【完結】PERSONA3 Re;venger   作:清良 要

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第二十三話 桔梗組

午後――巌戸台中央区

 

 ロゼッタに案内されて、湊たちはタクシーで巌戸台中央区にやってきた。

 同じ中央区にあるが、栗原の家からは離れているので、仮に桐条側の人間が既に栗原の家をマークしていても見つかることはないと思われる。

 そうして、十二階建てマンションの前でタクシーから降り、ロゼッタが代金を払って領収書を切ってもらっているのを無表情で眺めながら、湊はマンションの中を探知で探る。

 

(……十階の角部屋か。4LDKバルコニー付きとは豪勢だな)

 

 湊が両親と住んでいたのは普通の一軒家だった。

 なので、マンションの暮らしがどんなものかは知らないが、ファミリー向けは大体が3LDKなので、一部屋多くバルコニーまであるのは、十分に広いと感じた。

 そんな風に一人で考えていると、同じように探知をしていたらしいチドリが隣に並び声をかけてくる。

 

「……六人ね」

「今は、だよ。外に出てるやつがいる可能性を頭の隅に置いておいた方が良い」

 

 静かな声で湊が返すと、チドリも頷いて湊の手をギュッと握った。

 一見落ち着いているように見えるが、チドリは訓練以外で人間と戦ったことはない。

 いまは影時間外なので身体能力は強化されておらず、一般人を相手にペルソナを出すわけにもいかない。

 そんな状態で、研究員に銃を向けられたときは、湊に抱きしめられ目を閉じていただけだったチドリが、実際に死線を越えてきた湊と同じように振る舞えるはずがないのだ。

 けれど、傍から見ていたロゼッタは二人の会話に気になる点があったらしく、集中している様子の二人に構わず声をかけた。

 

「ちょ、ちょっと、貴方たちここからでも相手の居場所が分かるの?」

「……普通とは違った情報網を持ってるだけだ。それより、早く案内を」

「え、ええ、わかったわ。エントランス横の管理室に依頼人がいるの」

 

 フェルメールでのイリスとのやり取りを見てから、ロゼッタはどこか湊に苦手意識を持ったようで、顔を強張らせ行き先を指差しながらチドリの横に並んだ。

 それを確認した湊がエントランスに向かって歩き出すと、ロゼッタはチドリの耳元で小さく呟く。

 

「小猫ちゃん。お姉さんに、あとでどうやったかこっそり教えてね?」

「……女の勘よ」

「そ、そう。わたしも一応、女なんだけど。それはちょっと使えないかなぁ」

 

 無口で無愛想だが、明らかに普通ではない湊よりは付き合いやすいと思い、チドリに尋ねたのだが、ロゼッタはあえなく撃沈する。

 

(ていうか、小狼君は男の子だし……まぁ、いいか)

 

 しかし、綺麗な緋色の髪が気に入ったので、今後も諦めず交友関係を築いていこうと、決心しながら依頼人の待つ管理人室へと向かうことにした。

 

――管理人室

 

 管理人室はエントランスと隣接しており、依頼の詳細を聞きに来たと伝えると、中にある座敷に通された。

 ドレスを着た女と子ども二人という、どうみてもプロではない組み合わせに、白髪混じりの髪を短く刈りあげた初老の管理人も不審げな視線を送っていたが、引き受ける者に詳細な情報を渡すための調査に来たのだろうと思ったのか、緑茶を準備して話し始めた。

 

「えー、前にお願いした通り、依頼はヤクザを立ち退かせて欲しいというものです。ここの十階の一番奥に住んでるんですが、よく組員が出入りしているので、入居者がきても直ぐに引っ越してしまうんですよ。おかげで買い手がつかず、困っていまして」

「なるほど……。その人たちが、どこの人間かは分かっているんですか?」

「ええ、桔梗組です。隣の六徳(りっとく)市に本部があるでしょう。偉い人がくることはありませんが、ここにいる連中はよく出かけて行ってるみたいです」

 

 管理人の言った六徳市とは、ここ巌戸台中央区よりもさらに内陸部に行った山側にある市で、巌戸台と比べると随分と田舎な場所である。

 そこに本部を構えているのが、桔梗組という極道一家で、広範囲に組員がいる訳ではないが、歴史もある分そっちの筋ではかなり影響力のある者たちだ。

 隣接しているだけに、巌戸台の方にも何軒か事務所を構えており、ばれない程度に違法なことにも手を染めていると噂されている。

 

「んー……桔梗組はちょっと厄介ね。本部が近いし、横の繋がりもあるから、ここに住んでる下っ端を片付けて、ハイ終わりって訳にはいきそうにないわ」

「じゃあ、本部で直接交渉すればいい」

「解決するにはそれが一番早いけど、それだけに難しいのよ。完全にアウェーだし、存在が違法でも、向こうはただ住んでるだけで違法なことはしていないの。だから、交渉しようにも追い出せる正統な理由がないわ」

 

 湊が意見を出してきたが、ロゼッタは困り顔でそれを実現不可能だという。

 立ち退かせることが出来ても、後でまた来られては困る。そういった憂いを全て断つには、確かに湊が言ったように、大元に話しをつければ解決するだろう。

 しかし、相手はヤクザだ。銃や刃物を持っていることは十分に考えられるため、話し合いが始まる前に、勝手な申し出をしてきた湊をどうにかしようとするかもしれない。

 歳不相応な雰囲気と、店での動きから、ロゼッタは湊を普通の子どもではないと思っていただけに、少々短絡的過ぎるとも思える発言を聞いて、相手はこういった仕事に対する適性は低いかもしれないと評価を改め始めていた。

 だが、いまの説明を聞いても納得していないのか、再び湊が口を開く。

 

「……本部の正確な場所は?」

「あぁ? あー、だいたいの場所は噂で聞いてるが……あの、この子どもは関係あるんですか?」

 

 湊がジッと目を合わせて尋ねてきたことで、困惑しつつ管理人がロゼッタに尋ねる。

 本来ならば、あまり表沙汰に出来ない依頼だ。

 管理人がこんな依頼を出しているとヤクザの方にばれれば、それを聞いた子どもにも何かしらの被害が広がる可能性がある。

 そう思って、関係ないのであれば、表で待っていた方が良いのではと判断を仰いだのだが、尋ねられたロゼッタも苦笑いで返した。

 

「あ、あはは……あの、実は依頼を受けるのはこの子たちなんです。見た目というか、実年齢も子どもだと思うんですが、実力の方はたぶん問題ないと思うので……」

「はぁっ!? こ、こんな子どもがヤクザの相手なんて出来るはずないでしょう! こっちもちゃんと高い金を払って仲介と依頼を頼んどるんだ。いくら受ける人間がいなかったからって適当な事して貰ったら困るよ!」

 

 語気を荒げてテーブルに強く手をつき立ち上がる管理人。これにはロゼッタも上手く言い返す事が出来ず、申し訳なさそうに若干引き攣った笑いを返すしかない。

 確かに、仲介料一つとっても、裏の人間への依頼はかなり高額になる。今回、ロゼッタが得た報酬は前払いで十万、依頼が達成されればさらに四十万が支払われる。

 だというのに、仲介人が連れてきたのは、目と髪の色が普通とは違うただの子ども二人。

 これでは困っている人間の弱みに付け込んだ詐欺にしか思えなかった。

 

「――――いいから、さっさと本部の場所言えよ」

「なっ!?」

 

 だが、両の瞳を蒼くした湊は、管理人の意見など一切聞くつもりはないと、研究所で職員たちから奪った対シャドウ銃に改造されたベレッタM92を両手に持ち、銃口を管理人の頭と胸にそれぞれ向ける。

 これには、黙ってお茶を飲んで話しを聞いていたチドリも驚いて目を見開き。ロゼッタも焦りからじんわり汗を滲ませながら、腰を浮かせて湊に銃を下ろすよう説得する。

 

「しゃ、小狼君、銃を下ろしてっ。この人は依頼人なのよ!?」

「関係ない。俺は依頼を聞きに来て、それに必要な情報を話すように言った。それを拒むようなら、こいつは依頼の解決を望んでないってことだ。俺はそんな冷やかしに付き合ってる時間はない」

「き、桔梗組の本部の場所はわたしが知ってるから教えるわ。依頼人さんは正確な場所までは知らないみたいだけど、わたしなら教えられるから、ね? その銃を下ろして頂戴」

「…………ハァ」

 

 少し間を置いて短く嘆息すると、湊は渋々といった様子で銃をマフラーにしまった。

 向けられた銃口がようやく外されたことで安心したのか、管理人も肩で息をしながら身体を小さく震わせ、腰を抜かし畳に尻餅をつく。

 そんな両者の様子を見ながら、ロゼッタは湊に仕事を回した事を激しく後悔していた。

 

(こんな幼い年齢で、出会ったばかりの依頼人にこんな真似をするなんて前代未聞よ。それに、あの目はなんなの? オッドアイかと思ったら両目とも蒼くなったり、かと思えば左目だけ金色に戻った。いまもだけど、あの両目が蒼くなったときの雰囲気は普通じゃないわ……)

 

 そうして、依頼人が落ち着くのを待ってから、ロゼッタは湊に桔梗組の本部の場所を教えると、管理人室を出て、自分たちだけで向かうという湊の言葉に従い別れて店に戻っていった。

 

夜――六徳市・桔梗組本部

 

 夜になるまで、百貨店やショッピングモールという人が大勢いる場所にいた湊とチドリ。

 栗原が買って来てくれた物以外にも、必要になりそうなものを買って全てマフラーの中にしまっておいた。

 夕食も早めに外食で済ませ、夏で遅くなっている日の入りを待つと、建物の屋上からタナトスを使って高高度で飛び、そのまま目的地である桔梗組本部の門の前までやってきたのである。

 かなり田舎の方にあるため、周りには田んぼや畑ばかりで、他に何もないと思ったが、桔梗組の本部がある場所はなんとちょっとした山の頂上だった。

 雰囲気的に、寺や神社の建て方に近いそこは、石段を上り山門に着くだけで数分かかりそうだった。

 

「山の頂上にあるし、大きい家ね。これってまわりに何もないから目立つようにってこと?」

「それもあるけど、舐められないようにってのが大きいと思う。本部って言っておきながら、普通の庶民的な一軒家じゃ貫録も何も感じられないし。そういうのって重要だろ?」

 

 上空から降りてくるときに、敷地内の様子を見ていたチドリが尋ねると、湊はEデヴァイスのゲートを開いてメッチーを呼び出しながら答える。

 現れたメッチーは嬉しそうに鳴いているが、何のために呼んだのだろうかとチドリが不思議に思っていると、湊は抱き上げたメッチーをチドリに渡した。

 それほど重くないので、持っていろというのならば持っているが、一言くらい説明が欲しい。

 視線にそのような気持ちを含んでジッと見ていると、湊が口を開く。

 

「……メッチーはぬいぐるみのフリしておいて。いざってときは普通に雷で攻撃してくれて良い。それまでは子どもが変なことを頼みにきたって風に装うことにするから、ちゃんとチドリを守ってくれ」

《メッチ!》

「うん、ありがとう」

 

 任せろと言わんばかりに短い手をギュッとさせ、やる気を表すメッチー。

 そんな相手に礼を返し、湊はそのまま門のところまで行き呼び鈴を鳴らした。

 見ているチドリは、真正面から行って大丈夫なのかと少々不安になるが、標準的な『ピンポーン』という音の後、少し待っていると若い女性の声が聞こえてきた。

 

《はーい、どなたですか?》

「夜分にお訪ねして済みません。ある住宅地で、お宅の組員の方たちが出入りするため、マンション等で部屋の買い手がつかないと相談を受けてやってきました。普通に住んでいるだけのそちらに非がないのは分かりますが、双方の主張を聞かぬことには十分な判断が出来ないため、少々お話をさせていただきたいのですが、御時間宜しいでしょうか?」

《え? えーっと……ちょっと待っててくださいね?》

 

 女性がそういうと、ブツッと音がして通話が切れる。

 声の調子からすると、話の内容だけでなく、カメラで見えている相手の姿が子どもにしか見えず、その子どもが歳不相応な受け答えをしていることにも戸惑っているようだった。

 湊に言われてぬいぐるみのフリをしてジッとしているメッチーを両手で抱きながら、よくもまぁ口が上手くまわるものだと、チドリも感心して見ていると、正面の大きな扉ではなく、自分たちから見て左側にある小さな門扉が僅かに開いた。

 そちらに視線を向けると、先ほどの声の主と思われる、二十代中盤になるかどうかという見た目の女性がぴょこんと顔を出している。

 初めはそのままキョロキョロと辺りを伺っているようだったが、湊たちしかいないことが分かると、女性は大きく門扉を開いて手招きで二人を呼んだ。

 

「こんばんは。えと、話し合いってあなた達だけで来たの?」

「依頼を受けたのが俺で、この子は付き添い。仲介屋は街の方で別れた」

 

 現れた女性は、艶のある黒髪を肩甲骨辺りまで伸ばし、藤色の着物をきた、仕草の端々に育ちの良さが伺える大和撫子然とした人物だった。

 湊の言葉を聞いた相手は、いまいち信じられていないようだったが、ふざけているとも思えなかったのか、湊達を中に招くとカランコロンと下駄の音をさせながら本宅と思われる場所へと向かって行く。

 

「ああ、自己紹介しておくね。わたしは鵜飼 桜(うかい さくら)。フフッ、ヤクザの組長の一人娘やってます」

「……小狼」

「小猫って名乗れって言われた。面倒だから適当に呼んで良い」

「二人とも偽名なんだぁ。本当のお名前を聞けないのは残念だけど、お仕事ってあんまり大きな声で言えない種類のだよね? だったら、しょうがないかな」

 

 二人が偽名を名乗ったことに、桜はくすくすと穏やかに笑って納得している。

 ヤクザと聞いていたのだが、組長の娘である相手があまりに想像していたヤクザのイメージとかけ離れており、二人は僅かに面食らう。

 だが、案内される先の建物には何人もの気配があり、さらに広範囲に探知をかけると、日本刀や拳銃といった武器の存在も確認したので、湊は普通の視界をしている左目で桜の背中をジッと見つめた。

 そして、本宅に着くと、引き戸を開けて中に入る。

 先にあがった桜がスリッパを用意するが、湊はもしものときの事を考えて、ブーツだった無の鎧をアンクレットに変化させてからスリッパを履いた。

 

「そうそう、お話しだけど、わたしは組のことは何も分からないの。おまえは堅気で暮らしとけーってお父さんに言われて、三月までは大学院に行ってたしね」

「学校やめたの?」

「ううん、ちゃんと卒業したのよ。これでも小中学校の教員免許と臨床心理士の資格取ったんだから。まぁ、身体が弱くて、お仕事は出来ないんだけどね」

 

 チドリが聞き返すと、桜は最後に自嘲気味な笑みを浮かべて答えた。

 確かに、暗い外では気付かなかったが、明るい室内で見てみれば、とても肌の色が白いことが分かる。

 髪は黒いが、瞳がやや赤茶色をしていることから、アルビノではないが、かなり色素が薄いのだろうと湊は推測した。

 しかし、桜の方も、明るい場所で湊たちの姿を見たことで髪や目の色が普通と違っていることに気付いたのか、廊下を進みながら声をかけてきた。

 

「小狼君と小猫ちゃんも珍しい髪と眼の色してるんだね。染めたりコンタクトじゃないよね?」

「最近この色になった。染めた訳じゃないけど」

「そうなんだ。とっても綺麗で良いね」

 

 にこにこと楽しそうに笑いながらチドリの髪を褒め、歩き続けると、桜はある部屋の前で止まり、丁寧な手つきで障子を開けた。

 中には何人もの男たちがおり、桜がやってきたことに気付くと、口々に挨拶をしている。

 

「桜さん、まだ話し合いの途中なんですが、なんか誰かに用ですかい?」

「ええ、お客様がきて少しお話しをしたいって仰っているから、内山さんなら分かるかと思って」

 

 桜が内山と呼んだ男は、白のパンツにペイズリー柄の赤いシャツを着た男だった。剃りこみを左右それぞれ耳の辺りまで二本ずつ入れた坊主頭で、背はあまり高くないようだが、チンピラ風の威圧感を放っている。

 男は、客と聞いても思い当たる節が特になかったのか、少し考える素振りを見せてから、顔をあげて湊達に視線を移した。

 

「お客? 後ろのガキがそれですか?」

「そうだけど、そんな呼び方は失礼ですよ? さぁ、小狼君、小猫ちゃん。このおじさんなら多分分かると思うから、内容を教えてあげて」

 

 言いながら二人を中に通し、先に座っていた若い組員がどいた事で空いた席を用意されると、桜もそのまま居座るつもりらしく、テーブルを挟んで向かいに内山が来るように座った。

 本来ならば堅気で無関係である人間の同席は遠慮したいが、相手が組長の娘ならば話は別だ。

 巻きこむ気はないが、良識を持っている相手のようであり、事を起こしたときには、チドリと一緒にいさせればチドリの安全が保障される。

 そうして、湊を中心に左に桜が、右にチドリが座ると、湊が顔をあげ正面にいる内山と視線を合わせて口を開く。

 

「巌戸台中央区にある十二階建てマンションの十階にあるバルコニー付きの部屋。そういわれて、覚えはある?」

「あん? バルコニー付きのマンションつったら、タケの野郎が事務所代わりに使ってる場所だと思うが、それがどうしたい?」

 

 あまり覚えていなかったのか、顎に手を当てて考えてようやく思い出したらしい内山。

 湊を怪訝そうに見ながら視線を合わせ、湊も真っ向から見つめ返すと、単刀直入に述べる。

 

「組員が出入りするからって、その近隣の部屋の買い手がつかず、あのマンションの管理者が困っていてね。そこに住んでいなきゃいけない理由がないなら、立ち退いて欲しいんだ」

「おいおい、真っ当に金払って住んでるのに、そいつはちょっと言いがかりってもんじゃねえか?」

「近隣住民とトラブルを起こしたり、トラブルの原因となり得る行動や施設の利用法を取る人間は、管理者側で立ち退き要求が出来るようになってる。『組員の出入り』という行動により、安心して暮らせないと、引っ越してきたばかりで直ぐに出ていった家族もいるようだし。条件は揃ってると思うけど?」

 

 実際にそんな法や条約があるかどうかは知らない。

 だが、明らかにそういった方面に強くなさそうなので、こういったハッタリでも十分に相手は信じるだろうと湊は読んだ。

 案の定、相手は「うぐっ」と言葉に詰まり、まわりの若い組員も驚きと戸惑いを顔に浮かべ、湊と内山に視線を行ったり来たりさせている。

 しかし、子どもに論破された程度で引いていては、その筋の者として舐められるようになり、組としての沽券にも関わる。

 そうして、平和的な会話路線から高圧的な脅し路線に変えた内山が、腕まくりをして腕の刺青が見えるようにすると、わざと大きくバンッと音を立ててテーブルに肘をついた。

 

「出ていった理由が組の者が出入りしてたからって証拠はあんのかい。買い手がつかないなんて、そっちさんの営業の下手さの言い訳に使われちゃあ、たまったもんじゃないぜ。こりゃ、名誉棄損だよなぁ?」

「出ていく前に、どういった理由で引っ越すかを管理者の方に伝えてる家族が何世帯もいたんだよ。因縁はそっちの十八番って聞いてるから、ちゃんと下調べはしてあるさ。他に思い付いたことがあったら言ってみな。そっちが思い付く“程度”の事はちゃんとルールに則って答えてやるよ」

「なっ、このガキィっ!!」

 

 挑発的に相手を見下して湊が言った事で、額に血管を浮かばせ、顔を真っ赤にさせた相手は、立ち上がりテーブルに足をつくと、腕を伸ばして湊の襟を掴もうとした。

 

「……フン」

 

 だが、湊が桜とチドリを抱えて後ろに飛んだ事で、その手は空を切り、内山は前のめりにバランスを崩す。

 まわりにいた者も咄嗟の湊の跳躍に反応出来ず、腰を浮かせた状態で固まっているが、急に抱えられて驚いている二人を廊下側の部屋の隅で下ろすと、そのまま立ち上がりアンクレットをブーツに戻して湊は言った。

 

「勝てば官軍って言うし、お前らのレベルに合わせてやる。俺が勝ったら、お前らのお仲間を立ち退かせろ。逆に、お前らが勝ったら俺を好きにして良い。そのまま売ろうが、臓器を売り払おうがそっちの自由だ」

「テメェ、組の本部でこんだけ舐めた真似してどうなるか分かってんだろうなぁ? ぶちまけっぞガキがッ!!」

 

 内山は言いながら拳を振り上げ、湊に飛びかかる。

 研究所にいた黒服たちのような、訓練を受けて身に付けられた型通りの上品な体術と違い、こちらは普段のいざこざで身に付けたチンピラの喧嘩殺法だ。

 体重移動のタイミングと腕を振り抜く動きが微妙にずれており、これでは助走の勢いをそのまま拳の威力に乗せることは出来ないだろう。

 だが、それだけに動きを読みづらく、湊は黒服を相手にしたときよりも、集中して相手の次の動作を予測する。

 まわりの者も、すぐに続けるようにメリケンサックやドスを抜き、明らかに子どもを相手にするには度の過ぎた装備をしている。それだけに失敗は許されない。

 湊は真剣な表情のまま拳を握りしめると、蹴った畳がズタズタになるほどの速度で駆けて相手の懐に潜り、腹部に肘を当てて吹き飛ばす。

 続けて、飛び上がり、近くにいた金髪の男の正面に行くと、相手が反応する前に喉仏を殴りつけた。

 

「あがっ……」

 

 呻きながら相手が倒れきる前に、着地して、湊は真っ直ぐ縁側に面した障子まで走る。

 部屋の中で暴れてはチドリと桜を巻きこむ可能性がある。

 それを避けるため、障子と戸を開けると、砂利の敷かれた庭に降り立ち、組員を睨みながら挑発するように顔の高さで左拳を握り、

 

「こい、殺さない程度に遊んでやる」

 

 月に照らされ――嗤った。

 

――奥の間

 

 湊と組員が外でやり合っている頃、桔梗組の組長である鵜飼 清十郎(うかい せいじゅうろう)は、奥の自室で部下と将棋を指していた。

 整髪料で整えられた髪に白髪がまじり、年の頃は五十過ぎといったところか、盤面を見つめるその眼光は並みの者ではないと思わせるに相応しい鋭さを放っている。

 娘の桜と同様に鵜飼もグレーの着物に小豆色の羽織りを纏い、背筋を伸ばししっかりと座していたが、ふと、顔をあげて鵜飼は庭の方を見つめ口を開いた。

 

「なにやら、騒がしいな。今日は客はいねぇはずだが?」

「先ほど呼び鈴が鳴って、桜さんが出られたようですから、もしやそれかもしれません」

 

 落ち着いた低い声で答えた部下の名前は、渡瀬 伸晃(わたせ のぶあき)

 かなりがっしりとした体躯を黒のスーツで覆い、口周りに整えられた髭を生やし、外からは目元を全く見ることの出来ない黒いサングラスをかけている。

 だが、左目のところに斬られたような傷跡が縦に一本入っているため、サングラスは目元よりも、その傷を隠すためのもののようだ。

 鵜飼は渡瀬の言葉を聞くと、目を閉じて、何やら考えている。

 同じように渡瀬も黙って耳を澄ませると、時折、ガキィン、と金属のぶつかる音が聞こえてきた。

 すると、少しして閉じていた目を開き、鵜飼が障子を指差し、

 

「どこのもんか分かんねえが、あいつらでは相手にならんらしい。おめぇが行って黙らして来い」

「……片付け(ころし)ますか?」

「そこまでする必要はねぇ。うちのが先に手を出してるかもしれねえからな。今日来てんのは明夫だろ? あいつは腕っぷしも強くねえくせに喧嘩っ早いからな」

 

 着物の袖に手を入れるように腕を組み、そういって鵜飼は笑う。

 明夫とは内山のことで、既に湊に一方的にやられているのだが、見に行かなくとも鵜飼には内山の様子が分かっているようであった。

 同じく、立ち上がって廊下へと向かって行く渡瀬も口元を小さく歪めていることから、組内では内山の弱さは知れ渡っていることが伺える。

 

「では、行って参ります。相手の実力が分かりませんから、騒がしくなるのはご容赦を」

「構わん。少ししたらわしも様子を見に行くから、それまでに終わらせとけ」

「はい、分かりました」

 

 そうして、鵜飼の懐刀、“桔梗の虎”が湊を仕留めるべく、部屋を後にした。

 

――庭

 

 部屋の中から見ていた桜は驚いていた。

 

「しゃ、小狼君って、あんなに強いの?」

「負けたの見たことない」

「す、すごいんだね……」

 

 隣に座り、無表情で眺めていたチドリが答えると、桜もやや表情を引き攣らせながらも納得したように視線を戻す。

 湊が組員をかなり一方的に倒している途中で、ぬいぐるみだと思っていた黄色いモノがはしゃいで「メッチー!」と鳴いていたりもしたが、そんなことが些細なものに思えるほど、目の前で起きたことが衝撃的過ぎた。

 止める暇もなく乱闘が始まった時には、子どもである湊の身を案じたが、結果は湊の圧勝。

 

「ば、ばけものか、このガキ……」

 

 頬を腫らし、鼻血を出しながら仰向けに倒れた内山が呟く。

 まわりには、同じように顔を腫らしている者や、既に気を失っている者が転がっていた。

 膝をついて湊を睨んでいる者もいるが、腹部を押さえながら肩で息をしていることから、再び挑むことは出来なさそうだ。

 

「……これで終わり? それじゃ、約束通り立ち退いてもらうぞ」

 

 倒れている者たちにそう言った湊は、相手のドスを受けるために出していた短刀をマフラーに仕舞って、静かに佇みながら様子を眺める。

 倒した組員の数は十三。全員が二十歳以上で、内山など一部の者は三十を超えている。

 そんな大人たちを一人で相手しながら、呼吸も殆ど乱さず無傷で勝った事に、この場にいたチドリと本人以外の全員が驚いていた。

 だが、そんな場所に、スーツを着た一人の男がやってくる。

 

「これは……少々驚きました。全て、貴方が一人で?」

「……一応。まぁ、刃物振り回してきたから、こっちも武器で受けたけど、攻撃自体は拳と蹴りしか当ててないから、冷やせば大丈夫だと思う。それで、そっちは援軍?」

「まぁ、そんなところです。静かにさせてこいとの命令ですが、流石に子ども一人に全員がのされたとあっては組の面子に係わります。それ相応の相手として、真剣に挑みますがご勘弁を」

 

 言いながら渡瀬は、靴を履いて庭に降りると、湊と七メートル程の距離を開けて対峙し構える。

 足を肩幅よりやや広く開いて半身になり。右手は掌を上に向け肘を曲げて突き出すように、左手は腕を下げたまま肘を曲げ拳があばらのところに来るようにしている。

 どうやら、中国拳法の使い手のようだ。

 

「フゥ……ハァッ!!」

「なっ!?」

 

 呼吸を整え、叫ぶと共に一歩踏み出した瞬間、渡瀬は地面すれすれの空中をまるで滑ったかのように思える動作で距離を一瞬にして詰めた。

 

「フンッ!!」

 

 そして、湊の目の前で砂利が弾け飛ぶほど強く音を立てて地面を踏みしめると、腰溜めにされていた拳に威力を乗せて真っ直ぐ打ち放つ。

 

「くっ」

 

 咄嗟のことで反応が遅れたが、湊もそれを棒立ちで喰らうことはない。

 威力を目視で判断し、防御は勿論、往なしても腕が駄目になると分かると、瞬間的に限界速でしゃがんで拳をやり過ごす。

 

「おらぁあっ」

 

 さらに、お返しとばかりに、そのまま左手で半分逆立ちのようになりながら、相手の左脇腹目がけて蹴りを放つ。

 

「フンッ」

「ぐあっ!?」

 

 だが、その蹴りが当たる前に、渡瀬はもう片方の腕の肘を使い、湊の攻撃を上から潰した。

 丈夫なブーツの上から攻撃を喰らったというのに、的確に骨を伝ってダメージが響き、湊もたまらず呻く。

 片手の逆立ち中に蹴りを放つという不安定な状態を、さらに上から叩き潰され、湊は背中から地面に落ちる。

 しかし、ここは相手の距離だと、すぐさまバク転で起き上がり、倒れたときに握っていた砂利を相手に投げつけ牽制しながら距離を取る。

 倒れた湊に追撃で蹴りを決めようと思っていた渡瀬は、攻撃を喰らった直後に相手が牽制しながら後退出来たことに驚いたようだが、湊の投げた砂利から腕で顔を守ると、今度は掌を湊に向けたまま右手を伸ばし、肘が耳の高さになるよう左手を曲げて構えた。

 

(はぁ……はぁ……こいつ化け物だ。初見で俺の攻撃に反応して潰してくるなんて)

(……フム。反応速度が異常に速い。子どもであれだけの反応を見せるという事は、何か特殊な訓練を受けている可能性があると見た方が良いか)

 

 攻撃を喰らった右足を庇うように立つ湊と、最初と違う構えを見せた渡瀬が、対峙したままお互いを見つめ沈黙する。

 反応速度は湊の方が上だが、渡瀬は経験と勘からそれらに対応してくる。

 テオドアやエリザベスでさえ、カウンターで放つ攻撃を躱す事は出来ても、完璧に潰す事は出来ていないというのに、人間でそれを為す者がいるなど、完全に想定外であった。

 

(右足の負傷で動きが鈍くなった。この程度の距離は、最初にあいつが見せた活歩で詰められる。ってことは、こっちが出来るのは相手が来たところを、限界速によって皮一枚で躱し続け、速度を維持したままカウンターに続けて攻撃を一気に叩き込むしかない)

 

 そうして、相手の戦力を分析した湊が拳を強く握りしめ、我流の構えを見せたところで、渡瀬が再び動いた。

 初めに見せた、震脚からの活歩という一瞬で間合いを詰める戦法から一転、今度は左手を腰溜めにしたまま駆けだし、着地直後を湊に狙われぬよう対策を取って来た。

 これには、カウンターを主軸にした戦法を考えていた湊は、内心で舌打ちをするしかなく。

 受け手に回ってもジリ貧になることしか想像できなかったので、痛む右足を我慢しながら、同じように相手に向かって駆けだした。

 両者とも、世界陸上の短距離選手かと見紛うばかりの加速で接近したため、距離はすぐに詰まった。

 先に仕掛けたのは渡瀬で、右足を振り上げて牽制をかけると、湊は死角を突くように半身のまま踏み込みそれを躱す。

 だが、渡瀬は続けて軌道を斜めにした踵落としで右手を振り上げかけていた湊を狙うと、湊も今度のそれにも反応して、逆に足を潰してやろうと降りてきた太腿に、かち上げた肘を躊躇いなくぶつけた。

 

「死ねッ」

「ぐっ、はぁああああっ!!」

「っ!?」

 

 しかし、ここで再び渡瀬は湊の予想の範疇を超えた動きを見せる。

 確かに湊の攻撃は相手の足にダメージを与えた筈だ。それなのに、渡瀬は歯を食いしばり強引に足を振り下ろした。

 それにより、受けていた湊は体重差によって飛ばされ、相手の蹴りの軌道に沿って横に転がってしまう。

 受け身を取り、相手からも目を離していないが、体勢を立て直した時には、ついたばかりの右足を軸足にして、渡瀬が連続で回し蹴りを放って来ていた。

 足を負傷したという条件はイーブンになった筈だというのに、攻撃の手が一切緩まない化け物と対峙し、湊もどうやって勝てば良いのかと心に不安が過り始める。

 勝つためには攻めねばならないが、この近距離だと湊の攻撃は十分な威力を出せない。

 大人と正面からぶつかって吹き飛ばせていたのは、スピードを活かして威力を上乗せしていたからで、その助走がなければ、握力以外は真っ向から太刀打ちできるものではない。

 飛騨の改造は、力自体の底上げも多少は為されているが、正面から殴り合って勝つというコンセプトで施したのではなく、実際は湊の長所である“速さ”をさらに伸ばす事に主体を置き、速さと戦術を駆使して大人とも戦えるレベルに引き上げることが目的とされていたのだ。

 だがそれでも、チドリのためにこのまま負けることは出来ないと、後ろ髪に相手の蹴りが掠るのを感じながらしゃがみ、足が通り過ぎるとそのままバク転して、僅かに開いた距離を最大限に活かすため、湊はつま先に力を溜めた状態で地面ぎりぎりまで身体を倒して勢いを乗せて飛びだすと、一気に敵の背後に回り込んだ。

 

「はあぁあああっ!!」

 

 そこから、相手の首を狙って回し蹴りを放つ。相手は蹴り足がまだ地面に着いていないので、絶対に躱せるタイミングではない。

 一発当たれば続けて放ち、ダメージを蓄積させて勝てば良い。その第一打となる蹴りが、渡瀬の首に吸い込まれる

 

「ふんッ」

「またっ!?」

 

 はずだった。

 しかし、渡瀬は地に足がつく前に腕を引く動作で上体を捻り、肘で湊の攻撃を逸らすと、体勢を立て直すべく再び構えて、着地した直後の湊を叩きに行く。

 

「なめるなぁっ!!」

 

 けれど、湊もただやられているばかりではない。

 着地した一瞬で即座に切り返し、連続で蹴りを放つ。

 それを相手は両腕で往なし防ぎ続けるが、触れた次の瞬間には空中でありながら体勢を変え続けるという、離れ業で湊が猛攻を見せるため、渡瀬も驚き、守勢に回らざるを得ない。

 

「くっ」

 

 しかし、ようやく、下向きに攻撃を往なせたことで、湊が地に足を着く。

 速さで負ける渡瀬にとって、湊が停止するこの決定的な隙を逃す手はない。

 体格にかなり差があるが、腰を落としたまま自身の右足を湊の左足に沿えるように内側に滑りこませ、その足で相手の足を刈りながら、肩と肘を利用して相手の身体を押す。

 ダメージこそ一切ないが、渡瀬の使ったこの梱鎖歩こそ、湊という人を超えた速度の領域にいる人間に反応すら許さず、ただの木偶として数瞬動きを封じ大きな隙を作り出す技だった。

 自身の意思とは無関係に、驚愕の表情を浮かべながらよろけて下がる湊の目の前で、再び砂利を弾けさせながら渡瀬が震脚で踏み込む。

 そして、

 

「はあっ!!」

 

 踏み込み、腰の回転、腕の伸縮、それらを一分の無駄もなく連動させて放たれた剛腕の一撃が、その場の空気を押しのけ、ゴウッ、と音をたてながら湊の胸に突き刺さった。

 鍛え上がられた拳は、まるで鋼のような硬さで、ぶつかった瞬間から湊の骨を軋ませ、鈍い音をたてそれを砕き、さらに骨に守られていた臓物に届いて無惨に破裂させる。

 

「――――かはっ」

 

 吹き飛びながら口から血を吐き、何度も地面を跳ねて転がる様子を見て、誰もが湊が死んだと思った。

 

「湊っ!!」

 

 部屋の中にいたチドリも、目を見開き驚き叫んだ後、裸足で庭に飛び出すと倒れたまま動かぬ湊に駆け寄る。

 それにより、正気を取り戻し動けるようになった桜が、同じく裸足のまま庭に出て、険しい表情で渡瀬に詰め寄った。

 

「渡瀬さんっ、なんで子どもにあんなことをっ!?」

「……申し訳ありません」

「そんな言葉は要りません! 医者を、急いでっ、早くっ!!」

 

 あんな一撃を喰らって助かるとは思えない。

 しかし、それでも倒れていた者に医者を呼ばせることしか自分には出来ず。悔しさを感じながら、桜も急いで湊とチドリの元へ向かう。

 

「湊っ、湊っ!」

 

 口から血を垂らし動かぬ相手に、何度も名を呼びながら身体を揺らしているチドリを見て、桜も最悪の結果を想像する。

 チドリとは反対側に腰を下ろし、脈と鼓動を確かめようと、桜は湊の首と陥没した胸に手を伸ばした。

 

「っ……」

 

 その結果に息を呑む。

 呼吸が停止しているだけならば、まだ可能性はあったが、湊の脈と鼓動は既に止まっていた。

 吐血していることから、内臓に深刻なダメージがいっていることが分かるため、迂闊に心臓マッサージをする事も出来ない。

 もう桜に湊を助ける手段はなかった。

 しかし、それでも状況が把握できていないのか、チドリは諦めずに湊を救う方法を考える。そして、自分の隣で心配そうに湊を見つめている、小さな悪魔のスキルを思い出した。

 小さな可能性でも、いまはそれに賭けるしかない。

 

「っ、メッチー! 急いで湊に回復を……っ!?」

 

 そうして、治療を頼んだが、言っている途中でチドリは言葉を止めた。

 

「嘘、心臓は止まってたはずなのに……」

 

 桜も困惑する目の前で、倒れていた湊がまるで幽鬼のように、だらんと腕と頭を垂らしたまま立ち上がった。

 だが、立ち上がり、口から大量の血を吐いて、湊はそのまま沈黙している。

 殺す必要はないと言われていたが、湊の実力から手を一切抜くことが出来ず、殺めてしまったと思っていた渡瀬はその不気味な様子に気を引き締めると、咄嗟の反応が出来るように構えを作る。

 

「――――」

 

 そのまま動向を見守っていると、湊の背後に青白い光と黒いもやが吹き出し始めた。

 何かは分からない。だが、自分の知らない何か異形の存在の形を為してゆく。

 

「湊、だめっ!!」

 

 ペルソナを呼ぼうとしていると思い、チドリが抱きついて制止の声をかけるが、もやの変容は止まらず、次第に輪郭を帯びてきた。

 黒いぼろぼろのローブ、長い西洋剣、首にかけられた両端に分銅のついた鎖、口の大きく開いた獣の頭骨を思わせる頭巾の中にはさらに人の髑髏がある。

 異形の存在の顕現を見ていた渡瀬は、知らず全身を汗が伝う事に気付く。

 状況は把握できず、アレが何かは分からない。それでも本能が知っている。アレは“死”そのものであると。

 そして、両目を“水色”にした湊が口元の血を手で拭いながら、言葉を発した。

 

『あーあ、駄目じゃないか。“彼”を殺しちゃ。僕がいる限りは基本的に死なないけど、それでも蘇生は身体に大きな負担をかけるんだ。本当に死んじゃったら、人類どころか地球上の生命が全て滅びるんだし、気をつけなきゃ』

「みな、と?」

『ん? ああ、今は別人だよ。僕の力で破壊された臓器と骨を再生させてるからね。治ったら彼に戻るから、もう少し待っててよ。……それはそうと、僕はいまとっても怒ってるんだ。大切な友人である“彼”を、こんな目に遭わせた相手に、ね』

 

 湊であったモノがそういうと、背後に現れた存在、シャドウ“デス”が剣を振り上げ渡瀬に斬撃を飛ばす。

 

「くっ!?」

 

 反応が遅れた渡瀬が腕で防御の構えを取るが、放たれた斬撃は渡瀬の真横に深い溝を作っただけだった。

 微笑みながらも静かな怒りを発している湊だったモノは、攻撃をわざと外し、口調だけは穏やかに告げる。

 

『殺すつもりはないから、いま直ぐに降参してくれると良いんだけど、挑むって言うなら拒みはしないよ。そのときは、僕もこの力で迎え撃つから。フフッ、素直な気持ちで言えば挑んでくれた方が良いんだけどね。死なない程度にお礼ってやつをさせてもらいたいからさ』

 

 異能、超常と呼ばれる力。初めて見る、悪鬼神霊の類いに皆言葉を失っているが、そこに静かな老人の声が響く。

 

「おうおう、庭を滅茶苦茶にしちまいやがって。それに随分なもんを相手にしてるじゃねえか。坊主、お前なにもんだ?」

 

 やってきた鵜飼はそれほど動じた様子もなく庭に降りると、渡瀬の横に並び立ち湊であったモノに尋ねる。

 

『僕はこの後ろにいるものと同一の存在さ。でも、この身体の本来の持ち主が死んじゃったからね。蘇生している間は僕が出てきてるって訳。お爺さんがここで一番偉い人? だったら、部下の人たちにこっちの要求を素直にのむ様に言ってくれないかな?』

「要求? なんだ、言ってみろい」

『タケさんって人が使ってる、巌戸台中央区にあるマンションから立ち退いて欲しいんだ。身体の持ち主である彼と彼女は、ちょっと訳ありでね。追手から隠れるために住む場所がいるんだ。立ち退きを成功させたら部屋かお金を貰えるってなってるから、どうしてもお願いしたんだけど、駄目かな?』

 

 普段、湊のやらない子どもらしい表情に、後ろで手を組むというポーズを取って、湊であったモノが言外に“従わねば、力を振るう”とばかりに、デスを自分の傍に移動させながら返す。

 湊の動作を見てきたチドリは、そこで本当にいまの湊の人格が別の者であると理解するが、他の者はその違いを確信できる程湊を知らない。

 分かるのは、この場における上下関係であり、自分たちが取るべき正しい行動のみだった。

 

「……わかった。連絡して別のとこにいくよう言っておく。だが、坊主と嬢ちゃんは、そこに住んで安全だって言えるのかい? 追手ってなぁどこのもんだ?」

『安全とは言えないけど、仮にでも住む場所は必要だからね。それと追手は桐条グループだよ。追われてる理由は、僕やそれに近い存在と戦えるのが、彼らしかいないからって理由さ。そんな存在が現れるようになったのは、先代桐条の研究のせいなんだけどね』

「そうかい。……だったら、そっちに住まずに少しの間うちにいな。部屋は余ってるからな。ガキが二人増えたところで別に困りゃしねえし。うちのもんが迷惑かけた詫びってやつだ。素直に受け取ってくんな」

 

 ニカッと笑って鵜飼が答えると、他の者が驚いた表情をする。湊であったモノも、流石にその発言は予想していなかったのか、一瞬ポカンとすると、すぐに楽しそうに笑いだした。

 

『あは、あはははっ! それは良いね。うん、彼らにとってすごく魅力的な提案だよ。確かに、まさか二人がヤクザの家にいるとは思わないだろうし。ばれたところで迂闊には踏み込めない。けど、僕みたいな普通でない存在を宿してる彼を、すぐ傍に置いて大丈夫かい? もしかしたら、その首を取りにいくかもしれないよ?』

「ま、それはあるかもしれねぇが。わしもガキのころに先代に拾って貰った身でな。ガキながらに生きていくキツさは知ってるし。坊主は桜を人質にしたりはしなかったんだろ? 筋を通してるんなら、信用もできらぁな」

『そう……。じゃあ、お言葉に甘えようかな。僕の方で蘇生は終えたし、顕現を解いたら眠った状態になるから、後はよろしくね。状況は把握できた状態で起きるから、自己紹介とか、より詳しい話しはそのときに』

 

 言い終わる直前にマフラーから衣類の入ったリュックを取り出すと、直後に顕現していたデスが消えて、ふっと力が抜けたように湊の身体がその場で倒れた。

 地面にぶつかる前に、桜とチドリが抱きしめ支えたことで、怪我もせずに済んだが、湊だったモノの言う通り、湊はただ眠っていた。

 陥没していた胸は元通りになり、規則的に呼吸を繰り返し、脈と鼓動もしっかりとしている。本当に蘇生が為されたようだ。

 湊が無事であることを確認したチドリは、安心したのか抱きついたまま啜り泣き、そんな様子を眺めていた桜もつい穏やかな表情になる。

 

「……お父さん。この子たちは、今日はわたしの部屋で寝かせるわ。先にお風呂に入れてくるから、お布団の用意をお願い」

「お前一人で大丈夫か?」

「ええ、この子、こう見えてすごく軽いの。どうやってあんなに動けたんだろうってくらい、本当に軽い……」

 

 そう言って、二人を抱きしめると、桜はチドリと共に湊を運び。入浴を済ませると、リュックに入っていた服に着替えさせて、自室で二人を寝かせたのだった。

 

 

 


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