7月7日(火)
影時間――港区オフィス街
それはただ歩いていた。
世界から生き物たちの気配が消え、ただ化け物だけが跋扈する隠れた時間の中で、カチャリカチャリと金属同士がぶつかる音をたてながら。
二車線のセンターラインを踏みながら歩くそれの向かう先には、はぐれシャドウだろう皇帝“黄金蟲”が佇んでいた。
このままいけば二体はぶつかる。黄金蟲もやってきた相手が人間でないため気にせず背中を向けるが、歩いてきたそれは黄金蟲の許までゆくと右手に黒い影を纏わせハルバートを呼び出した。
呼び出した武器の全長は七メートルを軽く超える。持っている者が頭を抜いて四メートルを越す背丈なのだ。それならば武器の長大さも頷けるというもの。
くすんだ鉄色のハルバートを手に持ったそれは、黄金蟲の背後で武器を振り上げると真っ直ぐ鋭い剣筋で武器を振り下ろした。
いくら硬い甲殻を持っていようと翅同士が丁度ぶつかる繋ぎ目を狙われると脆い。構造上翅は広げられるようになっているので、僅かなずれもなく翅同士の触れ合う線を通った刃はほとんど抵抗もなく黄金蟲を切り裂いた。
身体の後ろ半分が斬られて潰れた黄金蟲は、傷口からまるで血を流すように黒い靄を漏れ出している。
このまま放置すれば五分もせずに影になって消えてゆくだろう。だが、黄金蟲を倒したそれは手のハルバートを消すと半分潰れた黄金蟲を持ち上げた。
持ち上げられた黄金蟲は死にかけとはいえまだ生きている。よって弱々しくも無事な前脚を動かして抵抗しているが、持ち上げた者は黄金蟲の傷口を頭部の載っていない首に近づけ、黄金蟲から流れ出る黒い靄を己の内に取り込み始める。
徐々に存在を失いつつある黄金蟲だったその靄を取り込む光景は、まるでシャドウの捕食行動のようだ。
いや、事実それは捕食行動なのかもしれない。人の心を食べると言われるシャドウだが、それらもある程度の知能があれば他の個体の吸収ではなく食事という形でエネルギーを補給出来る。
今回は補給する対象がシャドウなので吸収と同じ結果だが、だとしてもシャドウが食べるために他の存在を襲ったという事実は消えない。
力を全て吸収されたことで黄金蟲も消滅し、食事を終えたそれも再び歩き出す。
徘徊するそれに特定の目的などないが、己の進行を妨げるモノがあれば再び武器を手にするだろう。それがどんな相手であっても。
――巌戸台分寮・作戦室
大型シャドウの出現パターン等、色々と判明した事で事前に準備をして過ごしていると満月の日がやってきた。
作戦室には既に装備を整えたメンバーたちと幾月が集まっている。
ある程度の場所は分かっているのですぐに向かってもいいのだが、一応はこちらで場所を探っておこうと現在風花が索敵をしていた。
「……見つけました。やっぱり白河通りに現われたみたいです」
「フッ、これで九頭龍の予想が正しかったと証明されたな」
「ああ、今後はグループの方でも被害者の発見場所のデータを詳細に取っておくよう伝えよう」
風花の言葉で思わず笑みを浮かべた真田と美鶴が会話する。
他の者たちもそれを聞いて頷いているが、やはり事前に敵の現われる場所が判明していた方が作戦日当日も索敵してから現場に向かうまでの時間的ロスが少なく済む。
影時間はおよそ一時間しかないのだから、現場急行までの時間を減らせば減らす程戦いに余裕を持てるのだ。
七歌の発見によって余裕が出来たこともあり、皆の安全性が上がるのなら良かったと幾月もホッと安堵する。
「いやぁ、今回はこれまでより準備に時間もかけていたようだし、今までよりしっかりと対策を練って戦えそうだね。九頭龍君のおかげかな」
「ふふーん、特別賞与をくれてもいいんですよ!」
「ははっ、確かにそれくらいの成果だからね。今日の作戦が終わってからになるが期待してくれて構わないよ」
七歌たちは無償で危険な活動を行なっている訳ではない。危険手当と実績に応じた報酬を桐条グループから支払われている。
ただ、それも多いに越したことはないので、七歌はファルロスから聞いたのが切っ掛けであっても今回の発見の功績に応じたボーナスを強請ったという訳だ。
ボーナスの件を幾月が認めたことで七歌がガッツポーズし、それを他のメンバーが笑っていると一段落したところで順平がシャドウの話に戻るけどと言って風花に一つ尋ねた。
「風花、シャドウの反応が何体あるかも分かんのか?」
「うーん、今はちょっと一体しか見つからないです。反応が大きいから同じ場所に潜伏してる可能性もあるんだけど……あれ?」
ペルソナの中に入って目を閉じて探っていた風花だが、彼女は別に現場の光景がしっかりと見えている訳ではない。
探知型のペルソナ持ちにはそういったタイプもいて、風花自身もソナーのように状況を把握する自分の能力より精度はそちらが上だと思っている。
それでも変化する状況をリアルタイムで把握する事は出来るため、大きな反応なのか複数の反応が重なって大きく見えているのかは不明だが、白河通りの反応は動いていないと断言した。
他の者たちはそれを聞いて目的地が決まったと出発の準備を始める。だが、少し待って欲しいと敵の居場所を探っていた風花はそのままペルソナの中で何やら難しい表情をした。
「山岸、どうかしたのか?」
敵の居場所が判明しても出てこない風花に美鶴が声をかける。
時間は限られているので現場には出来るだけ早く向かいたいのだが、これまで美鶴もチームのバックアップを担当していたので、何か気になる反応でもあったのだろうかと尋ねたのだ。
声を掛けられた風花はそれに反応して顔を上げるとペルソナを解除し、立ち上がって他の者たちと目線の高さをほぼ同じにすると美鶴に返事をした。
「あ、はい。もう一体の反応が見つかったんですが、白河通りから場所が離れてるんです」
「なんだと?」
風花の言葉に全員が驚いた顔をする。
これまでの傾向から白河通りの反応を見つけるまでは七歌のデータ通りだったのだ。
それがまさか別の反応まであるとはどういう事だと思いつつ、離れた場所では対処が間に合わないのではと現実的な問題も発生し、すぐに出撃する訳にはいかないなと手に持った武器を置いて再び全員が話し合う。
「敵が二体という予測は正しかったが場所が離れているとは……」
「白河通りの大きい反応の方は動いていません。もう一体の街中にいる方は移動しているみたいですがどうしますか?」
問題は別々の場所で反応が確認された事だけではない。街中の方で反応が確認された事で敵が二体と判明したのはいいが、だとすると白河通りの反応が大過ぎるのだ。
反応が大きい理由として考えられるのは二つ。一つは相手がこれまでの大型シャドウよりも強大であること。もう一つは当初の予想通りに二体の大型シャドウが存在するパターンだ。
前者は前者で難しいが、これで後者だとすると大型シャドウが三体も現われてしまったという事になる。
先月よりも被害者の人数が少し増えた程度なので、三体でそれなら一体一体の強さはそれほどではないのかもしれない。
現場の状況が分からないためそんな風に美鶴が考えていると、同じように考え込んでいた七歌が考えてばかりもいられないので、「とりあえず」とリーダーとしての意見を先に口にした。
「先に言っておくと二手に分かれるのは反対です。大型シャドウ相手のそういった訓練はしていませんし、風花のバックアップも十全に出来ない可能性が高い。となると、個人的には動いていない方を先に倒して、残りの時間で移動している方を叩くべきかと」
「ふむ、確かにその方が確実か。ただ、時間内に倒せなかった場合どうなるのかが不明という点がな……」
美鶴としても確実性を考えると七歌の意見に近いことを考えていた。そのため七歌の決定には一切反対する気はないのだが、敵を討ち漏らした場合に被害者がどうなるかが気になると幾月に意見を求めた。
「大型シャドウを倒した後に被害者が無気力症から回復するケースが多数見られている。食べた心を吸収するまでに時間がかかるのかもしれないが、研究者としてはそちらのタイムリミットがどれだけあるかが問題だね」
「ちなみに、そのリミットを超えたら?」
「あくまでそう見られているだけだが、感情の起伏がなくなったりなどの後遺症が残るかもしれない。大型シャドウを倒したとしてもだ」
それを聞くとメンバーたちは途端に難しい表情になる。これまで少なからず自分たちの活動によって街の人々を守れてきたという自負があった。
しかし、ここでの決断とこれから向かう戦いの結果によっては自分たちの力不足で人々を助けられないかもしれないのだ。
別にそれで誰かが責める訳ではないだろうが、助けられる可能性があったという事実に自分で自分を責めることになるだろう。
幾月は悩む子どもたちに言葉を掛けようとするも何も出来ない自分が言っても気休めにもならないだろうと止め、彼女たちがどんな決断を下すのかを見守った。
そして、感覚的には数十分が経過したのではと思えるような沈黙が場に降りると、実際には一分経過したところでバッと顔をあげた七歌がそれを破った。
「……先に言った通り今から全力で白河通りの敵を撃破、残った時間で可能なら街中の方へ向かいます。ただ、最悪街中の方は捨てます。満月を過ぎた場合に大型シャドウがどうなるか分からないけど、明日も出るかもしれないし。そうじゃなくても次の満月にはまた出るだろうから、逃した場合はそっちで優先的に倒しましょう」
次回に持ち越すことになるが焦って一体も倒せない方がマズイ。故に、ここからは白河通りの方に集中して作戦に望む方針で行く。
街中の方を捨てると言ったときには真田が悔しそうな顔を見せたが、彼もこれから向かう敵の反応の大きさから簡単にはいかないと理解しているため反対はしなかった。
もっとも、被害者のためにも出来るなら街中の方も倒したいという気持ちが強いのだろう。方針を決めるとすぐに準備をして彼は下へと降りていった。それに続くように他の者たちも準備を整えると幾月に見送られて現場へと急行した。
――白河通り
「ここか、山岸」
「はい。反応はこのホテルの中、最上階から感じます」
寮を出た特別課外活動部のメンバーは現場に急行すると、反応があるというホテルの前にやってきていた。
看板にはフランス語で『シャン・ド・フルール』と書かれており、それは『お花畑』を意味している。
ここでどんな花が咲き乱れるのかは分からないが、そんな事は今はどうでもいいと薙刀を片手にホテル最上階の方を見ていた七歌が口を開いた。
「風花、ゆかり、変な意味じゃなく純粋に作戦の関係で聞くけど、ここを利用した事は?」
彼女が知りたいのは内部を正確に把握しているかどうかだ。全ての部屋を利用した事があるとは思わないが、いくつかでも知っているのなら部屋の配置や広さについて詳しく指示が貰える。
よって、以前の順平とは違って本当に作戦のために知りたいのだと訊けば、二人は恥ずかしそうに俯きながらも頷いて返した。
「じゃあ、バックアップは安心だね。ゆかりは風花の護衛、他の三人は私と一緒に突っ込むよ」
「……シンジがあっちに向かってくれていると良いんだがな」
「確かに荒垣も大型シャドウの襲来周期を知ったが難しいだろう。先月も大型シャドウに辿り着けていなかったし、山岸が伝えでもしないと敵の居場所も分からないはずだ」
準備運動をしながらリーダーの指示に頷いて返した真田が呟けば、美鶴も確かにそれならありがたいのだがと苦笑する。
彼一人で倒せるとは思わないが足止めだけでもしてくれているとありがたい。そう思って彼がもう一体の大型シャドウの方へ向かっていることを祈ったのだが、ここであることを思い付いた順平が閃いたという顔をして声をあげた。
「あ、なら風花から荒垣先輩に連絡すればいいんじゃねーの? あの人なら多分また路地裏とかにいるだろうし」
「え、あ、そうですね。見つかるか分からないけど連絡が出来るようならしてみます」
以前から知っているので荒垣の場所くらいなら時間をかければ探せる。そして、影時間の適性を持っている相手なので、この時間でも問題なく通信することが可能だろう。
けれど、風花は前線部隊のバックアップをしながら出来るかは分からないと歯切れの悪い返事をしつつ、それでも良いならと荒垣を探すことを了承した。
これから戦いに向かう者たちはたったそれだけの事でも悩みが晴れたのか、街中のシャドウへの迷いを吹っ切ってホテルに向かってゆく。
「よっし、じゃあ行くよ!」
『了解!』
武器を持った四人は風花とゆかりを入り口に残し、駆け足で中に入ると最上階の部屋を目指していった。
四人が中に入った時点で風花もペルソナを召喚して指示を送り出す。それが既に小さな戦いが始まっている証だが、戦闘中でないタイミングを見計らって隣に立っていたゆかりが風花に話しかけた。
「……風花、こっからでも連絡取れるって言ったよね? なら、探して欲しい人いるの。多分、街中で一番大きな反応だから広く探せば見つかると思う」
「えっと、荒垣先輩じゃなくて?」
「うん。荒垣先輩よりそっちの方が確実だと思うし」
こちらでの会話は中のメンバーには伝わっていない。最初にゆかりが内緒だというジェスチャーをしたことで、風花がバックアップのとき以外は意図的に音声を切っているからだが、荒垣以外に誰か味方がいるのだろうかと風花は首を傾げた。
他のメンバーに秘密という事は相手を知っているのはゆかりだけなのだろう。そして、知り合いだというのに味方ではない存在。
そんな事を考えて風花はある一人の存在に行き当たり、街中で一番大きな反応というのも確かにそうだと思えたことで、ゆかりも彼のことを知っていたのかと尋ねた。
「あの、もしかして、ゆかりちゃんが言ってるのって……」
「……風花も知ってたの?」
「その……うん。内緒にしてたけど閉じ込められた日に助けてくれて、しばらく考える時間が必要だろうって匿ってくれてたの。先月の満月にタルタロスにいたのは、ゆかりちゃんたちの動きを把握しててそれに合わせて送ってくれたからで」
風花はてっきり桐条側はこの時間における彼の事を知らないのだと思っていた。
けれど、ゆかりはしっかりと知っていて他の者にも黙っていたらしい。
ならば、強くは口止めされていないので、あの日のことも教えても構わないだろうと判断して自分が知っている理由を伝えた。
それを聞いたゆかりは以前彼が見せた反応の理由に合点がいったらしく、ならちゃんと教えておけよと呆れ混じりの深い溜息を吐いた。
「はぁ……だからお見舞いの連絡もしないで良いって言ってたのか」
「その、ゴメンね。秘密にしてて」
「ああ、大丈夫。有里君が秘密にしておけって言ってただけだろうし」
心配してくれていた友人に対し、風花が自分から秘密にしていたとは思えない。
なら、その裏にはあの青年がいたのだろうと簡単に想像がついたため、ゆかりは笑顔で気にしないでと返し、同じ青年を知る風花に彼への連絡を頼んだ。
「じゃあ、出来たらでいいから有里君に連絡してくれる?」
「うん、やってみるね」
――街中
それは街の中を進んでいた。どこで見つけたのかアメリカンバイクに跨がり、大して広くもない二車線の道路を一三〇キロで走行する。
完璧な速度超過だが違反を切る警察は現在黒い棺桶のオブジェになってお休み中だ。
故に、誰に止められることもなく影時間の生温い風を肩で切り、コーナーでは倒した車体と道路の間で火花を散らせていれば、最速の名を欲しいままにしている者を追ってくる影がやってきた。
グングンと後ろから距離を詰めてきたのは一台のバイク。先を走っているハーレーとは車種もタイプも異なるがサイズだけならためを張るVMAXだ。
その黒いVMAXに跨がるのは黒いコートに黒いフルフェイスを被った全身黒ずくめの男。
頭部がないというのにミラーで追跡者の存在を感知したシャドウは、追いつかれる事を嫌ったのはアクセルをさらに回すと加速してゆく。
「……生意気だな。贋物が」
バイクに乗ったシャドウを追ってやってきたVMAXの持ち主は、ハーレーの出す速度じゃないだろうと呆れつつ、速度が上がれば暴れてくるバイクを制御しているシャドウの腕を認めながらも存在は認めないと吐き捨てる。
直線ならまだしも停止している車という障害物やカーブのある街中では、普通の人間はハーレーで一三〇キロなど出そうとは思わない。
そんな事をすればすぐに制御しきれなくなって何かにぶつかるからだ。
しかし、人間には不可能でもシャドウならパワーもあるので人の限界の先を行くことが出来る。その結果が先をゆくバイクの走りという訳だが、徐々に差を詰めてゆく後続のバイクは前をいくシャドウの正体に気付いていた。
《前に見た複合シャドウと別タイプみたいだね》
「ああ、アルカナは皇帝だな」
バイクで走る青年の傍に霊体で現われた少年は、前にいるシャドウは大型シャドウではないと口にする。
それに頷いて返した青年もアルカナ自体が違うからなと言って、さらにアクセルを回して距離を詰めた。
今回、湊も最初は白河通りの方へ向かおうと思っていた。前回七歌たちにミスがあったので倒すことに失敗した際に尻拭いをしようと思っての判断だが、そこへ向かう途中でもう一つ大型シャドウクラスの反応を感知したことで、湊は特別課外活動部と別の反応の許へ向かったのだ。
結果的にそれは正解で、仮に七歌たちが来ていればバイクに乗ったシャドウに追いつくことも難しかっただろう。
速度が速度だけに先回りも厳しく、やはり同じ移動手段を持った湊が適任であることは間違いなかった。
《それでどうやって追いつくんだい? バイクをやめて空からもありだと思うけど》
一緒にいるファルロスはまずは追いつく必要があるねと言って、バイクで追いつく算段を青年に尋ねる。
彼の乗るバイクは怪物級のエンジンを積んだカスタム車なので、まだまだ限界の半分も速度を出してはいない。
よって、ここから全力でぶん回せば追いつくことは簡単に出来るはずだ。
しかし、相手はシャドウでシャドウが支配した場合、バイク本来の性能を無視したレベルの性能変化が生じる可能性も十分に考えられる。
ペルソナを使って空から追えば無駄に張り合うこともなく済むが、バイクを追うときは同じようにバイクで追う方が楽だったりするのだ。
そのため青年がどっちを選ぶのか答えを待っていれば、青年はギアを上げて加速することで答えた。
《おっと、これは予想外だ……》
さらに加速したことで敵の背中が近付いてきた。これなら追いつくまでにそう時間はかからないだろうとファルロスが安心した時だ。
なんと前を走るバイクに乗っていたシャドウがバイクごと黒い靄に覆われ、それが治まるとバイクの見た目に変化が生じていた。
基本的な部分は変わっていないが、前輪のあたりから前方に向けてドリル回転する二本の槍が突き出し、後輪も真横に向かって二十センチほどのトゲが突き出している。
突然の悪趣味極まりない改造には思わず呆れるが、前方にいる敵はただバイクが変化しただけでなく、なんと変化後はバイク自体の方からもシャドウ反応が出ているのだ。
これではまるで普通のバイクがシャドウになってしまったようだが、敵をアナライズしていた湊は何が起きたのか理解したようで、ファルロスに敵が何をしたのか説明した。
「……分かったぞファルロス。敵は自分の一部をシャドウに戻してバイクに融合させたんだ」
《シャドウに戻す? 取り込んでいた力をそんな風に切り離せるなんて知らなかったよ》
シャドウとは思えないほど器用な力の使い方にファルロスも舌を巻く。
相手はデスの劣化模造品とも言える、複数のシャドウを混ぜて作られた大型シャドウもどきだ。
それが自分の力を削ってでもマシンの強化を行なうなど、余程湊に走りで負けたくないのかもしれない。
強化されたシャドウバイクは一気に加速して詰められた距離を離しにくる。それに気付いた湊が合わせて加速することで両者譲らず街中での二〇〇キロオーバーのレースが始まった。
影時間で停止している車を避けながら二台のバイクが疾走する。ヒュウヒュウ、と流れる風が五月蝿いくらいに主張してくるが、そんな事を気にしていれば一瞬で過ぎ去ってゆく景色に自分も取り残されることになる。
そんな事は御免だと、現在追う形になっている湊は敵との距離をどのタイミングで詰めるかを考えつつ、冷静にマシンを制御して車体を地面すれすれまで倒してコーナーリングしながら敵の戦力を分析していた。
相手のメインは乗っている方のシャドウ。アルカナは皇帝で名前はリッター。
対してバイクに融合させるため切り離された方は、アルカナが戦車で名前はライダー。
普通は乗っている方がライダーではないのかとも思ったが、細かな部分などどうでもいいと湊はカーブでスピードのロスを極限まで減らして僅かに差を詰める。
すると、差を詰められたからかライダーの方がスキルを使ったのか光に包まれ加速した。一瞬なんのスキルを使ったんだと疑問に思ったが、よく考えれば単純に速度を上げられるスクカジャに違いない。
これはこれで面倒だなとは思ったが、スクカジャの加速で離れてしまった分だけアクセルを強めに回して湊は距離が開くことを防いだ。
「……あの突き出てる槍が地味に風を流す効果を生んでいるな」
五月蝿い風の音に、強くなる車体の振動、さらに避けることに失敗すればぺしゃんこになる危険なレースの最中だというのに、湊は敵を観察して相手が性能以上の走りを見せる理由を探っていた。
見ていると敵のバイクは最初よりも車体の振動が大人しくなっており、さらに詳しく見ればその理由が突き出た二本の槍が空気を上手く流して抵抗を減らしているからだと分かった。
空気の抵抗というのは馬鹿に出来ないもので、抵抗が強ければその分だけ前に進もうとするパワーを削られてることになり、自分が思っているレベルの加速が生まれなくなる。
その点で言えば上手く抵抗を減らしている敵の方が加速出来るのだが、純粋なエンジンのパワーなら負けないと湊は敵の真っ直ぐ後方につけて、スリップストリームも利用した加速でグングンと差を縮める。
シャドウバイクとなったマシンと搭乗者のシャドウの身体が大きいため、かなりの距離があっても湊はスリップストリームを生み出す空間に入り込むことが出来た。
おかげで段々と背中は近付いていき、残り八メートルという一般的な車間距離を無視した距離につけることが出来ている。
ここからどうやって敵を追い詰めて倒すかが重要なのだが、それを考えようとしていた湊の視線の先でリッターが手に黒い靄を纏わせるなりハルバートを出現させていた。
「何が狙いだ?」
高速のレースをしている最中にそんなバランスを崩しかねない物を持つなど、自殺志願するようなものだ。
それでも出したからには何かをするのだろうが、湊は敵がいつそのハルバートを使うのか警戒していたせいで、バイクのシャドウが不意打ちで仕掛けてきた攻撃への対処が遅れた。
「っ!?」
敵のバイクが光ったと思った次の瞬間に後方に向けて発射される火球。それらは全て湊がこれから通過する道路に着弾し爆発を起こした。
次の瞬間には湊はそこにバイクで突っ込み、ブレーキも間に合わずバイクごと吹き飛ばされる。
普通に生活していれば、時速二〇〇キロで走っていた状態で吹き飛ぶなど想像もつかないだろう。
それは湊も同じで、吹き飛び空中で回転している間はどの方向に空があるかなどと考えていた。
だが、そんな考えている時間もすぐに終わりが来て、湊は近くのビルの前に広がる植え込みに向かって落下し、そのまま勢いを殺せず転がりビルの壁に衝突する。
一般人ならばその時点で全身の至るところに骨折や裂傷を負って死んでいるところだが、湊の着ているコートは普段マフラーになっているマジックアイテムで、ロケットランチャーが直撃しても身を守れるほど衝撃を吸収する素材であった。
そのおかげで植え込みを転がってもほぼ無傷で済み、湊は落下の衝撃で割れたヘルメットのシールド越しに自分が吹き飛ばされてきた方向を見た。
「――――――――」
途端、視界を占める大型のバイク。
湊が吹き飛ばされたのと同じように、乗っていたバイクも爆発で同じ方向へと吹き飛んでいたのだ。
バイクが迫ってきていても、植え込みの中を転がってビルの壁に叩き付けられた直後の湊は動けず、そのまま衝撃が来るまでジッとバイクを見つめていた。
そして、一秒後にはバイクはまず湊の首の辺りに衝突し、衝撃を吸収するコートに守られていない首の骨を簡単にへし折った。ゴキリッ、となんとも嫌な音が響いたかと思えば、続けてバイクは頭部を下敷きにするようビルにぶつかって停止する。
壊れたまま倒れたバイクの下からは、土がすぐには吸収しきれないおびただしい量の血が広がってゆくが、青年の方に動きはなくピクリとも動かない。
何せ背骨が折れた時点で即死だったのだ。さらに頭部が超重量のバイクの下敷きになっていることもあり、これで何事もなかったかのように動けるはずがなかった。
バイクに融合したままスキルを放つという青年の予想外の攻撃をしかけたシャドウたちは、スキルを放った後も一切スピードを弛めず既に現場を去っている。
そうして、後には冷たくなった青年とその愛車だけが残されることとなった。