【完結】PERSONA3 Re;venger   作:清良 要

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第二十一話 栗原シャルマ

深夜――桐条コンツェルン・本社

 

 影時間の明けた深夜、桐条コンツェルン本社の一室に、後ろで手を組み窓の外を眺めている者がいた。

 右目に眼帯をつけた精悍な顔つきの男性、桐条武治である。

 

「……今宵の影時間も終わったか」

 

 そう呟くと桐条は机に戻り、静かに椅子に座って机の上に置かれていたファイルを手にして、エルゴ研から上がって来た研究の途中経過の報告書に目を通してゆく。

 去年の九月に起こった大事故、“ポートアイランドインパクト”で先代当主だった桐条 鴻悦(きりじょう こうえつ)が死んだ事で、桐条は新たな宗家当主とグループ総帥の座についた。

 鴻悦が高齢だった事で、存命中に殆どの引き継ぎを終えていたので組織としては大きな混乱はなかったが、その代わりに、あの日より毎夜零時に発生するようになった影時間への対応は、全てが手探り状態で、未だに一つ一つ検証している段階であった。

 しかし、シャドウに人が襲われる事を考えれば、分からないなどと悠長な事は言っておられず、シャドウに唯一対抗出来る“ペルソナ”を覚醒し得る者を探す事が急務となった。

 

(だが、あの事故当日。よりにもよって、デスと対シャドウ兵装の戦う戦場で力に目覚める者が現れた。飛騨の言ったことが事実ならば、ナギリの少年以外にも、研究員と接触した学園に通う生徒の中から力に目覚める者が現れるかもしれぬ)

 

 感化されて適性を発現したにせよ、湊の存在によって自然に適性を有する者と、自力でペルソナ能力に目覚める者がいることが共に証明された。

 そして、その少し後に桐条の娘である美鶴も、影時間への適性を有していると発覚し、タルタロスに行ったときにはペルソナも発現させたことで、適性の高い子どもはペルソナも目覚めやすいことが分かった。

 だが、自然覚醒者の二人は、湊は事故から半年間目覚めず。美鶴も暴走はしないが召喚が安定しないとして、研究自体は全く進まなかった。

 そのとき、先代の頃からエルゴ研に所属していた幾月から、“人工ペルソナ使い”の計画が立案され、桐条も悩んだ末に承認したのだ。

 もっとも、承認した一番の理由は、第二の自然覚醒者であった娘を実験の対象にしたくなかったというものだが。

 湊が目覚めてから、ここ数ヶ月の実験の成果を見る限り、美鶴の能力を解析する形で実験を進めていても、同じだけの成果が挙げられたとは思えないので、あの時の選択は間違っていなかったと桐条自身も思えるようになっていた。

 しかし、そういった時にこそ、凶報はくるものである。

 深夜にも拘わらず、机に置かれた電話機が鳴り、ディスプレイに表示された名前を見た桐条は、受話器を取り耳に当て話しかけた。

 

「幾月か、こんな時間に連絡とはどうした?」

《ご当主……エルゴ研が壊滅しました》

「何だとっ!?」

 

 力のない声で話す幾月の言葉に、驚いた桐条は椅子が倒れるのも構わず、勢いよく立ちあがった。

 そして、相手の言葉を聞き逃さぬよう集中して聞き返す。

 

「状況を詳しく報告しろ。原因は何だ、被害はどうなっている?」

《エヴィデンスです。やつが、他の被験体を連れて脱走を計りました。逃がすわけにはいかないと、研究員らも鎮圧に向かったのですが、相手がペルソナを使ってきたので、やむを得ず、開発したばかりの対シャドウ銃で応戦しました。結果、何人かの被験体が死亡し、それに怒ったのか、エヴィデンスがペルソナも使わずに研究員らを次々と……》

「ペルソナを使わず、だと?」

 

 湊の身体能力の高さは桐条も報告を受けて知っていたが、流石に銃を持った相手に、ただの子どもがペルソナも無しに挑むなど無謀としか思えない。

 だが、敗戦した兵が言い訳として敵戦力を誇大報告するような事を、幾月がわざわざする必要性もないことから、報告は紛れもない事実なのだろう。

 衝撃的な話に、桐条も直ぐに受け入れることは出来ないが、個人的なことで報告を遅らせる訳にはいかないため、話の続きを促した。

 

「して、犠牲者と施設の被害は?」

《正確には把握できておりませんが、本日詰めていた内の生存者は私を含め二一人です。私以外の室長らを含めた他一六七名については、安否不明ですがほぼ殺害されたものだと。施設は、去っていく直前にエヴィデンスがペルソナで放った光刃によって本棟中央は基礎ごと崩壊し、別棟も本棟に面した側に被害が出ました》

「馬鹿な……」

《信じられませんが、エヴィデンスがペルソナを呼び出したのは、去っていく直前になってからです。そのため、施設内にいた研究員や監視員は、エヴィデンスが自らの手で殺したことになります。最終的に逃げた被験体は十人前後と思われますが、捜索はされますか?》

「いや、捜索は不要だ。直ぐに人を送るので、お前も生き残った者も今は休め。報告ご苦労だった」

 

 それだけ返すと、桐条は受話器を一度置き。内線で現場に人を送るように指示をして、倒れた椅子を起こして力なく座った。

 報告書を読んでいた時とは打って変わり、電話で報告を聞いただけだというのに、いまは完全に憔悴しきっている。

 幾月から受けた報告が、あまりに衝撃的過ぎたのだ。

 

「これが“名切り”の力……。まさか、美鶴と一つしか変わらぬ子どもによって、エルゴ研が潰されるとは……。先々代で名の継承のみになったはずだが、菖蒲(あやめ)君から息子の八雲君にもやはり受け継がれていたか。鬼の血の業は未だ薄れぬな……」

 

 机に肘をつき、頭を抱えるように疲れた声で呟くと、桐条は自身も現場に向かうため、準備をして部屋を出ていった。

 

 

8月23日(水)

朝――栗原・自宅

 

 湊とチドリがやってきてから約一週間が経った。

 二人がやって来たあの日、空虚な乾いた笑いを続けていた湊が、急に意識を失うと、栗原はチドリと共に湊を自宅の風呂場に連れていき、血で汚れた身体を洗った。

 着ていた物は、血で染まっている以外にも、弾痕があったり、焼け焦げたりしていたため、もう着ることはできないだろうと処分することにしたが、マフラーと靴とリストバンドだけはサッと水で流すだけで血の匂いも残らずに綺麗になったので残してある。

 さらに、湊の身体を綺麗にするときに、湊を抱きしめたことでチドリも汚れていたので、一緒に洗ったが、その後は、買っておいた下着とパジャマを着せて二人とも寝かせた。

 だが、本当に大変だったのはその後だった。

 

《えー、桐条グループ傘下の製薬会社地下で起きたガス管の破裂による爆発事故ですが、事故現場の復旧等はいまだ進んでおらず。建物の崩壊の危険性もあることから、警察の調査も進んでおりません》

 

 湊は基本的に病気にならない。これは飛騨から受け取っていた湊の改造についての報告書に記されていた事だ。

 生身の人間でありながら、免疫をつけているので致死量の毒を受けても身体能力が一時的に低下する程度で、怪我を負ってもスキルで回復するため、殺すのならば一撃で頭を吹き飛ばすしかない。

 心臓を撃ち抜こうが、臓器を吹き飛ばそうが、脳が無事ならばデスの恩恵によって生きながらえる。ほぼ不死身と言っていい身体だ。

 その湊が、翌日から熱にうなされ出した。

 大量にあった湊に関する報告書に、何かしらの処置を定期的に施さねばらないというのは無かった。

 また、目覚めたチドリには何の異常や問題点もなかったので、同じ環境で生活していた湊にだけ異常が起きるのはおかしい。

 そうして、原因は、仲間を救うために大量の人間を殺したことによる、重度の心的ストレスだとわかった。

 

《しかし、犠牲となった職員の方々の遺体は、ほぼ搬出を終えたということで、これから徐々に現場検証が行われるとのことです。今回の犠牲者はいま分かっているだけで、一五〇名を超えており……》

 

 四十度の熱を出したと言っても、湊は毒すら効かない人間だ。解熱剤など意味はなく、濡れたタオルで身体を冷やすのも気休めにしかならない。

 湊のそんな様子を心配してチドリも付きっ切りで看病していたが、意識も戻らないのでは出来る事など殆どなかった。

 そんな日が三日ほど続き、四日目に漸く熱も下がって湊は目を覚ました訳だが、起きた湊の目は“蒼”かった。

 言葉のノイズは消えていたが、本人も本調子とは言えない状態で、“死”を視る眼をオフに出来ない。

 大量の人間を殺したことで、三日も熱にうなされた人間に、世界中に存在する“死”を視ることは辛かったようで、湊が奇声をあげたことで飛び起きたチドリが止めていなければ、自分の両眼を抉っていたところだった。

 結局、湊の魔眼に対する説明を受けても栗原はあまり理解できず。

 再び意識を失った湊の目に布を巻いて、起きて目を開けても何も見えなくする事で、死の線が見えないようにすることしか出来なかったが、再度起きた湊本人も、治まるまではそれくらいしか対処法はないと言っていた。

 

《桐条グループ代表である、桐条武治氏は、この不幸な事故に巻き込まれた職員の親族の方々に対して、出来る限りの補償をしていきたいとコメントしております。以上、現場からでした》

 

 幸い、視界は閉ざされていても、ペルソナの探知能力を使えば、リアルタイムで周囲の状況は確認出来る。

 よって、五日目からは湊も起き出して、栗原とチドリにあの夜の出来事や、今後の予定を説明し。家の中限定だが、目隠しをしたまま日常生活を送るようになっていた。

 

「……やっぱり、被験体は戸籍がないから、影時間の記憶の修正によって、死体を見つけてもいないものとして数えられるのか」

 

 朝のニュースを見ながら朝食を食べていた湊がいうと、コーヒーを飲みながら新聞を読んでいた栗原が返す。

 

「記憶の修正は、あくまで“現実”とされる表の世界に沿うのが基準だからね。中で銃火器を見つけようが、アイギスを初めとした対シャドウ兵装の機体を発見しても、適性がない人間は最初は皆スルーさ。まぁ、何度も見てたら流石に異常だと認識するようになるし。ご当主のことだから、警察とマスコミが来る前に、ある程度は別の場所に移してるだろうけどね」

「桐条武治……。あいつもいつか片付けるか。アイギスが起きたら、時期を見て……」

 

 言って、湊は手に持っていたトーストをかじるが、その言葉を聞いていた栗原とチドリは、目を僅かに伏せ表情を暗くする。

 魔眼をオフに出来ない以外にも湊には変化が起こっていた。その最たるものが、いま言ったように敵と認識した者を殺す事に躊躇いがなくなったことだ。

 他に、精神年齢が高いと言われながらも、僅かに残っていた子どもらしさが完全に消え。チドリとの会話でも、全く笑わなくなってしまった。

 精神の変化は、ペルソナにも多大な影響を及ぼすと分かっていたため、栗原は寝ていた湊をチドリにアナライズさせてみたが、これといったペルソナの変化は見られず。

 精神学は専門ではないが、栗原なりに湊の精神の変化は、以前から内在していたモノが表に出るようになっただけと推察した。

 

(これがあいつの言ってた“名切り”の一部なのかね。魔眼とやらも含め、時間をかけて治していくしかないか)

 

 一度壊れてしまった湊に、いま直ぐにしてやれることなど無い。

 本人が寿命を犠牲にしてまで、何よりも守りたいと願った相手であるチドリの言葉ですら、いまは深く届くことはないのだ。

 ただ匿っているだけの、精神的な繋がりを築けていない自身に出来る事など、衣食住を提供してやることだけだと栗原は冷めた思考で考えていた。

 だが、湊と同様に精神年齢が高いと言われても、そのレベルは小学生の域を出ない幼いチドリは、人生経験の差か、湊の状態を正確に把握できず、以前のように戻ることを祈りながら健気に甲斐甲斐しく接していた。

 

「湊、あとで勉強教えてくれる?」

「……いいよ。教科は?」

「今日は理科がいい」

「わかった。食べて少し休憩したらやろう」

「うん」

 

 湊の言葉を聞いてチドリは嬉しそうに食事を再開すると、本日の授業について色々と考えているのか、上機嫌なままニュースの天気予報を眺めている。

 湊の授業は、チドリにとって日常の一部になっており、それはエルゴ研にいた頃からの習慣だった。

 戸籍を再び手に入れた二人だが、いまのところ小学校に通う気はない。

 というのも、一応、チドリに限らず、殆どの他の被験体も孤児院にいたときには公立の小学校に在籍していたのだが。

 しっかりと通えていたかというと、週に半分は休んでいたという者も少なくなかった。

 そのため、チドリも知能はともかく、勉学に関しては基本的な読み書きと単純な計算くらいしか出来ず。エルゴ研にいるときは、マリアも交えて湊が勉強を教えていたので、今後もその方針で行く事にしたのだ。

 何より、潜伏期間中に学校になど通えば、直ぐに見つかって現実時間中に襲ってくることも考えられる。

 匿ってもらっている身の為、自分たちの生活基盤を築けるまでこの生活が続くことを考えれば、大人しく家で勉強するくらいしか出来ることはなかった。

 

***

 

 朝食が終わり、湊とチドリがリビングで勉強を始めると、栗原は食器を洗いながら二人に話しかける。

 

「ああ、先に言っておくけど、今日は店の方に行くから、私は九時半には出るよ。食料の買い出しもあるし、帰ってくるのは六時ごろになると思う。何か欲しいものがあれば買ってくるけど、何かあるかい?」

「俺は特にない」

「私、粘土が欲しい。本とスケッチブックは湊が持って来てくれたけど、粘土は持ってこなかったから」

 

 チドリの言う通り、第八研の被験体用寝室に置かれていた本や、飛騨から与えられていたスケッチブックと色鉛筆はマフラーに入れて持って来ていた。

 しかし、粘土は後で手に入れても問題ないだろうと、そのままにしてきたので、絵を描くことに飽きたときには、何度も読んだ本以外に他に遊べるものがない。

 湊の説明から、これから一ヶ月は家に籠もりっきりになると理解したチドリは、それは耐えられないと考え、今の内に栗原に遊べるものを頼んでおく事にした。

 そんなチドリの事情は、栗原も分かっているので、一度頷くと洗い物を終えてリビングに戻り、粘土の種類について尋ねる。

 

「何粘土が良いんだい? 道具とかも必要になってくるだろ?」

「紙粘土と石粉粘土。道具はなんかそれっぽい細かい作業出来るのが良い。あと、アクリル絵具も欲しい」

「せ、石粉粘土? 紙粘土はともかく、石粉粘土なんて普通の文房具屋に売ってるのかね……」

 

 何やら子どもらしからぬ物を頼まれ、栗原は少々驚きながら言われた物を買ってこれるかと考える。

 栗原の予想では、頼まれるのは油粘土・紙粘土・小麦粘土のどれかだろうと思っていた。

 しかし、石粉粘土など小学校どころか中学校でも授業で使うことはほぼないと思われる。

 一体何に使うのだと疑問に思い。チドリに尋ねてみた。

 

「一体どんな物を作るんだい?」

「色々。粘土とかは湊が得意だから、動物とかペルソナの人形とか作ってもらってた」

「……いま、それは持って来てるかい?」

 

 絵や造形物は作った者の精神状態を表す。

 病院でも精神疾患を抱えた者の状態を知るため、カウンセリングの一つとされており。

 もしも、以前に湊が作った物があるのなら、本日以降に作った物と比較して、どういった状態なのかを知り合いの医者に尋ねることも出来る。

 そう考えた栗原が湊に聞くと、湊は読んでいた本をテーブルに置いて、マフラーに手を突っ込み、シマウマとライオンのフィギュアを取り出した。

 それを受け取った栗原は二体のフィギュアを注意深く観察し。彩色も綺麗で、造形も細かいところまで非常に良くできていて。プロとまではいかないが、小中と学校の部活でやり続けていれば作れるようになるくらいの腕前はあると思えた。

 

(ふーむ、これが作れる時点でやっぱり普通ではないんだろうね。読んでる本もあいつの医学書みたいだし、カウンセリングは受けさせるだけ無駄か)

 

 湊は、チドリに勉強を教えている最中は、自分は飛騨のところから持ってきた医学書を読んでいる。

 ペルソナがいるので回復スキルを使うことは出来るが、いつもペルソナのスキルが使える訳ではない。

 そのため、傷の縫合や、骨折の応急処置など、自分で出来るようになろうと思い読んでいるのだが、やはり普通の大人からすれば異常にしか映らなかった。

 だが、とりあえず、栗原も家を出る時間が迫っているため、チドリに頼まれた物をメモすると、外出の為の準備をして、九時二十分ごろには家を出ていったのだった。

 

午後――エルゴ研・跡地

 

 家を出た栗原は、車でポロニアンモールにある自分の店、“古美術 眞宵堂”に行ってから、午後になると一度店を閉めてエルゴ研の跡地にやってきた。

 敷地内はいまだ警察が調査しているため入ることは出来ないが、すぐ近くに犠牲者らのための献花台が用意されており。栗原の目的はそちらだった。

 献花に訪れた者用の臨時駐車場に車を止め、買って来た花を持ち、学校でよく見るような簡易テントが二つくっつけて作られた特設会場までいく。

 すれ違う者の多くは涙を流し、暗い表情を見せている。

 きっと家族か知人を失った者なのだろう。

 それを横目に見ながら、栗原も進んでいくと、会場の手前に犠牲者の名前が五十音順に並んだリストが貼られた物を見つけた。

 目を通して行くと、案の定、子どもらを自分に預けた男の名前があった。

 

(馬鹿なやつだよ。あの子らのために影時間を消すと言っておきながら、その前に死んじまうなんて)

 

 冷めた思考でそんな風に思いながら、警備の人間に頭を軽く下げると栗原は献花台に花を供える。

 無事に生き残れたら一週間以内に一度連絡をすると言っていたが、終ぞメールの一通も来なかったため確認しに来てみれば、ご覧の有り様だ。

 初めは暴走した湊によって殺されたのかと思ったが、その考えは直ぐに捨てた。

 本当に見境なく殺していたのならば、湊は助けるべき被験体らまで巻きこんで、施設の全てを更地に変えていただろうし。

 何より、湊は部屋を出る前に、飛騨からの手紙を受け取って自身の家までやってきたのだ。

 生き残っていた味方を救うために、百以上の人間を手にかけた少年が、敵と同じ研究員とは言え味方であった男を殺す筈がない。

 考えがよぎる時点で、自分は贖罪すべき相手のあの子どもらを信用できていないのだと、自己嫌悪に駆られもしたが、これで一つの懸念が消えた。

 

(まぁ、湊の方は最後まで向こうに残っていたんだし、気付いてるだろうけど。親しい人間が自分たちの計画のあおりを受けて死んだと分かれば、チドリが深く傷つくだろうからね。わざわざ言う事はしないでおくとするか)

 

 手を合わせ、黙祷を捧げると、栗原は顔をあげてテントを出た。

 相手は裏方に徹するつもりだったようだが、飛騨は己などよりも様々な方面にコネのあった人物だ。

 その助力が今後一切受けられなくなったのは非常に痛い。

 事故の混乱が収まれば、桐条側からの追手が来る可能性はある。

 桐条武治が命令をしなくとも、エルゴ研に代わる影時間の研究機関は発足されれば、そこの責任者となった、今回の騒動の生き残りの者が独断で追手を放ってくることは十二分にあり得る。

 

(さて、そんなやつらからどうやって匿い続けるかね。相手が新たにペルソナ使いを用意して、その中に探知能力持ちがいても、一応は大丈夫らしいが……)

 

 これは起き上がれるようになってから湊が二人に話したことだが、桐条側にもまだペルソナ使いが残っている可能性は高いと言っていた。

 黒服も研究員も殺して回った湊だが、マインドコントロールを受けて裏切った第二研の被験体は一人も殺していない。

 無論、邪魔をしてきたときには当て身で意識を刈り取りもしたが、元々、脱走時に残っていた被験体は、『第一研十一人、第二研七人、第四研五人、第五研五人、第八研二人』の合計三三人だけ。

 そして、先に外に出ていたマリアたち先導部隊に、第二研は三人いたので、結局、研究所内にいたのは四人だけで、殺して回っている時にはそもそも三人にしか出会っていない。

 最後のブレイブザッパーで巻き込んだ可能性もあるが、何にせよ、人工ペルソナ使いのセカンドシリーズを作り始めることも考えられるので、相手が探知能力持ちだろうが見つからないよう、他の探知能力持ちとは違う方式のため干渉を受けない湊が、自分たちに常にステルスをかけておくことにしたのだった。

 

(対シャドウ銃もあるだけ回収したっていうし。私がいたときと羽根の残量が殆ど変わってないなら、もう武器の量産は無理だろう。新機関で使う機器類に積んで使えるようにしないといけないから、殆どはそれに回して。後は、桐条側のペルソナ使いに召喚器とやらを……)

 

特設会場のテントから少し離れた場所で、栗原が立ち止まって考え込んでいると、突然正面から声をかけられた。

 

「おや? もしかして、栗原君かい?」

「……え?」

 

 少々驚きながら顔をあげると、そこには岳羽が主任を務めていた時代のエルゴ研で一緒に研究していた人物、幾月修司が立っていた。

 自分が研究所を離れてから、この男が飛騨と同じ室長になっていたことをすっかり失念し、ようやく思い出すことに成功すると、相手が桐条側の諜報部である可能性を考慮して何を話すべきかをまとめる。

 飛騨の話しで聞いていた室長は五人いたが、他の室長は全員犠牲者のリストに名前が存在していた。

 ならば、当主が新機関のトップであろうと、事実上の現場指揮を執る主任の座に納まるのは、この幾月である可能性が最も高い。

 そう、湊らに追手を指し向ける者がいるのならば、この男がそうであるかも知れないのだ。

 

「幾月か……。久しぶり、今回はかなり大変なことになったね。今朝もニュースでやってたから、元同僚として花を手向けにきたんだが、どうやら前回で生き残った同僚も殆どのやつが逝っちまったらしい。離れておいて卑怯かもしれないが、寂しいもんだ」

「まぁ、ね。僕も現場にいたんだが、運良く被害の少なかった別棟にいたときに事故が起きたから、どうにか無事でいられたんだ。本当に……大変なことになってしまったよ」

 

 そう言って、影の落ちた表情で儚げに笑って幾月は話す。どうやら、本来ならば事情を知らない栗原に、今回の件が影時間に起こった事だと知らせるつもりがないようだ。

 これが既に部外者となっているためであったり、元同僚を気遣ってのことならば良いが、栗原では幾月の内面を読むことは出来ない。

 そもそも、昔から専門とする分野が違っていたため、休憩時間に軽く話す程度しか付き合いが無かったのだ。

 会ったのも約一年ぶりであるし、その間に精神面の変化があってもおかしくはない。

 本当は事情を知っているが、どこで知ったかを勘ぐられると湊らを匿っていることがばれてしまうため、栗原も話しを合わせて相手を気遣う素振りで会話を続けた。

 

「あんまり気を落とすんじゃないよ? 何はどうあれ、あんたは生き残ったんだ。なら、他のやつの分も精一杯前を向いて生きな」

「ああ、ありがとう。心の整理はまだつかないけど、そう休んでもいられないからね。実は、エルゴ研はこの事故を機に完全に解体されることが決まったんだ」

「へぇ、それじゃあ影時間の研究は打ち切りかい?」

「いや、もう少し湾岸部の方に新しい施設を作って、今度は“ラボ”という新たな研究機関を組織することになったんだ。トップはご当主、主任は僕という形でね」

 

 気を遣わせてはいけないと無理に表情を作っているのかもしれないが、幾月は先ほどよりは普段通りの表情で笑って見せた。

 そして、栗原は自分の予想通りの組織形態になることを知り、やっぱりかと思いながら自然に振舞いながら祝辞を述べる。

 

「すごい出世だね。私がいたころは同じ平の研究員だったっていうのに」

「ははっ、まぁ、無駄に長くいるからね。発足当時からいた者は、今回の事故で殆ど亡くなってしまったし。運良く生き残った者と非番で事故に遭わなかった者を合わせても、八十人程度と随分規模は小さくなったよ」

「それでもさ。あの日に生まれた影時間。それを解き明かすには、あんた達に頼るしかないからね。ずっと研究を続けていたあんたがなるのは自然な事だと思うよ」

 

 ポートアイランドインパクトで死んでいった嘗ての想い人を思い出し、栗原は表情を僅かに暗くしながら話す。しかし、これは栗原の本心だった。

 幾月らが湊たちにどういった事をしたかは知っている。それを非道だと思ったし、許される事ではないとも感じる。

 けれど、他の誰も知ることのできない現象であるからこそ、それを消すには、幾月ら研究員に賭けるしかない。

 それが新たな犠牲者を生みだす可能性もある。

 さらなる災厄を招く可能性もある。

 それでも、他の者には何もできないのだから、少しでも研究を続けさせて、影時間はどうすれば消えるのかという、解決の糸口を見つけるしかないのだ。

 幾月は栗原がそんな事を思っているとは知らず、かつての同僚に功績を認められた事を喜び、穏やかな笑みを浮かべていた。

 

***

 

 そうして、それから暫しの間、世間話に花を咲かせていると、栗原は時計を見てかなりの時間が経っていることに気付く。

 店自体は趣味でやっているようなものなので、少しくらい午後の開店が遅れたところで構わないが、体調の万全でない湊をいつまでも放っておくのは不安があった。

 よって、話しはこれくらいにして、そろそろ別れることにした。

 

「結構話しこんじまったね。私は店の方があるから、そろそろ戻ることにするよ」

「ああ、引き留めてしまって悪かったね。久しぶりに話せて良かったよ」

「なに、趣味でやってる店だ。多少開けるのが遅れたって、別に売り上げに影響はないから気にしなくて良いよ」

 

 お互いに笑みを浮かべ握手をすると、それじゃあと言って別れ、栗原は駐車場へと向かって歩き出す。

 相手が己を部外者として扱っていたため、あまり詳しいことは分からなかったが、新組織体制については情報を得ることが出来た。

 帰ったら早速湊に伝えようと思い、思考を今後の予定に移しかけたその時、

 

「ああ、そういえば――」

 

 離れた場所にいた幾月が再び声をかけてきた。

 一体何だと思って振り返ると、幾月は背を向けたまま言葉を続けた。

 

「――君、どこでここがエルゴ研だって聞いたんだい?」

「っ!?」

「ここは表では桐条傘下の製薬会社とその研究施設だ。確かに、去年の大事故からは移転したエルゴ研として利用していたが、辞めていった君にその情報が渡る筈はないんだがね?」

 

 振り返った幾月の瞳を見て、栗原は思わず呑まれそうになる。

 超えてしまった湊とは別種の、外れてしまった人間が宿す狂気。

 酷く濁ったその瞳に見つめられ、身体が強張り、じんわりと額に汗が滲む。

 だが、ここで黙っているわけにはいかない。緊張から乾いてしまった喉を、唾を飲み込む事で、少しでもマシな状態に戻し、栗原は呆れたような表情を繕って口を開いた。

 

「情報管理が甘いんだよ。辞めたって言っても、何人かは付き合いが続いてたからね。沢永が酒の愚痴に話してたよ」

 

 咄嗟に考えた理由だが、これは全くの嘘という訳ではない。

 完全な嘘ならばばれるだろうが、自身と沢永に交流があったことは同期の幾月も知っている。

 そして、騙し切れるかと、内心で焦りながら相手の言葉を待っていると、幾月は狂気を収めて苦笑を浮かべた。

 

「ははっ、そうだったのか。いや、疑って済まなかったね。研究の内容が内容だけに、元関係者であっても情報を秘匿しておくようにしていたものだから」

「まぁ、当然のことだからね。別に気にしちゃいないよ。ただ、主任になることが決まって気を張ってるのも分かるが、頑張るにしても、もう少し肩の力を抜きな。じゃないと気苦労で潰れちまうよ」

「うーん、自分ではそうでもないと思ってるんだが、気をつけることするよ。何度も引き留めて悪かったね。また君の力を借りることもあるかもしれないが、そのときはどうか頼むよ」

「はいよ。じゃあ、またね」

 

 それだけ話すと、今度こそ幾月と別れて栗原は自分の車に乗って去っていった。

 見送った幾月は、道を曲がって見えなくなった車の方向を見ながら楽しげに口元を歪めていた。

 

「……そこにいたか、エヴィデンス」

 

 

夕方――栗原自宅

 

 幾月と別れた後、栗原は店に戻らずに、食料品とチドリに頼まれた物や二人の衣類を買い。そのまま車をとばして家に帰って来た。

 予定よりも早い帰宅に、リビングで勉強していた二人は不思議そうな顔をしていたが、事情を話すためテレビを消すと、栗原はソファに座って口を開く。

 

「今日、様子を見にエルゴ研の跡地に行ったとき幾月に出会った。なんでも、エルゴ研は解体され、別の場所に“ラボ”という名の研究機関を作ってそこで影時間の研究は続けるらしい。そして、トップはご当主、主任は幾月だ」

「残った研究員は何人?」

「八十人程度って言ってたよ。今回のことでだいぶ規模が小さくなったらしい」

 

 エルゴ研に行って来たと聞いた時、チドリが驚いたように僅かに眼を大きく開いたが、反対に湊は落ち着いた様子で情報を集めている。

 栗原としては、自分自身、なんとか落ち着いているように見せているだけなので、本来ならば異様に映る湊の態度は、逆に自分を冷静に戻してくれるのでありがたかった。

 再び湊が黙って話を聞こうとするのを見ると、栗原はいく分か落ち着いて本題を話す事にする。

 

「……それと、済まない。多分だが、あんたらがここにいるのがばれた。事態の収拾でもう少しは大丈夫かもしれないが、一ヶ月を待たずに追手が来る可能性がある」

「そうか。じゃあ、早いうちに出ていくことにする」

「出ていくって当てはあるのかい?」

「ない。けど、ここにいたら栗原さんに迷惑がかかるし。安全とは言い難いから、明日から住む場所でも探してみようと思う」

 

 そういうと、湊は目に巻いていた布に手をかけ、ぶちぶちと音をさせながら引き千切って外した。

 見ていた二人は、三日前のことを思い出し、湊が暴れることも想定して構えるが、布を解いた湊の瞳は左目だけが金色に戻っていた。

 

「もう少しすれば魔眼の切り替えは可能だし。飛騨さんのくれたメモを頼りに、少し人を当たってみる。チドリ、明日の朝には出るから、そのつもりでいて」

「……うん」

「本当に済まないね……。着る物と鞄は買ってきたから使っておくれ。駄目だったときは、気にせず戻ってくるんだよ」

 

 湊らは栗原の言葉に頷くと、渡された鞄に荷物を入れて、湊のマフラーに仕舞っておいた。

 その後は、夕食と入浴を済ませると、少し早めに就寝し。次の日の朝一で、二人は栗原の家を出ていったのだった。

 

 

 




原作設定の変更点
眞宵堂の店主の名前を栗原シャルマに設定。さらに、父親が日本人、母親がインド人のハーフという設定に変更。

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