が足りず誤解され易いと言われてきたが、今回はそれが悪い方に働いたことで少女を傷付け不安にさせ、最終的に本当に純潔を奪う事態に発展したのだから、誰がなんと言おうと湊に非があったのは確実だった。

 

「あー、うー、もーっ」

「まぁ、なんだ。処女膜の再生手術っていうのもあるから。費用は出すし」

「悩んでるのはそこじゃありません!」

 

 気遣いはありがたいが根本的な解決になっていない。手術で膜を再生させても肉体関係を持った事実は消えないのだ。

 長い廊下を進んでようやく外に出た風花は、両手で小さなハンドバッグを持ちながら、これからの事を考えて憂鬱になる。

 

「あぁ、明日から皆とどういう顔で会えば……」

 

 湊の事を好いているゆかりやチドリにすれば風花の行動は裏切りであり、そんな素振りは見せてなかったくせにと恨まれてもおかしくない。

 美紀とラビリスは怒りはしないだろうが、やはり恋人でもないのに一線を越えたと聞けば良い顔はしないだろう。

 何より、今も一緒にいて話している青年と明日からどのように接したらいいのか。今はまだ直後なのでテンパっている風花が押し気味で話せているけれど、別れて家に帰ってから冷静になれば、自分のしでかしたことの大きさと経験した行為を思い出して恥ずかしくて顔も見れなくなる確信があった。

 そして、少女が今後の事を考えていっぱいいっぱいになっているとき、

 

「……あ」

 

 少女に追い打ちをかけるように、ホテルを出たところで丁度前の道を歩いていた荒垣と遭遇してしまう。

 

「ん…………おうっ!?」

 

 相手は珍しい組み合わせだなという顔をした直後、二人が出てきた建物を二度見して目を見開いてから、何も見なかった事にして足早に去ろうとした。

 それを見た風花は完全に誤解されたと思って相手のコートを掴んで引き止める。

 

「ま、待ってください! 違うんです!」

「い、いや、俺は何も見てねぇよ」

「じゃあ、なんで目を逸らすんですかぁ!」

 

 コートのポケットに手を入れたまま俯き気味に歩いて行こうとする荒垣は、風花に引き止められても視線を合わせようとしない。

 まぁ、知り合いが所謂そういう行為に及ぶための施設から出てくれば、荒垣でなくとも気まずく思ってしまうのは当然だ。

 さらに言えば、荒垣から見て湊と風花は幼馴染の妹の同級生。つまりは後輩に当たる訳で、年下の二人が休日の昼間からそういう行為をしていたなど考えたくもなかった。

 けれど、風花が顔を真っ赤にして目に涙を溜めながら、ギュッと掴んでコートを離そうとしないとなれば話をしない訳にはいかない。

 はぁ、と一度溜め息を吐けば、諦めた様子で二人の方へ向き直り口を開いて来る。

 

「あー、なんだ。その、別に言いふらしたりしねえよ。意外な組み合わせではあるが尽くすタイプっぽいしな。一生に一度はこういうクズに引っ掛かる事もあるだろうぜ」

「ち、違います。有里君はそんな人じゃありません」

 

 荒垣と真田の中では『有里湊=クズ』という公式が存在している。後輩に対して大人げないと思う者もいるかもしれないが、湊も先輩二人を欠片も敬っていないので、彼らの関係はそういったガキっぽいものでいいのだ。

 しかし、風花は大切な友達を悪く言われて、湊はそんな人物ではないと相手の言葉を否定した。

 それを聞いた荒垣は二人を恋人だと思っているので、彼女の前で恋人を貶すような発言は不味かったかと頭を掻いて反省を見せる。

 

「あ、ああ、恋人のこと貶されんのは気分悪いか。それは謝る。悪かった」

「恋人でもないですからっ」

 

 恋人と誤解され風花の顔の赤みがさらに増す。

 ただ、テンパっている風花は気付いていないのだろうが、若い男女が一緒にホテルから出てきておきながら、恋人関係ではないと否定しても信じてもらえる事は稀だ。

 順序が逆になる者も中にはいるけれど、一線を越えれば恋人になるのが普通である。

 荒垣も普段から恥ずかしがって否定しているだけだと考えるところだが、必死に否定している少女は誠実で真面目な優等生タイプの風花だ。いくら恥ずかしくても彼女が不要な嘘を吐くとは思えないため、彼女の言葉が真実だとすればこれは見過ごせない事態だと荒垣は湊に詰め寄った。

 

「恋人じゃねえって……は? おまっ、有里! どんな弱みで脅しやがった!!」

「脅されてもないですからっ」

 

 美紀と同じく純粋な少女が自分から湊と身体だけの関係になったとは考えづらい。となれば、二人の会話を黙ってみているクズが相手の弱みを握って関係を強要した可能性が高く。風花が止めようと事と次第によっては殴ってやると本気の目を見せた。

 それに対して言われた青年は何を馬鹿なと呆れた顔をして、冷静さを欠いている風花を一度引かせるべく後ろから少女の口を手で塞ぎ、物理的に黙らせたまま自分で荒垣との会話を進める。

 

「……色々と複雑な事情があるんです。事件性はないので他の者には内緒にしておいてください。その分は後でサービスしておきますから」

「まぁ、俺は第三者だからな。そっち方面は詳しくねえし、首を突っ込むつもりはねぇよ。ただ、泥沼だけは避けろよ。お前が刺されるだけならいいが、こいつらの友情にヒビが入るような事にはなるな」

「ええ、善処します」

 

 考え方は冷淡で発想は下衆なクズだが、部活仲間相手には基本的に優しく親切だ。大切に思っている少女の友人を気遣う素振りも見せており、青年が自分の欲望を満たすために少女らを利用するとは確かに考えづらい。

 完全には納得していない様子だが、荒垣も一応は信用してくれているようで今回は引いてくれた。

 話が終わると彼はタイヤ交換を頼んだバイクを取りに行くところだと言って、そのまま二人の前から去って行った。

 相手の向かうバイク屋に心当たりのある湊は、そういえば確かにホテルとそう離れていない場所にあったなと思い出し、今後もここを利用したときには会う事もあるかもしれないなと考えて歩き出す。

 

「うぅ、知り合いにばれちゃった……」

「先輩は口が堅いし空気が読めるから大丈夫だ」

「大丈夫でも恥ずかしいんだってばぁ」

 

 ホテルを出てすぐに知り合いに見られた風花は、もう知っている人はいないよねと疑いながら周囲を見回している。

 そんな事をせずとも湊に言えば気配を探って人のいない道を行く事も出来るのだが、彼の能力を知らない少女は誰もいないことが確認出来ると肩を落とし、今日は散々な日だと悲しい溜め息を溢す。

 

「はぁ……美術館楽しみにしてたのになぁ」

「これから行けばいいだろ。まだ二時にもなってないし」

「え、本当? あ、本当だ」

 

 目覚めてから時計をろくに見ていなかった風花は、ホテルで長い時間を過ごした気になっていたことで、自分が気を失っていた時間と合わせると既に夕方くらいだと思っていた。

 けれど、湊が出してきた懐中時計は二時前をさしており、ここからなら歩いて向かっても十分見て回る時間がある。これにはからくりがあって、実はホテルの部屋に着いた時点で湊が部屋の中に時流操作を展開して時を圧縮していたのだ。

 よって、風花が長い時間を過ごした気になっていたのは正しく、外で一時間経つ間に部屋の中では風花が気を失っている時間も含めれば五時間経っていた。

 それを知らない風花は美術館に行けると分かって純粋に喜びを表し、安心したようにホッと息を吐くと顔を綻ばせた。

 

「良かったぁ。特別展だから見逃したら次はいつになるか分からなくて」

「ホテルに行ってて行き忘れたとは言えないもんな」

「も、もう! 他の人に言ったら本当に怒りますよ。もう許してあげませんから」

 

 荒垣が他言無用でいてくれても、当事者の湊が他の者に話してしまえば意味がない。湊はたまに天然で爆弾を落とす事があるので、風花は念入りに秘密にしておくよう釘を刺した。

 すると、言われた湊は遠い目をして顔に影を落としてぽつりと呟く。

 

「悲しかったな。気を失った女子を襲う様なやつだと思われていたなんて」

「あ……それは、本当にゴメンなさい。動揺していたとはいえ、失礼過ぎるよね」

 

 状況が状況だけに風花が勘違いしてしまうのも無理はないが、それでも何もしていなかった湊としては、少女の方からそんな事をしでかす人物だと思われていたのは寂しい。

 青年が遠い目をして呟いた事で風花もそれを自覚し、本当に申し訳なかったと頭を下げれば、湊は悲しい笑みを浮かべながら気にしなくていいと首を横に振る。

 

「いや、いいんだ。あんなのしか近くになかったとは言え、誤解される様な場所に連れて行った俺が悪かったんだ」

「そ、そんな事ないよ。気を失ったのは自分のせいだし。有里君は早く休ませるためにしてくれたんだもん。全然恨んでないよ?」

 

 誤解していたときは裏切られたことが悲しかったが、青年は何もしていないどころか、風花の事を思って休める場所を探してくれた。自分のミスで気を失うことになった風花にすれば、迷惑をかけたことに対する謝罪と、看病してくれた事に対する礼を言いたいくらいだ。

 相手が悲しそうな顔をしている事で、疑ってしまい本当に申し訳なかったと風花が謝罪も込めて返せば、湊は少女の瞳をジッと見つめて改めて彼女の気持ちを確かめる。

 

「許してくれるのか?」

「勿論だよ。その、さっきのは恥ずかしくて色々言ってただけだから」

 

 色々あって冷静さを失っていただけで、風花は自分の誤解だったと気付いた時点で湊の事は恨んでいなかった。

 そも、知らぬ間に失った初めてをせめて思い出に昇華させたいとやり直すにしても、本気で憎み嫌っている相手に抱いて欲しいと頼む訳がない。

 とっくに恨んでいないと言いながらにっこり風花が微笑みを向けてくるのを見た湊は、

 

「……それは良かった。まぁ、自分でもあれだけ積極的にしていて嫌でしたじゃ俺も困るからな」

「ええっ!?」

 

 しゅんとした表情から一転、あくどく口元を歪めてそれなら良かったと眼鏡の位置を直す。

 あまりの変わりように演技で騙されていたと気付いた風花は驚くが、ホテルでの情事について言われて耳まで赤くしながらも、自分は別に積極的な訳ではないと青年の誤解を解く。

 

「あ、あのときは、その、私ばっかりして貰うのはって思ってたからっ。ゆ、ゆかりちゃんからも少しだけ聞いてましたし」

「ほう、女子の会話はまた随分と内容が生々しいんだな」

「あー……思い出すだけで顔から火が出そう。本当になんで私ってば自分から言ったんだろぉ」

 

 最中は自分も高揚していて、未熟な知識を総動員して湊にも気持ちよくなってもらおうと頑張った。けれど、冷静になると自分のはしたない行為の数々に自己嫌悪に陥り、湊の顔を直視出来ないと頬に手を当て顔をそらす。

 今朝まで正真正銘の乙女だったのだから、終わって冷静になった少女の反応は当然だ。

 ソフィアは別として、ゆかりとチドリは完全な同意の上で行ったので相手に心の準備が出来ていた事もあり、事後は照れはしていたがどちらかというと湊への甘えの方が強かった。

 それを覚えていた湊は、自分の行動が誤解を招いて少女を傷つけたのは事実であるため、できる限りのケアをさせてもらうと言ったことは嘘ではないと改めて伝える。

 

「……真面目な話で、嫌なら忘れさせる事も出来る。先ほど言った再生手術後に忘れれば結果的には何もなかったようなものだ」

「んー、よく分からないけど、そういうのはいいかな。こういう勘違いから経験する事になったのは残念だけど、有里君が私を大事にしてくれてたのは伝わってきたから。ゆかりちゃんが言ってた心が満たされる感じっていうのを私もちょっと理解出来たよ」

 

 後悔はあくまで思い出して恥ずかしいだけの自己嫌悪。湊と繋がったこと自体は嫌ではなかったと少女ははにかむように笑う。

 青年のことを異性として強く意識した事はなかったけれど、今回のことが切っ掛けになって知らぬ間に少し惹かれていた自覚は持てた。それはまだ恋と呼ぶには至らないかもしれないが、好きな人から大切に想われ優しく抱かれた事は一生の思い出となる。

 そんな照れながらも満足そうな笑顔を見せられた青年は、

 

「……山岸」

「なに――――――」

 

 自分の内に新たなペルソナの目覚めを感じつつ、相手を可愛らしいと思い不意打ちで唇を奪った。

 突然のことに風花は固まって動けなくなり、湊は周りに誰もいないからと相手を抱きしめて舌を絡ませる。

 唇と歯を割って異物が口内に入ってくるも、情事の記憶で受け入れてしまった少女は、時折熱い呼気を漏らしながら身を任せ、一分以上経ってようやく青年が離れてから潤んだ瞳で彼の行動を諫めた。

 

「も、もうっ。そういうのは、あのときだけって……」

「たまにならいいだろ。お互いにフリーなんだから」

「そういうのは……良くないです。でも、付き合ってないのに自分からお願いしちゃった私が言っても説得力無いなぁ」

 

 確かにお互い誰とも付き合っていないので、そういった意味では同意の上なら問題ないかもしれない。

 しかし、両者の認識と周囲の認識は別の話で、倫理的な話をすれば付き合ってもいない高校生の男女がホテルに行って一線を越えたり、周囲から隠れてキスをしたりというのはよろしくない。

 諭すようにそれを青年に伝えた少女は、ただ自分が言っても説得力はないよねと肩を落としてため息を吐いた。

 すると、少女の隣を歩いていた青年はネガティブマインドの期間でも目覚めたカードを呼び出せるよう、マフラーから取り出したホルダーに入れてから少女に一つアドバイスする。

 

「限定的に割り切って楽しむのも手だぞ。肉体的な接触が精神安定剤と似たような効果を齎すって研究結果もあるんだ。最近の山岸はどこか疲れて見えるから、最初は抵抗があるだろうけどカウンセリングの一つとして受け入れてもいいんじゃないか?」

「そ、そういうのはやっぱり恋人同士じゃないと。それとも、有里君がそういう事をしたいの?」

 

 尋ねる風花の言葉の裏には“自分と”という意味が込められている。湊も嫌いな相手を抱くことはないので、風花とそういった事をしたいかと訊かれればイエスと答えた。

 だが、

 

「……前にも言ったが俺は遺伝子的に両性のキメラだ。普段はどちらでもあってどちらでもない状態にある。簡単に言えば両方の視点から物事を見ている訳だ。そうすると性欲も湧かない。男として見れば当たり前でも、女として見れば同性に欲情するのはおかしいからな。俺が自分から女性を抱きたいと思う事は通常ないと思ってくれていい」

 

 そう、平時の湊には性欲がなかった。思考の切り替えで主観的な性別を切り替えるなど一般人には理解しがたいだろうが、普段の湊は男女両方の視点で同時に見ているため、男としての自分と女としての自分が互いに監視し合っている。

 仮に女子を前にして男としての自分が暴走しそうになっても、女としての自分が理性的に対処して男の暴走は起きない。逆に女としての自分が同性相手にキレそうになっても、男としての自分がやめとけと止めて不快感を表わす程度で治まったりもする。

 

「ただ、生物の本能ではなく、個人の感覚として誰かと一緒にいると安心する事もある。岳羽と別れた後にチドリに会いに行ったときとか、世間じゃ人恋しいっていうのかも知れないけど、一緒にいてくれるとそのときは空虚感が消えたんだ」

 

 どちらでもあるからこそ人と考え方は違うが、男女の関係を抜きにして誰かと居たいときはある。

 昨年のイヴにそれをより実感したと湊が言えば、風花は心配そうに湊を見上げながら、部活メンバーの女子と以前話した事を彼に伝える。

 

「ゆかりちゃん達も心配してたよ。有里君はときどきすごく思い詰めた悲しい顔をしてるって。寂しいなら寂しいって言っていいんだよ? 皆に頼られるのが辛いなら、そんなのは自分でやってくださいって断ってもいいの。有里君ばっかりが色々と背負わなくていいんだから」

 

 頼まれると中々断れない少女が言っても説得力はないかもしれないが、彼の周りにいる者たちは、青年のことをよく見て心配もしていた。

 何でも出来ると思わせる才能、周囲の期待を背負って結果を出す実力とそれに対する信頼、そういったものが積み重なって、大人までもが彼に頼ってばかりいる。

 それを傍で見ていた少女たちは、面倒と口で言いながらも請負こなしている青年の姿に時折不安を覚えていた。いつかその重みで彼が潰れてしまうのではないかと。

 だからこそ、我慢しないで嫌なことは断って、もっと自分の気持ちをストレートに伝えてくれていい。隣から向けられる真摯な瞳からそんな少女らの思いを受け取り、湊は自分の周りは随分とお節介が多いらしいと小さく苦笑した。

 

「そうか……美術館に行こう」

「フフッ、うん!」

 

 青年が笑ったことで気持ちが伝わったことを理解した風花も笑顔を浮かべる。色々と予想外のこともあったが今日は美術館に絵を見に来たのだと再び歩き出す。

 恋人でも友達でもなく、しかし、一線は越えてしまった二人の関係は微妙な状態にあるが、互いに相手を思い合える良好な間柄なのは間違いない。

 二人は風花の好きな画家について話しながら、冬の青空の下をゆっくりと並んで歩いて行った。

 

影時間――巌戸台

 

 美術館に行った後、夕食を食べてから風花を送っていった湊は、本日のシャドウ狩りをはぐれシャドウ狙いにして街中を歩いていた。

 タルタロスの近くなるほどはぐれシャドウは増えるけれど、そんなものはタルタロスに寄った日の帰りにでも倒せばいい。

 そうして、今日の散策はタルタロスから少し離れた場所をと考えていたのだが、長鳴神社の近くを通ったとき、犬の鳴き声とシャドウの気配を感じ、湊が神社の前へやってくると白い犬が剛毅“鋼鉄のギガス”に襲われていた。

 いや、襲いかかってくるシャドウを相手に、勇敢にも爪と牙で応戦していたと言った方が正しいか。

 とはいえ、両者の体格差は五倍以上。俊敏な動きで攻撃をどうにか躱していたが、敵の拳がかすっただけで吹き飛ばされ、硬いアスファルトの上を転がった犬は倒れたまま口から泡の混じった涎を垂らしている。

 その様子からこれ以上は戦えそうにないと判断した湊は、止めを刺そうとシャドウが拳を振り上げた瞬間に両者の間に割り込み、振るわれた拳を黒い腕で受け止めた。

 

「こんな時間に随分と変わった縄張り争いだな」

「くぅーん」

 

 一人と一匹が言葉を交わす間、攻撃を受け止められた敵は乱入者を排除しようと逆の手を振り上げる。

 そんなものをまともに受けてやるつもりはないので、湊は掴んでいた相手の拳を弾くように離し、そのまま万歳状態の敵の腹部に向けて蹴りを放って後退させた。

 相手には打撃耐性があるのでダメージは軽微。けれど、振り上げた拳を人の身でありながら片手で受け止め、さらに一歩踏み込んだだけの蹴りで己の巨体を吹き飛ばす乱入者を警戒しているのかすぐには来ない。

 勝手に警戒して攻めあぐねてくれるのなら、こちらはその時間を有効に活用させて貰おうと、湊は犬の傍に腰を下ろして怪我の状態を確認しながら、相手が偶然影時間に迷い込んだのではない事を理解した。

 

「なるほど、お前は適性者じゃなく覚醒者か。少し手を貸してやろうか?」

「……わんっ」

 

 出血はあるが骨に異常はない。これならすぐに治療の必要はないと判断し、湊は力を貸すのでお前が戦えと犬に告げる。

 やられても目が死んでいなかった犬は闘志の籠もった声で鳴き返し、いい返事だと湊はマフラーからS.E.E.S.のコピー品である召喚器を取り出した。

 

「動物であるお前なら当たり前のように死を受け入れられるだろう。受け入れて尚生き続ける強さを見せろ。さぁ、行くぞ」

 

 前を向け、敵を見ろ。召喚器を犬の頭部に当てながら湊は言う。

 元は飼われていようと獣には野生の本能が眠っている。そして、弱肉強食の世界を知る獣ならば死を当たり前のものとして受け入れ、人よりも遙かに高い適性を持ち得る。

 そして、敵がいつまでも動きを見せない湊にしびれを切らし寄ってきたところで、湊は犬とタイミングを合わせるように引き金を引いた。

 

「 ペ ル ソ ナ 」

「アオーンッ!!」

 

 パリンッ、とガラスの割れるような音が頭の中に響く。直後、犬の頭上で水色の欠片が渦巻き、三頭を持つ黒い獣が現れた。その名は剛毅“ケルベロス”。

 冥府の門番であり“地獄の番犬”として有名なケルベロスは、冥府にやってきた者はそのまま通すが、逃げようとする者は喰らってしまう恐ろしい存在として語られている。

 けれど、ケルベロスはオルフェウスが竪琴で奏でた美しい音楽を聴いて眠ったというエピソードも持っていて、初めて呼び出したペルソナがオルフェウスだった青年は、ケルベロスを宿すこの犬も自分に懐くのだろうかと関係のないことを考えていた。

 そんな彼の視線の先では呼び出されたケルベロスが炎を吐いて敵の足を止め、動きの止まったところで怪しく光る魔法陣を展開し闇魔法のムドで呪殺している。

 ペルソナでの初戦闘を見事勝利で飾った犬はどこか誇らしげな表情を浮かべ、湊はそんな相手の頭を撫でると、戦闘に引き寄せられ集まってしまった者たちの気配を感じて立ち上がった。

 

「初めてにしては上出来だな。残りは任せろ」

 

 言いながらマフラーに手を伸ばした彼が取り出したのは一つのカードホルダー。そこには昼間目覚めた女教皇のカードが収まっており、わらわらと集まってきた複数のはぐれシャドウの位置を捕捉しながらカードを握り砕いた。

 

「こい、スカサハ!」

 

 青年の召喚に応じて現れたのは黒衣を纏った美しい女性型ペルソナ、影の国の女王こと女教皇“スカサハ”。

 濡烏の長髪を揺らし、その手に魔槍を呼び出したスカサハは、地を蹴りシャドウの一団に飛び込むと次々と敵を屠ってゆく。

 横一閃の薙ぎ払いで三体の虚栄のマーヤが消滅し、刺突で貫通耐性のあるリングフォートを貫き殺す。消え去る敵の黒い靄を払うと身体を反転させ、上空にいたヴィーナスイーグルに狙いを定めると持っていた槍を投擲した。

 スカサハの手を離れた魔槍は一瞬にして赤い軌跡となり、上空の敵を貫くと彼女の手へと戻ってくる。

 全ての敵を倒し終えた女性はどこかつまらなさそうだが、ここでの仕事が終わった以上顕現している理由はない。右手に槍を携えたまま左手を腰に当て、次はもう少し骨のあるやつを頼むぞと表情だけで伝えて消えていった。

 ペルソナが消えてホルダーにカードを戻ってきたことを確認した湊は、マフラーにそれを戻してから伏せたままの犬に話しかける。

 

「犬、怪我の治療をしてやろうか」

「わふっ」

「よし。じゃあ行こう」

 

 ペルソナのスキルを使えば一瞬で治すことは出来る。けれど、この犬は世にも珍しいペルソナに覚醒したペルソナ犬だ。彼には敵のことや自分の能力についてある程度説明しなければならない。

 故に、犬用の召喚器を作ることも視野に入れ、湊は相手を抱き上げるとそのままEP社の研究区画へと連れて行った。

 

 




補足説明

 湊が新しく手に入れた女教皇“スカサハ”は誤字ではなく、バアル・ペオルとベルフェゴールのような、元からペルソナにいる者と同一存在の別名個体である。
 よって、帽子とマントを装備して正座をしているスカアハとは見た目が異なっている。

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