【完結】PERSONA3 Re;venger   作:清良 要

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第二百十七話 未来人への助言

6月11日(木)

早朝――巌戸台分寮・屋上

 

 もうすぐ夏の訪れを感じるであろう六月の朝、冷たい空気の中で一人神経を研ぎ澄ます者がいた。

 その手には装飾もない武器としての実直さだけが感じられる地味な薙刀が握られており、武器を手にした者は数メートル離れた位置に置かれた巻き藁をジッと見つめると、踏み込むと同時に武器を振るって巻き藁を三分割する。

 見事切られ巻き藁は崩れ落ちようとするも、しかし、武器を振るった者は振るった勢いを利用して遠心力で威力を高め、落下を始めていた藁の一つにそれを当ててさらに細かく散らしてみせた。

 武器を振り終え、残心の構えを見せてから己の切った藁を確認しに向かった者は、その切り口から自分の今の実力と状態を判断し、これではまだダメだと悔しそうに屋上の床に叩き付ける。

 

(違う。こんなんじゃダメだ。まだ力で切ってる。武器を己の一部として速く鋭く斬撃を放つ)

 

 切り口を見れば一部の藁が引き千切られたような状態になっていた。武器の刃はとても鋭利に研がれており、もしまな板に置かれた野菜に真っ直ぐ振り下ろせば、下にあるまな板ごと切ってしまう可能性もあり得る切れ味だ。

 そんな鋭い刃をちゃんと当てていれば、引き千切られるような切り口になどなる訳がない。斬撃の入る角度か振るう速度か、何かしらの要因が不足していて切る際に引っかけてしまったらしい。

 

(龍じゃダメなのかな。武器を使っても鬼の刃に遠く及ばないなんて……)

 

 七歌の記憶の中に百鬼が無手で斬撃を放った映像があった。彼は何も持っていなかった。だというのに、八雲の祖父はぶれたように見える速さで腕を振り抜き、目の前に置かれていた古い畳に鋭い刀傷を残してみせた。

 八雲と遊ぼうと思って百鬼の屋敷の道場へ赴いた際に偶然みたのだが、当時の七歌ではどのようにして行なったのかも理解出来なくとも、あれが純粋な体術だという事だけは理解出来ている。

 優れた身体能力に究めた業を合わせることで、己の肉体を名工の打った業物の域まで昇華していた。

 あちらは武器を持っていなかったにも関わらず、今の七歌よりももっと鋭い一撃を放てていた。身体能力はともかく俊敏さなら老人だった湊の祖父より若い七歌が勝っているというのにだ。

 自分と彼らでは何が違うのか。首から下げて服の中に入れているペンダントを握り、彼女は一人己の無力に悩み続けた。

 

 

午前――古美術眞宵堂

 

「……一人で来たのか」

「は、はい。ダメでしたか? その、あの人たち、自分たちだけで話してるから……」

 

 湊がパソコンから視線をあげると、恐る恐るといった様子でメティスが一人でやってきていた。

 音もなく入ろうとしてもモール内に現われた時点で湊は気付いているため、別に来たところで気にしないから普通に入ってこいと返せば、メティスは嬉しそうな顔をして駆け寄ってくる。

 あれからアイギスたちの方では時の狭間の扉の攻略が進められているようで、補給がてらやって来た際には報告を聞いていた。

 やはり二つの世界の時の流れはずれており、湊にすれば数時間前に来たばかりというタイミングで再び現われるも、向こうでは数日経っていたりという事もある。

 それ故、彼でなければ用意出来ない補給物資が存在することから、湊は帰ってきた栗原に「数日は自分が店を預かるので仕入れに行ってこい」という暗示をかけ、未来のアイギスたちが時の空回りに巻き込まれていることがバレないよう根回しもしている。

 もっとも、アイギスたちは補給目的で過去と繋がっているので、補給の出来ない深夜にこちらに来ることはなく。そういった部分は扉が自動で設定していると思われるため、湊が少し席を外して別の場所にいる間に彼女たちが来ることもないようだ。

 そんな訳で、モールの営業時間中かつ湊さえいればアイギスたちは一人でも来れるようだが、やってきたメティスは湊の傍まで近付いてくると、そのまま椅子をいくつか並べてその上に寝転がり、最後に湊の足を枕にして寝てしまった。

 あちらの世界では夜なのだろうかという疑問はあるが、構って貰えない寂しさでこっちに来たようなので、彼女を受け入れてくれる存在の近くにいると安心して眠れるのだろう。

 少女に膝を貸していたところで仕事に影響はないため、別にいいかとスルーしながら湊がキーボードを叩いていれば、少ししてから閉店の札が掛かっている扉の開く音が聞こえた。

 

「あの、すみません八雲さん。こっちにメティスが来てませんか? あの子、勝手にどこかに行ってしまって」

 

 やってきたのは少女の姉であるアイギス。心配した様子で来た彼女は、湊の許までやってくるとカウンターの中で湊の膝を枕に寝ている妹を発見して思わず嘆息する。

 

「やっぱり……」

「そう怒ってやるな。君たちが自分の知らない話で盛り上がってて居場所がなかったらしい」

 

 寮の中にいなければこちらに来ているとしか思えない。そして、メティスが一人でやってくる場所など兄として慕っている湊のいる眞宵堂くらいだ。

 推理とも言えない単純な連想ゲームで正解を引いたアイギスは、湊が妹を甘やかしていると思ったのか複雑な表情を浮かべるも、確かに彼女の分からない内容で仲間と談笑してしまっていたと反省し、妹の面倒を見てくれていた青年に礼を言うと湊の隣に腰を下ろした。

 

「あの、この子はなんなんでしょう? わたしの後に作られた機体にしては精神が発達しすぎていると思うんです」

「……本当に分からないのか?」

「え? あ、はい。美鶴さんも知らないみたいで、今は桐条グループとも連絡が出来る状態ではありませんし」

 

 アナライズが可能な湊はメティスの秘密に気付いている。だが、同じようにアナライズが出来る風花やチドリでもメティスが何者なのか分からないという。

 そうなってくると湊だけがどうして分かるのかという謎が残るが、青年は自分だけが理解出来た理由に心当たりがあるのかアイギスの質問には答えず、今の関係のままでいろとアドバイスを一つする。

 

「メティスは君の妹だ。今はそれだけ分かっていればいい」

「……教えていただけないんですか?」

「君がちゃんと思い出せば分かる。だから、今の俺は何も言わないでおこう」

 

 

 言われたアイギスは彼が答えてくれないことに不満げな顔をするが、言わないと言った以上は絶対に話してくれないと理解していたことで、すぐに諦めると彼の肩に頭を乗せて体重を預けてくる。

 見目麗しい姉妹二人に慕われていると分かる光景は男たちから嫉妬と羨望の眼差しを向けられるような状況だ。

 だが、青年は構わず画面に視線を向けてキーボードを叩いているため、店の中は穏やかな時間が流れる。

 アイギスも彼女の主観で久方ぶりに会えた大切な人との時間が心地良いのか、リラックスした状態で一緒の時間を楽しんでいれば、そういえば伝え忘れていたと途中で口を開いてくる。

 

「あ、そういえば、言い忘れていました。実はメティスと戦ったときにわたしの能力が変化したんです」

「……別にワイルドは特殊な素養という訳じゃない。切っ掛けがあれば誰でも目覚め得る力だ」

「そうなんですか。気付いていらしたんですね」

「俺のアナライズはそういった部分も分かるからな」

 

 彼女が伝え忘れていたのは自分もワイルド能力に目覚めたという話だった。

 元々は普通のペルソナ使いだった彼女がワイルドに目覚めて周囲は驚いただろうが、湊にすれば固有のペルソナしか使えない他の者の精神構造の方がおかしいという考えであり、ミックスレイドまで使えるならまだしもワイルド程度ならば十分あり得ると返す。

 それはあくまで最初からワイルド能力を持っていた者としての意見ではあるものの、アイギスは七歌もそれほど驚いていなかったと告げて、一度黙り込むと何やら言葉にしづらそうな躊躇いがちな表情で湊に一つ問うてくる。

 

「……八雲さん、どうしてあなたは死んでしまったんですか? 確かに、わたしたちではニュクスに勝てなかった。でも、だからってあなたが一人犠牲にならなくても。そんな事をするなら、わたしは一緒に死ぬ方がずっと良かったです」

「……俺はまだここにいる。だから死者の気持ちは分からない」

「あ、そうですよね。すみません。あまりにも平然とこちらの世界の事件について意見をくださるので、八雲さんには未来のことが分かっている気になってしまって」

 

 湊はあくまでこの世界の湊だ。アイギスたちの世界の湊が非常に酷似していたとしても、それは湊の未来の可能性の一つであって同一人物かは分からない。

 しかし、アイギスは彼があまりにも平然と未来で起きていることに対してアドバイスをくれるので、どうしてもこの世界の存在であるということを忘れてしまうと苦笑した。

 

「おーい、アイギス。迎えにきたぞー」

 

 そんな風にメティスを膝に乗せたまま湊がアイギスと会話を続けていれば、またしても店の扉が開いて今度は順平たちが入ってきた。

 やってきた者たちはアイギスとメティスの状態を見て複雑な表情を浮かべ、皆がやって来たことでアイギスがメティスを起こしていれば、補給のためにやってくるのはいいがと前置きした上で美鶴が彼女のためを思い忠告してくる。

 

「君の気持ちは分かるが彼に会うのは程々にしておいた方が良い。でないと別れが辛くなるぞ」

「んー、いっそのこと八雲君を私らの時代に連れて行っちゃえば良いんじゃないですか?」

 

 時の狭間が消えれば二つの世界の繋がりは断たれる。それは湊の死んだ未来のアイギスたちでは二度と会えないということであり、直前になってせめて過去の湊でも良いから会える現状を維持したいと心変わりしかねない危険を孕んでいる。

 だが、それならばこの過去の湊を未来に一緒に連れて行けば良いのではと七歌が意見を出した。

 男子や美鶴は何を言っているんだという顔をしたが、一方で女子たちは出来るのなら良いのではと思ったのか、その発想はなかったという顔をしている。

 無論、本人の同意を得る必要があるけれど、出来るなら一緒に来て欲しい。そんな想いをアイギスたちの表情から悟った湊は、起きたメティスをちゃんと座らせながら一緒に行くことは出来ないと先に断りを入れた。

 

「それは多分不可能だ」

「なんで?」

「俺という存在は同一次元に複数存在できない。イゴールたちから聞いてないのか?」

 

 不可能ということは拒否や拒絶ではなく、そうする事が出来ないという意味だ。

 湊はここにいて、二つの世界は自由に行き来が出来ている。だというのに何故無理なのか七歌が聞き返せば、湊は自分という存在が世界において特殊な立ち位置にいることを他の者たちに語る。

 

「俺は内に神を宿しているため“固有存在”といって次元世界における特異点なんだ。一つの世界に特異点は一つしか存在出来ない。仮に二つ目の特異点が現われようとすれば片方かまたは両方が消え去る。だから、俺は俺が存在しない世界にしか移動できない」

 

 湊の中には現在別次元の神が宿っている。それは魂レベルで融合しており、彼女を宿していることが原因で湊は他の者たちのように同一次元に二人存在するが出来ないようになっているのだ。

 

「でも、こっちの湊君はもう死んではるよ?」

「……説明するより見せた方が早いか」

 

 だが、ラビリスたちにすれば彼女たちの世界の湊は既に死んでいて、この世に存在しないことになっている。

 湊にとってはそういう意味ではないのだが、言葉で説明をするより見せた方が早いため、一同を伴って外に出ると二つの世界を繋ぐ扉を目指した。

 

***

 

 

「ここか。では見ておけ」

 

 店の外に出ると他の者たちの案内で世界を繋いでいる扉の許までやってきた。

 もっとも、アイギスたちには扉が見えているようだが、湊の視点ではそこには何も存在せず、もう少し先にいけばベルベットルームに続く扉があるくらいである。

 とはいえ、順平が実際に扉を潜って行ったりきたりして見せてくれたので、正確な位置と時空の綻びともいえる歪みの位置は既に特定出来た。

 あとはそこに干渉するだけだと、湊は魔眼を発動し蒼い瞳になってから非常に小さな空間の歪みに向かって右腕を入れた。

 

「八雲さんっ!?」

 

 アイギスたちの視点では湊は扉に右腕を突き入れただけだった。だというのに、次の瞬間白い電撃のようなものが爆ぜて彼の右腕に走り、突き入れた腕が数秒で鮮血に染まって所々が焼け焦げていた。

 慌ててアイギスが彼の腕を扉から引き抜けば、彼の右手の指はそれぞれがあらぬ方向にねじ曲がり、拳や上腕の方には裂傷が出来ている。そこに肉の焦げた臭いまで漂っているため、痛みを堪えた青年が深く息を吐いたところで全員が彼を連れて行けないことを理解した。

 

「っ……これが、特異点が同時に存在出来ないということだ。お前たちの世界の俺の存在は残ってる。だから俺はお前たちの世界にはいけない」

 

 そう、例え死んでこの世を離れていても存在した痕跡までが消えた訳ではない。痕跡があるのならその世界には特異点が残っていると言うことであり、アイギスたちの主観がどうあれその世界の湊は“存在”しているのだ。

 なにより、いくらそちらに湊がいなくても、こちらの世界の湊が行こうとすれば全身が右腕と同じ末路を辿ることになる。これでは平穏な日常を過ごすことも不可能であるため、アイギスたちも彼を連れて行くことを諦めるしかなかった。

 

***

 

 腕を自力で治療した後、湊はアイギスたちを向こうの世界へ送り出した。彼女たちがいうには扉はあと一つなのですぐに終わるという。

 だが、湊の予想が正しければ、最後の扉の奥にいる彼女たちの未練が具現化した存在は彼女たちにとって非常に戦いづらい相手である可能性があった。

 

(……俺が原因か)

 

 未来から来たゆかりは言っていた。一体誰のせいだと思っているのかと。

 あちらの自分が何をしたのか湊は知らない。そもそも別の世界である可能性もあるので同じ選択をするかも分からないが、もし誰にもニュクスが倒せないとしても、自分が命を賭すことで実現可能な手段があるのなら湊は迷わずそれを選ぶと断言出来た。

 自分の命を一つ使うだけでチドリやアイギスの生きるこの世界が存続するのなら、比べるまでもなく最上のコストパフォーマンスだろう。己の命を勘定にいれない青年だからこその結論は無論他の者には理解されない。

 しかし、だからこそ彼は目的のために自分の全てを使う覚悟を疾うの昔に決めていた。

 それは未来であっても変わらない。時の空回りが自分が原因で起きたというのなら湊は自分でそれに対し責任を取る。

 

「……座標、固定」

 

 血で赤く濡れた右腕を再び扉のある場所に向けて挙げる。傷は既にふさがっているけれど、服は破れて一部焦げてもいるので、今からすることに右腕を使うのは丁度良かった。

 アイギスたちがこちらの世界にいないからか歪みは小さくなっているものの、まだ確かに繋がりは残っている。

 なら後はそこに腕を入れるだけだと、先ほど右腕を酷く損傷したばかりだというに湊は再びあちらの世界に向かって右腕を突き入れた。

 

「…………っ」

 

 入れた瞬間、先ほどの再現だとばかりに白い電撃が爆ぜて湊の腕を焼いてゆく。

 指先、手首、肘と奥に入れていくだけで痛みが数倍に跳ね上げられ、それでもまだだと湊は片腕を丸ごと突っ込んだ。

 

(少しだけでいい、ただこの一回だけ成功してくれっ)

 

 腕を伝った痛みに表情を歪ませながらも、湊はあちらの世界に伸ばした右腕に力を集める。

 自分の方からは見えないというのに、それでも確かに目の前の穴が向こう側へ繋がっている確信がある。

 だからこそ、自分が原因だというのならその尻拭いは自分でやってみせると、彼はあちらの世界と繋がっている右手でカードを握り砕いた。

 ペルソナがあちらの世界で顕現し時の狭間へと向かってゆく。ペルソナの見ている視界を湊も見ることが出来るため、寮のラウンジから地下へ進み、さらに一つ残った扉を潜ってダンジョンの奥へと向かわせる。

 

(あと、少しっ……)

 

 ペルソナを呼び出した瞬間、こちらの世界にいる身体の方にも白い電撃が伝ってきた。

 直接向こうと繋がっている右腕ほどのダメージはないが、それでも体表が焦げたり血管が千切れて全身が血に染まってゆく。

 けれど、湊はこの程度の出血では死にはしない。意識もしっかりと繋ぎ止め、目的を果たすまで保てばいいとペルソナの方へ意識を集中させる。

 扉を潜ってダンジョンに入ったペルソナは途中に現われるシャドウらを蹴散らし、ただ奥を目指し飛んでゆく。

 対して、ペルソナが奥に進むにつれ反動なのかこちらに残っている湊のダメージが酷くなり、彼の足下には既に血溜まりが出来ていた。

 体表を走る程度だった電撃は明確に彼の身体に傷を残し始め、さらに浸透していくように臓器にまでダメージが届く。喉の奥から鉄の味が迫り上がってくるが今はどうでもいいと押さえ込み、さらに湊が意識を割けば向こうではペルソナが目的地に到着した。

 

(…………これでっ)

 

 ダンジョンを抜けて時の狭間に似た空間に出れば、その奥に剣を持って戦う湊そっくりの何かがいた。

 他の者たちは突然の乱入者に驚いているようだが、時間のない湊は構わずペルソナを操作し、ペルソナを呼び出そうとしていた自分そっくりな相手に向かってメギドラオンを放つ。

 ただ一撃、だが今の彼に出来るのはそれくらいだ。これで倒せなければアイギスたちに頑張って貰うしかない。

 メギドラオンを放ったペルソナは攻撃を止め、余波で発生した煙が晴れるのを待つ。そのただ待つ間も残っている湊にダメージが返ってきているのだが、結果を確認せずにペルソナを消すことは出来ないのであと少しだからと彼は耐えた。

 そうして、あちらのアイギスたちも見守る中、煙が晴れたそこに敵の姿はなかった。

 

「……はぁ」

 

 目的は達成した。あちらに送っていたアザゼルを消すと湊はその場に腰を落として少し休む。

 数分間も奥で何かしていようものなら、噴水のある広場から見られそうなものだが、湊は小さく殺気を放つことで他者の本能に働き掛け、そこに近付きたくないと思わせるよう仕向けていた。

 おかげで全身が血濡れになって血溜まりの上に座っている今も誰からも声をかけられずに済んでいるが、流石にこのままでは騒ぎになるため、湊はバアル・ペオルに怪我の治療を頼んでから血溜まりにナイフを通してそれ自体を消した。

 

***

 

 治療を終えてその場の後処理も終えた湊は、ベルベットルームに入ってシャワーを借り、汚れた服も着替えてから店に戻っていた。

 すると、しばらくしてからアイギスたちがやってきたのだが、彼女たちはやって来るなり怒ってきた。

 湊としては完璧に後処理をすることで怪我をしたこともばれていないはずなのに、どうして怪我をした事がバレたのか分からない。

 ペルソナだけ送ったんだと白を切ろうとしたが、女子全員からダウトと言われてしまったことでその作戦も通じず、何よりアイギスが珍しく本気で怒っていたので誤魔化すのは無理だと悟って湊も諦めた。

 

「……なんで怪我したと分かったんだ? 奥の通路はちゃんと掃除しておいたのに」

「はい、確かに通路には血の跡もなく綺麗でした。ですが、わたしたちの寮のラウンジと繋がる扉のところに大量の血液が残っていたんです。こっちの世界の方は上手く誤魔化せても、流石にわたしたちの世界の方までは出来なかったようですね」

 

 話を聞いてなるほどと納得する。召喚する間に右腕から落ちた血液が床に着き、それが完璧な証拠となって今回の無茶がバレてしまったらしい。

 証拠があるなら誤魔化すことは出来ないなと諦め、そのまま話をスルーする流れに持って行こうとするも、相手も湊の性格は理解しているようで逃がさないとばかりに正面からしっかりと目を合わせてきた。

 

「八雲さん、あなたはもっと自分を大切にするべきです。敵の姿と強さに驚き劣勢だったことは認めますが、それでも自分たちだけでも勝つことは可能でした」

「……さっさと終わらせたかったんだろ。それに時の空回りの原因が俺なら自分の事は自分でやるさ」

 

 その言葉を聞いたときゆかりがハッとした顔をして俯く。他の者も分かっているようだが、それは彼女が来たばかりの頃に口にした言葉だからだ。

 彼は自分に非がないことでも背負いすぎる性格だ。それが未来の自分がした事であろうと、自分のしたことが影響して事件の原因に繋がっているなら、“全て自分が悪い”と極端な結論に至ってしまう。

 事故に巻き込まれた被害者でありながら、自分の両親の死すらも己が原因だと思ってしまうのは、生き残ってしまったが故の罪悪感からくる一種の精神疾患だ。

 そのことを理解していたはずなのに、関係のない彼を責めて追い込んでしまったことを深く後悔したゆかりは、今にも泣き出しそうな顔で彼に謝罪した。

 

「ごめん、私が言ったせいだね。本当にゴメンなさい」

「……別に岳羽の言葉は関係ない。俺は“俺を頼れ”という言葉に従っただけだ。どっちにしろこれで終わりだしな」

 

 未来の自分の言葉を利用してゆかりに責任はないという。それが彼女に気を遣っていることになるのだが、言っても彼の中では既にそういうことになっているようなので、ゆかりは小さくありがとうとだけ返しておいた。

 だが、ゆかりが湊にお礼を言い終わると、既に解決モードに入っていた青年にメティスが近付き「実は」と言って話しかけた。

 

「あの、兄さん。実は兄さんの贋物を倒したら鍵が現われたんです。数は姉さんたち一人につき一本で合計十三本。どうやらそれを一つにまとめて寮の入り口を開けば時の空回りを終えられるはずなんです」

 

 言いながらメティスはアイギスに借りて現われた鍵を見せてきた。見た目こそレトロな一品だが、彼の知る寮の鍵とは形が異なっていることで本当に使えるのだろうかと首を傾げる。

 すると、今度は美鶴も話に入ってきて、さらに別に使い方もあるらしいと説明してきた。

 

「だが、その鍵には別の使い方もある。寮の屋上へ続く扉に使えば今のように限定的にではなく本当に過去に戻れるらしい」

「……なら入り口に使えばいい。過去に戻る意味はない」

「なんで? 過去に戻れば色々とやり直せるんだよ?」

 

 ばっさりと告げる湊にゆかりが簡単に決めないでと待ったをかける。鍵の使い方はメティスが教えてくれたものだが、それが本当ならば桐条鴻悦が求めた時を操る神器の簡易版とでも言える機能を有していることになる。

 望まぬ結果に終わったことをやり直せるなら、そのチャンスを無駄にするべきではないとゆかりが言えば、彼女の話を聞いていた真田が口を挟んだ。

 

「岳羽、お前は前を向くんじゃなかったのか? 過去をやり直すなど対極なことだぞ」

「分かってます。でも、それでもやっぱり自分に嘘は付けないから。私は過去に戻って有里君が死なないようやり直したいんです」

 

 ゆかりはゆかりなりに湊が救った世界で生きていこうとしていた。だが、彼が死なずに済むよう過去を変えられるかもしれないチャンスが転がり込んできた。

 なら、ゆかりは自分の気持ちに従って、どんな小さな可能性でもいいからそちらに賭けたいと、自分は過去をやり直す方を選ぶと宣言した。

 

「俺だって自分を犠牲にした有里の選択には納得し切れてねぇ。だがな、それでもあいつは命使ってでもお前らを守ったんだ。その覚悟も、想いもお前はなかったことにするのか?」

 

 しかし、いくら彼女が言ったところで可能性は可能性でしかない。なにより、やり直すなど自分たちの世界の湊がしてきたことを否定する行為ではないのかと、真田に続いて荒垣も口を挟んだ。

 それを聞いたゆかりは僅かに辛そうな表情をすれば、傍に立っていたチドリがしっかりと荒垣を見つめて言葉を返した。

 

「……分かるから辛いのよ。苦しいことから逃げてるだけかもしれないけど、それでも私も湊には生きていて欲しい」

 

 家族としてずっと過ごしてきたからこそ彼女の切実な願いが重く響く。

 チドリが言葉を切ると辺りには沈黙が降りるが、メンバーたちもどちらの言っている事も理解出来るのだ。

 真田たちとて湊が生き返るなら生き返って欲しいと思っている。だが、現実はそう簡単にはいかず、湊は命懸けで世界を救って自分たちは生かされた。

 なら、今の自分たちの役目は彼が守った世界で精一杯生きることだろうと思っているだけだ。

 鍵は本人が譲渡しようとしない限り奪ったところで融合しないため、このまま話が平行線を辿るなら鍵を賭けて戦うしかない。

 それを誰が言い出すか場の緊張が高まりだしたとき、話を聞いていた青年が静かに口を開いた。

 

「……岳羽、チドリ、悪いがお前たちは前提からして間違えてる。過去に戻っても歴史をやり直す事は出来ない」

『……え?』

 

 言われた少女たちは一瞬何を言っているのか理解出来ないという表情を浮かべる。

 それはそうだろう。過去をやり直せるチャンスが転がり込んできたと思ったら、それは不可能だと助けたい相手と同一人物に否定されたのだから。

 しかし、伝えることはちゃんと伝えなければならないため、湊は冷めたコーヒーに口を付けてから顔を上げるとメンバー全員を見るようにして話し始めた。

 

「お前たちは扉を潜ってこちらに来たな? なら、何故そちらでも同じ事が起きると思わない?」

「つまり、過去をやり直せるのではなく、その世界の自分が存在する過去に私たちが行くということか?」

「ええ、確証はありませんが可能性は高いかと」

 

 確認してきた美鶴に湊が頷いて返す。そう、ゆかりたちは自分が過去の世界に戻って、そちらでもう一度ニュクスと戦うつもりのようだったが、別の扉にしても扉を潜って過去に行くのなら現状と同じ事が起きる可能性が高いのだ。

 つまり、彼女たちが過去に戻ったところで、その世界にはその世界で生きている本人たちがいるため、二人目であるゆかりたちの望んだような結果にはなり得ない。

 

「仮にお前たちの意識だけが過去に跳んだとしよう。だが、そうなればお前たちはその世界の自分の人格を上書きして殺すことになる」

「でも、同一人物なんだから結果的に未来の記憶を得るだけでしょ?」

「いや、違うな。言い訳しようが一人の人間を殺すことにかわりはない。そして、その世界の俺はすぐに変化に気付き、お前たちを自分の知る者たちを殺した“お客さん”として扱うだろう」

 

 さらに湊はゆかりたちが考えていたであろう状況の方でも、お前たちが望んだ結果にはならないと残酷に告げる。

 ここにいる湊は未来から来たゆかりたちの存在に気付いた。ならば、当然彼女たちの世界にいる湊も変化に気付いてしまう。

 時間を概念的に理解していて、状況を誰よりも把握している彼からそんな事を言われてしまえばゆかりたちも納得するしかなく、希望を断たれた彼女たちはどうあっても彼を救えないことに悲しみの涙を流す。

 

「な、なんでよ。何で死んだのかも分からないままで、せっかく、やり直せるチャンスが手に入ったと思ったのに。……こんな、こんなぬか喜びさせるだけの結果になるなら……」

「……はぁ、じゃあ過去をちゃんと見てくればいいだろ」

『……え?』

 

 急に言われて彼が言っている事を理解出来ず二人の涙が止まる。

 その反応に彼は再び溜息を吐くが、どうしてお前たちは現状と示し合わせて他の可能性に頭がいかないのかと呆れつつ詳しく説明する。

 

「お前たちは未来の俺が何をしたか分からないから不完全燃焼なんだろ。なら、ここへ来たときのように、ニュクスとの戦いの日の俺の許へ行ってくればいい」

「せやけど、過去に繋がる扉なんてもう残ってへんよ?」

「あるじゃないか。今も過去と繋がってる扉が」

 

 言われて全員がハッとした顔になる。そう、全ての扉が消えたと思ったようだが、正確に言えば今も過去に繋がっている扉が一つ残っている。

 ここに繋がっていたのが全員の意思の反映であるならば、再び願えば別の場所に繋がる事もあるだろう。

 

「真実を知って、それから先に進めばいい。どうせ俺の事だ。多分、何かしらのメッセージは残してるはずだしな」

 

 記憶に紐付く感情を消した今の青年に感情の起伏はほとんどない。しかし、今ここで必要なのは彼女たちが前に進めるような背中を押す言葉だ。

 未来から来た彼女たちと出会った自分ならば、終わらない三月を越え、四月一日を迎えるアイギスたちにメッセージを残している。微笑を浮かべてそう告げ、湊は真実を知ってから自分たちの時間を生きろと言った。

 それを聞いたメンバーたちは自分たちがすべきことを理解したのだろう。もうここに戻ってくることは無いと直感で理解しながら、店を出ると見送りに来てくれた青年に心からの礼を言って自分たちの世界へ帰って行った。

 

 

夜――ポロニアンモール

 

 アイギスたちを無事に未来へ送り出した湊は、時間が経ってから完全に二つの世界の繋がりが断たれた事を確認すると少し疲れたように息を吐いた。

 実際のところ常人なら失血死しているレベルに血を失ってもいるので、彼が疲労を感じていても無理はないのだが、どちらかと言えば少女たちに気を遣っての気疲れの方が大きい。

 最初に未来の自分が頼れと言ったことで相談が始まり、湊が色々とアドバイスした事で分からない事があればこちらで話すことになっていたから助かったが、もしも彼女たちが自分たちだけで鍵の使い方を話していれば仲間同士で戦っていたに違いない。

 それが始まってしまえばきっとアドバイスの意味はなかったはずなので、未来の自分が彼女たちにとって精神的支柱になっていたのは僥倖と言える。

 

(……アイギスか)

 

 そして、何よりも気を遣ったのがアイギスとメティスである。湊は会った瞬間に理解していたが、メティスはどういう訳か抜け出てしまったアイギスのシャドウだった。

 となれば、アイギスはペルソナを失っているはずなのだが、能力が変化してワイルドになったので大丈夫だったらしい。

 メティスの登場とワイルドの覚醒の順序を考えるとおかしいと思うものの、アイギスは湊に長期間ペルソナを預けていたのでペルソナ及びシャドウが抜け出ていても活動出来るようになっているのかもしれない。

 まぁ、どちらにせよ二人ともアイギスだったので、甘えん坊な側面らしいメティスのことは受け入れてやり、成長した部分らしいアイギス本人のことは上手く導いておいた。

 対応を誤れば精神の均衡が崩れて影人間になっていた可能性もあったので、どうにか事件の解決まで持って行けたことで湊も一安心というわけである。

 

(……早く目覚めないだろうか)

 

 だが、安心して一息つくと久しぶりにアイギスと過ごせた反動か、湊は彼女に会いたくなった。

 彼女の新型ボディは既に完成している。他の誰も入れない彼個人の研究室で今も眠っており、アイギス本人が目覚めたときにパピヨンハートごと記憶を移植すればいつでも活動出来る。

 しかし、その本人が目覚めるというのが問題であり、湊は彼女がいつ目覚めるのかを知らなかった。

 会いたい、会いたい、会いたい。

 特定の対象にのみ執着する彼だからこそ、その分他の者よりも想いが大きく膨れあがる。

 彼女に会えない不満と共に早く目覚めないかなと若干の苛立ちを感じつつ、噴水広場まで戻ればまだいた客たちの声が聞こえてきて暢気な話し声が癇に障る。

 

「井上さん、うーたーいーたーいー!」

「ご、ゴメンって。機材トラブルなんだからしょうがないだろ?」

 

 茶髪の子どもとスーツの大人がクラブの前で騒いでいる。なんの話か分からないが、今の苛ついている湊にとって女子の甲高い声で喚かれると非常に不快だった。

 心の中でさっさと帰れと思いつつ、湊は再びどうやればアイギスが目覚めるだろうかという問題について思考を割くと、またしても女子の大きな声が彼の邪魔をしてきた。

 

「ライブしたい、歌いたい、イベントやりたいー!」

「まだ駆け出しなんだから一つ一つだよ」

「そのイベントが一つ飛んだんじゃんっ」

 

 よく分からないが二人はタレントとマネージャーのような関係らしい。楽しみにしていた仕事が飛んで女子の方がご立腹で、男の方は幼い子どもの対応に困って宥めきれていないようだった。

 時間が遅いこともあって人は減っているが、それでもここは公共の場だ。騒いでいれば迷惑であるし、何より湊は自分の思考の邪魔をされたことで頭にきていた。

 苛々の募る間も女子はまだ騒いでおり、男の方が情けない対応で相手を落ち着かせられていないことでついに湊が切れた。

 素早くマフラーに手を入れると二十枚綴りのカラオケ割引クーポンを取り出す。それを全力で振りかぶると騒いでいる女子の後頭部にぶつかるよう投擲した。

 

「イタイっ!?」

 

 軽い紙がそんな速度で飛ぶのかという勢いで女子に迫ると、クーポンはそのまま女子の後頭部を捉える。

 急に後ろから何かがぶつかった事で驚いた少女が後ろに振り返れば、

 

「――――五月蝿い、どブス」

 

 完全に目の据わった状態の湊はただ一言相手にそう告げた。

 

 


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