【完結】PERSONA3 Re;venger   作:清良 要

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第二百二十七話 後篇 七夕マッチ-異変の予兆-

影時間――EP社研究所

 

 満月の日、前線には出ないからとEP社の方で実験の手伝いをしていたラビリスは、突然巨大な気配を感じて急いで建物の外に出た。

 後からコロマルや簡易補整機の指輪を付けた研究員たちもやってくるが、外に出て空を見上げた全員が驚きのあまり声を失った。

 

「な、なんで……」

 

 彼女たちの目に映ったのは港区上空を覆う程巨大な何か。

 龍か蛇か、その顔を見ることは出来ないので判断に迷うが、実体を持った骨を半透明な爬虫類の身体で覆った何かが港区上空で蠢いていた。

 他の者たちはそれが何か分からない。ただ、港区と中央区の境界あたりにあるEP社にいても、その巨大な何かが放つ重力波を受けて身体が重かった。

 離れた場所にいてもこれほどの影響力があるのなら、直下の街にいる者たちの被害はどれほどになるか分からない。

 暴れれば被害規模がどうなるか不明だが、幸いなことに巨大な何かはずっと港区上空に対空したまま移動しておらず、現状はただ身体への負担が増す程度で済んでいた。

 ただ、かつて同じ物を見たことがあるただ一人の少女だけは、他の者とは違う感情でそれを見ていた。

 

「い、行かな。急いであれの真下に行かんとっ」

「は? ちょっと、ラビリスちゃんそれ本気?」

 

 急に何を言い出しているのかとシャロンが心配そうに少女を見つめる。

 それはそうだろう。シャドウやペルソナという超常の存在を研究するようになった者でも、上空にいる存在がそれらとは一線を画す化け物であることは一目で分かるのだ。

 ただ現れただけで重力波という影響が外界に出ている。近付くにつれ重力波の効果は強くなるに違いない。

 それだけでも危険なのだが、さらに化け物が何もしないとは限らないのだ。

 何重にも重なるようにうねりながらでも街を覆える程の巨体が落ちてくるだけで、二十三区の何割かは壊滅するだろう。

 ただの物理的な力だけでそれなら、他のペルソナやシャドウのようにスキルを放てば被害規模は想像もつかない。

 いくら戦う力を持っているといえど、子どもをそんな危険な存在のいる場所に行かせることは出来ないとシャロンが腕を掴めば、ラビリスはそれを振り払って泣きそうな顔で叫んだ。

 

「あれは湊君と繋がっとる神様の力なんよ! 前に封印が解けかかったときはもっとあやふやな状態やったのに、今は完全に骨格が具現化して身体まで具現化しかけとる。何があったんか分からんけど、あれが完全に出る前に止めんと湊君も街も無くなってまう!」

 

 ラビリスが上空のそれを見たのは去年の九月。ムーンライトブリッジで桐条への怒りが呼び水となり、湊が押さえ込もうとしても神の力が顕現しかけた。

 今回の出現は当時よりもさらに具現化が進んでおり、完全に肉体が構築されていないとしても湊の意識はほとんど残っていないと思われる。

 青年から聞いた説明では直前の感情を基に神への命令が下されるので、仮に彼が敵を滅ぼすと願っていれば神の力によって敵ごと街を消し飛ばしかねない。

 敵を倒すために街ごと破壊するならば分かるが、敵を倒す余波で街が破壊されるだなどと誰が思うだろうか。

 だが、遠く離れた場所にまで力の影響が出ている以上、見ている者はそれが現実に起こりうると嫌でも理解させられた。

 

「あーもう、なら斧を持って行きなさい! 普通に走るより背中に装備して飛んでった方が速いから! それに桐条の子たちにバレないよう幻惑機能も起動しておくこと。ワンちゃんはお留守番よ!」

 

 最悪のケースを考えれば全員で待避するのが正解だ。それを頭で理解していても、シャロンは全員が無事に済む可能性に賭けようと思ってしまった。

 生きることに不器用すぎる青年のことも気に入っているし、ここでの研究も軌道に乗って手放すには惜しいレベルになっている。

 なら、それらを失わないためには、危険だと分かっていても止められる可能性を持った少女を送り出すしかない。

 シャロンが急いで研究員らにラビリスの装備の準備を指示すると、こんなときになんの役にも立てない己の無力さを悔しく思っている彼女にラビリスは頭を下げて感謝した。

 

――ホテル“シャン・ド・フルール”

 

 ラビリスたちが異変に気付く数分前。大型シャドウの反応を見つけて白河通りまでやってきた七歌たちは、現場に突入した前線部隊の四人が最上階の部屋で敵と交戦していた。

 敵は背もたれが女性の姿をした椅子という変わったものに座った肥満男性型の大型シャドウ、法王“ハイエロファント”。

 それ一体ならば大した問題はないのだが、相手は子どもほどの大きさをした紙の人型のようなシャドウを二体従えており、肉弾戦を挑んでくる人型の方が地味に厄介だった。

 

「順平は赤い方、真田先輩は黒い方をお願い!」

『了解!』

 

 人型の身体にはそれぞれと赤い紋様と黒い紋様が描かれている。それで区別しながら男たちに相手をしてもらい、その間に美鶴と二人で本体を倒そうと七歌は考える。

 見た目は人型に切った紙にしか見えないというのに、そんななりでも中々に重い蹴りを放ってくるのだ。そういった相手には肉弾戦が得意な男子をぶつけた方が勝率も高い。

 相手の蹴りを大剣で受け止め押し返し、着地したところを順平が斬りつけてダメージを与える。

 真田の方は近距離で躱しながらジャブを着実に当てていっているので、やはり采配に間違いはなかったと確信しつつ、七歌はハイエロファントの攻撃の予兆を感知し召喚器を頭に当てるとペルソナを呼び出した。

 

「来て、タケミカヅチ!」

 

 七歌が皇帝“タケミカヅチ”を呼び出した直後、ハイエロファントが二人を狙って電撃を放ってきた。

 爆ぜた電気が天井や絨毯を焦がすが、七歌を庇うように前に出たタケミカヅチは持っていた銅剣で電撃を容易く切り伏せる。

 相手が電撃属性を使ってくるのに対し、タケミカヅチは同じく電撃属性を持っていて無効耐性も持っているのだ。

 これなら七歌のタケミカヅチが防いでさえいれば敵の魔法スキルは怖くない。

 

「ペンテシレア!」

 

 そして、敵の攻撃を防いだタイミングで七歌の後ろにいた美鶴が横に飛び出し、すかさずペンテシレアの氷で相手の座っている椅子を絨毯に縫い付けた。

 絨毯と一緒に凍ったせいで相手は動くことが出来ず、このチャンスを無駄にはしないと七歌はタケミカヅチにさらなる命令を送る。

 

「タケミカヅチ、月影!」

《ウオォォォォォォッ!!》

 

 月影は満月に近付くほど威力が上がるユニークな斬撃スキル。今日はその満月なので威力は最大になっており、動けない敵に向かって飛びかかると勢いを乗せて袈裟切りに斬りつけた。

 攻撃を喰らったことで吹き飛び床に倒れた敵は、肩から腰まで斜めに斬りつけられたことで出来た傷から黒い靄が漏れ出し、今の一撃でかなりのダメージを与えたことが窺える。

 これならあと少しで倒せるだろうと、七歌は順平と真田が余計な人型を抑えているうちに決めることにした。

 

「美鶴さん!」

「わかった!」

 

 二人で視線を交わすと同時に召喚器を頭に当てて引き金を引く。現われたのは以前も呼び出していたハイピクシーとペンテシレア。

 二体のペルソナは現われるとお互いに手をかざして冷気を放つ。それらは中間地点でぶつかり、一体で作るよりも早く大きく一つの氷槍を作り上げた。

 

『はぁぁぁぁぁっ!!』

 

 氷槍が完成すれば再び二人はシンクロした状態でペルソナにスキルを放たせる。

 すると、先ほどの月影を喰らったダメージで動きが鈍っていた敵は、完全に起き上がる前に氷槍を胸に受け、それが致命傷となったのか喰らった勢いで壁にぶつかるとその場で靄になって消えていった。

 完全な敵の消滅を確認し、順平たちと戦っていた人型も消えたことで一息吐いた七歌たちは、今回は準備していただけあって上手く戦えたと笑いあう。

 

「皆、よくやってくれた。山岸もチームとしては初の大型シャドウ戦だったが見事なバックアップだったぞ」

《ありがとうございます。皆さんもお疲れ様でした》

 

 それぞれが自分の役割を果たしたことで得た勝利だ。強くなっている実感と、自分も戦いの役に立てたという充足感がそれぞれの胸を満たす。

 けれど、今日の戦いはまだこれで終わりではないぞと、他の者よりも早く気持ちを切り替えた真田が部屋の入り口へと向かって歩き出した。

 

「よし。なら、すぐに街中の方へ向かうぞ」

「あー、確かにそうでしたね。オレっち的には少し休憩はさみたいけど、これもヒーローの辛いところってやつか」

 

 戦っている最中は忘れていたようだが、順平も真田の言葉で街中にいるもう一体の存在を思い出したらしく、疲れた顔をしながらもすぐに気持ちを切り替えて真田の後に続く。

 そんな彼の様子に七歌と美鶴は苦笑しつつも頼もしく感じていれば、ドアノブを掴んだ真田が怪訝な顔をして「開かないぞ」と呟いた。

 そして、その言葉に続くように風花の方からも通信が入ってくる。

 

《あれ? 待ってください。何故かまだ部屋の中にシャドウの反応が》

「なんだと?」

 

 扉が開かずシャドウの反応が部屋の中にある。それはつまり当初の予測通りにホテルの敵が二体いたということだ。

 しかし、その敵の居場所が分からない。全員が警戒しながら部屋の中を見渡していると、美鶴が僅かな違和感を覚えて鏡の方を見た。

 

「ん? この鏡は……」

 

 言われて全員が部屋の壁に掛かっていた大きな鏡を見た。正面にいる自分たちの姿を映していない鏡を。

 明らかにおかしいと気付いたときには遅く、次の瞬間、既にスキルを放てる状態になったハート型の大型シャドウが鏡から出てきた。

 ペルソナを召喚しようにも間に合わず、召喚器に手を伸ばしたところでシャドウはスキルを放とうとした。

 だが、

 

――――――ドクンッ

 

 そのとき全員が一瞬何が起きたのか分からなかった。

 敵はスキルを放とうとしていた。今まさにスキルを使って七歌たちに何かしらの攻撃をしようとしていたのだ。

 けれど、全身が総毛立つような悪寒を感じた事で、七歌たちだけでなくシャドウも動きを止めて攻撃は未遂に終わった。

 相手も動きを止めたということは今の悪寒の正体は目の前のシャドウではない。では、今のは一体何だと全員が混乱していれば、シャドウから一番遠い位置にいた順平が大剣を振り上げながら駆け出した。

 

「でりゃー!!」

 

 走って勢いをつけた順平は敵の数メートル手前で飛び上がる。そしてそのまま、七歌たちと同様に動きを止めていた大型シャドウを唐竹割りで斬りつけた。

 完全に無防備な状態で攻撃を喰らったからか、シャドウはハートの割れ目の部分から真っ二つになって床に落ちる。

 そんな状態で復活できるわけもなく、登場してから過去最速で退場してゆくこととなった。

 

「ナイス、順平!」

「ああ、咄嗟によくやってくれた」

「へへーん、って言いたいとこっスけど、なんか明らかおかしいぞ」

 

 全員が状況に混乱しているときすぐに行動を起こして対処した順平の功績は大きい。リーダーだった七歌だけでなく、美鶴と真田も己の失態を反省しつつ順平に礼を言うが、普段なら調子に乗る順平も何かおかしな事が起きていると警戒を解いていなかった。

 それは他の三人も同じように感じていて、先ほどの悪寒を感じてから妙に息苦しく思っていた。

 これがもしも街中の大型シャドウの影響なら、ここまで力の余波が及ぶ強敵ということになる。

 

「扉が開くようになった。一先ず山岸たちと合流しよう」

 

 状況を把握するために先に外の二人と合流しようと真田が駆け出せば、七歌たちも真剣な表情のまま後に続いた。

 

 

***

 

 七歌たちがホテルの入り口まで戻ってくると、外にいた風花とゆかりが地面に座り込んで上空を見ていた。

 そんな二人に何があったのかと聞こうとして近付けば、七歌たちはホテルから一歩外に出た途端身体が重く感じて膝をついてしまう。

 二人が座り込んでいたのはこれのせいかと気付き、続いて二人と同じ方向に視線を向ければ、そこには空を覆い尽くす何かがいた。

 

「は? え、ちょ、なんだよ……あれ……」

 

 順平の言葉は全員の気持ちを代弁していた。

 街の空を覆い尽くすほどの巨体を持つ生物などこの世に存在しない。大過ぎて顔も全長が分からず、下から見上げている七歌たちでは龍のように見えるという程度しか対象を認識出来ていなかった。

 もし仮にあれが街中の大型シャドウだったなら絶対に勝てない。挑む以前の問題で見ただけで戦いにならないとはっきり分かる。

 理性と本能の両方でそれを理解した七歌だったが、上空の存在が大型シャドウではなかったとしたらという可能性を考え、自分たちより先にそれを見ていた風花たちに声をかけた。

 

「風花、ゆかり、何があったのか教えて」

「私たちにも分かんないよ。なんか急に重力が強くなった感じがして、それで空を見たらあれがいたの」

 

 七歌は外にいたゆかりたちの方が状況を把握出来ていると思っていたが、外にいた二人でも急にあれが現われて重力が増したくらいしか把握出来ていないらしい。

 となると、何かが起きたのはこの辺りからでは見えない場所、かなりピンポイントな狭い範囲だと予想され、そこの近くにいなければあれが出現するに至った経緯も分からないだろうと結論づける。

 遙か上空にいる存在に干渉する手段は思い浮かばないが、これでは倒さなければならないとなっても戦うことも難しい。

 そう思っていれば、召喚器を手にした風花がアナライズをかけてみるとペルソナを呼び出した。

 あのサイズの存在にアナライズなど掛かるのだろうかという不安はある。ただ、何も読み取れなくても大きさだけでも把握出来ればと結果を待っていれば、ペルソナの中で目を閉じていた風花に異変が起こった。

 

「ああああああああぁぁぁぁぁぁぁっ!?」

 

 アナライズを仕掛けていた風花はペルソナを解除するなり頭を押さえて叫びだした。

 彼女はそのまま地面の上をのたうち回り、このままでは不味いと思った七歌が相手に飛びかかって首を絞める。

 風花の豹変に驚いていたゆかりは、七歌の行動でハッとして苦しそうにしている風花が目に入り七歌を止めようとする。

 

「七歌、あんた何やってんの!」

「五月蝿い邪魔すんな! 今すぐ意識を落とさないと風花は狂うぞ!」

 

 止めようとしたゆかりを怒鳴り声だけで制した七歌は、鬼気迫る表情で風花の首を絞め続けてそのまま相手の意識を落とした。

 気を失った直後に気道を確保して安定した呼吸を確認していたので、命に別状はないのだろうが先ほどの豹変も含めて風花に何があったのかが知りたい。

 そう思ったゆかりが七歌に尋ねようと口を開きかけたとき、今まで黙っていた美鶴が両足に力を入れて立ち上がった。

 

「明彦、伊織、どちらでもいい。山岸を辰巳記念病院まで運んでくれ。もう一人と岳羽で護衛しながらだ」

「お前はどうするんだ?」

「私はあれの下に行く。行かなくちゃいけないんだ」

 

 上空の存在を見つめる美鶴の瞳にはどこか哀しげな色が混じる。

 どうしてそんな瞳をして危険な場所に行こうとするのか分からず、美鶴からなんの指示も受けなかった七歌は、自分も一緒に来るよう言われていると理解し、先に彼女にあれがなんなのかを尋ねた。

 

「美鶴さん、あれが何か知ってるんですか?」

「詳しくは分からない。だが、あれはシャドウじゃない。ペルソナだ」

 

 それだけ答えた美鶴は重力が増しているにもかかわらず普段並みの速度で駆け出した。

 後を追う七歌は空を覆うほど巨大なペルソナを呼び出した者がいる事実が信じられず、美鶴の向かう先に行けばその人物にも出会う事になるのだろうかと僅かな不安を抱いていた。

 

――街中

 

 七歌たちがハイエロファントを倒した直後、バイクに頭部を下敷きにされていた湊に動きがあった。

 身体が僅かに光ったと思えば手が動いて片手でバイクをどけて立ち上がる。フレームの一部が歪んでしまったバイクは修理するまでまともに走れないだろうが、壊れたバイクをコートに仕舞って脱いだヘルメットと眼帯も同じように収納した湊の瞳は両方とも銀色になっていた。

 そして、ゆっくり一歩ずつ歩き始めると湊の身体は光に包まれ、服についた血の汚れが消えるだけでなく、胸部が膨らみ段々と背丈が低くなってゆく。

 鍛え上げられた筋肉の鎧を纏っていた肉体は、柔らかな印象の丸みを帯びたものとなり。顔の造りも浮き世離れした美麗さではあるが湊とは別のものになった。

 僅かな時間で骨格から顔の造りまで全てが変化すると、最後に青みを帯びた長髪の色が透き通るような金髪になったところで、湊だった者は女の声で言葉を発した。

 

「放逐されし者より漏れ出た汚泥如きが……よくも“私”を殺したな……」

 

 そう呟いた女の顔に浮かぶは憤怒の相。

 シャドウが去って行った方角とは別の方角を睨みながら足に力を籠めると、女は次の瞬間光の粒になって弾け、元いた場所から数キロ離れた別の場所に現われる。

 道路の真ん中に現われた女が振り返れば、湊とバイクで競っていたシャドウがまさにやってくるところだった。

 時速一六〇キロで大型バイクが接近してくるというのに、女は逃げもせずキッと鋭い視線でその敵を睨み、そのままシャドウに向けるよう正面に右手をかざした。

 

「……ただでは済まさんぞ」

 

 呟き掌が白く光る。たったそれだけで女の眼前には氷の世界が広がっていた。

 道路だけでなく周辺のビルも凍りつき、道路の上にはバイクごとシャドウを閉じ込めた氷山が出現している。

 中に閉じ込められたシャドウに動きはなく、そもそも、全身をがっちり氷に覆われた状態で厚さ数十メートルの氷に閉じ込められているのだから動けるはずもない。

 走って熱くなったエンジンでも解けない氷とはどれほどのものだろうか。

 ただ、本来ならばシャドウは氷漬けにされた時点でダメージ限界を超えて消滅してゆくのだが、女の氷に捕らえられたシャドウにはその気配が一切ない。それだけでこれが普通の氷ではないことを証明していた。

 

「貴様がどこより生じたかは知らぬ。だが、そこへ戻れるとは思わぬことだ。私は貴様らを殺すことが出来るのだからな」

 

 人から抜け出たのか、それとも心の世界から迷い出てきたのか。

 それは知らないがと言いながら女はゆっくりと両手を肩の高さまで上げ、氷の中のシャドウを睨みながら両掌を向かい合わせにして近づけてゆく。

 グググ……と間に風船でもあって割ろうとするような仕草だが、何もない空間でそんなことをしていれば、シャドウを閉じ込めていた氷が中央へと圧力をかけていた。

 閉じ込められているシャドウは当然それで潰されてゆくが、乗っている首無し鎧のシャドウより先にフレームが破損したらしいバイク型シャドウからは、黒い靄ではなく血のようにも見える黒い液体が漏れ出している。

 本来ならば黒い靄になって消えてゆくというのに、シャドウがダメージを受けて血を流すとはどういうことだろうか。

 専門家たちが見ればそんなことを思うのだろう。しかし、敵を殺そうとしている女にすれば、自分と近い存在を殺すことは容易かった。

 これが人から抜け出たシャドウなら持ち主は一生無気力症になるが、そんな事は関係ないと女がシャドウを文字通りこの世から消そうとしたとき、細い路地から女の立っている大通りに出てきた者がいた。

 

「っ……これはどういう状況かな?」

「氷に閉じ込められているのは街中に現われた大型シャドウか?」

 

 大通りに現われたのは顔に疲労の色が濃く出た七歌と美鶴だった。

 街の中心に向かうにつれ蛇神の重力波は強くなる。それは全身に重りを付けているのと同じだ。

 彼女たちはそんな状態で蛇神の真下を目指して走っていたのだから、大型シャドウ戦の疲れもあって今は疲労のピークといった感じだろう。

 しかし、それでも途中で見つけた異常な存在のことは無視出来ない。そう思って二人がゆっくり女と氷山の方へ近付いてくれば、シャドウを殺そうとしていた女は冷たい瞳のまま振り返った。

 

「何かと思えば惑星を食い潰す虫か」

「君がこれを」

「ちょっと待って美鶴さん」

 

 女まではまだ距離がある。けれど、相手が振り返ったことで美鶴が声をかけようとすれば、女に不穏なものを感じた七歌が前に出て美鶴の言葉を制した。

 人の形をしているから気付くのが遅れたが、七歌は相手が普通の人間ではないと気付いたのだ。

 十メートルも離れていないが相手は不思議と生物の持つ気配が感じられない。シャドウとも異なる独特な気配は本能で迂闊な行動を取ってはならないと理解させるに十分であった。

 とはいえ、目の前には人に見えるモノがいる以上、言葉を交わせるのなら何かしらの情報を得る必要がある。

 そう考えた七歌は瞳を魔眼に切り替えると、何かされてもすぐに回避出来るよう警戒しつつ声をかけた。

 

「ねえ、貴女は一体なに?」

「ほう、よく見れば小さき者か」

 

 七歌に訊かれた女は深紅の瞳を見て興味深そうに口元を歪める。その口ぶりからすると相手は魔眼を知っているようだが、九頭龍の異能は百鬼以上に秘密にされてきたため、女がそれをどこで知ったのかという疑問が残る。

 ただ、おかげで相手の剣呑な雰囲気が少し和らいだので、七歌は今は相手の素性を知ることが大切だと改めて質問を口にした。

 

「もう一回訊くね。貴女は一体なに? 人なの?」

「クククッ、随分と愉快な事を訊くな。ああ、“私”は確かに人間だ。私は“私”以上に人間らしい者を知らぬ」

 

 女の言葉を聞いた七歌たちは心の中で首を捻った。

 自分は自分以上に人間らしい者を知らないと、相手はそう言ったようなのだが言葉に違和感を覚えるのだ。

 彼女たちのその予感は当たっており、女は『私』という単語を二つの意味で利用している。ただ、耳には同じ音として届くので違いが分からないという訳だ。

 

「小さき者よ、お前は私を知らぬのだろう。であるならば理解しようとするな。知らぬのなら理解も出来まいて」

 

 そんな風に女の言葉の真相すら理解出来ていない七歌に、女は必死に理解しようとしても無理だと諦めるよう笑いかけた。

 言われた本人は馬鹿にされたような気分だろうが、これはこれで女なりの優しさだ。そもそも規格が違うのだから真に理解出来るはずもないのだから。

 だが、女が自分の知る者の末裔と楽しく話していると、その傍に立っていた余計なものが話しかけてきた。

 

「知っていれば答えてくれ。あの上空のペルソナを呼び出した者はどこにいる?」

「……本能のみで生きる虫らしい行動だな。まぁいい、不便なこの身に慣れる役には立つだろう。して、あれを呼び出した者は“私”だ。己が意思に関係なく私を呼べば出てしまうのだ」

 

 話しかけてきた美鶴に女は呆れた表情を向けつつも答える。自分なりに折り合いを付けて質問に答えてくれたらしいが、その言葉は中々に独特で理解できるようになるまで時間がかかりそうだ。

 もっとも、美鶴が一番知りたかった上空のペルソナを呼び出した者についての情報は得られた。それが彼女の求めていた答えとは違っていたとしても。

 

「待て、何を言っている。あれは、あのペルソナは君の物なのか?」

「やはり所詮は虫か。だからあれは“私”の物だと言っている。理解出来ないのなら訊くな」

 

 既に答えたことを何度も聞かれて女は不機嫌な顔をする。

 誰だって同じようなことを繰り返し聞かれれば、最終的にもう訊くなと怒ることだろう。

 まだ二度目でも今回の美鶴の態度は女にとってそれに該当したようだが、ここで美鶴が食い下がって余計にこじれる前に七歌は状況を把握しようと別の質問を口にした。

 

「あの大型シャドウはどういう状況?」

「あれは今から殺すところだ。汚泥如きが“私”を殺したからな。存在ごと殺してやろうとしていたところよ」

 

 女がそれを言い終わるかどうか。そのタイミングで何かが飛来すると、七歌たちの前から女を連れ去った。

 その場に残こされた七歌たちは一体何が起きたのかと目を白黒させているに違いない。

 一方で連れ去れた方は自分の首を掴んでいる華奢な腕を見つつ、続けてその視線を相手の顔のところで固定して思わず口元を歪めた。

 

「ハハッ、今日は随分と客が多いな」

「五月蝿い、その身体を返せっ!!」

 

 女の首を掴んだまま空を移動している者は、認識阻害の力を行使しているため黒い靄で全身が覆われて見えなくなっている。

 しかし、女はそんなものは無意味だとその奥にある相手の姿をしっかりと見ながら、自分の事を棚に上げておかしなことを言うものだと口の端を吊り上げた。

 

「儚き者よ。お前がそれを言うのか?」

「私とアイツは根っこの部分で繋がってる。正がアイツで負が私、お前とは違うっ」

 

 そう、今現在女を掴んでいるのは湊を心配してやってきたラビリスなのだが、その瞳は赤ではなく金色になっている。

 これはここに来るまでにラビリスからシャビリスへ人格が入れ替わっているという事だが、彼女を儚き者と独特な呼び方で呼ぶ女からすれば、シャビリスの話を訊いたことで余計に違いはないと思っていた。

 それを説明しようにも今の状態では話がしづらいので、女はシャビリスの腕を弾いて解放されると、十メートルほどの高さから一気に地上に降りて着地する。

 捕まえていた相手に逃げられたことでシャビリスも数メートル離れて止まったが、その目には怒りと憎悪が宿っていて今にも攻撃を仕掛けてきそうであった。

 そんな相手と向かい合う形で立った女は、知らぬのなら覚えていろと自分と湊の関係について語った。

 

「何が違うのか。私は“私”であり、“私”は私でもある。別の言葉で言い表すなら、男としての側面が“私”であり、女としての側面が私になっている。お前と何も違わないだろう?」

「五月蝿い! 返せ、返せ、返せぇぇぇぇぇっ!!」

 

 女の言うことなどまともに聞く気はない。そう言うかのようにシャビリスは戦斧を手に持つと、ブースターを噴かせたまま急加速で斬りかかってきた。

 他の者たちは女の服装がロングコート姿の湊のままでも気付いていなかったというのに、彼女は一目でそれに気付いて肉体を奪われたことも察したのだろう。

 なら、今の彼女の怒りは当然であり、大切な人の身体を返せと必死になるのも無理はない。

 そんなストレートな感情を向けられた女は斬りつけられる瞬間に光の粒になって弾け、相手の攻撃を回避するとシャビリスの八メートル後方辺りで肉体を湊の状態で再構築した。

 

「フフ、“私”も目を覚ましたし時間だな。汚泥を殺し忘れたが単に破壊するだけでもいいだろう。ではな儚き者。また会おう」

 

 言いながら女が湊の身体で拳を握ると、離れた場所で氷山が砕けた。中に捕らえられていたシャドウも黒い靄となって消え失せ、それらが終わったタイミングで湊の瞳の色が両目とも金色に戻った。

 湊の瞳の色が元通りになると上空にいた蛇神も消え、重力波がなくなり楽になったことで静かに歩いて近付いたシャビリスがどこか心配そうに青年に声をかける。

 

「アンタ、戻ったの?」

「ん、まぁな。俺が死んで意識が途切れたから、その間だけ彼女が身体を使ってたんだ。別に身体を乗っ取られたとかそういう話じゃないし、心配しなくていい」

 

 コートから取り出した眼帯を着け直す相手の言葉遣いから雰囲気まで、全てが自分の知る青年に戻った事でシャビリスは安堵の息を吐く。

 しかし、それはそれとして、先ほどまで湊の身体を使っていた存在のことが気になったため、相手のことを理解している青年に一体どういう存在なのかと尋ねた。

 

「……てかアイツだれよ?」

「誰って俺と魂レベルで融合して共存してる神だ。定形や性別の概念は持っていなかったが、融合したときに俺の女の部分の方がしっくり来たらしくその領域を使ってる。」

 

 湊は名切りの最高傑作として作られているため、肉体を構成する細胞だけでなく精神も両性であり中性となっている。

 それは男女どちらの優れた点も取り入れられるようにするためだが、湊は精神を男か中性の状態にして過ごしているので、女だけとしてはほとんど使わないからとその領域を異界の神に使わせていた。

 その結果が男の側面が湊で、女の側面が異界の神という現在の状態に落ち着いた訳なのだが、ラビリスの時ですら一切そういった話を聞いていなかったシャビリスは、本当になんともなくて良かったと安心して青年の前でポロポロと涙を溢してしまう。

 

「何故泣く?」

「うっさいバーカ! 死ね、ていうか死ぬな!」

「……どっちだよ」

 

 青年が死んだから一時的にでもあの女が出てきた訳で、そんな状態になられるのは嫌だからとシャビリスはすぐに発言を撤回した。

 しかし、そんな乙女心が分からない男は単なる気まぐれかと考え、すぐに別のことに意識を持っていってしまう。

 今日の満月に現われたアルカナシャドウがどうなったのか。特別課外活動部のメンバーたちはどこにいるのか。何やら怪しい動きを見せていたストレガは近くにいるのか。

 そういった様々なことに思考を使い始めた青年は、一つ一つ確認して問題がないことを把握すると、シャビリスの戦斧をコートに仕舞ってから彼女を抱き上げ、タナトスを呼び出すとコロマルの待っているEP社へと向かった。

 そして、人騒がせな神の一時的な顕現により様々な方面に影響を残しつつ、七夕の日の満月は静かに終わりを告げた。

 

 

 


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