影時間――路地裏
深夜零時になり世界が緑色に塗り潰される。文明の利器は全て止まり、人も虫も全ての生き物たちが自分の殻に閉じこもって世界が再び動き出すのを待つ。
だが、そんな時間にふと目覚める者がいた。Tシャツにジーンズというラフな格好をしていた男は、最初は意識がハッキリしていなかった様子だが、すぐに覚醒すると周りを見渡して異変に気づく。
「……は? なんだ、コレ……」
見れば男の周りにいくつもの黒い棺桶が並んでいた。自分の傍に円陣を組むように並ぶ四つの他、階段の辺りに寝そべっているものや、逆さになったドラム缶の上に立っているものもある。
少しウトウトして変な夢でも見ているのかと思ったが、ベタに頬を引っ張ってみても痛みを感じるだけで周囲に変化はなかった。
彼はいつものように世間からはみ出し者として扱われる友人らと一緒に遊んでいただけだ。
特に目的もなく集まり、夜中まで適当に喋ってから家に帰るという生産性のない毎日を送っていた。
昼前まで眠って、起きたら昼食を摂ってからバイト先のパチンコ店に行き、夜の十一時頃にあがってコンビニで夕食を買ってから他の者とここで合流する。
そんなありふれた毎日を送っていただけの男は、どうして自分がこんな質の悪いB級ホラーのような状況に置かれなければならないのかと頭を抱える。
いくつもの黒い棺桶に地面に点在する血溜まり、周囲に人の気配はなく遠くには怪しい緑色の光を放つ異形の塔まであった。
これが夢でなければ本格的に自分の頭がおかしくなったと認めるしかない。男が半分泣きそうになりながらそう考えていれば、駅前に通じる路地の方から音がして一体何だと思わず振り返った。
「だ、誰だよっ!?」
振り返った男の視線の先に立っていたのは男女数名からなる怪しい集団。
先頭を歩く上半身裸の男、その後ろに続くアタッシュケースを持つ眼鏡の男とダボッとしたパーカーを着た男、さらに後ろには男たちと違ってまともな服装をしたオカッパの少女と金髪の少女とハの字眉毛の少女が並んでいた。
こんな異様な空気の場所で平然としている者など普通ではない。先頭の男の見た目の時点でそれは思っていたが、尚更強く思ったことで男がこの場を離れようとすれば、男が逃げる前に上半身裸の男が口を開いた。
「どうもこんばんは。随分と驚いた様子ですが、ここは誰もが毎晩訪れている世界なのですよ。まぁ、実際に認識出来ているかは別の話ですが」
おかしな見た目の半裸男に急に話しかけられた男は思わず一歩下がる。
人は自分よりも感情的になっている者を見ると冷静になると言うが、逆に自分よりも冷静な者を見ると何故そんなにも平然としているんだと余計に感情的になってしまうものだ。
しかし、おかしな世界に半裸男は馴染んでいる。日常の世界ならば浮いている格好でも、こんな変な世界なら違和感もほとんどない。
そのせいか状況を理解出来ていない男もおかしなモノが増えたと思っただけで、余計に心が乱れるという事態は避ける事が出来た。
もっとも、このおかしな世界がどんな場所なのかは気になるため、男は声を裏返しながらも正面に立つ者たちへ言葉を返した。
「な、なんだよオマエら。ここはどこだよ!?」
「言ったところで分からんわ。それよりこれ見てみぃ」
男の質問に答えたのは半裸の男ではなくアタッシュケースを持った男だった。
自分の交友関係の中には関西弁がいなかったので不思議な感じはしたが、相手の見せてきた書類を受け取った男は一体何だと訝しみながら書類に目を通してゆく。
そこには男の住所、氏名、年齢、職業等々個人情報がしっかりと書かれている。
どこでこんな物を手に入れたのだと聞きたかったが、男が尋ねる前に関西弁の男が書類を回収してしまったのでタイミングを逃してしまう。
けれど、書類に目を通した男の動揺した表情を見て、関西弁の男は鼻で笑ってつまらなそうに言葉を続けた。
「どうやら合っとるみたいやな。お前を恨んどるやつから復讐を頼まれとんねや。ああ、誰からの依頼かは言わん約束やから聞くだけ無駄や。知ったところでなんも変わらんしな」
「ふ、ふざけんなよ! なんで俺がどこの誰とも分からねえやつにそんな事されなきゃなんないんだ!」
依頼人に情報は漏らさない。裏に限らず仕事をする者なら当然のことではあるが、命を狙われている方にすれば、一切自分の手を汚さず金で他人の命を奪おうとする卑怯者に文句を言いたかった。
しかし、復讐代行の男たちにそれを言っても意味は無い。これ以上の話は無駄だとばかりに半裸の男は淡々と返してくる。
「さぁ? 依頼人がどういった理由で貴方を恨んでいるのかは知りません。ですが、人は知らぬうちに他者を傷つけ恨みを買っているものです。そんな些細な事で……ということもざらですからね。運が悪かったと諦めてください」
そう言って半裸の男はベルトに差していた拳銃を抜いて構えた。
月の光を受けて怪しい輝きを見せる大型のリボルバーはどう見ても本物だ。普通の銃よりも明らかに大きく、その分威力が高いと考えれば当たっただけで死んでしまうだろう。
容易く命を奪える代物を見た男は自分が狙われている事もあって身体を震わせるが、こんな訳の分からない状態のまま大人しく死ねるかと吠える。
「ざっけんじゃねーぞ! こんなところで死んでたまるかぁ!」
自分はまだ死ねない。男は怪しい集団に背中を見せて駆け出す。
すると後ろで半裸の男が「素晴らしい」と笑ったようだが、命を狙われている男は殺し屋の事など気にしている余裕はなかった。
今も自分は狙われている。そして殺し屋に背中を見せている以上、手に持っていた得物でその背中を撃ってくるはずだ。
実際に銃社会で生きてきた経験はなくとも、映画や漫画の世界でそんなセオリーを知っていた男は半裸男たちの来た方向とは反対の狭い路地に逃げ込もうとする直前、急停止すると真横に向かって思い切り飛んで転がった。
――――ドゴォンッ
男が真横に飛んだ直後にそんな音が大気を震わせた。転がりながら自分のいた場所をチラリとみれば、暗闇に炎が走っていたことで弾丸が過ぎていった事を理解する。
やはりあのままいれば危険だった。頭でそう認識した瞬間に嫌な汗が全身を濡らすも、まだ安心は出来ないため男は立ち上がるとビルとビルの間の路地とも言えぬ隙間に入り込んで逃げた。
後ろから関西弁の男が大声で何か言っているのが聞こえていたが、必死に逃げようとしている男に細かく言葉を聞いている余裕はない。
今ここで再び銃で狙われれば逃げ場はないのだ。一秒でも早く隙間を抜けて逃げなければならない。男は擦れて服が破れるのも構わず駆け抜けた。
***
二発目の銃弾が撃たれるより先にビルの隙間を抜けた男は今も走っていた。
抜けると同時に真横に飛んだ事で第二射も避けられた訳だが、そんな事で安心していられる状況ではない。
入り組んだ路地でときどき方向を変えながらも大通りの方へ抜ける道を選んでゆく。
ここで一般人が犯しがちなミスが、相手から隠れようとしてどんどん狭い場所を目指すことだ。
それでは自分の逃げ場も減らすことになり、一対一ならまだしも路地と大通りの両方を探すだけの人数がいる集団相手には効果が無い。
相手が大勢いる場合はいっそ相手に姿が見つかってもいいから大通りに出るのだ。そして、そこから数本だけ細い路地にたまに逃げ込み、また大通りに戻ってというのを繰り返す。
大通りにいるのは常に逃げ込む場所を確保するためで、細い路地と大通りを行ったり来たりするのは攪乱と運が良ければ相手の人数が分散することを狙ってのこと。
こんな月明かりしかない時間ならば相手の視界も悪いので成功確率は高そうだが、男が大通りに出て走っていると、少ししてからパーカーを着た男が追いかけてきた。
相手に手には海賊が持ってそうな剣が握られており、逃げている男はここは日本だぞと文句を言いたくなったが半裸男が銃を持っていたので今更な話である。
「ヒャハハッ! 随分と逃げてンじゃねェか! どこまでいけるか楽しい鬼ごっこと行こうぜ!」
片手に剣を持って大声で喋っているパーカーの男は、何も持たずに腕を振って走っている男よりも速かった。
最初の不意打ちで稼いだ距離もほとんど残っておらず、このままでは追いつかれて剣で斬り殺される未来しか見えない。
銃で撃たれるのとどっちがマシだろうかと考えるが、文字通りどちらも死ぬほど痛いことに変わりはない。
まだまだ生きていたい男は諦めるなと自分を鼓舞し、どうやってか生き延びる方法はないかと周囲を見渡す。
すると、
「よ、よっしゃあ!」
進行方向に鍵のかかっていない自転車を見つけた。幸運なことにマウンテンバイクで、辿り着いた男は跨がるなり立ち漕ぎになって発進する。
「ンだそりゃ!? テメェ、卑怯な手ェ使ってンじゃねェぞ!」
いくらパーカーの男の足が速くても、下手をすれば素人でも原付以上の速度が出せる立ち漕ぎしたマウンテンバイクには追い付けないだろう。そう思って全力で漕いでみれば案の定パーカーの男は段々と小さな点になって視界から消えていった。
「……はぁ、マジでなんなんだよ」
全身にびっしょりと汗を掻いていた男は一先ず直近の危機を回避した事で深く息を吐く。
立ち漕ぎをやめてサドルに腰を落とし、座ったまま普通にペダルを漕いで疲れた頭でなんとか現状を把握しようと考える。
自分を狙っている敵の数は合計で六人。男女三人ずつで男たちは見た目からして変人としか思えないが、女の方は高校生くらいの見た目で中々上玉が揃っていたように思う。
一般的な男はどうせ殺されるなら変人の男たちより女の方が良いと思うのだろう。しかし、実際に狙われてみれば美人にだろうと殺されたくないというのが本音だった。
とはいえ、このまま遠くへ逃げたところで無事に済む可能性は低い。ならばと肉体と精神にかなりの疲労を感じている男はどこへどうやって逃げるかに考えをシフトさせる。
普通ならば警察に助けを求めるところだが、男は逃げている間に誰ともすれ違っていない事に気付いていた。
不気味な棺桶はいくつも見たが、生きた人間は追ってきている殺し屋たちしか見ていない。
となると警察に行ったところで誰もおらず、追いついてきた殺し屋たちに警察署で殺されるなんて哀しい事態にもなりかねない。
それならむしろ海側に逃げてしまおうかと考えたとき、ビュウ、と風を切る音が聞こえて辺りが急に暗くなった。
「随分と遠くまで逃げましたね。過去最高記録ではないでしょうか?」
何が起きたのか分からず混乱する男の耳に頭上からそんな声が届く。
一体何が起きたんだと自転車で走りながら上を見れば、男は唖然として自分の目を疑った。
そこにいたのは巨大な化け物。大蛇の尾のような異形の両足、蛇を編んだような不気味な翼、そんな身体のパーツを持ったくすんだ赤髪の黒い肌の巨人が空を飛んでいた。
近くの雑居ビルよりも巨大な化け物の腕には先ほどの怪しい集団が抱かれており、翼を羽ばたかせて進行方向に先回りすると、接近を嫌がり男がブレーキしたことを確認して集団がその腕から降りてきた。
「ったく、最期やいうのにしょうもない事しくさって」
「まぁ、命狙われれば普通は逃げると思うけどね。居場所が分かるから今回は無駄だったけど」
巨人の腕から降りてくるなり不機嫌な関西弁の男とオカッパの女が言葉を交わす。
怪しい集団は最初からずっと逃げた男の居場所を把握していたようで、GPSのような物を使ってここまで追ってきたのだろう。
今まさに光になって消えていった巨人がなにかという疑問はまだ残っているが、それよりも常に相手に自分の居場所がバレているという事実の方が衝撃で、ここまで逃げてきた男から逃げ出そうとする意欲を削いできた。
「よーく逃げたなクソ野郎! テメェの悪運には拍手を贈ってやりたいが、こっちも暇じゃねェからちゃっちゃと死ンでくれ!」
そして、背後からは先ほど撒いたパーカーの男まで追いついてきて、逃げていた男は前後から挟まれてしまう。
横にはまだ逃げるだけの空間が残っている。よって、相手が攻撃してくれば回避行動を取ること自体は可能だ。
けれど、咄嗟に避けたところでどうなる。先ほどの巨人が再び現われれば一般人でしかない男に身を守る手段はなく、巨大な腕で殴られるだけで容易く死ぬに違いない。
半裸男の拳銃か、それともパーカーの男の剣か、巨人に殴られずとも死ぬ方法はあるけれど、どれが一番マシか考えながら男は怪しい集団の次の動きに注意した。
巨人から降りてきた者たちは動いていない。となれば、次に襲ってくるのは追いついてきた背後の男だろう。
近付いてくる足音に意識を集中させ、自分までの距離をおおよそで測る。タイミングを逃せば斬りつけられて殺されることは確実なので、男はかつてない程の集中力を見せ、敵が攻撃してくるタイミングで自転車を捨てて横に飛ぶように回避した。
「うぉぉぉぉっ!!」
飛び込み地面の上を転がりながら避ければ、予想通りにパーカーの男が剣を振り抜いて元いた空間を斬りつけていた。
素人が咄嗟の回避行動を取れるとは思わなかったのか、空振ったパーカーの男は驚愕に目を開き、勢い余って運転者を失って倒れゆく自転車に突っ込んでいる。
また驚いたのは相手の仲間も同じで、またしても素人が攻撃を避けた事にはどうしても驚きを隠せないらしい。
だが、逃げていた男もこのままでは自分が殺される事は分かっている。攻撃を避け、相手が驚いている今がチャンスだと、地面を転がっていた男は受け身を取って立ち上がると、身体を反転させ自転車に足を取られていたパーカーの男に攻撃を繰り出した。
「はぁぁぁぁっ!!」
「舐めンな素人がっ!!」
男の大振りな拳はバック転でアクロバティックに後退した相手に容易く回避される。
体重移動も腕や腰の動きもバラバラ。喰らっても大したダメージはないと分かっているが、素人の攻撃を喰らうというのはプライドが許さないのだろう。パーカーの男は掠ってもやらないと距離を取ったのだ。
けれど、攻撃が届く前に回避されていた男は相手の行動をむしろありがたいと思っていた。何せ自分は素人なのだ。そんな人間の攻撃が簡単に当たる訳がない。
だからこそ、男は大振りな攻撃を仕掛けて敵が逃げてくれることを祈った。そう、地面に転がった自転車で追撃を仕掛けられるように。
「どりゃあっ!!」
「なっ!?」
攻撃を繰り出しながら自転車の許に戻った男は、相手が逃げたのを確認しながら、足下にあった自転車を全力で蹴り飛ばす。
わりかし最近の自転車であるためフレームは非常に軽い。全力で蹴れば浮き上がって飛ぶくらいには軽量で、咄嗟の回避行動を取っていたパーカーの男は次の動作までの僅かな隙を突かれて飛んできた自転車と衝突する。
いくら軽いと言っても固い金属製のフレームがぶつかってくれば当然痛い。それが不意打ちで腕くらいでしかガード出来ていなかったとなれば尚更だ。
ぶつかってきた自転車が落下したことで、ガードの腕を下げたパーカーの男の顔が痛みと怒りに歪んでいる事は確認出来た。
ならば、ここでさらに追撃だと男は拳を握り締めて、先ほどのようなお粗末な体運びではなく、あくまで喧嘩殺法ではあるが腰の入った拳を繰り出した。
「甘ェつってンだろうが三下ァ!!」
攻撃が繰り出されるのを黙って見ているほどパーカーの男も優しくはない。相手の左拳を自分の左手で側面から叩いて受け流し、空いた脇腹に向かって持っていたカットラスを振るい斬りつける。
「くっ……!?」
斬られると思った男は攻撃を流された際に勢いに身を任せ、わざと力の逃げた方向に自分も身体を入れることで直撃を回避する。
僅かに斬られた部位から赤い血が滲むものの、バッサリと切られて行動不能になるよりはマシだ。
切り付けが浅かったことでパーカーの男も忌々しそうに睨んでいるが、そう簡単に死んでたまるかと男も諦めずよろけた状態から踏みとどまり、振り返り様に回し蹴りを放つことで反撃も忘れない。
片手持ちの剣に注意しながらパーカーの男と近距離でやり合う際、仲間の半裸男から銃で撃たれないよう常に位置取りには注意する。
遠く離れた半裸男と己とパーカーの男が一直線になる状態。それさえ維持していれば貫通した弾丸が味方を傷つける可能性を理解している半裸男は撃てない。
敵の仲間から援護がないなら後は自分がこの死地を切り抜ければ良いだけ。そう自分に言い聞かせて男は相手の剣を側面から叩いて弾きつつ、足払いをしかけたり顎に向かって拳を突き出して防戦一方になることを防いだ。
「テメェ、三下がァ! チョロチョロとクソたるい攻撃ばっかしやがって! 面倒臭ェ、終わらせてやるよ!」
だが、いくら死に物狂いだろうと素人にいいように防がれて頭にきたのか、パーカーの男はキレて瞳孔の開いた瞳で男を見ながら吠えると、横一閃に剣を高速で振り抜いて男を後退させる。
その僅かな隙を作ることに成功すればパーカーの男も後退して距離を開け、再び男が挑んでくる前に腰から引き抜いた拳銃を自分の頭部に当てて引き金を引いた。
「こい、モーモス!」
男からすれば拳銃自殺にしか見えない行為だったが、パーカーの男が引き金を引いた直後に異形の存在が頭上に現われる。
赤いボロ布を身に纏い、その手に大鎌を持った骸骨のような化け物。パーカーの男がモーモスと呼んだそれは、現われるなり鎌を引きながら男に突進してきた。
このままでは目の前に来た瞬間に化け物は鎌を振って身体は両断される。頭よりも先に本能でそれを理解していた男は残された時間で必死に生き延びる方法を考えた。
敵の仲間がやり過ぎだと止めたりはしないだろうかと淡い希望を抱くが、ターゲットが自分たち相手にどこまで出来るか興味深そうに眺めていた半裸男以外は全員が関心すら持っていない様子だ。
これでは相手になんの希望も望めないとして、男はここまでかと深く溜息を吐くとモーモスに向けて右手をかざした。
「――――こい、レヴィアタン」
男がかざした手を握ると男を中心に赤い光と黒い欠片が回転を始める。そして、他の者たちが驚いている間に、光の中心からオーロラのような光沢を持った水色の鱗に覆われた海竜が現われ、モーモスに鼻先からぶつかってゆくと敵を近くのビルまで吹き飛ばした。
モーモスを吹き飛ばしたレヴィアタンは戻ってくるなり男を守るように自身の身体で召喚者を隠し、そんな様子を眺めていたパーカーの男は、自分の持つ力と同種の力を一般人が持っている事に驚いたのか警戒しながら様子を見ている。
それは半裸男たちも同様で相手が一般人ではないと理解し、眼鏡の男やオカッパの女がその手に拳銃を取っていつでも使えるよう構えた。
だが、半裸男たちの中でただ一人構えも見せていなかった金髪の少女が、そんな他の者たちの様子など知らないとばかりに走り出すとレヴィアタンに守られた男の許へ向かってゆく。
「あ、ダメだよマリア!」
咄嗟の行動に面食らったオカッパの女は金髪の少女を呼び戻そうとするが間に合わない。
相手は普段はぽやっとしているくせに身体能力は仲間内でトップクラスなのだ。男にも負けない身体能力の相手が急に走り出して止められるはずもなく、金髪の少女は十数メートルの距離を一気に駆け抜けてレヴィアタンの下を潜り抜けると男の許へ到着した。
「ミナト!」
男の許へ到着した少女は嬉しそうな笑顔を浮かべながら相手に抱きついた。
少女の言葉を聞いた他の者たちは何を言っているのか一瞬理解出来なかったが、レヴィアタンが消えてゆくとそこにはマリアに抱きつかれた湊だけがいて男の姿が消えていた。
「……は? ミナト、テメェどンなトリック使ったか知らねェがずっと化けてたのか?」
男が消えて湊が現われた。ということは男は最初から湊の変装だったのだろう。
骨格レベルの変装など聞いたこともないが、相手ならやりかねないと妙な信頼のある青年にカズキが尋ねれば、聞かれた本人は抱きついてきたマリアの頭を優しく撫でながら答えた。
「……ああ、最近他のやつに教えるために演技に凝っててな。迫真の演技だったろ?」
彼がアイドルと交友を持っていることはストレガのメンバーも知っている。別に羨ましいとは思わないものの、表舞台でも派手に動いて結果を残せる才能には純粋に驚嘆するほかない。
ただ、それで自分も演技が出来るよう練習する際の相手にされるのは困りものだった。
ストレガのメンバーは依頼を十全にこなせるよう下調べもしていたのだ。相手の予定を把握して今日ならやれると踏んで動いた。
しかし、蓋を開けてみるとターゲットは自分たちの知り合いが化けたもので本人ではなかった。いや、もしかすると本人の可能性もあるのだが、そうすると依頼自体が虚偽の内容で最初から青年が演技の練習のために釣っていたことになる。
今後の事を考えると無駄足を踏みたくないため前者であって欲しい。心の中でそう思いつつ近付いたタカヤは湊に尋ねた。
「今回の依頼は貴方が仕組んだものですか? それとも依頼内容を掴んでターゲットのフリをして割り込んだのでしょうか?」
「後者だ。マリアが今日は仕事だと教えてくれてな。お前らのターゲットはこいつだろ」
いいながら湊はマフラーに手を入れるとあるものを取り出してみせた。彼の手にあるのは呆然とした表情で固まるターゲットの頭部、湊が先ほどまで化けていた人物だった。
どうして青年がそんな相手の頭部を持っているかは不明だが、きっと演技練習のために化けると決めた時点で殺しておいたのだろう。湊に騙されたストレガが日を改めて殺しにいく手間を省くために。
「なるほど、先にターゲットを奪われていたのですね。まぁ、過程には拘りませんから依頼完了ということでいいでしょう」
「ったく、お前は他人様巻き込ンで遊ンでンじゃねェよ」
「お前らも逃げたターゲットの対処という意味で良い練習になったろ。一般人でも運が重なればあれくらいは可能だからな」
路地裏からここまで追うという余計な手間を掛けさせられ、中でも素人の喧嘩殺法だろうと戦闘を行なったカズキとしては無駄に疲れさすなと文句を言いたかった。
しかし、相手を騙していた本人は化けていた男の身体能力まで模倣していたので、最後のペルソナ召喚以外は素人でも出来ることだぞと忠告した。
いくら影時間でペルソナ使いの身体能力が上がろうと人外の動きは出来ない。となれば、関節の可動域などから逆算して対処は可能なのだ。
今回のカズキはまさにそれで攻めきれなかったため、自分にも反省すべき点があると理解しているカズキはばつが悪そうにしながらも反論はしなかった。
「さて、私たちはこれで帰りますが貴方はどうするのですか?」
「……俺は他に寄るところがある」
「そうですか。では、また機会があれば会いましょう。次は最初からちゃんと自分の姿でね」
タカヤとしては今回の遊びは中々に興味深くお気に召したらしい。けれど、仕事をこなすという点では、影時間の残りを気にしながらターゲットの処理を考える必要があって面倒でもあったようだ。
別に湊が相手の仕事のことを気遣う必要もないのだが、深く知らない相手に化ける練習としては今日のことで十分ではあった。それに付き合って貰った礼として相手の希望にある程度は沿ってもいい。
そう考えながらマリアを身体から離した湊は、ストレガのターゲットだった者の首をジンに投げ渡すと背を向ける。それが合図だったようにタカヤたちもスミレが呼び出したテュポーンの腕に抱かれると空を飛んで去って行った。