【完結】PERSONA3 Re;venger   作:清良 要

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第二十九話 管理者たちの悩み

10月2日(月)

朝――道場

 

 早朝、まだ空気が日差しで熱せられていないため、道場の中は少々肌寒くあった。だが、鍛錬を行っている二人は、運動で体温が上がった事により僅かに汗を掻いている。

 

「無理に引っ張んな、ちゃんと相手の力も利用できてれば投げるのに力はいらねえ」

 

 傍らに立って指導している鵜飼が、腕の力で湊を投げようとするチドリを注意する。

 いま組手をしているのは、合気道の道着を着た湊とチドリで、二人は週に三日はこのように鍛錬をしていた。

 というのも、研究所を出て以来、チドリは毎日のようにやっていた戦闘訓練がなくなったので、身体が鈍り始めていた。

 勉強は桜が時間割を作って教えているため日々成長中だが、このままでは湊の強さに追い付けない。では、どうすれば良いかと考え、小学校で言うところの体育代わりに鵜飼から合気柔術を学ぶことにしたのだ。

 何故、合気柔術になったかというと、初めは鵜飼からは剣術を、渡瀬からは八極拳と劈掛拳を湊が学んでいたので、同じように習おうとしたのだが、チドリは飲み込みの速い天才であった。

 剣術に関しては、湊よりもちゃんと鵜飼の指導通りに武器を傷めずに捌くことが出来。拳法に関しては、直ぐに型を覚えて、実戦レベルには満たないものの、子ども同士の喧嘩ならば基本的に負けないだろう実力をつけた。

 けれど、基礎中の基礎を身に付けられただけで、実戦向きの技の習得は、身体がまだ未熟過ぎて上手く出来なかったのだ。

 加えて、拳法を使った試合形式では勿論のこと、剣術に関しても自身より覚えの悪い湊に実力を抑えた状態でチドリは勝てなかった。

 その原因はチドリもしっかりと理解出来ていて、覚えが速く教えられた事を実践できる才を持った己に対し、湊は教えられたことを自分の中で消化して、別の技術と組み合わせて使う事が出来るのだ。

 

「……アイツ、なんか不真面目に見えるねぇ」

 

 湊に今日の依頼で使用する狙撃銃の扱いを教えるという理由で来ていたイリスが、壁際で桜と見学していて呟く。

 視線の先では完璧に投げられながら、受け身ではなく逆立ちで着地している湊の姿があった。

 その姿が余裕をかましている風に見えたのか、チドリが蹴りかかっていったが、ハンドスプリングで起き上がった湊に、蹴りで足を刈り取られた上に頭の後ろを腕で押された事で、空中で一回転して背中から畳に落とされていた。

 確かにその光景を見れば、そんな言葉も出てしまうだろうと苦笑しながらお茶を淹れ、湯呑みを渡して桜は返した。

 

「ちーちゃんも十分に優秀すぎるんですよ? 教えたら何でもすぐに覚えちゃって、わたしもついその学年じゃ教えない単元まで教えちゃうんです。だけど、それでもみーくんに敵わないんですよね」

「そりゃ、アイツに勝つのは無理だろう。小狼はルールというか、常識を無視するからな。あれほど教え甲斐の無いやつも珍しいよ」

 

 教師からすればチドリの方が何倍も優秀に思えるだろう。しかし、まわりの凡人の目線からすれば、湊のような化け物には勝てないことが分かってしまう。

 チドリは教えれば教えるだけ成長するが、それは教師側の限界がそのままチドリの限界にもなってしまうという事だ。

 その点、湊は教えられた事を吸収して最適化してから使用するため、自分向けにアレンジする事や新たに技法を生み出す力を持っている。

 チドリも成長していけば自分で考え、工夫できるようになるのかもしれないが、元々、湊も技術・知識の習得速度は並はずれているので、学習能力に関してほぼ条件が同じならば、機転の差でチドリは今の湊に勝つ事が出来ない。

 イリスも桜も常人よりは優秀だが、それらは努力によって得た力なので、特別な才を持ちながらも、それを上回る才の存在を知ってしまったチドリの苦悩は理解する事が出来なかった。

 しかし、そんな時だった。

 

「ん? おお、小猫もやるじゃないか」

 

 背中を打って痛がっていたチドリは立ち上がると、今度は助走をつけて湊に飛びかかった。

 両手を広げていったので、湊もぼうっとしながら抱きとめたのだが、そこでなんとチドリは湊の首筋に噛み付いた。

 肉を食い千切るような程ではないが、白い健康的な歯を立てて、湊の肩に食い込ませている。

 合気柔術の鍛錬で、そんなラフファイト的なことをされると思っていなかったのか、湊は驚いているようだ。

 

「ち、ちーちゃん、流石にそれは……」

「あ、いや、駄目だな。小狼のやつ、相手の頭を押さえつけて鼻と口塞いでるよ。タップしてるのに離してないし、止めないと拙くないか?」

「み、みーくん! ちーちゃん、ギブアップしてるよ! 顔色変わってるから離してあげて!」

 

 桜は慌てて声をかけるが少し遅かったようで、湊から解放されたときには、チドリは気を失ってぐったりしていた。

 教えていた事と全く違う事をして戦闘不能にした者とされた者をそれぞれ見つつ、指導していた鵜飼は呆れ気味に頭を振って様子を確認するため近付くが、畳に寝かせた湊が呼吸確認と気道確保をして助けているので、少しすれば目を覚ますだろう。

 そうして、とりあえずは無事なようなので、桜も安心して腰を下ろすと隣からイリスが話しかけてきた。

 

「アイツ、なんで小猫を守るのかね? 好きな子を守る、っていうのとはまた違ってるよな?」

「本当に大切だから守っているんだと思いますけど、確かに異性に対する愛ではないように思えますね。見返りを求めない無償の愛にも、何かしらの種類はあると思うんですが」

 

 性愛、家族愛、兄妹愛、隣人愛と愛にも様々な種類がある。

 湊がチドリに対して抱いている物が、何に基づいての愛なのかが分かれば、そのパーソナリティーを少しは理解でき、チドリ以外に対する行動原理も分かるようになるかもしれない。

 そんな事を考えながら、イリスはお茶を一口啜って笑いながら話す。

 

「無償の愛ね。それって、アガペーって言って元々は神が人に対して抱いたものだからね。もし本当に、ただその存在を慈しむように愛を注ぐのならば、それが出来る奴は人の心を持っていない筈だよ。人は神に近付けはすれど、神にはなれないってね。逆もまた然りさ。神の視点に立つ者は、一生真に人を理解する事は出来ない」

「仕事中のみーくんは、やっぱり人とは違いますか?」

 

 表情を曇らせ尋ねる桜の顔に不安の色が浮かぶ。

 チドリも十分変わっている子と言えるが、湊はそんなレベルを超えて“普通ではない”という域に達している。

 それを理解した上で引き取って共に暮らしている訳だが、危険な仕事をしていて無事に帰ってくるかいつも桜は心配していた。

 本当なら裏稼業などせずに普通の子どもとして暮らして欲しい。チドリも湊が鍛錬や仕事をしているときには、桜が共にいても寂しそうにしている。

 けれど、2009年の戦いがどんなものになるか分からない以上、どれだけ力を付けてもつけ過ぎるという事はない。

 それが分かっているからこそ、桜もチドリも湊が硝煙の臭いをさせて帰ってきても何も訊かず、ただ「おかえり」と迎えていた。

 

「……お父さんたちに聞いたんです」

「何をだ?」

 

 暗い表情のままぽつりと呟いた桜にイリスが尋ねる。

 

「みーくんの本質は多分“殺すこと”だろうって。殺すことで生かす、殺すことで守る、何かを為すために自分すら殺してしか行えないんだって」

「そんな本質があってたまるか。生きているうちに性格だってなんだって変わってくる。それを、幼少期の一時を切り取って周りが決めつければ、本当にそんなくだらない本質に染まってしまうぞ。アンタもそんな事で悩んでないで、子どもらの世話でもしてやりな」

 

 言って指をさした先には、今日の鍛錬を終えたらしい子どもらが鵜飼に礼をしていた。

 先ほどまで倒れていたチドリは湊にお姫様抱っこされているが、終わると桜たちの元に向かってくるようだった。

 それを見て、桜も笑顔になると、飲んでいたお茶を片付けて立ち上がり。イリスも続いて道場を後にした。

 

深夜――ポートアイランド港

 

 影時間を過ぎた後の深夜、コンテナの並ぶ港に一台の車が入って来た。

 ライトも点けず奥までやってくると、空いていたコンテナの間のスペースに停車し、そこから三人の人影が降りてくる。

 そして、その人影たちは近くにあったコンテナの一つによじ登ると、それを伝ってさらに積まれている別のコンテナへと登って行った。

 最終的に三段目まで積まれたコンテナに登った三人の人影、それは湊・イリス・五代の三人で本日の依頼をこなすために港へとやってきて、周囲から見えないコンテナの上で待機していたのだった。

 既に時計の針は二時を回っており、そんな時間の港とあって人はおろか港の関係者の車すら全くない。ただ、波と風の音だけが、耳に届いていた。

 

「おい、少女。いや、いまは少年だったか? まぁ、どっちでもいいが、子どもには辛い時間だからって寝てないだろうな?」

 

 コンテナに登ってから既に三十分以上経過している、そうして超長距離狙撃銃として使用可能な対物ライフルである、バレットM82A1のスコープを覗いていたイリスが、自身の腰を枕にして丸くなっている湊に声をかける。

 本当に仮死状態に近い状態で寝るので、寝息は元々聞こえないが、眠っているように思ったので肘で頭を小突くと、湊はいそいそと起き出した。

 

「……起きてるよ」

「嘘付け。オマエ、アタシにやらせるんだったら分け前やらないぞ」

 

 二人のそんなやり取りを見て、隣に座って双眼鏡で遠くを眺めていた五代は微笑ましそうに笑うが、勝手に枕にされていたイリスは眉間にしわを寄せながら身体を起こし湊を見ている。

 普段は湊とイリスだけで仕事をしているが、今日は狙撃銃の使い方を学ぶため五代も同行していた。

 手入れの仕方や、使用時の注意点に関しては昼間のうちに武器を届けにいったイリスから説明をしていたが、威力が強過ぎるため実射は一度もしていない。

 それだけに、イリスは狙いが外れるなどの失敗も危惧して気を張っているというのに、当の本人は寝ぼけ眼のままスコープを覗いているので本当に頭が痛くなりそうであった。

 そして、そんなとき、座っていた五代が双眼鏡を覗いたまま静かな声で湊に話しかけた。

 

「対象が取引をする場所までは約1200メートル離れてる。その銃なら十分届く距離だ。使用している銃弾の特性でほとんど風の影響を受けずに真っ直ぐ飛ぶが、全く影響を受けない訳じゃない。なにより、ここは海の傍だからね。海風はビル風よりも不規則で流れが読みづらい。十分に注意して撃つんだ」

 

 言われて湊は小さく頷いて、一度スコープから顔を離すとマフラーからゴーグルを取り出し装備し、次に黒いイヤーマフを首にかけた。

 両方とも付けなくても射撃自体は可能だが、射撃時にマズルブレーキより噴射する発射煙が大量に射手へとかかるので、目を守るためにゴーグルは必要で、直前になってから付けようと思っているイヤーマフも、かなり大きな音が出るので聴覚を一時的にでも失わないための対策である。

 

「取引相手からは情報を引き出す必要があるからね。間違って全員殺さないようにしてくれよ」

 

 本日の依頼は、外国のとあるネットワーク関連企業の技術を流そうとする男を処理するという殺しの仕事だ。そして、データを受け取る者の情報は齎されておらず、何人来るかも分かっていない。

 けれど、横流ししようとしている男の顔は写真で分かっているので、湊たちはそいつだけ撃ち殺せば良い。

 その際、受け取る側が数人いるのならば、会話中の雰囲気で中心人物を見極め、そいつだけを残して他は同じように処理をする。実に単純な仕事であった。

 何もそんな仕事でわざわざ難度の高い狙撃をする必要もないが、平和な日本の街中でやるには殺しの時点で目立ってしまう。それを対象までとの距離が遠く、隠ぺい工作を施しに向かうまで時間のかかる狙撃を練習するのはかなり難しい。

 しかし、湊に様々な技術を習得させるため、実際の依頼中に狙撃の経験を積ませる事は必要不可欠。そうした考えによって、今回、この深夜の貿易港という人のいない場所が取引場所であるのは好都合であり、恰好の練習機会だと五代まで出張って来た訳である。

 

「おっ、来たみたいだ。あれは……ターゲットだね。小狼君、その銃はこの距離でも相手を吹き飛ばしてしまえるんだ。だから、向かいに受け取る人物が来た場合は、気をつけて撃ってくれよ」

 

 そうして、静かに待っているとシャッターの下ろされた倉庫の前にスーツを着た茶髪の太った白人系の男が一人やって来た。湊と同じようにイヤーマフを首にかけ、双眼鏡で見ていた五代は湊に伝えると受取人の存在も探し始める。

 湊も同じように動じた様子もなく、落ち着いた呼吸で寝そべりながら引き金に指をかけて待ち、 ターゲットの左肩辺りに照準を合わせている。これで正面に受取人が来ても銃弾が逸れてターゲットのみ殺せるだろう。

 ターゲットから遅れること五分、受取人らしきスーツの男もやってきた。

 深夜の港に不釣り合いなビシッと決めたスーツ姿であり、スコープを覗いてその相手の顔を見た湊は小さく呟いた。

 

「あいつ……エルゴ研にいた、桐条の研究員だ」

「なに? アンタが逃げだしたっていうところのやつか?」

「間違いない。下っ端だけど、対シャドウ兵器開発にも関わっていたやつだ。名前は、たしか横島(よこしま)

 

 ヘーガーの研究室にいた三十路手前の男、黒縁の眼鏡をかけた背の高い姿に確かに湊は見覚えがあった。

 事故当日に研究所にいた職員は九割以上を殺したので、生きていたのなら、奇跡的に湊と遭遇しなかったか、休みだったかのどちらかだろう。

 けれど、再び出会ったのなら生かしておくつもりはない。湊は頭の奥が熱くなるのを感じながら、イヤーマフを耳に当てると、蒼い瞳でスコープを覗き照準を二人とも貫通するように合わせ直した。

 

「おい、小狼。アイツはまだ殺すなよ。情報を聞きだすのも依頼だからな、オマエの因縁はそれを終えてからだぞ」

 

 湊が銃口を僅かに動かしたことでイリスは湊が何をするつもりか理解し、制止の声をかける。

 ここで「絶対に殺すな」と言っても聞かないのは分かっている。だから、情報を聞き出してから殺せと、殺しを肯定しながら依頼を優先させようとしたのだが、湊は何も答えず引き金を引いた。

 その瞬間、ダゴンッと大きな音がしてその場の空気が震えた。寝そべっていたにも拘わらず、反動で小さな身体の湊が後ろに下がりそうになるが、慌ててイリスが横から抱きとめ何とか無事に済む。

 その間に、銃口からは発射された弾丸が暗い夜の空に炎の尾を引いて対象へと迫っていく。

 しかし、それも途中で消え、距離があるため発砲音も聞こえていないターゲットらは、スコープの先で一人は頭部を弾けさせ、一人は銃弾の当たった右肩を弾けさせて倒れもがいていた。

 よりにもよって、本来のターゲットの頭部を弾けさせてしまったことで、ターゲットの死体を依頼人に渡す際に、それが実際に本人の遺体であるか証明出来る物を用意する必要が出来てしまった。

 その事に、五代は思わずため息を吐くと、イヤーマフとゴーグルを外してイリスから身体を離していた少年に声をかける。

 

「はぁ……小狼君、僕やイリスの声は聞こえていたかい? 殺すのはターゲットだけで、受取人からは何の目的で技術データを手に入れようとしたか、その情報を聞き出すことがクライアントからの依頼だったって」

 

 弾丸の威力で肩が吹き飛び、組織がズタズタになって腕が胴体と別れてしまったため、横島という男の右腕は二度とくっつかないだろう。

 だが、それでも今はまだ生きている。錯乱しているようだが、情報を喋らすことは出来るかもしれない。よって、どうにかギリギリでこの依頼は達成できそうだと思いながらも、五代は感情に呑まれた湊を諌めた。

 因縁のある相手の一人で、思わず我慢できなくなった事情は分かるが、本当に危ないところだったのだ。

 だが、そうして、湊がどのように返すか待っていると、湊は蒼い瞳のまま武器を置いてコンテナを飛びおりて行ってしまう。

 イリスたちは、湊の勝手な行動に舌打ちをしたい気持ちになりながらも、荷物をすぐに片付けると、ワイヤーを使ってコンテナから降り、湊の後を追って行った。

 

***

 

「あ、ああ……僕の、腕、痛い……誰か、助けてくれぇ」

 

 時折、掠れたような呼吸をしながら、仰向けに倒れている男がいる。

 その男の近くには頭の無い死体と、小さなアタッシュケースが落ちていて、近付いた湊はそれを拾い上げた。

 

「…………」

 

 瞳は蒼いままで、本人も気付かぬうちに、掴んでいた取っ手を握り潰しそうになっている。

 だが、後ろから二人の大人が追い付いてきたことで、僅かに冷静さを取り戻した。

 

「小狼、まだ何もしてないだろうな?」

「もう殺して良かったの?」

「よくないよ。だから、まだ殺してなくて良かったと安堵したところさ」

 

 黒いコートに身を包んだ五代は、そういって湊の頭にポンと手を置いて通り過ぎると、倒れている横島の傍にしゃがんで声をかけた。

 

「君、まだ喋れる?」

「あ、あえ? た、助けて、僕の腕が……」

「ああ、僕も君を助けたい。だから、君はここで何をしようとしていたか、教えてくれ」

 

 弱々しい声で助けを求める横島に、五代は持っていた注射型の痛み止めを打ってから、安心させるよう落ち着いた声色で語りかける。

 錯乱したままでは、まともに情報を引き出すことも出来ない。だからこそ、ここで落ち着かせながら、自分を味方だと思わせて情報を喋らせるのだ。

 横島の声を聞くたびに拳をきつく握りしめている湊は、イリスが後ろから抱きとめているが、いつ拘束を振り解いて殺しにくるか分からない。

 それは五代も理解しているので、焦る気持ちを抑えて、いかに早く情報を得るかと言う事に集中しようとした。

 

「君はどこの人間かな? 相手から、何を受け取ろうとした?」

「ぼ、僕は、桐条の開発者で、システムを立ち上げるデータを貰おうと」

 

 目の焦点は合っていないが、目は五代の方へ向いている。

 ぽつぽつと呟く声を拾い逃さないよう、しっかりと左手に録音用のマイクを持って、相手の口に近付けた。

 

「それは何のシステムだい?」

「け、研究所で使うネットワークの」

「どうしてそんな物を? 自分たちもネットワークの立ち上げは出来るだろう?」

 

 桐条にはコンピュータ関連の事業も存在する。それはハードだけでなく、ソフト面にも対応していた筈で、自分たちで作れるというのに、わざわざ外部の情報を手に入れる意味が分からない。

 単純に商売敵を知ろうと言うのなら話は簡単だが、横島の口ぶりからすると自分たちで使おうとしていた様子だ。

 尋ねて相手をじっと見つめて待っていると、横島は再び口を開いた。

 

「僕たちのいるところは、桐条でも独立してて、メンバーが不足している」

「それで?」

「専門の技術者がいないから、とりあえず最新技術を手に入れようとしたんだ」

 

 横島が現在所属していて桐条で独立した部署となると、エルゴ研の生き残りでメンバーを構成している“ラボ”という研究機関の可能性が高い。

 組織内の物を使うなら、それを専門としている表の部署の人間を引っ張ってこなくてはいけないため、情報の漏洩や拡散を避けるために桐条がそれをさせなかった。

 そのため、ラボの人間はシステム自体は元から存在するものを流用することにし、且つ、それは桐条と無関係のものにしようと思ったのだろう。

 

「それで、何のために新しいネットワークを作ろうと?」

「機密情報を扱ってるから、完全に、外部から遮断された独立したものが必要になったんだ」

「その情報は、ハッキングやクラッキングされると拙いものなのかい?」

「世間にばれると、桐条はなくなってしまう。もう僕たちにも後はないんだ」

 

 そこまで聞いて五代は録音をやめた。

 全ての情報を依頼人に渡す訳ではないが、自分としても知りたいと思っていた、桐条には世間に公表できない部分が実在する証言は手に入れた。

 もうこれ以上手に入れられそうな情報はないと立ち上がり、静かな殺気を振り撒いている湊に視線を向ける。イリスが後ろから抱きしめるように抑えているが、湊の瞳は今も蒼いままだ。

 

「……もういいよ」

 

 五代が声をかけると、イリスが湊から身体を離した。すぐにでも飛びかかるのかと、湊が直接殺す場面を初めて見る五代は、その動向を見守る。

 しかし、五代達の予想は外れ、湊はゆっくり相手の横まで進み、虚ろな瞳で中空を見ている横島を見下ろしながら口を開いた。

 

「第二研の被験体はどうした? 生き残っていたやつもいるだろ」

「生き残った被験体は、主任の命令で薬で眠らせたままにして保存してる……。あいつらはペルソナの容れ物だから」

 

 横島は誰に話しかけられたのかも分かっていないだろう。血を失い過ぎて意識が混濁している状態で、聞かれた事に対し、ただ答えただけだ。

 だからこそ、その言葉に嘘はない。相手にどんな気持ちを抱かせるかも全く考えず、反射的に自分が普段から思っている事を口にした。

 けれど、そんな横島の言葉は、ぎりぎりのところで抑えていた湊の逆鱗に触れてしまった。

 

《――――――――――――ッ!!》

「これが、小狼君の力……っ」

 

 黒いもやが集束して顕現するシャドウ・タナトス。咆哮が空気を揺らし、その姿が人間に死を理解させる。

 見るな、聴くな、触れるな、逃げだせ、近くに立っているだけで本能がそのように命令を発する。

 しかし、脳からの命令に反して、身体は動いてはくれない。目が自然とその姿を追い、耳はいつまでも咆哮を聞き続け、足はその場に縫いつけられたかのように止まっている。

 湊の腕に連動するように、シャドウ・タナトスが青い光を纏った腕を振り上げると、それを横島の心臓目がけて振り下ろした。

 

『っ!?』

 

 およそ人間から聞こえるとは思えないような、骨が折れ、筋肉が千切れ、内臓が破裂するという、それら全てが一瞬に集約された不快な鈍い音。

 それが聞こえた次の瞬間には、重い荷物の運搬に耐えられるよう固く頑丈な素材でつくられた路面が、無惨に破壊される音が港中に轟いていた。

 物理スキルのゴッドハンドではなく、単純に拳で相手を殴りつけただけだが、拳の威力で胸部から身体が上下に分断された横島は息絶えている。

 シャドウ・タナトスの拳が突き刺さり、地面に開いた穴には赤黒い液体が染みこんで溜まっている。

 そして、同調した状態でペルソナが取った動きは、召喚者自身もしたと言う事で、同じように自分の足元に拳をぶつけ、そこから血を流しながら停止している湊がいた。

 痛みを我慢しているのか、アドレナリンが過剰分泌され痛覚が麻痺しているのかは、他の者が見たところで分からない。

 しかし、いつまでもそんな痛々しい姿のままでいさせる気には、イリスも五代もなれなかった。

 

「……小狼、相手は死んだぞ。ほら、手の治療してやるから、こっちこい」

「二人の遺体の回収と処理は僕がやっておくよ。だから、小狼君はイリスのところに行っておくんだ」

「…………」

 

 声をかけられたことで、ようやく反応した湊はシャドウ・タナトスを消すと、小さなアタッシュケースを手にしたまま、フラフラとした足取りでイリスの元に向かった。

 暗い場所での手当ても慣れていない訳ではないが、全力で硬い地面を殴った事で骨に異常が出ているかもしれない。

 そう考え、イリスは狙撃銃の入ったケースを背中に担ぐと、湊の事は両腕で抱き上げて車へと戻って行った。

 

「……ふむ、あれがペルソナか」

 

 遺体を容れておくための寝袋に似た袋を取り出し、男たちの遺体を入れつつ五代は小さくこぼす。

 桜の言葉を聞いても姿や力の規模が想像出来ていなかった。

 しかし、実際に見て、初めて桐条が湊らを確保したがっていた意味を理解出来るようになった。普通の人間があんな力に対抗することなど不可能だと思い知らされたから。

 

「オカルトやファンタジーは、あまり信じていなかったんだけどな」

 

 イリスがタロット占いをよくしていることもあって、五代も話のネタとしてはオカルトも扱う事はある。

 だが、魔法や超常の存在などというものは、馬鹿馬鹿しい創作話としてしか考えていなかった。

 実際に目にしても信じられない気持ちは少なからずあるが、いまさら嘘だと完全に否定する気にはなれない。

 深入りする怖さはあるが、知ってしまったからにはこのままでいられない。ばれないよう細心の注意を払いつつ、今後も桐条の怪しい動向などの情報を集めようと思った。

 そうして、遺体を容れた袋を車の荷台に運び、現場に残った血や肉片の隠ぺい工作を済ませると、湊だけ帰る場所が離れているので途中で別れ、五代とイリスの二人は死体の引き渡しのため車で去って行った。

 

――ベルベットルーム

 

 依頼を終えた後、湊は狭い路地に入ってから契約者の鍵を使って扉を出し、モノクロタイルの境道を通ってベルベットルームに到着すると、椅子に腰かけた。

 それを見やり、気味の悪い笑みを浮かべた老人が口を開いた。

 

「これはこれは、ようこそいらっしゃいました。現実では今は深夜のはずですが、このような夜更けにどのようなご用件ですかな?」

「……依頼、済ませてきた」

 

 湊は言いながらマフラーに手を突っ込むと、なにやら湾曲し表面がツヤツヤした装甲のような物と、年代物のモノクルを一つテーブルの上に置いた。

 イゴールは湊がテーブルの上に置いた物を見て、「ふむ」と短く呟くと、その後ろに控えていた二人の女性が、テーブルに近付きそれぞれ手に取った。

 

「確かに、“甲虫の外殻”をお受け取りいたしました」

「これは見事な品ですね。“アンティークな片眼鏡を持ってくる”、確かに依頼達成でございます」

 

 エリザベスとマーガレット、二人は湊が持ってきた依頼の品を手に取り確認すると、笑みを浮かべてペルソナ全書にそれを挿み、光にして収納した。

「では、こちらが報酬になります」

 

 何も書かれていない茶封筒をポケットから出すと、エリザベスは湊にそれを渡す。

 一体何が入っているのかと、開けて中身を取り出してみると、そこには福沢諭吉と二人の夏目漱石がいた。どうやら、成功報酬は一万二千円であったらしい。

 このベルベットルームの依頼は、先にどんな報酬が手に入るのか教えて貰えないので、初めからこの額であったのかは不明だが、シャドウの羽根を引き千切って持ってきたくらいで金が貰えるのならと、湊はプラス思考で受け取ることにした。

 そして、続いて、もう一人の依頼人も湊に報酬を渡すべく準備していた。

 

「私から報酬として、こちらをお渡しいたします」

 

 言いながら、マーガレットが湊に渡した物、それは青い薔薇の刺繍のされた黒い日傘であった。

 じっと見つめながら、湊が受け取るのを待っているマーガレットの唇の端が小さく揺れている。その事に気付いた湊は、瞳を蒼くして日傘を手に取ると、開きもせずマフラーにしまった。

 すると、仕事モードから素の性格に戻ったマーガレットがつまらそうに湊に話しかける。

 

「あら、どうして品を確認しないの? どんなものか気になるでしょう?」

「……どうせ、俺が女の恰好してるときに使えるようにって、女物の日傘を用意したんだろ。口の端を震わせて笑い堪えてるのがばれてるんだよ」

「気のせいよ。これでも自分のコレクションの中からしっかりと選んだ、品としては確かな物なのよ?」

「だったら、自分が外に出るときに使えば良いだろ」

 

 仏頂面のまま返した言葉を聞いたとき、からかうような笑みを浮かべていたマーガレットの顔に僅かに影が差した。

 

『…………』

 

 同じように、エリザベスとテオドアもどこか気まずそうに目線を伏せる。

 イゴールだけは変わらず不気味な笑みを浮かべて、客人である湊を見ているが、どうして三人の様子が変化したのか、直前の自分の言葉を思い出し、ある可能性に至った。

 

「もしかして……ここから出られないのか?」

 

 ベルベットルームは夢と現実の狭間にある。以前、そんな風にイゴールは言っていた。

 ならば、シャドウやペルソナよりも存在としては不確かで、現実では実体を保つことが出来ず、自由に動き回る事はおろか、物に触れることすら出来ないのかもしれない。

 そして、急に湊は椅子から降りるとエリザベスの腕を掴んだ。本人は気付いていないようだが、その表情はまるで迷子になった幼子のように不安げで、手を振り払えば泣きだしてしまいそうだとも思える。

 エリザベスは自分の腕を掴んでいる小さな手をしばらく見つめると、本を持っていた手を湊の背中にまわして抱きしめ、普段の淡々とした声色に僅かに優しさを込めて答えた。

 

「いいえ、鍛錬の間へと移動したように現実へと赴くことも可能です。厳密には違いますが、人間と変わらぬ身体をしていますので、食事も睡眠も物に触れることも可能でございます。しかし、私共には現実へと赴く理由が存在いたしません。故に、ここより出ることもないのです」

「理由なんていくらでも作れるだろ。買い物がしたい、あれが食べたい、何かを見たい、そうやって自分でどんな理由だって考えられる筈だ」

「そう、ですね。好奇心は確かに胸の内に存在いたします。けれど、自分が何者か、それが分からぬ状態で外界に触れて意味があるのかとも思うのでございます」

 

 いらついた様子で口早に話す湊を少々不思議に思いながら答えるエリザベスは、普段通りの特に感情の籠もらぬ声で言った。

 自分たちは自分の事もまるで分かっていない。だから、外で何を見ても心が震えないかもしれないと、大真面目に答えた訳である。

 実際にそうなれば、確かに怖いだろう。好奇心が存在するというのに、新たな世界に触れても何も感じない。それは、自分の心が死んでいるに等しいと言える。

 もしかしたら、自分に答えをくれるかもしれないと、小さな可能性を感じている存在に対しても、どうせ無駄だろうとネガティブに思ってしまいそうなほどだ。

 そして、ネガティブな思考は続き、一生自分は自分の存在を理解出来ず、いつか自我崩壊を起こして消えてゆくだろうと、そこまで考えてしまうようになる。

 あくまで、それらは可能性に過ぎないが、シュレディンガーの猫よろしく、可能性が五分しかないのなら、自身の存在をベットしてまで賭けに出る事は出来ない。エリザベスはそのように考えていた。

 だが、

 

「……イゴール、三人とも借りてくぞ。全員、いま直ぐついてこい」

 

 そう言うなり、イゴールの返事も聞かず、湊はエリザベスの手を引っ張って扉へと歩き出した。

 流石に、予想外だったのか、エリザベスは驚いた表情をして主へ顔を向けるが、イゴールは何も答えず、困惑する他の姉弟らにもついて行くよう手で指示するだけで、黙って見送った。

 

***

 

 扉を通ってポロニアンモールに出てきた湊は、他の三人の言葉に何も返さず、その場で鳥型のペルソナ“スーツェー”を呼び出して背中に乗って上空へと飛び上がった。

 真夜中と言っても、完全に街から人が消えた訳ではない。月明かりで照らされる巨大な鳥の姿を誰かに見られるかもしれない。

 だが、それを理解しながらも、マフラーをクローク状にしてエリザベスに羽織らせた湊は、黙って雲と同じ高さまで上昇し続ける。

 そして、ようやくペルソナの上昇が止まったとき、

 

『あ……』

 

 空を見上げた三人は思わず声を漏らした。

 眼下には深夜とはいえ、都会の明るい街明かりが広がっている。だが、上空までやってきたことで、それらは遠く離れ、秋の星空がよく見えた。

 満天の星空。その言葉は知っていたが、実際に目にしたことはなかった。まわりは雲海が広がり、遠くの彼方まで見渡す限り星空しかなく、まるで宇宙にきたのかと思ってしまう。

 そうして、呆けていると、エリザベスは自分の頬が濡れていることに気付いた。

 

「これは……?」

 

 エリザベスだけでなく、テオドアもマーガレットもいつのまにか涙を流していた。

 しかし、どうして自分が泣いているのか分からない。とめどなく溢れる涙を不思議に思っていると、勝手にエリザベスの膝を枕にして寝転がっていた湊がようやく口を開いた。

 

「自分を理解できてなくたって、心は震えただろ」

「これは、そうなのですか?」

「自分の感情が何に由来するのか分からないのは、経験が不足してるからだ。三人とも同じ理由かもしれないし、全員違うかもしれない。それは結局、本人にしか分からない」

 

 三人が黙って湊の言葉を聞いていると、自然と涙は止まっていた。

 しかし、胸の中で何かの感情がいまも存在している。

 その答えを知るため、相手が子どもだろうと関係なく。いまここでの言葉は自分たちにとって意味があると感じ耳を傾ける。

 

「自分が何者かなんて俺だって分からない。マーガレットが言ってた“命のこたえ”が、多分それなんだと思う。客に見つけろって言っておきながら、自分たちも見つけてないなんてお笑い草だ」

 

 表情は特になく、ただ黙って星空を眺めている湊だが、マーガレットもその皮肉に何も言い返さない。

 

「だけど、本気で見つけたいって思っているなら、俺だって力を貸す。ベルベットルームの住人は、自由に出る事が禁じられているなら、外の案内を依頼にでも出せば良い。担当者じゃないテオドアだけ駄目だって言うなら、俺が依頼を引き受ける条件にテオドアの同行を足してやっても良い」

「っ……」

 

 その言葉にテオドアの肩が揺れた。

 確かに今日のことは特例で、今後は無条件に現実へ出る事も、湊の担当ではないテオドアが依頼を出すことも認められることはないだろう。

 だが、住人から出される依頼に条件をふっかける者は今までいなかった。依頼は秘密裏に客人の能力を上げる事を目的としているので、受けて貰わねばイゴールも少々困ることだろう。

 となれば、それぐらいの条件で済むのならばと認める可能性はあった。

 

「知識だけじゃ駄目なんだ。自分が何者か知りたいなら、この世界とのコミュニティを築け。その先で、“こたえ”はきっと見つかる」

『――――はい』

 

 三人が返事をすると、時が止まり湊の頭に声が響いた。今回の事で、女帝・皇帝・悪魔の三つのコミュニティとの絆が一度に深まったのだ。

 極まるにはまだまだ遠いが、住人達の心にも何かを残す事が出来た。ならば、これからも絆を深めていけるだろう。

 それからしばらくして、湊は扉を開き三人をベルベットルームに帰すと、エリザベスからマフラーを返してもらい、現実に戻ってタナトスで飛んで帰って行った。

 この日より、依頼書に現実世界の案内が加えられたのだが、湊がそのことを知り受託されるのはもう少し後の事になる。

 

 

 


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