【完結】PERSONA3 Re;venger   作:清良 要

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第二百五十七話 野外フェス

8月26日(水)

夕方――港区・自然公園

 

 学生たちの夏休みも残り僅か。残りの数日で宿題を片付ける者もいれば、最後の思い出作りに勤しむ者もいる。

 今日、このEP社所有の土地にある自然公園にやって来た者たちは後者だろうが、沢山の屋台が出ている公園内には学生だけでなく大人の姿もあった。

 スポーティーなキャップとサングラスをかけた少女は、そんな大勢の人で賑わう公園内を見ながら奥へと進んでゆく。

 屋台で焼きそばを買っている親子や、ペットボトルのジュースを飲みながら“柴田さやか”と書かれた団扇で扇いでいる男性に、サイリウムの色を変えて遊んでいる女子たち。

 少し進むだけでも色々な人たちの姿が見え、少女は思わず口元を楽しげに歪めながら関係者以外立ち入り禁止と区切られたエリアに向かい、警備の者や忙しそうに準備を進めるスタッフに挨拶をしながら一つのテントに入った。

 

「あー、涼しい。けど、外はもうすっごい人だったよ! 蒸し暑さよりも人の熱気の方がすごいくらい!」

 

 シートで囲われた仮設テントの中には空調設備が置かれており、冷房が効いたテントに入った少女・久慈川りせは興奮した様子で話し、サングラスとキャップを外してからウォーターサーバーで水を入れる。

 外を歩いて火照った身体には常温の水であろうとクールダウンの効果がある。

 小さな紙コップの中身を全て飲み干した彼女は、しかし、見てきた会場の様子に興奮が冷めないようで、パイプ椅子に座っていた青年たちに続けて話しかけた。

 

「物販の方もすごい売れ行きだって。直筆サイン入りをランダムに入れた効果もあるみたいだけど、プロデューサーって本当にお金儲けの才能はあるんだね」

 

 屋台の並ぶエリアの方には大きな物販スペースが設けられており、柴田さやかと久慈川りせがこれまで販売したCDや写真集の他、今回の野外フェス限定商品も多数揃えられている。

 フェスを盛り上げるようなサイリウムに応援団扇なども売られており、りせが様子を見に行ったところフェスが始まる前から既に物販の方は大賑わいであった。

 だが、物販の方が大盛況なのはフェスへの期待だけが理由ではない。

 実は事前に公式ホームページ等で当日のフェス限定商品の中にアイドルの直筆サイン入りの物がランダムに紛れていると告知されていたのだ。

 これは湊が考えたことであり、業界やファンの間では完全に禁じ手とされていた限定商法なのだが、業界の常識など知らぬ湊にすれば売れれば正義だ。

 サインが書かれているのはフェス限定商品であり、これまでに発売されていたCDや写真集は一緒に売っているだけの通常版でしかないので、在庫処理のためではなくあくまでサプライズに過ぎない。

 その辺りの采配は不満をある程度封じることにも一役買っているので、業界の常識を無視して金儲けに走る青年の手腕を認めつつ、今日のイベントを楽しみにしていたトップアイドルの少女は悪戯っぽい顔で湊に笑いかけた。

 

「フェス中に撒く水用の紙コップにも私たちのサイン入りだもんね。サインのし過ぎで本当に腱鞘炎になるかと思ったよ」

「すぐそこに評判の病院がありますよ」

「お、そこまで考えての行動なら黒いなぁ。有里君ってば真っ黒だよ」

 

 シレッと答える湊の方を見ながら、この子は悪い子ですと話す柴田の顔には笑顔が浮かんでいる。

 日が沈んでからイベントが始まるとは言え、まだまだ夏の暑さは残っており会場は全体的に蒸し暑い。

 歌って踊るアイドルたちは倒れないようにと水分補給にクールダウン用品も準備しているが、会場に集まっているファンたちは人口密度もあって気温以上に暑くなる。

 すると、体力のない者や体調の優れない者の中から倒れる者も出てくるので、少しでも予防になればとフェス中には水を入れた紙コップを客席に向かって投げることになっていた。

 専用の投石器のような物まで準備済みで、それでどこまで飛ばせるか挑戦する企画も進行には含まれている。

 他にもさりげなく客席に向かってミストを送る用意もしてあるので、ライブの熱を妨げずに客の体調への配慮も欠かしていない湊には本当に頭が下がると柴田は考えていた。

 何せ、柴田は野外イベントには参加したことはあるが野外フェスは初参加。りせの方などこの規模のライブ自体が初めてという状況。

 そんな中で体調を崩して病院に運ばれる者が出れば、経験の浅いりせはパフォーマンスに影響が出るだけでなく、今後の活動にまで響くトラウマが出来るかもしれない。

 そうでなくても野外イベントで熱中症や日射病で倒れた者が出ると、翌日にはニュースで取り上げられてしまうのだ。

 会場スタッフの準備や計画に落ち度がなかったかという話で済めば良いが、イベントの主役を飾るアイドルと所属事務所まで責任について言及され、その後の仕事にまで影響が出れば目も当てられない。

 だからこそ、湊はそういった体調へ配慮する仕掛けに力を注いでいた訳だが、五十個以上の紙コップにサインした柴田は、本当に大変だったなと改めて今日までの準備について語った。

 

「新曲の準備もあったし、色々なところに宣伝でお邪魔したこともあって本当に忙しかったよ。極めつけはレッスンの休憩時間に書かされたサインだけど、ファンの皆が喜んでくれるといいよね」

「私、本格的なサイン会とかしたことなかったんで、プロデューサーに書かされたのが一度に書いたサインの過去最高記録でした」

「お、じゃあ、このイベントが終わってからは記録更新するかもだね。有里君が何局かカメラ入れてるし、注目度を上げてきたおかげもあってすごい事になるかも」

 

 新人どころかりせはまだ駆け出しのアイドルでしかない。

 普通に考えればそんなりせがトップアイドルと同じ舞台に立つには、バックダンサーやコーラスとして参加するしかないのだ。

 けれど、今日の野外フェスの主役はりせであり、柴田はあくまで共演者という立場。

 柴田のネームバリューを最大限に利用して集客と注目を狙う。それが湊の考えた今回のイベントを成功させる策であり、お飾りの主役になりたくなければ死ぬ気で頑張れというスパルタなエールであった。

 当然、柴田もやるからには全力だと言っていた。これまで誰よりも汗と涙を流してトップに立っている彼女は、同じ舞台に立てば新人だろうとプロとして扱う。

 りせがついて来れなければ容赦なく主役を喰うつもりでいて、イベントへの参加を聞いた時点でそのことは本人とマネージャーに伝えている。

 憧れのトップアイドルにそんな事を言われれば、普通の新人ならば萎縮してイベントへの参加を見送るかもしれず、仮に参加したとしても宣言通り喰われてしまう。

 だが、りせは新人にはあり得ない過密スケジュールの合間をぬってトレーニングに励み、どうにか動けるレベルには至った。

 ダンスも歌もまだまだ柴田には及ばない。表現力だって未熟で、体力も同年代と比べてそう多い訳ではない。

 それでも、気持ちでは負けるかとレッスンを続け、今日の本番に共演できることを柴田も喜んでいた。

 憧れの先輩に認めて貰えたことは当然りせの自信に繋がっている。後は本番でどこまで力を出し切れるか、お客さんと一緒に盛り上がることが出来るかだ。

 

「すみません、そろそろ着替えお願いしまーす!」

『はーい』

 

 時計を見れば本番が始まるまで一時間を切っていた。スタッフが着替えるように言ってきたことで、衣装に着替えてメイクをしてと本番まであっという間だろうとりせたちの頭も切り替わる。

 

「それじゃあ、りせちゃん行こうか」

「はい。じゃ、プロデューサーは後でね」

 

 メインの二人はこれから着替え用の車に向かって、そこで着替えと一緒にメイクもすることになる。

 男の湊がそこにいる訳にもいかないので、次に会うのはスタンバイ前になるだろうとテントを出る二人は手を振った。

 そちらに視線を送った湊の方も準備があるので立ち上がると、二人と少し時間をおいてからテントを後にした。

 

***

 

 蒸し暑い夏の夜。アイギスは自分の姉とチドリも含めた二年生メンバーと共にバスに乗り、野外フェスの行なわれる会場に来ていた。

 今日はここでトップアイドルも参加する野外イベントがあるらしいとの情報を聞きつけ、参加料も無料だからと思い出作りにやって来たのだ。

 まぁ、情報を聞きつけたと言っても湊がプロデュースしていることで話題になり、参加するアイドル二人も色々な番組に出演して宣伝してきた。

 そのおかげで公園の入口側のスペースは沢山の屋台と来場客で賑わっており、さらに奥に進むにつれて人も多くなっていた。

 

「八雲さんに呼ばれてこれだけの人が集まっているのですね。流石であります」

「いやぁ、有里はイベントをプロデュースしてるだけで参加者じゃねえから、集まったのはあくまでアイドルを観に来た人らだな」

 

 ライブ仕様なのか野球帽を後ろ向きに被り、ネックレスと腕に巻くアクセサリーを増量して歩く度にジャラジャラと音をさせている順平は、感動しているところ悪いがとアイギスに事実を告げる。

 屋台でチョロッと買い食いしつつ奥に向かえば、彼の言っていた通り物販のブースはアイドルたちのファンでごった返していた。

 これらの人々は全て湊ではなくアイドルのために集まっており、彼らが集まりたくなるようにイベントを作った手腕は認めるが、主役ではないと再度教えてやればアイギスは少しつまらなさそうにしている。

 

「八雲さんが出ないのであれば帰るであります……」

「まぁまぁ、有里君が作ったステージだしさ。彼の事を知るにはどんなイベントに仕上げたのか見ても損はないんじゃない?」

 

 別にアイドルにはそれほど興味がないゆかりも、近くでイベントがやっているのなら折角だし見てみようかなと思ってやってきた。

 だというのに、連れがイベント前に帰ろうとするので、イベント自体が彼の作品なんだよと教えてやれば少しは興味を持ったらしく、扱いやすいようで面倒だなと小さく嘆息する。

 そんなゆかりの頑張りを見て苦笑していた風花は、改めて初めて参加するイベント会場を見て、すごい熱気だと集まったファンたちについて話す。

 

「こんなに沢山の人が集まるなんてすごいですね。私でも何曲も知ってるようなアイドルだし、トップアイドルって聞くと成程って感じかも」

「ま、サーヤつったら知らないやつはいないってレベルだからな。もう一人の子もテレビで見た感じ可愛かったし。夏の最後の思い出にはサイッコーだぜ」

 

 こういったノリの良いイベントが好きな順平はあと少しだし楽しみだと興奮気味に話す。

 ただ、今年こそは彼女を作って思い出作りを頑張ると言っていただけに、結局は例年通りのままだった事で無理にテンションを上げているようにも見えた。

 もっとも、今年も彼女は出来なかったなとは誰も突っ込まない。

 それを言えば自分たちも独り身である事を指摘されるだけでなく、むしろ有里湊という一人の青年を中心に泥沼な状態である事が話題にあがり、女同士の友情にヒビどころか亀裂が生じかねない。

 七歌はそんな者たちの中でも姉を自称しているだけなので外れるが、わざわざ面倒な方向に話が行くと分かって話題にする事もないと判断し、人が大勢並んでいる物販ブースを指して口を開いた。

 

「皆、物販はどうすんの? 折角だしなんか買ってく?」

「あー、私はいいかな。CDとかはレンタルで十分だし」

 

 今日出演するアイドルたちの歌はゆかりも何曲か聞いていたが、CDやグッズを買い集めるほど熱心なファンという訳ではない。

 ライブで気に入った曲があれば、後で曲目を見てCDを借りに行くくらいでいい。

 そんな熱心なファンが聞けば激怒するであろうゆかりの発言だが、それを聞いた順平はオーバーに肩を竦めるとやれやれと呆れたように呟く。

 

「ゆかりっちってば夢がないなぁ。今日のイベントグッズはなんと直筆サイン入りが混じってるんだぜ? 一人五個までらしいけど、見た感じ馬鹿みたいに売れてるみてぇだし。ビッグウェーブに乗ろうとは思わないのかね」

「……公式からどのグッズに何個サイン入りがあるかってアナウンスしてないし。絶対に欲しいファンにすれば、少しでも可能性を上げるため数を買うしかないんでしょ」

「湊君もエグい商売の仕方しはるわ」

 

 何万個と用意されているグッズの中で、当たりであるサイン付きは個人の物が三十点、二人のサインが書かれたプレミアム版は三点という恐ろしい倍率だ。

 限定シャツなどはEP社参加の企業がデザインしたしっかりとした品なので、普段着としても利用できるレベルではあるが、サイズによっては一つもサイン付きがなかったりと悲しい事になっている。

 けれど、運営からは用意されたサイン付きグッズの数が明言されただけで、どのグッズに何個サイン付きがあるかという詳細は出されていない。

 当然、ファンたちは運営に詳細も教えて欲しいという要望を送ったが、サイン付きが混じっているのはあくまでサプライズ要素なので当日をお楽しみにという返答しかなかった。

 それを聞いたファンたちは、当然の如く金の亡者めと運営とプロデューサーである湊をネット上で叩いていたが、分かっていても何もすることは出来ないので、会場に来たファンたちは財布が許す限り一つでも多くのグッズを買うしかないという訳だ。

 ただし、この場で全てのサイン付きが出なければ、後日、専用サイトにて残ったサイン付きグッズが当たる抽選が行なわれる。買ったグッズ五個一口で、レシートに記載された番号を入力すれば自動で個数が計算される仕様である。

 そんなダブルチャンスも残っているからこそ、熱心なファンたちはグッズの値段を計算し、一つでも沢山のグッズを買おうと躍起になっていた。

 傍から見ていると異様な光景にも思えるが、まぁ、折角来たのだからと開始までもう少し時間もあることでアイギスたちも列に並ぶ。

 全員今日のパンフレットは買うが、順平は男性用のTシャツも一枚買うらしい。ならばとラビリスも部活の練習着にでもしようとTシャツを買うことに決めた。

 Tシャツは前面部が見えないように畳まれた状態で個別包装され、パンフレットは簡素な色つきの袋に入っているので取り出さなければサイン付きかは分からない。

 自分たちの順番になってそれぞれお金を払って商品を受け取ると流れに乗って出て行く。

 すぐ傍で開けると後ろがつっかえてしまうので少し離れたところで立ち止まると、早速確認だと七歌や順平は袋を開けた。

 

「あー、普通のやつでした。惜しい!」

「いや、別に惜しくないっしょ。ま、オレっちも普通のだったけどさ」

 

 ちょっとだけ期待しつつ開けてみれば、表紙は綺麗でTシャツもサンプルと同じ柄であった。

 ゆかりや風花も同じように開けてみて、結局は七歌や順平と同じように綺麗な商品だったことでこんなもんだよねと笑いあう。

 だが、一番最後に買ったことで遅れてやって来たアイギスは、自分の買った物と他の者が買った商品を見比べて急に不満そうな顔をした。

 

「む、わたしの買った物だけ印刷に不備があるであります。どういう了見が問い質し、即刻交換して貰ってきます」

 

 印刷の不備と聞いて他の者たちの頭にクエスチョンマークが浮かぶ。元ロボットだけあって、そういった物も気付きやすいのだろうかと思って見てみれば、彼女のパンフレットの表紙にはサインペンで書かれたマークが二つあった。

 そのマークが何であるかを一瞬で理解した順平は、交換して貰ってくると元来た道を戻ろうとする彼女を慌てて引き止めた。

 

「ちょ、それ! それが当たりのやつだから! 限定三点しかないプレミアムサイン! 嫌ならオレのと換えてやるからストッププリーズ!」

 

 アイギスも一緒にサイン付き限定品の話を聞いていたので理解していると思っていたが、彼女はそもそも人間の文化についてまだまだ知識が不足していた。

 おかげでプレミアムサインを見てもラクガキにしか思えず、風花たちが如何に貴重な物かと説明しても通常の商品の方を欲しがっている。

 だが、物販ブースから少ししか離れていない場所でそんな話をしていると、後ろの方から聞いたことのある声が聞こえてきた。

 

「あー、せっかくお揃いで買ったのに汚れてる……。お店の人に交換してもらわなきゃ」

「ま、待って羽入さん! それ、限定品のやつだから!」

 

 声がした方へ振り返ってみれば、湊のマンションの隣人である羽入と友人の宇津木が一緒にいた。

 今日は時間も遅いという事で妹たちは来ていないようだが、羽入の方が買ったTシャツの前面部にはサインペンで書かれた二つのマークがあり、本人は汚れていると認識して嫌そうな顔をしていた。

 

「そっちもかよ! つか、何で有里の知り合いは物の価値を知らずに買ってんだよ!」

 

 自分たちが来るまでに何千、何万という人間がグッズを買っていったはずだが、ゆっくり来たアイギスに続いて羽入までもが三点しかないプレミアムサインの品を手にしている。

 別にその点についてはただの運だとして納得も出来るが、本人たちから汚れや印刷ミスと認識されているのは、ファンが喜ぶのならとサインしたアイドルとサイン欲しさに必死になっているファンたちが不憫でしょうがない。

 別に転売する気など欠片もないものの、順平は羽入とアイギスに普通の方が欲しいのなら買ってあげるからと交渉を持ちかけた。

 無論、価値を知らぬ者を騙そうとしているように見えた事で、他の女子たちには少々睨まれたが、順平は交換する前に価値があるのはサイン付きである事を再度説明した。

 それでも通常版を選んだのは本人たちであるため、順平はTシャツとパンフレットを一つずつ追加購入するだけで、三点中二つのプレミアムサインをゲット出来たのだった。

 

「いやぁ、今日はマジでサイッコーの日だな! アイちゃんも後輩ちゃんも欲しいのあったら言ってくれよ。アメリカンドッグでもラムネでも好きなの買ってやっから!」

「了解しました。ですが、もう少しで始まるので帰りにお願いするであります」

 

 女子二人で遅い時間にいるのは危ないという事で、羽入と宇津木も合流すると一団になってメンバーらは公園奥の会場へと向かってゆく。

 プレミアムサイン付きのグッズを大事そうに袋に入れ、はしゃいだ順平が先頭になって進むとライトアップされたステージが見えてきた。

 ステージにはまだ楽器などしか置かれておらず、時折スタッフと書かれたシャツを着た者がステージ上の物を移動させているだけで主役は来ていない。

 けれど、時計を見れば開始時刻まで残り僅かなので、順平たちも出来る限り近付いたところで立ち止まって開始時刻を待つ。

 

「音楽のイベントとはこんなにも大勢の方が集まるのですね」

「んー、湊君が言うには三万人くらいは大丈夫らしいけど、見た感じやともっと来てるみたいやね」

 

 以前、湊から三万人くらいは集まれる会場だと聞いていたことで、人の多さに驚いているアイギスにラビリスは四万人くらい集まるのではと話す。

 それを傍で聞いていた七歌や風花は、そんな人数がグッズを買いまくっていたならば、確かにチケット代を取らなくても十分な収益は見込めるのだろうなと思えたが、ステージにバンドのメンバーが集まりだしてきた事でそちらに注目する。

 ドラムが小さな音でリズムを刻み始めれば、ベースもそれに合せて弾き始めた。

 まだ何の曲という訳でもなくリズムを刻み始めただけだが、会場に集まった者たちもそのリズムに乗り始めた事でボルテージが上昇する。

 新たに現われたキーボードも参加し、バックコーラスの女性たち、サックス、トランペットと人数も増えてゆく。さらにギターもやってきたところでメンバーたちは驚愕に目を見開いた。

 なんとそこには、サングラスをかけながら衣装に身を包んだ青年がいた。

 

***

 

「じゃあ、いくよ。りせちゃん」

「……はい」

 

 ステージ衣装に身を包んだ二人は、お互いに強く手を握りあうと観客から見えない舞台袖で深呼吸する。

 ついにこの数ヶ月の努力の成果を見せるときが来た。泣いても笑っても一夜限りのお祭りが始まる。

 湊と出会ったのは人前で歌えると楽しみにしていたイベントが潰れた直後だった。

 店の配線トラブルが原因だったようだが、そのおかげでミニライブはお流れになり、楽しみにしていたりせは人前だというのにマネージャーの井上に八つ当たりしてしまった。

 それを近くで見ていたらしい湊は、公共の場で喚くなと彼女の頭にカラオケ屋のクーポンを投げつけてきた。

 今思えば最悪に近い出会いだ。お互いに喧嘩腰で言い合いになり、出来るものなら歌ってみろ、分かった歌ってやるで仕事が決まったのだ。

 事務所に帰ってからその事を伝えると、社長だけでなく先輩たちからもお叱りを受けたが、一度口に出したことは引っ込められない。

 後日、湊は本当にトップアイドルの柴田を呼んで仕事を依頼し、そこでりせも本当に自分が大きなステージで歌えるんだと期待に胸が躍った。

 ただ、本当にステージをやると決まってからは楽しい事ばかりではなかった。

 同年代の駆け出しの中では光る部分があったりせも、客前でプロとしてパフォーマンスを見せるには実力がまるで足りていなかったのだ。

 共演する柴田もダメなら置いていくと言っていた。それに啖呵を切ってやらせてくださいと返したのは自分なので、絶対に中途半端は許されないとトレーナーの厳しい扱きにも耐えた。

 

(大丈夫、大丈夫、やるだけの事はやった……)

 

 知名度を少しでも上げるために音楽番組だけでなく、バラエティ番組や朝の情報番組にも出演したりしながら、移動中や仕事以外の時間でフェスに向けて新たに貰った曲の歌詞と振り付けを頭に叩き込み、歌詞と振り付けが頭に入っているという前提の個別のレッスンで表現力を磨き続けた。

 最初は投げ出したくなるくらい辛かった。こんなの駆け出しがする仕事じゃない。自分がやりたいと言っている先輩もいる。そんな事を考えては自分がやるんだと弱った心を奮い立たせた。

 多忙な柴田との合同練習の機会は限られていたし、吸収できるものは何でも吸収してやろうと特に集中して臨んだおかげで、柴田にも褒められるほどの速度でりせは成長した。

 残念なことに元のギター担当が胃腸風邪で急遽来られなくなる一幕もあったが、ギターなら演奏できるという万能なプロデューサーのおかげで穴も埋まった。

 入念に打ち合わせを行ない、リハーサルも重ねた事で、ギターが変わっても驚くほど動揺は少なかった。

 何より、会場には人が集まり、バンドたちも会場の空気を温めるため軽快なリズムを刻み続けている。

 もう本番だ。次に照明が落ちたら二人はステージに飛び出していかなければならない。

 心臓が痛いくらいに高鳴り、失敗したらどうしようと弱音まで頭をもたげてきても、繋がれた頼もしい先輩の手の温もりで冷静さを失わずに済んだ。

 

「いま!」

「はい!」

 

 音が止み、照明が消えた瞬間、りせと柴田は駆け出してステージへ上がった。

 指定された場所に到着した瞬間、照明が復活してステージ脇で爆発が起こり観客に向かってカラーテープが飛ぶ。伴奏をカットしたオープニング曲の演奏がスタートするのとりせたちが歌い出すのは同時だった。

 待ち望んだアイドルの登場に会場中から歓声があがる。

 駆け出しのりせがメインで、トップアイドルの柴田が共演者。

 そんな構成の時点で、企画を発表した当初は来るのはほとんどが柴田のファンだろうと思われていた。

 しかし、ステージに立って観客を見たりせは、自分の名前が書かれた団扇を必死に振ってくれているファンを見つけた。

 一人二人ではない。会場を埋め尽くすほどの人の中で、数え切れないくらいの人たちがりせにも声援を送ってくれていたのだ。

 ライブは始まったばかりだというのに目頭が熱くなる。嬉しさのあまり泣きそうになるが、数瞬瞳を閉じるとパッと開いてアイドルとしての笑顔を見せた。

 

《みんなー! 来てくれてありがとー!》

《夏の最後を飾る三時間限りの夢のお祭り、みんなも楽しんでいってねー!》

 

 来てくれた者たちのために最高の自分を届けよう。

 観客と共にライブを作り、忘れられない思い出として残す。

 終わった後のことは考えない。このステージで自分の全てを出し切ってみせる。

 その想いを胸に、二人のアイドルは限界を超えたパフォーマンスで観客を沸かせた。

 

 

夜――控え室用車内

 

 フェス終了後、野外ライブの着替えやメイク室として用意されたキャンピングカーの中で、りせと柴田は完全に燃え尽きていた。

 イベントは想像超えるほどの大成功。スタッフが来場者を数えてみるとおよそ五万人集まっていたという。

 そんな観客を前に三時間二人でステージを披露し続けたのだ。途中にトークやゲームを挿んではいたが、女子中学生や女子高校生の体力の限界を超えており、二人はステージから降りるとそのまま倒れ込んでここに運ばれた。

 ステージの方は、雨が降ると困るような機器類だけは既に取り外して撤収しており、残りは明日になってから片付けることになっている。

 イベントが大成功したことで大人たちは打ち上げに向かったが、メインを張った二人にそんな体力は残っておらず、何とかゆっくりでも着替えようとした事で中途半端に下着姿で止まっていた。

 

「……はぁ、客には見せられない姿だな」

 

 化粧台に突っ伏しているりせと、椅子に座って呆けている柴田を見て湊は思わず溜息をつく。

 主役とも言えるアイドル二人が打ち上げに参加出来ない事で、代わりに二人のマネージャーが連行されており、アイドルを送っていけない彼らに頼まれて湊は二人の様子を見に来たのだ。

 この車はEP社が用意したものなので鍵は湊が管理している。おかげでスタッフたちは誰も来なかった訳だが、もし男性スタッフが来ていれば大変な事になっていたに違いない。

 着替えられないのなら衣装のままでいてくれた方が良かったのだが、汗を吸った衣装を着たままでは身体が冷えた可能性もあったので、これはこれで良かったのかもなと思いつつ、湊は大きなタオルケットを手に取って二人の身体を拭いてやる。

 

「プロデューサー……これ、セクハラ……」

「人の車で下着姿になってたのはそっちだぞ」

 

 動く元気もないくせに、身体を拭かれたりせが条件反射でセクハラだと呟いた。

 その程度でも判断能力が残っているのはありがたいが、普段は元気な二人が相手だと逆に面倒臭いのかもしれないと思いつつ、湊は相手の身体にタオルを被せ、自分からは見えない状態にして下着を脱がせる。

 急に下着を脱がされタオル一枚にされても動く元気はないのか、相手はほとんど無反応でぐったりとしており、これなら大丈夫だなと湊は新しい下着を身に着けさせた。

 身体を拭いてから下着を替えれば後は簡単だ。二人が着てきた私服を着せていき、脱がせた下着はとりあえずビニール袋に入れてからそれぞれの鞄に入れておく。

 

「有里君……訴訟だからね……」

 

 無反応だったが、大丈夫ではなかった。

 下着姿を見たこと、身体を拭いたこと、下着を脱がせたこと、下着を着せたこと、服を着せたこと。さぁ、一体どれがアウトだったか考えてみようと頭の中で悩んでみる。

 ここに一般常識を持った他の者たちがいれば、きっと答えは全部だと教えてくれるに違いない。

 ただ、この場にそんな者はおらず、駆け出しアイドルだろうがトップアイドルだろうが、湊からすればスイッチを切り替えない限りは欲情の対象にはなりえない。

 よって、

 

「撮影でキスもしたでしょう。これぐらい今更ですよ」

 

 全く別の話を持ち出して彼は開き直った。

 体力の限界で疲れ切っている相手は反論する元気もなく、荷物をまとめ終わると運転席に向かった湊を視線だけで追いかける。

 彼女たちは頭の中でぼんやりと彼が何をするつもりなのか考えているに違いない。

 まぁ、運転席に向かった時点でやることなど一つしかないのだが、ここが自分の土地だということで湊は車のエンジンをかけると公園内を走り出した。

 そのまま走らせた車は病院の方へ向かい。従業員用の出入り口前で停車すると、りせと柴田を順番に中へ運び入れてゆく。

 彼女たちを運び入れたのは、以前、宇津木の妹と母親を泊まらせた『ルーム』と呼ばれる部屋だ。病棟と違ってキッチンやお風呂付きのワンルームの宿泊室になっており、動けないほど疲れている二人を泊めるには丁度良かった。

 汗を掻いたままでは気持ち悪いのではと、お風呂に入れてやることも考えたが、お風呂はお風呂で体力を消耗するのだ。

 ならば、少し寝て体力が戻ってから入れば良いだろうと考え、二人が明日から三日間は休みを取っていることを知っていた湊は、それぞれのベッドの傍に薄めたスポーツドリンクを置いておくと、部屋の電気を消して鍵を閉めてから去って行った。

 翌日、昼間に起きてきて食事を取ったことで回復した二人から、車内でのことを他言したら社会的に抹殺すると言われたことはいうまでもない事である。

 


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