【完結】PERSONA3 Re;venger   作:清良 要

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第二十四話 不視ノ太刀

深夜――奥の間

 

 湊がチドリと桜に運ばれ、入浴も終えて部屋で休んだ後、奥の部屋に戻って来た鵜飼と渡瀬は向かい合い座っていた。

 用意した緑茶に口をつけ、湯呑みを茶托に置くと、鵜飼は苦笑を浮かべて口を開く。

 

「……坊主はそんなに強かったか? 砂利の下の地面まで震脚で踏み抜いて放った衝捶で殺っちまったんだろ? おめぇが初っ端から本気になるなんて、ここ数年なかったぜ」

「あの年齢で考えられない身体能力をしていました。身体に対し何かしらの処置を施した上で、さらに実戦的な訓練を積んでいたようです。瞬間ごとの反応速度で言えば、人間の限界を超えています」

「おうおう、“桔梗の虎”にここまで言わせるとは、ガキの癖に大したもんだな。桐条が欲しがっても無理はねえってことか」

 

 ヤクザだけでなく裏の世界でも渡瀬は“桔梗の虎”として、それなりに知られていた。

 鈍器や刃物を持った者を生身で相手し、逆に拳や蹴りでそれらを破壊した上で、湊にしたように骨ごと内臓を破壊して殺す、裏界でも生粋の破壊屋。

 数年前まで海外で傭兵をしていたところを、鵜飼が気に入り自分の部下として傍に置くようになり、嘗ての野性味はなくなったがその実力は一切衰えていない。

 仕事初日という事情を鵜飼は知らないが、そんな相手に当たってしまった湊に同情しつつからからと笑い、再び湯呑みを手に取った鵜飼に、渡瀬が真剣な面持ちで言葉を続ける。

 

「あの妖しのようなものがあの方に宿っているのなら、それをあの方自身も使役出来ると見た方が良いでしょう。どうして使わなかったのかは不明ですが、あちらが殺す気で来ていれば死んでいたのは自分だと思います」

 

 渡瀬はデスと相対したとき、自分ではあの力に対抗できないとはっきりと理解した。

 故に、湊がペルソナを使えば勝敗は逆転していたと判断したが、湊はチドリの前で人を殺す気がない。

 人を殺したという事実は、自分がチドリとは別の世界で生きる事の証として湊は隠す気はない。

 しかし、人を殺す場面を見せることも、死体となった者を見せることも、明るい温かな世界とは程遠い存在だとして、いくら自分が窮地に追い込まれていても、チドリが傍にいる限りは一切見せる気がないのだ。

 その湊と同じような決意を娘に対ししてきた鵜飼は、なんとなく湊の事情を察しながらも、敢えて気付かぬふりをして返す。

 

「まぁ、そうだろうな。わしも修羅場で何度か死神みてぇなモンがちらついた事はあったが、あそこまではっきり見えちまうと笑うしかねえや。死線越えてきたならわかったろ? ありゃ、“死”そのものだぜ」

「……殺して吹き飛ぶ瞬間、本当に刹那の間だけですが、あの方は蒼い目でこちらを見て僅かに嗤ったんです。その後、妖しが現れましたが、あの方の中にはまだ“ナニか”が居ます。妖しの同類ではなく、もっと別の、禍々しい殺意に取り憑かれた“ナニか”が」

 

 死に瀕した刹那のときだけ表出した湊に内在する“ナニか”。

 殺し合いに慣れ狂人も見てきた自分でなければ、嗤ったナニかと視線が合っただけで発狂していたかもしれない。そう思えるほど、薄気味悪く寒気を覚えた。

 デスが“死”を理解させられ恐怖するなら、ナニかは理解できないからこそ恐怖を感じる。

 そんな風に、小さな身で相反する二つの存在を内に宿す湊のことを考え、渡瀬が目線を伏せると、鵜飼は空になった湯呑みを茶托に置き、それらを盆に載せて渡瀬の前に出してから立ち上がる。

 

「わしら死と隣合わせの人間と違って、生きたまま、“死”そのものを内包できる人間だぜ? それが普通なわきゃあるかい。まぁ、人としては信用出来るだろうし。当分はここに住まわせるんだ。桜はあの様子じゃ、ずっとうちに置いておくつもりになってそうだが、おめぇも二人には良くしてやれ」

「はい、承知いたしました」

 

 寝室へと去っていく長に丁寧に頭を下げると、渡瀬は盆を持って静かに部屋を後にした。

 

――???

 

 何も存在しない、闇だけがただどこまでも広がっている空間。

 渡瀬に殺され、意識を失った湊はそこから外でのやり取りを見ていた。

 そうして、自分の代わりに外に出ていたファルロスが戻って来た事で、外の情報が得られなくなると、ニコニコと笑っている相手に話しかける。

 

「どうして、あそこに住む事を了承した?」

「それが一番だと思ったからだよ。大丈夫、桜さんを見る限り、お爺さんは巻き込みたくない相手は絶対に巻き込まない人みたいだから」

「そんなのは絶対じゃない! 他のやつらがチドリに危害を加えるかもしれないし。別の組の人間なりが攻めてくることだって考えられるだろっ」

 

 声を荒げて胸倉を掴み、湊はファルロスを睨む。

 掴まれたときにはファルロスも驚いたようだが、すぐに表情を真剣な物にすると、ジッと視線を合わせたまま言葉を返した。

 

「なら君は、本当にあの部屋を得た程度でチドリさんを守れると思ってるの? 栗原さんの助力はもう当分期待できない。情報屋の五代さん達だって今はまだ単なるビジネスパートナーだ。そんな状態で、君はその胸の内で燃え続けている憤怒と憎悪の業火とも言える殺人衝動を抑えながら、彼女を十分に守る事が出来るとでも?」

 

 それが湊の意思でなくとも、湊はあの夜に既に踏み超え、禁忌の扉を開いてしまった。

 無意識に抑え躊躇っていた力の行使を、踏み越えた今は一切の躊躇いも持たずにいられる。

 だが、代償として、味方と定めた者以外に対し、相手が見知らぬ者であろうが殺人衝動を感じるようになってしまった。

 これは味方を助けるために踏み越えたことが原因だとファルロスは推測している。

 通り魔事件があるように、全く関わりの無い人間でも『その場にいたから』という理由で傷付ける者はいる。

 そのため湊は、味方が害されるかもしれないという被害恐怖を感じ、理性がそれを抑えてはいるものの、本能は“疑わしきは滅せよ”と排除行動に移ろうとしてしまうのだ。

 尤も、“味方に”というのが重要で、自分自身が害される可能性はおろか、実際に他者から襲われようとも湊は気にしない。掛かる火の子は振り払うだろうが、その行動にはそれ以上の意味はなく、意思も全く備わらない。

 そんな歪な在り様が異常であると気付いていない湊を、冷たい瞳で真っ直ぐ射抜きファルロスは続ける。

 

「――――自惚れるなよ、有里湊。君は彼女を独りで守れるほど強くない。君があの日抱いた高潔な決意は、力を持たぬ今の君では単なる絵空事で我儘に過ぎない。僕がいるから君は死なない。だが、“堕ちなければ”、即時再生なんて不可能だ。今日のように治癒を行っている間、君は何も出来ない。その間に彼女は死ぬ」

「力を使えば、それはっ」

「だが、彼女の前で君は人を殺す事は出来ないだろう? 斬りつけるくらいなら、腕の一本程度なら、そんな風に殺してはいないと言い訳をしながら、彼女の前でも力を揮うのかい? そんな甘い考えで守ろうというのなら、君は直ぐに彼女の元を去るべきだ。敵ばかりの世界で人を守るというのは、そんなに容易いことじゃない。手段と目的を履き違えるなっ」

 

 言われて湊は苦痛を我慢するような表情で顔を俯かせ、相手の胸倉を掴んでいた手を離す。

 敵の多いこの世界で、自分だけでチドリを守ることが如何に難しいかは分かっているつもりだった。

 戸籍はあっても後ろ盾がないため、正規のルートでは未成年である自分たちでは家を借りることすら出来ない。

 仮にホテル住まいが出来たとしても、そんな安定しない生活基盤では、チドリを学校に通わせる事など不可能に近い。

 何より、血に濡れた自分しかいない状況で、対極の存在である明るく温かな世界にチドリを導くなどどうやっても無理なのだ。

 光と闇、それらは表裏一体で、決して交わる事はない。

 だからこそ、チドリを導くには、桜のような光の世界に生きている者の助けがいる。

 ファルロスの言葉を受け、ようやく湊はそれを認めた。

 

「……わかった。完全に傍を離れる事は出来ない。だけど、あの人にチドリを任せてみようと思う」

「うん、僕もそれが一番いいと思う。幸いなことに、彼女は教員資格を持っている。チドリさんの勉強は彼女に任せて、君はその間に力をつけると良いよ。単純な力の強弱だけで負けた訳じゃない事はわかってるでしょ?」

「一応は、ね。エリザベスとテオドアに習ったのは実戦がどういうものかって事だけで、技術面に関してはほぼ完全に我流だ。それにも限界を感じてたところだし、教えて貰えないか頼んでみる」

 

 湊がそういって顔をあげると、ファルロスはいつもの人懐っこい笑顔に戻って頷いた。

 友だからこそ、如何に残酷なことであろうと事実を述べて、その過ちを正す。そんなファルロスの優しさに触れ、湊も久しぶりに少しだけ笑みを浮かべると意識を手放し、光となって消えて現実へと戻っていった。

 

「……頑張ってね、湊君」

 

 誰もいなくなった空間に残ったファルロスも、小さく呟くと瞳には慈愛の色が宿らせ、同じように光となって姿を消した。

 

 

8月25日(金)

朝――桜私室

 

 自分の心の世界から消えると、湊はすぐ現実で目を覚ました。

 ずっと片目だけ見えていた死の線が消えたことで、“直死の魔眼”のオンオフが再び可能になったのだと何となく理解し。

 動いた際に身体の至るところに痛みを感じて、それによりぼんやりとした意識を徐々に覚醒させながら周囲の状況を把握する。

 

(……ここは彼女の部屋か。いまの時刻は朝の六時)

 

 右に寝がえりを打つと、チドリが自分の手を握りながら眠っているのが見え、安堵しながら部屋の中に視線を送る。

 物が少ないこともあり、整理整頓された部屋はどこか生活感が欠けている印象を受けるが、沢山の本が収められた書棚と壁にかけられた古いアンティークの時計だけは、他のインテリアとの違いからこの殺風景な部屋で存在感を放っている。

 そうして、その時計で現在の時刻を確認し、湊は自分が十時間近く眠っていたことを知って、何の抑揚も無い声で呟いた。

 

「……最近の俺は寝てばかりだな」

「あら、起きたの? 身体は大丈夫?」

「っ、起こした?」

 

 急に左側から声をかけられ、そちらに顔を向けると、湊たちの寝ている布団と並べて敷かれた布団で、寝巻用の若草色の浴衣を身に付けた桜が目を覚ましていた。

 独り言を呟いた直後に話しかけられたので、自分の声で起こしてしまったのかと申し訳なく思ったが、湊の言葉に桜は首を横に振った。

 

「いいえ、わたしはいつもこの時間に起きるの。うちには道場があって、そこで瞑想するのが日課なのよ。朝ご飯の準備はそれからだから、小狼君も一緒にくる?」

「……有里湊。それが今の俺の名前。好きな方で呼んでもらって良いけど、教えておく」

 

 尋ねられた湊はそれには答えず、少し迷ってから相手に自分の名を明かした。

 自分の心はすぐに信用することは出来ないと言っている。だが、ファルロスと話したことを実行していくならば早い方が良い。

 そうして、胸中は複雑でありながらも、湊が相手の目を見ながら答えると、桜は数瞬きょとんとしていたが、直ぐに嬉しそうな表情になって、もそもそと布団を移動して湊に抱きついた。

 

「ふふっ、教えてくれてありがとう。なら、わたしはみーくんって呼ばせてもらうね。昨日、口から吐いた血で汚れた貴方をお風呂に入れたときに、その子にも名前を教えてもらったの。吉野千鳥だから、ちーちゃんって呼ばせてもらうって言ったら好きにすればってOKも頂いたわ。だから、貴方のことはみーくんって呼ばせて頂戴」

「……俺は桜さんとしか呼ばないよ。愛称はあんまり付けたりしないから」

 

 馴れ馴れしい。はっきり言ってしまえば、湊は桜に対しそう思っていた。

 女性特有の柔らかさと、優しい香りに包まれ、不快感は一切ない。

 しかし、こんな風に大人の女性に抱きしめられるのは、初めてベルベットルームに訪れたときにエリザベスにしてもらって以降は殆どなかった。

 そのため、あの時よりも精神年齢がかなり上がったこともあり、どういった反応をすればいいのだろうかと悩んでしまい、しばらく相手の好きなようにさせるしか無かった。

 相手はそれで満足なのか、服の上からでも豊かと分かる胸に、湊の頭を抱き寄せて慈しむ様に撫で続け。しばらくそうした後、いい加減飽きたとばかりに湊が身体を起こそうとした事で、身体を離すと浴衣の襟を整えてから起き出した。

 

「それじゃあ、改めて聞くけど、みーくんも道場にくる? こっちはわたしの私室だからって組員の方も近付かないし、ちーちゃんには書き置きをしておけば大丈夫だと思うけど」

「……メッチー、俺の身体に回復魔法かけて」

 

 聞かれたことに答える前に、湊はそういって枕元で寝ていたメッチーを起こす。

 デスの恩恵により潰された臓器と骨は治療されているが、それ以外の部位は治療がされておらず、身体中が痛んでしまいまともに動くことが出来ない。

 それを治すため、湊が送還用のゲート展開出来なかったため、帰れずにいたメッチーに頼むとメッチーは眠そうにしながらも湊に回復魔法をかけた。

 それでようやく動けるようになった湊は、自分のマフラーを探すと、傍に置いてあった鞄から自分の着替えを取り出し、着替えながらメッチーに伝言を頼む。

 

「メッチー、俺は桜さんと道場の方に行ってくるから、チドリが起きたらこれを渡しといて」

《メッチィ》

 

 そうして、さらさらと走り書きした伝言の紙を受け取りメッチーが元気に鳴くと、湊はその頭を撫で。桜が寝るときには着けていなかった和装下着を身に付けて、浴衣の上から羽織りを着るのを待ってから、共に部屋を出ていった。

 

――道場

 

 道場に行く前にブーツを回収し、アンクレットにして装備すると、湊はサンダルを借りて敷地内にある道場にやってきた。

 早朝の澄んだ冷たい空気だけのせいではない、武の為に存在する厳かで侵し難い雰囲気を感じ、湊は少々懐かしいと感じた。

 

「あら?」

 

 知らず表情が柔らかくなっていたのか、それに気付いた桜が不思議そうに湊を見つめる。

 昨夜やってきたときは、どこかピリピリとした空気を纏っていたので、今朝名前を教えてきたときから、少々不思議には思っていた。

 本来ならば、己を殺した男側の人間である桜を敵視してもおかしくはない。

 だが、湊はどんな心境の変化か、複雑な胸中を表すような僅かに不貞腐れた顔で本名を教えるという、自ら歩み寄りをみせてきた。

 桜としては、それ自体はとても嬉しかったので深く追求する気はなかったが、そんな湊が今度は道場に入り、この独特の空気に触れて直ぐに僅かに目を細めた。

 笑みとまではいかないが、肩の力が抜けたように見える。

 そんな様子から推測出来るのは、湊は道場に何かしらの思い入れがあるという事だ。

 いまの湊なら、その理由を話してくれるのではないかと、桜は僅かに期待して尋ねた。

 

「みーくん、どこかの道場にいったことあるの?」

「ん? ああ、まぁね。うん、昔、すこしだけ」

「あ……ごめんね。話したくないならいいの」

 

 桜が尋ねると、声をかけられた湊は声のトーンを落として表情に暗い影を落とし答えた。

 それを見て、触れてはいけない事だったかと申し訳なく思い、桜はすぐに頭を下げる。

 だが、顔を再びあげると、湊は首を横に振っていて、落ち込んだ表情をしている桜を気遣うように口を開いた。

 

「別に、少し懐かしく思っただけだから。俺が前に道場に行ったのは、お爺さんが連れて行ってくれたからなんだ。そのときは折角来たから特別にって一つの型しか教えて貰わなかったけど、ここはどこか特別なんだってのは幼い俺でも理解できて。もう少し大きくなったら色々と教えてやるって言われたんだ」

「優しいおじい様なのね。おじい様は何か武道をやっていらしたの?」

「何かしらはやってたと思う。だけど、特にどんなものかは聞いてないんだ。聞く前に、次の年に病気で亡くなったから」

 

 入り口に立ったまま話す意味がないため、礼をして道場の中へ進むと、二人は真ん中で向かい合って正座をしながら会話を続ける。

 祖父が死んだといった時には、再び桜の表情に申し訳なさそうな色が過ったが、道場に足を踏み入れたときに感じさせたような、力の抜けた自然な佇まいを見せたことで、それは消えた。

 湊の中で、祖父の死は既に乗り越えたことであり、死を悲しむよりも一緒に過ごした思い出を大切に想う状態にある。

 それに他人が同情の眼差しを向けるのは侮辱になると思ったのだ。

 だから、桜は過去の思い出を話す湊を見守りながら、その大切な思い出にもう少しだけ触れることにした。

 

「……ねぇ、みーくん。おじい様に教えて頂いたっていう型が、どんなものか見せてくれないかしら?」

「え? 見せるっていっても、攻撃を当てる物がないと何をしてるのか分からないと思うけど?」

「そうなの? じゃあ、あそこに立てかけてる畳は古い物だから、別に傷付けても構わないわよ」

 

 言いながら指を指す方向には、確かに壁に立てかけられた畳があった。一体何のために態々古い畳を残して壁に立てかけているのかは不明だが、傷付けても構わないのであれば、実践して見せるための対象としては丁度良い。

 立ち上がり、畳の前まで湊は歩いてゆくと、二メートルほどの距離をあけて、右足を一歩前に出したまま腰を落として構えた。

 左手を腰のベルトのところで半握りの形にし、右手もその延長線上で同じような形にしている。

 その姿はまるで、

 

(抜刀術……)

「――――っ!!」

 

 湊が動いたと思ったそのとき、次の瞬間には、湊は畳に背を向けて左足を前に出し、右手を振り抜いた姿になっていた。

 一瞬のことで最初の動と最後の静の姿しか見えなかったが、湊が何をしたのかは、畳を見れば理解出来た。

 

「畳に、刀傷が……」

 

 どの剣術流派のものかは分からぬ抜刀の構え。そこから何も持っていないにも拘わらず、湊は抜刀のモーションに移り、目の前の畳に刀で斬ったような痕をつけた。

 昨夜、組員を相手したときに武器を知らぬうちに取り出していたが、いまのはそんな物ではない。

 一体何が起こったのかと、桜が驚きに目を見開き、言葉を発しようとしたそのとき、

 

「おうおう、不視ノ太刀(ミエズノタチ)とはまた偉ぇもん知ってやがんな……」

「……お父さん」

 

 密かに見ていたのか、入り口の壁にもたれて立っていた鵜飼が苦笑いしながら道場に入って来た。

 気付いていなかった桜は、いつから見ていたのか視線で尋ねるが、鵜飼はそのまま湊の元までやってくると、斬った痕のついた畳にそっと触れた。

 

「……こりゃ、本物だな。坊主、おめぇ、無刀抜刀なんてどこで習った?」

「三年前にお爺さんからこれだけ教えてもらった。ただ、技の名前は知らないし。初期の構え自体はそれぞれのやり易いものがあるからって、振り抜く動きと手の形しか聞いてないけど」

「三年前っ!? 坊主、いまいくつだ?」

「いまの戸籍なら、一応、八歳だよ」

 

 そうなると、湊がこの技を習ったのは五歳のときという事になる。

 ついている傷は長さおよそ五十センチに、幅は二ミリ程度。深さは中央の最も深い場所で二センチ弱と、畳の硬さを考えれば素手で付けたとは思えないレベルの物だ。

 このような、えげつない斬撃を素手で放ったこと自体が信じられないのだが、習ったのが小学生にも満たない年齢であった事の方が衝撃的で、鵜飼は口を開けてあんぐりとしていた。

 しかし、いつまでもそうしてはいられないと、頭を振って気を取り直すと、湊も呼んで桜の近くに座ってから話し始めた。

 

「あー、坊主がやったのは不視ノ太刀ってぇ呼ばれる、無刀の抜刀術だ」

「無刀の抜刀って矛盾してるじゃない」

「そう言うんだからしょうがねえだろ。わしだって実物を見るのは初めてなんだ。なんせ、実在はするが、存在はしないって言われてた幻の剣戟だからな」

 

 桜に言葉を返す鵜飼のいう“剣戟”とは、刀剣による戦闘ではなく、刀などの武器のことだろう。

 一部の人間には知られている、技でありながら一振りの刀として扱われるもの。それが、鵜飼の知る『不視ノ太刀』だった。

 

「わしがこれを聞いたのは先代からでな。といっても、先代も実物は見てなかったらしいが、戦後のまだ治安がいまほど良くなかった頃。不貞を働いてた外道なやつらを素手で斬り伏せ、人々を守った男がいたらしい。単純に速くて見えねえんじゃねえ。実際にそいつは何も持ってなかったんだ。そんで、守られたやつが付けた名が『不視ノ太刀』だ」

「それじゃあ、みーくんのお爺さんがその噂の人物ってこと?」

「そりゃ分からんが、少なくとも無関係ではねえだろうさ。本人か師弟か、どちらにせよ坊主が教わったのは、そういった夢現の狭間にあるもんだ。あんま他所で見せんじゃねえぞ。簡単に真似出来るもんじゃねえだろうが、そんなもの使えるやつが他に現れたらたまったもんじゃねえからな」

 

 鵜飼はそういうと立ち上がり、入り口へと向かって歩いていく。

 単に様子を見に来ただけで、特別ここに用があった訳ではなかったらしい。

 そして、出ていくと思われた鵜飼は、背を向けたまま入り口で止まると、そのまま話しかけてきた。

 

「……坊主、おめぇ剣や刀は使えるか?」

「我流だけど、短刀だけ持ってる」

「そうか。んじゃ、飯食っておめえらの話聞いたら良いもんやる。だから、桜は飯の用意して、坊主は嬢ちゃん起こしてこい」

 

 どこか楽しげにそう言い残すと、鵜飼は道場を後にした。

 娘の桜も、父親が湊に何を与えようとしているか分からず首をかしげているが、とりあえず言われた通り、本日の瞑想は止めて、朝食を作りに行くべく立ち上がった。

 

「じゃあ、みーくんも行こっか。朝ご飯なにがいい?」

「……和食かな」

 

 立ち上がりながら湊が答えると、桜は笑顔を浮かべて湊の手を引っ張り道場を後にした。

 冷めた表情のまま手を引っ張られる湊と、朗らかな笑顔のまま楽しげに歩く桜は対照的ながらも、どこか仲の良い姉弟のように見えた。

 

――桜私室

 

 朝食を作りに行った桜と別れ、湊はチドリの寝ている桜の私室に戻って来た。

 布団には静かな寝息を立てているチドリとメッチーの姿があり、部屋に入った湊はもう少し寝かせておくため、静かに部屋の隅に座る。

 

(……手を握られた。その前には、抱きしめられた)

 

 先ほどまで桜と繋がれていた右手を見つめ、湊は独り考えに耽る。

 “八雲”から“湊”に変わって以降、他者の力を借りながらも、人から頼られてばかりだった。

 多数の人間の心の集合体である“デス”を内包した事で、湊はデスの元になった者らの知識を一部吸収した。これがあのムーンライトブリッジの戦いから目覚めて以降、本人の知らぬ知識を持ち、精神年齢が急激に上がった理由と湊は推測している。

 

(あの人は温かい。姉か、母親か、両方かもしれないけど、なんでも受け止めてくれそうな人だった)

 

 それにより、広い知識と高い知能を持ち、飛騨の改造を受ける事で戦えるだけの力も得た。

 他の者では湊ほど多く手に入れられぬ飛騨の改造全てに耐えられたのは、デスが宿主である湊を生かすからであり。他者から頼られるのは、力を得た責任と家族の中で自分だけが生き残ってしまった贖罪という形で受け入れることにしていた。

 けれど、エルゴ研からの脱走のとき、仲間を死なせた責任に打ちのめされ、それでもまだ助けを求め頼られたことで、多くの重圧に無意識に耐えていた湊の心の針は振りきれてしまった。

 守るために戦ってきたが、それでは足りない。このままでは、大切な物を守る事は出来ないと、いままで踏み止まっていた自分を殺した。

 

(信用、しても良いかもしれない。あの人なら、チドリの心を守ってくれる)

 

 その湊が契約を結んだ者とファルロス以外にも、心から信じられそうな相手を見つけた。

 不安が完全に拭えた訳ではない。自分がいない間にチドリが襲われる心配もある。

 けれど、

 

(……強くなるために、俺を殺したあの男や、喫茶店で会ったイリスたちに戦う技術を教わろう。チドリを彼女に任せ、その間に俺は出来る事をなんでもやって2009年に備える。裏の仕事をしていれば、情報も入ってくる。追手がいれば、俺が殺せば良い。だから、チドリは安全な場所にいさせておく)

 

 今までエルゴ研でも訓練中以外は基本的に傍にいさせたチドリを、湊は初めて自分とは完全な別行動を取らせようと考えた。

 チドリを守るために傍にいる事を第一に考えていたが、それが最も安全であるとは限らない。

 エルゴ研では、危うく松本の凶弾を受けそうになり、戦う自分の近くにいるのは危険だと薄々気付いてはいたのだ。

 だから、より安全でいられるよう、組長の娘である桜と共にいさせることにする。

 力をつければ今回のような事にならずに済み、裏の仕事で巌戸台の方で活動していれば隣の市にあるここへは気付かれにくくなる。

 

(俺もここで暮らしていくし、仕事関係で少し離れてもチドリも納得してくれるだろう。だから、俺は少しでも早く強くなる。チドリを危険な目に合わせないために)

 

 湊は決意を新たに固めると、精神の昂りに反応していた蒼い瞳を金に戻し、チドリを起こし着替えさせて、呼びに来た桜と共に朝食へ向かった。

 

 

 


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