【完結】PERSONA3 Re;venger   作:清良 要

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第三百三十二話 のこされたもの

――???

 

 白い壁と天井の部屋に一つベッドが置かれた空間。

 そのベッドには水色の入院着を身に着けた赤髪の少女が一人寝ていた。

 規則的な呼吸をしていた少女の瞼がぴくりと動き、少しすると目覚めたようでゆっくりと目を開く。

 

「ん、ん……」

 

 目が覚めたばかりで意識がハッキリしていないのか、どこかボンヤリと表情で身体を起こし自分の服装を見てから部屋の中を見渡す。

 ベッドの質の悪さや服装から場所は病院のようだが、今いる部屋にはどういう訳か窓も入口もない。

 こんな場所は現実ではあり得ないため、まだ夢の中にいるのだろうかと考えたとき、ベッドの傍に水色の光が集まって囚人服のような格好をした少年が現われた。

 

「やぁ、目が覚めたかい?」

「……誰? ていうか、ここはどこ?」

 

 チドリの記憶の中に目の前の少年と出会った記憶は無い。

 もしかすると、出会ってすぐに死んでしまった被験体に似たような少年がいたかもしれないが、そうなると相手が囚人服のようなものを着ているのはおかしい。

 エルゴ研にいた被験体は辰巳記念病院と同じ薄水色の入院着を着ていた。

 おそらくそれが桐条グループ傘下企業で作っていた入院着だったのだろう。グループ内の研究施設で会ったエルゴ研にも同じ物が支給されていたに違いない。

 となれば異なる服装の少年はそれ以外の存在の可能性が高かった。

 覚えのない少年が自分の夢に出てきている割に相手は非常にフレンドリーな雰囲気。

 その事をチドリが訝しんでいれば、少年はにこやかな表情のまま尋ねてきた。

 

「君、自分が意識を失う前の事は覚えているかい? 思い出しやすいように補足すると十月四日の満月の日、アルカナシャドウとの戦闘中に乱入者が現われてからの事だけど」

「……どこからか攻撃されて、胸に痛みが走ったところで意識が落ちた……もしかして、ここは死後の世界なの?」

 

 病室のようでありながら窓も入口もない。

 そんな場所に突然ペルソナが顕現するように少年が現われた。

 これで今いる場所を現実世界だと認識する方が難しい。

 風穴があいたはずの自分の胸元に触れて、そこに一切の怪我も痛みもなかったことでチドリが少年に死後の世界かと尋ねれば、少年は微笑を浮かべたまま首を横に振った。

 

「いいや。現実世界の君は生きているよ。正確には蘇生された。まぁ、ここは君の精神世界ってやつさ」

 

 生きていると聞いてホッとしたのも束の間。少年から蘇生されたと言われ、チドリはやはり一度は死んだのかと背筋が寒くなる。

 胸に痛みが走った瞬間、自分の中から何かが抜け落ちて行く感覚を味わいながら意識を失った。

 あれが“死”なのか。意識がなくなった後、自分の魂がどうなったのかは覚えていないし、霊感がないため分かるはずもないが、二度と味わいたくない感覚であった事は断言出来る。

 ただ、無事に生き返ったというのなら、どうして自身の精神世界とやらに見知らぬ少年がいるのかがチドリには理解出来ない。

 死んだ人間を生き返らせる。そんな事が可能と思われる人物は少女の中で一人しか思い浮かばない。

 となれば、目の前にいる少年は恐らく湊がやった事に関係した存在に違いない。

 そうして頭を働かせて相手の正体について考えていれば、状況が飲み込めていないと思ったらしく少年の方から説明を始めてくれた。

 

「訳が分からないって顔をしているね。なら、君が死んだ後の出来事を話そう。銃声が聞こえない距離から狙撃された君は、心臓を含めた胸部周辺の臓器を破壊され胸に大穴を開けて即死したんだ。いくらペルソナの回復スキルでも死者は癒やせない。そこで彼は自分の心臓を君に与える事にした」

 

 湊とチドリでは体格が違う。美紀に輸血した時の話を聞いていたので、血液型の違いについては考える必要はないのだと思われるが、体格の良い男性の心臓を貰っても少女の身体に適合するとは思えない。

 けれど、チドリが考えた問題点を医者として働いていた湊が思い付かなかったはずもない。

 彼が蘇生のために自分の心臓を使ったのであれば、それでチドリを無事に生き返らせる事が可能だと確信していたのだろう。

 今の自分の胸に中で感じる鼓動。それが湊の心臓のものだと考えると胸の奥が熱くなるが、チドリは湊が自分に心臓を与えたと聞いて言いようのない不安を覚えた。

 湊は過去に何度か心臓を破壊され、時には完全に体外に抜き出していた事もあった。

 それでもいくらか時間が経てば蘇生が発動し、新たな心臓を作って生き返っていた。

 他者に心臓を与えても、湊ならば生き返ることが出来る。そう理解しているのにチドリの中から不安は消えず、ファルロスは微笑を浮かべたまま言葉を続ける。

 

「龍の一族、その中でも最上級の力を持つ者を特級五爪守護龍憑きと呼ぶらしい。普通の龍は四級一爪から順に一級四爪までの中のどれかに目覚める。潜在値が高いほど階位が上がり、持てる異能も増える。だけど、鬼と龍の血を持つ者は始祖と同じ特級に目覚めるんだ」

 

 チドリも龍の一族については七歌から話を少し聞いていた。

 二千年以上続く龍の歴史の中でも数名しか確認されていない最高位が一級四爪。

 湊の父である百鬼雅とその姪である九頭龍七歌。同じ時代に二人もの一級四爪守護龍憑きが目覚めた事はある意味奇跡だった。

 二人の存在によって一級四爪に目覚める異能が魔眼だと言うことも証明され、そして始祖だけが目覚めていた特級五爪と呼ばれる階位が実在することも一級四爪の二人には理解出来ていた。

 ただ、その特級五爪の発現条件だけは二人にも分からなかった。湊が龍の力に目覚めるまでは。

 

「始祖以来誰一人として目覚める者のいなかった特級。その特級のみに赦された異能は龍玉と呼ばれる己の心臓を他者に与える事で蘇らせる“反魂の術”だ」

 

 始祖と同じ力に目覚めるには、始祖と同じ血を持って生まれる必要があった。

 考えてみれば実にシンプルな理由で、これまでどうして一人として目覚める者が出なかったのかもすぐに理解出来た。

 妹の一族を守ろうとする姉の優しさを継いだ鬼の一族に守られている内に、龍たちは増長し、自分たちよりも鬼の能力が優れていると知りながら、自分たちが鬼の飼い主だと勘違いを起こした。

 血に宿って全てを視ていた始祖が嘆くほどの愚かさ。

 それ故に二つの一族は傍にありながら、日本が平和な時代を迎えるまで主従の関係を変えず、一族同士の中で番いになろうとする者も現われなかったのだ。

 戦乱の時代にこそ求められた最も強い力を持った子どもが、戦う力が不要になった現代だからこそ一緒になる者が現われ生まれたというのはなんたる皮肉だろう。

 

「だけど、君は心臓以外にも失い過ぎていた。完全に破壊された臓器なんて回復スキルじゃ再生出来ない。だから彼は過剰に生命力を注ぎ込み、さらに僕を君に封印することで、これまでの自分にしたように彼の細胞を媒介にして与えた心臓以外の臓器や骨を作って肉体を回復させた」

 

 特級五爪には最も強い力を持った龍が目覚める。ただ、その龍にのみ赦された異能は他者を助ける蘇生の力だった。

 その力があったからこそ湊はチドリを助けることが出来た。心臓を貰い助けてもらった事にチドリは深い感謝を抱く。

 だが、目の前にいる少年をチドリに封印し、今まで湊が持っていた心臓を再生させていた力と同じ力を使ったと聞いて、チドリは先ほどから感じていた不安の正体に気付いて最悪の事態を想像してしまった。

 湊の蘇生は彼だけの力ではない。彼に封印されているという死の化身“ファルロス”の力を利用しているのだと以前聞いた事があった。

 なら、自分の心臓を失って、さらに蘇生の核と言える存在を失った彼はその後どうなったのか。

 湊に限ってそんなはずはないと頭の中で否定しながら、チドリは震える声で少年に尋ねた。

 

「……心臓を与えて、貴方を失った八雲はどうなったの?」

「…………死んだよ」

 

 短く事実を告げた少年の顔から笑みが消えた。

 ずっとチドリを不安にさせないよう我慢していたようで、チドリが目を見開いて動揺している事に気付かず、ファルロスはどこか悔しさを滲ませながら視線を落として話し続ける。

 

「普通に生命力を与えたんじゃ足りなかったんだ。だから、彼はリミッターを外して内包する常人の数十倍の量を無理矢理に注ぎ込み君を蘇生させる手段を取った。結果、君は無事に生き返って、彼はそれを確認した後に残った力で最後に敵の攻撃から他の皆を守って息を引き取った」

 

 チドリを救い。アイギスたちを守って彼はこの世を去った。

 実に彼らしい最期だと言えるだろう。本人もどこか満足そうな表情をしていた事をファルロスも覚えている。

 ただ、本人がどれだけ自分の最期に満足していようと残された者にとっては関係ない。

 

「僕の封印は最後のアルカナシャドウが倒されるまで解けない。だけど、湊君と違って君の肉体は封印の器としての強度がない。だから、君の肉体が壊れないよう僕は君の奥底でジッとしているしかない。いくら君が危険になろうと守ったりは出来ないし、蘇生はおろか治癒力を増す事すら不可能だ。その事だけはしっかりと頭に入れておいて欲しい」

 

 ファルロスも友達を失って辛かった。

 出来る事なら彼の最期の意志を継いでチドリを守ってやりたい。

 けれど、それをするにはただの人間の身体はあまりに脆弱すぎた。

 封印が解けてからならともかく、少女の中にいる内はどんな手助けもする事が出来ない。

 その事に悔しさを滲ませながら、ファルロスは彼の最期を伝え終わると時間だからと別れを告げて光になって消えていった。

 少年の言葉にショックを受けたチドリは、その動揺が抜けきらぬまま妙な浮上感を覚えて光に包まれた。

 

 

10月5日(月)

午前――辰巳記念病院

 

 目が覚めたチドリは先ほどまで見ていた夢らしきものの内容を思い返しながら辺りを見渡した。

 戦いの途中で意識を失った後、自分や他の者がどうなったのか。

 それが気になったチドリは自分が病室にいて、部屋の中にあったものから辰巳記念病院にいると理解すると、すぐに探知能力で他の者たちの居場所を確認して裸足のまま部屋を飛び出した。

 探せばアイギスたちはとある部屋の前で固まっていた。廊下にある長椅子に座っているようで動いておらず、そこへ行けば何故か存在を感知出来なかった青年の居場所も分かるはず。

 夢の中で聞いた話は嘘だ。彼に限ってそれはあり得ない。

 胸中は不安でいっぱいで、今の自分が欠片も冷静でないと気付いていない少女は、頭の中で夢を否定する言葉を繰り返しながら廊下を走る。

 途中、すれ違う他の患者や見舞い客に病院のスタッフらしき者たちが、必死な表情で走る少女を見て驚いた顔をしていたがチドリは止まらない。

 フロアが違った事で階段を数段飛ばして飛び降りるように降下し、目的のフロアに着いた事でさらに速度を上げる。

 廊下の奥へと視線を向ければ、どこか呆けた様子の七歌たちの姿が視界に入ったが、そのすぐ傍の部屋に桜や英恵の気配を感じた事で彼女はそちらへ向かう。

 入る前に美鶴から「待て、吉野」と声を掛けられたがチドリはそれを無視した。

 金属のバーに手を掛けてドアを横へスライドさせる。少し開いた瞬間に女性の泣き声が聞こえてきて、どうして泣いているんだと考える。

 ただ、ドアを開けて中に入って、部屋の真ん中に置かれた台の上で横たわっている青年の姿を確認してチドリも意味を理解出来た。

 そこにある身体には魂がない。本当に綺麗な顔で寝ているようにしか見えないというのに、そこに湊の存在を一切感じる事が出来ないのだ。

 

「……ねぇ、八雲?」

 

 これまで彼が死んだときには、心臓や呼吸が止まっていても、身体からは彼の存在を感じる事が出来ていた。

 だが、今ここにある肉体からは何も感じない。本当に空っぽだという印象だけを受けた。

 少女の視界の端で桜と英恵が湊の身体に縋り付くようにして泣いている。

 壁際には鵜飼と渡瀬が静かに立っているが、それには一切反応をみせずにチドリは青年の遺体に近付いた。

 

「ねぇ、八雲。そろそろ、起きて。私、昨日倒れてから何があったか知りたいの。貴方なら知ってるんでしょ? だから、起きてちゃんと説明して?」

 

 声を掛けても青年は目を閉じたまま答えない。

 心臓を抜いたという胸に視線を向けても、彼が着ているチドリと同じ入院着の胸元は綺麗な形をしており傷があるようには見えない。

 ならば、彼の心臓は無事に再生し、蘇生も行なわれているはず。今日はいつもより起きるのが遅いだけだと、チドリは体温のなくなった彼の肩に手を当てて身体を揺さぶる。

 

「八雲、桜たちも心配してるわよ。紛らわしいから、早く起きてよ……」

 

 チドリが身体を揺さぶっても青年は目を開けない。

 どこか穏やかな表情で眠ったまま、揺さぶられるままになっている。

 声を掛けている少女も本当は気付いているのだ。もうここに彼はいないと。

 だが、それを素直に認めるだけの余裕がない。視界が歪み、頬を温かいものが伝うのも気付かずチドリは声をかけ続ける。

 

「ねえ、ちょっと、聞いてるの? 八雲、目を開けて。お願いだから、起きてよ!」

 

 どうして目を覚まさないのか。怒ったような口調だった少女の声が震え、遂には懇願の色が混じる。

 ただ寝坊しただけだと、深く眠り込んでいていたから起きるのが遅れたのだと、そういっていつもの不遜な態度で目を開けてくれるだけでいい。

 彼の身体を揺らす少女はそれだけを願うも、既に魂が現世を離れた彼にはその声が届かない。

 

「なんでよっ! 何で、何で貴方が死んでるのよ! 私が、私なんかを助けなければ貴方は生きていられたじゃないっ!」

 

 助けてくれた事への感謝は当然ある。死を経験したからこそ、二度と自分が抜けていく奇妙な感覚を味わいたくないと思う。

 けれど、自分を助けたせいで大切な人が死ぬというなら話は別だ。

 チドリが涙を流しながら叫べば、同じように涙を流していた桜がチドリの身体を抱きしめた。

 湊が死んでしまった。その事実に立っていられなくなったチドリは、床に座り込んだまま桜の胸に抱かれて心の内を吐き出す。

 

「私、私はまだ八雲に何も返せてない! 次は私が助けるんだって、そのために強くなろうとしてたのに、なんで八雲が死ななきゃいけないのよ! なんでよ、返してよぉ! うあぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

 

 自分は彼に何も出来なかった。自分を生き返らせるために彼が死んでしまった。

 その二つの事実が彼女を苦しめる。

 だが、この場にいる誰もチドリの気持ちなど分からない。

 少女は疲れて意識を失うまで、ただ大声を上げて泣き続けた。

 

***

 

 チドリの声は廊下にいる者たちの許にも届いていた。

 これまでどこか現実感がなかったことで呆けていた者たちも、チドリの泣く声で彼が死んだのだと理解が追いついてきた。

 そうして、彼と親しかった少女たちも静かに涙を流し、ソファーから立ち上がった真田も何も出来ない自分に苛ついたように壁を殴りつける。

 

「畜生!」

 

 美紀の手術を待っている時は、他人に任せることしか出来ないもどかしさもあった。

 けれど、今回は違う。現場を離れている間に仲間たちを襲われ、真田にとっても恩人であった青年が敵の罠によって殺されたのだ。

 チドリを助けるために命を使ったなど問題ではない。そもそも、そうなる原因を作ったのは敵なのだから、湊はストレガとは異なるグループの人間と思われる者に殺された。

 真田にとってはそれが真実であり、彼が命を落とす際に自分が何もしてやれなかったことが悔しかった。

 チドリと同じように受けた恩を返すことも出来ず、幾月に続けて仲間がまた一人殺された事に真田が激しい怒りを燃やしていれば、ソファーに座って俯いていた天田がポツリと溢した。

 

「僕のせいだ……。僕が、勝手に持ち場を離れなければ、こんな……」

「お前のせいじゃねぇ。それを言うなら原因作った俺の責任だ」

「でもっ……」

 

 戦力が分散したのは確かに天田の行動が原因だ。

 しかし、そうなる原因を作ったのは自分だと荒垣が責任を感じている少年を宥める。

 ストレガと長谷川沙織たちが繋がっているのかどうか七歌たちは知らない。

 ただ、もしも手を組んでいるのなら、特別課外活動部や湊の弱所を上手く突いたものだと感心せざるを得ない。

 湊は特別課外活動部のメンバーという訳ではなかったが、チドリやアイギスが助っ人を続けている限りは彼という最大戦力を味方に出来る事があった。

 だが、その彼を搦め手で落とされた事で味方の士気はガタガタで、ここで折れて戦えなくなりそうな者すらいそうだ。

 普段は五月蝿い順平も黙って椅子に座っており、ふと袖をまくると自分の腕を見て乾いた笑いを漏らした。

 そこには腕を掴むような形で、人の手の痕が内出血として残っていたのだ。

 隣に座って泣いていたゆかりは、順平の腕の怪我をみて涙声のまま話しかけた。

 

「順平、その怪我……」

「あいつ、どういう気持ちでチドリを頼むって言ったんだろうな。立つにも支えが必要で、目だってろくに見えてなかっただろうに、それでも頼むっつった時にこんなくっきり痕が残るほど強く握ってきたんだぜ?」

 

 順平の腕に残っていた痕は、チドリを助けた湊が敵からの攻撃を防ぐ前に、立ち上がろうとして掴んだときの物だ。

 ただ、順平は立ち上がるために強く掴んだ訳ではないと理解していた。

 一人では立てず、目も見えていない状態でありながら、彼は自分が死んだ後の少女の安全を願って腕を掴んだ相手に“託した”のだ。

 それが順平だったことは偶然だろう。他の者だったとしても彼は同じように託したに違いない。

 ただそれでも、彼が命を懸けてでも守りたかった者を託された少年としては、湊の最期の願いをどうにかして叶えてやりたいと思った。

 そうして、しばらくすると別室で栗原から話を聞いていた桐条武治がやってきて、体調を崩した英恵に付き添い本家へ戻ると言って病院を後にし。諸々の手続きがあるからと鵜飼たちがチドリを車に乗せて帰った頃。

 まだ霊安室の傍から動けていなかった七歌たちは、ゆかりと風花も泣き止んだことで美鶴が昨夜の敵について話を切り出した。

 

「皆、あの時最後にやってきた敵の姿を見たか? 私の見間違えでなければ中学時代の有里と瓜二つに見えた。だが、彼には七歌たち以外に血縁者はいないと聞いている」

「はい。百鬼家は八雲君以外にもう誰もいませんでした。遠縁というのもなくて、百鬼家の関係者っていうのはあり得ないはずですけど。ただ、あの顔は……」

 

 美鶴も七歌も湊の死にショックを受けている。

 二人は彼の幼い頃を知っているので、他の者たちよりも思うところはあるのだろうが、敵が湊にソックリだったことは無視出来ない案件だ。

 七歌は百鬼の血筋に分家がいない事を知っているので、敵が百鬼家の人間では無いと断言出来る。

 ただ、あまりにも湊に似ていたので、整形したので無いとすれば、百鬼家に関わりのある人間としか思えない。

 正体不明な敵の少年について、七歌たちが考えられる正体を挙げていけば、これまで黙っていたアイギスが静かに口を開いた。

 

「……あの方は恐らくもう一人の八雲さんです」

「もう一人の? 君は何か知っているのか?」

 

 もう一人の八雲と言われて美鶴が怪訝な顔をする。

 どちらも八雲に見えたが、同じ人間が二人もいるなどあり得ない。

 相手の正体に心当たりがあるのであれば、詳しく話して欲しいと頼めば、アイギスは少しだけ顔を上げて他の者を見ながら説明した。

 

「詳しくは知りません。ただ、八雲さん。いいえ。湊さんとドイツで戦った後に聞いたんです。彼はエルゴ研の研究員が秘密裏に作ったエヴィデンスのクローン体、つまり百鬼八雲の細胞から作られた存在だと」

 

 アイギスの言葉に全員が目を見開いた。

 姉であるラビリスですら彼から聞いていなかった出生の秘密だ。

 彼から直接聞いたアイギスでもかなりの衝撃を受けたのだから、彼の死にショックを受けている者たちにすれば、余計に理解が追いつくのに時間が掛かるだろう。

 美鶴はアイギスの話した内容に混乱を見せながらも、必死に理解しようとしてさらに質問をぶつけた。

 

「彼が、八雲のクローン? 待て、どういう事だ。どうして八雲のクローンをエルゴ研の人間は求めた?」

「当時、エルゴ研は対シャドウ戦力として人工ペルソナ使いを生み出しました。ただ、その研究は被験体の適性値不足のため制御剤が不可欠という段階までしか進める事が出来なかった。なら、実戦経験を持つ自然ペルソナ獲得者と同一の細胞を持つ者なら、と考えた人がいても不思議ではありません」

 

 同年代の子どもたちでダメならば、成功体のクローンを作れば上手く行くのではないか。

 そんな単純ながらも、禁忌とされる技術に手を出した研究者が過去のエルゴ研にいた。

 美鶴は流石にそんなはずはと否定したかったが、子どもたちを集めて人工ペルソナ使いの実験の中で多数殺していた事を思えば、クローンを生み出していたところで不思議ではないと思ってしまった。

 しかし、アイギスの話にはおかしな点がある。それに気付いた真田が尋ねた。

 

「だが、おかしいだろう。あいつは美鶴の母親やお前の事を知っていたらしいじゃないか。事故の後に作られたというのなら面識などなかったはずだろ?」

 

 記憶の矛盾。クローンはオリジナルの細胞から作られるが、それは同じDNAを持っているだけでコピー人間という訳ではない。

 一卵性双生児というものがあるが、あれも言ってしまえば天然のクローンだ。

 だが、同じ姿をしていても双子は別人であるように、人工的に作られたクローンも記憶は自分の分しか持っていない。

 湊が英恵やアイギスの事を知っていたのなら、それは本人たちと会った経験を持つ八雲本人しかあり得ない。

 真田がそう指摘すれば、アイギスは言いづらそうに視線を床に落として答えた。

 

「……鬼と龍の一族には血に宿る力があり、八雲さんは血を介して自分の子どもに乗り移り、その人格を上書き出来る力があったらしいです」

 

 アイギスの言葉を聞いて他の者たちは一斉に七歌を見た。

 鬼と龍の一族には本当にそんな力があるのか。彼らの視線がそう尋ねれば、七歌はとても苦しそうに頷いた。

 つまり、クローンであった湊がオリジナルである八雲の記憶を持っていてもおかしくないという事だ。

 

「待て。待ってくれ。なら、彼はそれを知ってて戦っていたのか? 八雲の記憶を持っていても、自分がシャドウと戦うために生み出されたと、本当の意味での血の繋がる肉親などいない存在だと知っていたのか?」

 

 彼の出生の秘密を聞かされ、美鶴の思考はぐちゃぐちゃになっていた。

 シャドウと戦うために作られ、作られた用途通りにエルゴ研を脱走してから九年間も戦い続けていた。

 これではまるで以前のアイギスたちと同じ対シャドウ兵器のようだ。

 オリジナルと同じ見た目、同じ記憶、それらを持っているのに自分はシャドウと戦うために作られた人造人間。

 その事実を知った時、湊はどれほどの絶望を覚えたのかと想像するだけ胸が苦しくなった。

 

「なんだ、それは…………。それじゃあ、彼の人生は…………」

 

 どれだけ彼を苦しめれば気が済むのか。美鶴は父を含めたグループの人間に対し、怒りと情けなさを感じ。そんな彼を戦いに駆り出し死なせてしまった事への後悔から再び涙を流した。

 

 

影時間――辰巳記念病院

 

 青年が死んでから丸一日経った影時間。

 葬儀の準備に鵜飼たちは帰り、七歌たちも寮へ帰っており、現在、湊の遺体がある病院には桐条グループの研究員を兼ねた医者が数名いるだけだった。

 だからこそ、それを探知能力で知っていた者たちは、武装した状態で病院へやって来ると我が物顔で病院内を歩いて目的地を目指す。

 

「ふむ、どうやら貴方の話は真実だったようですね」

「最初から言っていただろ」

 

 ジーンズに通したベルトに無造作にリボルバーを差しているタカヤは、玖美奈の武器である大剣を持って不機嫌そうに歩く理に話しかけた。

 病院内の見取り図は幾月経由で入手しており、それに照らし合わせて湊の遺体が霊安室にある事は分かっている。

 昨日の時点では湊が死んだなど信じられなかったが、今も象徴化せずに遺体があるとなれば、流石に彼が死んだのは事実だと受け止めざるを得ない。

 二人の後ろを歩いているカズキとジンは、昨夜、理がマリアを殺した事で今もその背中を睨み付けている。

 だが、幾月から依頼された仕事が重要であるとは理解しているようで、理を入れた四人組で桐条グループの施設に向かうという指示には従っていた。

 

「さて、この先のようですね」

 

 緑色の光に照らされ、普段以上に不気味な様子の病院内を進むタカヤ。

 彼は来る前に見ていた地図と現在地を比べ、今いる廊下を進めば目的地だと告げて薄く笑う。

 隣を歩く理はただ真っ直ぐ正面を睨んでいて、どことなく余裕がないように見えた。

 それを横目で見ていたタカヤは、彼がそんな態度でいる理由が分かっているからか気にした様子もなく廊下の奥を目指す。

 

「……ここか」

 

 目的地に着いた理は金属のバーを掴んでドアを横にスライドさせて開けた。

 彼が中に入れば、影時間だというのに冷房が効いているのか冷気を感じた。

 部屋の用途を考えれば当然なのだが、廊下の明かりは落ちているというのに、決まった部屋はしっかりと影時間でも電源を確保しているのだなと小さく感心した。

 もっとも、そう考えたのは部屋に入ってから数瞬のことで、部屋の真ん中に置かれた台の上に横たわる青年を見ると理は目を僅かに細めてそちらに近付いた。

 顔には白い布をかけられ、服装は昨夜のものから薄緑色の入院着に着替えさせられている。

 流石に血に染まり胸に穴の開いた服を着せたまま霊安室に入れる気にはならなかったのだろう。

 理が黙って湊の遺体を見つめていれば、タカヤが顔の布を取り払って脈を測るように首に手を当てた。

 

「……冷たいですね。それに、ここに彼はいない。見ただけでそれが分かりました」

「見た目は寝とるようにしか見えへんのに不思議なもんや」

「何言ってやがンだ。死体なンざ今まで散々見てンだろ。他のやつらと何も違わねェよ」

 

 あれだけ強烈な力を見せていた青年が冷たくなって静かに寝ている。

 外傷もなく、触らなければ、ただ寝ているようにしか見えない。

 カズキは強がって同じだと言ったが、これまで依頼で何人も殺して死体を見ていたタカヤたちも、湊の遺体は他の者とはどこか違うように感じていた。

 人から一歩進化した存在故か、それとも彼の強さに憧れや恐れを抱いていたからこそ思う事があるのか。

 脈を測るために首に触れていたタカヤが離れ、三人がただジッと湊の遺体を眺めていれば、今まで黙っていた理が他の者にどくように言った。

 何をするつもりかと思いつつ場所をあければ、理はその手に持っていた大剣を振り上げ、そのまま湊の首に向けて振り下ろした。

 

「……蘇生されたらかなわないからな。幾月さんの命令は遺体の回収だ。これでどうやっても蘇生出来ないだろ」

 

 振り下ろされた大剣は湊の首を骨ごと断ち切り、遺体を寝かせていた台に食い込んだ。

 切られた衝撃で転がった頭部を笑って掴んだ理は、持ってきていた袋にそれを入れ、残りの身体とは別にしておく。

 エルゴ研の研究員だった飛騨のパソコンから、過去に湊が蘇生した事があるという情報を入手しており。それを警戒しての措置だが、彼の優越感に浸った笑みを見ていたタカヤたちは、それだけが理由ではない事は察していた。

 確かに力はあるようだが、どこか幼稚な部分があり精神的に未熟と言える。

 無論、それでも仕事さえしてくれれば、手を組んだ者としては文句はないのだが、コンプレックスの原因である湊が死んだ事で少しは改善すればいいがと淡い希望を抱きながら、タカヤたちは死体を入れる用の袋に首のなくなった湊の身体を収納した。

 

「さぁ、仕事は終わりだ。研究所に戻るぞ」

「ええ。あちらに気付かれても面倒です。出くわす前に帰るとしましょう」

 

 右手に大剣を持ち、左手に頭部の入った袋を持った理を先頭に部屋を出て行く。

 研究用に湊の遺体を回収してきてくれという幾月の依頼はこれで達成した。

 特別課外活動部たちがやって来ても返り討ちに出来る自信はあるが、今は彼女たちと遊ぶ気分ではない。

 先を行く理を追うようにタカヤたちも湊の身体が入った袋を担げば、少し足早に病院を出てアジトの研究所へと帰っていった。

 

 


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