【完結】PERSONA3 Re;venger   作:清良 要

235 / 504
第二百三十五話 十年ぶりの街

7月24日(金)

朝――巌戸台分寮

 

「では、アイギス。私たちは学校へ行ってくるが、くれぐれも一人で外に出ないようにな。街を見て回るのなら放課後に付き合ってやる。だから、それまでは大人しくしていてくれ」

「……はい、了解しました」

 

 旅行から帰ってきた翌日の朝、アイギスが四階作戦室のソファーに座って待機していると、登校前に美鶴が声を掛けにやってきた。

 彼女には専用のメンテナンスブースがあるのだが、流石に彼女一人を連れてくるような気軽さで搬入出来るようなものではなく、今週末にどうにか突貫で作業しようということで話が決まっていた。

 その間、彼女はここを待機場所とし、何かあればラボの方で対処する事になっている。

 もっとも、巌戸台に到着してからもアイギスは暗い表情のままなので、学校が終わって案内に連れ出すまではとくに問題はないだろうと美鶴も楽観的に考えていた。

 扉が閉まって足音が遠ざかっていくとアイギスはソファーから腰を上げて窓際まで歩いて行く。

 今日の天気は快晴。屋久島と違って薄い水色の空が広がり、鳥たちが忙しそうに飛び回っているのが見える。

 寮を出て行った美鶴が前の通りを歩いて行く姿も見え、そのままボンヤリと眺めていれば数十分後に慌てた様子の順平も走って出て行った。

 

(……どうして慌てた様子だったんでしょう。学校という施設に遅刻しそうだったのでしょうか?)

 

 アイギスは知識としては学校がどういう場所か知っている。一応、月光館学園の案内パンフレットのデータも入っており、施設の中がどのような感じなのかも分かっている。

 だが、そこで人々が勉学に励む様子や、どのような日常が存在するのかは識らない。

 大切な彼も以前はそこにいたのだろう。そして、彼と共にいたチドリもきっと美鶴たちのように学校に通っていたに違いない。

 けれど、彼はもういない。チドリと連絡を取る事が出来れば墓の場所や、自分の機能が停止してからどうなったのか詳細を聞く事が可能かもしれないが、聞いたところで彼が戻ってくる訳でもないので会う気にはなれなかった。

 

(……でも、八雲さんがどんな街で暮らしていたのか。それぐらいは知っておきたいです)

 

 そう考えて顔を上げたアイギスはワンピースの中にあるネックレスを服越しにギュッと握ると、窓際を離れて部屋の入り口へと向かう。

 学校が終わったら案内してくれると言っていたが、現在の時刻は十時前なので六時間も後になってしまうため、そこまで待つ気のないアイギスは勝手に出て行く。

 既に寮には誰もいないので止める者もおらず、作戦室を出て階段を降りていった彼女はエントランスを素通りして玄関の扉を潜った。

 

「……音がとても大きいであります」

 

 建物の中にいたので気付かなかったが、外に出れば目の前の車道を走る車や街を歩く人々の話し声が聞こえてくる。

 昨日、アイギスたちが戻ってきたのは祝日の夜だったので人通りも少なかったが、今のこの喧噪がこの街の日常の姿なのだろうと少女は理解した。

 小さな子どもを自転車の後ろに乗せて走る女性、携帯電話で話しながら笑っているスーツ姿の若い男性、杖を突きながら難しい表情で立ち話している老いた女性たち。

 目的地も決めずに歩き続けるとアイギスは多種多様な人々とすれ違った。

 五月蝿い、でも、この街には沢山の命が溢れている。そんな事を思いながら、アイギスは彼が過ごした街の“日常”を見て回った。

 住宅街に近い場所にある神社や、街中とは比べものにならないくらい人でごった返したショッピングモール、海沿いの静かな公園に昔ながらの商店街と海外とは雰囲気も造りも異なる日本の日常風景。

 困った顔をした人もいれば、とても怒った様子の人も中にはいた。しかし、彼女が見た人々の多くは楽しそうに笑っていた。

 

(……八雲さんがいないのに、誰もそれを気にしていません。海で遊んでいた七歌さんたちもそうでした。あの方が亡くなっても、他の人たちは自分の日常を過ごして笑ったり怒ったり)

 

 ポートアイランド駅前の広場までやってきた彼女は、花壇横のベンチに座って考える。

 十年前に彼が守った日常。当時のメモリーは破損してほとんど思い出せないが、自分一人ではシャドウを倒す事が出来なかった事は覚えている。

 そう、ここで楽しそうに笑っている者たちは、全員が彼によって命を救われているのだ。

 だが、誰一人としてその事を知らない。小学生の子どもが、両親を失った直後だというのに世界を守るために戦ったというのに。

 

(世界は何事もなかったかのように回っています……。まるで、あなたなど最初から存在しなかったかのよう……)

 

 どうして、どうして、どうして。

 アイギスの頭の中で同じ言葉が繰り返され占めてゆく。

 彼はこんなにも沢山の人を守ったではないか。親を失った子どもに協力を求めてしまったのは自身であるが、だとしても人々を救った彼が死んでもそれがなかったかのように流れてゆく世界が信じられない。

 

「なんで、どうして、八雲さんがいないんですかっ」

 

 彼が救った世界、人々の笑顔が溢れる世界、そこに救った本人の姿がない。

 こんな事はあんまりだとアイギスの瞳から涙が溢れた。

 

***

 

 急に大声を出したかと思えば、次の瞬間には手で顔を覆って泣き始めた少女は駅前広場で酷く目立っていた。

 それが超のつく美少女となれば余計で、一体どうしたんだと周りにいた者たちは不審げに少女の方を見る。

 だが、一時的に気にはしても声を掛けるほどの関心はなく、少しすれば彼女の方を見ていた者たちも興味を失って自分の用事に戻っていた。

 とはいえ、夏休み直前の昼間となると暑さで浮かれたのか邪なことを考える者もいる。

 映画館から出てきて暑さと日差しに顔を顰めていた二人組の若者は、ベンチに座って泣いている少女を見るとニヤリと笑って少女を指さして二人で話す。

 

「なぁ、あの子結構よくね?」

「おほ、メッチャ泣いてるじゃん。なに? 話聞いて慰めちゃう?」

「いいべ? ちょうど昼だしワックでも誘ってさ」

 

 話題だからと観てきたハリウッド映画が期待外れだったこともあり、若者たちはこれから何をしようかなと考えていた。

 適当に昼を食べたら服でも見て、そのままゲームセンターなりカラオケにでも行こうと思ったが、丁度良い暇つぶしになりそうな物を見つけて気分が高揚する。

 昼代は奢る事になるだろうが、上手くいけばかなりのリターンが期待出来そうだと下心満載の笑みを浮かべ、さぁ話しかけにいくぞと踏み出そうとしたとき、

 

「――――殺すぞ」

 

 若者たちは首筋にナイフを当てられているかのような寒気を覚えて動けなくなった。

 いま真後ろに何がいるのかは分からない。その声もギリギリで耳に届くような小さな呟きでしかなかった。

 けれど、数秒後には自分たちが殺されているだろうという確信だけがあり、泣いている少女に邪な考えで近付こうとしたのがダメだったのかと数秒前のことを後悔する。

 

「なんだ。よく分かっているじゃないか。二度とそんな事を考えるな。そして、今すぐ消えろ。そうすれば見逃してやる」

 

 男の声が聞こえてすぐに背中をトン、と軽く押されたことで若者たちは動けるようになる。

 何が何だかよく分かっていないが、このまま振り向かずにこの場を離れれば見逃して貰えるという事で、二人は涙と鼻水で顔面をグチャグチャにしながら必死に走り去って行った。

 脱兎の如く逃げ出した若者を見送った先ほどの声の主は、あまりに男たちが滑稽すぎて呆れて溜息を吐く。

 ただ、これで余計な邪魔は消えたとして静かに歩き出すと、先ほどの二人組が話しかけようとしていた少女まで近付き、両手で顔を覆っている彼女に声を掛けた。

 

「……どうして泣いているんだ?」

 

 男が声を掛けると少女の肩がビクリと揺れる。そのまましばらく身動きもせず、声を掛けた方も黙って立ったまま見つめていれば、少女は顔を手で覆ったまま静かに口を開いた。

 

「とても……とても、悲しい事があったんです」

「そうか。俺に手伝える事はあるか?」

「大丈夫です。もう、解決しましたから」

 

 その悲しい出来事の解決に協力出来るかを尋ねれば、少女はもう大丈夫だと答える。

 だが、解決したというのに少女は俯いて顔を手で覆ったままで、何故だか再び指の間から涙をポロポロと溢している。

 どうして大丈夫と言ったのに泣いているのか。それが分からない男は少女に泣き止んでくれないかと尋ねた。

 

「じゃあ、泣き止んで欲しいと言ったら、君は泣き止んでくれるか?」

「それは……難しいですね。とても嬉しいのに、何故か涙が止まらないんです」

 

 そう言って顔をあげた少女は嬉しそうに笑いながら泣いていた。

 立っている男と座っている少女の視線が交わり、ずっと探していた互いの姿を認識する。

 青年の方は随分と姿が変わってしまった。右眼には眼帯が付けられているし、背丈だって二年前と比べて十センチ以上は伸びている。

 ただそれでも、少女は彼が自分の一番大切な人だと一目で分かった。

 

「おかえりなさい。八雲さん」

「ああ、お帰りアイギス」

 

 自分たちが出会った街で再び会えた。だからこそ、二人はここに帰ってきた相手に「おかえり」と言った。

 挨拶を交わすと少女はすぐに立ち上がって青年の胸に飛び込んでゆく。青年もそれを優しく受け止め、ずっと待ち望んでいた再会を喜び合った。

 

 

昼休み――月光館学園・生徒会室

 

 テスト期間後の連休も明け、結果が発表される昼休み。七歌たちは美鶴に言われて生徒会室で昼食を食べながら話をしていた。

 

「つか、実際のところアイギスの大切な人って誰なんだろうな?」

「あ、それ私も気になってた。十年前ってことは桐条グループの関係者なんですよね、多分」

 

 集められたのは特別課外活動部の全メンバー。集められた理由はアイギスをどのように案内して歩くかという相談だったが、案内後の彼女の様子によって戦力が増えるかどうかが変わってくるため美鶴も真剣に考えていた。

 その中で、焼きそばパンをかじりながらパイプ椅子に逆向きに座っていた順平が、相手がどんな人物だったかによって思い出の場所も変わってくるだろうと意見し、ゆかりも乗っかる形で相手の素性が知りたいと美鶴に尋ねる。

 アイギスには巌戸台行きが決まってからも何度か尋ねたのだが、かなりガードが固くて髪の長い女性だったという事しか聞けていない。

 内緒にされればされるほど気になるのが人の性というものであり、話自体には興味のない真田も何故そんなに勿体ぶって隠しているのかと気にはなっていた。

 なので、桐条グループの方で該当する人物が分かるなら教えてくれと皆が聞けば、サンドウィッチを食べていた美鶴も頷いて口を開いた。

 

「ああ、私もそれについては調べていた。理事長やラボの方でも該当する人物が誰か調べて貰っていたんだが、最も可能性が高いのは彼女の生みの親とも言える当時の開発責任者、君嶋夕ではないかとの回答があった」

「その人は今どこに? もしかして、十年前の事故で?」

「いや、彼女はそれより前に行なわれたアイギスの稼働実験で亡くなっている。実験は戦闘訓練も兼ねていたようだが、その中で訓練用のシャドウが暴走して襲われたらしい」

 

 十年前の事故ではないが既に故人であると聞いて他者たちは複雑そうな表情を浮かべる。

 もっとも、彼女の死亡した本当の理由は、グループの指示を無視した計画を実行に移し、その中で暴走したシャドウからアイギスを庇ったことが原因である。

 娘と思っているアイギスがただ戦う兵器として命令を聞き続ける未来を憂い、ちゃんと自分で考えて命令を拒否したりも出来るようにと君嶋は願った。

 結果的にその望み通りにアイギスは疑問を持てるようになったのだが、十年前の事故の日に再起動するまでに彼女の人格形成に影響があるかもしれないからと当時の記憶はメモリーから削除されている。

 よって、アイギスは君嶋のことは一切覚えていないが、それを知らないメンバーたちは生みの親を失って悲しんでいると思われる新たな仲間とどう付き合っていくか七歌を中心に話し合う。

 

「向き合うって事ならお墓参りとかはさせてあげたいよね。ただ、逆効果の可能性もあるから、当面はこの街での暮らし方を教えつつ心の隙間を埋めていくしかないかな」

「やっぱりロボットとは言っても女の子ですし。最初は服を買いに行ったりすると良いんじゃないかな?」

「おっ。そんなら、そんときはオレっちが荷物持ちに付いていくぜ?」

「おう、泣いてる子ナンパした腐れ外道はいらねぇから一人で遊んでな」

 

 心の隙間を埋める作戦として、必要な物を買い揃えていく事を口実に出かけようと風花が提案すれば、順平が便乗して一緒に遊びに行きたいと言ってきた。

 それを七歌が笑顔でぶった切ると順平は頭を垂れて落ち込み、流れ弾を喰らった真田もナンパ勝負で出来た心の傷に塩を塗り込まれて堪えている。

 女子がいないときに馬鹿なことをして勝手に自爆したのだから、美鶴としても男子らを擁護する気は欠片もないが、ここでさらに追い込むと面倒なことになるとはっきり分かるため、七歌が追撃する前に話題を戻す。

 

「まぁ、何にせよ今日はどこに何があるかという事くらいしか説明出来ないだろう。買い物等は週末に持ち越しだな」

 

 彼女の生活用品を買うお金は桐条グループから出る。当日ついて行けるかは分からないが、付いて行けなくとも問題ないよう後で準備を進めつつ、美鶴はアイギスが仲間たちと打ち解けられれば良いのだがなと小さく溜息を吐いた。

 

 

午後――EP社・個人研究室

 

 無事に再会を果たした湊とアイギスはまず初めに寮に戻り、寮の電話から桐条グループ傘下の清掃業者に電話して女子フロアの一室を早急にクリーニングするよう依頼した。

 このとき湊はハデスの隠れ兜を被っていたので防犯カメラにはアイギスの姿しか映っていない。

 よって、後で解析されても急に帰ってきたアイギスが電話をして出て行くようにしか見えないが、それを済ませてから二人は空を飛んでEP社の施設最奥にある湊の個人用研究室を訪れていた。

 

「……入ってくれ」

「はい。お邪魔するであります」

 

 ここに来るまで二人は誰にも会わなかったが、理由はこの区画は湊の専用研究室しかないため、他の研究員たちの立ち入りが禁止されているからだった。

 おかげで二人はスムーズに青年の研究室に到着でき、中に入ったアイギスが物珍しそうに部屋の中を見渡していると、部屋の奥の壁際に置かれた大きな装置が気になった。

 

「あれはなんですか?」

「……あれが君に見せたいものだ」

 

 誘われてアイギスは装置の元まで移動する。それは酸素カプセルのように蓋の部分が半透明で中が見える縦長の機械だった。

 一体中には何があるのか。そう思ってアイギスが覗き込めば、そこに酸素マスクとコードに繋がった電極を身体に付けた彼女とソックリの少女が寝ていた。

 

「これは……わたしですか?」

「正確に言えば君の新しい身体。人間としての身体だ。君に言われて俺は世界に君を人間だと認めさせる事は諦めた。けど、別のアプローチで君が人として生きられる方法を探したんだ」

 

 言われてアイギスは話している青年の方を見る。装置の中で眠るアイギスとソックリな少女に慈しみの視線を向けており、眠っている少女が彼にとって大切だということは理解出来る。

 だが、アイギスは神降ろし直後の戦いで勝利し、彼にそんな力で支配するような方法はダメだと諭して、自分が人間として認められる必要はないと伝えたのだ。

 それを、彼はアプローチの問題だけだと取ったらしく、こうやって彼女が人として生きられるように“人間”の身体を作ってしまった。

 並大抵の苦労ではなかったはずなのに、日本に帰ってこの身体を作るに至った経緯を話す彼の横顔はどこか楽しそうですらある。

 

「ただ、機械の身体である以上はどうやっても無理だと思った。俺は気にしなくても、他の人間は君を機械として扱う。なら、人間の身体を用意してしまえばいいと思ったんだ」

「それは、わたしソックリのこの方をわたしの人格で上書きするという事ですか?」

「いや、そうじゃない。これは人工骨格を君の身体の設計図をいれた細胞で覆ったものだ。本当に君だけのために作ったもので、この身体は生きてはいるが魂はない。だから、メモリー内の記憶とパピヨンハートを移植すれば君は人間になれるんだ」

 

 魂はパピヨンハートに、記憶はメモリーと一部はパピヨンハートにも入っている。

 理論上はパソコンの中身の引き継ぎするように、アイギスもメモリーとコアを移植すれば新ボディにそのまま移れるはず。

 けれど、そんな新ボディへの移行作業よりも、アイギスはどうやって肉体の設計図という“遺伝子を持たぬ”機械の自分の情報を細胞に入れる事が出来るのだと問うた。

 

「そんな、不可能であります。そも、遺伝子を持たないわたしの設計図を細胞に入れる事など」

「ああ。だから、黄昏の羽根を遺伝子として代用した。君の設計図データを黄昏の羽根に記録し、細胞核と極小の黄昏の羽根を入れ替えて培養したんだ」

 

 黄昏の羽根は情報と物質の中間の特性を持っている。故に、アイギスも人格データを入力されて自我を持つに至った訳であるが、その特性をこんな形で利用しようと思った者など桐条グループにすらいなかった。

 研究員たちはアイギスたちをどこまでも機械と割り切っていた。自我を持っていようと個人ではなく道具として見ていたのだ。

 だからこそ、黄昏の羽根を使って生き物を作ろうという考えには至らず。おかげで本当の意味での人造人間が作られる事も無かったのだが、彼女の前にいる青年は少女のために神の領域にまで手を出していた。

 少女は彼が自分のために頑張ってくれて嬉しいという気持ちよりも、どうして青年がそんな事にまで手を染めてしまったんだという悲しみの方が大きくなる。

 

「あなたは……どうしてそう無茶ばっかりするんですか! そんな、生命の根幹を揺るがすような神の領域に踏み込むなんてっ」

「機械の身体に人の心と魂が入っている方がおかしい」

「だからって、こんな事は許されるはずがありません!」

「俺は、そのことで将来君が苦しむのが嫌だったんだ」

 

 結局、青年が研究を進めた理由はそれに尽きる。

 世界に人間として認めさせようとしたのも同じであり、彼はずっと同じ気持ちで今回は別のアプローチを試したに過ぎない。

 言っても聞かない性格だとは思っていたが、本当にこの青年は自分のために無茶ばかりする。そんな風に思いながら、ストレートな彼の言葉に嬉しさが勝って怒るに怒れなくなったアイギスは困った人だと思わず苦笑を浮かべた。

 

「もう、本当に八雲さんは大馬鹿者であります……。しかし、本当にわたしは人間になれるのですか?」

「ああ、生体パーツの研究はずっと進めていたんだ。実際、君の姉である五式ラビリスは既に生体ボディになって学校にも通っている」

「わたしの、姉さんですか?」

「桐条宗家近くの研究所に封印されていたんだ。だから、こっそり連れ出して再起動させた。彼女も君に会いたがっていたから、近いうちに会えるよう手配する」

 

 自分の前に何体かの対シャドウ兵装が作られた事は知っている。残念ながら詳しいデータは入っていないが、妹のアイギスが会う前に大切な人が姉と面識を持っている事はとにかく驚きだった。

 

「もう、八雲さんのせいでずっと驚きっぱなしであります。姉さんが人間になっているなら、わたしが人間にならない訳にはいかないじゃないですか」

「戦力の面は気にしなくていい。意識する事で肉体を戦闘モードに切り替え、それによって機械の身体に近いパフォーマンスを発揮出来る。新型のオルギアモードであるエクストリーム・オルギアモードも使えるから、いざというときもバッチリだ」

 

 言われてからアイギスはハッとする。人間は機械よりも脆い。目の前の青年は生身で対シャドウ兵器と正面からやり合っていたがそれは彼が特別なだけで、普通はナイフで切られれば血が出るし、高いところから飛び降りれば骨折して行動出来なくなる。

 シャドウとの戦闘などを考えれば機械の方が疲れない事も含めて理論上は強そうだが、そういった彼女の懸念を予想しクリアしておいた彼の準備の良さには流石のアイギスも呆れてしまう。

 

「まったく、用意周到でありますね」

「まぁな。少し頑張った」

「少し頑張るだけでロボットを人間に出来るのであれば、世の中からSFという娯楽ジャンルは消え、一部の科学者たちは廃業する事になるかと」

 

 この研究を進めるに当たって専門家たちの力も借りていたが、根幹の部分は知識を身に付けた彼が主導で進めていた。

 一年と少しという短い期間の間に、彼は世界トップクラスの知識と技術を持った研究者になったとシャロンたちも太鼓判を押すだろう。

 ただ、その全てが大切な少女のためのものであり、他の研究には一部技術を応用させる以外は使おうともしないのが実に彼らしかった。

 パピヨンハートや記憶の移行作業に移るため、アイギスは彼の用意した椅子に座って準備をする。

 ラビリスのときは主電源を完全に落としてからの作業を他の者にも手伝って貰ったが、一回やった事は既に覚えているので今回は一人でも問題ない。

 

「アイギス、眠る前にこれを返す」

 

 そうして、彼がスパコンの準備やら何やらを進めていると、急に一枚のタロットカードを投げ渡してきた。

 不思議な光り方をするカードだと思って見ていると、湊が握りつぶすジェスチャーをしてきたので、これが待機状態のペルソナだったのかと感心しつつカードを砕いた。

 すると、すぐに自分の頭上にパラディオンが現われて消える。今度こそ自分の中にペルソナの存在を感じた事で、少女もようやく戻ってきたのだなと思えた。

 それからさらに待っていれば湊の方も準備を終えたようで彼女の傍に戻ってくる。電源を落とし、次に目が覚めたら人間の身体になっている。

 本当に嘘みたいな話だがアイギスは彼を疑う気はさらさらなく、ただ、少しだけ目が覚めたときに彼がいなかったらという不安から一つのお願いをした。

 

「あの、手を握っていて貰えますか? 目が覚めたらすぐ会えるように」

「ああ、分かった」

 

 言えば彼はすぐにぎゅっと手を握ってくれた。温度センターが彼の体温を感知する。

 今のアイギスではこういったデータは数字でしか認識出来ないが、人の身体になれば触れ合いだけで感じ取られるようになるらしい。

 その事を考えて、なんて素敵なんだろうと思った彼女の瞼がゆっくりと閉じてゆく。

 

「おやすみ、アイギス」

 

 最後に彼の優しい声を聞いた少女は、完全に瞼を閉じるとそのまま意識を手放した。

 

夜――巌戸台分寮

 

 七歌たちが学校から帰ってくると、アイギスは寮のエントランスで一人絵本を読んで待っていた。

 そんな物がこの寮にあったかなと思わなくもなかったが、とりあえず着替えたらすぐに出掛けられるけどと誘うも、彼女はきっぱりと「今日はいいであります」と出掛ける事を拒否した。

 それは美鶴や風花が誘っても同様で、今は絵本に夢中とばかりに読み続けて時刻は既に晩飯時を過ぎていた。

 

「なあ、アイちゃんの様子なんか変じゃね?」

「やっぱり? 帰ってきたら一人で絵本読んでてさ。出掛けないのって聞いたら今日は行かないでありますって」

 

 キッチン前のカウンターテーブルでカップ麺を食べながら眺めていた順平は、昨日会ったときと雰囲気が違うなと思って彼女を見ていた。

 何がどう違うかと聞かれると難しいのだが、一言で言えば雰囲気が明るくなって可愛さも増しているように思えた。

 もっとも、そんな事を言えば女性陣から冷たい視線が飛んでくるので心の中で思うに留めるが、順平の横で牛丼を食べている真田も、テーブルの方でお茶を飲んでいる女性陣四人もジッと観察していれば、突然絵本をパタンと閉じたアイギスが耳のクラッチユニットに手を掛けてそれを外した。

 

「フゥ……音楽というのは奥深いものでありますね」

「って、それ取れんのかよっ?!」

 

 外したイヤフォンを肩に垂らしたのを見て順平が思わずツッコミを入れる。

 まぁ、全員が同じように思ったのだから彼がツッコミを入れるのもしょうがないが、そういうパーツだと思っていた物が外れて下に普通の耳があったのを見て、風花が少々残念そうにアイギスに尋ねた。

 

「あの、アイギス? それってイヤフォンだったの?」

「はい。カチューシャと連結出来るタイプの物でして、音楽を聴くために付けていたのであります」

「ロボットが音楽聴くってなんだよ。つか、その下って普通に人の耳だったんかよ」

 

 今のアイギスの頭は普通にカチューシャを付けている状態だ。そのカチューシャと連結させる事が出来るのが先ほど外したイヤフォンで、繋げる事でヘッドフォンとして利用する事が可能になる。

 そんな説明を受けて、そもそも音楽なんて聴いていたのかと一同は新たな驚きを感じたが、言われてもアイギス本人は話をよく分かっていないらしく、首を傾げてから立ち上がるとテーブルの上に置かれた本の上に付けていた手袋を外して置いた。

 

「よく分かりませんが、そろそろお風呂に行ってくるであります」

『って、そっちは手袋だったんかいっ?!』

 

 今度のツッコミは順平に加えてゆかりと七歌からも同時に入る。

 手袋を外した彼女の手はとても肌が白くて美しかった。細くて長い指、艶のある長い爪、ネイルをやればさぞ映える事であろう。

 ただ、服を着た状態でも分かり易い機械の部位だと思われていた手が、まさか柄付きの手袋だとは思わず、本当にロボットなのかと疑わしく思えてきた七歌が恐る恐る聞いた。

 

「えと、アイギス? あなたってロボットで良いんだよね?」

「いいえ、人間であります」

『はぁっ!?』

 

 見ていると確かに今の彼女は人間にしか見えない。

 と言うよりも、これでロボットと言われた方が疑わしいのだが、他の者からすると彼女は桐条グループの作った対シャドウ兵器ということになっている。

 それがどうすれば人間という事になるのかと、現状への理解が追いついていない美鶴が思わず尋ねていた。

 

「待て、君は桐条グループに作られた対シャドウ兵器という話だったろう。それがどうして人間に?」

「どうしてと言われても。では、美鶴さんは何故人間なのですか?」

「いや、それは人間として生まれたからで」

「では、わたしもそういう事であります」

 

 あっさりと言い返すアイギスの言葉に美鶴も納得しかける。

 何故彼女が人間なのかと考えれば、そう生まれたからとしか言えないからだ。

 しかし、美鶴が完全に納得しきる前に、よく考えろと真田がアイギスがロボットであった証拠が存在すると告げてきた。

 

「おい、納得するな美鶴。アイギスには開発者がいたんだろ。幾月さんも十年前の戦いで損傷して動かなくなっていたと言っていた」

「そ、そうだな。いや、しかし、実際に彼女はどう見ても人間で……」

 

 屋久島で会ったときと違って今の彼女は本当に人間そのものだ。

 雰囲気も明るくなって美しさも増しており、不思議そうに美鶴たちの方を見ながら瞬きをしている姿はロボットには見えない。

 けれど、真田の言う通り彼女が桐条グループに作られたロボットという情報もあり、一体何が何やらと美鶴が悩んでいれば、アイギスのことをジッと見ていた七歌がテーブルの上に置かれた絵本を指さして話しかけた。

 

「……アイギス、その絵本はどうしたの?」

「これはですね。あの方に買って頂いたのであります!」

 

 聞かれたアイギスは嬉しそうに笑って絵本の表紙を皆に見せてきた。

 ネズミが赤いチョッキを着ている表紙は七歌たちも見覚えがあり、風花などは「あ、懐かしい」と呟いてもいる。

 しかし、気にするべきは本の内容ではなく、聞き捨てならない単語が混じっていたぞと美鶴が再度口を開いて尋ねた。

 

「待ってくれ。アイギス、私は君に大人しく寮で待機しているよう命じたはずだ。というか君の大切な人は既に亡くなっていたんじゃ?」

「あの方が亡くなったなど笑えない冗談であります。そのような無礼な事を仰るのであれば実力行使で黙らせる事も厭いません」

「いや、それを言ったのは君だ。私たちはそれが誰なのかも知らないんだぞ」

 

 ムスッと怒った顔をされても、アイギスの大切な人が死んだと言っていたのは本人だ。それで責められては言われた方は堪ったものではない。

 まぁ、大切な人が生きていたからアイギスも元気になったという事なら納得も出来、彼女が勝手に日中に彷徨いていた事も今なら不問にしたいとは思う。

 ただ、少しくらいは相手の情報が欲しいと思った美鶴が話しかけようとすれば、その前にゆかりが美鶴に代わって話を聞いてくれた

 

「それで結局生きてたなら良かったけどさ。どうやってロボットを人間の身体にするのよ? アイギスのボディの時点でオーバーテクノロジーって感じだったのに、それ以上ってもはや魔法の域でしょ」

「あの方が言うには少し頑張ったそうです。ですが、おかげでわたしも妊娠や出産が可能な人間になることが出来ました」

「頑張ったって、本当に何世紀先の技術よ……」

 

 ロボットを人間にするという魔法のようにしか思えない所行。かつて人形に命を吹き込もうとした芸術家たちが何人もいたと言われているが、今回の件はそれの成功例と言っても良いだろう。

 しかし、アイギス本人は歴とした科学技術であると言い、魔法という理論も何もないものではないと断言した。

 それは彼女の大切な人とやらが、世界トップレベルである桐条グループを超える超技術を有している事の証明であり、ペルソナなど異能に触れているメンバーたちでさえ俄には信じがたい事でもあった。

 そして、他の者たちがどうなっているんだと悩んでいれば、自分の荷物をまとめたアイギスは階段の方へ向かっていきながら去る前に言葉を残してゆく。

 

「では、わたしは明日もお出かけする予定ですので、就寝前にお風呂に行ってくるであります」

「あ、待ってアイギス。お風呂の使い方とか教えるから」

 

 七歌たちが帰ってくると女子フロアの一室がアイギスの部屋になっていた。

 彼女はそこに荷物を置きに行くついでに着替えを取ってくるのだろう。

 ただ、人間の身体になったばかりのアイギスに常識があるとは思えず、さらに言えばお風呂の使い方も分からないだろうと風花が後を追っていった。

 それを見送った美鶴は頭に手をあて、本当に何が何やらと深い溜息を吐く。

 

「はぁ……驚きの連続で頭がパンクしそうだ。だが、彼女の身体についてや大切な人とやらの事はグループにも調べさせつつ、私たちの方でも個々で今後探ってゆくとしよう」

 

 彼女の身体は随分と変化してしまったが落ち込んでいたときよりは話しやすい。

 また、寮で生活する仲間が増えた事に変わりはないため、明日には天田が来る事もあってアイギスの人間化は好都合ですらあった。

 他の者たちも完全には納得しきれない様子ではあったが、美鶴に言われると頷いて返し、しばらくは世間知らずな留学生を相手にするような感じで行くことに決まったのであった。

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。