【完結】PERSONA3 Re;venger   作:清良 要

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第三話 エルゴ研

2000年3月20日(月)

深夜――病室

 

 ベルベットルームで急激な眠気に襲われた八雲は、気付くとどこか知らない部屋のベッドにいた。

 身体が上手く動かず、なんとか身体を起こし、壁にもたれ掛って座る形で辺りを見ると、急な眩暈に襲われる。

 

「うっ……え? なんだ、これ?」

 

 眩暈から顔に手を当て、眩暈がマシになってから再び周囲に目を向けて八雲は驚く。

 確かに、さっきまでここはただの病室だった。しかし、再び見ると壁や天井、ベッドに窓を覆うように掛かるカーテンにまでよく分からない黒い線の様なものが引かれていた。

 それは八雲自身の身体にもあり、何かは理解できないが嫌な気配を感じた。

 

「おんやぁ? 物音が聞こえたと思ったら、まーさか目を覚ましていたとは。くっふっふ、グッドモーニング、少年。随分と寝ていましたが気分はいかーがですか?」

「だれ?」

 

 急に隣から聞こえていた声に反応すると、見えていた線が消えた。

 一体何だったのだろうと思いつつ、声の主に聞き返すと声の主である白衣を着た男がベッドに近付いてきた。

 身長はおよそ一七五センチ程度でかなりの細身、年の頃は三十半ばのようだが白髪まじりの長髪をゴムで一つに束ね、分厚いレンズのはまった眼鏡をかけている。そんな風貌の男は、白衣のポケットに手を入れながら八雲を眺めると口を開いた。

 

「私の名前は飛騨(ひだ)。君の身柄を預かっている者とでもいいますか。九月にムーンライトブリッジで保護された君は実に半年もの間眠り続けていたのですよ?」

「半年? そんなはず……」

「まぁ、信じられないのも無理はありません。でーすが、君のその身体がそれを真実だと証明しています。見てみなさい、半年で衰えきったその筋肉を」

 

 言われて八雲は絶句した。平均的だった自分の身体はいまや見る影もなく、骨の上に最低限の肉がついている程度とガリガリに痩せこけていた。

 先ほど起き上がるのも一苦労だった理由も理解した。

 自分は飛騨の言う通り、半年の間眠り続け身体を動かすための筋肉が完全になくなってしまっていたのだ。

 どうして、そんな風になったのかが分からないと八雲は考え込む。

 自分はシャドウと戦って直ぐにベルベットルームという不思議な場所にいたはず。

 そこにいたのはせいぜいが二日にも満たない程度。

 あの急な眠気で意識を失ってから半年が経過したのか?

 そう考えて直ぐに違うと否定する。何故なら、エリザベスたちが気になる事を言っていたから。

 彼女らは現実の自分は寝ていると言っていた。つまり、自分は精神だけベルベットルームに言っていたのかもしれない。

 そんな風にあり得ないと思いつつも、既にペルソナやシャドウ、影時間と言った非日常を体験していた八雲は納得する事にした。

 

「それで、ここはどこなの?」

「桐条グループのラボですよ。通称、エルゴ研と呼ばれていますが、まあ、覚える必要はないでしょう。それより、君は倒れる直前の事を覚えていますか? そう、ムーンライトブリッジでの出来事を」

「……聞いてどうするの?」

 

 古臭い瓶底メガネのようなものをつけているせいで、飛騨の目は見えない。

 だが、表情だけでなく全身から好奇心を滲ませて笑みを浮かべていることから、八雲は冷たい瞳で返した。

 しかし、筋肉が衰え自分で立つ事もできない子供がいくら冷たい視線を送ってこようが怖いはずもなく、飛騨はにやにやとしたまま答える。

 

「たーんなる、好奇心ですよ。君はアイギスに抱かれた状態で発見された、どこの誰とも分からぬアンノウンです。しっかーし、アイギスのメモリーを解析すると、データの大半が破損していながらもシャドウと戦う君の姿が映っていました。そう、君は影時間に自然に適合し、ペルソナを扱える……違いますか?」

「映像がのこってたなら分かってるくせに」

「んっふっふ、研究者としては本人の話も貴重なデータとして聞いておきたいのですよ。まぁ、それはそれとして、目を覚ましたのなら君がこれから過ごす場所へと移動しましょう」

 

 言いながら飛騨はベッドから離れると、入り口の傍にあった畳まれた車椅子を使えるよう広げ、ベッドまで押してきた。

 そして、それをぼんやりと見つめていた八雲を抱え上げると、椅子に座らせ、かけていたタオルケットも膝に乗せる。

 飛騨という人間は、胡散臭い風貌に話し方や人柄自体もかなり特殊な人間のようだが、子供である八雲に細かい気遣いをしている。そのことから、根は悪い人間ではないように八雲は感じていた。

 

――ラボ内廊下

 

 車椅子を押されながら八雲はラボの廊下を進んでいく。

 途中で見える部屋の中には白衣を着た大人たちが何かの薬の様なものを研究していたり。苦しそうにしている子供を見ていたりした。

 子供がどれだけ苦しそうにしていても、周りにいる大人たちは計器類を確認しながら手元の紙に何かを記入するだけで助けようとはしていなかった。

 あれだけの大人がいるのであれば、一人くらいは助けようとしていいはず。自分にはなにも出来なくとも、医者を呼ぶことくらいは出来るだろう。

 しかし、誰一人としてそれをしない。ということは、あれは分かっていて助ける気が無いということだ。

 それを見ていた八雲は怒りから筋力の弱った拳を自然と握りしめていた。

 

「……気になりますか? まぁ、見ていれば分かったでしょうが、ここは非人道的な研究もしています。むしろ、現在の主な研究はまさにそれです」

「あれだけの大人がいて、子どもを苦しめるのがふつうなの?」

「耳が痛いですねぇ。現在進められているプロジェクトは『人工ペルソナ使い』を生み出す研究です。施設にいた子や身寄りのない子を百人程度集め、八つの研究室に分かれさせています。各研究室よって専門が違いますが、投薬や精神操作、また危機的状況に追い込む事でペルソナの発現を促しているのですよ。先ほどの子供もそうです」

 

 軽蔑した目で見られても飛騨は気にした様子もなく奥へと進みながら答える。

 しかし、対照的に八雲の怒りは増していた。

 研究するに至った原因は知らない。けれど、人工的にペルソナを発現させるというのは、きっとシャドウと戦う戦力が必要だからだ。

 自分やエリザベスは簡単に召喚していたが、それでも召喚までに多少の集中を要した。

 だというのに、ここではその集中を阻害しながらペルソナを呼び出させようとする。目的を達成する手段としてはあまりに間違えていた。

 

「あんなので呼べるはずがない。ペルソナは集中しないと呼びだせない」

「たーしかに、ペルソナの召喚には精神状態が強く影響します。で・す・が! 普通の人間は集中したからと言って召喚できる物ではないのですよ。くふふ、君は集中するだけで召喚出来たのですね。素晴らしい、素晴らしいです。君が目覚めるのを待った甲斐がありました」

 

 保護した人間が目を覚まさない事を心配していたという訳ではないだろう。

 どちらかと言えば、自分もこのエルゴ研とやらで研究材料として扱われる方が可能性は高い。

 そう考えつつ、八雲は情報を得ようと飛騨に聞き返した。

 

「目がさめるのを待った? 何のために?」

「君は貴重な自然適合型且つ天然のペルソナ使いですからねぇ。室長らは誰もが君を自分の研究室に所属させたがった。しっかーし、君は一向に目を覚まさない。その間に人々の興味は失われていき、この私の第八研究室の所属にする事が出来たのです」

「じゃあ、飛騨さんも室長なの?」

「ええ、言った通り第八研究室は私の研究室です。といっても、所属しているのは私と君、それから女の子が一人です。最初は五人の子供が配属されたのですが、残念な事に自分のペルソナを制御出来なかった者、タルタロスというシャドウの巣の探索中にシャドウに襲われた者たちは死んでしまい。今は一人しか残っていません」

 

 自分たちの研究に巻き込んで殺したくせになにを言っているんだと八雲は内心憤る。

 だが、飛騨の声色と覗き見た表情からは本当に子供の死を悲しんでいる様子が伺えた。

 それらと、先ほども自分を気遣いながら車椅子に乗せていたこともあり、他の研究員よりは正常な神経を持ち合わせているのかも知れない。

 そう思う事で、八雲は何も言わずに第八研究室と書かれたプレートの部屋へと入った。

 

――第八研究室

 

 ドアを潜るとそこには何かの研究をしているらしい、様々な機械類が並んでいた。

 飛騨は八雲の車椅子をテーブルまで運ぶと、自分は席を離れて奥の部屋へと入っていった。

 その間に八雲は顔をあげて辺りを見渡す。

 第八研室長と書かれたプレートの置いてある執務机、その前に置いてある客用のテーブルとソファー。機械だらけの研究室らしい部屋の内装には恐ろしく似合っておらず、そのギャップから異様な雰囲気となっている。

 機械類は今も稼働しており、色とりどりのランプが点滅していた。

 そうして、少しの間部屋の中を見ていると、奥の方から足音が聞こえ飛騨が戻ってきた。

 

「お待たせしました。彼女が先ほど言っていたもう一人のうちのメンバーです。被験体番号なんてものもありますが、あんなものは人間に付けるものではありません。そう言う訳で、私は少女と呼んでいます。ちなみに君は少年ですよ。さぁ、新しいメンバーに挨拶しなさい」

「……誰? へんなの、骨みたい」

「そーんな失礼な事を言ってはいけませんよ。彼がいなければ私たちはいまここにいなかったかも知れないのですから。それに……なんと、彼は私がずっと探し求めていた自然適合型天然ペルソナ使いなのです。これで君の能力を安定させる方法が見つかるかもしれませんねぇ」

 

 奥から連れて来られたのは八雲と同じ年頃の茶髪の少女。

 無愛想な表情のその瞳で、半年寝たきりでやせ細った八雲を怪訝そうに見ていた。

 一方で八雲も相手の少女を観察する。

 目測だが、同じ年頃という事で男の自分の方が背は高い。無愛想で気だるげな表情をしてはいるが、整った顔立ちをしており素直に可愛いと思った。

 

「でーは、私は飲み物を持ってきます。その間に自己紹介を済ませておきなさい」

 

 そう言って飛騨が奥へと戻っていくと、茶髪の少女はソファーまでやってきてボフっと音をさせながら乱暴に座った。

 八雲はそれを眺めていたのだが、自分が見られている事に気付いた少女が睨むように見ながら口を開く。

 

「なに? なんかよう?」

「え? いや、別に。ああ、ぼくは八雲。君の名前は?」

「名前? チドリだけど……。ねぇ、なんでそんな弱そうなのにここにいるの?」

「なんでって言われても……」

 

 聞かれた八雲は思わず返答に困る。そもそも、ここにいるのは自分の意思ではない。気付いたらここにいて、尚且つ半年も寝ていたという衝撃の展開だったのだ。

 自分としては戦闘後は直ぐにベルベットルームでペルソナの呼び出しの練習などをしていたため、その空白の半年の記憶が無い。

 だから、その間の物事についてこの第八研で理解しているのは飛騨しかいないのだ。

 

「えっと、ぼくは半年間いしきを失ってたらしくて、さっき目をさましたばっかりなんだ。だから、ここにいる理由もよく分かってないんだよ。君はどうしているの?」

「しせつからこっちに来るように言われたから。前にいたこところもあんまり良いところじゃなかったから、大してかわらないけど」

「実験とかされてるのに?」

「ここはとくべつな力を持ったペルソナを使えるやつが集められてるの。だから、他とは少しちがうのよ」

 

 確かに他の場所では今も何かの研究の様な物をしていたが、チドリと名乗る少女は奥の部屋から出てきただけで暇そうにしている。

 鼻歌でベートーヴェンの交響曲第九番を歌いながらトレイに飲み物を持って戻ってきた飛騨がコップを置くと、ストローに口をつけて飲んでいて、至って特別そうには見えない。

 ならば、本当にこの飛騨という男と、その男の管理する第八研だけは特殊な立ち位置なのかもしれないと思った。

 そうして、八雲も自分の前に置かれたコップをよろよろしながら掴むと、ストローでコップに注がれたジュースを吸った。

 

「っ!? ごほっ、ごほっ!!」

「おっと、半年間食事をしていなかったことを忘れていました。急に冷たい物を飲んで身体が驚いてしまったようですね」

「そんな身体でここにいるの? ごはんも食べれないんじゃ直ぐに死ぬわよ」

「分かっていますよ。でーすから、少年には自分で歩ける程度にはなってもらうため、起きたら直ぐに始められるようリハビリのメニューを組んでいます。まぁ、そっちは私ではなく、病院のリハビリ科に連れて行って看護師にしてもらうんですがね」

 

 ジュースを飲んだ瞬間にむせて濡れた八雲をタオルで拭きながら飛騨はチドリに答える。

 それを聞いていた八雲は自分の身体の衰え具合に驚きながら、そのリハビリとやらを始め、一刻も早く元の身体に戻りたいと思っていた。

 シャドウとの戦いの日までの八雲の運動能力は同学年の者よりも頭二つほど飛びぬけ、足の速さで言えば高学年のトップクラスの者らと並ぶほどであった。

 本人にしてみれば、注目される事も多かったが、特殊な家の事情を考えれば別段驚くことでもなかった。

 だが、それでも飲み物すらまともに飲めないほど弱っている事がとにかく悔しい。

 そして、両親が死に、自分は衰えきった状態で訳の分からない研究施設にいる。その原因を作った者らへの怒りが胸の中で黒く渦巻いていた。

 

「おやおや、感情が昂っていますねえ。もしや、その状態でもペルソナを召喚出来たりします?」

「出来ても、お前らには見せない。あんたが他の大人よりはマトモなのは分かった。だけど、子どもをわけの分からないことにまきこんで殺してる。そんなやつらには何もきょうりょくしない。見せるとしたら、お前らを殺すか脅すかするときだ」

 

 むせた事で苦しそうにしながらも、瞳に怒りと憎悪を宿らせる八雲に睨まれても飛騨は全く動じていなかった。

 そして、冷たいジュースではなく薄っすらと湯気を立てている半透明な物を用意しながら、楽しげに答える。

 

「んっふっふー、嫌われてしまいましたねぇ。で・す・が、別に無理に召喚させる気はないので安心してください。科学は人の役に立つべきなのです。でーすから、私もここで人の役に立つ物を研究している。それで人を殺しては本末転倒という訳ですよ」

「じゃあ、ここにいた子どもが死んだのも自分とはかんけいないっていうの?」

「……いいえ、彼らが死んだのは間違いなく私の責任ですよ。まずはじめに言っておきますと、彼女や他の人工ペルソナ使いも自身のペルソナを制御できません。いまは普通にしていますが、定期的に制御剤を投与しなければ暴走したペルソナに自分を殺されてしまうのです」

 

 その言葉に驚き思わずチドリを見る八雲。だが、話に出た本人は気にした様子もなくテーブルに出されたクッキーを食べていた。

 飛騨は追加のお菓子をチドリの前に置くと、八雲に新たな飲み物を渡し、自分も席について続きを話す。

 

「しかし、制御剤はまだ開発段階のモノ。副作用も命を縮めるほど強く。なにより持続時間が短くて使う者によって効き目が違うのです。亡くなった彼らも、疲労からか効き目が薄く、緊急コールが鳴ってすぐに駆けつけたのですが、部屋に着いたときには首の骨を折られて死んでいました」

「……けど、それはちゃんとしたクスリが出来てないことが問題じゃないでしょ。それよりも先に、かってにペルソナにめざめさせたのが問題なんだ」

「……その通りです。君がアイギスと共にデスを倒してくれたために世界は滅びを免れた。しかし、あの日から毎夜0時になると影時間という特殊な時間が生まれるようになりました。そして、月光館学園という場所が影時間の間だけシャドウたちの巣である滅びの塔“タルタロス”になるようになったのです」

 

 話を一度区切った飛騨はコーヒーに口をつける。対して、話を聞いていた八雲は自分が通っていた学校にそんな事が起こっていたと知らず、表情には出さないよう気を付けながら驚いていた。

 影時間という不思議な時間については分かっている。アイギスと戦った時間がそれで、ベルベットルームでも少し説明を受けた。

 しかし、シャドウの巣であるタルタロスとは何だと疑問に思う。

 シャドウとは人から心の一部が抜け出たことで生まれる化け物だ。そんな存在が巣という概念を持つ筈がない。

 ならば、一体何があって種という括りを持たない別固体同士であるシャドウが一ヶ所に集まるのか。

 そんな疑問が浮かんだ八雲だったが、実際に行ってみなければ分からないとして話を再び聞くことにした。

 

「我々は突如現れるようになったタルタロスの探索を始めました。ですが、そこはシャドウたちの巣。通常兵器が効かない相手に我々は為す術がありません。そこで持ちあがったプランがこの人工ペルソナ使いを生み出す事だったのです」

「アイギスは? かのじょみたいなペルソナを使えるロボットが何体もいれば子どもよりも強いんじゃないの?」

「アイギスは損傷が激しく現在も慎重に修理中です。そして、彼女の他にも確かに対シャドウ兵装シリーズの機体は開発されていました。ですが、そこで君の存在が上がったのです。影時間に対する適性を持っている子どもはペルソナに目覚めやすい。そして、そのペルソナは対シャドウ兵装のものよりも強力だとね」

「そんな……」

 

 まさか、人工ペルソナ使いを生み出すという悪魔の実験の発端に自分が関係しているとは思っていなかった。

 アイギスが言うには、自分は両親も同じように影時間に適性を持っていたから高い適性を持っていたに過ぎない。よって、ペルソナについても自分というよりも両親から受け継いだ高い適性による恩恵である可能性が高い。

 それを両親も適性持ちであったことを知らない研究者は、勝手に自然適合型の子どもはペルソナの素養があると勘違いして実験を進めてしまったのだ。

 

「……ぼくは両親もてきせいを持ってたからペルソナを使えたんだ。それを調べもしないで始めるなんて」

「っ、両親も自然適合者だった? 何たる失態! アイギスのメモリーからどーうして、その情報を得られなかったのでしょう!」

 

 急に立ち上がると飛騨は頭をがしがしと掻きながら部屋の中を歩き回る。

 とんでもない過ちを犯してしまったという後悔と、それを事前に防げたはずの情報が見落とされていたという憤りを顔に浮かべながら、机の上にあった紙に何かを書きなぐる。

 そして、それを千切って白衣のポケットに押し込むと、そのまま電話の受話器をあげ、耳に当てながらダイヤルを押して通話を始めた。

 

「私です。いーますぐに、各室長並びに副長を第一会議室へ来るように言いなさい。先ほど、エヴィデンスが目覚めました。そして、彼の証言によれば彼は両親も自然適合者であったというのです。そうです。研究の前提が崩れたのですよ。ええ、今すぐにです。通達をお願いしますよ」

 

 ガチャン、と音を立てながら受話器を下ろし、通話を終えた飛騨を子どもたちはただ見ていた。それに気付いた飛騨は先ほどまでの不機嫌そうな表情をおどけた笑みに変え、話しかけた。

 

「私は少し用事が出来ました。今日のお茶会はお開きです。ずっと寝ていて眠くないかも知れませんが、私もいつ戻ってこれるか分かりません。ですので、少年を君たちの寝床へ案内します」

 

 そういって飛騨は車椅子の後ろに回ると、テーブルから離し、そのまま奥の部屋へと向かい始める。

 奥の部屋だと思っていた入り口の先は廊下になっていて、その途中にいくつもの扉があり。資料室に仮眠室、シャワールームにトイレなど普通に生活できるだけの環境が整っていた。

 そうして、一番奥にある扉の前に立つと扉の横のキーを操作して、プシューと音をさせながら扉が開いた。

 

「ここが君たちの部屋です。ベッドは沢山ありますが、どうせ君たちしか使いません。ですので、好きに使ってください。ああ、トイレと洗面台もありますが、まあ、今の君では自分で歩くことも出来ないでしょうから説明はまた今度ですね」

「ここ、わたしのベッド」

「だ、そうなので、一緒に寝ますか? それとも、まだ会ったばかりなので離れたベッドに?」

 

 にやけた飛騨に尋ねられながら八雲は部屋の内装を見渡す。部屋の広さはおよそ十二帖で、入り口から最も離れた壁側に目の字を横にしたように二段ベッドがくっついて三つ並んでいる。

 チドリが選んだのはその一番左側の下の段で、洗面所とトイレに近いベッドだったのだが。

 それとは別に、縦置きでくっつけるなど何かあった時は不便でしかないというのに、何を考えてこんな配置にしたのだと思いつつ。八雲はチドリの隣のベッドに寝る事にした。

 

「それじゃあ、となりで」

「わかりました。よいしょっと」

 

 八雲が場所を決めると飛騨は車椅子から抱き上げて、狭い入り口側からゆっくりとベッドに寝かせる。

 それを横から柵に肘を置いて見ていたチドリは、寝かせ終わったのを確認すると飛騨よりも先にタオルを取って八雲にかけた。

 

「……ありがとう」

「べつにいい」

「んっふっふ、そのまま仲良く寝てくださいね。ああ、貴女はお菓子を食べていたのでちゃんと歯を磨くように。それと、緊急呼び出しは扉のところにあるキーで99+エンターです。では、お休みなさい」

 

 そういって飛騨は車椅子を壁際に移動させると、電気を消して部屋を出て行った。

 後にはチドリと八雲だけが残るが、チドリはベッドから出ると暗闇だというのにぶつからずに洗面所まで行き。電気を付けて口を濯ぐと歯を磨き始めた。

 シャコシャコと音をさせながら洗面所を出ると、チドリは八雲のベッドの縁に座って八雲を見つめる。

 

「あなた、八雲っていうんでしょ? なんでエヴィデンスって呼ばれてたの? エヴィデンスってどういういみ?」

「え? しらないけど、エヴィデンスっていうのは証拠とか根拠って意味の外国語だよ。たぶん、影時間に適性をもった子どもならペルソナを使えるようになりやすいと思ってたみたいだから、そう思うようになった『原因』って意味で呼ばれてたんだと思う」

「ふーん、ヘンなの」

 

 自分から意味を聞いておきながら、チドリは大して興味がないようで立ち上がると洗面所へと戻っていった。

 そんな相手を見ながら八雲は一人で考える。自分はエヴィデンスなんて言葉は知らなかった。今日初めて聞いた単語なのだ。

 しかし、なぜか直ぐに意味が分かった。加えて、何故だか英語や他の国の言語まである程度理解できる。

 時間が経つにつれてそういった知らない筈の知識を思い出し、自分が寝ている間に何かされたのではという疑問が浮かんでいた。

 

「……学習装置なんて本当にあるのか? 手術したような痕はないみたいだけど、変に頭をいじるくらいなら身体の方をいじって動けるようにしておいてくれたらいいのに」

「なんのはなし?」

「ううん、なんでもない」

 

 シャドウとの戦闘から半年過ぎているのであれば、現在は三月になったばかり。だとすれば、来月には自身は小学校二年に上がる。己の知能が既に小学校低学年のレベルを超えているのを自覚していたが、この少女にそれを話しても不安にさせるだけだ。

 そう思ったため、八雲は隣のベッドに寝転がり柵越しに自分を見つめる少女に笑って返した。

 だが、相手は自分が何かを隠していると直ぐに分かったようで、表情を少しばかり険しくする。

 

「半年も寝ててよくふつうに話せるわね。からだがおとろえ、て、る? って、言ってたけど、それってノドもそうなんじゃないの?」

「っ……そうだね。でも、ここは色んな研究をしているしせつでしょ。それくらい出来るんじゃないかな?」

「そんな一ヶ所だけなんておかしいじゃない。だとしたら、からだだけ何もしなかったのは逃げれないようにするためよ」

 

 八雲はチドリの話を聞き驚いていた。

 彼女は『衰える』という言葉もよく知らないようで、やや疑問形に言っていた。そこから考えるに、年相応かそれより僅かに賢しい程度だと思われる。

 しかし、今のチドリの読みは実際にあり得る話だと思えた。それは普通の子どもが思いつくような発想ではないが、エルゴ研のしている事を考えれば確かに可能性は高いように思える。

 そんな風にチドリの特殊性を認識しつつ、今も柵越しに自身を見つめる相手を見ながら八雲は口を開いた。

 

「確かにそうだね。けど、もう実際に動けないようになってるし、今はリハビリを頑張るしかないかな」

「ペルソナを安定してよべるなら簡単に逃げれるんじゃないの?」

「逃げてその先は? 近所の病院じゃ直ぐにばれるし、遠くの病院ではボクがもたない。どっちにしろ、少しはここで筋力を戻さないといけないんだよ」

 

 そこまで思考を巡らせてから八雲は再びチドリについて考え始める。

 自分も年相応とは言えない発想を度々していたが、チドリもどうやら同じタイプらしく頭の回転がずば抜けている。知識量自体は年相応なことから学習装置を使っている様子は見られない。

 だとすると、稀少な能力が目覚めるには、こういった本人の能力の高さが関係しているのかもしれないと八雲は思った。

 

「……チドリはここは好き?」

「嫌い。つまらないし、痛いことがいっぱいだから。わたしはハカセが担当だからマシだけど、それでもひとりぼっちでこの白い部屋にいるのはいやだった」

「そう。変なこと聞いてゴメンね。僕は死なないから大丈夫だよ。死んではいけないっていう契約が僕を守るから」

 

 最後の言葉だけは相手に聞こえないように呟くと、八雲はそのまま目を閉じて眠りについたのだった。

 

 


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