9月12日(火)
朝――道場
「馬鹿野郎! 刃で受けんなって何度言わせんだ! 流すなり、弾くなりいくらでもあるだろうがっ!!」
朝から道場には鵜飼の怒声が響いていた。その手には模造刀が握られており、向かい側には同じように模造刀を持った湊が大量の汗をかいて肩で息をしていた。
「時代劇のチャンバラじゃねえんだぞ、そんな雑な受け方してたら武器が何本あったって足りねえや」
鵜飼が湊に教えているのは剣術の神道無念流だ。
しかし、今まで使っていたエリザベスに貰った短刀が、刃で受けようが刃こぼれもせず、力任せに敵を切りつけても曲がりもしない、あり得ない代物だったため、湊は普通の刀の扱いに慣れずにいた。
真剣で練習してはお互いに重症になるので、愛刀の模造刀で実戦的な鍛錬を積んでいる。
勿論、模造刀と言えど、腕に当たれば骨折するし、突きを放てば普通に突きささる。
そのため、鵜飼が注意して指導しているのだが、湊は追い込まれると素手や蹴りで相手の刀を捌いてしまい。追い込まれても刀で対処するように言うと、今のように刃で受けてしまうこともあった。
「腕で振るから隙が出来て間に合わなくなるんだ。渡瀬に習ってる拳法じゃ、腕だけで拳放ってねえだろ? 踏み込みと体重移動、そんで肩を入れたり引いたりで腕もその都度意識して動かす。おめぇは身体操作が出来んだから、慣れさえすれば出来んだよ」
湊が刀の扱いに困っているのは、小学二年生の子どもが扱うには刀が長い事が原因だろう。
湊の身長は約一二三センチ、それに対し姫鶴一文字は約一〇四センチと、並べば足から顎あたりまであるのだ。
そして、重さはおよそ一キロだが、遠心力が加わるため、実際に扱っているときにはそれ以上に感じる事の方が多い。
使いなれぬ上に、長さの合っていない武器をたった数週間で自在に使いこなせというのは、あまりに無茶だった。
「いいか、その刀には鍔がねえ。だから、おめぇは捌くしかねえんだ。刀身を走らせるのも難しいしな」
「……そもそも、俺にこの流派合ってないと思う」
「馬鹿、まだ技もなにも教えてねえだろうが。刀を駄目にしちまうような受け方しか出来てねえくせに生意気言うな」
速さが長所の湊にとって、力の剣は自分には向いてないと思ってしまう。
実際、持っている武器が刀でなく、いつもの短刀だったなら、鵜飼の剣を捌いた上で攻撃にも転じることが出来ただろう。
確かに鵜飼も十分に強いのだが、老いがあるだけに、渡瀬ほどの脅威は感じない。
型にさえ拘らなければ、刀でも一太刀浴びせることくらい出来そうだと考え、湊は腰に差していた鞘を捨て、刃を寝かせた状態で自身の右側で構えた。
それを見ていた鵜飼は何か言いたそうにしていたが、好きにやらせようと思ったのか、何も言わずに構えを作る。
「ふっ!!」
直後、畳を蹴って駆け出した湊が、裏拳の要領で遠心力を乗せた横薙ぎを放つ。
鵜飼はそれを退いて躱し、振った刀の重さで身体の流れた湊の背に向かって一太刀浴びせようとする。
だが、湊は切られる前に片手に持ち替え、柄尻を当てる事で軌道を逸らすと、再び両手を添えて切りあげた。
「くうっ」
体勢が悪く、握りも甘かったことで、それは切っ先が鵜飼の道着を掠める程度だったが、予想外の返しに鵜飼は冷や汗をかく。
けれど、引いていた身体を戻し、踏み込んで即座に逆風で切り返すと、刀を持ったまま片手で後方倒立回転の回避を湊に行わせ距離をあけた。
肩で息をしていたはずの相手が、急に息を吹き返して、大道芸のような真似までしている事に、剣を教えていた者として鵜飼は少々うんざりする。
(ったく、試合なら使い物にならねえが、死合には天性のものを持ってやがるな。確かに受けるも何も避けちまえば良いんだが、刀振り回しながら飛んだり跳ねたりできんのなんて、おめぇくらいだぞ)
距離をあけて再び構えている湊を見ても、先ほどと違い落ち着いた呼吸で様子を伺っている。
普通の人間が同じ事をやれば、ぜえぜえと荒い呼吸をしているところだろう。つくづく、常識外の行動を取る餓鬼だと、内心で苦笑を洩らしたところで、第三者の声が道場に響いた。
「みーくん、お父さん、朝ご飯もうすぐ出来るわよー」
「おう、わかった。んじゃ、今日はここまでだ。刀は片付けておいてやるから、風呂で汗流してこい」
「……わかった。ありがとうございました」
ぺこりと、礼だけは子どもらしい仕草ですると、湊は捨てていた鞘に刀を仕舞って鵜飼に渡し道場を出ていった。
それを見てから、自身も出るため入り口に向かうと、待っていた桜から声がかかる。
「みーくん強くなった?」
「あいつは初めから強ぇよ。だが、剣術は駄目だな。素手の体術と違って、型にはめると動きが鈍るんだ。そんで今日の最後に自由にやらせたら、途端に動きがよくなってた。素人のチャンバラと違って、敵を殺して自分を生かすってのを本能で察知して、それに合わせて動いてる。ああいうのが天賦の才っていうんだな」
「ふーん。それじゃあ、お父さんもすぐに負けちゃうね」
「冗談言え。あいつは殺気も闘気も抑えられてねえ。確かにこっちの予想の範疇外の動きもするが、あれじゃあ攻撃しに行きますって言ってるようなもんだ。気配に鋭いやつなら、それで動きを先読み出来らぁな」
今の湊は攻撃が正直過ぎる。フェイントや敵の死角を突いて攻撃するにも、まったく気配を殺さずに攻めているため、武を修めている者や勘の鋭い者なら咄嗟の驚きはあれど対処は可能なのだ。
湊が一つ上の段階へ上がるには、感情を内に秘め、攻撃にはそれらを乗せずに戦う方法を身に付けるか。相手が読んで尚対応できない速度まで昇り詰めるしかない。
身体が二次性徴を迎えて出来上がってくれば自然と後者にはなるが、本格的に裏の仕事をするのであれば早急に力が必要なので、時間の掛かる後者はまだ諦めるしかなく、前者を会得させねばならないだろう。
「どうにも上手くねえな……」
才を持ちながら問題も同じだけ抱えている少年を思い、鵜飼は頭を掻きながら小さくこぼした。
***
朝食を終えて、それぞれが休憩なり職務なりに動きだした頃、湊は桜の私室で着替えさせられていた。
本人は普段のチドリ以上に無愛想でされるがままになっているが、対照的に桜はとても楽しそうにしている。
そうして、最後につばの広い白の帽子を被らせると、一度離れてから見た桜が満足気に頷いた。
「うん。とっても似合ってるわよ」
「……変なの」
「どうでもいい……」
桜とチドリからそれぞれのコメントを貰った湊は、特に反応を返さずに“契約者の鍵”を持って十字を切り、その中心に鍵を挿して回すと、他の者には見えない扉を出現させた。
そして、鍵をあけて扉を開くと、振り返って挨拶した。
「それじゃあ、いってくる」
「うん、気をつけて行ってらっしゃい」
「お土産、アイスが良い」
「わかった。何か買ってくる」
これからイリスとの仕事に行くというのに、湊は普段と変わらぬ様子で答え、他の者には見えぬ扉の中に消えた。
――ベルベットルーム
桜の私室に出現させた扉を潜り、モノクロタイルの境道を通って湊はベルベットルームにやってきた。
だが、別にベルベットルームに用がある訳ではなく、ここを通ってポロニアンモールに通じる扉を潜り、そこから喫茶店“フェルメール”に行こうと思っただけだ。
音が鳴り客では彼しか使えない扉が開かれたことで、イゴールを除く住人たちは自然とそちらに視線を送り、やってきた者の姿を目にする。
直後、現世とは理の違う荘厳な空気のこの空間に似つかわしくない、女性の笑い声が響いた。
「あははっ、あはははははっ!!」
「……姉上、少々笑い過ぎでは? 八雲様も呆れられておりますよ?」
急に大声で笑い出した姉マーガレットを妹のエリザベスが諌める。だが、間に部屋の主を挟んだ反対側では、テオドアも顔を背けて笑いを堪え、肩を震わせていた。
普段の佇まいからして、礼節を弁えたプロの様相を見せていただけに、三人中二人がこのような無様を晒すのは、非常に珍しいと言える。
その原因はいまの湊の格好にあった。
頭にはピンクのリボンの巻かれた白い帽子、首にはマフラーの長さと幅を変更した黒いチョーカー、服はフリルのついた白い涼しげなワンピースの上から、薄いグレーのカーディガンを羽織り、足元は服に合わせた白のリボンシューズだった。
体型に男女の差が出る前のこの年頃で、髪が長く男女のどちらにも見える中性な顔立ちの湊だからこそ、まだ残暑のきつい秋を過ごす可愛らしい少女にしか見えない。
普段、子どもらしさの欠片もない契約者が、真面目にそんな恰好をしていたため、マーガレットは柄にもなく大きな声で笑ったのだ。
ひとしきり笑い、ようやく話せる状態になったことで、笑い過ぎて滲んだ涙を拭いながらマーガレットは話しかけた。
「それで? 初めて現実からやって来たのがその姿なのは、何か意味があっての事なの?」
「変装。ただそれだけ」
「ブフッ……そ、そう、よく似合ってるわよ」
どれだけ凄んでも見た目のせいで全く迫力がない。むしろ、か弱い少女が精一杯の虚勢を張って強がって見せているようにしか見えない。
それがツボに入ったのか、マーガレットは吹き出し、いままで真顔だったエリザベスも小さく笑っていた。
《我は汝、汝は我……》
自分を見て笑っている力の管理者らを見ていると、湊の頭の中に急に声が聞こえてきた。過去にも何度か聞いた事がある、絆が生まれたときや深まったことを知らせる存在の声だ。
コミュニティーの絆が深まると、ペルソナを生みだす際に力が増すので、今後の事を考えると喜ぶべきなのだが、こんなくだらない事で“皇帝”と“悪魔”との絆が深まると知って、湊は素直に喜べずにいた。
そうして、声が聞こえなくなり時が再び動き出すと、他の者らを無視してポロニアンモールに繋がる扉の前に立ち。去り際に一言を残してゆく。
「……ポルカ・ミゼーリア」
「なっ!?」
冷たい瞳で見つめながら言葉を残し、湊は扉の外へ消えていった。
それを言われたマーガレットは言葉の意味を理解し、拳を強く握りしめて湊の消えた扉を睨む。
姉のそんな様子を不思議に思ったテオドアは、怒りに震える長女を黙って見ている次女に意味を尋ねた。
「あの、先ほど八雲様が言い残した言葉はどういった意味なのですか?」
「ポルカ・ミゼーリア。イタリア語で直訳“惨めな雌豚”と言ったところでしょうか。八雲様は語学がご堪能のようなので、非常に羨ましい限りです」
「は、はぁ」
欠片も本気で言っていないエリザベスの笑顔に戸惑うテオドアだが、これ以上なにかを聞けば藪蛇になるだろう。
故に、不機嫌そうな長女共々触れないように、主の隣で気配を消し。次に湊がやってきたときには、去り際に姉を挑発しないよう頼む事を心に決めた。
午後――巌戸台・市内
ベルベットルームを通ってポロニアンモールに出た湊は、歩いてフェルメールに向かうと、そこで待っていたイリスと合流し、今回の仕事内容を聞いて一緒に店を出た。
店に現れた湊の姿を見たとき、イリスは大笑いし、五代は笑いを堪え、ロゼッタは何か良いモノを見つけたような表情をしていたが、元々女装して来いと言ったのはイリスであった。
だというのに、言った本人が一番笑うのはどうなんだと、冷めた瞳に侮蔑の色を混ぜて見つめたのだが、そこで五代も堪え切れず吹き出し、イリスには「オマエ、可愛いやつだな」と抱き上げられるといった事態になった。
結局、他の者が落ち着くまでジュースを飲んで待つ事になったのだが、外に出た今でも湊は無表情でイリスに手を引かれていた。
「ほら、もう少し愛想みせろって。せっかく可愛いのに勿体ないぞ?」
「どうして、わざわざこんな変装に指定を?」
「そりゃ、オマエの姿が桐条にばれてるからだよ。カツラだと激しく動くと外れたりするし。子どもに化粧するのも無理がある。となれば、その性別のはっきりしない顔を利用して、完全に女の子にした方が確実なのさ」
手を引かれながら歩く湊が尋ねると、イリスは楽しそうに笑いながら答える。
湊は桐条から見つからずに隠れようとしていたが、逃げた被験体の中で湊・チドリ・マリアの三人は容姿にかなり目立つ特徴を持っている。
それぞれ、金色の瞳、緋色の髪、金色の髪とこれらは黄昏の羽根を宿したことによる肉体の変化の為、隠すにはその部位を完全に覆わなくてはならない。
瞳が変化した湊は、髪が変化した二人よりも隠す事は容易いが、サングラスもカラーコンタクトも邪魔くさいからと付けるのを嫌がった。
そうして、本人の我儘を聞きながら、外でも自由に活動できる方法としてイリスが考案したのが、今回の深窓の令嬢仕様の女装だった。
無愛想な顔は帽子で殆ど隠れ、手を引かれている姿は、仲の良い親子の微笑ましい光景にしか見えない。
これで両者が違法取引の現場を押さえるため、その場所の下見に向かっているなど誰も思える筈がなかった。
「親子連れってのは、それだけで警戒が薄くなるんだ。まして、子どもの方にまで戦闘力があるなんて先ず思わない。まぁ、それはここが安全な日本だからだけどね」
「……随分と派手な母親だな」
「はっ、ほっとけ」
自身の格好について指摘され、イリスは鼻を鳴らし物言いたげな半目で返す。
大人しい格好の湊に対し、イリスはオレンジのチューブトップの上に白いシャツを纏い、黒のジーンズを穿いている。
鎖骨とヘソを出している事で、道行く通りすがりの男から、邪な想いを含んだ視線を送られているが、気付いていながら本人はどうってことないと流している。
そうして、湊が皮肉気な事を言い会話が途切れるかと思ったが、モノレールに乗って都心部から外れて高級ホテルの並ぶ地区の方に入ったところで、イリスが再び話しかけた。
「アンタさ。人殺したことあるよな? そのときどう思った?」
「別に。敵を殺して、早く他の皆を助けに行こうと思ってたから、殺したこと自体には何も感じてない」
あのときの湊は、思考がぐちゃぐちゃになった状態で、さらに助けを求められた事で壊れたようなものだ。
そんな状態で動けたのは、敵を殺し仲間たちを助けるという目的があったからで、チドリを含めた他の全員が死んでいたなら、復讐すら考えずに廃人となって殺されていただろう。
よく聞く“殺す覚悟”などというものは、精神的に追い込まれた者が自分の背を押すために考えた自己暗示の一つに過ぎない。
人はそんなものを持たずとも、容易く人を殺せてしまうのだから、殺す事で助けるという方法を覚えた湊にすれば、今後も殺し自体に何かを感じる事はないと思っている。つまり、それは目的達成の一手段でしかないのだ。
「アタシが初めて人を殺したのは二十四のときだ。仕事って割り切ろうにも、最初は殺した相手が死ぬ直前にあげた呻き声が耳に残って忘れられなかった。まぁ、それでも続けてたら、いつの間にか何も考えずに引き金引けるようになってたけどね」
急に自身の昔話しを始めたイリスの横顔を湊は見上げると、自嘲的な笑みを浮かべていることに気付いた。
けれど、相手が一体何の話しをしたいのかが分からず、話しを切り上げるために適当な事を言って返す。
「十年くらい前ってこと?」
「……オマエ、アタシを幾つだと思ってんだ。十年前じゃ、まだ十代だよ莫迦野郎。一応、失礼なアンタに教えておいてやるが、アタシは今年で二十七、ロゼッタは二十五だ。ジャンはオッサンだからどうでも良いが、女に歳の話で滅多なこと言うもんじゃないよ」
そういうと、繋いでいない方の手で作った拳を軽く帽子の上に落とし、冗談めかして窘めるとイリスは目的地に着くまで一言も喋らなかった。
***
湊が連れて来られたのは、超高層のオフィスビルだった。
いくつかのフロアにレストランや展望台が入っているので、親子連れでも怪しまれる事なく、エレベーターに乗って展望フロアに到着した。
「さてと、別にここに用がある訳じゃあないんだ。こっち来てみな」
そう言われても、湊の手はイリスがずっと掴んでいるので、湊本人の意思とは無関係に付いていくしかない。
振りほどくことも、勿論不可能ではないが、周りの目は上手く誤魔化せているようなので、この作戦を思い付いた人間を邪険にする事は出来ない。
よって、まわりにいる同じ年頃の男子の何名かが見惚れてきても無視して、とある高級ホテルが見える場所へと移動した。
「あそこが取引場所だ。んで、アタシらはターゲットが取引してる現場を写真にでも撮れば良いって訳さ。取引を失敗させるんじゃなく、噂の種火を用意するのが依頼でね。現場が高級ホテルの上の方の部屋だから面倒なんだが、危険が少ない割に報酬が良いんだ」
「俺は戦うような依頼の方が良い」
「駆け出しが生意気言うな。言っとくが、オマエが初めて店に来たとき、アタシらはオマエが人を殺した事があるって気付いてたぞ。理由は分かるか?」
後ろから抱き上げられ、小さな子どもには少々高い位置にある手すりに掴まって、向かいのホテルを見つめながら呟いた湊にイリスは問う。
初めに抱き上げたときより、腕に力が籠められた事で、相手は雑談のつもりで言っている訳ではないらしいと湊も真面目に考える。
単純に考えれば凶器を持っていたからだろう。けれど、そんな事をわざわざ理由としてあげるとは思えない。
自分では気付いていなかっただけに、これ以上考えても無駄だと諦め、湊は答えを聞くことにした。
「分からない。答えは?」
「血の臭いだ。一般人なら気付かないだろうが、全身から微かに人間の血の臭いがした。アタシらみたいなやつなら、それで気付く。普通、全身から人の血の臭いなんてさせないからね」
人が大量に死ぬ事故や大災害に見舞われた訳でもなく、現代日本で子どもが全身から血の臭いをさせていること自体が異常である。
臭いに気付いた者は、それだけで相手を警戒するだろうが、湊は自分たちが研究所から出てきた事を話したので、不必要な警戒をされずに済んだ。
しかし、仕事を始めれば、相手が事情など聞く筈もなく、攻撃を受けるか逃げられてしまうかするだろう。
銃も未だに覚えていないため、湊はペルソナを使わない限りは近接格闘で制圧するしかない。
となれば、返り血の臭いが取れるまで仕事を回せなくなるので、裏の仕事に慣れさせるまでは、そんな無駄な期間を挟まずにいられるような仕事をこなしていく必要があった。
「まぁ、アンタを責める気なんてないが、仕事に慣れるまでは親子ごっこしながら興信所や探偵の真似事をしていくよ。途中で銃の扱いも教えてやるから、殺しはそれからだ」
「……わかった。持ってるのは使いたくないから、イリスに俺の銃を用意して欲しい」
「ん? まぁ、アタシが使ってる銃と同じで良ければ、教えるのも楽だが、どうして使わないんだ?」
実際に目にしたのはキャリコだけだが、湊が拳銃も持っているというのは店で聞いている。
研究所で職員から奪ったベレッタM92型の対シャドウ銃は、既に黄昏の羽根を抜いてあるので、今後は普通の拳銃としてしか使えない。
それをわざわざ別の銃を用意して欲しいなど、どういった理由からか不思議に思いイリスが尋ねると、湊は展望台から見える街を眺めながら小さく呟いた。
「あの銃は、逃げようとした皆を殺したから。そんなものを使おうとは思えない」
まわりの喧騒にのまれてしまうほど小さな呟きだったが、抱き上げていたイリスの耳には確かに聞こえた。
抑揚のない、何の感情も込められていない、空虚さだけを宿した少年の声が。
「……わかった。武器の仕入れはジャンがしてくれるから、アタシの方から言っておく。まだ早いが、突撃銃やら狙撃銃も用意させておくから、頑張って稼ぐんだよ。銃も弾も高いからね。さてと、それじゃあ下のレストランで夕食でも食べるか。お子様ランチでもご馳走してやるよ」
「本当にまだ若かったんだな。バブル期の人間なら、ステーキを奢るとか言いそうだと思っていた。いや、子どもの御馳走がお子様ランチって発想も十分あれなのかな?」
重くなった雰囲気を振り払うように、イリスが冗談めかして言いながら湊を下ろすと、湊は真顔のまま皮肉で返した。
だが、先ほどと違い、普段通りの様子に戻っているようなので、イリスは相手の手を掴むと引っ張りながら化粧室への案内板が見える場所へと誘導していく。
「オマエ、女子トイレに放り込むぞ。そもそも、日本がバブルのときは、アタシは母国で学生してたってんだ」
「高校? 大学?」
「プライマリースクールだよ! もう駄目だ。アンタ、アタシのこと舐めてるだろ? 大人相手にふざけた真似ばっかりしてるとどうなるか、一度きっちり教えてやる」
言いながら、まるでぬいぐるみのように湊を脇に抱え、イリスは少々早足でエレベーターに向かいオフィスビルを出て行った。
途中で携帯を使ってロゼッタを呼び出し、大きなトランクを持った満面の笑みの相手と合流すると、イリスが現在の拠点としているホテルまで連れて行って湊を一泊させ。
翌日、昼過ぎに部屋から出てきた湊は前日とは別のワンピース姿でぐったりした様子になっており、反対にイリスは満足気な表情で、トランクを持ったロゼッタはほっこりした表情で肌がツヤツヤとしていた。
そんな様子で大丈夫かとも思われたが、夜にあった仕事自体はしっかりとカグヤの索敵能力で知覚したものを、Eデヴァイスに映像として表示し、それをそのまま画像と映像のデータにして収め、データの入ったメモリーカードを依頼人に渡し、無事に達成したのだった。