【完結】PERSONA3 Re;venger   作:清良 要

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第二百八十三話 放課後悪霊クラブ

――放課後悪霊クラブ・壱ノ怪

 

 気を失っていた五人が目を覚ますと、満場一致で湊はバックアップから解任された。

 バックアップ能力だけを見れば確かに最も優れているのは彼かもしれない。

 次点で優れている風花がダンジョン探索に参加するのであれば、彼が代わりに残るというのも理解出来た。

 しかし、彼は探索メンバーに綾時とメティスが入っているからか、あまり危険だと思っていないようで悪戯を働いてしまった。

 おかげでほとんどのメンバーから“人格面に問題があり、バックアップ役としての適性無し”という評価を頂き、りせとチドリでサポートをこなし、湊は全員の目が届く先頭を歩かせようという話でまとまってしまう。

 指揮官に置いても彼はどうせ一人で勝手に戦うのだから、先頭を歩かせようが最後尾を歩かせようが変わらない。

 むしろ、一部の者たちからはどうせ攻撃を喰らっても大丈夫なのだから、お前が弾除けになれとすら思われていた。

 指揮官に対してそんな感情を抱くなど論外だが、ここに集まっているのは正確に言えばチームではない。

 あくまで複数の集団をチームとして機能するように配置しただけの素人の集まりだ。

 戦闘に関してプロと言える青年とは経験値から何から異なるため、規格の合わない部品である湊を集団の外に置いた方が全体として上手く回る。

 各分隊の隊長たちは口にこそ出さないものの、それを理解しているからこそゆかりや千枝が湊を先頭にしろと言ったときも反対はしなかった。

 そう、反対しなかったのは七歌や鳴上も一緒なのだが、だからといって湊がさらに勝手に動き出す事までは流石に想定していなかった。

 薄暗く目をこらさないと先が見通せない暗い校舎に入ると、湊は先頭に立った状態でカードを具現化して握りつぶす。

 

「来い、麒麟(チーリン)

 

 青年の前に現われたのは、淡い白光を纏った古代中国の聖獣、審判“麒麟”。

 七歌の最強の手持ちである黄龍と同時に生み出されたペルソナであり、雷帝の名を冠する白雷によって夜天を払うほどの力を持っている。

 敵も現われていない状態で、大型の馬より一回り大きいそんなペルソナを呼び出した湊は、麒麟の背に手を掛けて鞍も付けていないのに飛び乗った。

 神聖な空気を纏う白銀の聖獣に、魔王を思わせる黒衣の青年が跨がっている姿は非常に絵になる。

 きっと移動用の足として出しただけなのだろうが、乗り物に乗っただけで魅力値にブーストが掛かるなど卑怯だと一部の男子が妬ましく思っていれば、金髪碧眼の少女がとてとてと近付いていき青年に声を掛けた。

 

「八雲さん」

「……乗りたいのか?」

「はい」

「分かった。手を伸ばしてくれ」

 

 湊の許に向かったアイギスが乗りたいと強請れば、青年はしょうがないなと口では言いながらも素直に彼女を引っ張り上げた。

 引っ張り上げられたアイギスは横座り状態で湊の前に腰を下ろす。

 鞍も鐙もなく素人では踏ん張りが利かず落ちてしまうので、ちゃんと乗れる自分の前に座らせることで彼女を支えるつもりなのだろう。

 そんな意図は他の者たちも理解出来ているのだが、自分たちが夢見たバイクで密着作戦の変化系をさらりと実現している湊に花村が妬みの言葉を吐く。

 

「チクショウ……。俺だって、俺だって金があれば女子とバイクであんな風に出来たってのによぉ」

「いや、先輩にゃ相手がいないじゃないッスか」

「うっせぇ! つか、有里もこんなとこで馬出してんじゃねぇよ! 降りろ、むしろ乗せろ!」

 

 一人だけ乗り物なんてずるい。女子と二人乗りなどずるすぎる。

 そんな思いから花村が怒鳴りつければ、青年はアイギスを自分の胸元に抱き寄せてから麒麟を出発させてしまう。

 花村がそれにさらに怒りを燃やそうとすれば、他者に興味ない青年が相手だけにこれ以上は怒っても体力の無駄だと鳴上が窘めた。

 相棒にそう言われてしまうと花村としても無視できず、釈然としないものの黙って先頭をゆく湊の後を追い始める。

 暗い校舎の中はところどころに墨でつけたのか黒い手形が描かれていたり、半透明な白い手のようなものが天井から下がっていたりする。

 半透明な白い手はゆらゆらと揺れているが、ダンジョンのオブジェなので現実世界には存在しないもので出来ていそうだが、麒麟から一定の範囲に入ると白雷が爆ぜて消滅させている。

 攻性結界と呼べそうな力は、一体どんなスキルなのか気になるところだが、彼が先頭を歩いていれば正面からの敵の襲撃は警戒せずに済みそうだ。

 ダンジョンに配置されたオブジェを次々と消滅させている湊を見つつ、他の者も後に続いて先を進んでいれば、区画を区切っているガラスの扉が正面に見えてきた。

 扉のある空間の左右は開いているようなので、どうやら横にも道があるようだと鳴上がどのルートに向かうかを他の者に尋ねた。

 

「扉が見えてきたな。横にも行けそうだが、どうする?」

「僕は正面の扉が気になるな。まぁ、三隊あるし分かれて探索するのもありだと思うけど」

 

 お化け屋敷というアトラクションを素直に楽しんでいる綾時は、興味深そうに周囲を眺めながら分かれるのもありだと提案する。

 幸いな事に、道は左右と正面で隊の数と合っている。これだけの人数がいればすぐやられることもないので、どうせなら少数で探索するのも楽しそうだと綾時が言えば、いつの間にか湊の近くに来ていた美鶴が自分たち七歌隊は湊と同じルートを行くぞと宣言してきた。

 

「よ、よし。我々の隊は有里と同じルートを行くぞ。彼を放っておくと色々と危険だからな」

「はい。私も桐条先輩に賛成です! 有里君のことはちゃんと見張っておくから皆も安心して!」

 

 美鶴に続いて同じ七歌隊であるゆかりも湊の近くにやって来て彼女の意見を支持する。

 元彼女だけあって湊に振り回される苦労は知っており、これを他の者に押しつける事など出来ない。

 そういった苦労は経験者である自分がするから、他の隊の人たちはそれぞれのルート探索を頑張って欲しい。

 やや強張った笑顔でゆかりがそう言えば、彼女たちの意見に直斗と千枝が待ったを掛けた。

 

「僕は戦力的に充実したメティスさんの隊、そして三年生のいる九頭龍さんの隊には単独での行動をお願いしたいです」

「そうそう! うちにはクマ吉もいるしさ! 有里君に見張っておいて貰わないと不安だからね!」

 

 メンバーの平均レベルが突出しているメティス隊、三年生もいる事で様々な事態にも落ち着いて対応出来るだろう七歌隊。

 それに対し、自分たちの隊は勝手な行動を取るクマがいるので、湊には手綱を握っておいて欲しいと直斗たちは話す。

 言われた湊にすれば、勝手な行動を取ったなら見捨てておいていけばいいと思うのだが、限られた戦力しかない現状ではクマを捨てていくことは出来ないのだろう。

 馬上で聞いて相手の意見に湊が一定の理解を示していれば、美鶴たちや直斗たち同様なぜか湊の傍にやって来ていた玲が怯えながら口を開いた。

 

「うー……はーちゃんのこのペルソナと一緒がいいよぉ。暗いと見えなくて危ないし、ドーナッツも普段より甘くない気がするし」

「玲、ドーナッツの味に変化はないぞ」

 

 お化け屋敷の不気味な雰囲気に怯えながらドーナッツを食べている玲。共にいる善が隣で冷静にツッコミを入れているが、二人の顔は湊の麒麟が纏っている淡い光で照らされている。

 おかげで湊も何故隊の分け方について話している者たちが自分の周りにいるか気付けた。

 そう、このお化け屋敷に怯えている者たちは、常に淡い白光を纏って周囲を照らしている麒麟に集まってきていたのだ。

 暗いというのに誰一人として明かりも持ってきていないため、つい明るい方へ行きたくなる気持ちも分からないでもない。

 だが、あまり傍に寄ってこられると鬱陶しいので、湊はアイギスに一声掛けるとペルソナを消して地面に降りた。

 

『ああーっ?!』

 

 途端に抗議の声をあげてくるゆかりたち。

 まぁ、湊にすれば知った事ではないので、麒麟を消したまま呆れた様子で言葉を返した。

 

「はぁ……お前らは虫か。光に寄ってくるな鬱陶しい。そんなに怖いのなら明かりの一つでも持ってくれば良かっただろう」

「いえ、一応ペンライトくらいの備えはあります。ただ、突然戦闘になると考えると手が塞がるのは危険だと思いまして」

 

 懐中電灯でもヘッドライトでも構わないが、明かりも持たずに暗いのが怖いと言われてしまえば、湊としては出来る限りの努力もせず何を言っているのだとしか思えない。

 ただ、直斗は職業柄か色々なグッズを持っているらしく、制服の内ポケットから油性マジックほどの太さのペンライトを出して見せた。

 周囲を控えめに照らしていた麒麟に対し、ペンライトは一つの方向だけだが強力な光を放っている。

 探索には十分なその明るさは直斗も自覚しているものの、やはり持っている片手が塞がってしまうデメリットが大きい。

 交代制を取っていた今までならいざ知らず、三隊に分かれての探索になれば必然的に戦う場面が出てくる。

 そうやって色々と考えたからこそペンライトを使えないのだと直斗が明かりを消せば、麒麟が消えたことで話が振り出しに戻った各隊の探索ルートについて湊が話す。

 

「……現時点では隊を分けて探索するメリットがほぼない。同時進行にすることで時間が短縮できても、合流に時間がかかれば一緒だからな。こういった場所では時間より安全の方が重要ってのもあるが」

「じゃあ、湊はどういった方針で行くんだい?」

「とりあえず、正面にある扉の向こうへ行こう。このダンジョンのルールなりを調べる」

 

 一つ目のダンジョンが不思議な国のアリスをモチーフにしていたり、二つ目のダンジョンが運命の相手探しをこなしていったように、このダンジョンにも何かしらのテーマやルールが存在するはず。

 それが分かれば探索の進める上での指針にもなり得るので、湊は横道には後でも行けるからと直進を選んだ。

 こんな見通しの悪い場所でのセオリーなど知らぬ一同からは反対意見も出ず、湊の決定がそのまま全体の方針に決まれば、湊とアイギスを先頭に金属のフレームにガラスの嵌まった扉の先へ移動する。

 扉の向こうはどうやら大部屋になっているようで、暗くて見えづらい事もありそれぞれ武器を手に周囲を警戒する。

 ただ、湊は他の者と違って暗くても見ているからか、すたすたと先へ行くと地面に落ちている紙切れを見つめた。

 彼と一緒にいたアイギスもそこまで行けば、何か赤いインクで文字が書かれている事に気付く。

 

「何か書いてありますね。“探し物は一番奥に”“鍵の掛かった扉を全て開かなければ一番奥には行けない”……なるほど。二つ目のダンジョンで質問部屋を経由することで開く扉があったので、それと同様のギミックが存在するようです」

 

 チェックポイントを回って行けば最後の扉も開く。言ってしまえばそういう内容でしかないため、探索を続ければ自然とクリア出来そうだとアイギスも頷いてみせる。

 こういった場所ではもっと無理難題を出されるのがセオリーだと思っていただけに、この程度ならば時間を掛ければ苦もなく突破出来る事に他の者もホッと安堵の息を吐く。

 実際には鍵の掛かった扉と開くための鍵を探す必要があるのだが、普段からそれぞれのチームでサポートをこなしている風花とりせに加え、同等かそれ以上に強力な探知能力を持ったチドリと湊もいる。

 これだけのメンバーがいればフロアの地理の把握には困らないので、奥を目指す上での方針が決まった事で再びメンバーたちは部屋の奥の扉に向かって歩き出した。

 

 ***

 

 壁や床だけでなく天井にまで現われる手形の染み、割れた窓ガラスに怪しく光る赤い明かり。扉の近くにはどういう訳か市松人形が置かれており、湊の悪戯で気を失ったメンバーは進むにつれて精神がガリガリと削られていた。

 

「うぅ……暗いよぉ、怖いよぉ……」

 

 善のマントを掴みながら怯えている玲は、怖がりながらも付いてきているものの、誰かが歩いて床板が軋むだけで肩をビクリと跳ねさせている。

 七歌の腕を掴んでいるゆかりや、雪子の腕に掴まっている千枝も顔色が悪くなっており、このままでは再び気絶する者が出てもおかしくない。

 進行が遅れることに内心で舌打ちをしつつも、ダンジョンの攻略自体は余興のようなものと考えている湊は、ここらで一度休んだ方が良いかと疲れている面々に話しかける。

 

「ずっと気を張ってても疲れるだけだぞ。ここらで一度休憩でもいれるか?」

「ハァッ!? ばっかじゃないの! こんなとこで休める訳ないでしょ!」

「あたしらは有里君と違って暗いとこ好きじゃないっての!」

「…………理不尽だろ」

 

 相手を気遣って休憩をいれようかと提案しただけで、湊はゆかりと千枝から謂われのない罵倒を受けることになった。

 二人ともあまりの怖さで余裕がなくなっている事が原因だが、今回ばかりは湊に落ち度はないので他の者たちも彼に同情的な視線を送る。

 まぁ、休憩がいらないというのなら先へ進むだけなので、湊が再び正面を向いて歩き出せば、少し進んだところでどこからか赤ん坊の泣き声のようなものが聞こえてきた。

 いくら何でもこんな場所に赤ん坊がいるはずはない。そう思いながらも聞こえてきたため、順平が少し驚きながら今の声が聞こえたかと他の者に確認を取る。

 

「なぁ、今なんか赤ん坊の泣き声が聞こえなかったか?」

『ひっ!?』

 

 お化け屋敷で赤ん坊の泣き声は定番と言えば定番だ。

 本物はとても可愛いというのに、どうしてホラー系だとあんなにも怖く不気味に聞こえるのか。

 その謎は今ここでは解けないだろうが、順平の言葉を聞いて声にならない悲鳴をあげかけたゆかりは、キッと鋭い視線で先頭にいた青年を睨むと、千枝と共に駆け足で近付いて背中を強く叩いた。

 

「もう! いい加減にしてよ!」

「そんなに怖がってる人を見るのが楽しいの?! そっちがその気ならこっちだって相手になるよ!」

 

 こんな場所に赤ん坊がいるはずがない。ならば、泣き声の発生源は昨日まで赤ん坊になっていた青年に違いない。

 今朝、悪戯で怖がらせてきた事もあり、そんな短絡的な思考で二人が青年に怒りをぶつければ、再び殴りかかりそうなゆかりたちを七歌とラビリスで止めに入った。

 

「ゆかりも千枝ちゃんも落ち着きなよ。八雲君はいま何もしてないから」

「そうやで。いくら何でも縮んでないときに赤ちゃんの泣き真似したりせんて」

 

 たまに馬鹿みたいな事をしてくる青年ではあるが、こんなところで意味もなく赤ん坊の泣き真似などするはずがない。

 彼の隣にいたアイギスも彼が泣き声の発生源ではないと断言出来るため、一方的に犯人と決めつけて彼の背中を叩いたゆかりに不快感を露わにしている。

 これ以上やるなら相手になるぞと言った千枝に対しても警戒しており、もしも千枝が湊に攻撃を仕掛ければアイギスは迷わず制圧に移るだろう。

 怖さで余裕のなくなった者たちと、流石に決めつけてで湊を責めることは許容できないと止めに行った者たちが互いに牽制し合い動かずにいれば、第三者として成り行きを見守っていた花村が冤罪で叩かれた青年にヤジを飛ばした。

 

「有里、普段の行いだぞー」

 

 普段から他人を見下していたり、無神経な言動で煽ったりしているからこそ、こういったときに真っ先に犯人と思われるのだ。

 全ては普段の振る舞いが原因の因果応報。

 順平や真田もそれを聞いて頷いていれば、カランカラン、と赤ん坊をあやす玩具の音が急に聞こえてきた。

 

『っ!?』

 

 赤ん坊の泣き声に続き、赤ん坊をあやす玩具の音が聞こえてきた。

 どう考えても二つが無関係とは思えないので、いよいよ何かが起こるのかもしれないと全員が警戒を強める。

 

《皆、近くに強い反応があるよ! 気をつけて!》

《これは……後ろから来るわよ》

 

 すると、丁度良いタイミングでサポートの二人が敵の反応を察知し、全員がその声に反応して後ろに振り返る事が出来た。

 直後、言いようのない重圧と共に大きな物体が上から降ってきた。

 ぐちゃり、と水気を含んだ物が落下した音と共に現われたのは、銅像のような緑の肌に、ボロ布らしきもので出来た袋を頭に被った不気味なF.O.E。

 相手は豚ほどの大きさがあり、落下の衝撃だけで死んだのではと淡い期待を持つも、敵はノロノロと身体を起こすとハイハイの体勢を取った。

 ハイハイとは赤ん坊が動く起きに使う体勢なので、落下してきたF.O.Eはハイハイで向かってくるつもりなのだろう。

 

「おい、すぐに逃げんぞ!」

 

 こんな場所でF.O.Eに襲われるなど堪ったものじゃない。

 荒垣が恐怖で硬直している女子らに声を掛けて逃げるように促す。

 その声で正気を取り戻した者たちは、すぐに逃げるため再び振り返って駆け出す。目指すは十数メートル先の廊下の終着点である扉だ。

 そこまで逃げ切れば扉を閉めて追跡を逃れる事が出来るかもしれない。

 女子の安全を優先するため、彼女たちを先に行かせてから男子も走り出せば、そこで一人だけ立ち止まって動いていない者がいる事に気付く。

 敵が向かってきているというのに、どうして動かないんだと鳴上が声をあげた。

 

「有里、何をしてるんだ! お前も一緒にっ」

 

 一緒に来い、と言おうとしたとき鳴上は見た。

 敵がハイハイとは思えない速さで追って来ていると、立ち止まってF.O.Eを見ていた湊がおもむろに右脚を引くのを。

 そして、敵との距離が縮んでゆき、あともう僅かで衝突するというタイミングで湊が上半身を右に捻ったかと思えば、次の瞬間、捻った身体を戻す勢いのまま右脚で神速の蹴りを放った。

 ブレて見えなくなる青年の右脚、コンマ数秒遅れて聞こえてくる破裂音、それと同時に何かがF.O.Eの後方に飛び散り、少し経ってから首から上がなくなったF.O.Eがドサリと倒れた。

 倒れたF.O.Eは頭部を完全に失っているので、そのまま黒い靄になって消滅していったが、湊がF.O.Eの足止めのために残ったと思っていた者たちは、予想外の事態にポカンとしながら足を止めていた。

 先ほどの湊は、蛇神の力の欠片である黒い炎を纏うことすらせず、完全に己の身体能力のみでF.O.Eの頭部を蹴りで破裂させていた。

 例えとして“潰れたトマトみたいになる”という言葉が使われる事があるが、先ほどのF.O.Eはまさにそんな惨状になっていた。

 武器も使わずそんな事が可能であるとは初めて知ったが、湊はかつてラナフの蠍の心臓に滞在していた際、反政府組織のテロリスト狩りで標的の頭部を蹴りで吹き飛ばした事があった。

 あの時よりも今の方が身体能力は上がっているため、本人は出来ると確信を持って行動に移したわけだが、他の者からすればこれまでのダンジョンに出てきたF.O.Eよりも強いはずなのにという思いが強い。

 まぁ、どちらにせよ直近の脅威が排除された事に変わりはないので、逃げるのを止めていた者たちが湊の事を労おうとすれば、蒼い瞳になっていた青年の冷たい声が響いた。

 

「……これがお前らの十秒後の姿だ」

『すみませんでした』

 

 普段は対等な立場を心掛けて接している真田や荒垣ですら、押し殺した静かな怒りを放つ青年には思わず頭を下げてしまう。

 雰囲気と瞳の色によって全員が彼の苛立ちを察した訳だが、思い返してみれば湊が苛立っていたことも納得できる。

 善意で休憩するかを尋ねれば罵られ、他の者が異変に気付けば自分のせいにされ、あげくには自業自得や因果応報だと言われれば、誰だって少しくらいはイラッとくるだろう。

 本気で他の者たちの頭部を蹴りで粉砕するつもりはないと思われるが、この世界に来てからまだ彼に頼っている部分はあるので、そういった部分に対する感謝を忘れずにいようと先ほど煽ったメンバーは固く心に誓う。

 一方、恐怖で余裕がなくなっていたとは言え、あまりに無礼な行動ばかりとっていた事に気付いたゆかりたちも、先ほどは本当に失礼しましたと深々と頭を下げた。

 それをみた青年は敵に八つ当たりすることで怒りは発散したので、これ以上言うつもりはないのか再び先頭に戻って歩き始める。

 拳の一発や二発は覚悟していた男子らは、何事もなく済んだことに安堵し、嫌な汗が背中を濡らすのを感じつつ探索に戻ってゆく。

 そして、湊に理不尽に当たっていた者たちも、恐怖は徐々に心を蝕んでゆく物だが、あまりに予想外の事が起きると心はリセットされるらしく、先ほどよりも僅かに恐怖が薄れて冷静さを取り戻すことが出来ていた。

 急に上から降ってくるF.O.Eの謎に加え、まだ見つかっていない鍵付きの扉を探すなどやることは多い。

 けれど、恐怖で余裕がなくなっていた者たちが少しは冷静になったのなら、それらも徐々に見つけていく事が出来るだろう。

 敵の出現には驚いたが結果的に事態は好転した。そう考えながら一同はさらに奥を目指し進んで行くのだった。

 

 


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