【完結】PERSONA3 Re;venger   作:清良 要

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第二百八話 風花の失踪

5月28日(木)

夜――月光館学園

 

 その日、山岸風花は体育倉庫のマットの上で膝を抱えて一人考え込んでいた。

 どうしてこんな事になってしまったのだろうか?

 時計の針が二つとも頂点を指そうという時間だ。そんな時間に生徒が体育倉庫に残っていて良いはずがない。

 だが、外から鍵が掛かっていることで中からはどうもできず、非力な少女では壊して脱出することできないため、明日どこかの部活かクラスが開けてくれる事を祈り、風花はここで夜を明かそうと考えていたと言う訳だ。

 

(お腹すいちゃったな……)

 

 本来ならば閉じ込められて焦りを覚えるのが普通なのだろうが、風花は既に自分の力ではどうにもならないと諦めている。

 何も出来ないということは無駄に希望を持つこともない。他力本願と言われようと降ってくる救いを待つしかない身であるため、彼女はそういえばお昼もちゃんと食べれていなかったと思い出してただジッと空腹に耐えるのみだ。

 

(あ……お父さんとお母さんへの連絡どうしよう)

 

 ふと思い出したように顔を上げた風花の傍には荷物の入った鞄があった。その中には携帯電話もあるので外部に連絡を取って助けを呼ぶことも出来るが、彼女は電池残量が心許ないという理由から節約のため電源を切っており、両親や友人から連絡が来ていても分からない。

 もっとも、仮に連絡が来ていたとしても、今の自分の置かれている状況を知って心配をかけたくないので、風花は両親だけでなく大切や友人らにも相談や助けを求めるつもりはなかった。

 そも、彼女がここに閉じ込められてしまったのは、同じクラスの森山という生徒とその友人らに呼び出された事が原因だ。

 不安に思いつつも何の用事だろうかとやってきてみれば、面白いものがあるからと中に入れられ、そのまま扉を閉められ施錠までされてしまった。

 去って行く前に彼女たちは明日には出してやるからと笑っていたが、これは立派な監禁罪であり相手が優しい風花でなければ退学処分になっているところだ。

 風花と森山たちの付き合いが始まったのは今年の四月まで遡る。

 ある日の学校帰り、風花は部活関連や趣味の本を見ようと一人で本屋に立ち寄った。

 そこは商店街にある店で、それほど大きな店ではなかったが月光館学園の生徒で利用している者も多くいる場所である。

 風花もその店には何度も来ており、その日も店内をお決まりのルートで見て回って工学系の棚のところで本を見ていた。

 だが、その日はある本を立ち読みしていると気になる部分があったので、もう少し詳しい内容の載っている本で調べてみようと思い、その内容の書かれている本を探すことにする。

 立ち読みしていた本に載っていた内容だけあって、関連項目について詳しく書かれた本はすぐに見つかったが、売れ筋商品ではないからか残念なことにその本は棚の高い位置に置かれていた。

 そして、本人も自覚している事だが山岸風花は小柄で、思い切りジャンプしてみても手を上げた湊の掌にタッチ出来ないくらいの小ささである。

 そんな彼女がしっかりと本棚に収まった本を取るには鞄を床に置き、精一杯背伸びをしてようやく指の先が触れるかというもので、必死に頑張った彼女は届いてとジャンプして本を抜こうとして目的の本だけじゃなく周りの数冊も一緒に落としてしまった。

 本を大切にする彼女は売り物を落としてしまってごめんなさいと申し訳なさでいっぱいになり、すぐに落とした本を拾おうとしたのだが、落下した本のうち一冊が床に置いていた鞄の開いていた口から入りかけていた。

 これは危ないとすぐに拾い上げようと本を掴んだとき、携帯電話についたカメラのシャッター音が響き、本を取って風花が顔を上げれば数メートル離れた場所で携帯を構えた森山と友人らがニヤニヤとあくどい笑みを浮かべて立っており、風花は誤解を招く写真を撮られてしまったとすぐに悟った。

 案の定、森山たちはすぐに近付いて来て、“優等生なのにこういう事をしちゃうんだ?”と本を鞄に入れようとしているように見えなくもない風花の写真を見せてきた。

 それは誤解だと拾った本を棚に片付けながら訴えたが、万引き犯として捕まったらどうしようとパニックになっていた風花の言葉はしどろもどろになっていて、森山たちは“何言ってるか分からない”とゲラゲラ笑ってから“また明日ね”と去っていってしまう。

 森山たちが帰った後、風花は大変なことになってしまったと泣きたい気持ちだったが、これで周りにばれると大騒ぎになってしまうと思って、彼女はほとんど眠れずに次の日は学校へ行った。

 

(やっぱり、私ってどんくさいんだなぁ)

 

 前日の去り際にまた明日ねと言っていた通り、学校へ行くと森山たちが絡んできて以降はたびたびいじられるようになった。

 直接金銭を要求されることや暴力を振るわれることはないが、お昼を買いに行かされたり提出物の答えを写させるよう要求してきたり、写真のことをばらすぞと脅されつつ使いっ走りにされていた。

 本当は辛かったし何度も相談しようかと考えた。だが、もし風花が相談すればそれは湊の耳にも当然入る。

 風花は湊に自分がいじめられていると知られたくなかったし、もし知れば彼がどういう行動に出るか分からないというのもあって、両親だけでなく誰にも相談しないで森山たちが飽きるまで我慢する事を選んだ。

 その結果が今の状況という訳だが、風花はエスカレートしつつある森山たちのことで精神的にきており、加えて両親が以前にも増して成績のことを言ってくるようになったことで、こんな自分に生きている価値なんてあるのかなとネガティブな思考に陥っていた。

 

(本当は、多分、有里君は気付いてるんだよね。私が何も言わないから気付いてないフリをしてくれてるだけで)

 

 まるで中学時代に戻ったようだと言われる彼の瞳は、呑み込まれそうな暗さを秘めており、その瞳で見つめられる度に風花は全てを見透かされている気分になった。

 高等部になってから名前を変えた総合芸術部は現在も活動しており、湊も部活がある日には参加しているが、それ以前に学校に来る日数が激減していて週に二日が普通、四日来るなど奇跡といった状態になっていて風花も最近はちゃんと話せていない。

 それでも昼食を一緒に取らなくなったことや、自分とは付き合いがなさそうなタイプの森山たちと行動する場面を見ておおよその事情は察しているに違いない。

 彼は本質的に優しく甘い性格であるため、まだ気付いていない様子のチドリやラビリスたちには何も話していないのだろう。友人に“可哀想”と思われる情けなさを風花が味わう必要がないように。

 

(……なんか、何もすることがないから逆に落ち着いてきちゃったな)

 

 自分の中で淡く芽生えた湊への感情が恋心なのかは分からない。

 彼のことは格好良いというより綺麗だと思っていて、相手には失礼かもしれないが自分も将来はこんな風になりたいと同性としての憧れのようなものは抱いていた。

 背は小さく、運動も出来ない。昔から自分に自信がなく、親に言われるからと勉強だけは出来るようになったが友人たちには及ばない。

 そんな風花からすれば、綺麗で格好良く、文武共に優れていて、当たり前のように人助けをしていた彼はまさに自分の理想そのものだったのだ。

 だが、そんな彼との関係が変わったのは二年生に昇がる前、今年のバレンタイン翌日の話だ。

 好きな画家の特別展が開催されることになり、小柄な少女を一人で行かせることに不安を覚えた友人らが唯一人予定のなかった彼――実際はとても多忙だったらしいが――に同行するよう言い、風花と湊は二人で所謂美術館デートに行ってきた。

 しかし、風花が途中で倒れてしまい。倒れた彼女を介助するため湊がホテルに運んだことで勘違いの連鎖が生まれ、お互いに勘違いしたまま一線を越えてしまう。

 そのときは自分から言い出したこともあって一度限りの関係で済まし、以降はこれまで通りの友人として過ごしていこうと考え、当日の内に彼にもその旨を伝えておいた。

 だというのに、湊はその後も何度か関係を求めてきて、休日や放課後にホテルに行ったこともあれば、全くと言っていいほど誰も使っていない空き部屋とはいえ生徒もまだ残っている放課後に学校で情事に耽ったこともある。

 強く拒めれば青年もちゃんと聞き分けたのだろうが、風花は自分が言ったことで一線を越えることになったという負い目もあり、さらに彼が言っていた通り触れられている間は安心感や満たされる感覚があったことで拒否出来ずに回数を重ねていった。

 風花から見れば最も親しい友人の一人だった彼とそんな関係になり、いけないことだと理解しながらも恋人にもならずズルズルと続けていたが、二年生になってからは彼の雰囲気が変わって学校にあまり来なくなったことや、高校入学組で湊のことを恐れていない森山たちが風花をいじるようになったため一度もなかった。

 ただ、両親からのプレッシャーや自分に自信のない風花にとって、彼と過ごす一時は様々な不安から解放される時間でもあったらしく、一種の精神安定剤を失った風花は限界に近付いていた。

 

(本当に、なんでこんな事になっちゃったのかな……)

 

 抱えた膝に顔を埋めながら風花独りで考え込む。

 もう何もかもを捨ててどこか遠くへ行ってしまいたい。とそんな風に思える強さがあれば良かったのだろうが、風花は追い詰められると余計に内に溜め込んでしまうタイプで、他の者に心配をかけてでも逃げ出すという発想がなかった。

 しかし、彼女がそう思っていても周りの状況の変化に巻き込まれ、結果的に同じ状況に置かれてしまう事がある。

 そう、時計の針が頂点を指したとき、世界の変化と共に風花もその存在を現実世界から消した。

 

影時間――タルタロス

 

 急に地面が揺れ出したことで地震だと思った風花は、次の瞬間、体育倉庫から知らない場所に移動してしまった事で目を丸くしていた。

 見えないくらい高い天井、不気味な仮面の装飾が彫られた壁、床や壁には血に見える赤い水溜まりがいくつもあり、光源もないのに周囲は明るい。

 ここがどこかは分からないが、風花は近くに落ちていた自分の鞄を拾い上げると、まるでファンタジー映画や小説に出てくる魔法のダンジョンのようだと考えていた。

 あまりに非現実的過ぎて思考が追いついてこないけれど、夢にしては質感がリアルで手を抓ってみれば痛みがあるので現実だと思われる。

 ただ、現実だとすれば異世界にでも迷い込んでしまったとしか思えず、体育倉庫ならともかくここからどうやって帰ればいいのかと不安を覚えずにはいられない。

 

(どうしよう、変なところに来ちゃった。移動しないと危ないかな?)

 

 セオリーで考えればこの後は危険なモンスターが現われるはずだ。

 となれば風花がいる広間のような場所には二つの入り口があるので、どちらかがハズレでモンスターがやってくるに違いない。

 そう考えて立ち上がった風花は恐怖に押し潰されそうになりながらも、どっちがハズレだろうかと考え始める。

 現在地から見て右か左か。考えるため右の通路へ向いてみると何やら嫌な予感がする。第六感のようなものかと思って少し集中すれば、不思議と遠くに何か嫌な気配があるような感じで、説明はしづらいがとにかく右側には何か恐い存在がいるらしい事は分かった。

 次に反対側の方も見てみると、そちらにも嫌な気配を感じたが右側よりも距離があった。頭の中にボンヤリと浮かぶ周辺の情報も合わせて考えれば左が正解と思われる。

 右側の嫌な気配が近付いていることもあって、この場に残るのは危険だと判断した風花は怖々歩き始めると左の通路を進んでゆく。

 

(なんでだろう……曲がり角の向こうがどうなってるのかなんとなく分かる……)

 

 風花は武術の経験もなければ勘が良い方でもない。しかし、不思議とこのダンジョンに移動してからはボンヤリとだが周囲の様子が感知出来た。

 十メートル先の角を曲がればしばらく直進、直進が終われば十字路に到着し、左は嫌な気配のある部屋に何かが落ちていて、右は直進の先に行き止まり。正面はさらに道が続いて途中に右へ曲がれる道があるなど、よくは分からないが頭の中に立体的な地図が浮かんでくる。

 最初は風花も偶然だと思って信じていなかったが、途中からは道がその通りになっていたので、この不思議な場所では魔法のようなものが使えるのだろうかと思うようになっていた。

 

(これ、すごく便利かもしれない。この嫌な気配が何か分からないけど会わずに済むし)

 

 嫌な気配の正体は分からないが、風花は不思議な力のおかげで遭遇を回避出来ている。

 ただ漠然と気配のする方向が分かるのではなく、周辺の地形と一緒に感知出来るので路地に追い詰められたり、挟撃されるような状況になることも避けられるので、戦う力を一切持たない少女にその力は合っていた。

 

(あ、でも、出口とかが分かる訳じゃないんだよね)

 

 彼女の能力はあくまでソナーのように周辺を感知するだけであり、ここがどこなのか、嫌な気配が何なのかという情報まで自然に頭に入ってくるような類いではない。

 見ただけで理解出来る能力だったならあまりの便利さに頼っていただろうが、風花は今の能力でも出来ることはあるはずだと、これまで行なっていなかった天井や床の向こう側へ意識を向けるというのを試してみる。

 壁の向こう側が見えているような不思議な感覚には慣れないものの、力はちゃんと効果を発揮して床のすぐ下に別のフロアがあることが分かった。さらに天井の向こうには別のフロアがあり、それによって風花はここが複数のフロアに分かれた立体的なダンジョンであると把握出来た。

 

(意識をもっと外に広げるように……遠くまで見るように伸ばしていけば……)

 

 いま風花が試したのは自分を中心にほぼ球体に知覚を伸ばしてみる方法だった。ならば次はさらに遠く、もっと広範囲を見るようにゆっくりと把握してどこまで分かるかを試してゆく。

 瞳を閉じて地形を把握しようとする少女は、途中で嫌な気配が近付いていたことで中断してまた安全な場所まで逃げてから再度探知を試みるというのを繰り返した。

 そして、試す内にコツが掴めてきて敵と仮称することにした嫌な気配の位置を把握しながら探れるようになり、ここが途轍もなく高い塔のような場所で、風花のいるフロアには上に登る階段しかないことが分かった。

 登ったからと言って外に出られる訳ではないので、敵から逃げられているうちはここに留まるべきか、それとも行けるところまで移動してみるべきか風花は考え込む。

 

(外が見える場所もあるみたいだから、降りる階段がないならそこから外壁を……って思ったけど私じゃ無理だよね)

 

 壁伝いに降りていけば敵にも遭遇せず下まで降りられるかもしれない。そう考えた風花だったが自分の非力さと運動神経の鈍さは理解しているため、どうせ途中で手を離して地面まで一直線という哀しい結末に終わるだろうと諦める。

 では、結局残るか登るかしかないのだろうかと悩みつつ、風花はさらに塔の周辺の地形も見てみようと思ったとき、あることに気付いて驚愕した。

 

(嘘っ!? 駅があって、ムーンライトブリッジやポロニアンモールもある……。それじゃ、ここは位置的に月光館学園のままってこと?)

 

 風花は自分が知らない世界に移動したと思っていたが、周辺には自分のよく知る土地が広がっていて、自分のいる塔は学校と同じ場所に存在していた。

 ここが学校ということはあり得ない。だとすると、学校の場所に変な塔が建った平行世界に迷い込んだのだろうか。

 周り全てが異常ならば感覚が麻痺して異常を異常と認識出来なくなるが、自分の日常の中にある物が異常を囲うように存在していると異常だけが浮かび上がってしまう。

 それによって酷く混乱した風花が、もっと何か現状を把握出来るものがないかと意識を伸ばしたとき、街中のある一画に意識の端が触れた途端体中を震えが襲った。

 

(あっ……なに、これ…………こんなの……)

 

 街中を見ていたとき敵と呼ぶ事にした嫌な気配もまばらにだが感知していた。よく観察すると気配にも大きさの違いがあり、その違いは体格ではないとすれば強さのような物だろうかと推測していたのだが、今風花が意識を向けた一画には他の敵を遙かに凌駕する黒く強大な何かがあった。

 何も見えない、ある一点を中心に周りの空間までも黒く塗り潰され、街中に大きな空間の歪みや存在の欠落があるような違和感すら覚える。

 それはこの世界に自然に発生した異界ではなく、何か力を持った存在が自然と引き起こしている現象だ。あくまで感知能力での視点であって、実際に見ればただ街の一画に何かがいるだけだろうが、もし現場に他の者がいれば重圧にやられ意識を手放すにちがいない。

 日常とは異なる世界だとしても、自分の知っている街と同一の場所にそんな得体の知れないモノがいるというのが恐ろしい。そんな事を考えながら風花がその一画を見るのをやめようとしたとき、風花の背筋にゾクリとした悪寒が走った。

 

(ど、どうしようっ。逃げなきゃっ)

 

 この塔からその存在のいる場所までは数キロ離れている。風花が力を使ったとき塔や街中にいる敵たちは観察しても何の反応も示さなかった。それらの情報から彼女は自分の力が誰にも気付かれずただ遠くを見る能力のように思っていた。

 なのに見るのをやめようとした瞬間、どういう訳か風花は強大な力を持つ何かと目が合う感覚を覚えた。彼女が相手の位置を把握したように、相手にも彼女の位置がばれてしまったのだ。

 勘違いと思いたいが街中にいた存在が驚異的な速度で移動を開始した。はっきり調べようとしなくても分かる。相手は真っ直ぐこの塔を目指している。

 戦う力を持たない少女はすぐに力を塔内の敵の位置の把握に切り替え、鞄を抱えると迫っている存在から逃げる形で反対方向へ移動を開始する。

 そこそこ広いと言っても一つのフロアは学校のグラウンドよりも狭いくらいで、数キロの距離を一気に移動する存在からは逃げられない。それを分かっていても少女は恐怖には勝てず、少しでも可能性があるならと反対側の壁まで辿り着き、どうか来ないでと震えながら祈ることしか出来ない。

 もっとも、そんな神頼みが通じるはずもなく、

 

「きゃあっ」

 

 風花は近付いて来た存在が塔を迂回するように回り込んで自分のいる壁側にやって来たところで死を覚悟し、近くの壁が轟音を立てて吹き飛んだ衝撃で倒れその場に蹲った。

 瓦礫の転がる音、濛々と立ち上る土埃、それらに包まれた風花は壁の外にいる存在への恐怖によって動けない。

 だが、殺されると思って蹲ったままでいたというのに、いつまで経っても壁の外にいる者は攻撃を仕掛けてこず、顔を上げかけた風花の耳に聞き覚えのある声が届く。

 

「――――何をしているんだ。こんなところで」

 

 聞き間違いだとも思ったが、壁が壊れてからは何も衝撃が襲ってこず、自分も生きている事から顔をちゃんと上げれば、そこには壁に開いた穴の外で異形の存在と一緒に浮いている湊の姿があった。

 一瞬、獣の頭骨を模した頭部を持つ異形の存在に湊が襲われそうになっているのかと疑うも、すぐにその異形の存在自体が彼の力であると理解する。

 背後にいた存在を消して塔に降り立った青年は、ポケットに手を入れたまま歩いて近付くと、状況が分からず顔を上げてから座ったままになっていた風花の脇に手を入れて抱き上げるように立たせた。

 いくら身長差があると言っても同級生に“たかいたかい”と同じ事をされると恥ずかしい。先ほどまでの恐怖も消えて、色々と考える余裕も出てきた風花は立たせてくれた礼を言いつつ青年にここがどこなのかを尋ねる。

 

「あ、ありがとうございます。あの、ここってどこなんですか? それにさっき有里君の後ろにいたモノは?」

「……塔の名前はタルタロス、月光館学園のもう一つの顔だ。そして、さっきのはペルソナという一部の者に目覚める異能。まだ覚醒はしていないがお前も感知能力を一部使っていたろ。タイプが異なるだけで同じものだ」

 

 確かに風花は自分が不思議な力を使えていると思っていたが、系統が異なるにしろ自分にも謎の存在が宿っているのだとすれば妙に納得出来た。

 無論、納得出来たと言っても簡単に信じ切ることは出来ないし、あれだけの距離があっても恐怖を感じさせる力を有する湊と自分の力が同じだとは思えない。

 それでも答えてくれる青年が無駄な嘘を吐く人物ではないと知っているため、風花はどうして学校がこんな姿になっているのかという疑問も感じつつ、湊の言葉をゆっくりと自分の中に落とし込む。

 すると、風花のことを見ていた青年が静かに口を開き、誰もが疑問に思うであろうことを少女に尋ねた。

 

「今度はお前が質問に答える番だ。どうしてこんな場所にいるんだ?」

「あの、その……森山さんたちに体育倉庫に閉じ込められちゃって……気付いたらこのフロアにいたの」

「……なるほど」

 

 聞いただけで全てを察した様子の青年に、風花はやはりバレていたのかと恥ずかしい気持ちになる。

 友達にバレていたことが恥ずかしいのか、閉じ込められた上に訳の分からないものに巻き込まれる鈍くささが恥ずかしいのか、自分でも恥ずかしさの理由は分からない。

 それでも湊は一つも馬鹿にするような素振りを見せず、少しばかり考え込むと再び視線を合わせて話しかけてきた。

 

「……山岸、これからお前の家に行く。各教科のノートだけ持ってこい。教科書類や着替えは必要ないから、今持っているものとそれだけ持って出てくるんだ」

「え、あの、なんで?」

 

 降りる階段はなかったが彼はここまで飛んできていた。ならば、開いた壁の穴から出て自由に移動することも可能だろう。

 帰り方すら分からなかった風花にとって湊の申し出はありがたい。しかし、家まで送って貰えるのは嬉しいが、その後にノートと今持っているものを併せて持って出てこいという理由が分からなかった。

 疑問に思って風花が聞き返すも今度の問いに青年は答えず、立っていた風花の背中と膝裏に手を回してお姫様抱っこすれば、彼は風花が思っていたように壁の穴から飛び降り、途中で黒い異形の存在を顕現させると風花の家を目指して飛び立っていった。

 

 

深夜――桔梗組

 

 言われた通り家に帰ってノート類を取ってきた風花は、また移動するという青年の言葉に従って抱き上げられ田舎へとやって来ていた。

 飛んでいる途中で街の様子は日常へと戻り。その事について湊に尋ねれば、影時間は一日約一時間という返答があってあれは異世界ではなく現実世界の異界化なのだと理解した。

 タルタロスに影時間、さらにペルソナなどどうして湊がそんな事を知っているのか聞きたいことは沢山ある。

 だが、彼に抱っこされたまま空を飛んで移動し、田舎の小高い山の頂上に建てられた広いお屋敷にやってくれば、彼は風花を地面に降ろしてインターホンを鳴らした。

 

《はーい》

「俺だ。ちょっと訳ありを連れてきた」

 

 待っている間目の前の門などを観察していれば、随分と立派な家だなと風花は以前部活で行った旅館を思い出したが、インターホンから女性の声が聞こえて二、三回やり取りをすれば小さな戸が開く。

 そこから顔を出したのは風花もよく知る赤髪の少女で、相手がいることからここが彼らの現在の実家なのだと察した。

 

「あの、こんばんは」

「……拾ってきたの?」

「タルタロスに落ちてたからな」

「そう。珍しいとこにいたわね」

 

 こういうときにどう言葉を交わせばいいのか分からず、風花はとりあえず夜の挨拶をしてみたが、髪を下ろして着物を着た少女はジッと風花を見つめてから湊と会話して完全にスルーされる。

 二人の会話の内容からするとチドリも彼と同じく影時間に関わることを知っているようだが、とりあえず門の前で立ち話もなんだからと中に通され、これまた大層な平屋の日本家屋が建っていたことで風花は二人が良家の子なのだとはっきり認識した。

 

「立派なお屋敷だね……」

「そう? ただ古いだけだと思うけど」

 

 風花からすれば立派なお屋敷だが、昔から住んでいるチドリにすれば古くさいという印象しかないらしい。別に嫌っている訳でないようだが、この家を建てると決めた人が聞けば泣かれそうな意見だ。

 中に入って石畳を歩き、母屋まで案内されながら風花がキョロキョロと物珍しそうに眺めていれば、玄関に入ったところで二人の保護者である桜が出迎えてくれた。

 

「いらっしゃい。えっと、山岸さんでしたよね?」

「はい、山岸風花と言います。あの、実は何で連れて来られたのか分かってないんですけど」

「そうなの? みーくん、どうして山岸さんを連れてきたの?」

 

 湊と風花が出会ったのは偶然で、だからこそ突発的に連れてきた理由を家人の桜たちも把握出来ていない。

 理由を知っているのは彼だけなので、どういった考えからそうしたのか答えを待っていると、

 

「……しばらくここに泊める。携帯の充電はしてもいいが電源は点けるな。学校にも両親にも連絡しなくていい」

 

 目的は分かっても意図を理解出来ない返答をしてきたことで、口にした本人を除く全員の頭に疑問符が浮かんだ。

 泊まるなど一言も聞いていなかった風花など目を丸くして驚いており、別に急だろうと泊めることは構わないと思っている桜ですら、せめて詳しい説明をして欲しいと改めて聞き直す。

 

「あのね、そうしようと思った理由を教えて欲しいの。山岸さんも驚いちゃってるから」

「同級生からの苛め、自分のコンプレックスを子どもに押しつける親、そういった周りの環境に山岸自身が対処出来ていない。一度距離を置いて考える時間を作るべきだと思った」

 

 直前まで驚いていた風花は、一切包み隠さぬ彼の言葉を聞いて複雑な表情となり俯く。

 友達に苛められている事を知られるのは辛いだろう。さらに家庭にまで問題があるとなると萎縮してしまい。見ていたチドリや桜はそれだけで彼の言葉が真実だと分かった。

 

「それに影時間のこともある。山岸はもうペルソナを出せるレベルまで適性が出ている。どうするかは本人次第だが、能力の使い方も含めて教えておいた方がいい」

「……分かった。とりあえず、時間も遅いしお風呂に案内するわ。荷物は居間にでも置いてついてきて」

 

 距離を置いて考える時間を作るべき、青年がそう言ったからには風花はまだ考えるだけの余裕は残っているのだろう。

 滅多なことを考えるほど追い詰められていなくて良かったと思うと同時に、その段階で少女の前に彼が現われたことは運命の導きに違いないとも思える。

 神という存在をあまり信じていないチドリですらそう考え、桜も複雑な事情を抱える風花のことをちゃんとフォローしてあげようと視線で訴えてきたため、とりあえず今日は疲れているだろうからとチドリは少女を風呂まで案内した。

 

 

 


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