【完結】PERSONA3 Re;venger   作:清良 要

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第二百五十八話 少女の転入

9月1日(火)

朝――月光館学園

 

 夏休みも終わり、九月初日の朝。

 アイギスは買ったばかりの真新しい制服に袖を通し、不思議な気持ちで学校の前に立っていた。

 “汐見アイギス”、それが彼女に与えられた戸籍上の名前。

 姉であるラビリスが夜の海に行った際、湊が考えた名字だと聞いている。

 自分の名字を考えるのなら、別に湊と同じ有里か百鬼でも良いのにと思ったが、それを口に出したらラビリスも同じ事を言ったのだとか。

 別に汐見という響きが嫌という訳ではなく、高等部からこの学校に通っている姉もその名前で認識されている。

 ならば、腹違いの妹という設定になっているアイギスも、これからはその名前で呼ばれることにも慣れていかなければならない。

 自分は既に人間の身体を得ていて、今後は他の者と同じように一人の人間として社会の中で暮らしてゆくのだから。

 だが、それはそれとして、校門の前に立って校舎を眺めていたアイギスは、何やら周囲の人間の視線が自分に集まっていることに気付いた。

 

「なぜ、皆さんはわたしを見ているのでしょう? 制服の着こなしに問題があるのでしょうか?」

 

 初めて着る服なので不備があったのかもしれない。寮の部屋で風花たちに手伝って貰いながら身に着けた制服を再度見直し、やはりどこがおかしいか分からなかった事で彼女は困り顔を浮かべる。

 すると、一緒に登校してきていた風花や七歌がくすくすと笑い、別に制服の着方に問題がある訳ではないと教えてやる。

 

「違うよアイギス。制服の着方はそれであってるの」

「うん。まぁ、まだ夏服で良いとは思うけど、そうじゃなくて、他の人はアイギスの容姿が気になってるの」

「容姿? わたしの容姿に特別目立つ点はないと思いますが……」

 

 完璧な制服の着こなしがしたいという事で、アイギスはブレザーまで完全に着込んでいる。

 八月と変わらない気温の中で、流石にそれは暑かろうと思わなくもないが、いま彼女が目立っているのはそれが理由ではない。

 学校の敷地内へと入っていく学生らが彼女を見ている理由は、単純に彼女の容姿が人の目を惹くくらい整っているからだ。

 

「一般人の感性からするとアイギスはすっごい美少女なの。お人形さんみたいに綺麗って感じで」

「ラビリスちゃんが入学したときもそうだったから、西洋人風の見た目がそもそも目立つっていうのもあるしね」

 

 学内でもトップランクの容姿を持つ七歌から見ても、アイギスのルックスは頭一つか二つ抜けて優れている。

 あの真田や荒垣ですらナンパのときは美少女認定していたらしいので、そんな彼女が道の真ん中にいれば注目が集まるのは当然と言えた。

 もっとも、アイギス本人は自分の容姿を普通だと思っており、それならば注目される理由が分からないのも当然だなと七歌たちは笑いながら校門を潜る。

 

「やっぱり最初は職員室だよね。私のときもそうだったし」

 

 四月にこの学校へやってきた七歌は、アイギスも同じように職員室に向かってから教室に行くはずだと流れを整理する。

 教科書など必要なものは既に受け取っていて、自分のクラスが何組であるかも書類で渡されているので把握はしているが、やはりクラス担任に連れて行って貰う必要はあった。

 そのため、校舎に入って上履きに履き替えると、そこで風花とは別れて七歌が一人でアイギスを職員室へ案内する。

 

「ここが職員室だよ。アイギスのクラスは私と同じみたいだから、鳥海先生っていう女の先生のとこに行けばいいから」

「了解しました。では、また後ほど」

「うん。じゃあ、また後でね」

 

 職員室の場所が分からないアイギスを連れてきたが、後は鳥海の許へ行って挨拶すれば良いだけだ。

 教室までは鳥海と一緒に来るはずなので、案内を終えた自分は先に教室に行っておくと七歌もその場を離れた。

 急に知らない場所で一人になったアイギスは、ここで過ごしてゆくのなら一人でもやっていけるようにしなければとやる気を出し、扉に手をかけ開くと同時に挨拶する。

 

「失礼致します。鳥海先生はおられますか?」

 

 急に入ってきた外国人の女生徒に視線が集まる。生徒だけでなく教師も同じ反応だったことで、七歌たちが言っていたように自分の容姿が目立つ事はハッキリと理解出来た。

 だが、この学校には交換留学生も何人か在籍しているため、少しすると教師らは興味を失ったように視線を外し、そのタイミングで一人の女性が手を振ってきたことでアイギスは相手の許に向かった。

 

――2-F教室

 

 チャイムが鳴りホームルームの時間になれば、鳥海の後に続いてアイギスが教室へと入ってくる。

 その姿を見た瞬間、教室中で息を呑む音がして、数名の男子が彼女に見惚れていた。

 マヌケのように口をポカンと開き、瞳はアイギスだけを映して動かず、一体彼女は誰なんだという問いが頭の中を占める。

 事前に転入してくると知っていなければ、きっと自分も同じようになっていただろう。そう思えた順平は頬杖をつき、彼女に一目惚れした男子たちにある理由から心の中でご愁傷様と唱えた。

 

「はーい。皆、久しぶり。新しい学期が始まったところだけど、今日は転入生を紹介するわ」

「汐見アイギスです。皆さん、どうかひとつよろしくお願いします」

 

 ぺこり、と丁寧な仕草で少女が一礼すると教室中から拍手が起こる。

 この学校は以前から女子のレベルが高いと言われていたが、夏休み明け早々に歴代記録を更新するほどの美少女が転入してきたのだ。

 男子たちは皆お近づきになりたいと考え、女子たちは海外の女優みたいだとアイギスのルックスにただただ感心していた。

 

「彼女は隣のクラスの汐見ラビリスさんの妹さんになります。お母さんが違うって聞いてるんだけど、あんまり家庭の事情とかは訊かない方がいいのかしら?」

「わたしもあまり詳しい事は知りません。姉さんとも今年初めて会ったので」

「へぇ、色々と複雑なのね。そういう事なら皆も家庭の事情についてはあんまり訊かないように。分かったわね」

 

 アイギスとラビリスが姉妹なのは間違いないが、誕生日の関係で年子という設定には出来なかった。

 よって、湊は開発を担当していた研究室が異なっていた事で産んだ親が違うと定義し、二人を腹違いの姉妹という設定にして同学年にすることを画策したのだ。

 本来ならばアイギスしか入学する予定になかったので、これらの設定と根回しは後になって追加する羽目になったものではある。

 ただ、湊は偶然見つかったラビリスのこともしっかりと考え、彼女のことで負う苦労を一切負担に感じていない。

 必要になるだろうと姉妹の戸籍をしっかりと用意し、ラビリスの入学には間に合わなかったが生身の肉体を無事に完成させてみせたのだって、全て彼女たち姉妹に喜んで貰いたかったからだ。

 

「さてと、それじゃあアイギスさんの席はっと」

「八雲さんのお隣でお願いします」

「八雲さん? それって確か九頭龍さんが有里君を呼んでるときの名前よね? 貴女もその名前で呼んでるの? ハンドルネームか何か?」

 

 鳥海はアイギスが口にした名前に聞き覚えがあった。それは自分の教え子である七歌だけが使っている、この学校で最も有名だと思われる青年の名だ。

 別に呼び方は自由なので鳥海も特に注意したりはしていなかったが、ここで新たに転入してきた生徒までもが同じ名前で呼んでいると、その名前の由来などが気になってくる。

 一番あり得そうなのはオンラインゲームであったり、もしくはネット上の掲示板で使っているハンドルネーム。

 湊がそんな俗っぽいものを嗜んでいるかは不明だけれど、別の名前を使う場面を考えると鳥海は自分の経験上それがまず思い浮かんだ。

 無論、自分の学内でのイメージが壊れるので、恋人も作らずにオンラインゲームで休日を潰している事など誰にも話す気はない。

 ただ、もしも湊とゲームの中で知らぬうちに出会っていれば面白いなと考えつつ、鳥海はアイギスの席の話だったなと話題を戻した。

 

「まぁいいわ。あー、残念だけど有里君のお隣にはなれません。そもそも彼のクラスは貴女のお姉さんと同じE組なので」

「皆さん、短い間でしたがお世話になりました。では、失礼します」

 

 話を聞いてアイギスが教室の扉に向かうまで僅か二秒。

 彼女はとても丁寧にお辞儀をすると廊下へ出て行こうとする。

 しかし、すぐに再起動を果たした鳥海は後を追い。彼女を後ろから抱きとめると、行かせてなるものかと拘束する。

 

「ストップ、ストップ! クラスはそんな自由に変えられるものじゃないから!」

「わたしの一番はあの方の傍にいることであります! 別のクラスならこの場所に用はありません!」

「姉妹や兄弟は同じクラスになれません!」

 

 出て行こうとするアイギスと、それを止めるために必死になる鳥海。

 傍から見ていると中々に面白い光景かもしれないが、クラスの男子たちは転入してきた美少女がまた湊の関係者であったことに肩を落とす。

 先ほどの彼女の発言には、僅かな可能性を夢見ることも出来ないほどの力が籠もっていた。

 絶対に自分は彼の傍にいる。他の者などどうでもいい。そんな強い意志を見せられれば、遠目からみて目の保養にするくらいしか出来ないと諦めて当然だった。

 ただ、アイギスと鳥海の間ではまだいざこざが続いているようで、自分の姉が既にいることで湊と同じクラスになれないと知ったアイギスが悔しそうな顔をしている。

 最初の出会いは最悪だったが、その後の付き合いで姉妹の仲が良くなったことで姉を恨むことはない。けれど、それでも諦めきれなかったアイギスは、教室から出て行くのをやめて鳥海に一つ提案した。

 

「では、両クラス間で順平さんと八雲さんのトレードを望みます」

 

 一般常識に疎いアイギスの突然の発言に、話題に出された順平はそんな無茶な話があるかと嘆息する。

 両者の合意があろうとクラス替えは通常不可能。特例であれば、イジメの加害者と被害者で、問題が大きくなって加害者が別のクラスに移されることはあるかもしれないが、そうでもなければ一年間は同じクラスにいなければならない。

 まぁ、初めて学校に通うアイギスはそれを知らないのだろうが、また後でそういった常識についても教えてやらねばと思っていると、アイギスの言葉を聞いたクラスメイトたちが彼女の提案を肯定するように拍手を始めた。

 

「ちょ、こら、拍手すんな! オレっちを売り飛ばす気か!」

「順平、エビでタイを釣るんだよ」

「半年間一緒に勉学に励んだ仲間だろうが!」

 

 最小のコストで大きなリターンを得るのだとワクワク顔で話す七歌に思わずツッコミを入れる。

 彼女も姉を自称していただけに、湊と同じクラスになりたいと強く望んでいる側の人間だ。

 そうでなくともこの学校には“プリンス・ミナト”の会員が多数いるので、興味のない男子と皇子を交換できるとなれば賛同者で溢れるだろう。

 それは分かっているのだが、売られる方は堪ったものではないため強く言い返せば、力の強いアイギスを止めていたことで既に疲弊している鳥海が静かにと声をあげた。

 

「はい、みんな静かに! クラス替えもトレードも無理だから! まったく。学校は社会生活を学ぶ場所でもあるの。だから、好きな人と別のクラスでも我慢してください。というか、そんな我が儘が通ったら教室中がカップルだらけになってるわよ」

「なるほど、確かにこのクラスは違うようですね」

 

 アイギスの言葉のナイフがクラスメイトの胸に突き刺さる。

 教室を見渡したアイギスはクラスメイトたちに恋人がいないと雰囲気で理解したらしい。

 夏休み明けに恋人がいないということは、寂しい二年生の夏を過ごしたか休み中に破局を迎えたという事だ。

 どちらにしても悲しい現在に繋がる訳で、クラス中がお通夜ムードになると流石に鳥海も同情的な視線を教え子たちに送り、先ほどからキツい発言の目立つ転入生を諫めた。

 

「アイギスさん、日本の学校はまだ不慣れなのかもしれないけど、もう少し自己主張を抑えるところから始めましょうか。日本では強く主張し続けていると敵を作ってしまうから」

 

 彼女のプロフィールには海外で生活していた時期があると書かれている。

 もっとも、それは湊を追って中国からドイツまで陸路で向かっていたときの事なのだが、鳥海はアイギスの外見もあって海外で元々暮らしていたと思ったらしい。

 勘違いが良い方向に働いた事に七歌たちは内心で安堵し、結局、アイギスの席は七歌の隣の休んでいる者の席ということになった。

 そうして、ようやく話が一区切りついたところで、鳥海が疲れた声を出しながらそういえばとアイギスに話しかけてきた。

 

「はぁ……と、そうだった。ねぇ、アイギスさん、有里君の知り合いなら彼から話とか聞いてないの?」

「何がでしょう?」

「何がって彼のことよ。夏休み中に急に学校辞めるって言ってきて、一応保留にはなってるけど一切連絡もないから、学校としてはこのままもう来ないんじゃないかって思ってるわよ?」

 

 鳥海の言葉を聞いてアイギスたちは自分たちが大事な事を忘れていた事を思い出した。

 だが、それについてゆっくり話し合っている時間はない。昼休みか放課後、それが無理なら寮に戻ってからでも話し合う必要がある。

 教師から突然しらされた情報に阿鼻叫喚となった教室の中、七歌たちは静かにそう考えるのだった。

 

夜――巌戸台分寮

 

 他の者たちともメールで連絡を取り合ったが、結局、湊が学校を辞めたという話が学校中に広まった事で、学校では集まることは出来なかった。

 彼と同じクラスの生徒や部活仲間の風花たちに、家族のチドリなどは質問攻めにあっていたようだが、彼女たちも詳しい話を知らないので話せることはない。

 むしろ、彼のことを大切に想っている彼女たちの方が知りたいくらいで、彼と連絡先を交換している生徒たちも頑張って連絡を取り合おうとしていたが、七時を回った現在まで彼からの返信は一通たりともなかった。

 

「完全に忘れてたよね……。八雲君が学校辞めたってこと」

 

 一階のラウンジのソファーにダランと座りながら七歌が呟く。

 あの日、チドリたちの前からも消えようとした湊は、そのまま学校にも退学届を出してすぐに去っていた。

 突然のことに驚いた学校が保護者に詳しい話を聞こうと連絡したことで、桜が本人から話を聞くので保留にして欲しいと頼み、一応、まだ彼の籍が学校にも残っている。

 ただ、彼は今日の学校を休んでおり、もっと言えば元の姿に戻ってから未だにラビリスとコロマルのいる家にも帰っていない。

 ラビリスとアイギスのEP社研究区画へのパスは失効したままなので、結局、連絡手段は残っていても彼が自分たちの前から姿を消した状態から何も変わっていないのだ。

 対策会議のためにと呼ばれてやってきていたチドリとラビリスとコロマルも含め、その事がすっかりと頭から抜け落ちていた面々は、さてどうしたものかと頭を悩ませる。

 

「てか、やっぱり私らが転校しないと戻る気ないんじゃないの?」

 

 もしかすると、湊は退学が保留になっていると知らないのではと思って、チドリやアイギスからその旨を伝えておいた。

 ただ、他の者と同じように連絡はまだ返ってきておらず、そもそも彼がちゃんとメールに目を通しているかも分からない。

 仮にちゃんとメールを読んだ上で今の対応を取っているとすれば、湊が最初にした要求が通っていないからと考えるのが自然で、自分たちが転校したくないがために一人が学校を辞めた事に罪悪感を覚える。

 紅茶のカップに口を付けながらゆかりがそう溢せば、キッチン側のテーブルにかたまって座っていた男子の中から順平が口を開いた。

 

「だからって転校する訳にもいかねーだろ。学校が変わるだけじゃなく、港区に近付くことも禁止なんだ。シャドウとの戦いを途中でほっぽっていくって事だぞ」

 

 ヒーローに憧れている部分がない訳ではない。他の者にはない、特別な才能が欲しいと思っていた少年にとって、シャドウとの戦いは人々を守るという自分に与えられた使命なのだ。

 だからこそ、いくら自分たちの行動が原因で学校を辞めたのだとしても、湊一人の復学のためにこんな中途半端な状態で戦いから離れるのは嫌だった。

 

「ですが、皆さんが戦いをやめても八雲さんが一人いれば戦力は十分です」

 

 すると、こんなところで戦いを止められるかと話す順平に、アイギスが酷く淡々と冷静に言い返した。

 使命感から戦う気になっているのだろうが、人々のためを思うのであれば、順平たちはむしろ去るべきだと。

 何故なら、特別課外活動部のメンバーさえいなくなれば、影時間における最強戦力である湊の助力が得られる。

 彼は独りタルタロスに籠もって何千、何万というシャドウを狩り続けたのだ。

 これまでの活動を実績として評価するのであれば、この場にいる全員の倒した分を足しても遠く及ばないほどの実績を持つ彼に任せた方が確実である。

 アイギスがそれを静かに告げれば、姉であるラビリスが諫めるように言葉を返した。

 

「いくら強いって言っても一人で何でも出来る訳やないんよ。湊君に出来て他の人に出来ない事があるように、他の人にしか出来ん事もあんねん」

「わたしにとって八雲さんがいないのでは意味がありません」

 

 今からでも七歌たちを転校させてしまおうと考えているアイギスは、姉がなんと言おうが自分の大切な人がいないのでは意味がないと返す。

 ラビリス自身は個々を尊重する大切さを伝えたかったようだが、裏を返せばシャドウに対する戦力を求めている今だからこそ、他の者には出来ない事が出来る戦力の湊を優先すべきだろうとアイギスは考えていた。

 傍から彼女の事を見ていてその内心を予想出来た順平は、件の青年についていくつか聞きたかったんだと口を開く。

 

「つーかさ。その有里についても色々と聞きたかったんだよ。何で右眼があんのかとか、七歌っちの親父さんらが言ってたらしい死んでも生き返るとかって話だとかさ」

「八雲さんは昔からパッチリ二重の右眼がちゃんとあります。あの方の目が小さいなどと事実無根で無礼なことを言わないでください!」

「いや、落ち着けアイギス。伊織が言っているのは、彼は右眼に怪我を負っていたのではという話だ」

 

 順平の言葉を聞いたアイギスが突然怒り出したことで、一体どこに怒る要素があったのだと一同は驚く。

 しかし、彼女の怒り方がずれていたことで、アイギスには順平の言葉が“小さくて目があるように見えなかったぜ”と言っているように聞こえていた事は理解出来た。

 誰もそんな事など言っていないというのに勘違いした彼女を美鶴が落ち着かせると、少しムスッとした表情でアイギスは湊の右眼の怪我について他の者に話し出した。

 

「八雲さんの右眼は深い雪に覆われた森で出会った熊との戦闘で負傷したものです。攻撃を受けそうになっていたわたしを突き飛ばしたことで、八雲さんは攻撃を躱しきれず爪で右眼を抉られました」

 

 雪の積もった森で野生の熊と戦うなど正気の沙汰ではない。重傷を負った状態で相手を屠って生き残れる可能性はほぼゼロだ。

 それを成し遂げた青年の戦闘力には恐れ入るが、話を聞いていた天田は自分が目に怪我を負ったことがなかったので、そこまでしっかりと治るものなのかと尋ねた。

 

「眼球って腕とか足みたいにちゃんと治ったりするんですか?」

「表面に小さく傷が出来たとか、そういったレベルならば治る。だが、獣の爪で深く抉られたとなると、肉としての厚みだけならば可能性はあるが、光は一生失ったままになるだろう」

 

 美鶴は自分の父がそうであるからこそ、怪我で失明した目が再び見えることはないと知っていた。

 多少の傷ならばまだ可能性はあるけれど、表面だけでなく目の奥まで傷が達していれば、まず間違いなく回復は見込めない。

 しかし、自分たちが最後に見た青年は、両眼とも無事に存在しているようであった。

 視力も問題なくでているとすれば、一体どうやって回復したのだろうかという疑問が涌いてくる。

 この場において彼について詳しいそうなのは家族の少女だ。他の者が聞きづらいのならと七歌が代表し、知っているなら教えて欲しいと頼み込む。

 

「チドリたちは八雲君の右眼が元通りになってる事とか何か知ってるの? よければ教えて欲しいんだけど」

「右眼が治っていたのは知ってたわ。本来なら回復しないような怪我でも、鬼の身体のおかげか回復したり蘇生がなされる事があるの。だから、生き返ったりだとかはその事でしょうね」

 

 青年の右眼が治ったこと、完全に心臓が停止してからでも蘇生されること、チドリは当然それらを詳しく知っていた。

 しかし、いくら問われようと湊の身体の秘密をそう簡単に話すことは出来ない。

 よって、チドリは最低限のレベルで他の者に説明すれば、他の者たちがさらにチドリに質問をぶつけようとする前に話を進めるため美鶴が言葉を発した。

 

「まぁ、彼についての話は今は置いておこう。それよりも、話しておかねばならないのは、今度の満月の戦いについてだ」

 

 次の敵は前回倒せなかったことでさらに人々の心を食べて成長したアルカナシャドウに加え、今月の満月に現われた新たなアルカナシャドウまでいる。

 それぞれが別の場所に現われるようなので、これまで以上に厳しい戦いになることが予想される。

 だからこそ、美鶴は今のうちに少しでもチーム分けや、どちらが強力になった先月のアルカナシャドウへ向かうかなどを話し合った。

 まだ臨時顧問の栗原にも伝えていないので確定ではないが、厳しい戦いになると分かっているならこそ進められる準備に、話し合いに参加したメンバーたちも満月に向け気持ちを切り替えていった。

 

 


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