【完結】PERSONA3 Re;venger   作:清良 要

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第二百七十四話 動く歩道

――ごーこんきっさ

 

 正面に現われた三体のシャドウが地面から突き出した氷槍に貫かれる。

 それらが崩れ去る僅かな瞬間を狙って、新たに静寂のマリアが二体接近してきた。

 

「よし……マハジオダイン」

 

 敵まではまだ距離がある。故に綾時は淡々とタナトスに攻撃を命じた。

 迸るは光を吸収するほど深い漆黒の雷。

 接近してくる敵を飲み込み無に還し、通路の先にいたまだ姿を見せていなかった敵までも巻き込んで雷は広がってゆく。

 全てが治まったときには焼け焦げた臭いがその場に漂っていたが、雷の熱によって床から立ち昇る蒸気をタナトスの剣戟で払えば、周囲から一切の敵の反応が消えていた。

 宣言通りに一人で広範囲の敵を屠った本人は、タナトスを消して穏やかな微笑で振り返る。

 だが、彼の戦いぶりを見ていた者たちは、湊クラスの力を持つ者が他に存在したという事実に驚き言葉が出ない。

 同等の力を持つから友と認められたのか。友だからこそ同等の力を得るに至ったのか。

 本人の物言いや人格、そして経歴に思うところはあれど、湊の理不尽なまでの強さに僅かな憧れを抱いていた者にすれば、その彼と並び立つ資格を有する綾時に嫉妬に近い感情を覚えた。

 

「お待たせ。これで近辺にいる敵は倒せたかな?」

《うん。周りにシャドウの反応はないみたい。綾時君、お疲れさま》

「いや、これくらい大したことないよ。りせさんたちもサポートありがとう」

 

 実際は綾時も自力でシャドウの位置は捕捉できるのだが、タナトスしか持たない彼がそんな力を見せれば怪しまれる。

 だからこそ、自然な流れでりせたちに索敵を頼めば、狙い通りに周囲に敵影がないことを伝えてきた。

 シャドウは床や壁から自然発生する事もあるので油断は出来ないが、直近の危険は排除できたことで一同は再びダンジョンを進むことにする。

 最も会敵し易い先頭を綾時が進み、その後ろで前線組になっているメティス隊が隊列を組む。

 そのさらに後ろをH字になって援護組の七歌隊が進み、休憩中の鳴上隊が後方に並ぶが、八雲は全体の真ん中辺りで千枝と雪子と手を繋いで歩いていた。

 時折、手を繋ぐ二人がブランコのように八雲を振って、上に持ち上げる形で大ジャンプと言って遊んでおり、一気に移動したときには本人もキャッキャと楽しそうに笑っている。

 今も全体が進み始めた事で、また八雲がして欲しそうにした事で二人が大ジャンプを実行すれば、ビュン、と勢いよく前方に向かった八雲が着地した瞬間に悲鳴をあげた。

 

「うーっ」

 

 驚いたように悲鳴をあげた八雲は、繋いでいた手を振り払って離すとすぐに雪子のお腹辺りに飛びつく。

 

「うわっ、え、どうしたの八雲君?」

「うー! うー!」

 

 急に飛びつかれた雪子は少々蹌踉けるも、すぐ後ろにいた直斗が支えてくれたおかげで八雲を抱きとめる事が出来た。

 だが、先ほどまで楽しそうに大ジャンプをしていたというのに、どうして急に腕を振り払ってまで雪子に抱きついたのか。

 理由は分からないが八雲は恨めしそうに地面を睨んで怒っている。

 もしや、大ジャンプした先で何かを踏んづけたのだろうか、と直斗が八雲の睨んでいる辺りにしゃがみ込み地面に触れたとき、

 

「熱っ、そうか。先ほどのマハジオダインで熱くなった地面を踏んで火傷したんですね」

 

 直斗は八雲の行動の意味が理解出来たと、雪子に抱きついている八雲の足に触れた。

 そう。他の者たちもここまで気付いていなかったが、着ぐるみパジャマ姿で現われた八雲は当然のように裸足だったのだ。

 小さな子どもはただでさえ肌が弱いというのに、蒸気が立つほど熱せられた地面を踏めば火傷して当然。

 直斗が心配して八雲の足の裏をみれば、ここまで歩いてきた事で汚れているだけでなく、痛々しいほど真っ赤になってしまっている。

 探偵という職業柄、応急手当などの知識を有する直斗が見た感じでは、これはすぐにでも治療しないと足の裏の皮膚が剥けてしばらく歩けなくなる可能性があった。

 

「酷く火傷してしまっています。すぐに清潔な流水で患部を冷やさないと、しばらく足を地面につくだけで強烈に痛み歩けなくなるかと」

「それは拙いな。だが、今から帰るにも時間がかかるぞ」

 

 すぐに治療の必要があると言われ、美鶴は七歌が書いていた地図を確認して帰り道を確かめる。

 とはいえ、治療のためにすぐに帰ろうにもそれなり進んでいるため時間がかかる。

 そんな事をしていれば八雲の火傷が悪化することは避けられないが、湊のように時流操作を利用して高速移動が出来る訳ではないので、水がこの場にない以上は八雲に我慢して貰うしかなかった。

 前線組として少し距離があったアイギスがすぐに戻ってきて雪子から八雲を預かると、足の痛みで悲しそうな顔をしている彼の頭を撫でる。

 

「すみません、八雲さん。ちゃんと貴方の装備にも気を配っていれば……」

「うー……まうっ!」

 

 悲しそうな顔をしている八雲を見てアイギスも悲しい顔になれば、八雲がそれを見て急にやる気に満ちた表情になった。

 一体何をするつもりなのかと思って見ていれば、八雲は両手の拳を握ってまるでいきんでいるような状態になる。

 相手は赤ん坊でオムツを穿いているため、別にここでおトイレをしてしまっても問題はないが、どうして今まで排泄をした事がなかったのに急に催したのかが分からない。

 そう思って頑張っている八雲を他の者が見守っていれば、八雲の背中から蒼い炎が噴き上がり、そのまま星“フェニックス”が具現化した。

 

《――――――――ッ》

 

 現われたフェニックスはアイギスと八雲の頭上で旋回しながら一鳴きする。

 すると、キラキラと輝く蒼い炎が二人に降り注ぎ、炎が触れると二人の身体が光り始めた。

 

「これは……炎を使った回復魔法ですか?」

「みー」

 

 光に包まれた二人は疲労や怪我が一気に回復してゆく。

 元を辿れば八雲の力を利用しているので体力の回復に意味があるかは不明だが、フェニックスが消えて光が治まると八雲の足は完全に治っていた。

 それを確認した他の者たちは安堵の息を吐くも、八雲が自力で治療したことで一応の問題が解決した瞬間、八雲を抱いたままのアイギスが先頭にいた綾時を険しい表情で睨んだ。

 

「綾時さん、敵を倒すのは結構ですが周囲への影響をちゃんと考慮してください」

「ああ、ゴメンね。まさか、彼が裸足だとは思っていなかったから」

「八雲さんが靴を履いていても、コロマルさんだって素足です。地面や壁を熱したなら、八雲さんのように終わってから冷やしてくださいっ」

 

 どれだけ強かろうが味方に被害が出るようでは意味がない。

 同じように周囲へ影響を及ぼす威力のスキルを放つ湊は、戦闘が終われば氷結スキルを使って冷却しているので、そういった細やかな心配りが出来ないようではダメだとアイギスは嘆息した。

 

「まったく……。やはり、綾時さんはダメであります。八雲さん、あなたは綾時さんに近付いてはダメですよ」

「うー?」

「はい。あの方はダメです」

 

 ダメな人なので近付いてはならない。抱っこしていた八雲と視線を合わせてそう伝えれば、八雲は「ダメな人なの?」と首を小さく傾げて聞き返した。

 細かな事情や理由も説明せずに一方的に言い切るのは良くないが、八雲は一番懐いているアイギスが言うのならば事実なのだろうとしっかり頷く。

 そうして、彼が素直に理解してくれた事にアイギスは満足そうに頷き頭を撫でていれば、子どもにそんな事を教えてはダメだろうと順平が先ほどの発言を諫めた。

 

「おいおい、アイちゃん。いくら火傷の原因が綾時の攻撃の余波だったからって、急にメンバーを悪く言うのは感心しないぜ?」

「火傷の件は関係ありません。最初に会ったときから、わたしは綾時さんが八雲さんと一緒にいる事に反対でした。綾時さんはダメであります」

 

 普段の彼女からは考えられないような一方的な拒絶。

 見た目が整っているだけに、そんな彼女が真剣な表情で話すだけで妙な迫力がある。

 話している間も抱っこしている八雲の背中を撫でてあやすことは忘れていないが、どうしてそこまで拒絶されるのか心当たりがない綾時は申し訳なさそうに尋ねた。

 

「えっと、僕が何かしてしまったのかな? それならちゃんと謝罪したいんだけど」

「そういう訳ではありません。ですが、綾時さんは八雲さんに近付くことをご遠慮願います。あなたは八雲さんの教育に良くありませんので」

 

 言いたいことを言い切るとアイギスはその場から離れた。

 他の者たちが話している間、クマがキントキドウジのスキルで必死に床を冷やしていた事で、もう八雲を降ろしても大丈夫と判断して移動したらしい。

 そんな彼女の背中を困惑した表情で見送った綾時に、随分と嫌ったものだなと不思議そうにしていた順平が声を掛ける。

 

「ま、気にすんなよ。赤ん坊の世話しててちょっと神経質になってるだけだから」

「そうだと良いけど、確かに僕も少しやり過ぎてしまっていたから、今後は自重して控えめに戦う事にするよ」

「折角の力を出し惜しみしたら勿体ないぜ?」

「うん。でも、継戦能力を考えると消費を抑えた方が長く戦えるからね」

 

 確かにこのダンジョンがどこまで続くのかは分かっていない。

 次のフロアで終わるかもしれないし、一つ目のようにまだまだフロアが続くことも考えられる。

 流石に一日で踏破するつもりはないけれど、八雲の治療も無事に完了したことで一同はもう少し先へ進むつもりだ。

 ならば、先ほどまでの広範囲を一気に殲滅する戦い方よりも、出てきた敵を最小限の力で仕留めた方が消耗も少ないので、外で自由に力を振るえてはしゃいでいた綾時も反省して戦い方を改める事にした。

 そんな順平との会話によって綾時の不安もいくらか晴れて笑顔が戻ったとき、それを傍で見ていた鳴上がこれなら大丈夫そうだと心の中で安堵する。

 彼は湊が指名した三人の分隊長の一人でしかないが、指揮官である湊が抜けた以上は分隊長たちがその役目をいくらか引き継がなければならない。

 だからこそ、仲間内での不和があれば解消出来るよう気をつけるつもりだったが、他のメンバーもしっかりと仲間の事を見て動いてくれていた。

 おかげで鳴上は自分の役目は当分必要ないかなと安心したのだが、話が一区切りした事で先へ進もうと思ったとき、何故だか女子たちが少し離れた場所に集まっているのが見えた。

 一つの場所に長く留まるとシャドウが寄ってくるので、先に進みたいという意思を伝えるついでに何をしているのか聞くために近付いてゆく。

 

「あの、先に進んだ方が良いと思うんだが、何をしているんだ?」

「あ、鳴上君は来ちゃダメだよ! てか、男子は全員そっちで待ってて。いま、八雲君がお着替えしてるから」

 

 鳴上が近付いてゆくと振り返った千枝が両腕を広げて通せんぼする。

 他の女子たちは背中を向けたまま立っているが、肩を寄せ合うように並んでいるため、どうやら着替えている間の壁になっているらしい。

 確かに着ぐるみパジャマと裸足では防御力もないにもないので、ここでせめて靴くらいは履いた方が良いとは思っていたが、女子たちが真剣に話し合っている声も聞こえてくるので、彼女たちは本格的に八雲を着替えさせているようだ。

 だが、八雲の着替えを行なっている間の壁になるのはいいが、別に見たところで問題ないはずなのに気にしすぎではないかと花村が呆れ気味に漏らす。

 

「いや、小さくなったからって有里は有里だろ。別にわざわざ見るつもりはないけど、男子の着替えを見たところで問題ないだろうが」

「なに言ってんの花村君。こんなに可愛い子が男の子な訳ないでしょ?」

 

 花村の言葉に雪子が真顔で返す。あたかも花村が悪い冗談を口にしたような空気が流れるが、それを見た他の男子は心の中で「お前が何を言っているんだ」と突っ込むも、本気で言っている相手の様子に小さな恐怖を感じた。

 もし、いま男子の誰かが近付いていけば、彼女はきっと本気でペルソナを使って攻撃してくるだろう。

 全員がその確信を持ったため大人しく待っていれば、それから五分ほど経って壁になっていた女子たちが離れてゆく。

 ようやくかと待ちくたびれた真田が呆れた様子で立っていれば、七歌が着替えたばかりの八雲を全員の前でお披露目した。

 

「じゃーん。八雲君武闘家バージョンだよ」

 

 両腕を組んで誇らしげに立つ赤ん坊が纏うは、青地に金の龍が刺繍されたチャイナ服。

 深いスリットの入った服は、女子用のチャイナドレスにしか見えないが、その下に同じ生地の短パンを穿いているので問題はない。

 長い髪はハーフアップに結われ、クマや鳴上が褒めるように拍手をすれば、八雲は背中を向けてそこに刺繍された文字を見せた。

 

「えーと、“東西南北中央不敗”クマか?」

「うん。八雲君のことはマスターユニバースって呼んであげて」

 

 実は八雲の着ている服は色違いが存在し、白には黒で虎が、金色には赤で鳳凰が刺繍されていた。

 そして、それぞれに背中に刺繍された文字も違っており、白は“天上天下唯我独尊”、金色は“天下人”となっていた。

 女子たちが悩んでいたのはどの漢字がいいかという部分であり、最終的に龍のデザインも評価されて七歌と千枝の強い推薦で今の服に決まった。

 そうして誕生したのが最強の赤ん坊たるマスターユニバースだが、そのお腹には着ぐるみパジャマから外して付けた黒いポケットがあり、そこから如意棒を出すと器用に振り回し始める。

 

「まー!」

 

 自分の背丈ほどに伸ばされた如意棒を華麗に操り、落ちていた小石を見つけると八雲はそれを棒ではじき飛ばす。

 飛んだ小石はかなりの速度で宙を舞うと、最後は赤ん坊の可愛らしさに緩みきった顔をしていた完二の股間を強襲した。

 

「あんがぁぁぁぁぁぁっ!?」

 

 完全に油断しきっていた事で、完二は絶叫したまま股間を押さえると前のめりに倒れ伏す。

 倒した本人は決めポーズを取って勝ち誇っているが、同じ被害に遭った者たちや次は自分かも知れないと考えている男子らは対照的に青ざめている。

 このまま同じ場所に留まれば危険かも知れない。その考えが頭に過ぎった鳴上は、八雲の新しい服を褒めつつ先へ進むことを促した。

 

「せ、折角、戦うための服に着替えたんだ。近辺に敵の影はないし、そろそろ先に行こう」

「ああ、そうだな。八雲もちゃんと靴を履いたので、これで問題なく先へ進めそうだ」

 

 八雲にちゃんと靴を履かせた事で、美鶴も心配の種が一つ消えたと安堵の表情で探索続行に同意する。

 すぐ傍で股間を押さえて倒れている者がいても、美鶴は一切気にせず陣形を取らせると出発の号令を掛ける。

 待機中の鳴上隊のメンバーなので戦闘に影響はないが、完二を気の毒に思った鳴上と花村が肩を貸してやり、一同は先を進むと新たな質問部屋でされた「一緒に遊ぶならインドア派かアウトドア派か?」という質問に八雲が「うー!」と答えて無事に通過出来た。

 本人がどっちで答えたのか非常に気になるところだったが、二つ目の質問部屋を越えて強いシャドウのいる部屋を突破すると、その先にあった階段を下りて次のフロアへ向かった。

 

――ごーこんきっさ・二次会

 

 二つ目のフロアへ下りてくると、階段の近くの部屋に開かない扉があった。

 それは前のフロアにも存在したタイプの仕掛けで、どうやらフロア内に存在する全ての質問部屋を回る必要があるらしい。

 すぐに入ることが出来ないのなら用はなく、別の道を使ってメンバーたちが進んでいると、到着した大広間に一風変わったギミックが置かれていた。

 

「動く歩道か。まさかダンジョンの中で見るとは思ってもいなかった」

 

 言いながら真田が何でもありだなと溜息を吐く。

 彼らの視線の先には今も動いているベルトコンベアのような物が存在し、部屋の中には向きが違う物も含めれば二桁に近い数があった。

 流石にタルタロス内部でこんなものを見たことはなかったので、改めてこの世界のダンジョンが普通ではないと認識していると、田舎在住故に生では見たことがなかった千枝が少しはしゃいだ様子で会話に参加してくる。

 

「あ、知ってる! おっきな駅とかにあるやつでしょ? テレビで見た!」

「そうか。君たちの街にはないのか。あれは正式にはトラベレーターやムービングサイドウォークと呼ぶ」

「そうなんだ! あたし、一回で良いから乗ってみたかったんだよね。早く乗ろ、乗ろ!」

 

 田舎者だからなのか、それとも千枝の生来の気質によるものなのかは分からない。

 けれど、ダンジョンの中に存在するギミックにも物怖じせず、むしろ好奇心から試してみたいと言える度胸は大したものだろう。

 美鶴などは安全を確認するまで待てと言って制止しているが、一同が足を止めていると八雲とクマが真剣な顔で頷くとトラベレーターに向かって走り出した。

 

「うー!」

「うおぉぉぉ! クマも負けないクマー……ってぎゃーっ!?」

 

 自分が一番最初に乗るんだと駆け出した二人。

 タッチの差で八雲が勝利して先に乗り込んだが、彼は子どもとは思えない速さで足を動かし流れに逆らっている。

 一方、先に到着する事だけに全力を注いだクマは、滑り込むような形で乗り込んでまで敗北した事で、そのまま流されていってしまった。

 少しすると飽きたのか八雲は降りて戻ってきたが、遠くで道端に放り出されているクマを見ると、独断行動を取りつつも普通に戻ってきた八雲を注意するべきか悩んでしまう。

 まぁ、勝手な事をした以上は注意しなければならないので、額に手を当てていた美鶴は八雲を抱き上げると目線を合わせて話しかける。

 

「八雲、私はさっき安全を確かめてからと言っただろう? 怪我をしたらどうするんだ。頼むから危ない事はやめてくれ。君が怪我をしたら悲しむ者が沢山いるんだ」

「う? ぶーたん?」

「ブータン? ふむ、流されていった彼の事を言っているのなら、そういう事だ。君があんな風になれば皆も心配する。だから一人で勝手に行かないと約束してくれ」

 

 耳慣れぬ単語を口にして八雲が小首を傾げれば、そういえば湊がクマをブタと呼んでいたなと思い出して、美鶴は八雲がクマの事を言っているのだろうと理解した。

 そして、クマのようになっていれば自分も他の者も悲しい気持ちになるので、今後はそういう危ない事をしないよう約束を求めれば、八雲は素直にコクコクと首を縦に振ってくれた。

 ちゃんと約束してくれるのならこれ以上いう事はない。素直にいう事を聞いてくれる八雲の頭を撫でて褒めてやり、撫でられた方は美鶴の胸に顔を埋めてリラックスした表情をしている。

 男子が胸に触れてくれば彼女は即座に相手を地面に叩き付けているところだが、八雲が触っていても嫌そうな顔は一切せず、むしろ彼の頭を胸に当ててそのままあやしていた。

 他の者たちより一歩引いて八雲の事を見ていた美鶴も、八雲が養子で義弟になっていた可能性もあったと知っているだけに、実際は赤ん坊の八雲の世話をしたい気持ちがあったのだ。

 ただ、赤ん坊の世話をする知識がなく、チーム全体のことを考える必要があったからこそ、彼女は八雲の世話を他の者に任せて行動していた。

 しかし、今は自分だけが八雲と接していることで、美鶴も八雲との触れ合いを十分に堪能するとゆっくり地面に降ろしてやっていた。

 

「よーし、とりあえずクマ吉も無事みたいだし、あたしらも早速乗ってみよう!」

 

 美鶴が八雲を降ろしてやるのを確認したタイミングで千枝がレッツゴーと号令を掛ける。

 最初に言っていた通り、ずっと乗りたくてしょうがなかったのだろう。

 遠くでクマが地面に投げ出されながらも小さく手を振っており、ただの移動用のギミックでそれ以外の仕掛けもない様子。

 ならば、乗っても問題ないだろうと千枝が雪子を連れて乗り込めば、しょうがないなと他の者たちも続いてゆく。

 

「って、うおあ!? これ、メッチャ速ぇぞ!?」

「くっ、八雲君はこんなのを逆走していたんですかっ」

 

 だが、トラベレーターに乗った瞬間、他の者たちは横に引っ張られる感覚に耐えるので精一杯になり、どうやって八雲は逆走出来ていたんだと驚愕させられる。

 思わず倒れそうになった直斗を完二が支え、全員がただ倒れぬようバランスに気をつけながら流されていれば、倒れているクマの姿が近付いてくる。

 それによってゴールが近いことを頭の片隅で理解していたとき、鳴上がとある事実に気付いて思わず口を開いた。

 

「これ、どうやって降りるんだ?」

『……あ』

 

 現在、鳴上たちが乗っているギミックは、通常のトラベレーターに比べ三倍以上の速度で動いている。

 おかげで八雲とコロマルを除くメンバーは自由に動けない訳だが、そうなると当然最後に降りるときも慣性に任せて飛び出すことになる。

 クマがクッションになればダメージは少ないだろうが、全員がクマのいる地点に飛ぶとは思えないので、無駄なところでダメージを受けることになると理解した一同の顔が青くなる。

 

「クマ吉、絶対にそこ動いちゃダメだかんね!」

「およ? 呼んだクマ?」

「おまっ、立つんじゃねー!!」

 

 あともう僅かで到着するというタイミングで千枝が声を掛けたせいで、復活したクマが起き上がってしまう。

 倒れたままでいればクッションになったというのに、これでは余計にぶつかったときに縺れるように倒れるので危険が上がったではないかと花村が文句を言う。

 だが、そんな事を言ってもゴールに辿り着くまであと十秒もない。どうすれば少しでも危険を減らせるんだと全員が焦りを覚えた時、

 

「まう!」

 

 全員の腰辺りの高さに急に手すりが現われた。

 見れば八雲が両腕を挙げて如意棒をかなり伸ばしており、まるでこれに掴まれと言っているように見える。

 そんなものを掴んだところで意味があるのかと疑う気持ちが頭を過ぎるも、怪我の確率を大幅に下げる事が可能かもしれないと七歌が彼の意見に賛同する。

 

「全員、八雲君の武器を掴んで! 最初の人が飛び出しても後ろにいる人が掴んで支えるから大丈夫! 飛び出した人はそのまま歩き続けて、後から行く人もそれに追従して立ち止まろうとだけはしないで!」

 

 皆が不安に思っていたのは、自分が飛び出す勢いで如意棒まで飛んでいく事だった。

 しかし、他の者が掴んでいればそれは起きない。一人が飛び出してもまだ十人以上いるのだ。どうやっても飛びようがなかった。

 そして、最初に飛び出した者が徐々に普通のペースで歩いてリードしていれば、後方の人数が減っていっても先に抜けた者たちが一定の速度でコントロールしてくれる。

 何もしなければ投げ出されて終わりなのだから、これに賭けようと七歌が言えば全員が如意棒を手に掴んだ。

 そのまま時速にして十数キロで進んだ一同は、最初に乗り込んだ千枝と雪子から順に飛び出してゆく。

 

「うわっと!」

「っ、やった!」

 

 トラベレーターの終わりの部分で慣性によって飛ばされそうになるも、千枝も雪子も前のめり気味にはなったが手すりのおかげで転倒を免れる。

 二人に続いて完二と直斗も何とか転けずに抜けていき、天田と真田と荒垣、ゆかりに七歌に順平と全員が無事に降りてゆく。

 コロマルと八雲は如意棒も使わず苦もなく降りて見せたが、全員が無事に降りきったところでメンバーはその場に座り込んだ。

 

「はぁー、まさか動く歩道なんかで怖い目に遭うなんて、思ってもみんかったわ」

「はい。今回は兄さんの機転に助けられました」

「はーちゃん、ありがとう! お礼にドーナッツあげるね」

 

 床に置かれた如意棒を縮めてからお腹のポケットに仕舞っていた八雲を呼ぶと、玲はどこからか取り出したドーナッツを彼に渡す。

 受け取った本人は嬉しそうに両手で持ったままピョンピョンと跳ねており、今の年相応の反応を見ていると先ほど咄嗟に下した判断は本当に彼の物だったのかと疑わしく思える。

 けれど、他の者たちと違って自由に移動出来る八雲だからこそ、あの状況で焦っている者たちを助ける方法を思い付いたのではとも考えられた。

 欠片を落としながらドーナッツを食べる八雲を見ながら、少しだけ休むとメンバーたちは再び立ち上がって先を目指す事にする。

 トラベレーターの速度は一度体感したので次は問題ない。どうしてもダメなら再び八雲に手すりを用意して貰えばいい。

 如意棒は太さと長さだけでなく形状だって変えられるのだ。トラベレーターを使わないと行けない場所だって、形状変化させた如意棒で道を作ってしまえる。

 なんで普段の湊がそんな便利な道具を使っていないのかという疑問も湧くが、今は八雲が自分の持つ道具を十全に使いこなしてサポートしてくれている事に感謝しておく。

 そうして三つ目の質問部屋を目指して、ハプニングによって僅かに一体感の増したメンバーたちはダンジョンを進み続けた。

 

 

 


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