【完結】PERSONA3 Re;venger   作:清良 要

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第百九十五話 候補者の監視

4月8日(水)

朝――月光館学園

 

 不思議な夢を見た次の日、九頭龍七歌は夢が本当にあった事なのかを確かめるため、ベルベットルームの鍵を呼び出してみた。

 すると、イゴールが言っていた通りに鍵が現われたことで、ペルソナや影時間の話が実際にあったことだと信じることが出来た。

 もっとも、だからといって日常が大きく変わるわけではなく、今日も今日とて真面目に勉学に励むべく元気に登校してきた。

 来る途中にパンを買ってモシャモシャと食べ、同じ学校の制服を着た男子らの視線を浴びつつ生徒玄関に入る。七歌の靴箱は胸の高さにあるので丁度良く、パパッと履き替えて教室に向かおうとしたとき、後ろが何やら騒がしくなっていた。

 

「……そういうのはやめた方がいいな」

「あ、ちょっ、携帯返せよ!」

 

 何だと思って振り返れば、七歌のよく知る青年が三年生の男子生徒から携帯を奪っていた。

 スポーツをやっていそうながたいの良い三年生は、必死に腕を伸ばして青年の手から携帯を奪おうとするも、青年は身体を軽く捻るだけで全て躱し、自棄になって飛びかかってきた相手の足を引っかけ最後は転かしている。

 朝っぱらから生徒玄関で盛大に転んだ相手には同情を禁じ得ないが、どうしてそんな事になったのか不思議に思っていれば、立ち止まって様子を見ていた七歌と青年の目が合い。彼は三年生から奪った携帯を七歌に投げ渡してきた。

 

「おっとっと。急に渡されても困るんだけど、これどうしたらいいの?」

「……画像フォルダから自分の写真を消しておけ。終わったら返したらいい」

 

 言われてデータフォルダの画像一覧を見ると、青年の言っていた通りに七歌の写った写真があった。靴箱に靴を仕舞っている姿なので、別に見られて困る物でもないが、名前も知らない相手に無断で隠し撮りされていたと分かると気分が悪い。

 撮られたばかりの写真を完全に消し、他には何もないだろうなとSDカードの中身までチェックしていく。確認した限り自分の写真は他になかったが、可愛い女子が友達と喋っている写真や音楽を聴きながら暇そうに電車を待っている写真など、携帯の持ち主は日常的に気に入った女子を無断で撮影していたらしい。

 不幸中の幸いと言うべきか、写真は全て日常風景で、下着が見えていたり水着姿であったりするような写真はない。流石にそちらだと罪が段違いであったため、撮った本人も自重していたんだろうなと七歌は推測する。

 そうして、女子の写真を全て削除し終えると、携帯を青年に投げ返し、彼を経由して持ち主の元に戻っていく。

 転けてぶつけた肩を痛そうに擦っていた男子は、携帯が戻ってきたことにとりあえず安堵し、そして写真コレクションが全てなくなった事に落胆していた。

 それを見ていた青年は心から呆れたように深い溜息を吐き、冷たい視線を男子に向けると、

 

「……猥褻な写真がなかったから今回はデータの消去だけで見逃す。だが、また繰り返せば次はデータの消去だけじゃ済まさないぞ」

 

 右手の指を曲げて骨をバキバキと鳴らし、次はないと警告した。

 彼が色々な人間を助けている話は有名で、中には不良グループを壊滅させたという噂まである。そんな相手を本気で敵に回したくはないため、男子生徒は顔を青くしながら、

 

「あ、ああ、分かったよ。勝手に撮って悪かった」

 

 とだけ返して自分の教室の方へ走り去っていった。

 一連の出来事を見ていた野次馬からすれば、新しい学校に来て早々このようなトラブルに巻き込まれ、残された少女は色々と不安になるのではないかと思われた。しかし、本人はいたって気にした様子もなく、ニコニコと輝くような笑みを浮かべて盗撮を看破した青年にお礼を言っていた。

 

「ありがとね、八雲君」

「……誰だよそれ」

「えへへ、久しぶりにお姉ちゃんに会ったからって照れるなよぉ!」

 

 ポケットに入れていなかった彼の右腕を掴み、ブンブンと振り回してから自分の腕と絡めるようにして抱きつく。

 転校早々で密かに男子たちの話題になるほどのルックスをした少女が、隙間ゼロという端から見れば羨ましいを超えて妬ましく思うスキンシップを取れば、少女の青年に向ける信頼の表情も含め何かしらの関わりがあることは一目瞭然だ。

 けれど、腕に抱きつかれた青年は嫌そうな顔で腕を振って引き剥がそうとしており、それでも七歌が楽しそうに離れずにいれば、ついに青年も平和的な解決を諦めて左手で少女の頭を掴んだ。

 

「イダダダダッ!? 割れるっ、割れて脳漿ぶちまけちゃうっ」

「穴も空いてないのに頭骨骨折くらいでぶちまけるか」

 

 時間が経てば鼻や耳に口といった部位から流れ出る可能性もあるが、頭骨を割られただけでは脳みそが出るための穴がないので、普通にぶちまけることは不可能。

 人体について詳しい青年はそれを冷静に突っ込むが、痛がっている本人は意地でも離したくないのか、大声で痛みを叫びながらも耐えていた。

 青年にすればそもそも相手の目的が分からない。助けてお礼を言われるまでは分かる。だが、抱きついた後はどうすれば相手の目的が達成されたことになるのかが不明だ。

 教室まで行けば離れるのか、それとも予鈴がなるまで一緒にいるつもりなのか、相手の目的によって青年の取るべき行動は変わってくる。

 それらを問答無用に解決してくれるのが、万国共通である肉体言語によるこの超平和的解決法だったのだが、これが効かないとなると青年としても本意では無い肉体言語フェイズ2への移行も検討しなければならない。

 フェイズ2の内容を簡単に説明すれば、抱きつかれている右腕で相手を一本釣りして投げるというもの。仮に相手の体重が標準を下回る四十キロだったとしても、力の入りづらい体勢から持ち上げるにはかなりの筋力を必要とする。

 この大技を披露すれば流石に相手も離れると思うので、怪我をさせる可能性は高いがしつこい相手が悪いのだと、青年がまともな方法による解決を放棄しかけたとき。

 

「な、七歌! 君は何をしているんだ!」

 

 知っている人物の声が聞こえてきて、その声の主が後ろから七歌の脇の間に腕を入れて青年から引き剥がした。

 突然羽交い締めの形で引き剥がされた少女は不満そうにするも、引き剥がした本人は、七歌が絡みに行っていた相手を見て気まずそうな表情をしている。

 そして、今まで抱きつかれていた腕を軽く回して青年がストレッチを始めたところで、七歌を引き剥がした本人こと桐条美鶴は、七歌を拘束したまま何があったのかを尋ねた。

 

「七歌、君は公衆の面前で朝から何をしているんだ」

「いや、八雲君が盗撮魔から助けてくれたんでお礼を言ってたんですよ」

「盗撮? 痴漢にでも遭ったのか?」

「ああ、そういうやらしいのじゃないです。男子が隠し撮りしてて、それに気付いた八雲君が許可も無しに黙って撮影するのはダメだぞって相手を叱ったんです」

 

 辰巳ポートアイランドと巌戸台を結ぶモノレールは、湊が痴漢を検挙し続けたことで都会で最も女性が安心して乗ることの出来る区間としてマスコミに取り上げられるほどになった。

 彼がバイク通学でモノレールをほとんど利用しなくなってからも、たまに乗ることがあるからこそ迂闊に痴漢できないとアンダーグラウンドな情報掲示板で話されている。

 だというのに、転校してきたばかりで痴漢に遭ったのかと美鶴が心配すれば、悪いことではあるがただの隠し撮りで少女に直接的な被害はなかったとの話で、美鶴も安堵の息を吐きつつ問題を解決してくれた湊に感謝しながら改めて少女を窘める。

 

「そうだったのか。いつもすまない、有里。だが七歌、それでも君が抱きついていい理由にはならない。彼も有名になったことで色々と忙しいんだ。あまり迷惑をかけるな」

「えー、生き別れになった姉弟の感動の再会ですよ? ハグもキスも許されるはずですって」

「君も彼も一人っ子だろうが……」

 

 両者の裏の事情を知っている美鶴としては生き別れも含め否定しきれないが、少なくとも実の姉弟ではないことは確かなので、嘘は吐かずに純粋なツッコミを入れた。

 すると、七歌が不満そうに「ブーブー」と文句をたれ始めたので、美鶴は不快感を一切隠さぬ冷たい瞳で七歌を見ていた青年に、君はもう自分の教室に向かっていいと告げてこの場を預かることにする。

 

「ああ、有里、君はもう行ってくれて大丈夫だ。七歌が迷惑をかけてすまなかった」

 

 彼は美鶴に視線を向けていなかったけれど、実際は言葉も存在も認識した上で存在しない物として扱っている。故に、美鶴がここで七歌を止めているならもう襲ってこないと判断したらしく、言われた通り階段を上って去って行った。

 羽交い締めにされていたことでその背中を黙って見送るしかなかった少女は、青年の安全が確保されたところでようやく解放され、あっさりと去った青年に対しての愚痴を漏らす。

 

「ちぇー。久しぶりにあったのにつれないなぁ」

「君はもう少し慎みを覚えてくれ」

「だって、久しぶりに会ったら早速助けてくれたんですよ? やっぱり優しいなぁって嬉しくなるじゃないですか」

 

 昔から優しかったが、久しぶりに会ってもその優しさが健在だったことで少女は嬉しく思った。懐かしくて、自分の記憶の中にあった彼のままで、本当に彼が生きていたとようやく実感が湧いたのだ。

 けれど、幼少期の彼とあまり関わりのなかった美鶴にすれば、彼の人助けの評判は中等部の頃から聞いていたため、別に七歌相手に限らず彼はずっと今の調子だったと返す。

 

「彼は誰にだって優しいさ。困っている人間を助けるのが当然とばかりに行動するからな」

「それで得をするのは他人だけですけどね。やっぱり歪みはそのままって訳かぁ……」

 

 人助けの評判は七歌もマスコミを通じて知っていた。しかし、それで得をするのは助けられた者だけで、有里湊自身はずっと貧乏くじを引いていくことになる。

 彼のそういった在り方を知っている七歌としては、自分がして貰えれば嬉しいが、痛々しくも感じるので実際のところは複雑だ。

 少女のそんな心情など知らぬ美鶴が不思議そうに見ている中、七歌は何でも無いですと愛想笑いを浮かべて、自分たちもそろそろ教室に向かおうと歩き出した。

 

 

夜――巌戸台分寮

 

 湊と七歌が朝から遭遇するというちょっとしたハプニングがあった日の夜。美鶴はもうすぐ日を跨ごうという時間でありながら、寮の四階にある作戦室でゆかりや理事長の幾月と共に機械を操作しモニターを眺めていた。

 彼女たちの見ているモニターに映っているのは入寮したばかりの七歌の部屋だ。

 部屋の中には既に部屋の主が帰ってきており、机の前に座って難関大学受験者向けの参考書を解いていた。学校の課題だけでなく、自ら進んで勉学に励むのは良いことだ。

 寮や学校で会ったときには、色々とおかしなノリや言動が目立ち、周囲からは変人の馬鹿という印象を持たれつつある。けれど、彼女にこんな一面があると知れば、学校の連中も天才故の異端ぶりと認識を改めることだろう。

 

「なんか意外ですね。普段が普段だけに、ああやって真面目に勉強してるのがすごく不思議で」

「そういえば、君は七歌の経歴についてよく知らなかったな。確かに色々と変わった行動を取ることも多いが、文武共に優秀な人物で、彼女は中学校と前の高校では一年生から生徒会長を務めていたほどだ」

 

 一見ただの馬鹿に見えるだろうがその認識は誤りで、七歌の基礎スペックは一年生で生徒会長を務めるほど高い。

 学校や生徒らに惜しまれながらも、湊のいる高校に行きたいからと簡単に転校を決めてしまった辺り、やはり型に嵌まらない人物という感じではあるが、高い能力を持っているのであれば余計に彼女のおかしな行動の理由が分からないとゆかりは首を傾げる。

 

「え、じゃあ、なんであんな変人っぽいことしてるんですか?」

「さぁな。きっと本人の性格だろう。だがまぁ、七歌の能力を甘く見ない方が良い。彼女は最も有里に近い人間だからな」

 

 湊に最も近い人間と聞いてゆかりはどう思ったのだろうか。精神的な距離感なのか、それとも能力の高さで似ていると評したのか。

 前者ならば転校してきたばかりの少女が、どうして自分の好きな人と親しいのかと嫉妬を覚えるはず。けれど、湊は学校でそのような様子は見せていないので、七歌と同じクラスにいるゆかりならばありえないと分かるに違いない。

 だとすれば、美鶴の言葉は後者を表わしていたと思われるので、ゆかりとしてはそんな天才型なのだなとぼんやり考える程度であった。

 そうして、そうこうしている内に画面の中では勉強道具を片付け、立ち上がるなり背伸びをしている七歌が映っていた。時刻は十一時五二分、影時間の目前だ。彼女が動いたことに気付いた幾月は、勉強を切り上げたのはやはり影時間のせいかなと考察する。

 

「おや、もう寝るようだね。電気の使えない影時間になる前に寝るってとこかな?」

「あ、なんかベッドの下から出してますね。あれは……寝袋?」

 

 見ていると七歌はベッドの下からゴソゴソと何かを取り出して床に広げていた。それはどこからどう見ても黒い棺桶型の寝袋で、正直に言えばどこに売っているんだと突っ込みたいところだが、楽しそうにそれを手に取ってベッドの上にセッティングしている事から、彼女は棺桶型の寝袋を使用しながらベッドで寝るつもりのようだ。

 

「うーん、余裕あるねぇ彼女。象徴化を知ってるからこその偽装か。まぁ、シャドウが相手なら意味もないと思うが」

「何にせよもうすぐ影時間です。様子を見ていましょう」

 

 いくら棺桶型の寝袋で象徴化の偽装をしても、シャドウによっては鋭い感覚で隠れている相手を見つけ出す。よって、彼女の行動や準備は全て気休めか人間に対する偽装にしかならないのだ。

 無論、本人はそれを知らず、ただ他の者たちと同じようにすることで安心感を得ようとしている可能性もあるが、美鶴の言うとおり既に影時間が迫っている。

 本当に彼女が影時間に適応して見せるのなら、このまま様子を見ていた方がいいと判断し、全員が静かに影時間の到来を待った。

 そして、時計の針が頂点を指したとき、世界は緑色に塗り潰された。

 

「……象徴化せずか。混乱も見られないし、本当に高い適性を持っているみたいだね」

 

 選ばれた者しか立ち入ることの許されない影時間。その中でも七歌は一度顔を上げて時計を見てから溜息を吐いたくらいで、後は月明かりで明日の持ち物を用意したりと平然としている。

 ここまで平時と同じ行動を取れるのなら間違いなく彼女は適性を持っている。混乱も何もないとなれば、それこそ美鶴や真田など既にペルソナに覚醒している者と遜色ないレベルと言えた。

 彼女が美鶴たちと同じペルソナ使いとして覚醒し、一緒にシャドウの脅威から人々を守ってはくれないかと密かに期待している幾月は、顎に手を当てながら画面に映る少女の様子を眺め満足げにする。

 しかし、彼女が準備を終えて教科書類を鞄に片付け終えたところで、注意深く七歌のことを見ていた美鶴が異変に気付く。

 

「いや、待ってください。様子が変です」

 

 これまで特に変わった様子を見せていなかったというのに、片付けを終えた少女は何やら周囲を見渡して落ち着かない行動を取っていた。

 部屋の中をグルグルと歩き回ってみたり、壁のところで立ち止まったかと思えば耳を当ててみたり、再び部屋の中央に戻ってくれば今度は床に耳を当ててみたりと、彼女が一体何をしているのか見ているだけでは分からない。

 

「何かの音でも聞いてるのかな?」

「音? ――――まさかっ!?」

 

 ゆかりの言葉に美鶴は嫌な予感を感じた。すると、その予想は見事に的中し、画面に映っていた少女は立ち上がって数度頷いてからゆっくりカメラの方を見て口を動かした。その動きは、

 

 

 “ み ぃ つ け た ”

 

 

 大きく目を開き口元を吊り上げながらカメラ越しに視線が合ったように感じる。あまりの異常さに思わず背筋がゾクリとするが、さらに恐ろしいことに七歌は部屋の隅に立てかけていた薙刀を持って部屋を飛び出していた。

 主の消えた部屋の映像を見ながら二度目のまさかという悪寒が美鶴たちを襲い。慌てて部屋の扉をロックするボタンを押すが、その予感はやはり的中し、七歌が部屋を出て数秒後に彼女たちのいる部屋の扉が激しく叩かれた。

 

《おい、開けろ! ここにいるのは分かってんだぞ! 人の部屋盗撮しやがって、ぶっ殺してやるから出てこい!》

『ひぃっ!?』

 

 ドンドンドンッ、と明らかに手で叩いていては出せない音が響く。今出てきて謝れば許してやると言うのなら出るかもしれないが、殺すから出てこいと言われて素直に開ける者などいまい。

 だが、叩く音の激しさは段々と増しており、もしかすると扉をぶち破られる可能性もあるのではないかと冷たい汗が背中を流れる。

 大人である幾月も表情を強張らせており、少女二人は幾月以上に恐怖を感じて動けずにいた。すると、美鶴たちが開けないと分かって諦めたのか扉を叩く音が唐突に止む。

 しかし、安堵の息を吐く間もなく、今度は扉の把手がガチャガチャと五月蠅く音を立てだした。

 

《あけてあけてあけてあけてあけてあけてあけてあけてあけてあけてあけてあけてあけてあけてあけてあけてあけて》

 

 まだ扉の前にいた七歌は扉越しにぼそぼそとつぶやき続ける。バイオレンスから一転して状況がホラーに変わり、これならば先ほどの直接的な五月蝿さの方がマシに思えた。

 不気味な物や怖い物が苦手なゆかりなど顔を真っ青にしており、美鶴も相手が七歌だと分かっていなければ震えていたに違いない。ただ、相手は知り合いの少女だと自分に言い聞かせることで、美鶴がどうにか恐怖に囚われるのを耐えていれば、一足先に呑まれてしまったゆかりがガタガタと震えながら七歌への対処法を問うてくる。

 

「せ、先輩、どうするんですかヤバいですよ!」

「理事長、何か彼女を落ち着かせる方法はありませんか?」

「い、いやぁ、流石に僕もこういったタイプの生徒とは関わった事が無いから……」

 

 こんなときばかり大人だからと頼られても困る。相手は理性をどこかに置いてきた変人にして狂人だ。むしろ、知り合いだった美鶴の方が止められる可能性はある。幾月がそう苦笑いを浮かべれば、把手の音が止んで代わりに何かがきこえてきた。

 

《来やれ――――来やれ――――来やれ》

 

 その呟きの意味は分からない。だが、何か危険な気がする。一体何をしようというのか美鶴たちが扉の方を見て警戒していれば、次の瞬間扉が音を立てて吹き飛んだ。

 ここはシャドウやその他の脅威からペルソナ使いを守ることを目的として作れているため、並の威力では窓ガラスすら割ることは出来ない。

 だというのに、濛々と巻き上がった埃の向こう側に立っていた少女は、どうやってか扉を修復不可能なレベルまで完全に破壊し。立ったまま上半身をだらりと垂らして、右手に薙刀を持ちながらゆっくりと部屋に入ってくる。

 

「悲しいなぁ……美鶴さんも岳羽さんもグルだったなんて……」

「ま、待て七歌。これには理由がっ」

 

 ちゃんと説明するから武器を置いて落ち着いて欲しいと美鶴は説得する。ただ、本能で相手を恐れているのか、美鶴だけでなくゆかりも一緒になって席から立ち上がり窓際の方へ逃げつつ言っているから格好が付かない。

 しかし、それを聞いた七歌はキッと顔を上げると、薙刀をしっかりと持ったまま駆け出し、先ほどまで美鶴が座っていた椅子を足場に飛び上がってから置かれていた装置のモニターを叩き割った。

 

「はぁっ!!」

 

 彼女の持っている薙刀は武道で使う刃のない物で、練習用なのか試合で使える物より重く丈夫に出来ていた。身体能力の高い少女がそんな物を遠心力も加えて振り抜けば、液晶モニターなど割れてもおかしくはない。

 ただ、すぐ傍で見ている者にとっては恐怖を増長させるものでしかなく、普段のふざけた態度の消えた七歌が真剣な表情をしているのを見て、美鶴たちも彼女がどれほど怒っているのかを理解した。

 

「理由があれば許されるっていうなら、被害者がこうやって盗撮されないためにモニターを破壊しても許されるよね?」

「秘密にしたままこのような事をして本当にすまない。だが、これは君の身の安全を守るためでもあったんだ」

「ふーん。でも、いま私一人に怯えている人がどうやって守ってくれるの?」

 

 武器を持っていると言っても刃はない。殴られれば痛いだろうが、先陣を切る者が片腕を犠牲にする覚悟で突っ込めば、一人が武器を無効化している間に他の二人が七歌を拘束することも可能だ。

 それをしない、もしくは出来ないのは美鶴たちが怯えているから。大人の男性が味方にいるというアドバンテージを持っていながら、年上の美鶴もゆかりと一緒になって怯えている時点で何かあっても守ってくれるとは思えない。

 七歌がはっきりとそう返せば、美鶴は何も言い返せないと表情を歪ませ拳を強く握り締める。身体能力で言えば美鶴よりも七歌の方が上なのだ。彼女ならば敵が来ても一人で走って逃げる事も出来るだろう。

 相手に何も言い返せず美鶴が黙っていれば、さらに七歌は言葉を続けた。

 

「桐条美鶴、私は八雲君がいるからここへ来たし、これからも彼の傍に居ようと考えてる。そして、ここにいるために両家の間に何かしらの取り決めが必要なら従うつもりもある。だけど、そんな取り決めはなかったし、無断で盗撮しておいてそれを他の生徒や男性教師が見ているとなれば、私は家を通して抗議せざるを得ない」

 

 家の知名度ならば桐条家の方が上だが、格で言えば旧家の九頭龍家も負けてはいない。古い家同士の繋がりは馬鹿に出来ないので、もし七歌が正式に家を通じて抗議してくれば、桐条家は示談に持ち込むためにかなりの労力を割く必要があった。

 二人のやり取りを見ていたゆかりは、美鶴が彼女を湊に最も近い人間と評した意味を理解し、強い相手から自分の身を守るため無意識に足のホルスターに手を伸ばしかけた。

 すると、真っ直ぐ美鶴を見つめていたはずの七歌が、深紅の瞳をゆかりに向け視線だけで彼女を牽制し、余計なことはしない方がいいと警告する。

 

「無駄だよ岳羽さん。その足に着けた拳銃を抜こうとしても、貴女が抜いて構えるより私の方が速い。この眼は未来を視るからね。貴女が動き出そうとしたときには、私は既に貴女に切りかかってるよ」

 

 未来を視るという彼女の言葉の意味は理解できないが、六メートルの距離など七歌なら三歩で制して、薙刀が十分に届く範囲だろう。

 ゆかりが持っている拳銃は武器ではないので、七歌の言う通りゆかりが構えるよりも相手の攻撃がゆかりを打つ方が速い。

 次にまた無意識に拳銃に触れようとすれば、七歌が問答無用に攻撃してくる可能性もあって、ゆかりが胸の前で手をぎゅっと握ると、状況を改善しようと美鶴が改めて七歌の説得を行った。

 

「七歌、話をするから武器を置いてくれ。多分、信じられないと思うがちゃんと話すから」

「信じて貰えないと思うなら、私に有利なこの状況を維持しておいた方が良いんじゃないですか? 武器を置いたら有利な状況が崩れて私にとってはマイナスです。逆を言えばそれは美鶴さんたちにとってプラスに働きます。少しでも信じて欲しいなら、こっちにデメリットを発生させちゃダメでしょ?」

 

 現在、両者の関係は対等ではない。美鶴たちの非常識な真似に七歌が怒っており、訴えられれば負けるのも美鶴たちなので、話を聞いて貰えるだけでもありがたいと思うべきなのだ。

 武器を置いて欲しいのなら、最低でも三人は手足を拘束して何も出来ない状態になるくらいでないと、七歌は話を聞こうとも思わないだろう。

 美鶴としては落ち着いて話をしたかっただけなのだが、相手側の言い分も当然であると理解を示し、このまま話を始めることにした。

 

「……わかった。まず、君がどれだけ状況を把握しているか確認するため、いくつか教えて欲しい。君は毎夜零時に訪れるこの時間を知っていたか?」

「ええ、八雲君たちの事故が遭って少し経った頃からですし、だいたい十年くらいの付き合いになりますかね」

 

 無駄な説明を省くため七歌側の理解度を測ろうと思ったのだが、その答えには美鶴だけでなく幾月やゆかりまでも驚愕する。

 十年といえば美鶴とほぼ同じ時期には目覚めていたことになり、適性に目覚めて数ヶ月のゆかりなどより大先輩にあたる。

 いくら何でも、幼い少女がたった一人で周囲に報せることも知られることもなく、十年間密かに影時間を過ごしてきたとは信じられなかった。

 

「十年だと? 君はそんなにも一人でこの時間を過ごしてきたのか?」

「電子機器が使えないのは不便ですし、他の人は棺桶になっててつまらないですけど、別にこれといって何も起こりませんからね」

 

 確かにシャドウが出るのは巌戸台周辺だけなので、東京にすらいなかった七歌にとって、影時間は不便だが人より一時間多く一日を過ごせるくらいのものだったのかもしれない。

 ただ、そういう事なら名称やシャドウについての説明だけで済むと考え美鶴は話を続けた。

 

「そうか。この時間は影時間と呼ばれていて、実はある化け物が出現する危険な時間帯なんだ」

「化け物ってシャドウの事ですか? それならペルソナ持ってるから大丈夫ですよ。成功率は低いですが、さっき扉を壊したみたいにして倒せますから」

『っ!?』

 

 いざ話を進めようと思えば、七歌が既にシャドウやペルソナについて知っていると分かり、美鶴たち全員が先ほど以上に驚いた。

 最初に寮へやってきたとき、七歌は影時間の中を歩いて寮までやってきた。その途中で荒垣と出会っていたので、もしかするとシャドウと遭遇して彼から話を聞いたのかもしれないが、これは改めて確認する必要があるとして幾月も質問をぶつける。

 

「私は月光館学園理事長の幾月だ。それで九頭龍君、君はシャドウやペルソナのことを知っていたのかね?」

「呼び方は知らなかったけど、ペルソナについては守護霊って勝手に呼んでて、影時間の存在を知覚してから少しして認識してましたよ。さっきも言いましたが成功率は低いけど集中すれば呼び出せますし」

 

 確かに召喚器を使わずに呼び出すことも可能だが、召喚器の有無で成功率と疲労度はかなり変わってくる。話を聞くとその特徴とも一致しているので、七歌の話は本当であり、彼女が既にペルソナ使いなのは間違いないようだ。

 候補者として監視していたつもりが、前提条件が間違っていたことに美鶴たちも困り顔を浮かべる。ただ、そういえば七歌の話に気になる部分があったので、美鶴は確認のためその部分について尋ねた。

 

「まさか既にペルソナを覚醒させていたとは……。七歌、君はシャドウやペルソナについて誰から聞いたんだ?」

「誰でも良いでしょ、そんなの。今は盗撮について弁明する機会を与えただけなんですから、脇に逸れずに話を続けてください」

 

 会話が成立したと思えば冷たい反応。それも当然で七歌の言い分が正しいのだが、そういった反応に慣れていない美鶴としては少しショックを受ける。

 けれど、彼女の気が変わるといけないので、美鶴は気を取り直して自分たちの説明を始めた。

 

「あ、ああ、シャドウについて知っているなら話が早い。私たちはシャドウの脅威から人々を守るため集められたペルソナ使いや候補者の集団なんだ」

 

 顧問である幾月は違うものの、美鶴もゆかりもペルソナ使いと候補者だ。ロードワークがてら見回りをしに出ている者もいるが、組織としてシャドウ対策に当たっている。

 組織名は特別課外活動部、通称S.E.E.S.だと伝えたところで幾月が説明を引き継いだ。

 

「影時間には希に一般人が迷い込むことがある。そういった者を守ったり、徘徊するシャドウを排除することを我々は任務としていて。監視してたのは候補者だった君の様子を見ていただけなんだ。影時間の適性やペルソナに目覚めると最初は精神的に不安定になってパニック症状を起こす者もいるからね。そういったときすぐに向かえるよう影時間中は見ていたという訳さ」

 

 人は理解できない状況に置かれると、現状を把握しようと必死になるあまり冷静さを失う。七歌も本来ならそうなる可能性があったので、もし混乱していれば、すぐに向かって落ち着かせてあげようと思っていたのも監視していた理由の一つだ。

 その点において嘘はないので、話を聞いて考え込んでいる七歌からの反応を待っていれば、相手は考えがまとまったのか顔を上げて口を開いてきた。

 

「たとえば、寮の中は防犯のために安全カメラが設置されてるって事前に説明していれば、流石に個人の部屋の中まで撮られてるとは思わなくても、知ったときには少し不信感を軽減出来ますよね? どうしてそういう問題が起こったときのための行動をしておかないんですか?」

 

 それを言われてしまうと何も反論できない。カメラは本体が見えるようなタイプではなく、巧妙に隠された超小型の隠しカメラなので、そもそも見つかると思っていなかったのだ。

 知らずにカメラの前にポスターを貼ってもしょうがないと言えばしょうがないし、そういったときには監視を諦めるつもりだったのだが、七歌は部屋の中を特に探りまくった訳でもなく発見していた。

 彼女ほどの察知力を持っている者がそういるとも思えないが、今後は彼女の指摘通りに不信感を持たれぬよう先に説明しようと決めて、幾月たちは自分たちの不手際を詫びた。

 

「すまない、考えが足りなかったよ」

「いや、考えって言うか足りてないのは常識ですけどね。候補者って事は私を仲間にしたかったって事ですよね。けど、信頼を裏切る行動ばかり取っていて、普通に考えて仲間になって貰えると思います?」

 

 変人のような振る舞いをする七歌だが、彼女は周囲からどう見られるかを自覚した上で行動している。自覚していると言うことは一般常識を理解している訳で、そんな彼女にすれば美鶴たちの行動は配慮不足ではなく常識の欠如であった。

 学校ぐるみの盗撮など犯罪でしかないので、七歌の言い分も当然だが、いまの様子で既に仲間に誘える空気ではないと状況の悪さを悟った美鶴が見つめる前で、七歌は失望したとばかりに溜息を吐いて背中を向けた。

 

「明日、私が学校から帰るまでに部屋のカメラを外しておいてください。それじゃあ」

 

 言うなり彼女は部屋を出て行った。多分、自室に戻ったと思われるが、生憎とモニターが破壊されているのでカメラの映像は確認できない。

 再びカメラで監視しようものなら、彼女は今度こそ家を通じて学校と桐条グループを訴えてくるはず。なので、ここは彼女の言うとおり学校が終わって帰ってくるまでに、私室のカメラ撤去と新しいモニターをグループの方に頼んでおくことにした。

 そうして、七歌が去った部屋の中では、折角の新メンバー候補との関係が一気に悪くなってしまったことで、苦笑いせずにはいらない幾月たちが残った。

 

「困ったことになったねぇ」

「ええ、やはり最大限の慎重さで臨むべきでした。彼女とはまた改めて話をしてみます」

「うん。僕たちより桐条君の方が親しいからね。彼女も話を聞いてくれるだろう。よろしく頼むよ」

 

 今回のことは七歌が見逃してくれただけだ。本当ならば影時間が明けてすぐに警察を呼ばれてもおかしくなかった。

 その点において美鶴たちは大きな借りが出来た訳だが、美鶴としては友人として七歌とは個人的に親しいままでいたい。

 故に、容易ではないと思うが、明日からどうにか話をすることで彼女の信頼回復に努めていくと美鶴は約束した。

 だが、美鶴とゆかりは影時間が明けて部屋に戻った際、七歌の怒りが自分たちの予想を遙かに超えていたことを理解する。

 なんと彼女たちの私室の扉が蝶番ごとドライバーで丁寧に外され、美鶴の部屋にいたっては私室の中にあるバスルームの脱衣所の扉まで外されていたのだ。

 そして、部屋の前には三脚にセッティングされたビデオカメラが部屋の中を写すように配置され、“触ったら訴訟”の張り紙までされており、自分たちがしたことをその身で思い知れとばかりにばっちり報復がなされていた。

 外された扉はというと、女子フロアの談話スペースに三枚重ねた状態で鎖で縛られ、さらに大きな南京錠で解けないようにするという徹底ぶり。

 この間違った力の使い方は湊を彷彿とさせるが、二人の関係を知っている美鶴は、ここまで似なくてもいいのにと頭を抱え思わず溜息を吐いた。

 

 

 


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