【完結】PERSONA3 Re;venger   作:清良 要

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第三百十一話 善の犯した罪

――ヤソガミコウコウ

 

 校舎にあるダンジョンから溢れてきたシャドウたちが玲を攫い。グラウンドの時計塔へと吸収されると、校舎と変わらぬ高さだった時計塔は入口からでは天辺が見えぬ巨塔になってしまった。

 今まで青空が広がっていたというのに、時計塔の変化に合せて今では暗雲が空を覆っている。

 玲の心の内を聞いた直後、突然シャドウが溢れ時計塔も変化してしまった事で、一同は状況が理解出来ず困惑している。

 だが、善はシャドウたちが今回の行動を取った理由が想像できたのか、塔の天辺で玲を捕らえている機械仕掛けの大蜘蛛の方を睨んでいた。

 そんな彼に事情を聞こうとりせが口を開こうとすれば、彼女よりも先に後ろにいた湊が声を発した。

 

「……もう良いだろ?」

「っ……そうだな。君たちの世界へ繋がる扉は既に開いている。ここまでして貰えれば十分だ。玲の事は私の方で何とかする。本当にありがとう」

 

 湊に声を掛けられてハッとした表情で振り返った善は、すぐに驚きを隠すと真剣な顔でそう言った。

 元々、七歌や鳴上たちは無理矢理にこの世界に連れて来られ、元の世界に帰る方法を探していたのだ。

 一番可能性の高い方法だと思われていたのが、ダンジョンを攻略する事で鍵が外れてゆくベルベットルームに置かれた扉で、全てのダンジョンを攻略し終えた事で扉は開く状態になっている。

 二枚ある扉はそれぞれが七歌たちの時代と鳴上たちの時代に繋がっているため、既に帰る手段を手に入れた彼らがこの世界に留まる理由はない。

 そのため善がこれまでの事に礼を言って頭を下げれば、捕まった玲をそのままにこんな中途半端な状態で帰れるかと花村が反論する。

 

「ちょ、待てって! いくら何でもこのまま帰るなんて出来ねーよ!」

「ああ、陽介の言う通りだ。仲間が捕まった状態で帰る事は出来ない。それに善だって自分一人でどうにかなるなんて思ってないんだろ?」

「それは……」

 

 封じられていた記憶が戻ったことで善の持っていたクロノスの力は少し回復している。

 だが、その大部分は失われており、一人では二つ目のダンジョンのF.O.Eを倒すのも苦労するだろう。

 ダンジョンは後に見つかったものほど敵が強くなっていたので、最後に現われた時計塔も稲羽郷土展と同レベルかそれ以上の強さを持った敵がいるはず。

 そんなところへ一人で潜入し、敵に見つからずに玲の許に辿り着くことなど不可能。

 仮に辿り着くことが出来たとしても、玲を捕らえている機械仕掛けの大蜘蛛に勝てるビジョンが浮かばなかった。

 図星を突かれて言葉に詰まって俯く善に、しょうがないなと苦笑して七歌が助け船を出す。

 

「善君、そういう時は一緒に玲ちゃんを助けて欲しいって言えば良いんだよ」

「だが、君たちの目的は既に達したはずだ。無理矢理にこの世界に呼ばれた君たちには、元の世界に待つ者もいるだろう」

「確かに向こうにゃオレっちの帰りを待ってる女の子たちがたくさんいるけど、女の子見捨てて帰ったらヒーローの名折れだっての」

 

 頭の後ろで腕を組んだ順平がおちゃらけて言えば、他の者たちは思わず笑ってしまう。

 それにつられて善も小さく笑えば、玲のために帰還を延期させた事を申し訳なく思って頭を下げた。

 

「本当に、すまない」

「こういうときは“ありがとう”だろ?」

「ああ、ありがとう」

 

 謝られるよりも礼を言われた方が気分が良い。順平が小さく訂正すれば今度こそ善は笑顔で礼を言った。

 これから先ほどのシャドウの行動や時計塔の変化、さらに善と玲が出会ったときの話などを詳しく聞く必要がある。

 ただ、その前にこれから玲を助けに行くという方針が決まった事で、玲が攫われた直後も冷静に帰ろうとしていた青年にアイギスたちがもう少し待って欲しいと頼んだ。

 

「八雲さん、そういう訳ですので帰るのはもう少し待っていただけませんか?」

「ウチらも玲ちゃんを助けてから帰りたいねん」

 

 アイギスと一緒にラビリスも玲が心配だと言ってもうしばらくこの世界に残る事を望む。

 そも、ベルベットルームごと引き込まれたせいでやってきたエリザベスたちと異なり、湊ほどの力を持った存在ならベルベットルームに強制転移させてから招くという手段は使えない。

 そのため転移時に別行動だった彼だけは呼ばれず、無理矢理にこの世界に渡ってきた訳だが、その目的はアイギスたち姉妹とチドリを元の世界に連れ帰る事だ。

 本人たちも彼が自分たちを助けるためだけに来てくれた事は理解している。

 他の者たちにとっても必要な生活環境を整えたのは彼の善意であり、本当なら彼がここまで頑張る必要もなかった。

 だというのに、帰る手段が手に入ってからも待って欲しいと頼むのは単なる我が儘だ。

 仲間だから放っておけないと言っても、それはアイギスたちにとっての話であり、湊までその意見に従う理由はない。

 逆に、彼がこれまでしてくれた事を思えば、他の者たちは湊の意見こそ優先すべきで、ここで湊が全員を眠らせて元の世界に繋がる扉へ放り込んだとしても文句を言えない立場だ。

 それを分かっていながらアイギスたちが自分の気持ちを伝えたのは、彼も玲の事が気になっていると思ったからであった。

 そうして、湊がどう返してくるのか待っていれば、彼は小さく嘆息しつつ答えた。

 

「……別に玲を見捨てるつもりはない。ちゃんと助けてから帰るつもりだった」

 

 稲羽郷土展の番人がいた部屋で話した通り、湊は玲の境遇などに同情を覚えて気に掛けていた。

 先ほど彼女が吐き出した胸の内を聞けば、有里湊という人間は尚更彼女の事を“助けなければならない”と考えるようになっていた。

 だからこそ、アイギスたちを先に元の世界に帰せば一人で助けに行こうと思っていたのだが、全員が帰るのを延期してまで玲を助けに行くというのなら同行するだけだ。

 そう話しながら湊が時計塔の入口へと向かって行けば、やはり湊も玲の事を考えてくれていたと分かり他の者たちの口元に笑みが浮かぶ。

 しかし、途中まで進んでいた湊が善の前で足を止めると、

 

「だが、お前はここまでだ」

 

 次の瞬間、彼は善の胸ぐらを左手で掴み、そのまま力任せに一本背負いのような形で地面に叩き付ける。

 

「ぐあっ!?」

 

 完全に予想外な形で攻撃を受けた善は、一切受け身を取れず地面に叩き付けられると、痛みに表情を歪ませながら声をあげる。

 傍にいた者たちは突然の湊の凶行に反応が遅れてしまい動けず。その間に湊は地面に叩き付けた勢いによってバウンドして浮いた善の腹に容赦のない回し蹴りを入れる。

 蹴りを入れられた際に肋骨の辺りから鈍い音をさせた善は、身体をくの字に曲げたまま校舎に向かって十数メートル吹き飛ぶ。

 ただの蹴り一発で大人と変わらぬ体格の男が十数メートルも吹き飛ぶなど信じられないが、他の者が目を見開いている間に青年は“審判”のカードを握り砕き追撃を入れた。

 

「――――アザゼルッ!!」

 

 カードが砕けると同時に空気が震え、赤い光と渦巻く黒い欠片の中心から仮面をつけた青い天使が顕現する。

 顕現したアザゼルは既に攻撃態勢に入っており、他の者がやめろと伸ばした手が届く前に極光を放った。

 アザゼルのメギドラオンは空中にいた善を飲み込み、そのまま校舎に突き刺さって校舎の一部を崩壊されてゆく。

 校舎にはまだベルベットルームの住人やマリーなどが残っていたのだが、もしも攻撃や校舎の部分崩壊に巻き込まれていれば無事だとは思えない。

 アザゼルが攻撃を放った先を蒼い魔眼で見つめる青年に、男子が唖然とし、女子たちが顔を青くしていると極光が徐々に治まってきた。

 攻撃の余波でグラウンドの一部が融解し、射線に沿って赤々とした線が校舎に向かって伸びている。

 同じように校舎の壁なども一部が溶けて赤くなっているが、そんなものを生身で受けて無事でいられる人間などいない。

 どうしてこれから一緒に玲を助けに行こうというときに、仲間であるはずの善を襲って殺したのか。

 思考が追いついた鳴上が後ろから湊に掴みかかった。

 

「有里っ!! どうして善を殺したんだ!!」

「……まだだ。まだ殺せてない」

 

 掴みかかられた湊は、鳴上の事など気にしていない様子で校舎の方をジッと見ている。

 つられて他の者たちも視線を向ければ、溶けた校舎から出ている蒸気の中に少し曇ったガラスのような物が見えた。

 普通のガラスであれば今の攻撃で溶けて液状になっているはずだが、さらに目をこらしてみれば、曇ったガラスの向こう側に手をかざしている善がいた。

 どうやら力を取り戻した事で防壁を張ることが出来たらしく、かなり疲弊した様子だが五体満足で生きている。

 タイミングを考えると絶対に死んだと思っていただけに、善がどうにか無事でいてくれた事に他の者たちは安堵の息を吐く。

 だが、殺そうとした者がまだ生きていた事で、湊はその瞳に殺意を宿らせると鳴上の手を振り払い、マフラーから中華剣“星噛”を取り出して駆け出そうとする。

 

『E.X.O.、起動っ!!』

 

 それを察知した元対シャドウ兵器の三姉妹は、同時にE.X.O.で身体能力を限界まで引き上げて湊の行く手を阻む。

 アイギスが湊に向けてライフルを掃射し、彼が回避したところにラビリスが戦斧を振り下ろす。

 車だろうと一撃で両断出来る威力を持った斬撃を、青年は左手で持った星噛で撫でて軌道を逸らし、相手の戦斧が地面に食い込んでいる間に善の許へ向かおうとした。

 だが、そのタイミングで正面に回り込んでいたメティスが細身のハンマーを横薙ぎに振るい。進路を塞がれる形になった湊は忌々しそうに一歩後退する。

 

「……邪魔をするな。敵を殺すだけだ」

「その前に説明をしてください! 今の状態じゃ姉さんたちだけじゃなく、他の皆さんも状況を把握できません!」

 

 湊が今回の事件の黒幕を殺すつもりなのは分かっていた。

 善がその黒幕と関係していることもメティスは察しているが、記憶を取り戻した今でも善の力はほとんど戻っていない。

 アザゼルの攻撃を一発防ぐだけの防壁を張ることは出来ているものの、もう一度やれば今度こそ防壁は突破され善は灰も残さず消滅するだろう。

 ペルソナ使いならば誰でも善を殺すことが出来る。だからこそ、近接格闘でも彼を十分殺し得る力を持った湊なら、他の者に事情を説明してからでも遅くはないはず。

 湊の動きにいつでも反応出来るよう武器を構えたままメティスがそう言えば、湊は武器をマフラーに仕舞いながらゆっくりと善の方へと歩き出す。

 他の者たちは湊が再び善に攻撃しないよう警戒しつつ後に続き、雪子やゆかりなど回復スキルを持った者たちは先に善の許に向かって治療を施した。

 

***

 

 ゆかりたちが善の治療をしている間、湊は殺意の籠もった魔眼状態で校舎の修繕を行なった。

 メギドラオンで消滅した部分も攻撃の余波で融解した部分も綺麗に元通りになり、イメージで作り替えているだけだと聞いても見ている者には魔法だとしか思えない。

 もっとも、そんな魔法のような事をしている本人は、これまで一緒にダンジョンを攻略してきた仲間を躊躇いなく殺そうとしたため、今現在はベルベットルームなどから呼ばれて来たエリザベスたちに監視されている。

 マリーは正確にはベルベットルームの住人ではないし、そもそも湊を止めるだけの力を持っていない。

 ただ、湊の事を心配して周りをチョロチョロしているので、湊の動きを封じるという意味では効果的なのかもしれなかった。

 そうして、善の治療と校舎の修繕が全て終わると、一同は一階の生徒玄関ホールに集まった。

 先ほどの湊の凶行を警戒した七歌たちの頼みで湊の隣にはエリザベスが立ち、襲われた善の隣にはテオドアが立っている。

 他の者たちは対峙する湊と善が見える位置にそれぞれ並び、今も冷たい殺意を宿した魔眼で善を見る湊と、何故だか被害者のくせに湊に申し訳なさそうにしている善を見つめる。

 ここに集まったのは湊が先ほど見せた行動の説明を聞くためだが、切り替わっている時の湊に平然と話しかけられる一般人などまずいない。

 そのため、彼が自分から話し始めてくれれば助かるのだが、湊はあくまで説明を求められた側で自分から話そうと思った訳ではない。

 こうなると誰かが進行を務めるしかないかと思ったところで、エリザベスが湊の肩を叩いて声を掛けた。

 

「どうやら場が整ったようでございます。皆様から善様へ攻撃した理由の説明を求められていると聞いておりますが、行動に至った経緯なども含めお聞かせ願えますか?」

「簡単な話だ。そいつが全ての元凶。お前たちが黒幕と言っていた存在の正体。玲をこの世界に閉じ込め、チドリたちがこの世界に呼ばれる原因を作った張本人だ」

 

 これまで聞いたのは善がクロノスという死神であること、迷いこんだ玲を本来の流れに戻すために遣わされた存在だということだけ。

 後の詳しい説明は誰も聞いていなかったので、湊の口から聞かされた事に少なからず驚きを見せる。

 彼が黒幕であるというなら、チドリたちを呼んだのは停滞した状況を動かすためだろうか。

 いつまでも学校から出て行こうとしない玲に痺れを切らし、元の世界に帰ろうとする者たちを使って玲の心境に変化を与える。

 さらに、自分たちだけでは倒すのが難しい番人らの相手をさせようとした。

 話を聞いてそう考えた七歌たちだったが、よく考えればこの発想はおかしい。

 もし本当に善が黒幕であるならば、自分の力でこの世界をなかった事にしてしまえば、そのまま玲の魂の欠片だけを連れていけたはずなのだ。

 そう出来なかった理由とやらが存在するのかもしれないが、そこを含めて湊の話の続きを聞こうと全員が耳を傾ける。

 

「この学校は玲が作ったものじゃない。玲の記憶を基にそいつが作り出したものだ。運び屋如きが神を騙り随分と粋がったものだ。くだらない好奇心のためだけにこの学校を作ったんだからな。……そいつが迷いこんだ玲の許に案内人として現われたのは事実だ。だが、玲は死神を騙るそいつの存在にも、自分が死んでいるという事実にも強い反応を示さなかった」

 

 湊は善と玲の本来の記憶を全て読み取っている。二人が狭間の地で出会い、この学校が作られることになった経緯も理解している。

 死後、この世界で目覚めた玲の許にクロノスは現われた。

 クロノスは自分が死神であること、玲が既に死んでいること、そしてすぐにその魂も消えて行くことを伝えた。

 それを聞いた玲はただそうなのかと事実を事実として受け止め、それ以降はクロノスが話しかけても一切の反応を返さなくなった。

 彼のこれまでの経験では事実を告げられた者たちは、何で自分が死ななくていけないんだと不服に思うか、十分に生きたからと常世へ行くことを了承する者が多く、玲のように何の反応も示さないタイプは初めてだった。

 

「寿命や病の進行で死ぬ者の中には衰弱と共に心が摩耗し感情も希薄になってゆく者もいる。玲本人の自我もその関係で薄くなっていたが、そいつはそれを不思議に思って彼女の意識を覚醒させようとしてしまった」

 

 こんな人間は初めてだと思ったクロノスは、どうにかして玲に口を開かせたくなった。

 喜びでも、怒りでも、悲しみでも、どんな反応でも良いから少女の口から言葉が聞きたい。

 そう考えたクロノスは彼女の記憶を読み取り、最も強く印象に残っている場所を狭間の地に再現する事で“ヤソガミコウコウ”を作り出した。

 おかげでようやく玲もこの場所がどんな所であるか、自分がどんな風に生きてきたかなどを話してくれるようになった。

 だが、彼女の口から聞かされた内容は、人間への理解が不十分な死神であっても口を噤むようなものであった。

 

「さっき聞いた言葉が彼女の全てだ。そのまま無意識の海へ連れて行けばいいものを、己の役割を勘違いしたそいつは彼女の記憶から学校を再現した。彼女の記憶に強く残るものを再現すれば反応を返してくる。そんな軽率な判断で彼女の未練を、死んでも消えることのなかった心の傷を抉ったんだ」

 

 この学校は彼女の記憶から再現された場所だが、玲自身は一度も八十神高校に行ったことはない。

 中学校を無事に卒業すればこの学校に通う予定だったが、入院していた彼女は病室の窓から聞こえてくる時計塔の鐘の音色と学生たちの声を聞いている事しか出来なかった。

 実在した時計塔よりも大きかったのは、病室まで聞こえてくるなら立派な時計塔があるのだろうと思ったから。

 実在する学校と教室の数などが違うのは、玲はパンフレットなどでしかこの学校を知らなかったから。

 そうして、彼女はいつか通えることを夢見ていたが、毎日のように学校へ通いたいと神に祈りながらも願いは聞き届けられる事なく生涯を閉じた。

 全国をみれば彼女のようなケースはそう珍しくもないだろう。もっと辛い境遇で死んでいった者だっているだろうし、どんなに苦しくても病院に行くことすら出来なかった者だっているはずだ。

 ただ、そんな不幸な境遇を比べることに意味はない。彼女の記憶を読んだ湊は、その境遇にエルゴ研の被験体たちに似たものを感じてしまったのだ。

 

「……お前も相手が魂ならある程度は記憶を読めるんだろ。読心とは違うんだろうが、そういった力は本来お前みたいな心を持たない存在が持つべきなんだろうな」

 

 彼女の記憶からこの学校を作れたなら、クロノスには読心能力に近い異能が備わっているのだろう。

 流石に対象は死者の魂だけだと思われるが、湊はそういった力は心を持たない者が持っている方が正しいのだろうと皮肉を込めて言う。

 もし人の心を持っていたらならば、彼女の記憶を読んだ時点で彼女にこの学校を見せようとは思わなかったはずだから。

 

「お前はあの子が不要だからと親に捨てられたなんて想像もしなかっただろう。病と治療の痛みに耐えながら、学校に通いたいという小さな願いを抱き続けたなんて思いもしなかっただろう。心がないからか、それとも記憶の細部までは視えないからか。一体どっちだ?」

「……後者だ。私が出来たのは記憶に強く残ったイメージを読み取ることだけだった」

「そうか。だから、お前は逃げたのか。余計な真似をしてあの子の傷を抉っておいて、自分にはどうする事も出来ないからと記憶を封じて問題を先延ばしにしたのか」

 

 彼女が親に捨てられていたと聞いて他の者たちは目を見開く。

 ここにも両親がいない者、親を片方亡くしている者はいるが、先ほど聞いた心の叫びにさらに親に捨てられていたという情報まで足されると、もはや境遇が違い過ぎて何も言えなくなる。

 けれど、他者の心の痛みまで理解出来てしまう青年は、死して尚苦しめられた少女を想って全身を怒りに震わせた。

 

「ふざけるなっ!! お前の身勝手な行動がどれだけあの子を苦しめたと思っている! 見たくもない現実から、苦しみから逃れるために、自らの両眼を抉ろうとする者の絶望をお前は知っているのか!!」

 

 如何に追い込まれている者でも、普通ならば自分の両眼を抉ろうなどとは考えない。

 目が重要な器官である事は誰でも知っており、その目が傷つけば想像を絶する痛みを感じる事も同じく知られている。

 だが、それを知っていながら目を抉ろうとするのであれば、その人物にとっては見えている方が地獄の苦しみを感じるということだ。

 両眼を失ってでも、光を閉ざしてでも、今いる地獄から抜け出したい。

 この学校を見た後に玲が自分の目を抉ろうとした以上、ここにいる事に彼女の心は耐えられなかったのだろう。

 驚いたクロノスは彼女の行動を止めてから記憶を封じ、絶望に染まった少女が少しでも楽しめるよう学校を文化祭に変えたようだが、そんなものは問題の先送りであり時間稼ぎに過ぎない。

 湊の指摘に何も言い返す事が出来ない善が顔を俯かせれば、瞳が蒼から銀に変化した湊が相手の胸ぐらを掴むため飛びかかろうとする。

 しかし、隣にいたエリザベスが後ろから抱きついてそれを阻止すれば、湊は後ろから止められながら言葉を続けた。

 

「今のお前がどうあろうと関係ない。最初にお前が余計な事をしなければ彼女は苦しまずに済んだんだ! 詫びる気持ちがあるなら腹を切れ、償う気持ちがあるのなら首を刎ねろ! 出来ないというのであれば俺がお前を殺してやる。あの塔にいるお前の半身と共に無に還してやるっ!!」

 

 エリザベスに止められている湊の身体から黒い炎が漏れ出す。

 出会ったばかりの少女のために、自らを阿眞根に変革させるほどの怒りを彼は覚えた。

 人によってはただの独善だと思うだろう。勝手に記憶を視て、勝手に相手のためにと言いながら怒り散らしているだけだと感じるかもしれない。

 しかし、百鬼八雲とは元からそういった存在だ。誰かのために、弱者のために、その力を使おうとする。

 今回の件は彼にとってトラウマの一つになっているエルゴ研の被験体と境遇が似ていた。

 だからこそ余計に、湊はその元凶を赦そうとは思わないし、何があっても玲の事は助けようと思っている。

 一方的に善を殺そうとしていたと思っていた者たちも、湊の話を聞いた後では彼が善に殺意を向ける理由は理解出来た。

 エルゴ研での出来事について知っている者や聞いている者たちは、どうして彼がここまで怒りを覚えているのかも分かっている。

 だが、それでも今ここで善を殺させる訳にはいかない。何故なら善自身も自分の行いを悔いている事が伝わってくるから。

 アイギスはどうやって湊を説得しようか考えるため、湊を拘束しているエリザベスにもう少し時間を稼いで欲しいと頼む。

 

「エリザベスさん、もう少しだけ八雲さんをお願いします」

「承知致しました。ですが……なるべく早くお願いします。八雲様から漏れ出た黒炎にて私の腕も絶賛燃焼中ですので」

 

 アイギスの頼みを聞き届けたエリザベスだが、その額には玉のような汗が滲んでいる。

 湊を拘束しているエリザベスの腕は漏れ出す黒い炎で僅かに焼かれており、いくらベルベットルームの住人だろうと神に力を帯びた炎は完全には防げない。

 加えて、今の湊は阿眞根になりかけているせいで力も増しており、腕力の関係からエリザベスやテオドアでないと拘束しておけないので、痛みから限界が近いことを悟っているエリザベスはアイギスたちに急ぐようにと伝えた。

 それを聞いたアイギスらは慌てて意見を出し合い。クロノスの半身が時計塔にいると先ほど湊が言っていたことで、玲の救出とそちらの討伐を優先し、善のことは後回しにしてくれるよう必死に頼み込むのだった。

 

 


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