【完結】PERSONA3 Re;venger   作:清良 要

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第二十二話 情報屋

8月24日(木)

昼――巌戸台港区・喫茶店“フェルメール”

 

 巌戸台港区のはずれの裏路地を入ったところにある、喫茶店“フェルメール”。

 店内は少々薄暗くこじんまりとした感じだが、レコードで流しているクラッシックが、店の雰囲気を落ち着いたものにしており。窮屈な印象は一切受けない。

 そんな隠れ家的な喫茶店だが、昼飯時だというのに客はほとんどおらず、店内にはマスターの男性と外国人と思われる女性が二人いるだけだ。

 だが、そのとき、カランカランとベルの音をさせながら扉が開き、新たなお客が入って来た。

 

「いらっしゃいませ……おや、珍しいお客様だ」

 

 やってきたお客に挨拶するためマスターが視線を向けると、こういった店に馴染みのなさそうな子どもが二人立っていた。

 一人は夏だというのに黒いマフラーを巻いた少年、有里湊。もう一人は緋色の髪に、白いワンピースを着た少女、吉野千鳥。

 今朝、栗原の家を出て、飛騨の遺したメモを頼りにここへとやってきた二人だった。

 二人が来た理由を知らない者には、ただ珍しい小さなお客様にしか見えないため、奥のテーブルで向かい合ってコーヒーを飲んでいた女性の片方が微笑を浮かべてマスターに話しかけた。

 

「あら、こんな可愛らしいお客様がくるなんて、ここも随分と有名になったのね」

「ははっ、家族連れすら来たことはないんだけどね。まぁいいさ。二人とも、席は自由に座って。どこでも空いてるからね」

 

 歳は三十半ばといった風に見える、顎に不精髭を生やし、ぼさぼさした黒髪のマスターが、穏やかな笑みで話すと、湊とチドリはマスターの正面のカウンター席についた。

 二人が正面に座ったことで、マスターの男性はメニューと水と手拭きを用意する。

 それを受け取ったチドリはメニューをしばし見つめてから、顔をあげると右に座っている湊に向かって呟いた。

 

「……全然分かんない」

「ジュースは分かる?」

「うん」

「じゃあ、それをまず決めて」

「わかった」

 

 言われてチドリが再びメニューに視線を落とすと、二人の会話が微笑ましいのか、マスターだけでなく、奥に座っている女性たちも笑っている。

 そんな周りの様子を気にせず、チドリはメニューを指差して頼む物を決めると、湊が代わりにマスターに注文した。

 

「この子は、メロンソーダとサンドウィッチ。俺はホットのブレンド。それと、“ハイローストのブルーマウンテンの美味しい淹れ方”を教えて欲しい」

『っ!?』

 

 蒼と金の瞳で正面から見据え湊が話すと、店内にいた三人は皆、目を大きく開き驚愕の表情を浮かべた。

 それはそうだろう。湊が最後に口にしたのは、情報を求めてやってきた裏稼業の人間であることを証明する合言葉だったのだから。

 事情が変わった途端に、マスターは真剣な顔つきになり、よく通る低い声で湊に返す。

 

「驚いたな。君、それをどこで知ったんだい? それと意味は分かっているのかな?」

「知り合いから信用出来る情報屋だって聞いてきた。仕事の仲介もしてもらえるって」

「そうか……。まったく、こんな子どもに教えるなんて、その相手は何を考えてるんだか」

 

 マスターは呆れたように言うと、メロンソーダをコップに注ぎ、ストローと一緒にチドリの前に置く。

 そして、コーヒーをセットしてから、サンドウィッチを作りながら話の続きをする。

 

「確かに、ここは情報屋だよ。けど、それは裏稼業のものなんだ。君たちのような幼い子どもが利用するものじゃない」

「住む場所が欲しいんだけど、家が手に入るような仕事ってある?」

「住む場所って、自分たちの家があるだろ? 家出くらいでこんな場所を頼っちゃ駄目だ。そんな者には仕事も情報も渡せないよ」

 

 出来たサンドウィッチをチドリの前に置き、マスターは窘めるように言う。

 髪の色や、瞳の色が少々人と違っているが、二人の身なりや雰囲気におかしな点は見られない。

 裏稼業の人間を相手にする以上、マスター自身の人を見る目もある程度は肥えている。

 それに照らし合わせて、二人は裏稼業とは無関係だと判断したのだが、さらに湊から返って来た言葉はマスターの想像とは違っていた。

 

「……ないよ。俺たちに家なんてない。両親は殺されたし、頼れる相手も碌にいない。今だって、匿ってくれてた場所がばれて、桐条の追手がいつ来るか分からない状態だし。後は自分で手に入れるしかない」

「殺された? それに、桐条ってあの桐条グループかい?」

「ああ。ここ一週間、製薬会社の爆発事故のニュースがやってるだろ。あれ、本当は爆発事故なんかじゃないんだ。情報屋っていうなら、調べ物も出来ると思うけど。俺の言ってる事が本当かどうか知りたいなら、犠牲者の状態がただの事故で成り得るものか調べてみると良い」

 

 落ち着いた口調で言い切ると、湊は自分の前に置かれたコーヒーカップに口をつけた。

 基本的に好き嫌いはないが、湊はコーヒー党でブラック派だ。

 エルゴ研で飲んでいたインスタントとは違う、ちゃんと豆を挽いて淹れたコーヒーの深い香りと味わいを楽しみながら、この店のブレンドは酸味を強めに付けているのかと考え、隣でサンドウィッチを頬張っているチドリにも時々視線を向ける。

 だが、そんな普段通りの二人とは対照的に、店にいた三人は湊を訝しむような視線で見つめていた。

 裏稼業と言っても完全にアウトローでやっている訳ではない。

 危険で、違法なこともあるからこそ、協力を求めるときには普段の信頼関係というものが重要になっており。いまの湊の態度は、仕事だけの関係でいようとする、本来ならばシカトされてもおかしくないものだ。

 けれど、二人はここを当たってみろと紹介されただけの、訳ありの子ども。

 裏の人間ではないが、完全に表の人間でもないという非常に厄介な立場であった。

 そうして、湊の言葉を聞いてから、ゆっくり三分経って苦笑を浮かべ、マスターは奥に座っている女性らに話しかける。

 

「……さて、どうしたものかな?」

「アタシらに聞くなよ。オマエの客だろ?」

「そうは言っても、僕のメインの仕事は情報屋だしね。ああ、君たちに自己紹介がてら一つ言っておくことがある。僕は情報屋の五代 哲司(ごだい てつじ)。一応、仕事の仲介もやるけど、メインは情報屋だから、仕事の斡旋は殆どしてないんだ」

 

 奥に座っていた茶髪の女性に言われると、そういって喫茶店のマスター、情報屋の五代は自己紹介をした。

 さらに、五代に続けて、奥にいた女性二人も裏稼業の人間らしく、湊らに挨拶をしてくる。

 

「はじめまして、ここで斡旋してる仕事の仲介は殆どわたしがしているものなの。仲介屋の石動 静(いするぎ しずか)よ。薔薇の様に美しいってことで、ロゼッタって呼んでね。んー、貴方たちは小猫(シャオマオ)ちゃんと、小狼(シャオラン)くんってところかしら?」

 

 紫のドレスをきた長い金髪の二十代中盤と思われる女性、仲介屋のロゼッタは湊たちを見て楽しげに呼び名をつける。

 しかし、急に変な呼ばれ方をしたことで、ジュースを飲んでいたチドリが何を言っているんだコイツは、と呆れた目をしたことで、五代が苦笑いでフォローをいれた。

 

「あははは、えっと、彼女はね。相手の雰囲気や印象から、その人にアダ名を付けるのが趣味なんだ。特に気に入った相手には中国語でアダ名を付けるんだけどね。それと、ドレスを着ているのは彼女の趣味で、普通に日本の一般家庭に生まれた、イギリス人クォーターだよ」

「ふふっ、小猫ちゃんもドレスが似合いそうね。機会があったら、貴女に似合うドレスを選んであげるわ」

「……シャオマオってどういう意味?」

「中国語で子猫の事だよ。シャオランは小さい狼って書いて、狼の子どものこと」

 

 ロゼッタの話しよりも、自分に付けられたアダ名の意味に興味を持ったチドリが尋ねると、湊はコーヒーを飲みながら答えた。

 二人の態度で、自分の話を聞いてもらえていないと思ったロゼッタは拗ねたように、紅茶のカップに口をつけるが、五代ともう一人の女性は湊がスラスラと意味を説明したことに驚いていた。

 

「へぇ……オマエ、子どもの割に色々知ってるんだな。アタシはフリーの仕事屋、イリス・ダランベールだ」

 

 黒のジーンズに黄色のTシャツと薄手の半袖の上着というラフな格好をした、肩口で切り揃えられた茶髪の外国人女性、仕事屋のイリスは、席を立つと湊の隣に座り、チドリの髪と湊の瞳を観察するように眺める。

 それを見たロゼッタも湊らの元にやってきたので、湊もついでに挨拶をすることにした。

 

「俺は」

「ストップ! 名乗らなくて良い。アンタら訳ありなんだろ? だったら、簡単に名乗っちゃ駄目だ。桐条が相手だったら、些細な情報からでも見つかる可能性があるからね」

「確かにそうだね。幸い、ロゼッタが付けたアダ名があるから、僕らもそっちで呼ばせて貰うし。本当に信用出来る人間といるとき以外は、君らもそっちを名乗った方が良い」

 

 イリスが湊の言葉を遮ると、不思議そうにしている二人に、五代も頷いて裏稼業の人間としてアドバイスをした。

 確かに、桐条グループは“キャンディからミサイルまで”といったキャッチフレーズが似合いそうなほど、様々な分野に進出している世界有数の複合企業だ。

 尤も、軍事関係の仕事は先代当主の桐条鴻悦が進めていたもののため、当主が桐条武治に代わってからは、規模を段々と縮小させて最終的に手を引くようだが。

 それでも、その情報網は伊達ではなく。噂では個人所有の人工衛星で地上を監視しているとも言われている。

 追手がそんな相手ならば、足取りがばれる可能性は少しでも減らすべきであり、名前を簡単にばらすなど言語道断であった。

 そして、ロゼッタも親切心から、裏の人間として、訳ありの二人にアドバイスをする。

 

「チーム名があればさらに楽よ? あれば、小猫ちゃんと小狼くんって言わないで、何々の二人ってパッと聞いただけじゃ分からなくなるもの」

「……仮面舞踏会(バル・マスケ)よ」

「仮面舞踏会? それって何か意味があるのかしら?」

「多分ね。けど、ある人の受け売りだから、詳しくは知らない」

 

 チドリが言った仮面舞踏会とは、かつて飛騨が湊ら二人を呼ぶ名称として考えていたものだ。

 ペルソナと仮面をかけた名称なのだろうが、たった二人で舞踏会とはどうなのだと、当時はいまいちな評価だったが、自分で考えるのは面倒だと、チドリは飛騨の案を使うことにした。

 それを聞いたイリスが、隣に座っている湊の頭をガシガシと乱暴に撫でつつ、決まったばかりの名称を口にする。

 

「仮面舞踏会の小狼と小猫か。ま、頼みごとがあったら言いな。相応の報酬で色々と聞いてやるからさ。アタシは銃火器とかの扱いが得意なんだ。まぁ、狙撃に関してはジャンの方が上手いけどね」

「ジャン?」

「ああ、僕のことだよ。特に意味はないけど、いつの間にかそんな風に呼ばれるようになったんだ」

 

 乱暴に撫でられたせいで乱れた髪を直しながら湊が聞き返すと、五代がそういって湊のカップにコーヒーのお代わりを注ぐ。

 情報屋と言っておきながら、狙撃の腕前があるということは、元々は仕事屋の方でならしていた人物なのだろうかと、湊が探るような視線を向けるが、五代はにこやかに笑っているだけだった。

 そうして、何も読めないことで諦めたところで、ロゼッタが湊らに話しかけてくる。

 

「それで、小狼くんたちは家が欲しいのよね? 立地とかにこだわりが無いなら、わたしが持ってる仕事の中に一つあるけど?」

「おいおい、こんな小さな子どもに何を言ってるんだ」

「別に珍しくない仕事よ? マンションの大家からの依頼で、ヤクザを立ち退かせて欲しいってやつでね。ヤクザの事務所があるって聞いたら誰も入居したがらなくて困ってるんですって。報酬は現金か、その立ち退かせた部屋よ」

 

 五代の言葉も気にせず、ロゼッタは椅子から身を乗り出し、イリスの背中側から顔を出して湊の反応を見る。

 別にロゼッタだって真面目に湊らに仕事を斡旋しようとは思っていない。

 ただ、どこか擦れて見える湊を納得させるには、実際に説明して自分たちでは無理だと分からせた方が早いと判断したのだ。

 しかし、それがロゼッタの犯した過ちだった。

 

「……いいよ。それやる。仮の住まいでもないよりはマシだ」

「えっ、ちょっと、相手はヤクザよ? 貴方たちじゃ、立ち退かせることなんて」

「無理じゃない。住む場所が手に入るならやる」

「っ……」

 

 真剣な瞳で言い切られてしまうと、自分から仕事内容を説明したロゼッタは何も言い返せなくなる。

 途中でロゼッタの思惑を理解していた五代も、湊の様子を見て、どうするつもりだとロゼッタに責めるような視線を送った。

 そうして、一同の誰も言葉を発せずにいると、黙って湊を観察していたイリスが腰に手を回し、今度はそれを湊に向けた。

 

「イリスっ」

 

 五代が声をあげるのも当然で、その手には光の反射でくすんだ黒い輝きを放つ拳銃、コルト・ガバメントが握られ、銃口が湊の頭部に向けられていた。

 トリガーに指をかけた状態で、イリスは冷たい瞳を湊に向けて口を開く。

 

「……ガキの我儘で出来ることじゃないんだよ。こうやって銃を向けられたら、アンタらは何も出来ない。相手はヤクザだ。アタシらみたいな裏のプロよりはマシだが堅気じゃない。ガキなんて関係なく武器を使ってくるんだよ」

 

 言葉で分からないなら、現実を教えて分からせる。

 危険な方法だが、イリスを含め、ここにいる裏稼業の三人は、危険な世界に生きるからこそ、正常な感情も持ち合わせて二人の事を気遣っていた。

 

(こんな大人もいるのね……)

 

 研究所にいた研究員のように、世界の為を謳って子どもたちを犠牲にするような者とは違う。これが外の人間かと素直に感心してジュースを啜るチドリ。

 感覚が一般の子どもと違っているからこそ出来るマイペースな行動だが、さらに、湊は三人の予想を超えた行動を取った。

 

「っ!?」

 

 相手の警戒が不十分だと判断して、湊は自身の反射神経の限界速で相手の腕を掴み、そのまま銃口を自分の喉に突きつける。

 マフラー越しだが、しっかりと湊の喉に触れている感触を感じ、イリスが腕を引こうとするが、子どもとは思えない怪力を発揮する湊がそれを許さない。

 そして、

 

「……撃ってみろ。何も出来ないと思うんなら、撃ってみせろッ!!」

「っ、こんのぉぉぉ!!」

「駄目だっ、イリス!!」

 

 吼えた湊が両目とも蒼い瞳になった瞬間、イリスは危険を察知し、反射的に引き金を引こうとする。

 それを理解した五代が止めようとする間もなく、湊が相手の腕を捻りながら肘を蹴りあげ、銃を手から離させてから床に倒す。

 しかし、イリスもただ倒れるのではなく、咄嗟に片手をついて回転して着地すると、予備の銃を抜いて、椅子から飛び下りていた湊に向けた。

 

「なっ……」

 

 だが、湊の手には直前まで自分が持っていた銃の他、どこに持っていたのか不明な短機関銃が握られていた。

 これでは流石に勝てる筈もないと、敗北を認めるしかなく。深いため息を一つ吐くと、銃を仕舞って、両手をあげた。

 

「……キャリコM950ね。それ、本物か?」

「本物だよ。弾はもう入ってないけど」

「は? それじゃあ、アンタ、銃を持った人間にハッタリ仕掛けたのか? ったく、どこまで命知らずなんだか……」

 

 呆れたように言いながらも、イリスの表情は笑っていた。

 椅子に座り直す前に、湊から銃を返してもらい、それを受け取ってから、同じく座りなおした湊の頭を再び乱暴に撫でる。

 

「あーあ、こんな子どもにいい様にやられるとはね。アタシもそろそろ廃業かねぇ」

「フフッ、だったら二人の保護者にでもなってあげたら? さっき見た限りじゃ、小狼くんはかなり筋が良いみたいだし」

「バーカ、アタシといたらそれこそ危ないだろうが。それに、小狼。さっき見たときに気付いたけど、オマエ、銃を撃った事ないだろ?」

 

 ロゼッタの軽口を流しながら、イリスは湊の頭に手を置いたまま尋ねる。

 咄嗟の反応は子どもらしからぬレベルであったが、先ほどの銃を持つ手付きは、初心者丸出しのお粗末なものだった。

 勿論、それでも銃を撃つことは出来るため、先ほどは降参したが、銃の扱いに慣れていないと分かれば、まだ勝てる可能性はあると、特攻をかけてくる者もいる。

 そのため、ちゃんと確認しておこうと考えたのだが、イリスの読み通りに湊は素直に頷いた。

 

「なるほどねぇ、なんとなーく、アンタの素性が分かって来たよ。……ま、詮索するつもりはないけどね。ただ、仕事を受けるんなら、アンタが子どもなんて言い訳は利かない。失敗は全部、自分の責任だ。それでもやるってんなら、アタシはもう止めない」

「ちょっと、イリス。簡単にそんな事いうけど、わたしは」

「大丈夫だ。絶対とは言い切れないが、なんか隠し玉があるみたいだし。ただのチンピラ相手になら勝てるさ」

 

 実際に対峙してみて思った感想。簡単に人を褒めないイリスだからこそ、湊なら出来るとプロ目線で判断し、太鼓判を押したのだろう。

 そうなると、実戦は専門外のロゼッタでは反論できず、湊が受けると言っていたので紹介するしかない。

 仲介料が結構良かったので、受け手がいてくれるのは嬉しいが、こんな筈ではなかったのになと、少々落ち込みながらロゼッタは立ち上がり、先ほど自分が座っていた席から荷物を取ってくると紅茶代を払いながら要点を伝えた。

 

「はぁ……じゃあ、依頼人のところに案内するわ。店を出たら、もう仕事は始まってると思って、お互いを名前で呼んじゃ駄目。貴方は小狼で、貴女は小猫よ。気をつけてね?」

「わかった。マスター、会計はいくら?」

「いや、今日は良いよ。また仕事が終わってから、時間が出来たときにでも遊びにおいで」

「そう。じゃあ、また」

「……ご馳走様」

 

 それだけ言うと、湊とチドリは手を繋いでロゼッタの後ろに続いて店を出ていった。

 後に残った二人は、閉まった扉から二人の姿が見えなくなると、五代は煙草に火をつけ、イリスはコーヒーを飲みながら静かに話す。

 

「良い子だったな。お姫様に、その騎士さまって感じか。ロゼッタが何でネコとイヌじゃなくて、ネコとオオカミって付けたのか分かった気がするよ」

「確かにね。僕も結構色んな場所で仕事してたけど、あんな子は初めて見たよ。……気付いたかい? 彼、既に何人も人を殺しているね」

 

 肺にいれた煙草の煙を吐きだし、灰皿に灰を落としながら五代がいうと、イリスも苦笑で返す。

 

「そりゃ、あんだけ血の臭いをさせてれば気付くさ。髪も返り血で汚れたんだろうね。変な傷み方してたよ」

 

 湊が大量の血を浴びてから、既に一週間が経っている。

 だが、職業柄、血の臭いに敏感な二人は、一緒にいたチドリが気付かないような、湊の身体からごく僅かに香る血の臭いを感知していた。

 それをさらに、確信を得るため、イリスは撫でるフリをして湊の髪を触って確かめたのだが、彼女の行動の意味をやっと理解して、納得がいったと五代は明るい表情を作る。

 

「ああ、それで触っていたのか。君が子どもを可愛がっているのなんて珍しいと思っていたんだ」

「そもそも、ここに子どもなんて来た事ないだろ……。それに、自分でも柄じゃないって分かってるさ。けどまぁ、なんていうか。その、見ていると放っておけなくてね」

「言いたい事は分かるよ。小猫ちゃんには小狼君がいるから大丈夫だろうけど、小狼君にはって事だろう?」

 

 湊らが店に入って来た時点で三人が感じたこと。

 それは、チドリが湊がいることでリラックスし、逆に湊は常に周囲を警戒して気を張っていたということだ。

 初めは、慣れない雰囲気の店に緊張しているのかと思われたが、どこかピリピリとした気配を発している事で、仕事上そういったものに慣れている者たちは気付いた。

 こんな休日の真昼間でありながら、湊はまるで深夜の暗い山の中にいるのかというくらい、過剰に警戒していたのだ。

 その行動の理由は、二人が桐条の追手から逃げているということで理解できたが、あのままでは湊がいつか潰れてしまうだろう。

 知り合ったばかりだが、純粋に少女を守ろうとする少年を見て、イリスはそれはあまりに可哀想だと思った。

 

「……桐条ねぇ。ま、アタシも好きじゃないし。見るからに堅気じゃなければ、何人か片付けても良いんだが、追われてる理由が分からないことにはな」

「ん? さっき、小狼君の素性が分かって来たって言っていただろ?」

「ああ、多分、前に桐条が集めていた孤児だろうってくらいにはね。だが、それ以上は分からないよ。そもそも、なんで桐条が子どもを集めていたのかも知らないんだ。迂闊に飛び込めば全身大火傷さ」

 

 言ってみせて、イリスは五代と共におかしそうに笑う。

 それは去年の暮れの頃。ここ巌戸台港区近辺の孤児院から、何人もの子どもたちが桐条によって集められているという情報が入った。

 当然、情報屋である五代も話しは聞いていたし。少しくらいは調べようかと、感づかれない程度に動きもした。

 だが結局、集められていたのが百人程度で、その子たちは全員どこかへ連れて行かれたという事しか分からず。

 子どもたちの行き先を一番知っていそうな、孤児院の者に何か聞いていないかと調査しようとも思ったが、その孤児院自体が、桐条の出資の元でつくられたものであったため、嗅ぎまわっている事をばれないようにするには、調査は断念せざるを得なかった。

 窓の外を見ながら当時のことを思い出し、五代は湊たちが使った食器をシンクに置くと、洗い物をしながらイリスに話しをする。

 

「集められていた場所は、ニュースで話題になっている製薬会社で、小狼君のいうことが事実なら、あれは事故ではなく小狼君たちが逃げだす際に起こしたものだ。そして、被害者とされる職員の内、何人かは彼の手によって殺されたと。うん、言われなきゃ気付けなかったことが不思議なくらい、あの事故はおかしな点で溢れているね」

「だね。アタシも急に違和感を感じられるようになってきた。上空からの映像は見たか? 施設を真っ二つにするような深い傷跡がついていただろ。普通の爆発じゃあ、ああはならない」

 

 仮に施設の中央が爆発の中心だったとすれば、縦一線の傷跡がつくのはおかしい。

 放射状に広がるか、施設の構造によって歪に倒壊するか、普通の爆発事故であったらこの二択になるのが自然だ。

 しかし、そうはならなかった。

 

「ふむ……これは一種の暗示にかけられていたと見るべきかな? 人々がそれをおかしいと思わないように、記憶自体ではなく、認識の方に作用するような。しかし、小狼君たちは、それに対抗するだけの何かを持っていた。それにより、彼の言葉がトリガーとなって、僕らも通常の認識で事故の状態を把握できるようになった」

「これはかなり厄介だな。桐条の力を使うにしたって、日本中や世界の人間にまで暗示をかけるのは不可能だ。そういった物を専門としているヤツだっているんだし。全員を暗示状態に出来る訳がない。だけど、世間であの事故に違和感を感じて、それを公表している者がいない。インターネットも含めてね」

「ひょっとすると、僕らの知りえないところで何かが起こっているのかもしれないな。彼らはその切り札で、桐条もそれを理解して管理していた。となると、追手は口封じか、再び管理するために二人を追っているという訳か。……あんな良い子が人を殺してでも逃げようとするなんて、余程のことだろう」

「まぁ、その点に関しちゃ、小狼自体も謎だよ。アイツは間違いなく人を殺してる。それも全身に血の臭いが染み付くような人数をだ」

 

 イリスが飲み終えたコーヒーのカップを前に出し、五代がそれを受け取ってシンクに戻ってそれを洗う。

 その間に、イリスは元の席に置いていた鞄を持ってカウンター席に再び着くと、鞄の中から手帳を取り出し、ボールペンで何かを書きながら言葉を続けた。

 

「だけど、アイツはキャリコを持っていながら銃を撃った事が無いと言った。子どもを管理してたなら、その辺に銃を転がしてる筈がないから、あれはきっと奪った物なんだろう。だとすると、あいつは銃を持った人間を相手に、銃以外の方法で勝負を挑み勝利して、おまけに相手を殺せている」

「近接格闘で短機関銃を相手にする、か。僕だったらゾッとしないね」

「普通の人間なら誰だってそうさ。けど、小狼はそれをやってのけた。小猫を守るためなのか知らないけど、アイツは自分の命を簡単に棄てようとするみたいだ」

 

 先ほど、イリスの銃を己の喉元に突きつけて啖呵を切った湊を見ているだけに、逃げだす際にも、湊は同じように敵の銃に一歩も怯むことなく挑んだことが容易に想像できる。

 しかし、湊の簡単に命を棄てるような行動は、チドリを守るために自身を犠牲にするのとはまた違っているようにも見えた。

 

「……さっき小狼がアタシに啖呵切ったときさ。アンタは何も感じなかったか?」

「急に彼が動いて驚いていたからね。あんまり状況を把握できていなかったけど、君が腕を引いてもびくともしてなかったよね、彼」

「ああ、確かにあの身体であの怪力も驚きだが。あの一瞬、小狼の瞳が両方とも蒼くなったんだよ。金と蒼のオッドアイってのも驚きだけど、両目が揃ったときの、あの感じは普通じゃなかった。脳が全力で逃げろって命令して、全身の毛穴が開いて冷や汗が噴き出るかと思った。生き残るためには殺すしかないって本気で思ったくらいにね」

 

 口調こそ普段通りだが、イリスは何か書いていた手を止め、先ほど湊に掴まれていた場所を撫でる。

 そこには、湊の小さな手の痕が内出血という形で残っていた。

 肌の色が白いだけに、黒ずんだ紫色がかなり目立つ。

 

「……咄嗟の反応は及第点。いや、むしろ、アタシらの業界でも誰もあんな反応速度は出せない。だけど、それだけだ。奇襲ならやりようもあるだろうが、アイツは正面からは戦えない。あまりに動きに癖がなさすぎる」

「癖がないという事は、何の型も持ってない。つまり、身体が動きを覚えていない。全て思考制御で行動しているから、無意識に身体が反応することが出来ない……ってことかい? 今日は随分と喋るね。そんなに小狼君が心配かな? 大丈夫、君が認めたんだ。きっと無事に仕事をこなしてくるよ」

 

 洗い終わったものを布巾で拭きながら、棚へと片付けて五代は笑って言う。

 イリスも無事にそうなるように祈りながら、出会った二人の名を、手帳に記しておいたのだった。

 

 

 


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