【完結】PERSONA3 Re;venger   作:清良 要

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第二百四十六話 彼の許へ

8月12日(水)

午後――巌戸台

 

 五代から湊の過去を聞いてから数日、アイギスは自由な時間を使って湊に出会えはしないかと街中を歩いていた。

 研究所に回収され、それから彼が歩んできた人生はアイギスの想像を超えていた。

 よく今日まで心が壊れずに生きてこられたものだと思ったが、話を聞き終わったときには既に彼は壊れていて立ち止まる事すら出来ないのだと理解する。

 どれだけの傷を負おうと彼は目的のためならば痛みを無視するのだ。

 痛いなら痛いと、苦しいなら苦しいと言えれば楽だろうに、ずっと頼られてきた青年は弱音の吐き方を知らない。

 無知な赤子とはよく言ったものだ。あれだけの知識を持っていながら、彼は人間が成長する過程で自然と身に着ける心を守る手段を持っていなかった。

 そんな青年にすれば自分が大切に思っている者たちから責められるのはどれほど辛かっただろう。

 彼女たちも湊の事を考えて怒ってくれたのだろうが、敵を殺す事で守ってきた湊にすれば、それを否定されることは己の価値を失うのと同義だった。

 チドリもラビリスも英恵も、全員が七歌たち特別課外活動部のメンバーが残る事を望んだ。

 それは即ち彼女たちの日常に自分は不要で、これからは影ながら守り続ければいいのだと彼は受け取ったようだが、アイギスには彼が必要なので駅前にやって来たとき遠くに見えたその姿にもすぐに気付いた。

 

「じゃあね、プロデューサー。明後日もよろしく!」

「……イベント前だ。気をつけて帰れよ」

「分かってるって。ばいばーい!」

 

 中学生くらいの少女が手を振ってから改札の方へ去って行く。

 それを見届けた青年はポケットに手を入れたまま歩いてどこかへ行ってしまうが、ここで声を掛けなければ次にいつ会えるか分からないとアイギスは走った。

 駅前の人混みの中を走るのは中々に難しい。人にぶつかりそうになって謝っている間に彼は遠くなっていき、しかしそれでも諦めずにその背中を追いかける。

 

「待ってください、八雲さん!」

 

 足の長さもあって歩くのが速い彼は、すぐに駅から離れて人通りの少ない路地に入っていく。

 けれど、人通りが少ないのならアイギスもしっかりと走る事が出来るため、息を切らせながら全力で追いかけると歩いていた青年の左腕を掴んだ。

 

「ハァ、ハァ……お願いします、待ってくださいっ」

「……人違いだ」

 

 やっとの思いで追いついて声を掛けるも、相手は冷めた目でアイギスを見つめながら自分は八雲ではないと否定してくる。

 それを聞いたとき、そこまで自分たちと一緒にいたくないのかとアイギスの表情が悲痛に歪む。

 だが、アイギスが相手の腕を掴んだままでいれば、青年が深い溜息を吐いてから「こっちへ」と細い路地へと少女を連れて行く。

 相手に案内されるままアイギスも一緒に路地へと向かえば、そこで青年の身体が光に包まれ、腰に届く長い金髪の女性の姿に変化した。

 

《ま、こういう訳で本当に人違いなんですよ。ぬか喜びさせたようですみません》

「あなたは一体……」

《ペルソナとしては死神“玉藻御前”って名前です。那須野で討伐された九尾って知りません?》

 

 フフッと大人っぽい色気のある笑みで尋ねられ、那須野で討伐された九尾の事は知っていたアイギスは素直に頷いて返す。

 白面金毛九尾の狐、傾国の美女として有名な中国の妲己、そんな風に色々な呼び名があるけれど、日本の三大妖としても知られる存在だ。

 相手の話によれば同じ名を持つ同一存在などではなく討伐された本人。という事は紛れもなくペルソナの枠になど収まらぬ化生の一柱のはずだが、どうしてそんな相手が湊の姿をしていたのかとアイギスは尋ねた。

 

「どうして玉藻御前さんが八雲さんの姿を?」

《玉藻で結構です。それで変化していた理由は仕事に穴を開けないためですよ。私は他の方と違って心臓っていう予備バッテリーもあるので自由が利くんです。ま、適材適所でもあるんですけど》

 

 なんと相手はペルソナという不安定な存在でありながら、生身の自分の心臓を保持しているという。

 そんな状態でペルソナにしておける事も謎だが、どうして玉藻に代役を任せて湊本人が仕事に出ないのか分からない。

 本人は無事なのか、今どこで何をしているのか、湊の安否を知りたい少女は少しでも情報が欲しいと質問を重ねる。

 

「八雲さんはいまどこにおられるのですか? そんなお仕事に行けないような状態なんですか?」

《んー、まぁそうですね。どうせすぐに分かるのでお教えしますが、八雲さんは貴女方の前から消えて以降はずっとタルタロスの地下フロアでシャドウを狩ってます》

「ずっとって、もう五日分も影時間の中にいるのですか?」

 

 影時間は一日に約一時間。五日分となればそのまま五時間ほどという事になる。

 しかし、日常の中の五時間と影時間の五時間を一緒にする事は出来ない。影時間はただいるだけで気力や体力を消耗するのだ。

 いくら相手が湊であろうと、そんな環境でシャドウと戦い続ければ激しく消耗しているはず。

 居場所が分かったなら今夜にでも会いに行こうと、アイギスが他の者たちにも教える事を考えていれば、アイギスの事をジッと見返していた玉藻が薄く笑った。

 

《あらあら、そのご様子ですと今夜にでも八雲さんに会い行かれるおつもりですか?》

「はい。やはり善は急げと言いますし、疲れているのならば休息を取っていただく必要もありますので」

《なるほど……ですが、貴女方は会って貰えると本気で思っているのですか? 確かにアイギスさんは八雲さんを心配しているのでしょう。しかし、他の方は果たして同じ気持ちですかね? 心配するフリをして、本当はただ自分が罪悪感から解放されたいがために謝罪するのでは?》

 

 その謝罪は何のためか。相手のため、自分のため、それすら分からないのなら会っても意味はない。

 他の者と一緒に会いにゆくのなら余計に重要になってくるその部分を、アイギスたちはまだはっきりとさせられていないのではないか。

 そう指摘した玉藻はさらに笑みを深めて妖艶な雰囲気で一つ付け加える。

 

《何より、会ったところで話が通じるとも思えません。今後会いに行くおつもりのようなので親切心から教えておきますが、アレ、もう完全に壊れてますよ?》

「アレとは、八雲さんのことを言っているのですか?」

《ええ。まぁ、私の性質というのもあるのですが、私が尽くすのって基本的に破滅する未来を持つ相手なんですよ。なんとなーく嗅覚で分かると言いますか、そういう相手に惹かれるんです。どんな最期を迎えるのか識りたくて》

 

 玉藻は湊の心から生じたペルソナではなく、呪いや人々の負の心が集まり妖怪として生まれた存在だ。

 だからこそ、彼女は人の終わりを感じ取る嗅覚に優れており、今現在の主人である湊にもそう遠くないうちに終わりが来るだろうと話す。

 出会ったときから歪で、よくこんな状態で真っ当に動けているものだとも思ったが、止まる事も出来ない欠陥品なのだと理解したときにはさらに最期が気になるようになった。

 故に、自分は今も一緒にいて彼の最期を見届けるつもりだと笑う玉藻に、アイギスは怒気の籠もった瞳を向けて叫ぶ。

 

「あなたは、あなたは八雲さんのペルソナではないのですかっ」

《だから、こうやってお仕事を代わりにしたりしているんですよ。先に言っておきますが別に私が壊した訳じゃありません。最初から壊れていたようですが、ギリギリのバランスで保たれていた均衡を貴女たちが崩したんです》

 

 湊が死ぬときを愉しそうに眺めようとしている玉藻に対し、ペルソナならば主人を救うのが当然ではないのかとアイギスは怒る。

 けれど、玉藻は変化を利用して仕事を代わるなどの世話はするが、壊れた心を治療する事など出来ないので、そんな事を言われてもと肩を竦めた。

 

《まぁ、会いに行くなら相応の覚悟をしてください。愛の力でハッピーエンド、なんて円満解決はあり得ませんから》

 

 これ以上話しても意味はない。湊の場所は既に伝えたので、後は好きにしろといって玉藻は再び湊の姿になって帰って行く。

 その後ろ姿を見つめたアイギスは、他の者たちに湊の居場所が判明したと連絡をし、今日の夜にタルタロスへ行こうと誘いを掛けるのだった。

 

夜――巌戸台分寮・作戦室

 

 影時間の二時間前、美鶴に言われメンバーたちが作戦室に集まっていると、扉がノックされて数名の人間が部屋に入ってくる。

 眞宵堂の店主である栗原、チドリ、ラビリス、コロマル、そして桐条英恵だ。

 何故、ここに英恵がいるのか。その事に疑問を感じなくはないが、彼女たちがやってきた理由は栗原から話すとして、全員が席に着くと栗原が口を開いた。

 

「細かい自己紹介は別にいいね。幾月の後任としてしばらく顧問になる事になった栗原だ。今後、影時間の作戦行動のバックアップを担当するけど、毎回来れる訳じゃない。あくまで本業は店の方だからね。まぁ、よろしく頼むよ」

 

 幾月の死からまだ一週間も経っていない。にもかかわらず、すぐに後任が決められたのは活動に出来るだけ穴を空けないためだろう。

 相手が知り合いである事はありがたいが、まだ心の整理がついていない者たちが複雑な表情を浮かべていれば、あまり店でしっかりと会話をした事のなかった順平が手を挙げて質問した。

 

「あー、ちょい質問していいスか? 栗原さんって桐条グループで具体的には何してたんですか?」

「十年前に先代当主の下で研究員をしてたのさ。考古学の方面から調べて欲しいってね。ペルソナの基礎理論を見つけたところで離れたから、あの事故現場にはいなかったが、それでも岳羽主任の部下として小学生だった八雲とも面識はあったよ」

 

 岳羽主任とはゆかりの父の事である。十年前の研究にも関わっていたならば、面識があってもおかしくはないが、改めて第三者から湊と岳羽詠一朗が知り合いであったと聞くと不思議な気持ちになる。

 ゆかりはもう少し父の事を聞いてみたそうな顔をしていたが、サバサバとした性格の栗原は、そんな事は後でも聞けるからと一緒に入ってきた者たちの紹介に移った。

 

「私のことはそれくらいでいいだろ。じゃあ、こっちの面子の話に移る。名前は知ってるだろうから単刀直入に言うと、今日からチドリたち三人も作戦に参加する。ただ、特別課外活動部には入らないし入寮もしない。ま、助っ人と思って貰えばいい」

 

 紹介を受けた三人は特別課外活動部で最強の七歌よりも高い適性値を持っている。

 一人だけでもかなりの戦力アップだというのに、一度に三人も加入となれば戦力は倍に跳ね上がったと言っても良いだろう。

 幸いな事に湊に敵意を抱いていた男子らも、湊を諫めていたチドリたちには悪感情を向けていないため、何度か一緒に戦えばすぐに合せられるはずだ。

 しかし、今のところ七歌たちは相手の戦い方やペルソナの力を知らない。中でも一番の謎は犬でありながらペルソナを出せるというコロマルだが、どこまで戦力として期待して良いのかという疑問を解消するため真田が一つ尋ねた。

 

「その助っ人とやらはどこまで協力してくれるんだ?」

「第一目標は八雲に会う事。ただ、八雲がいるのは深層モナドだから、そこを攻略するために力を付ける必要があるなら、少しはそっちに時間を割いてもいい」

 

 助っ人として参加するのはあくまで湊の許に辿り着くため。

 彼のいるところに行くまでに強力なシャドウがいるので、自分たち以外にも戦力が必要と思ったからこそ、相手が強くなるために協力してでも一緒に来て欲しいと考えた。

 突然の申し出の理由を理解したメンバーたちは、それを聞いて納得したような顔になったが、美鶴はチドリの話に出てきたモナドとは一体何だと質問を返した。

 

「我々は深層モナドが何か分かっていない。その説明も頼む」

「モナドっていうんはタルタロスの地下フロアのことやねん。エントランスの右側の扉から地下に行くんやけど、階層が深くなるにつれて敵の強さも増すんよ。正直、アルカナシャドウより強いのもおるから、ウチらも湊君と一緒にしか入ったことないんやけどね」

 

 自嘲するように話すラビリスに対し、聞いていたメンバーたちの表情は暗くなる。

 モナドもタルタロスの中に存在するため、敵は同時に複数出現することもあり得る。

 ただ、もしそれら全てがアルカナシャドウ並みの力を持っていたとすれば、流石にこの戦力であっても厳しい。

 そう思ったからこそメンバーたちは暗い表情になったのだが、何かの策がある可能性も否定出来ないため一同を代表してゆかりがその事を指摘した。

 

「そんな敵がいるところに行って大丈夫なの? いくらなんでも厳しくない?」

「八雲がいるなら行くしかないでしょ。別に貴女たちが来ないなら私たちだけで行くけど」

 

 戦力的に心許なくとも目的地に変更はない。相手がいるのなら行くだけだとチドリは断言する。

 確かにそれはそうなのだが、メンバーの安全がある程度確保されないのであれば、そのままゴーサインを出す訳にはいかないだろう。

 数ヶ月前の満月には味方がやられ、ヒーホーが敵を道連れにしなければ死んでいたかもしれないのだ。

 その経験があるからこそ七歌もすぐに答えられずにいると、話が進まないのであればラボの方で分かった事を教えておくと口を開いた。

 

「あー、先にグループの方で掴んでる情報を伝えておく。あんたたちがアルカナシャドウを逃した事で心配された無気力症患者数だが、満月から僅かに減少傾向にある。敵の出現予想地点周辺の被害は増えているが、無気力症患者自体は回復している人が出てきてるみたいだ。で、その理由がタルタロスにいる八雲だと思われてる。ずっとシャドウを狩り続けているんじゃないかってね」

「八雲さんのペルソナである玉藻さんが仰っていました。八雲さんはあの日からずっとモナドで戦っていると。栗原さんの話からすると真実のようですね」

 

 一先ず無気力症の被害が減っていると聞いて安堵の息を吐くが、その理由を聞いてメンバーはすぐに表情を引き締める。

 皆の前から去って既に五日が経っている。アイギスが聞いた話が事実であれば、それだけの時間を戦い続けているという事で限界も近いだろう。

 相手の意思を無視する事になっても連れ帰らないと危険だ。

 特別課外活動部にすれば一度敵となった相手だが、今現在も人々のためにシャドウを狩っているというのならば個人の問題は置いて助けるべき。

 そんな風に一同の考えがまとまったところで、栗原はこのタイミングで英恵がやってきた理由を話した。

 

「英恵さんがここに来た理由だけど、単純に八雲を心配したからさ。影時間中は作戦室にいるし、ストレガの件があったからと桐条グループが黄昏の羽根を積んだ車を一台寮に配備した。何かあればそれで逃げるから心配しなくていい」

「ゴメンなさい。何も出来ないのに無理に押しかけて。でも、どうか八雲君をよろしくお願いします」

 

 栗原と違って適性を持たない英恵の指には簡易補整器の指輪が光っている。

 身体の弱い彼女にとってそれはかなりの負担になるはずだが、それほどまでに自分が追い詰めてしまった子どもの事が心配なのだろう。

 桐条グループも緊急時に備えて車を一台配備するなど、英恵の意思を尊重しつつ何かあれば栗原と共に逃げられるよう準備をしている。

 ならば、英恵たちにはここで待っていて貰い、無事に湊を連れ帰ってくると約束して一同はタルタロスへと向かった。

 

 

影時間――タルタロス

 

 電車とモノレールを乗り継ぎ、無事ポートアイランドに到着すると世界は緑色に包まれた。

 少し欠けた大きな月が空に浮かび、自分たちの知る学校が異形の塔に姿を変える様子を黙って見つめる。

 つい先日まで影時間の関係者だと知らなかった同級生と一緒に見るのは、なんとも不思議な感じだと順平が溢すと他の者たちも確かにと同意する。

 一緒にお昼を食べたり、一緒に旅行に行ったり、一緒にテスト勉強した事だってあった。

 ちょっと前の事だというのに随分と昔の事のように感じ、それだけ自分たちが日常とは離れた場所に来てしまったのだと自覚する。

 ただ、もし無事に湊に会って謝罪する事が出来、そして赦して貰えるのであれば、また以前のように一緒に思い出を作りたい。

 だから、まずは彼に会って自分たちのした事を謝り、チドリたちもどういった意味で湊に他の者を赦してやって欲しいと思ったのかを伝えようと考える。

 そんな事を思いながらタルタロスへ近付いたとき、感知型の力を持つチドリと風花がタルタロスの異変に気付いた。

 

「……おかしい。あまりに静かすぎる」

「うん、なんだろう。何かの力がタルタロスを覆ってるみたい」

 

 言われて他の者たちもタルタロスを見上げる。外から見た限りではどこにも変化はなく、今日も雲に届くほどの高さで聳え立っている。

 だが、感知型の二人が言うのなら何かいつもと違うのだろう。その原因は何かと立ち止まったチドリたちがジッと塔を見ていれば、何かに気付いたようにチドリがアイギスの方を見た。

 

「まさか……アイギス、玉藻は本当に五日って言ってたの?」

「はい。わたしたちの前からいなくなった日からずっといると。そういえば、話すときに少し笑っていましたが」

「そう。なら、全員横一列に並んで。合図をしたら同時に中に入るわよ」

 

 チドリが何に気付いたのか分からない他の者たちは、言う通りに一列に並びながらも首を傾げる。

 同じ力を持つ風花にもタルタロスの異変の正体が分かっていないというのに、彼女は一体何を感じ取ったのかと七歌が尋ねた。

 

「ねえ、一列に並ぶ理由は?」

「……説明するより見た方が速いわ。見てて」

 

 言いながら近くに落ちていた大きめの石を拾ったチドリは、タルタロスの入り口から二メートル手前で立ち止まった。

 拾った石を一体何に使うのだろうかと他の者が注目すれば、チドリは持っていた石を入り口に向かって放り投げた。

 彼女の手を離れて山なりに飛んだ石は、そのまま入り口を通過して中に入ろうとする。

 しかし、入り口を通過すると思った瞬間に石は消えて、どこに消えたんだと他の者が探す前に、チドリがエントランスに続く通路の途中に落ちていた石を指さした。

 見れば確かにチドリが投げた石のようだが、消えてから一瞬で通路に移動したようにしか見えず、どういった原理が働いて瞬間移動したのか分からない。

 他の者がそんな風に考え込んでいると、今の実験で確信が持てたらしいチドリが解説した。

 

「目には見えないけど、境界線の向こう側は時の流れが違うの。中の時の流れはこっちよりかなり速い。だから中に入った石は一瞬で移動したように見えたわけ。入るタイミングが遅れれば、合流がどれだけ後になるか分からないわよ」

 

 瞬間移動したように見えた石は、実際にはちゃんと放物線を描きながら飛び、地面にぶつかってから転がって止まったに違いない。

 しかし、内部の時の流れが外よりも速くなっているので、外から見れば入った瞬間には既に終わってしまったという訳だ。

 話を聞いた者たちはそんな不思議な事が起こり得るのかと半信半疑だが、湊の許に向かうために協力して貰う以上はある程度の情報を渡す必要がある。

 これも最低限の信頼関係を築くためだと自分を納得させ、少し悩んでからチドリは静かに口を開いた。

 

「……“時を操る神器”、桐条側の人間なら貴女たちも聞いた事はあるでしょ?」

「ああ、私のお祖父様が手に入れるため研究していたと聞いている。過去と未来を自由に観測し干渉出来るようにするための物だと」

「ええ、私もそう聞いてる。でも、実際に人の手に渡った物はもう少し限定的な能力しか持っていなかったの。出来るのは時の加減速だけ。完全な停止もタイムリープも出来ない」

「まさか、それが今タルタロスの内部にあると言うのか? いや、有里がそれを使っているのか?」

 

 驚いて聞き返してきた美鶴にチドリは頷いて返す。

 屋久島で話を聞いたときには桐条鴻悦の妄想の産物だと思っていたのだが、能力が限定的だとしても時の流れに干渉出来る時点でペルソナ以上に破格の異能と言える。

 それを使えば自分たちが動き出すよりも速く接近し、そのまま首を刎ねる事だって出来るのだ。

 あまりの凶悪な力に僅かに怖じ気づくも、戦闘中にはほとんど使っていなかったがあの移動速度の謎が解けたと真田たちも納得の顔になる。

 

「あの速さの秘密はそれか。だが、もしまた戦闘になるとすれば、そんなものを使われたらこちらは何も出来ないぞ」

「最低限それを取り上げて使えなくするしかないッスよね」

「ああ。だが、取られる前に有里も使うだろうな。吉野、時を操る神器とはどんな形をしているんだ?」

 

 まずその圧倒的なアドバンテージを相手から奪う必要がある。

 勝てない事は分かっているが、せめて何も出来ないという最悪の状況だけは避けるために。

 だからこそ、時を操る神器の形を先に聞いておこうと真田が尋ねれば、チドリは首を横に振って時を操る神器はそういったものではないと説明する。

 

「……正確に言えば“時を操る神器”は単独で存在するものじゃないわ」

「いくつもあるの?」

 

 単独で存在するものではないという事は、複数あるのかもしくは複数の物で構成されているかだ。

 後者ならばパーツの一つを奪えば機能を失うだろうが、前者ならば一つを奪っても次を出されたら終わりだなと七歌は難しい顔をする。

 すると、チドリは湊の持つ“時を操る神器”は前者であり後者でもあると語った。

 

「重要なのは物じゃなくて“時の流れ”という目に見えないモノを認識出来る八雲の方なの。シャドウと同じように時空間に干渉する力を持っている黄昏の羽根を媒介に、八雲は力を上乗せする事で時の流れに干渉しているのよ」

「じゃあ、八雲君ってこうなんていうか……時間経過が目で視えてるの?」

「正確には時を概念として理解しているらしいわ」

「ほーん。でもま、それなら黄昏の羽根さえ出させなければいけるんじゃない?」

 

 説明を聞いて成程と七歌たちも理解する。先ほどの七歌の予想における前者でもあり後者でもあるというのは、湊が黄昏の羽根を持った場合にのみ、その黄昏の羽根が時を操る神器として使えるようになるという意味だった。

 時を概念として理解出来るという意味は分からないが、そういう事ならば湊が黄昏の羽根を持たないよう気をつければ良い。

 相手が何も取り出せないくらい連続で攻めれば、その間に彼の弱点である少女たちが彼に語りかけて話し合いに持ち込めるのではないか。

 そんな風に七歌が大まかに作戦を立てれば、チドリは「残念ながら不可能よ」と前提からして無理なのだと話す。

 

「……八雲は研究所時代に黄昏の羽根を身体に埋め込んでるの。既に八雲とパスが通ってるから半エネルギー状態で触れないらしいし、やるなら心臓を包んでる羽根ごと胸部をふき飛ばす必要があるかも」

 

 実際のところ、その方法を使っても湊から羽根を取り出せるかは怪しい。

 チドリとマリアは湊が羽根を分解して心臓の内部に入れてから再構築した事で、心臓を切って開ければ中から羽根を取り出せるが、湊の方はパスが繋がった事で視認出来はするが触れる事は出来なくなっている。

 胸部を丸ごと吹き飛ばしても肉体の再生と共に復活する可能性の方が高く。そも、そんな事が出来るのなら奪う必要もなく勝てているので苦労はしない。

 何より、タルタロス内部の時を圧縮しているのなら、そちらを切らない限り別の能力は使えないので心配する必要はないと告げ、チドリは改めて他の者たちを横一列に並ばせると同時に中へと入った。

 入り口を潜る際に何かの力に触れたような気がしながらも無事に入る事に成功する。

 よく考えれば、頭から入った場合、時の加速した頭とまだ外に残っている身体で血液の流れる速度に差が出来るはず。

 となれば当然頭の方から急激に心臓に血液が送られ、不整脈など何かしらの不具合を起こすはずだが、そうならないという事は生物の場合は身体の一端が触れた時点で全体に効果が広がるのかもしれない。

 もしも教えて貰えるのなら聞いてみようと考えつつ、チドリが顔をあげるとエントランスの階段辺りに知った顔があった。

 一人は紫の塗料で顔に紋様を描いた茜髪の女、もう一人は長い白髪を腰まで垂らした女、今はその二人しかいないようだが、鬼と龍の始祖である彼女たちがいるという事は他の自我持ちや湊もいるに違いない。

 大勢でやって来たチドリたちに視線を向けた茨木童子は、フフッと愉しそうに笑うと口を開いた。

 

《おや、随分と久しいな。懐かしい顔ぶれだ》

「貴女たち、一体何日ここにいるの?」

《会って直ぐにした質問がそれか。まぁいい、既に一月など超えているぞ》

 

 その返事にやって来た者たちは驚愕する。時を加速させているとは聞いていたが、本当に外とは違う時の流れに身を置いて戦っているという実感が湧いてきたのだ。

 だが、ある程度は予想していたチドリは他の者より衝撃は少なかったらしく、サボっている様子の二人と同じように青年も休んでいるのかと聞き返す。

 

「休息はちゃんと取ってるの?」

《フフッ、あれが言って聞くはずもないだろう》

 

 正面からジッと見つめてくるチドリに対し、分かっているだろうにと茨木童子は笑みを深める。

 言って聞くほど素直ならばこんな風に話はこじれていない。三年前の久遠の安寧との戦いと同じように、今回も目的を達成するまで休まず働きっぱなしだ。

 前と違いがあるとすれば、前回はターゲットを殺すと少し休息を取ってから移動して次のターゲットを狙っていたが、今回は無気力症患者の救済が目的であるためシャドウが消えるまで休めないところだろう。

 それはつまり、止めない限りは倒れるまで戦い続けるという事であり、話を聞いた順平やゆかりも流石に無茶だろうと声をあげる。

 

「え、ちょ、待てよ。んじゃ、有里は三十時間も休まずシャドウ狩ってるってことか?」

「嘘っ、敵はアルカナシャドウより強いんでしょ? そんなの相手に休まずなんて自殺行為じゃない?!」

 

 モナドの敵は七歌たちが戦ってきたアルカナシャドウ以上の力を持つ者もいる。

 そんな敵を相手に一ヶ月分の影時間を足し合せた三十時間も戦うなど正気の沙汰ではない。

 だが、驚いているゆかりたちを見て、茨木童子は何を馬鹿な事を言っているのだと鼻で笑う。

 

《クフフ、お前らにとって一日は一時間なのか? 随分とせわしない毎日を生きているのだな》

「馬鹿な。本当に一ヶ月以上もここにいるのか?」

《そう言ったはずだが?》

 

 自分で聞いておきながら改めて肯定されると美鶴は絶句している。

 彼女も順平やゆかりと同じように一月を『一ヶ月分の影時間』と認識されていたのだろう。それがまさか『影時間の中に一ヶ月』という意味だと誰が思おうか。

 そも、普通の人間では七二〇時間以上も連続で活動出来ない。覚醒した名切りはラクダのように身体の中にエネルギーを溜め込んでおくことで長時間の活動を可能にするが、それでも不眠不休で一月も戦うなど出来ないはず。

 それを可能にしているのは彼の意志の力なのか、それとも玉藻が言っていたように既に壊れてしまっているからなのか。

 どちらにせ彼に会わない事には話も出来ないため、モナドに続く扉に向かったチドリが扉を開けようとすれば、扉は固く閉ざされたままビクともしなかった。

 

「くっ、やっぱり開かない!」

「どいてください。すぐに破壊します」

「ちょ、待ちってアイギス! 扉壊したら繋がりも消えてモナドに入れんくなるから!」

 

 開かないならぶち破る。一切の遊びのない表情で対物ライフルを取り出して構えるアイギスに、ラビリスが扉は魔法的な力で空間を繋いでいるので壊しても意味がないと教えた。

 話を聞いてアイギスも渋々武器をしまったが、実際のところラビリスの方もあまり余裕はないようで明らかに焦っている。

 まぁ、知り合いが一ヶ月も戦っているなど聞かされれば当然だが、少女たちを眺めていた赫夜は今更やって来て何を話すつもりなのかと尋ねた。

 

《行ってどうするのですか? 今のあの子に言葉は届きません。人を人と認識することも難しいでしょう。シャドウ諸共殺されたいのですか?》

「八雲はそんな事しないっ」

 

 一ヶ月も戦っている人間に正常な判断力が残っていると思うのか。

 そう話す赫夜をチドリは強い瞳で見返し、湊ならばちゃんと気付いてくれると言い返した。

 無論、その言葉には何の根拠もない。ただ彼ならば自分に気付いてくれるという願望で話しているだけだ。

 彼の状態が分からないからこそ、最悪の状況よりマシでいて欲しいという想いが言葉として出たが、そう思いたい気持ちは分かるぞと笑ってから茨木童子は自分の妹に声を掛ける。

 

《無駄だユーリ。こいつらには現物を見せた方が早い》

《ですが、今の八雲は……》

《まぁな。しかし、これも必要な事だ》

 

 二人は今の青年の状態が分かっているらしい。それは彼と繋がっているからなのか、それとも能力で彼の姿が見えているからか分からない。

 ただ、チドリたちが引かないとも分かっているので、これから案内してやるぞと茨木童子はモナドに続く扉を開けた。

 

《先にいくつか忠告しておこう。お前らが戦う必要があるのは最下層のみだ。他は警戒する必要すらない。だが、最下層に降りるときには警戒を最大に引き上げろ。八雲がいるのは通路を抜けた先の大部屋だが、その攻撃は通路にも届くぞ》

《今、タルタロスに散らばる他の者たちも呼びました。八雲の許に着く頃には合流しますが、危険を感じたときには装置を使って戻りなさい》

 

 強大な力を持つシャドウたちが跋扈するモナドで、何故敵を警戒する必要がないのか意味が分からない。

 しかし、湊のペルソナの中でも最強格の姉妹が揃って言うからには、七歌たちは最下層の湊にだけ警戒すればいいのだろう。

 先導する二人についていく前に覚悟決めたメンバーたちは、どこか嫌な気配を感じる扉を眺め、自分たちの装備を確認すると全員で扉を潜り地下を目指した。

 

 

 


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