影時間――山門
「姉さん、チドリさん、コロマルさんっ」
湊の攻撃を妨害したペルソナたちは、糸で拘束している一体を除いて消えてゆき、代わりに山門の上からラビリス、チドリ、コロマルが降りてきてアイギスたちの傍に着地した。
二人と一匹が最悪の事態を防いでくれた事でアイギスは安堵の息を吐き、ルキアに捕らえられている二人も同じように泣きながら安心している。
そんな彼女たちの様子と共に、石段に倒れている者たちを見たラビリスとチドリは、剣を振り下ろす途中の体勢で拘束されている青年に声を掛けた。
「湊君、いま何しようとしたんよ?」
「どういう状況か説明して」
二人の声は普段よりも低く、そこには明らかに怒りの感情が混ざっており、本当ならば今すぐにでも彼を殴りたいという意思が読み取れる。
けれど、問われた青年は蛇神の影を使って拘束していた糸を切ると、赫夜を剣から分離して無の大剣をマフラーに仕舞っている。
質問に答える気がないのか、それとも分かっているのにわざわざ聞くなと思っているのか、今の青年の表情からは考えが読み取れない。
ただ、茨木童子にアイギスを離してやれと言ってからルキアを消し、自分の持っている自我持ちのペルソナを全員呼び出したので、彼の行動に注意していれば、氷が溶けて開くようになった山門が開いて不安そうな表情の美紀が外に出てきた。
「っ、兄さん、シンジさん!!」
外に出てきた美紀は石段に倒れている兄たちを発見し駆け下りてゆく。
それに続くようにルキアから出られたゆかりと風花も駆け下りてゆき、瀕死の重傷の天田や、腕を斬り飛ばされた美鶴の許へ向かった。
専門家でなくとも全員がこのままでは危険な状態だと分かる。中でも天田と美鶴はすぐに病院に連れて行っても助かるか分からない。
だからこそ、今この場で全員を救う手段を持っている青年に美紀は助けを求めた。
「有里君、お願いします。皆さんを助けてくださいっ」
「……助ける理由がないな」
皆の怪我を見て青い顔しながら必死に頼んだというのに、湊はなんで助ける必要があるんだと不思議そうに肩をすくめる。
それを見た名切りのペルソナたちは相変わらずだと苦笑しているが、今はそんな亡霊たちの反応に文句を言っている暇はないため、チドリとラビリスもゆかりたちを手伝って怪我人を助け起こし、改めて彼に治療するように言った。
「湊、この人たちを治療して」
「助けたければ自分でやれ」
「あなたにしか出来ないから言ってるのよ!」
利き腕の肘を破壊されさらに斬りつけられた真田、
鋭利なナイフが脇腹に突き刺さって大量に出血している順平、
胸を斬られ同じように大量に出血している荒垣、
脇腹を斬られた上に火炎弾をまともに喰らって大火傷を負った天田、
右腕を切り飛ばされレイピアで腹を貫かれた美鶴、
丸薬の副作用とフィードバックダメージで口から血を吐きまともに身体を起こせない七歌。
よくもまぁ知り合いをここまで痛めつけられたものだと逆に感心してしまうほどの惨状に、チドリとラビリスは飛び出すのが少しでも遅れていれば彼女たちが死んでいた事を改めて理解する。
湊からはストレガが何か仕掛けてくるかもしれないから中にいろと言われていたのだが、外で戦闘が始まったことで心配したチドリが索敵したことで敵の正体が判明し、ペルソナを使った戦闘が始まったときには七歌たちが危ないと思って何とか外に出ようと考えた。
しかし、外に続く山門は外から凍らされていて開かず、かといって裏門から出ていては間に合わなくなる。
そうして思い付いたのがラビリスに山門の上まで運んで貰い、そこから飛び降りて外に出るという方法だった。
おかげで何とか間に合う事が出来たが、湊は倒れている者たちを敵として認識しているため治療してくれそうにない。
順平を助け起こしていたチドリが怒って言っても黙って見ており、本当にコイツはとチドリが立ち上がろうとしたとき、七歌の様子を見ていたラビリスが湊に駆け寄るなり胸ぐらを掴んで怒鳴った。
「なにゴチャゴチャ言うてんの! 七歌ちゃんも美鶴さんも死にそうなってんのに、それを見てなんで普通に助けようと思えへんのよ! ええから早よ治療しぃ!」
ここまで彼女が怒る事は初めてだ。言われた湊はジッと相手の赤い瞳を見ていたが、彼女に開放されるとアベルの楔の剣を具現化し、時流操作を利用してアイギスを除く特別課外活動部のメンバーらを切ってから山門へと向かい赫夜に後を任せた。
「赫夜、適当にやっとけ」
《……はい》
全員からペルソナを奪っただけでなく、密かに召喚器も奪い取った湊が屋敷に帰って行く。その際、赫夜は湊の瞳の色が僅かに暗く濁ったような気がしたが、今はすぐにでも治療しなければならない者がいるので石段を降りてゆく。
赫夜が淡く温かな光を放出して一人一人治療して回り、天田の大火傷や真田の骨折を完全に治すと、美鶴の腕も切断面を付けながらスキルを掛ければ無事にくっついて動くようになっていた。
「まさか、切れた腕まで繋がるとは……」
「ホンマにゴメンな。湊君、普段はちゃんと手加減するんやけど」
血を失ったことによる気怠さはあるが、治療して貰った美鶴は繋がった腕の指が無事に動くのを不思議そうに眺める。
他の者たちも自分たちのスキルではあり得ない回復力に素直に驚き、これならばチドリたちが治療するように言っていたのも納得が出来た。
そして、丸薬を飲んだ副作用すら治療して貰った七歌が痺れの消えた手を動かしていると、傍に屈んで目線を合わせた赫夜が窘めるように話しかけた。
《七歌、八雲相手に鬼血丸を使用してはなりません。ただの鬼が相手ならばまだしも、神祖の血を持つ八雲が相手では勝ち目がありません》
「ふえ? お姉さん、なんで薬の名前知ってるの?」
七歌が飲んだ丸薬の名前は“鬼血丸”といって、文字通り名切りの血を原料とした薬である。
ただ、どうしてそれを見知らぬ女性が知っているのかと七歌が問えば、ラビリスらと一緒にこちらに残ってメンバーの容態を見ていたアイギスが答えた。
「七歌さん、その方は八雲さんのペルソナとなっている九頭龍家の始祖、ユーリお婆様です」
「え、なんで八雲君の方にいるの? 八雲君は鬼で、うちが龍じゃん」
《完全なるモノは両家の能力を統合する事で生まれます。それ故、最も強き龍の力を宿すあの子にわたしも憑いたのです》
七歌も普段は意識していないが、現在の九頭龍家当主は特級五爪守護龍憑きとして覚醒した湊である。
本人に言えばそんな家は潰してしまえと返してくるだろうが、最も強い龍の力を持った者に始祖の霊が憑くのはある意味当然で、それなら納得するしかないかと七歌も渋々認める。
「とりあえず、全員家に案内するわ。男は内風呂、女は露天の方で身体の汚れを落としてから話をしましょう」
そうして、無事全員の治療が終わり、どうにか動ける状態になると他の者たちを立たせたチドリが先頭になって彼らを家に案内した。
深夜――桔梗組
ここを初めて訪れる者たちは、中に案内されると驚いた様子を見せた。
老舗旅館かと思うほど立派な造りの日本家屋に、露天風呂と内風呂の檜風呂があると聞いては、本当にここが普通の家なのかと疑うのも無理はない。
しかし、血や土で汚れた格好のままいさせる訳にもいかないため、全員を風呂に入れている間に部屋に独りでいた湊に着替えを出させ、綺麗になった七歌たちを組の話し合いにも使っている長テーブルのある和室に案内した。
「ごめんなさいね、すぐ淹れられるものがお茶しかなくて」
言いながらお盆にお茶を載せてやって来たのは桜だ。
影時間が明けるなり急に大勢が来た事には驚いたようだが、相手が湊と同じ学校に通う生徒と聞いて、ならば寝る部屋の用意もしなければと取り計らってくれた。
相手と面識のあった者たちは「突然押しかけてすみません」と申し訳なさそうにするが、桜にすれば組員が大勢泊まることにも慣れているので、最初から美紀やラビリスが泊まる事もあって気にしていないらしい。
テーブルに着いた全員の前に湯気の立った緑茶を置き、個別包装されたお茶菓子も器に入れてセッティングしたことで準備は完了。
桜もここに残って話を聞くようで、子どもたちのいるテーブルと並べて置かれた湊のペルソナたちがいるテーブルに着いた。
すると、相手がいれば不快に思うくせに、いないとそれはそれで気になるらしく、お茶に口を付けて湯呑みを皿に置いた真田が尋ねた。
「……あいつはどうした?」
ここにいないという事はまだ部屋にいるという事だろう。チドリが呼んでくると席を立とうとすればアイギスが立ち上がり自分が行くと伝え、部屋の場所を教えるためアリスも一緒に部屋を出て行った。
それを見ていた特別課外活動部のメンバーは、未だにペルソナが自我を持っている事が信じられない様子。
けれど、隣のテーブルではヒーホー君の正体であった少女が最中を食べてお茶を飲んでいるので、言われなければ人間と区別が付かないなと思いつつも状況を受け入れ始めていた。
「お連れしたであります」
アイギスたちが部屋を出てからしばらくすると二人の少女と共に湊がやってくる。
その瞳の色は戦闘時と同じ“蒼”であり、未だに戻っていないことにチドリやラビリスは眉を顰めたが、彼がアイギスの隣に座ると敵意を隠し切れていない順平が青年に尋ねた。
「なぁ、オレらの召喚器とペルソナはどうしたんだよ?」
「……俺が持ってる。お前たちが暴れないようにな」
暴れたところで全員を無力化するのに一分もいらないだろう。
しかし、家で暴れられると迷惑であるため、外に残っていた武器も含めて湊が全て回収しておいた。
それを聞いた特別課外活動部の者たちは、どうやってペルソナを奪っているのか気になりつつ、自分の大切な物が敵の手にある事を不快に思って言葉をぶつけた。
「わざわざ暴れたりしねーよ」
「ああ、今すぐに返せ」
順平に続いて真田も湊を睨みながらペルソナを返すように要求する。
メンバーの女性陣はそれを怖々見ているが、湊が反応を返す前に隣のテーブルから笑い声が聞こえ、茨木童子が笑って目に滲んだ涙を指で拭って口を開いた。
《アハハハハッ、青さも過ぎれば見るに堪えんな。勘違いしているようだが、貴様らは八雲の慈悲で生かされただけだ。立場を弁えろ》
「フン、勘違いしているのはお前たちの方だろう。何万という人間の命を奪ってきたらしいが、平然と他者を害する傲慢さとそれだけの罪を犯しながら生きていられる図々しさには頭が下がる」
他人の命を自由にしてきた事で自分を偉いと思っているのではないか。
相手の言葉に怯まず真田がそう返せば、途端に部屋の空気が張り詰めてゆく。
原因は隣のテーブルにいる湊のペルソナたちが真田に対して怒りを覚えているからだが、自分たちの愛子や主が侮辱されれば怒るのも当然だ。
これまで散々裏で助けて貰っていた、という事情も加わればすぐに手を出さないだけ我慢している方だろう。
ピリピリとした空気から自分たちが危険な状態にあると美鶴は気付き、これ以上真田が相手を刺激しないよう諫める。
「……やめろ、明彦。今の私たちは向こうの厚意で話し合いの場を設けて貰っているだけなんだぞ」
「そうね。別に貴方たちをどうこうするつもりはないけど、八雲のペルソナたちは自我を持っているから、八雲の意思を無視した行動だって取れてしまう。余計な挑発をしたときの身の安全は保証出来ないから、もう少し考えて発言してちょうだい」
ペルソナたちが暴れればエネルギーを供給している湊を除き誰も止められない。
その唯一のストッパーがやってきた客を歓迎していないため、これ以上迂闊な発言が続けば文字通り命の保証はしかねた。
改めてチドリがその事を伝えると特別課外活動部の男子メンバーは渋々大人しくなり、無謀を超えて命知らずとしか思えない男子らに溜息を吐いてから美鶴が口を開いた。
「まず、我々がここを訪れたのは、ストレガという者たちに美紀がここにいると聞いたからだ。その際、八雲が大勢を殺してきた人間という情報とここが極道の家という情報も伝えられた」
「あの、私がここにいるのは自分の意思です。満月の日はシャドウが凶暴化するからと保護して貰っていたんです」
「それはいつからだ?」
「去年の五月の終わり頃からです。影時間に驚いて外に出てしまって、シャドウに襲われたところを有里君が助けてくれたのが切っ掛けです」
去年の五月末からという事は、美紀は湊に助けられてから一年以上ここに通っていた事になる。
ならば、突然現われた敵に妹の所在を聞くまで知らなかった美鶴たちは、本来口を出せる立場ではないだろう。何せ美紀の命が危険に晒されていたことすら知らなかったのだから。
だが、兄として妹のことには口を出さずにはいられない真田は、美紀が湊に助けられたと口にしたところで顔を顰めながら、どうして助けられた後も自分を頼らなかったんだと問い質す。
「何故、そこで俺の方へ相談に来なかったんだっ」
「兄さんもシンジさんも何も言ってなかったじゃないですか。それにシャドウの出る巌戸台から離れた方が安全ですし、有里君やチドリさんの方が兄さんたちより強いと言われましたから」
七歌たちの総適性値はアイギスを含めて『216900sp』、平均で言えば『24100sp』となり丁度ゆかりの適性値と同じだ。
それに対してチドリたちは湊に付き添って貰いながらモナドにいたので、二人と一匹で平均五万ほどとなっており、ペルソナのステータスも非常に高い。
ステータスの高さについては特別課外活動部のメンバーが精神的にまだ未熟で、精神の変化でペルソナが進化する余地があるからこそ伸び悩んでいるだけだが、そこさえ乗り越えれば七歌たちも制限解除され適正値も飛躍的に跳ね上がるに違いない。
ただ、現時点ではチドリたちの方が強いことに間違いはないので、女子二人と犬に負けていると言われた男子らが微妙な顔をしたところで美鶴が話題を戻した。
「話を戻そう。先ほど言った事情もあってこちらに来たんだが、山門のところで有里に帰れと言われてな。美紀のことで頭に血が昇った明彦が殴りかかり、腕を折られたのを見て他の男子も交戦してしまったんだ」
少々申し訳なさそうに伝えて美鶴はお茶に手を伸ばす。
湊も相手の腕を折るなどやり過ぎな面はあったが、客観的に見れば自分たちから先に手を出しておきながら、やられて仕返しに行って再び返り討ちにされただけだ。
男子らの喧嘩っ早さが今回の原因であるため、終わってみれば罪悪感が湧いてきた美鶴が気まずげにするのも無理はない。
とはいえ、知り合いの真田たちなら家に入れてやれば良かったのではと思ったのか、ラビリスはジトッと責めるような目で湊に尋ねた。
「なんで湊君は入れてあげんかったんよ?」
「……武装した集団が来て入れる訳ないだろ。俺は真田は奥で寝ているはずだと伝えた。影時間が明けてからでも電話して確認すれば済んだ話で、どうしてそんなやつらを入れなきゃいけないんだ」
影時間には黄昏の羽根を積んだ機械以外は動かない。逆に影時間さえ明ければ携帯に連絡する事は可能なのだ。
既に相手側に捕まっているのなら影時間内に解決しようとはせず、そういった方法で安否確認をしても良かったはずだ。
そして、それ以前に極道の家であり相手が殺人鬼だからと警戒したのだろうが、他人の家に行くのに完全に武装して良いはずがない。
自分たちに戦闘の意思はないと目の前で武装解除するパフォーマンスを見せるなら分かるが、武装も解かずに一方的に要求を告げ、さらに断られれば武力行使に出るなど悪手のオンパレード過ぎて話にならなかった。
湊がその事を指摘すれば、隣のテーブルでお菓子を食べていた座敷童子とバアル・ペオルの姿になった鈴鹿御前が補足を入れてくる。
《八雲は……ちゃんと、忠告した…………何度も、何度も……》
《ああ、随分と優しいものだったぞ。此奴らもただ切られただけだからな》
「吉野たちが来なければこいつは俺たちを殺していただろうがっ」
後一歩遅れていれば殺されていた。寸止めなどという脅しではなく、完全に自分たちを焼き殺そうとした事実は消えない。
興奮のあまり思わず立ち上がって真田が言えば、特別課外活動部の女性陣たちも複雑な表情で視線を落とす。
それを聞いたチドリやラビリスは、鈴鹿御前が言っていたのは魔眼を発動しながら死の線を切らなかったという事だろうと理解しながらも、相手を殺そうとしていた事はやはり問い質さねばと真剣な顔で湊に話しかけた。
「それや。湊君、なんで皆を殺そうとしてたんよ? いくら何でも限度があるやろ」
「……敵なら殺すだろ」
「皆、知り合いや! いくらでも無効化の手段があるんやから、そこまでする必要ないやろ!」
テーブルを叩き怒鳴るラビリス。言われた青年は感情の読めない蒼い瞳でジッと見返しているが、 途中の経緯を知らないラビリスにすればそう思うのは当然である。
相手を重傷に追い込んだ上で殺そうとした。端的な情報しかなく事実のみを並べればそうなるため、明らかにやり過ぎな湊をチドリも睨めば、言われた本人は静かに口を開き反論した。
「それはこいつらに言え。アナライズをしていた山岸と負傷者の回復をしていた岳羽を捕らえた以外、全てこいつらから攻撃を仕掛けて来たんだ」
そう、先ほどの戦闘において湊からは誰一人攻撃を仕掛けていない。
真田だけでなく、荒垣も天田も順平も、全員が先に仕掛けて返り討ちにあった。
途中で参戦した美鶴だって彼女からスキルを放っているし、七歌など最初から殺すつもりで林の木まで吹き飛ばしてきた。
だというのに、青年が全て悪いかのように言われれば、最初に言っていた通り帰っていればそんな事にはならなかったと言い返したくなるのも無理はない。
そして、湊がそう言い返せば天田や順平が睨んできていたので、負傷していた天田を盾にした件についても説明する。
「はっ、随分と俺に憎しみを抱いているが筋違いだぞ」
「なんでだよ。お前が僕を炎に放り込んだんじゃないか!」
「お前が負傷したのはお前のお仲間の攻撃によってだ。直撃していれば相手も同じ怪我を負っていたというのに、仲間を助けるためだと理由をつけて自分たちの暴力だけは肯定するのか?」
あのタイミングならば湊は簡単に避けられた。よって、天田のように直撃という事はなかっただろうが、ペルソナ二体の波状攻撃をしておきながら相手を傷つける意思がなかったという事はないだろう。
当たっていれば天田のような大怪我を負う攻撃を仲間が放っておいて、自分がそれの盾にされて憤るなど話にならない。
「先に手を出してきたのはお前たちだし、ペルソナのスキルを放って来たのもお前たちからだ。こちらは一人だったのに対し、お前らは最大三人で同時に仕掛けてきてもいたな? ただお前らが弱すぎただけの話で人を悪者にするなよ」
そう言い切り湊が口の端を僅かに上げれば、我慢の限界が来たのか男子たちが立ち上がる。
「んだとテメェ!」
「調子に乗るなよ!」
そして、女子たちが止める間もなくテーブルを踏み台にして殴りかかろうとすれば、
「――――敵に見逃され、情けで治療して貰った分際で粋がるなよ」
彼らは背後から首を掴まれ一歩も動けなくなる。
一瞬で移動することは影時間にも見せていたが、一人でどうやって四人の首を掴んでいるのかと思えば、湊は背中から黒い腕骨を出して四人の首を掴んでいた。
ギリギリと首に指が食い込んでいき、四人の身体を持ち上げてゆく。
掴まれている者たちは自由な腕で骨の拘束を解こうとするが、影時間外のペルソナ使いの身体能力は一般人とさほど変わらない。
下手をすればペルソナより強い力を解ける訳もなく、全員の顔色が悪くなりだした頃に一人の少女が口を開いた。
「八雲、今すぐ部屋に戻って。貴方がいると話が出来ない」
「……そっちが呼んだくせにな。まぁいい、少しは自分たちの行動がどれだけ偏ってるか考えろ」
冷たい視線で睨むチドリに言われると湊は拘束を解いて部屋を出て行く。
その際、またしても瞳の色が僅かに濁ったように見えたが、荒い呼吸をしている男子たちを心配そうに眺めていた者たちは誰もその事に気付かない。
「はぁ……不必要に八雲を刺激しないで。私たちの前では人を殺さないけど、裏を返せば一瞬で別の場所に連れて行って殺す事は出来るの。八雲も言っていた通り貴方たちは見逃して貰っただけ。自分たちの実力で生き残った訳じゃないのに勘違いしないで」
相手の実力を見ておきながら、まだこうやって感情に任せて行動出来る無謀さには感心する。
もっとも、それは大いに呆れを含んだ皮肉なのだが、お互いのメンバー等の情報交換をする前に湊を退出させなければならないのは予想外だった。
未だに彼しか知らない情報はあるし、誰よりも影時間について理解している彼から聞いた方が早い話もある。
しかし、彼をここに残せば怒りが収まっていない彼らと話など出来はしないだろう。
「なんであんな異常者を野放しにしているんだ」
「兄さん、失礼ですよ!」
首に残った掴まれた痕に触れながら吐き捨てた真田の一言に美紀が激怒する。
もし、ここで九年前の火事について説明すればどんな顔をするのだろうか。そんな事を思いながらチドリが暗くなった場の雰囲気をどうするか考えていれば、隣のテーブルにいた湊のペルソナたちが次々に立ち上がった。
《クフフ、お前たちはつくづく八雲を怒らせるのが上手いな。魔眼を解除出来ないほどの怒りなど久方ぶりだぞ》
《七歌、八雲はあなた達を赦してなどおりません。チドリやアイギスがいるから何もしていないだけのこと。今の八雲が何を想っているかは分かりませんが、自分たちの行動の責任が未だ残っていることを忘れてはなりません》
茨木童子と赫夜比売がそう言い残すと次々に部屋を出て行く。
自分たちが使った湯呑みはアリスがお盆に載せて持っていったが、座敷童子などは真田の後ろを通るときに背中を蹴ってから出て行った。
蹴られた本人は何をすると僅かに憤った表情を見せたが、小学校高学年か中学一年生ほどの小さな少女が蹴った理由も分かるので、女子たちは特に何も言わずペルソナたちの言葉について頭を悩ませる。
「……迂闊だった。解除してないんじゃなくて、解除出来ない状態にあるなんて」
「やはり、八雲もあの眼で何らかの異能が使えるのか?」
「ええ、それを使われていたら貴方たち死んでたわよ。防御も回復も不可能な最凶の力だから」
美鶴が尋ねればチドリは詳しい能力は伏せながら端的に語った。
思えば魔眼状態でありながら彼らの傷を全て治せた時点でおかしいのだ。
それはつまり湊は相手を本当に追い返す目的で戦っていたという事で、相手を殺そうと考えるまでにかなり我慢していたのだろう。
戦闘が終わってからも魔眼が切り替えられないなどいつ以来か。
このままでは本当に拙いと思い、チドリは今日の話し合いはここまでにしようと伝えると、アイギスを含め誰も湊の部屋に近付くなと告げ、そのまま桜と一緒に部屋を出て行った。
他の者たちは既に泊まる部屋を聞いているのでそこへ移動し、部屋を去るチドリの表情から自分たちは一体どうなるのかと不安を抱えながらも、戦闘の疲れが出たのかその日はすぐ眠りについた。
――桐条宗家
チドリたちが部屋で話し合いをしていたのと同時刻、警察からの電話を受け、幾月と思われる焼死体が発見されたという報告を受けた桐条は頭を抱えていた。
寮の駐車場で発見されたので寮生に事情を聞こうと思ったが、誰もいないのでどうしていないのかとも尋ねられた際には、夏休みなので知り合いの家に揃って泊まりに行っているというありきたりな理由しか返せなかった。
どうして焼死体が幾月だと分かったかと言えば、持ち物からそう判断されたようだが、損傷が酷く見た目では人物の特定が不可能なので、これから司法解剖を行ない歯形などから特定して行く事になるらしい。
犯行は影時間に行なわれたと推測され、きっと真相は分からず強盗目的で襲いかかった犯人が誤って殺し、その証拠隠滅を図ったなどといった感じになるに違いない。
大事な右腕とも言える人物を殺された桐条は、犯人は誰だろうかと推測する。
最も可能性が高いのは有里湊だが、彼は桐条のことも生かしているので急に殺す事はないと思われる。
ならば、最近聞かれる影時間を悪用している者たちだろうかと考えるが、犯人がわかったところで幾月が生き返る訳ではない。
桐条武治という個人の感情は今は置いておき、今後の子どもたちのサポートも含め、彼の後を継いでくれる者を早急に探さなければならないとグループ総帥の顔になったとき、パソコンのプライベートアドレスに一通のメールが届いた。
「ん、これは……」
こんな時間、それも立場的に自然とセキュリティの厳しくなるプライベートアドレスにメールなど珍しい。
幾月の事があったばかりという事もあって、重要な件かと内容に目を通した桐条は余計に頭を抱える事になる。
そこに書かれていたのは、巌戸台分寮の生徒たちが武器を持って襲撃してきたため、無力化した上で保護しているので朝一で引き取りに来いという湊からの命令であった。
相手は極道、ただでさえ話がややこしいというのに、どうして娘たちは関わるどころか手を出してしまったのか。
頭痛どころか胃痛すら感じるようになりながら、深く溜息を吐いた桐条は部下の高寺へと電話を繋ぐのだった。