【完結】PERSONA3 Re;venger   作:清良 要

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死は、ふいに来る狩人にあらず

もとより誰もが知る……

生なるは、死出の旅……


なれば生きるとは、望みて赴くこと。

それを成してのみ、死してなお残る。

見送る者の手に“物語”が残る。

けれども今、客人の命は潰え、しかし物語はこの手には残らず……




第三百三十一話 遠い旅路の果てに

――ベルベットルーム

 

 現実世界で二人の八雲が衝突し、その戦いが終わるのを見ていた住人たちは、青年が倒れるとマーガレットの持っていたペルソナ全書を見た。

 マーガレットが開いたそのページには湊が結んでいた四つの契約が書かれている。

 

 第一の契約:アイギス:デスを倒すために力を貸す

 第二の契約:エリザベス:契約を果たすまで死なない

 第三の契約:チドリ:最期まで守り続ける

 第四の契約:マーガレット:命のこたえをみつける

 

 これまで四つもの契約を結ぶ者はいなかった。この部屋を訪れるなら一つで十分で、数が増えるほどサポート内容も充実するが、魂に刻まれる契約は一つでもかなりの負担が掛かる。

 複数結べばその重さだけで死ぬ可能性もあり、それに耐えられる青年の魂は常人とは異なる格を有していたのだろう。

 けれど、倒れた青年がその生命活動を終えると開いていたページに変化が起こっていた。

 チドリと結んだ第三の契約。その文字が燃えるようにして消えて行く。

 ページ自体には影響はなく、あくまで第三の契約の文字だけが燃えながら消えているだけだ。

 その変化を見ていたマーガレットは、小さく溜息を吐きながら主にその事を告げた。

 

「私のお客人の契約が一つ果たされました」

「……己が死ぬまで少女を守る契約が果たされた。ならば、お客人も旅立たれたのだろう」

 

 これまで湊は何度も死んでいたが、蘇生が起こる限りは第三の契約が消えることはなかった。

 しかし、今回の戦いで倒れた湊は蘇生が起こらず、さらに第三の契約も条件を満たしたことで達成となり消えた。

 長い付き合いだっただけに彼との別れに対し、ベルベットルームの住人たちは複雑な想いを抱く。

 中でも自分と結んだ契約が不履行に終わった姉妹らは彼に文句の一つも言いたいに違いない。

 湊にそれなりに世話になっていたテオドアも、自分が知る中で最も強大な力を持っていた契約者が死んだ事に驚きを隠せないが、彼を担当していた姉たちの方が色々と思うことがあるはずだと黙っていた。

 すると、マーガレットが開いたままにしていたペルソナ全書のページが、果たされた契約の文字が消えたばかりだというのにさらに変化を起こし始めた。

 住人たちの見ている目の前でページが灰色になってゆく。

 黒い文字が僅かに薄れ、白いページが灰色になる様は、まるで本が石に変わっていくようにも見える。

 だが、マーガレットが本に触れても感触は紙のままだった。

 この変化に覚えがあったマーガレットは、湊の所持しているペルソナが書かれたページやコミュニティのページを確認していく。

 そちらも契約について書かれたページ同様に色を失っており、やはりかと担当業務の終了を理解した。

 

「担当者の死亡により彼に関するページが凍結したようです。これにて百鬼八雲様の担当業務を終了させて頂きます」

 

 マーガレットが湊と会ったのは現実世界の時間にして九年前。

 実際は時の流れが異なるのでそこまで長くはなかったが、それにしても一人のお客人の担当になった時間にすれば過去最長だ。

 こんな中途半端なところで担当を外れることに思うことがない訳でもないが、青年と同じ困難に立ち向かう運命の少女がまだ残っている。

 そちらはテオドアの担当だが、担当者がいなくなったマーガレットたちもサポートに回ることはあるので、まだまだ休むことは出来そうにない。

 だが、そう考えていたのはマーガレットだけだったようで、マーガレットのように自分のペルソナ全書に視線を落としていたエリザベスが背を向けるなり居住スペースに繋がる扉へ向かい始めた。

 

「では、私はしばらくの間、お暇を頂きたいと思います」

「エリザベス、勝手な事は許されないわ。彼の担当を外れてもテオドアのサポートや新たにここを訪れるお客人を担当する事もあるのよ」

 

 背を向けて歩いて行くエリザベスを追って肩を掴むと、マーガレットが勝手な事は許されないと止める。

 長く担当していた仕事が打ち切りになり、ここで少し休みたい気持ちは分かる。

 けれど、今なお上昇するベルベットルームが停止しないという事は、自分たちの仕事もまだ終わっていないという事だ。

 ここで一人だけ勝手に休まれては困ると妹を止めたマーガレットは、いつまでも自由奔放な妹に小さく頭を痛めかけたところで掴んだ肩が小さく震えている事に気付いた。

 

「エリザベス、貴女……」

 

 普段ならば肩を掴んで止めたところで振り返って何かしらの言い訳をしてくる。

 だというのに、今のエリザベスは僅かに俯いたまま振り返ろうとせず、黙って居住スペースに向かおうとしている。

 その意味をマーガレットが理解したところで、部屋の主が静かに口を開いた。

 

「マーガレット、自由にさせなさい」

「……分かりました」

 

 主に言われてマーガレットが渋々掴んでいた手を離せば、エリザベスは小さく「ありがとうございます」と返してから扉の向こうへ去って行った。

 昔はどこか人形のような印象を受けた彼女が、随分と感情豊かになったものだとイゴールが考える。

 十年前、彼が初めてここへ訪れた時も真っ先に彼と関わろうとしたのはエリザベスだった。

 幼い少年が成長して青年になり、その中で二人の関係も少しずつ変化していたようだ。

 エリザベスがどういった感情を彼に抱いていたのかは分からないが、今のままではどうあっても仕事にならない。

 ならば、今回の件を通して“自分は何者なのか”という疑問に対して改めて考えてみるのも良いだろう。

 そうして、一人減った部屋の中で不気味な老人は青年の死を悼みながら、残されたもう一人の客人の少女がどのような旅路を辿るのか見守ることにした。

 

 

深夜――都内・某所

 

 影時間が終わりビルの地下に隠された研究所へと戻ってきた理は、右手に玖美奈の大剣を持ち、左腕で意識を失っている玖美奈を抱えながら憤怒の形相で幾月たちのいた部屋へ入ってきた。

 

「幾月さん、すぐに姉さんに治療を!」

「っ、玖美奈がやられたのかい?」

「ああ、そうだよ! あいつが、有里湊が姉さんを傷つけた! クローンのくせに死ぬ前に余計な事をしやがって!」

 

 幾月に玖美奈を渡しながら理は玖美奈を傷つけた湊に対する怒りの言葉を吐き出す。

 理の持つペルソナに回復魔法を持つ者もいるが、その効果はあまり強くない。

 その理由は彼の持つ赤いオルフェウスが“勝利の雄叫び”という、召喚者に対して高速治癒を施すスキルを持っているからだ。

 ワイルド能力者は可能性の芽で手に入れるペルソナ以外は、自分の弱点を補うように新たな力に目覚める傾向がある。

 おかげで回復を必要としない理は強力な回復スキルを持つペルソナを手に入れる機会が無かったのだ。

 玖美奈を受け取った幾月が彼女をソファーに寝かせると、ストレガで回復役を担うようになったメノウがスキルを使って玖美奈を治療する。

 それを少し離れた位置で見守っている理は、湊への怒りで玖美奈の大剣を持つ手に力を籠めていた。

 随分と苛ついているようだが、先ほど彼の言葉に気になる点があったことで、壁に背を預けて立っていたタカヤが声を掛ける。

 

「死ぬ前に、と仰っていましたがミナトを殺せたのですか?」

「僕が被験体の女を狙撃して殺したら、どんな方法を使ったのか分からないけどあいつがその女を蘇生させたんだ。けど、その代償かあいつはその後に死んだ。戻ってくる間に探知で様子を探ったけど死んだままだったさ」

 

 ペルソナのスキルに回復魔法はあるが蘇生魔法はない。

 出来ても気を失っている者に活力を与えて、気絶から回復させるくらいなものだ。

 けれど、湊は蛍火色の光を立ち上らせながら、どういった手段を用いたのか分からないもののチドリを蘇生させた。

 玖美奈の許を目指していた理からは光に包まれて何をしているのか見る事は出来なかったが、その前にスコープ越しにチドリが胸に風穴を開けて死んだのを確認している。

 その傷を塞いで蘇らせ、代わりに自分が死んだという事は一種の禁術だったに違いない。

 研究所へ戻ってくる前にペルソナを使った探知でも湊は死んだままであり、代わりにチドリの生体反応を確認する事が出来たため、理は自分の手で殺したかったという想いを抱きつつ湊の死は確定事項だと告げた。

 

「なるほど、殺しても死なないと思っていたのですが、そういう最期を選んだのですね。彼らしいと言えば彼らしいのですが、もう二度と殺し合えないと思うと寂しくもあります」

「フンッ、最初から数年と生きられない命だったんだ。長く生き過ぎていたくらいだ」

 

 望んだ通りとはいかなかったが、当初の予定通りに湊を始末する事が出来た。

 これで最大の障害となり得る者は消えたので、後はそこまで小難しい事を考えず純粋な実力差で押し切って敵戦力を削ればいい。

 理がその様に言えば、タカヤは自分なりの美学があるのかそれではつまらないと返した。

 だが、くだらないことに拘った結果、タカヤたちは美紀を殺し損ねただけでなく、翌日に襲ってきた湊に殺されかけていた。

 今後も同じような事を繰り返すのであれば、理や幾月の目的に影響が出る恐れがある

 幾月はストレガたちを同志と認めているものの、娘の玖美奈や理は相手の過去が過去だけに実力も含めて信用していなかった。

 それを言えばタカヤ以外のメンバーらもお互い様だと答えるだろうが、理がタカヤとの会話を終えたタイミングで視界の端で何かが動き、そのまま高速で理へと飛びかかってきた。

 

「おまえぇぇぇぇぇっ!!」

 

 理に向かって飛びかかってきたのは、殺意に染まった瞳から涙を流し手にナイフを持ったマリアだった。

 彼女は被験体の中でもトップクラスの身体能力を持っており、成長した現在ではアイギスたちでもオルギアモードを使わなければ追い付けないほどだ。

 そんな少女が明確に理への殺意を抱いて襲いかかってきた。

 急に何だと考えながら理は手に持っていた玖美奈の大剣で攻撃を弾き、相手の身体が浮いた瞬間に一歩距離を詰めて突きを放つ。

 

「鬱陶しいんだよ!!」

 

 自分の偽物に玖美奈を傷つけられ、その偽物に攻撃を防がれ、結局自分の手で殺すことも出来なかった。

 そういった苛立ちが募っている時に襲われた事で、理は半分八つ当たりのようにマリアを本気で攻撃し、その胸を躊躇いなく大剣で貫いた。

 心臓を完璧に貫き剣が背中まで貫通している。チドリが受けた傷ほどではないがこちらも十分に致命傷だ。

 少女を貫いた理は剣を抜くと、倒れゆくマリアを壁まで蹴り飛ばす。

 その段階になって仲間が殺されたと頭が認識できたジンやカズキが声をあげた。

 

「お前、何さらしとんねんっ」

「そンなに殺し合いてェなら、今すぐにぶっ殺してやるよォ!」

 

 壁に背をぶつけてから床に倒れ込んだマリアはピクリとも動かない。

 胸を貫かれ致命傷を負ったことでショック死を起こしたのだろう。

 倒れた彼女から流れ出た血液が床を赤く染めるのを視界に捉えながら、ジンとカズキは武器を持って理を睨み付ける。

 対して、理も掛かってくれば容赦しないとばかりに大剣を握り締めた。

 だがそこで、

 

「そこまでだ! 結城君も君たちも武器を下ろすんだ!」

 

 メノウに治療される玖美奈を見ていた幾月が真剣な表情で理らを一喝し、すぐに武器を下ろすように告げた。

 ここは地下で今いる部屋は然程広い訳でもない。

 そんな場所でペルソナ使いが戦えば甚大な被害が出ることは容易に想像がつく。

 何より、ここにいる者たちは世界の終末を求める同志だ。

 せっかく湊という敵方の最高戦力を排除出来たというのに、ここで仲間割れして戦力を失っては意味がない。

 同じように考えたタカヤもジンとカズキに武器を下ろすように言いながら、マリアの死は彼女自身の行動が原因だと話す。

 

「今回の件は先に手を出したマリアに非があります。ミナトを殺された事で、仇を取ろうとしたのでしょう。まぁ、彼がいない世界など彼女にすれば生きる意味もなかったでしょうし。そういった意味では彼と同じ日に死ねたことは幸運かもしれません」

 

 湊に救われたマリアは彼の存在を心の支えにしていた。

 けれど、その彼ももうこの世にいない。そんな世界で生き続ける意味など彼女にすれば無かっただろう。

 だからこそ、タカヤはマリア本人にとっては死んだ方が幸せだったはずだと理を責めなかった。

 仲間が殺されたというのに随分と冷静に見える事をジンとカズキは訝しむが、マリアの死にある程度の納得を見せていたタカヤも完全に何も思っていない訳ではないらしい。

 倒れていたマリアに近付いて開いていた瞼を閉じてやると、理を見てから幾月に視線を向けて一つ忠告した。

 

「ですが、我々の仲間をそちらが殺めたのも事実。次はないように頼みますよ」

「ああ、勿論だとも。結城君、力があるのなら使い方も考えなければいけないよ。怪我で玖美奈が動けない以上、彼らと君でこの後に一つ仕事をして貰わなければならないからね」

「……はい。分かりました」

 

 玖美奈の怪我は回復魔法である程度治ったようだが、スキルの強さの問題で完治とは言い難い。

 しばらくは安静にしておく必要があるので、すぐに予定している仕事には理とストレガで動いて貰わなければならなかった。

 それを幾月に聞いた理は、確かに先ほどの自分は感情的になりすぎていたと反省し、素直に返事をすると血のついた大剣を部屋の奥にある作業台に置いて、そのままソファーに寝かされた玖美奈を抱き上げて部屋を出て行く。

 タカヤ以外のメンバーは去って行く理を敵意の籠もった視線で見ていたが、彼が部屋からいなくなると自分たちでマリアの遺体を処理すると言って、作業に取りかかっていった。

 

 

――???

 

 ふと青年が目を覚ますとそこは淡い桃色の空が広がる暖かな気候の花畑だった。

 青々とした草と色とりどりの花が咲き乱れ、優しい風が吹いて草花が静かにサァーっと揺れる。

 空の色も含めてこんな場所に心当たりがなかった青年は、ここはどこだろうかと場所を特定出来そうなものがないか辺りを見渡した。

 すると、急に背後から衝撃が襲ってきて、何とかバランスを取りつつ衝撃を与えてきたものの正体を突き止めるべく身体を捻って顔を向ける。

 

「えへへ、ミナトいた!」

「……マリアか。というかここはどこだ?」

 

 衝撃を与えてきたものの正体は、肩に掛かる明るい金髪をした少女だった。

 どうして彼女もここにいるのかは分からないが、自分以外にも知り合いがいた事で彼女に何か知っているか聞くことが出来る。

 相手は精神的にはかなり幼いが、頭が悪い訳ではなく年相応の知識は持っている。

 故に、抱きついてきた相手にちゃんと立つように言って、彼女と並んで立ちながら花畑を見て話をする。

 

「マリア、君はどうやってここに来たんだ?」

「ん、マリアね。ここに来る前に剣で胸を刺されたの。ミナトの仇取りたかったけどダメだった……」

 

 剣で刺されてここへ来た。少女のその言葉で湊は自分がここに来る前にどういった状況だったか思い出した。

 チドリが殺されて、その現実を否定するために彼女に自分の命を与えた事で彼は倒れた。

 最期にチドリを託した他の者たちの事も守る事が出来たので、それなりに満足な結果だったなと苦笑していれば、仇討ちが出来なかったと落ち込んでいたマリアが湊を見て満面の笑みを浮かべる。

 

「でも、ミナトと会えたから嬉しい! ミナトと一緒にいられる!」

「……そうか」

 

 自分の死を嘆くよりも、例え死んででも好きな人と一緒にいられることを望む。

 そんな少女の純粋な想いを受けて、湊が小さく笑っていれば、花畑の奥の空間が小さく揺らめきそこから人が出てきた。

 

「湊、まさか君がすぐにこちらに来るとは思わなかったぞ」

「でも、はーちゃんはちーちゃんを助けたもんね。うん、とっても立派だったよ!」

 

 八十神高校の制服の上にボロ布のようなマントを纏った少年と、同じく制服に黄色いカーディガンを羽織った少女が笑顔でやって来る。

 二人はあの閉じられた世界から旅立って行ったはずだが、湊がいるここはあの閉じられた世界よりも奥に存在する場所だ。

 という事は彼らも無事に辿り着くことが出来たという事だろう。全ての魂が還る心の海、集合無意識の世界へと。

 

「――――はぁ、アタシは幸せに生きろって言ったはずなんだけどな」

 

 そして、さらに続けて現われた人物の声を聞いて湊は目を見開きながらそちらを見た。

 黒いジーンズに黄色いTシャツ、その上からジャケットを羽織ったラフな服装。肩に掛かる茶髪を揺らし、切れ長な瞳をしながらも湊を見つめる視線には柔らかな雰囲気が感じられる。

 ここが死後の魂が辿り着く場所ならば確かに彼女がいても不思議ではない。

 けれど、青年は自分が地獄に落ちると思っていただけに、こんな綺麗な花畑で彼女と再会出来た事が嬉しかった。

 

「……久しぶりだな。イリス」

「ああ、随分と大きくなったね。けど、こんな早くに死にやがって。後でみっちり説教してやるから覚えておけ」

 

 彼女は死ぬ間際も湊の幸せを願ってくれていた。仕事屋などやめて、チドリたちと一緒に平和な日本で普通の子どもとして生きていって欲しいと。

 だが、湊はチドリを助けるためとは言え死んでしまった。

 その行為自体は間違っていない。湊にとってチドリは己の命を懸けてでも救うべき相手だったのだから、しっかりと彼女を助けて死んだのなら玲が言ったように賞賛されるべきだろう。

 イリスもそれは分かっているが、それでも母親代わりに彼の傍にいた者として親不孝者と言わずにはいられないらしい。

 

「けどまぁ、最初にお前を叱るのはアタシの仕事じゃない。ほら、ちゃんと顔見せてやれ」

 

 後で叱ることは確定事項だが、最初にそうするのは自分の役目ではない。

 言いながらイリスが自分の背後を親指で指せば、再び空間が揺れて一組の男女が現われた。

 男性の方は湊を少し大人しくしたような優しい顔つきの人物。女性の方は湊に可愛らしさを足したような美しさと可愛さを絶妙なバランスで両立させた人物。

 そちらを見た湊の瞳が揺れる。女性の方には退行した時に会っていたらしいが、その時の記憶が無い湊にすれば約十年ぶりの再会だ。

 十年、人によってはあっという間に過ぎる時間。

 けれど、目的のために走り続けた青年にとっては本当に色々な事があり、短いようでとても長い時間だった。

 今の自分を見れば彼らはきっと拒絶してくる。そんな事を考えたこともあったが、今の二人の心から再会を喜んでいる顔を見れば不安など吹き飛んでしまった。

 会いたかった。話したかった。あの日だって自分など助けず、二人にこそ生きていて欲しかった。

 ずっと青年の心の奥底にあったそんな想いも、この世界では最早関係ない。

 善と玲が道を開け、イリスが横にずれて男性と女性を通す。

 湊の前までやって来た二人は、湊の顔をしっかりと見つめて口を開いた。

 

「八雲、よく頑張ったな」

「……父さん」

 

 今では湊の方が身長も高く体格でも勝っているが、男性、湊の父親である百鬼雅は成長した我が子の姿を見られて嬉しそうに笑って青年の頭を撫でた。

 湊は母親っ子だったので父親とは休日くらいしか遊んでいなかったが、それでも撫でられた感触に懐かしさを覚えた。

 頭を撫でる手から伝わってくる愛情と優しさに、目的のためには不要だからと自ら凍らせていた一部の感情が徐々に解けて行く。

 おかげで湊が何も言えなくなっていれば、雅と同じように湊を優しい瞳で見つめていた女性、湊の母親である百鬼菖蒲は少し背伸びをして湊の頭を自分に抱き寄せた。

 

「変な言い方かもしれないけど、お帰りなさい。八雲」

「…………ただいま、母さん」

 

 父とは違った髪を梳くように頭を撫でる手の温もりと感触。

 どこまでも安心出来るそれに身を委ね。湊も母親の背に手を回して抱擁を交わす。

 随分と遠いところまで来てしまった。もうあの温かな時間に戻ることはないと思っていた。

 だが、湊は二度と手に入らないと思っていたものをここで再び手にする事が出来た。

 両親からの無償の愛。自分はここに居て良いのだと、望まれてこの世に生を受けたのだと心から思えたのだ。

 確かに青年の旅路はここで終わりかもしれない。けれど、その最後に彼はただ心からの笑顔を浮かべることが出来ていた。

 


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