【完結】PERSONA3 Re;venger   作:清良 要

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第二百四十七話 青年との再会

――深層“モナド”

 

 エントランスに佇む、白銀の扉“ヘヴンズ・ドア”。

 茨木童子の案内でそれを潜った一同は長い階段を下ると、一部の者にとっては初めて訪れるタルタロスの地下階層・深層“モナド”に足を踏み入れた。

 明らかに上の階層とは異なる重苦しい空気、探知能力しか持たない風花はエントランスで待っておくかと言われたが、案内して欲しければ風花の同行も条件だと言われれば従うしかない。

 そこまで今の湊の姿を全員に見せたいのかと余計に不安を煽られるが、階段を下りきったそこは、何度か訪れた事のあるチドリたちにとっても初めて見る光景が広がっており、自分たちの膝辺りの高さまで通路の床一面が黒い霧に覆われていた。

 

「つか、なんか寒くね?」

「うん。やっぱり地下だからかな?」

 

 黒い霧の方も気になるが順平が寒くないかと言えば、七歌たちも同意して頷く。

 だが、何度かモナドに来た事のあるチドリたちは、モナドも上のフロアと同じように温度は変わらないと告げた。

 ならば、原因は黒い霧なのだろうが触れても大丈夫かと警戒する他の者に対し、茨木童子と赫夜比売は気にした様子もなくフロアに降りてゆく。

 二人が何もなっていない事から、とりあえずは触れても問題ないようだが、この霧の正体が分からない順平が思わず質問を口にした。

 

「なぁ、これシャドウが消えるときに出るやつか?」

《まぁ、似たようなものだ。実体を持たぬ限り触れても身体に害はない》

 

 似たようなものと説明しつつ、実体を持たない限りは大丈夫だと説明されると、何かあれば実体化してシャドウになるのかと一同は身構える。

 だが、見渡す限りどこまでも床は霧に覆われているので、先へ行くには触れるしかないかと諦めて自分たちも霧に触れながらフロアに立った。

 すると、突然頭の中に声が響き、自分の胸が苦しくなる。

 まさか騙したのか。そう思って佇む二人のペルソナを見るが、他の者たちは自分たちの中に流れ込んでくる何かによって動けない。

 

「なに……これ……。何かの心が、流れ込んでくる……」

 

 頭を押さえ風花が呟く。

 それは何者かの心。悲哀、憤怒、怨嗟、そういった人間の抱いた負の感情が次々と流れ込んで来る。

 今の状況から抜け出すために霧を吹き飛ばそうと考えるも、ペルソナの召喚には集中力が必要だ。

 他者の心が自分に流れ込んでいる状態でなど出来るはずもなく、どうすればと苦しさに耐えていれば突然上からシャドウが降ってきた。

 

「ぐっ、こんなときに敵だと!?」

 

 美鶴が全員武器を取れと号令を掛けるが、他の者たちが動き出そうとすると茨木童子が手で制した。

 

《黙って見ていろ》

 

 もしや茨木童子が代わりに戦うのか。そう思っていれば、降ってきた砂時計のようなシャドウの周りで霧に変化が起こった。

 今まで漂っていただけの霧が集まり何かを形作ってゆく。

 一体何が起きているのかと黙って見ていれば、それは武器を持った人型の何かであったり、巨大な頭部を持つ獣のようなものになった。

 人型の何かと獣のようなものは実体を持っているがどこか不安定で、傷を負ったシャドウのように時折黒い靄が出ている。

 一言で説明するならばシャドウのなり損ないというのが一番近いが、そんな何かが何体も現われると次々とシャドウに襲いかかってゆく。

 七歌たちにすれば霧で出来た何かもシャドウのように見えているので、シャドウ同士の仲間割れかと思ったが、それらが戦いだしたとき自分たちに流れ込んでくる心からより具体的な意思を感じ取れた。

 

「なんやの……あのシャドウたちの心なん? 戦いたない言うてんのに、なんで戦っとるんよ……」

 

 自分たちに流れ込んでくる心は「戦いたくない」と強く叫んでいた。

 自分の身体と同じように霧から作られた武器を持ち戦っていながら、何故、そんな事を思っているのかラビリスには分からない。

 だが、かつて自分も同じように戦いを拒んだ事がある彼女は、それが他人事のように思えず困惑していると、手で頭を押さえながら赤い瞳でシャドウたちを見ていた七歌が口を開いた。

 

「違う、ラビリス。あれはシャドウじゃない。今、分かった。あれは全部過去の名切り、八雲君に宿った名切りの業……」

《流石に分かるか。そうだ。この霧は名切りの業が外に流れ出たもの。ミックスレイド“百鬼夜行・大紅蓮地獄”と八雲は呼んでいるが、実体は蛇神から漏れ出る名切りの業を具現化させているだけだ》

 

 完全とはいかずとも七歌も九頭龍として名切りの事は聞いている。

 だからこそ、いまシャドウと戦っている影たちが、鬼が代々継承している名切りの業より生じたものだと気配で気付く事が出来た。

 もっとも、少し触れた程度でこれほど苦しくなるような負の感情を、たった一人で抱え込んでいる湊の精神状態が心配になってくるが、互いの家の事を知っている者同士だけで会話を終えられても困るとしてゆかりが尋ねた。

 

「名切りの業ってなんなの?」

《言ってしまえば一族の集合意識だが、業を構成する意識は大きく分けて二つある。一つは我らが大命であった完全なるモノの創造を為そうという意志》

《そしてもう一つ。わたしたち龍の一族が自分たちを守るため、自分たちの利益のため、千年以上も鬼たちを戦わせた事で溜め込まれた怨嗟の呪い。それが名切りの業の正体です》

《お前たちに流れ込んだ心など業の一厘にも満たんぞ。気を強く持てば何ら影響はない。さっさと慣れろ》

 

 既に名切りの亡霊たちはシャドウを倒して霧へと還っていた。

 戦いが終わったのならここに留まる必要もないため、茨木童子たちは先を急ぐぞと他の者たちを急かした。

 気を強く持てばと簡単に言われても困るが、確かにここにいても湊の許へは辿り着けない。

 一同は流れ込んでくる心を弾き出すように集中し、深く息を吐いてから顔を上げると、茨木童子の言っていた通りに心が流れ込んでくるのが止んでいた。

 天田を含めた全員が無事に適応出来た事を確認し、茨木童子たちはでは行くぞと再び歩き始める。

 その後ろ姿を見ながら着いていく途中、先ほどの言葉の中で七歌は気になった部分があるんだと口を開いた。

 

「さっき言った蛇神って街の上空に現われるやつ?」

《ああ。先月も出たがあれで三割程度だ》

「でも、あのとき会った女の子は自分のペルソナだって言ってたよ? なんで八雲君の中にある業を他人が出せるの?」

 

 名切りの業はその性質から当主としての器を持つ者だけが引き継ぐ事になっている。

 もし兄弟がいても長男には継がれず、その下に生まれた弟や妹に引き継がれる事だってある。

 逆に、引き継いだ者が子孫を残さずに死ぬときには、ペルソナに近い心の化生であるため、他の名切りに宿を変えて引き継がれることもあった。

 もっとも、器を持った者が引き継いだときとは異なり、一時的な避難措置として宿主に選ばれた者は、自分の魂よりも強い力が後から精神に入ってくるため人格に影響を及ぼしやすかったと言われている。

 そういった話を聞いていた七歌は、自分が出会った少女はもしや他の宿主にも宿れるという名切りの業の性質を逆手に取り、無理矢理に湊から抜き出して使ってしまったのかと考え込む。

 だが、七歌が聞いていたそれらの話は全て表向きの話であり、実際に血が果たす役割は意識集合体へのアクセス権だ。

 実際に血そのものに宿っていた茨木童子たちとは異なり、普段、名切りの業の象徴である蛇神は心の海に存在している。歴代名切りたちは血に目覚める事で蛇神にアクセスして記憶や能力の一部を引き出し、反対に自分の記憶や魂を蛇神へと与えて引き継げるようにしてきたのだ。

 ただ、湊は鬼と龍の血を持っていた事で、完全なるモノに至る存在として認証され、心の海にいた蛇神を自分の精神の中へと取り込んだのである。

 よって、湊以降に名切りの血を持つ者が生まれたとしても、既にアクセスすべき蛇神がいないので名切りが積み重ねてきた成果も呪いも受け継ぐ事はできない。

 もっとも、そんな詳しい話を今ここでする意味はないため、七歌に質問されたことで赫夜比売がその出会ったというのは彼女の事だろうと口を開いた。

 

《七歌が出会ったおなごはベアトリーチェの事でしょう》

「ベアトリーチェ?」

《我らは阿眞根と呼んでいました。あれは八雲の陰性を司っていますから、他人という訳ではありません》

 

 七歌たちが満月の日に出会った少女の名はベアトリーチェ。

 それは湊と融合を果たした神の名で、茨木童子たちは呼び名がなかった事で、そのまま湊の神としての名である阿眞根とこれまで呼んでいた。

 けれど、湊が完全に覚醒したときには紛らわしいため、湊自身が彼女の事はベアトリーチェと呼ぶと決め、阿眞根は完全に湊の神としての名で使う事となった。

 七歌と共に彼女と直接会った美鶴はそんな名前だったのかと覚えておく事にしたようだが、湊と他人ではないという部分も含めてどういう事かを歩きながら尋ねた。

 

「有里の陰性を司るとはどういう意味だ?」

《そのままの意味だ。中には知る者もいるだろうが八雲の性別は両性だ。男であり女、女であり男。お前たちと接している八雲は陽性である男の人格と思えばいい。そして、お前たちが会ったベアトリーチェは陰性である女の人格だ》

「多重人格? いや、しかし、相手は声も身体も完全に女だったぞ?」

《神降ろしを為した八雲にとって肉体は人の性質を持つ器に過ぎない。ベアトリーチェが作り替えれば姿形は自在に変わる》

 

 つまり、七歌と美鶴が出会った相手は、人格が異なるだけでその身体は湊の物であったという事だ。

 そんな事が可能なのかと男子たちは半信半疑だが、仮にそれが事実だとすれば、肉体の持つ機能は正常に働くのか。

 その事が気になった順平は、自分たちが入った大部屋でシャドウと名切りの業が戦っているのを横目で見ながら、そこを素通りしつつ質問する。

 

「んじゃ、有里がその女の人格になって身体を作り替えたら妊娠とかもすんのか?」

《下衆め。女と見れば孕ます事しか頭にないのか》

「ち、ちげーよ! 単純にどこまで女なのか気になっただけで!」

 

 可愛い愛子を性の対象としてしか見ない下衆を茨木童子が鋭い視線で睨む。

 彼女が相手を罵ったときには、他の女性陣からも冷たい視線が飛んできたが、流石に男としてしか見ていなかったので、順平が慌てて誤解を解くと赫夜比売が親切に質問には答えてくれる。

 

《機能の点から申すならば可能でしょう。ですが、ベアトリーチェの意識が出ているときも、八雲は完全に寝ている訳ではありません。大本は八雲であり、その空いた意識領域に彼女の人格を宿らしただけですので、ベアトリーチェが肉体の主導権を持っていても八雲の考えを読み取り行動出来ます》

《つまり、普段の八雲の行動を読み取れば、ベアトリーチェだろうと女は抱いても男に抱かれる事はないという事だ》

 

 最後に話をまとめた茨木童子は、そういって順平に残念だったなと告げるも、順平はだから違うんだってと頭を抱えている。

 仲間のそんな様子を見た他の者たちは、湊の状態を聞いて知らず張っていた気を僅かに弛め、どうにか普段に近い状態になる事が出来た。

 すると、他の者たちも今のうちに知りたい事を聞いておいた方が良いと思ったのか、今度は今まで黙っていたチドリがこの霧が発生している理由を尋ねる。

 

「それで、なんで名切りの業がここまで漏れ出てるの?」

《八雲がシャドウを殺すため展開しただけだ。十層からなるモナド全域に展開しているため、新たなシャドウが現われる度に先ほどのように自動で迎撃する》

「……それってずっと?」

《ああ、ここを訪れた日よりずっとだ》

 

 茨木童子の話によれば、湊は自分の力だけでは広いタルタロス全てのシャドウを狩る事は出来ないと考えたらしい。

 ならば、十層しかないモナドならばどうだと思案し、自身はフロアがほぼ大部屋だけで埋まっている最下層でシャドウたちと戦い、残りの九層には自動迎撃システムとして名切りの業を展開したのだという。

 確かにその方法で一ヶ月も戦っていれば、モナドに現われるシャドウたちを狩り尽くすことも可能かもしれない。

 さらに他の自我持ちたちは上層フロアや外のイレギュラーシャドウを狩るために動いているとのことで、いくら強いと言っても単騎でしかない手勢の少なさを見事にカバーしていると言える。

 ただ、青年がどうやって短期間に大量のシャドウを倒しているのかという疑問は解消したが、その方法には大きな欠点があるはずだとチドリは指摘する。

 

「待って。時流操作はかなり負担が掛かるんでしょ? エネルギーの消費も激しいって言ってたのに、こんなスキルをずっと展開し続けてたら、すぐにガス欠になるんじゃないの?」

《今の八雲は半分阿眞根になっている。阿眞根は八雲の感情をエネルギーとして変換し、それによって人の器に入りきらぬ量のエネルギーを扱えるのだ》

「だからって体力が持つはずないでしょ!」

 

 いくらエネルギーの問題が解決しても、人間の身体が先に悲鳴をあげるはず。

 チドリが珍しく大声を出して言っても茨木童子たちは表情を変えず、心配ならさっさと歩けとだけ言ってモナドの最奥を目指していった。

 

 

――モナド・最下層

 

 そうして歩くこと二十分。本当ならばもっと時間がかかるところだが、途中の戦闘は全て名切りの業が担当してくれた事で七歌たちは戦わずに着くことが出来た。

 しかし、最下層にやってきたメンバーたちは、部屋に入るなりその室温に驚き、これまでずっと寒い中を進んできたこともあって余計に暑く感じた。

 

「暑っ、なんだよここ?」

《先へ行くなら構えろ。敵と見れば反射的に攻撃してくるぞ》

 

 モナドに入ったばかりの頃と同様に、順平が今度は暑いぞと反応を見せれば、茨木童子は遊んでいる時間は終わりだと全員に戦う準備をさせる。

 いまメンバーたちがいるのは降りてきた階段と転送装置がある小部屋で、奥へと続く通路が一本だけ延びているだけだ。

 つまり、通路の先にある大部屋では今も湊が戦っているという事。

 暑さに気を取られて気付くのに遅れたが、通路の方からは激しい戦闘音が聞こえてくる。

 実際に戦う姿を見ていないというのに、間に壁を挟んでいても向こう側にいる者たちの強さを重圧として感じ取ることが出来る。

 探知能力を持っている風花とチドリなど表情が強張っており、今向こうではどんな戦いが行なわれているのかと緊張が走った。

 そして、全員がしっかりと作戦行動中の状態になったことを確認すると、いくぞと言って茨木童子と赫夜比売が先頭に立って通路へと入って行く。

 最初は壁を挟んでいたことでこもって聞こえていた戦闘音が段々とハッキリし、そうして通路の終わりが見えてきたことで、意を決したメンバーらは大部屋に入って目に飛びこんで来た光景に息を呑んだ。

 奥の壁まで百メートル以上の奥行きを持つ部屋に溢れる敵、敵、敵。

 鎧武者の姿をしたシャドウ、巨大な三眼の生首のシャドウ、城にしか見えないシャドウなど、自分たちが見たことのあるシャドウもいれば、中には出会えばすぐに逃げろと言われ交戦を避けてきた死神までもが混じっている。

 

「なんで? なんで、ここだけ大量にシャドウがいるの?」

 

 この部屋にいるシャドウだけでも百体は優に超える。上にはほとんどシャドウがいなかったというのに、何故ここにはこんなにも大量のシャドウが溢れているのか。

 素直に疑問に思ったゆかりが尋ねれば、いつでも動けるよう警戒している赫夜比売が正面に視線を向けたまま答える。

 

《あれは八雲に集まっているのです。シャドウは心の化生、故に、惹かれる心の種類という物があります。八雲は戦いながらそれを放ち続けているため、ここには新たなシャドウが現われるのです》

 

 話している途中、シャドウの群れの中で黒い爆発が起こった。

 そして、そこから弾けるように何かが飛び出し、一体何だと皆が視線を向ければ、それは長い髪を揺らし輝く金色の双眸(・・)で敵に憎悪を放つ青年だった。

 首に巻かれたマフラーは健在だが、上半身は赤黒く染まったぼろ切れが申し訳程度に覆っているだけ、ズボンも元は普通の物だっただろうに同じく赤黒く染まってダメージジーンズのようになってしまっている。

 そんな姿になっていた湊は空中に躍り出た瞬間、右腕に黒い炎を纏う。それを横薙ぎに払うだけで炎の津波が発生し、大量にいたシャドウの一画が全て黒い靄へと還ってゆく。

 だが、その攻撃範囲にいなかったシャドウたちが、空中にいる湊に向かってスキルを放ち、氷塊や電撃が彼に直撃して壁まで吹き飛ばされている。

 いま湊が喰らった攻撃は先日の七歌たちが放ったスキルとは比べものにならない威力だ。

 そんなものを喰らって無事に済むはずがない。案の定、壁まで吹き飛んだ青年がそのまま壁にぶつかれば、壁には放射状に赤い染みが広がる。

 それを見た女子たちが思わず声をあげそうになるも、茨木童子が手で制して我慢させると、壁にぶつかった青年に向けて再びスキルが殺到する。

 遠目から見ていればそれは光の集合体にしか見えないが、それが湊に当たると思ったとき、再起動した青年はマフラーから巨大な剣を抜き放った。

 

「あれは、九尾切り丸……」

 

 以前、英恵の誕生日パーティーで桐条に運び込んだ七歌は、既に彼の手に渡っていたのかと正統な持ち主の手にある大剣を見て思う。

 しかし、いくら破格の硬度を持つ大剣でもスキルを防ぐことは出来ないはず。

 そう思って見ていれば、湊は左手で壁に捕まったまま右手一本で百キロを超える大剣を振り抜きスキルの集合体を切り裂いた。

 一瞬で消え去る強力なスキルたち。それを為した青年の瞳は両眼とも蒼く輝いており、これが彼の魔眼の力かと思い知らされる。

 目の前の脅威を排除した青年はそのまま壁を蹴って跳躍すると、自分からシャドウの群れのど真ん中へと入って行く。

 着地の時点で剣を真下に構えて数体のシャドウを殺し、地面に足が着くと同時に周囲のシャドウを薙ぎ払う。

 斬撃に耐性があろうと関係ない。今の青年に斬れないものなどないのだ。

 吹き飛びながら消えて行くシャドウを残し、青年は走りながら敵を切り続け、その途中に相手の攻撃が掠って血が流れようと無視して突き進む。

 部屋の入り口の七歌たちからはシャドウの群れに埋もれてあまり見えないが、それでもまるで嵐の様にシャドウたちが吹き飛んでは消えて行くことで、青年が止まらずに戦っている事だけは分かった。

 

《……これが今の八雲だ。傷を負っても無視し続け、自分で敵を呼んでいながら敵が消えるまで戦う事を止めない》

《シャドウは生き物の心から生じるもの。故に、世界から生き物が消えぬ限り際限なく湧いてくるでしょう》

 

 先ほど湊が敵を屠った一画を見てみれば、そこは既にシャドウで埋まっており、かといって部屋のシャドウの総量が減ったようにも見えない。

 どうやら上のフロアと同じようにシャドウがその場に現われているらしい。

 そんな際限のない戦いに生身の青年が耐えられるはずもないが、見ていれば再びシャドウのいる一画で爆発が起きた。それを起こしたのは両手にロングバレルのリボルバーを持った死神だが、敵は周囲のシャドウごと湊を始末することを選んだ様だ。

 最初の爆発で湊が吹き飛ばされると、さらに追撃として湊に向かって巨大な火球が二個三個と降り注ぐ。

 湊に衝突した火球は爆発を引き起こし、爆発の炎が治まりきる前に追撃の爆発が起こる。

 完全に炎に飲み込まれれば流石の湊も危険で、アイギスたちが救出のため飛び出して行こうとした瞬間、爆発の炎を突き抜けて異形の黒い腕を携えた湊が出てきた。

 

「あれは……鬼の腕?」

 

 自分の身長を超えた長さの黒い右腕を突き出した状態で出てきた湊は、腕の全面に何かのフィールドを発生させながら死神の火球をぶち抜いて行く。

 後もう少し、そう思っている間に敵に到達すると、死神の銃身と湊の鬼の腕がぶつかり衝撃波を発生させる。

 両者を中心に吹き飛んで行くシャドウたち、一体どれほどの威力でぶつかっているのか気になるが、鍔迫り合いをしながら死神が頭上に光を集め出していた。

 それを見たアイギスは敵の攻撃の正体をすぐに看破し、他の者に注意喚起する前に青年に向け叫んでいた。

 

「ダメです八雲さん! すぐに逃げて!」

 

 死神が放とうとしているスキルは、大部屋の中に存在する全てを飲み込む可能性すらある凶悪なもの。万能スキル“メギドラオン”だ。

 そんなものを至近距離で喰らえば、満身創痍な湊は確実に死んでしまう。

 そう思ってアイギスが叫べば、敵のスキルが完成するまでの僅かな合間に青年が吠えた。

 

「があぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

 

 瞬間、湊の全身から黒い炎が噴き出し渦巻いた。

 正面にいた死神だけじゃなく、衝撃波を喰らって倒れていたシャドウ、湊に向けて遠くからスキルを放っていたシャドウ、その部屋にいる全てのシャドウを飲み込み黒い竜巻が部屋の中を蹂躙してゆく。

 部屋の隅にいた七歌たちも思わず吸い込まれそうになるが、何とか必死に地面に伏せて耐えることで何とかやり過ごす。

 そして、竜巻が全て治まり静かになると、そこには高い天井の方を向いてじっとしている青年一人だけが佇んでいた。

 先ほどまでは無尽蔵に湧いていたシャドウも現われず、湊も静かになったことでもしや正気を取り戻したのかと茨木童子は様子を窺う。

 すると、天井の方を向いていた湊がぐるりと向きを変え、金色の瞳を少女に向けてゆっくりと歩いてきた。

 

「……アイギス、来てたんだな」

「はい。八雲さんが心配で、そしてあなたにずっと謝りたくてやって来ました」

 

 先ほどまで荒ぶっていた青年が正気を取り戻した事に他の者は驚きを隠せない。

 だが、現に湊はアイギスのことをしっかりと見ながら言葉を交わしている。

 イリスを殺され復讐に走っていたとき、彼をギリギリのところで繋ぎ止めていたのはアイギスに対する気持ちだった。

 茨木童子が強行した器慣しで荒神へと変じたときも、彼はアイギスの姿を見たことで自我を取り戻して人の側へと戻ってくることが出来ていた。

 そんなこれまでの事を振り返ってみると、百鬼八雲という青年にとってアイギスという少女は特別な楔なのかもしれない。

 

「なぁ、アイギス。俺の大切な人は死ぬんだ。大切だと、生きていて欲しいと思うと、その人は死んでしまう」

 

 やって来る青年を迎えにアイギスが歩み寄っていけば、突然青年が目を伏せながら語り出した。

 五代から聞いた話を思い出せば、確かに彼と親しくなった者は大勢死んでいた。

 背負いすぎる青年がそれをずっと悔やんでいてもおかしくはない。今回の暴走もそういった自責の念から罪滅ぼしにやっていたのかもしれないと思っていれば、青年は僅かに視線をあげて哀しい瞳でアイギスを見ながら続ける。

 

「でも、俺は君のことを大切に思ってる。信じて貰えないかもしれないけど、ずっと昔から大切に思い続けているんだ」

 

 両親、飛騨、助けたいと思った被験体たち、そしてイリス。

 彼女たちとの別れは青年の心に傷として残り、自分が大切に思った者は死んでしまうと刻まれたらしい。

 だがそれだけでなく、相手が死ななければ自分が大切だと思っていると他者に分かって貰えないとも感じているようだ。

 これは確かに歪で、玉藻の言っていた通りに人としては壊れてしまっているのかもしれない。

 けれど、アイギスは湊から向けられる想いをちゃんと分かっている。だから大丈夫だと包み込む様に優しく微笑んで彼を安心させてあげようと思った。

 

「大丈夫です。わたしは死んだりなんかしません」

「うん。でも、やっぱりちゃんと信じて欲しいんだ」

 

 自分が信じていた者たちに否定されたからか、湊は酷く弱々しい笑顔で信じて貰いたいと口にした。

 これまで青年は誰に否定されようと、それによってどれだけ自分が傷ついたとしても、痛みを無視して目的のために動き続けていた。

 そんな青年が珍しく吐いた弱音にアイギスは胸を締め付けられる。ここまで追い込んでしまったのかと。

 だからこそ、アイギスは何も心配しなくて良いと彼を抱きしめようと思った。

 足を止めていた彼に近付き、あと三メートルというところで彼が顔を上げる。

 きっと今にも泣きそうな顔をしているのだろう。そう思ってアイギスが表情を見れば、そこにはあまりに美しい微笑が浮かんでおり、そんな綺麗な表情を見せながら湊はただ一言告げた。

 

 

「だから――――僕がこの手で君を殺します」

 


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