【完結】PERSONA3 Re;venger   作:清良 要

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第一章 -Moratorium-
第三十一話 中等部入学


2005年4月3日(日)

影時間――タルタロス・15F

 

 牛ほどもある巨大なカブトムシ型のシャドウ、皇帝“死甲蟲”。同種のシャドウ三体が集まり、一人の少女を囲んでいた。

 少女は長い緋色の髪を揺らしながら、拳銃を自分の喉元につきつけ引き金を引く。

 

「メーディア、全部燃やして」

《ルルゥ!》

 

 呼び出されたペルソナ、刑死者“メーディア”は手に持った金の杯から炎を放ち、シャドウたちを燃やしてゆく。

 相手は翅を震わせ逃げようともがくも、身体に燃え移った炎は敵を逃がしはしない。

 そうして、炎が治まると、敵は全て消えていた。

 だが、警戒は最後まで解かない。

 目を閉じて周囲の敵の居場所を調べる。最も近い敵までは数十メートル離れていることが分かると、そこでチドリはようやく召喚器をホルスターに収めた。

 

「ふぅ……」

 

 エルゴ研を脱走したあの日から既に五年の年月が経っている。

 小さかったチドリも三十センチほど身長が伸び今ではおよそ一五〇センチで、二次性徴が始まりだしたことで体つきも徐々に女性的になろうとしていた。

 そんなチドリは一つ息を吐くと、壁に寄りかかり近くで戦闘を見ていた湊の元まで進み声をかける。

 

「終わった」

「ああ、それじゃあエントランスに戻ろう」

 

 答えて湊はチドリと並んで脱出装置へと歩き出す。

 チドリに年月の流れで変化があったように、湊にも見た目の変化が出ていた。

 トレードマークとなった黒いマフラーは変わらず巻かれているが、長かった髪はばっさりと切られ、今では肩にかかるかどうかという長さになり。身長もチドリと同じく三十センチほど伸びて現在およそ一五五センチ。

 声変りはしたものの、まだ成長期を迎えていないため、このままいけば身長は一七〇センチを超えそうだと、桜も湊の成長を楽しみにしている。

 体つきも筋肉がついたことで、服の上からでもがっしりとした体格である事が分かるようになり、いま女装をしても一目で男だとばれてしまうだろう。

 

「ここの敵、つまんない」

「今日の目的はベルベットルームで、戦闘はチドリの要望を妥協して聞いただけだ。明日から学校だというのに、本気になられても困る」

 

 少々むくれた顔をするチドリに、湊は振り向かずに返して歩き続ける。

 チドリがタルタロスで再びシャドウと戦うようになったのは去年の事で、昔は強いと思っていた敵も簡単に倒せるようになってしまった。

 だが、裏の仕事は、学校生活に影響が出るからと未だにさせてもらえず、湊はこの五年間ほぼイリスとコンビを組んで仕事をしていた。

 そのおかげで仮面舞踏会(バル・マスケ)の名はそれなりに知られるようになり、高報酬の仕事を任されるようになっている。

 しかし、仕事をしていない人間の名は知られようがないので、仮面舞踏会は湊の偽名である小狼の個人チームか、またはイリスとのチームだと思っている者も多く存在した。

 

「私も仕事したい。銃だって覚えれば使えるようになる」

「使えるようになる必要はない。銃なんて、普通に日本で生活してる人間が使うものじゃない」

「今はヤクザの家の娘だもん」

 

 淡々と返す湊にチドリも不貞腐れて言い返す。

 二人は養子にはなっていないものの、組の人間からは“若”と“お嬢”と呼ばれるようになり、桜と同じく組の仕事には関わっていないが、命令一つで簡単に動いて貰えるだけの信頼関係を築いた。

 そのことについて、組長である鵜飼は呆れて組員達を散々注意したのだが、鵜飼の孫のような存在である二人を守るのは当然だと、もはや言っても無駄な状態にあるため、変な事に組員を使わないよう二人に言うに留めている。

 もっとも、湊・チドリ・桜の三人は、何かついでの用があるときに、必要になったものを組員に買って来てもらう程度のことしか頼まないので、密かに組員達がしたいと思っている、『組の宝を守るための戦い』は未だ実現していない。

 仮にそんな事が起こるにしても、組の最大戦力である渡瀬と次点で強い湊を投入すれば、大概の組は壊滅に追い込めるので、実際に組員が活躍することはないだろう。

 守る者より守られる者の方が強いというのは悲しいことだが、はっきり言えば湊の方がよっぽど危険な修羅場を潜ってきている。

 奇跡的に生きていたなどという事も一度や二度ではないので、縄張り争いで他所の組のチンピラと喧嘩しているような連中が勝てるわけがないのだった。

 

「エントランスに戻ったら俺はベルベットルームに行ってくる。だから、少し待っててくれ」

「…………」

 

 湊の言葉にチドリは視線を逸らして答えない。しかし、ちゃんとついてきているので話は聞こえている。

 そうして、脱出装置でエントランスに戻ると、湊はベルベットルームへの扉を潜った。

 

***

 

 全体的に青い空間、その名はベルベットルーム。

 現実にすれば五年の歳月が流れたのだが、いまもこの部屋は一定の速度で上昇を続けている。

 もしや、宇宙エレベーターなのではないかと疑った事もあるが、湊は部屋に来ると一切歳をとっていない力の管理者が次女に話しかけた。

 

「頼んでいたものは出来てるか?」

「はい。加工自体はそれほど難しいことではありませんので、既に用意しております」

 

 答えながらエリザベスは湊の前にやってきて、黒い小箱をポケットから取り出し湊に手渡した。

 受け取って湊は小箱の蓋を開けて中身を確認する。小箱の中には、シルバーの金属に濃い青色の石のついた小さなピアスが一組収められていた。

 これはポロニアンモールにある、『Be blue V』というアクセサリーショップで中学校への入学記念に先日チドリと買ったもので、湊が左耳に、チドリが右耳に付けることになっている。

 だが、二人は仕事やシャドウとの戦闘などで、せっかく買った物が壊れてしまうのではないかと思った。

 そこでベルベットルームという現実とは別のテクノロジーを持った者を頼り、ハンマーで殴ろうと壊れないよう加工して貰っていたのだ。

 入学式を明日に控え、どうにか間に合って良かったと内心で安堵するが、それらは湊の表情には全く出て来ない。

 すると、アクセサリーを受け取っていた湊に、仕事ではなくプライベート状態のマーガレットが声をかけてきた。

 

「子どもの癖に色気なんて出して、学校というのはそういった装飾品に厳しいものではないの?」

「子どもは自分で思っているよりもずっとガキだけど、大人が思っているよりは少し大人なものだ。他の人間がどう言ってこようと、新しい繋がりを奪おうとするなら、それ相応の対応をする」

 

 ポケットに入れた小箱を手で遊ばせながら答える相手に、マーガレットは思わずため息を吐く。

 湊はピアスを買ったときにチドリが嬉しそうにしていたので、その表情を陰らしてまで校則は守らなくてはいけない物なのかと考えて発言したのだが、マーガレットには単なる我儘にしか聞こえなかったのだ。

 テオドアはよく分かっていないようだが、エリザベスも苦笑している事から、湊の今の発言は少々子どもっぽい理屈に聞こえたらしい。

 しかし、湊の優先順位はしっかりと理解しているので、あえてそこには触れず、別の話題に移した。

 

「それで、この度の依頼の報酬ですが、八雲様は私に一体何をくださるのでしょう? よもや、“お礼の言葉”などという形にも残らない物だけで済まされる事は、当然ないと思っておりますが」

「……何が欲しい?」

「そんな、私から強請るなど滅相もございません。まさか、数日もの時間があったというのに何も用意しておられないとも思っておりませんし。八雲様ともあろう方が、親しい者を“都合の良い女”として扱う筈がございません。ですから、私は八雲様の“感謝の気持ち”を頂ければ結構でございます」

 

 男女問わず魅了するような、綺麗な微笑を浮かべてエリザベスは妙に芝居がかったイントネーションを挿みつつ言い切った。

 慣れた者にとっては、どこか人形めいた現実感のない作り物の表情なのだが、それだけに裏の本音も分かり易いため湊は少しばかり考え込む。

 湊がいまのエリザベスの言葉から読みとった本音は『自分も何か欲しい4:湊の反応で遊びたい5:チドリとの仲に少し嫉妬1』といった感じだ。

 理由の半分以上が、自分が困っている姿を見ることの時点で考える事を放棄したいが、相手も案外子どもっぽい性格をしているので、ここで何も渡さずに帰れば、次回ここを訪れたときに口を聞いてもらえなくなってしまう。

 それで不都合があるかと言えば、湊には特にないのだが、拗ねたエリザベスのストレスの捌け口に末弟がなるのは忍びない。

 そうして、湊が考えた末に選んだ“感謝の気持ち”は、エリザベスを抱きしめることだった。

 

「っ……」

 

 少年の背丈はまだ相手に追い付いていないが、逞しくなった体躯で細い女性の身体を強く抱きしめる。

 力を込めれば簡単に壊れてしまいそうな、脆い美術品を扱うように丁寧な仕草で腕を腰にまわし、優しく髪を梳いて頭を撫でる。

 その間、エリザベスは抱き返しもせず、湊にされるがまま黙って立っている。

 すると、少年は相手の耳元に口を近づけ、男のものに変わり始めた低い声色で囁くように呟いた。

 

「ありがとう、エリザベス。本当に感謝してる。だから、また改めて礼をさせて欲しい」

「……フフッ」

 

 若さに反して落ち着いた色気を感じさせる相手から、そっと胸を押して身体を離し、エリザベスは楽しげな表情で湊を見つめる。

 身長はまだ足りていないが、抱きしめ方も手慣れた様子で対応としてはほぼ満点と言って良いだろう。それに次のアポイントの取り方も実に自然だった。

 これが仕事のために身に付けられた技術であることは重々承知しているが、それでも受けてみて悪い気はしなかった。

 そのため、エリザベスは“また改めて”に期待し、今回は湊を帰してやることにした。

 

「では、その時を楽しみにお待ちしています」

「ああ、次はちゃんと用意して会いに来る」

 

 別れ際、湊はエリザベスの頬にキスを一つ落としてエントランスへと帰って行った。

 長女はそれに眉を顰めたが、末弟はわずかに目を見開き、次女は触れられて熱くなった頬に手を当てて見送るだけだった。

 

 

4月4日(月)

朝――月光館学園・中等部

 

 月光館学園。それは、巌戸台港区にある人工島“辰巳ポートアイランド”に存在する、広大な敷地を持った初等部から高等部まである私立校である。

 その中等部の入り口となる校門には、『月光館学園中等部・入学式会場』という看板が立てられていた。

 さらに、敷地内にある講堂の入り口には『月光館学園中等部・入学式』『ご入学おめでとうございます』と二つの看板が立てられているので、多くの生徒と保護者は、そちらで写真を撮っていた。

 皆、明るい笑顔を浮かべて今日から始まる学校生活に胸を躍らせているようだ。

 

(ほーんと、皆、楽しそうだなぁ)

 

 そんな中、校門の傍に立っていた茶髪の少女、岳羽(たけば) ゆかりは、両親と共に笑いあっている生徒を見て、僅かに表情を曇らせていた。

 

(お母さん遅いなぁ。先に教室に入っちゃおうかな?)

 

 ここに彼女が立っている理由、それは入学式へとやってくる母親との待ち合わせのためだ。

 ゆかりは、月光館学園への入学を機に学生寮へと入った。入学直前ガイダンスや学力テストを受ける必要があったので、入寮自体は三月の中頃に済ませている。

 そのため、実家からやってくる母親とは、入学式の前に一度落ちあう事になっているのだ。

 しかし、入学式は十時からだが、生徒は九時までに本日発表されたクラスの教室に一度行かねばならない。

 高等部からは十クラスだが、中等部は六クラスで、寮で知り合った者が同じクラスにいるかなど気になっている事もある。

 約束の時間は既に十分ほど過ぎているため、メールだけ送ってクラスを見に行こうかと思ったとき、薄いピンクのスーツを着た女性が声をかけてきた。

 

「ゆかり、遅れてごめんね」

「遅いよ、もう。遅れるときはちゃんと連絡してよ」

「ええ、次からは気をつけるわ。時間はまだ大丈夫?」

 

 やってきた身なりの良い女性は、ゆかりの母親である岳羽 梨沙子(たけば りさこ)。名家の出身で、そのおっとりした雰囲気から、かなりのお嬢様育ちであることが伺える。

 だが、娘のゆかりは対照的にサバサバした性格で、時計で時間を確認すると、ムスッとした顔で母親に返した。

 

「結構、ギリギリ。あと十五分で教室にいかないと行けないもん」

「そう。じゃあ、写真を撮ったらお母さんは会場に行ってるね」

 

 娘の言葉に笑って返すと、梨沙子は鞄からデジタルカメラを取り出して、講堂の看板のところへ向かいだした。

 遅れてきたというのに、随分とマイペースなものだと、振り回される精神的疲労から思わずため息をこぼす。

 しかし、追わない訳にもいかないので、母親の後を追おうとしたとき、校門の前に一台の車が止まった。

 

「うっわ、高そうな車。やっぱり、お金持ちだからって入学する人もいるんだぁ……」

 

 月光館学園の学費は一般的な私立とそう変わらない。制服などは僅かに高かったりもするが、生地の丈夫さを考えると、決して高い物ではない。

 だが、校舎の新しさや、学校内の備品は高級な物を揃えているため、学習環境の良さから裕福な者が子どもを通わせようとしたりもする。

 ゆかり自身は、少しぎくしゃくしている母親と距離を開けたいことや、数年前に死んでしまった父の事で知りたい事があるため入学を決意したという事情があるのだが。

 いま目の前で止まった車の主は、自分とは違う裕福だから入学を決めた者だろうと思い、思わずどんな者か確かめたくなった。

 そして、運転席からサングラスをかけた強面の男が出てくると、校門側に回り込んで車の扉を開けた。

 

(うえっ!? あ、赤髪にピアス? それに、男子もピアスにチョーカーにマフラーって装飾品多過ぎでしょ。学校に何しに来てんのよ)

 

 降りてきた者を見て、ゆかりは心の中で思わずツッコミを入れてしまった。

 助手席から降りてきた母親らしき着物の女性の若さもツッコミ所だが、それよりも制服を着た女子と男子の方が人目を引いている。

 一人は真っ赤に髪を染めて右耳にピアスをした女子。一人は左耳にピアスをして、首には黒いマフラーとその下に何やら石のついたチョーカーを着けている男子だった。

 二人に笑顔で話しかけている母親の雰囲気は、どこか自分の母親と似ているように思ったが、子どもは笑顔も見せずつまらなそうにしている。

 そんな異色な存在に暫し視線を奪われていると、梨沙子が不思議そうに自分を待っていたので、彼らと同じクラスにならない事を祈りながら、近くにいた家族に写真を撮ってもらい、ゆかりはクラスを確認すると教室へ向かったのだった。

 

***

 

(この世界に神様なんていない……)

 

 教室から講堂へと移動してきて、生徒用の席についたゆかりは心の中で呟いていた。

 二・三年は定期考査の成績が基準となるが、一年のクラスは入学前に受けた学力テストの成績を基準に決められていると寮の先輩から聞いた。

 となると、自分のクラスに新入生代表の挨拶を務める“真田 美紀(さなだ みき)”という生徒がいたことから、バランスを取るため必然的に成績の悪かった者が割り振られることになる。

 今まさに、黒のリボンをカチューシャのように結んだ姫カットのその少女が壇上で代表の挨拶をしており、実に堂々として様になっているというのに、隣でポケットに手を入れたまま寝ている黒マフラーのクラスメイトを見て、こいつがバランスを取るための成績下位者なのは確定だと思わずため息を吐きたくなるのはしょうがなかった。

 

(つか、赤髪の子も同じクラスって、二人揃っておバカさんなのね。兄妹にしては似てないけど、親もちゃんと躾けなきゃ退学になるわよ?)

 

 出席番号の関係から赤髪の女子は離れているが、同じクラスであることは既に確認している。

 二人が揃って教室に入ってきたときなど、今まで話していた声がピタリと止まったくらいなのだから。

 

『――挨拶とさせて頂きます。新入生代表、1年D組、真田美紀』

 

 そんな風にゆかりが考えていると、新入生代表の挨拶が終わっていた。

 生徒や保護者からの拍手の中に、「うおぉぉぉ! 美紀ぃぃぃ!!」という奇声が混じっていた気もするが、何にせよ会場内はかなり五月蝿い状態だ。

 だというのに、隣の男子はずっと眠ったままでいる。寝息も聞こえず、顔の血色も悪いように見えるため、本当に大丈夫なのか少々心配になったゆかりは、相手の肩を揺らし小さな声で話しかけた。

 

「ねぇ、君、大丈夫? 気分悪いの?」

「……なにか言った?」

「いや、顔色悪いし……あれ? 戻ってる?」

 

 声をかけると相手は目を覚ました。近くで見ると、相手の瞳が金色をしていることに気付くが、それよりも先ほどまであんなに悪かった顔色が戻っている。

 その事を不思議に思いつつ、とりあえず大丈夫そうなら良いかと、ゆかりは相手に声をかけた理由を話すことにした。

 

「えと、寝てたから、気分悪いのかなって思って。大丈夫なら、別に良いんだけど」

「別に、問題ない」

「そ、そっか。気分悪くなったら言ってね。先生呼んであげるから」

 

 引き攣った笑顔でゆかりが返すと、相手は軽く頷いて再び寝始めてしまった。

 教育委員長など来賓の挨拶はゆかりも興味が無かったので、特に意味はなかったが暇つぶしに寝顔を見つめていると、徐々に顔色が悪くなっていることに気付く。

 やはり、先ほどのことは見間違えではなかったようだ。

 

(寝ると顔色悪くなるって大丈夫なのかな? 体質にしても、検査とか受けた方が良いと思うんだけど)

 

 俯いて顔が影になっていても、明るい場所では顔色の悪さがはっきりと目立つ。自分は相手の顔色の変化の規則性を偶然にも理解したが、知らない者には一種の恐怖となるだろう。

 小学校と同様に、中等部に入ってからも校外学習や修学旅行で何泊かすることもある。

 教師側には家族から事情の説明がいくと思われるが、同じ部屋で寝る事になった者たちは、きっと困惑してトラウマになる者もいるのだろうなと、ゆかりはいまこの時点で同情を禁じ得なかった。

 

「……ねぇ、それって体質? 先生、呼ばなくて良い?」

 

 未来でトラウマを覚える相手に同情した矢先、ゆかりは再び男子に声をかけていた。

 心配症というより、身近な場所で困っている人がいたら、つい手を差し伸べずにはいられない面倒見の良い性格をしているらしい。

 小さな声なのでまわりには聞こえていないが、周囲から浮いている男子に話しかけていることには、他のクラスメイトも気付いている。

 冷たい雰囲気と、ピアスを開けていることから、既にまわりからは不良と思われている相手に話しかける。そんな勇気の要ることを実行に移したゆかりをまわりはジッと観察した。

 すると、話しかけられた男子は、ゆっくり目を開けた。

 

「……お前が何を言ってるか分からないけど、呼ばなくて良い。ただ寝てるだけだ」

「お、お前って言った? ちょっと、初対面の相手に失礼だよ?」

「……どうでもいい」

「なっ!?」

 

 人を“お前”などと呼んでおきながら、それを注意されると今度はどうでもいいと切って捨てた。そのあまりに非常識な態度にゆかりは頭に血が上るのを感じる。

 入学式というめでたい場で、大声を出して怒鳴りつける気はない。

 しかし、これから最低でも一年は同じクラスで机を並べて勉強していくのだ。その最初の時点から、このような態度は良くないだろうと、声を抑えて注意する。

 

「あのね、私は貴方を心配して声をかけたの。それで“お前”って言われたのが気になったから、そういうのは良くないよって言ったわけ。なのに、“どうでもいい”はないでしょ?」

「“心配して頂いてありがとうございました。自分は大丈夫なので、気にかけて頂く必要はありません”」

「そっちはもう良い。つか、棒読みで言うな! ったく、どんな躾け受けてんのよ。とんだ我儘プーったらありゃしないわ」

 

 最初に感じた不良という印象、それは決して間違いではないが、ゆかりは少しの会話でどちらかと言えば不真面目なのだなと認識を改めていた。

 相手の人間性はまるで知らないが、体調を気遣ってくれた初対面の相手にここまで馬鹿にした態度を取るのだ。それがまともな性格のはずがない。

 桜も咲いている春にマフラーを巻いているのも不自然だが、中等部では校則で禁止されている筈のアクセサリーをいくつも着けている。

 親が金を払って学校に黙認するよう口利きした可能性があるにしても、校則を破って自分のしたいようにしている相手に、ゆかりは呆れを通り越して、むしろ自分が更生させてやろうか思い始めていた。

 

「私は岳羽ゆかり、“お前”じゃない。そんな呼び方をされても返事をする気はないから、そのつもりで、よ・ろ・し・く!」

「たけば……ゆかり?」

「そう、山岳の岳に、鳥の羽根で岳羽。ゆかりは平仮名よ」

 

 自己紹介をして名前を教えると、男子は目を少し大きく開いてゆかりを見つめ返してきた。

 別によくいる名前ではないが、それほど珍しくもなければ、所謂、DQNネームやキラキラネームと呼ばれる類いの物でもない。

 だというのに、何が気になるかと思いながら見ていると、男子は俯いてボソボソと何かを呟いている。

 

「岳羽……ゆかり……」

「合ってるよ」

 

 ちゃんと名前を覚えようとしているのか、男子はゆかりの名前を俯いたまま呟く。

 男子に名前で呼ばれる事など殆ど経験がないのでこそばゆい気もするが、今はフルネームで言っているだけなので気にしない。

 しかし、相手はまだ俯いて呟き続けている。

 

「……岳羽ゆかり」

「そうだってば」

「岳羽」

「しつこいわ! 合ってるって言ってるでしょうが! そんなに何度もフルネームで呼ぶな!」

「……最後は呼んでない」

 

 意味もなく名前を呼ばれ続け、ゆかりは耐えきれず思わず怒鳴っていた。声量は抑えているが、周囲の者たちには聞こえていたため、その視線は二人に集中している。

 だが、ゆかりは感情が昂っているため気付いていないようである。

 そして、彼女をそんな状態にした張本人は、どこか遠くを見ているような虚ろな瞳でゆかりをジッと見つめた。

 

「…………」

「なに? ってか、君の名前は? 私が名乗ったんだから、君も名前教えてよ」

「名前は、有里湊」

 

 相手に言われた事で名乗り、湊は携帯のメモ画面で自分の名前を打ち込んで、ゆかりにどんな字を書くのかを見せた。

 一度見たら当分忘れられない目立った容姿だが、一応、教えられたばかりの名前と顔をちゃんと覚えて、自分の中ですぐに一致するようにしておく。

 そうして、相手が携帯を出していたので、ゆかりは式の進行具合に目をやり、まだまだ時間が掛かる事を把握すると、自分も中学への入学を機に先月買ったばかりの携帯を取り出した。

 

「連絡先、一応、交換くらいしとく?」

「……先に送る」

「了解。はい、どうぞ」

 

 赤外線でデータを送り合うため、お互いの携帯のIrDAを向けあって、電話番号とアドレスを交換する。

 ゆかりは、母親と親戚以外では寮で知り合った者と交換しただけなので、登録された湊のアドレス番号はまだ若かった。

 しかし、まだ持って間もないため、たった一人増えただけでも何やら嬉しくなってくる。

 知らず緩んでいた口元を湊がジッと見ていたが、少しするとそれも治まり、ゆかりは携帯を仕舞って湊に話しかけた。

 

「有里君さ、あの赤髪の子と兄妹なの?」

「違う。同じ家で暮らしているけど、別に親戚という訳でもない」

「そうなんだ。だから、同じクラスになれたのねぇ。普通、兄弟姉妹って同学年でも別クラスになるもんだし」

 

 どうして一緒に暮らしているのかも気になるが、流石に急にそこまで聞くのは失礼だろうと、自分の中で湧いた好奇心を抑え込む。

 兄妹でないなら、少なくとも同じクラスになるために不正な事をしたわけではないはず。

 ならば、もう一つの質問の答えによって、相手が家の力を使って傍若無人な態度を取る者ではないと、いま抱いているマイナスのレッテルを取り払うことも出来るだろうと思った。

 

「もう一つ聞きたいんだけどさ。髪染めるのもだけど、カラコンとかピアスって中等部の校則では禁止されてたよね? そういうの気にしたりしないの?」

「……俺の目も、チドリの髪も自前だ。治療の副作用みたいなもので、色素自体が変化したから、治しようがない」

「え、あ、そうなんだ。ごめんね、知らずに失礼なこと言って。でも、ピアスは? 君、さらにチョーカーとかも着けてるよね?」

「別にファッションじゃない。大切な人との繋がりのために着けてる。だから、外せっていわれても聞く気はない」

「つ、繋がり、ね……」

 

 ファッションかと思いきや、中々にシリアスな雰囲気でしっかりと言い切られてしまっては、中途半端な優等生っぷりを見せようとしていたゆかりも言葉に詰まってしまう。

 流行だからと、整髪料で髪を立てていたり、だらしなくズボンを下げている男子よりは清潔感もあって、自分の中では不快さを感じない。

 もちろん、本人の雰囲気も相まって他を寄せ付けない威圧感は放っているが、話してみると普通に受け答えをしてくれるため、ゆかりとしてはクラスメイトとしてやっていけそうだと認識を改めたところだ。

 そんな相手が、我を通そうと言うからには、きっと大切なものなのだろう。

 湊が我を通すため、もしも校則を改定させることが出来れば、自分もアクセサリーでお洒落したいと思っているので、ゆかりもその我儘から来る行動力に密かに期待を寄せるのだった。

 

昼――教室

 

 入学式が終わると、生徒達はホームルームに戻っていた。講堂では入学式に続けて保護者向けの説明会をしているので、生徒らにも今後の行事予定などの連絡をするのだ。

 ゆかりのいる1-Dは教室棟の四階にある。生憎と、街や海があるのは廊下側なので、教室の窓から見えるのは学校の中庭や体育館だが、ゆかりは窓から二列目のため、どちらにせよ見る事は出来なかった。

 講堂で座ったときには一列の折り返しの人数から、湊とゆかりは隣同士だったが、教室では湊は窓際一列目の前から二列目、ゆかりは窓際二列目の前から五列目と随分離れていた。

 むしろ、教室で湊の隣なのは、新入生代表という学力テストで一位の者が務める係となった真田美紀の方だ。

 現在は担任が話しているため話しを聞いている両者は喋っていないが、“優等生の美紀”が“不良の湊”に何かされはしないかと、外見のみで判断して勝手なことをクラスメイトたちは心配していた。

 そのことについて、ゆかりが僅かに湊の方を心配していると、

 

「えっへへー、私はこれから一年あなたたちの担任を務めます“佐久間 文子(さくま ふみこ)”です。私も皆と一緒で今年学校にきたばっかりの新米だけど、一緒に頑張っていきましょうね」

 

 カツカツとチョークの音をさせながら、自身の名前を黒板に書いて、スカートタイプのリクルートスーツを着た紫がかった長髪の女性教師が挨拶をした。

 教師一年目で、いきなり担任を持つこととなり普通は緊張するようだが、教壇に立っている相手は気にした様子もなく、ニコニコと満面の笑みを振りまいて生徒をみている。

 耳の後ろ辺りの髪を三つ編みのようにして左右とも肩から前に垂らしているが、動くたびにそれをふわりと揺らして、教師というよりお姉さんのような感じで生徒に慕われそうな印象だ。

 

「まだ時間はあるから、皆も自己紹介をしていっきましょー。名前・これから頑張っていきたい事・一言、その三つで自己紹介してください。それじゃあ、出席番号一番、相沢さんお願いしまーす」

「はい。相沢友子です」

 

 湊の前の席の女子生徒が立って自己紹介を始めた。その後ろで、湊は連絡事項をメモしていた手帳を見つめて、暇そうにしている。

 すると、すぐに湊の番がやってきた。教師に呼ばれ、湊は左手をポケットに入れたまま立ち上がる。

 

「有里湊。とりあえず、クラスメイトの顔と名前を覚える。どうぞよろしく」

「えっとー、クラスの皆の顔と名前を覚えるっていうのが、頑張っていきたい事なのかな? じゃあ、先生とどっちが先に覚えるか競争だね。はい、ありがとうございましたー」

 

 淡々とした自己紹介にクラスメイトの何人かの表情が引き攣った。けれど、楽しそうにしている担任は、それに気付かなかったようで、湊を静かな生徒と認識したらしい。

 そうして、笑顔で上手い具合に進行させてゆくと、山岸という生徒の自己紹介が終わり、最後であるチドリの番がまわってきた。

 長い赤髪という、湊の黒マフラーよりある意味目立つ存在に、クラスメイトの注目が集まる。

 顔の造形こそ整っているが、無愛想なため少々きつ目に見え。教室でも講堂でも、まわりをずっと無視していたのだ。

 そんな相手が、一体どのような自己紹介をするのか、皆の注目が最高潮に達したとき、チドリが口を開いた。

 

「吉野千鳥。部活っていうの? それにでも入ってみたらって湊に言われたから、見学はするつもり。よろしく」

「吉野さんは、どんな部活に入りたいのかな?」

「どんなのがあるか知らない。けど、美術部とかその辺りが妥当って聞いてる」

 

 挨拶を終えた後も担任はチドリに話しかける。他の生徒にも同じようにしていたので、単純に相手とコミュニケーションを取ることが目的なのだろう。

 他の生徒が軽く尊敬するほど、佐久間は自然にチドリと話を続けている。

 

「聞いてるって、さっき言ってた人から?」

「そうよ。湊なら、そこにいるでしょ」

「あっ、そっか、有里君のことだったのね。吉野さんと有里君はよく話すの?」

「家、一緒だもの」

 

 チドリが答えると、佐久間は少し驚いた表情で、手元にある帳簿を開いて何やら読み出した。

 生徒の名前などは事前に把握しておいたようだが、流石に住所までは見ていなかったらしく、開いてほぼすぐのページと後ろの方のページを交互に見て、「わお!」と驚きつつ感心したように頷いている。

 他の生徒達も、佐久間の反応からチドリの言葉が真実だと理解したようだ。

 

「そうだったんだぁ。じゃあ、お休みのときの連絡とかは頼んじゃおっかなー」

「……多くないならね」

 

 表情は面倒くさそうだが、チドリは佐久間の言葉に小さく頷いて了承した。

 湊と同じように周囲から浮いているが、相手を無視したりはしない辺り、見た目よりも付き合い易いのかも知れない。

 そんな風にゆかりが思っていると、佐久間は帳簿やファイルを片付けながらホームルームを締めくくった。

 

「それじゃあ、時間だから今日はこっこまでー。明日は身体測定だから、体操服を忘れないでねー。全員起立、礼」

『ありがとうございました』

「気をつけて帰ってねー」

 

 教室を出ていく生徒に佐久間は笑顔でブンブンと手を振っている。それを眺めながらゆかりも鞄を持つと立ち上がった。

 湊とチドリの出現により、最初は今後の学校生活に不安を覚えたが、実際に接してみると悪い人でないという印象だった。

 教師も中々に良い人そうなので、ゆかりは今後の学校生活に期待を持ちつつ、母親と一度落ちあってから寮へと帰って行くのだった。

 

 

 




原作設定の変更点
中等部のクラス数を4から6に変更
高等部のクラス数を6から10に変更

本作内の設定
中等部は1クラス38~42人
高等部は1クラス40~45人

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