4月12日(日)
午後――巌戸台分寮
屋上での戦いの後、精神力を限界まで使った七歌とゆかりは一日眠り続けて、目覚めたのは土曜日の朝だった。
本来なら土曜日も学校があるのだが、一日眠り続けるほどの疲労はすぐには回復しないだろうと、美鶴が気を利かせてもう一日休むと事前に連絡してくれていた。
おかげでリフレッシュに一日を費やすことが出来、その間に共に戦った絆でお互いを名前で呼び合うことにもなったのだが、詳しい説明や自己紹介は全員がゆっくり出来る日曜日に持ち越された。
そして、今日がその約束の日で、全員集まったから四階の作戦室に来て欲しいと美鶴から連絡を受け、七歌も先日強行的手段によって突入した部屋の前にやってくると、新しく立て付けられた扉に向かって拳を振り下ろした。
「おい、開けろ! ここにいるのは分かってんだぞ! 人の部屋盗撮しやがって、ぶっ殺してやるから出てこい!」
とりあえず、あの日の再現をしておく。部屋の中から驚いた声が聞こえてきたので、やはり会話には緊張感がないとねという七歌の狙いは成功した。
それが終わると今度は普通に扉を開けて中に入り、引き攣った表情をする幾月や、怪訝そうな顔をする真田に、疲れた表情の美鶴とゆかりを見てから自己紹介を改めて行う。
「やあやあ、我こそは彼の地に神遣い在りと謳われた龍の末裔也。姓は九頭龍、名は七歌。一三三代九頭龍家当主にして第一級四爪守護龍憑きなるぞ!」
「長いし、何言ってるのか全然分かんないわよ……」
「それはゆかりの学がないだけだね。ま、簡単に言うと旧家の九頭龍家当主って話だよ。本当は代行だけどね」
共闘でぐっと距離が縮まったからか、ゆかりは部活メンバーに対して行うように自然とツッコミを入れた。
けれど、七歌は七歌で気にしていないらしく、自分が旧家出身の人間だと伝えてから空いていたゆかりの隣に腰を下ろした。
それでようやく話し合いのメンバーが揃ったため、上座に座っていた幾月が場を仕切り直して、改めて自己紹介から始めておこうと口を開く。
「改めて自己紹介しておこう。前にも言ったが私は幾月修司、月光館学園の理事長をしている。そして、前回いなかった彼は三年の真田君」
「真田明彦だ。お前の学年に美紀という妹がいるが、適性を持っているのは俺のみで妹は実家暮らしをしている。よろしくな」
あの戦いの日の夜に姿は見ていたが、その後会話も交わさずに七歌は気を失ってしまった。目覚めた後もタイミングが合わなくて挨拶が遅れていた訳だが、よろしくと挨拶を返してから七歌はもう一人ペルソナ使いがいたはずだと首を傾げる。
「この前のフルフェイスは仲間じゃないんですか?」
「彼は荒垣真次郎、君がニット帽と呼んでいた相手だ。今は少し訳があってチームを離れている。ただ、どうやら一人でも活動は続けていたようだ」
「シンジは俺の幼馴染みでな。丁寧に変装して顔も隠していたが、ペルソナを見ればすぐにばれるというのに、出て行った手前恥ずかしいのか知らんが素直じゃないやつだ」
フルフェイスのヘルメットを被っていたせいで顔は分からず声も聞き取りづらかったが、美鶴と真田は相手の正体に気付いたらしく、どこか懐かしそうな笑顔でここにはいないメンバーの事を説明した。
七歌も荒垣とは巌戸台に来た初日に会っているため、確かにあの日もロングコートを着ていたなと共通点を思い出す。
そこからさらに出て行った理由などについても尋ねたくなるが、そういったプライベートな部分にずかずかと踏み込むほど非常識ではないため、自分を助けた黒いペルソナの持ち主がニット帽こと荒垣真次郎という事だけ覚えて七歌は幾月の話を聞いた。
「まぁ、荒垣君を除けば桐条の戦力はここにいるメンバーで全員だ。先日のような強大なシャドウが出ることは希だが、適性持ちの中でもペルソナに目覚める者はさらに希少でね。戦力が常に不足している事もあって、九頭龍君にも仲間になってもらいたいのが素直な気持ちさ」
桐条グループと言えば日本の就労人口の二パーセントを担っている大企業。その力を持ってしてもシャドウという化け物に有効な戦力を、片手の指で足りるほどしか集められていない事実に驚愕する。
七歌自身、巌戸台に来るまで影時間に適応した人間を見たことはなく、極希に迷い込んだ者はいたが偶然迷い込んだだけで翌日には影時間の記憶を失っているようだった。
知り合いばかりではなかったので、翌日普通に通学や通勤している姿を見て勝手にそう思っていた部分はあるものの、迷い込む者はいても適性を持つに至る者は少なく、ペルソナに目覚めるとなると宝くじの一等が当たるよりも発生確率が低いように思えた。
そうして、戦力の確保も大変なんだなと考えたところで、話は分かったが組織体系や福利厚生などはちゃんとしているのかと七歌は尋ねる。
「待遇とかはどうなってるんですか? こう、危険手当とか武器の支給とか」
「学生寮を拠点としているため、表向きは特別課外活動部という部活になっている。よって、個人に対して正式に賃金を支払うことは出来ないが、歩合制の報酬で良ければグループの方から支払う事も可能だ」
これで完全なボランティアですと言われていれば断っていた。目の前に困っている者がいれば助けもするが、そうでなければいつか出てしまう被害者のために命を懸けて化け物退治などしていられない。
そも、先日のシャドウだって武器がちゃんと刃のある物ならもう少し楽に戦えたのだ。シャドウが手から取り落としていた剣を再利用出来ないかとも考えたが、後で美鶴に聞いたところ武器もシャドウの一部だったようで一緒に消えてしまったという。
そうなると、七歌は再び威力に心配の残る練習用の薙刀を使い続けるしかなかったので、歩合制だろうと報酬が出るのはありがたかった。
「ほーん、協力者みたいなのっていないんですか?」
「ポロニアンモールの交番で勤務している黒沢さんが伝手を辿って武器を融通してくれている。あとは、同じくポロニアンモールの骨董品屋も変わった道具を取り扱っている協力者だ。まぁ、対価は必要だし、骨董品屋の方は店主がいるときに行かなければ意味が無いがな」
今度の質問には交番の黒沢巡査と古くからの知り合いである真田が答える。
桐条グループでも武器など装備品について研究を進めているが、特殊な戦闘訓練を受けていない者らが武器を扱う場合、強度と軽さを両立させる必要があった。
どこかの誰かは槍や大剣を軽々振るっているが、いくら影時間の付与効果で力が増していても、何十分も武器を振り回し続けるなど普通は不可能。体力が切れれば思考も鈍り、思考が鈍ればペルソナにも影響が出る。
故に、そういった状況にならないよう限界まで軽さと強度を両立した武器を開発しようとしたのだが、残念ながら既存の素材では強度を上げれば重量も増してしまい、新素材の開発をしようにも簡単にはいかず。現状、黒沢の横流し品で使える物を本人らに選んでもらうしかなかった。
もっとも、七歌としては桐条グループが費用を負担し、練習用の薙刀よりも良い性能の武器が手に入るなら文句はない。
ただし、骨董品屋の方はどうして店主じゃなければ意味が無いのか分からず、不思議そうに首を傾げるとそのまま理由を尋ねた。
「店主以外の人は協力者じゃないんですか?」
「こちらの事情を知っているのは店主だけで、後はバイトが二人いるがどちらもうちの生徒なんだ。現在は店舗の改装中で利用できないが、この活動は極秘任務だからな。相手が家族や恋人であろうと無関係の一般人ならばくれぐれも口を滑らせないよう覚えておいてくれ」
真田から引き継いだ美鶴が微笑を浮かべて説明を終えれば、七歌は紅茶のカップに口を付けながらフムフムと頷く。
一般人に影時間のことを教えないのは、情報の秘匿だけでなく、影時間のことを知ったせいで相手が適性を得てしまうリスクを下げるためだ。
高い適性を持っている者と一緒にいれば適性が目覚めやすくなるという報告もあるが、さらに影時間が存在すると言う認識を持つだけで影時間に迷い込み易くなる可能性も挙げられている。ペルソナ使いにまで成長するか現状不明であるものの、適性持ちは切っ掛けがあれば案外簡単になれてしまうので十分注意してくれと美鶴が念を押すのも当然と言えた。
そうして、一連の話を終えると全員が一旦休憩としてクッキーや紅茶に手を伸ばす。七歌にも頭の整理が必要だと思っての気遣いだが、少しすると幾月が顔を上げて真っ直ぐ七歌を見つめながら口を開いてきた。
「それで、色々と説明したが改めてお願いしよう。九頭龍君、君の力を貸して貰えないか?」
「うーん……条件があります。私はまだ盗撮の件を完全には許していません。なので、男性教師でありながら女子の部屋を覗いていた理事長を一発殴らせてください」
ゆかりと共闘したことが切っ掛けで仲良くなった七歌は、盗撮していたメンバーへの怒りもほぼ落ち着き許せる状態まで来ていた。
ただ、それでもケジメとして男性の幾月には罰を受けてもらいたい。それが今回の落としどころであり、特別課外活動部に力を貸す条件だと伝えれば、
「君の気持ちは当然だね。先日のことに関しては非常に申し訳なかったと思っている。それで助力が得られるのなら罰は甘んじて受けるよ」
七歌が幾月を殴ると聞いて不安そうな表情を浮かべる美鶴と対照的に、幾月本人は穏やかな微笑すら浮かべて少女の出した条件を受け入れた。
彼も大切な子どもたちを預かる立場の人間だ。いくら理由があったとしても悪いことをしていた自覚はあり、それ故の真摯な態度も見せた訳だが、殴る許可を得た七歌は許可を得たことでしっかりと頷くなり部屋を出て行ってしまった。
どうして殴ると言っておいて部屋を出て行ったのかは分からないが、一同が不思議に思って待っていれば扉が開いて七歌が戻ってきた。その手に金属バットを携えて。
「よーし、思いっきりいくぞー!」
「ま、待て七歌! 君は一体何を持っているんだ?」
「え? 知らないんですか? どこにでもある普通の金属バットですよ?」
本人は金色に輝く金属バットをかざして誇らしげな顔をしているが、それを見ている周りの者は困惑して表情が引き攣っている。
てっきり拳で頬でも殴りつけて円満解決になるとばかり思っていた一同にすれば、相手がわざわざ暴力事件でよく凶器になっている金属バットを持ってくるなど予想外で、そんなにも怒っていたのかと少女の怒り具合に逆にビックリするほどだ。
ただ、どれだけ彼女が本気で金属バットの使用を考えていたとしても、普段運動もしない研究畑の中年男性が殴られれば入院待ったなしである。
対シャドウにおいてはまるで戦力にならないとしても、幾月は裏方としては働き、特別課外活動部が動きやすいよう手配してくれているため、ここで彼に抜けられては困ると美鶴やゆかりたちは七歌を必死に説得した。
その甲斐もあって七歌は凶器を使わない尻キックで許してくれたが、思いの外高威力で声にならない叫び声を上げてしばらく悶えていた幾月は、ようやく尻が落ち着いたことで何とか椅子に戻ってくると額に脂汗を滲ませたまま会話を再開する。
「さ、さて、九頭龍君が仲間になってくれた事でうちの戦力も増した。岳羽君も無事に召喚出来たようだし、もう少ししたら見つかったばかりの候補者が入寮してくるから、全員揃ったらタルタロスの調査もしてみようか」
タルタロスはシャドウの巣とも言われる怪しい塔だ。ある日突然エントランスに台座に刺さった剣が現われたりもしたが、それも含めて詳しいことは何も分かっていない。
美鶴と真田は何度か調査に出向いたこともあるけれど、荒垣を入れても三人しかいなかったため無茶は出来なかった。
けれど、ようやく戦力も増えてきた。あとはもう一人の新人が加入したところで本格的に調査を計画してみようと幾月が言えば、今から待ち遠しいと瞳を輝かせていた真田に美鶴が冷たい一言を放った。
「明彦、お前は怪我が治るまで留守番だぞ」
「なっ!? ふざけるなっ、こいつらだけ行かせられるか!」
いくらシャドウとの実戦を経験していようと、七歌もゆかりもまだまだペルソナ使いとしては未熟で戦いの素人。そんな下級生の女子らだけで化け物のいるダンジョンを攻略させられないと、真田は椅子から立ち上がり美鶴に食ってかかった。
すると、先輩らのそんなやり取りを見ていたゆかりは、普通そうにしているが重傷だったのだろうかと真田を心配して具合を尋ねる。
「あの、真田先輩ってそんな酷い怪我したんですか?」
「候補者を逃がす際に負った名誉の負傷らしいがな。肋骨にヒビが入っているんだ。医者には二ヶ月くらいは安静にしていろと言われている。当然トレーニングも禁止だ」
「馬鹿を言うな。二ヶ月も休んでいたら身体が腐ってしまう。仮に復帰できても二ヶ月の間に落ちた体力や筋力のせいでまともに戦えるかも怪しいぞ」
命に別状はない。さらに後遺症が残る心配もないので安心していい。
ただ、ウォーキングなどならともかく、部活の練習やシャドウとの戦闘など怪我を悪化させるだけなので認められない。
美鶴がそのようにばっさりと言い切れば、トレーニングを怠った方が身体に悪いと真田も譲らなかった。
この場合、普通に考えれば美鶴の言い分が正しいだろう。医者も安静にしておくように言っているのだから、怪我を治すためなら黙って従っておいた方が良いに決まっている。
けれど、自分も運動する身として、怪我をしたときのことを色々と調べて七歌が、クッキーをポリポリと食べながら別に方法はあるよと口を挟んだ。
「それなら酸素カプセルと加圧トレーニングをしたらどうですか? 体力の方は無理でも筋力は少ない負担で安全に体幹から鍛えられますし、加圧トレーニングは骨折の回復を早める効果があると言われています。それと併用すればヒビくらいなら酸素カプセルで一ヶ月もかからず治せますよ」
酸素カプセルも加圧トレーニングも、どちらも骨折を早く治すのに効果的と言われるものだ。さらに筋力を維持することも出来るので、体力の衰えはウォーキングなどで補って貰うとして、真田の要望を取り入れた治療としてこれ以上のものはないと思われる。
真田も一見脳筋のように思われているが、頭は決して悪くないので、そういった最新のトレーニング方法も調べており、詳しくはないが聞いたことはあると答えた。
「ふむ、どちらも聞いたことはあるな。有名なスポーツ選手が怪我をした際に使用して、驚きの速さで復帰したとか……。美鶴、お前たちのところでそれはやっていないのか?」
「カプセルの開発からやっているさ。ただ、骨折の治療の場合は酸素カプセルと回復を早める特殊な機械を併用する必要がある。連絡すれば用意できるはずだが、専門家のいる病院に毎日通院して貰うことになるぞ」
「同じ病院で加圧トレーニングも出来るようにしてくれ。それなら医者やトレーナーと一緒にトレーニングが出来るからお前も安心だろ?」
カプセルに入る時間は一時間弱と言ったところだが、それでも学校がある日も毎日通うのは大変だ。ならば、最初からそこでリハビリを兼ねたトレーニングも出来るようにしてくれれば手間も省ける。
美鶴としては怪我の件で少しは大人しくして貰いたかったが、やはり戦力として信頼している彼には早く復帰して貰いたかったのか、真田の要望を聞き届けて辰巳記念病院で治療が出来るよう手配することを約束した。
――栃木県・那須野
寮で特別課外活動部についての説明を終え、七歌たちが普通にお茶の時間を楽しんでいた頃、湊は秘境と呼べるような鬱蒼とした木々の生い茂る森へと来ていた。
山を幾つも越え、橋も架かっていない大きな川を渡り、そうしてようやくたどり着けるような森は、一切人の手の入っていない旧い時代の匂いがする。
そんな場所を歩く青年の隣には短い丈の改造着物を着た黒髪の女性が歩いており、彼女は昼間だというのに薄暗い不気味な森を見て溜息を吐く。
《はぁ、現代日本にもまだこんな自然が残っていると思えば素晴らしいのかもしれませんが、実際に歩くとなると面倒以外の何ものでもありませんねぇ》
「……まぁ、別に飛んでいくことも出来たけどな。ただ、呪で結界を張られていたら実際に近付かないと分からないし。歩いて行くのにも意味がある」
今回、那須野の奥にあるこんな秘境へやって来たのには訳があった。
それは湊の隣を歩いている女性、力を失っている白面九尾の狐こと若藻に所縁の品を求めてであり、湊もこんなにも秘境にやって来る必要があると思っていなかった。
死んでも相手は大妖の九尾。いつか復活するべく呪を用いて結界を張り、高僧だろうと近づけない場所にそれを隠しているに違いない。
不穏な気配と呼べばいいのか、空気の変化を敏感に感じ取って目的地に近付いている湊に、元々の持ち主である若藻はいらぬ苦労ではないかとこぼす。
《別に殺生石なんて色んな場所で祀られているんですけどね。七五三縄をかけた大きな岩とか見たことありません?》
「ああいうのは漏れ出た瘴気を浴びた贋物だったりで、俺たちが向かっている先にあるのはお前の心臓が封じられた本物だ」
落ち葉を踏み締め、他よりも清浄過ぎる空気を吸い込みながら湊は先を目指す。
この先にあるのは死んだ九尾の肉体が変化したと言われる殺生石。あまりに毒素が強く瘴気を放つとして誰も触れることが出来なかったというが、一人の僧が割ったことで全国に散らばったと言われている。
ただ、その僧が割ったのはあくまで身体だった抜け殻の部分の物であり、湊たちが向かう先にあるのは核である心臓が変化したものだ。
大妖だけあって九尾は心臓から復活することが出来る。それには大量のエネルギーを必要とするが、心臓を破壊されては意味が無いため、身体を囮にして心臓だけはゆっくりでも傷を癒やせる秘境に飛んだらしい。
《まぁ、手に入ったら元の力もほぼ取り戻せると思いますが、そこまで急いで力を取り戻す必要あります?》
「アルカナシャドウの力は想定ほどじゃなかった。だが、今後もそうとは限らない。岳羽たちの実力も低いし、色々と裏工作が必要になる場面も増えるだろう」
殺生石を取りに来た理由は、若藻の力を取り戻すためだった。今でも自身と湊の姿を変化させる事は出来るが、力を取り戻せば現在はバアル・ペオルとのミックスレイドで行っている地形の変化等も単独で可能になる。
それだけでなく、湊自身に宿っている他のペルソナと違い、殺生石があれば若藻はそれを核として顕現する事が出来るようになるのだ。
「……何より、俺が最後まで戦えるか分からない以上、保険は用意しておいた方が良いだろ」
今後どれだけの戦力が必要になるか不明な以上、自分に頼らず動ける者がいてくれた方がありがたい。そういった理由もあって、湊は森のかなり深い場所までやってくると、開けた場所にある大きな泉を見つけた。
《綺麗な場所ですねぇ……まぁ、逆に異常ですけど》
泉の水は非常に透き通っていた。木々も新緑の葉を揺らし、一部では満開の桜が咲いている。
現実のようで、同時に幻想的でもある風景に思わず感嘆の声を漏らすが、若藻自身もこれは綺麗過ぎて逆に異常だと表情を歪めた。
すると、湊は黙ってレヴィアタンのカードを取り出し、靴と融合させて水神の具足に変化させて泉の上を一人歩いてゆく。
殺生石があるのは間違いなくこの場所だ。空気と気配でそれは分かっている。だが、泉の底に沈んでいるのなら取るのが面倒だなと考えていたとき、泉の丁度真ん中辺りに来た湊は突如水中から現われた触手に捕まり水中に引きずり込まれた。
外からでは分からなかったが、泉は思っていた以上に深く広かった。そして、その底に触手だと思われた金色の尻尾を伸ばしている犯人がいた。
《臭う、臭うぞ! 貴様、鬼の一族の女だな! その血と生き肝を寄越せ!》
確かに血や細胞は女性でもあるが、どこをどう見れば女に見えるのか。心の中で湊はそう溢すが、体長三十メートルを超す巨大な九尾の鼻先に連れて来られた湊は、相手の力量を測りながらこれで不完全体なのかと素直に感心した。
相手はただ大きいだけでなく、シャドウと同じようにスキルに似た業を放つことが出来る。現代にも神代の時代から生きている者たちはひっそりと残っているため、刈り取る者よりも遙かに強い力を持った者がいても不思議ではない。
けれど、相手はまだ身体を癒やしている最中。魂は若藻として抜け出ているので、殺生石に宿っているこの意識は自分を殺した鬼たちへの怨念に違いない。それでここまで力を持つとは流石大妖の一角だと、湊は自分も力を見せるべく右腕に纏わせた黒い炎を全身に広げた。
《ぐっ、それは呪いの類いかっ》
水の中でも燃え続ける炎は右腕だけでなく、背中や左腕も覆って黒のロングコートになった。
思わぬ反撃に九尾は表情を歪めるも、湊は蒼い瞳で相手を見ながら泉の底に降り立ち、バアル・ペオルの力を使った念話で相手に話しかける。
「……でかいだけの化け物が勝てると思うなよ。ペルソナっていうのは自分の一部だ。いくら強大な力を持っていようと制御できなきゃ意味が無い。だから俺は、仮にペルソナが暴走しても、己だけでねじ伏せられるだけの力は持っているんだよ」
蛇神ならともかく、名切りも含めたペルソナたちが暴走し湊のコントロールを離れたとしても、湊は己の肉体と武器を使って相手をねじ伏せることが出来た。
元々、生身でシャドウと戦っていたのだから、その延長くらいにしか青年は思っていないが、実際のところシャドウとペルソナでは知能に差がある。人が制御していただけあって、暴走してもペルソナの方が賢い訳だが、自我持ちですら同じように下せると豪語する青年はコートを変化させ背中の部分から複数の腕を出現させると口元を邪悪に歪め笑った。
「だがまぁ、変化する力で勝負したいなら受けてやろう。俺の蛇も中々応用が利くからな」
言い終わった瞬間、黒い腕が九尾へと伸びる。相手は尻尾を伸ばすことで対抗するも、呪いの籠められた炎と身体の一部では分が悪かった。
実体を持っていると想定し、触れた瞬間に弾こうとする九尾の思考を読んだ湊は、触れる瞬間に炎へと戻し、逆に相手の尻尾を炎で覆って焼いていく。
これは堪らないと敵が後退すれば、湊は自分の後ろの何もない場所を蹴って急加速し、相手の腹の下に潜り込むなり右腕をかざして巨大な炎の腕を顕現させた。
「とりあえず、上に出ろ」
噴き上がる炎は相手を掴んで地上まで一気に伸びてゆく。暴れようにも水の抵抗に身動きが取れず、急に明るくなったと思えば地上に出ていた。
しかし、水中から出ても腕の勢いは止まらず、地上から数十メートルほどの地点まで九尾を運ぶとそこでようやく消えて、代わりに泉から脱出した湊が紫の剛槍を持って現われ九尾の胸を貫いた。
《ギャアアアアアアァァァァァァァァっ!?》
湊が貫いた胸から赤い血と共に黒い泥のような物が溢れる。自分を殺した者を道連れにする呪いのようだが、蛇神とまでなった数千年に及ぶ名切りの業を受け止めている湊には効果が無い。
浴びた本人は汚いと不快に思っているだろうが、槍を抜いて傷口から黒い腕を進入させると、目的の殺生石たる心臓を掴んで引き抜いた。
すると、それが合図だったのか、九尾の肉体が塵となって消えていき、湊とともに地上まで落ちてきたときには完全に消滅していた。
《どーも、お疲れ様でしたー》
そして、不完全体とはいえ九尾を狩って一息吐こうとしていた湊を労い、地上に残っていた若藻が笑顔でパタパタとやってくる。
彼女は泉に入らず観戦していたのだが、今見れば先ほどまで透き通っていた泉は獣の死骸で溢れた沼になっていた。
咲き誇っていた桜や新緑も朽ちた枯れ木となり、どうやら全て餌をおびき寄せるため九尾が用意した幻術のようだった。実際に取り込まれても影響がないほど現実世界を侵食する幻術には舌を巻くが、今後は力を取り戻した若藻が同じように出来るはず。
そう思って黒い炎を消して、マフラーから取り出したタオルで頭を拭いていた湊は、濃紫色の球体を若藻に差し出した。
「とりあえず、元の姿に戻れ」
《了解でーす》
自然界にはあり得ないであろう、完全な球体をした物体が探していた殺生石だ。石には見えないという者もいるだろうが、九尾の心臓が変化した拳大の物なので正確には石ではない。
これには他の殺生石同様呪いが籠められており、本体であるこれは普通の者が一瞬でも触ると瘴気にやられて触れた部分が爛れてしまう。素手で掴もうものなら肉が腐り落ちるほどの猛毒を持った危険物なのだが、気にせず持っている湊から若藻が受け取り。彼女がそれを胸に抱いたとき変化が起きた。
肩にかかる黒髪は腰よりも長い輝く金色になり、着物も派手ながら品のある絢爛豪華な赤い物へと変わった。ペルソナの進化を初めて見た湊は姿が変わっただけで能力も随分と上がるのだなと感心するが、無事に玉藻前になった相手の手から殺生石を取るとそれをマフラーに仕舞う。
てっきり返して貰えるとばかり思っていた玉藻前は、それに驚きどうしてだと尋ねた。
《えー、それ私の心臓なんですけど。八雲さん、返してプリーズ》
「普段は俺が持っておく。これに力を籠めてバッテリーにしないといけないからな」
《あー、なーるほど。じゃあ、たーっぷりお願いしますね。まぁ、一番はそれを使わずに済むことなんですけど》
殺生石をバッテリーとして使うことになるとすれば、それは湊がどうやっても力を供給できなくなったとき、即ち、彼の死を意味する。
己を殺した名切りを恨んではいても、八雲個人のことは好いている彼女にとって、そのような悲しい別れと共に訪れる自由など欲しくはなかった。
ただ、今後の戦いでは何が起こるか分からない。ならば青年の備えも当然だとして、玉藻前は彼に己の身を案じるよう言いながら街を目指し帰って行った。