11月3日(火)
午前――巌戸台分寮・七歌私室
ついに満月の日がやって来た。
今日の夜、零時を過ぎれば最後のアルカナシャドウが影時間に現われる。
影時間の存続を望んでいるストレガたちも、恐らくは最後のアルカナシャドウを守ろうとやって来るに違いない。
だが、病院のカメラに映っていた本物の八雲はストレガの仲間なのか。
敵対している可能性は低いが、だからといって完全に仲間であると判断出来るだけの材料は揃っていない。
自室のベッドに腰掛けて考え込んでいる七歌も、八雲と長谷川沙織がストレガのメンバーとして現われれば本当に自分は戦えるのかと悩んでいた。
(沙織はともかく八雲君はどっちなんだろう。今の場所に固執するようになっているのか、それこそが正義だと騙されているのか……)
ただ相手を敵として戦うなら七歌でも出来る。
沙織にも事情はあるのだろうが、問答無用に襲いかかってきた馬鹿が相手なら、七歌は友人だろうと心を痛めず殴れる人間だ。
自分だって相手にはペルソナや影時間について説明していなかったのだから、どうして秘密にしていたんだと責めるつもりは勿論ない。
けれど、その戦いの規模によっては最悪戦って倒すのではなく、全力を振り絞っての殺し合いに発展しかねない。
殺す事に一切の躊躇いを持っていない人間を無力化するのは難しい。
湊のように様々な技術を習得し、それらを十全に使えた上で相手よりも強ければ可能なのだろうが、ペルソナに関しては完全に負けている状況だ。
前回のことで長谷川と八雲に人殺しに対しての抵抗感がないことは理解している。
ストレガもそれは同じで、逆に七歌たちの中に人を殺せるメンバーはいない。
常に最悪を想定して準備しろとは言うものの、過去の大人たちの失態を尻拭いしてやっている子どもに、自分の手を汚す覚悟をしろとまでは流石に言えない。
殺されそうになって逆に相手を殺めてしまった時を想定し、メンバーたちのメンタルケアの準備くらいは出来るだろうが、桐条グループも子どもたちが人と殺し合う事になるなど思ってもみなかっただろう。
(ま、それでも誰かが泥を被るって言うなら、私がやるしかないよね。友達と親族が相手ならさ)
七歌の個人的な感情としては、ストレガたちに関してはお前たちの責任だろうと桐条グループに丸投げしたい。
しかし、桐条グループの大人たちはペルソナを使った影時間の戦いにおいて無力。
過去に湊から聞いた話によれば、エルゴ研の人間たちは逃げ出そうとする被験体たちを黄昏の羽根を搭載した対シャドウ銃で撃ち殺したらしい。
それを使えば適性はあれどペルソナを持たない人間でもペルソナ使いを害する事は出来る。
全ては桐条の罪。そう言うのであれば、自分たちの手を汚してみせろと湊が怒りを見せていたというのも今では納得出来る。
事故を起こしたシャドウの研究、実際にそれに関わっていた人間はもう桐条武治しかいないとは言うが、中心的な研究に関わっていた人間を除けばまだ生きている者はいるのだ。
いっそ、そういった人間に特攻でもさせれば良いのにと、仲間たちが人を殺める事になるかもしれないことを考えた七歌は荒んだ心の内でぼんやりと思った。
影時間――巌戸台分寮・作戦室
時間は夜になり、影時間がやってきた。
作戦室には特別課外活動部のメンバーと栗原、そしてチドリとラビリスの姿がある
ただし、そこにアイギスとコロマルの姿はない。
チドリは湊の願いを叶えようとシャドウ討伐のために再び立ち上がったが、アイギスは最後のアルカナシャドウとの戦いだと聞いても心が揺れなかったらしい。
もし、そのタイミングを狙ってストレガの別働隊がアイギスを襲撃すれば危険だからと、ラビリスは今回もコロマルだけは護衛に残してきた。
本当ならばラビリスも湊の死を悼んでいたいに違いない。
家族として過してきたチドリほどではないにしろ、ラビリスも三年近く一緒に暮らしていたのだ。
他の者たちよりも付き合いの深さでは勝っている分、チドリやアイギスのようになってもおかしくない。
そうならないのは、彼女には自分以上に傷ついている妹がいたこと、そして、彼と交わした学校へ通うという約束が残っていたからであった。
今も彼女は他の者と同じように真剣な表情で座っている。
最後のアルカナシャドウを倒し、影時間の戦いを終わらせることだけを考えているのだろう。
集まった子どもたちの顔を見ていた栗原は、彼女たちが自分以上に覚悟が決まっている事を理解して小さく溜息を吐いた。
「巻き込んでおいて悪いがこれで最後だ。敵の妨害も十分に考えられる。むしろ、ここにきて来ないって事はないだろう」
どのタイミングでストレガたちがやって来るのか分からない。
戦いが完全に始まってから背中を狙ってくるのか、そんな事をせずとも勝てるからと正面からやって来るのか。
ただ、どちらのタイミングで来るかは分からなくとも、来ないという事だけはないだろうと全員が確信を持っていた。
「……場所が分かりました。シャドウはムーンライトブリッジにいます。そして、ストレガたちもいるようです」
進化したユノの力で索敵していた風花の言葉を聞き、何故アルカナシャドウの傍にいてストレガたちは狙われていないのかとメンバーは疑問に思う。
不思議には思いつつも既に現場にいるなら無駄に警戒する必要がない分ありがたい。
既にやる気に満ちた表情をしている真田も、右掌に逆の左拳をぶつけてから口を開いた。
「向こうも来るというのなら全力で叩き潰すまでだ」
「仇討ちなんて柄じゃねぇがこのままで済ます訳にもいかねぇしな」
真田の言葉に荒垣も頷いて静かに答える。
あの日、天田と和解したときに彼のペルソナも新たな姿に変わっていた。
真田のペルソナが進化したのを見て、荒垣自身は自分の犯した罪に対する戒めとして、その事を一生忘れないようにペルソナが変化する事を心の中で拒んでいた。
しかし、一時湊に預けていたためか、カストールは僅かに存在を弄られていて天田との和解を機に変化してしまった。
彼が新たに得たペルソナは法王“アルケイデス”。
獣の皮を使った簡素な腰巻きとマント、そして巨大な棍棒を持った筋骨隆々な男性型のペルソナだ。
荒垣が仲間にそれを報告すると、アルケイデスという名に覚えがなかったのかメンバーたちはどこの神だと首を傾げたが、調べてみればそれはギリシア神話最強と呼ばれるヘラクレスの幼名だった。
ヘラクレスは十二の試練を越えることで神の一柱と認められた存在。
荒垣もまた彼にとって大きな試練を乗り越えた事でその力に目覚めたようだ。
おかげで風花も入れればメンバーには進化したペルソナを持つ者が五人になった。
真田、天田、荒垣、風花、チドリ。風花は戦わないにしても、以前よりも速く深く情報を探ることが出来るようになっている。
最初からストレガたちと戦える力を持っている七歌とラビリスも合わせれば、ゆかりと順平と美鶴が援護しか出来なかったとしても十分に戦えるだろう。
ただ、それはあくまで敵がストレガだけだった場合だ。
やる気を出している男子たちとは対称的に、やや不安そうな表情の美鶴が風花に尋ねた。
「山岸、ストレガの人数は分かるか?」
「はい。えっと、三人です。女子がいないみたいですね」
美鶴たちが知るストレガのメンバーは男女三人ずつの計六人。
八雲と玖美奈を入れれば八人となり、特別課外活動部との人数差もほとんど無視出来るレベルにはなる。
ただ、八雲たちに加えて女子の反応もなかったことで、相手側の出方が余計に分からなくなった。
「ふむ、八雲たちに加えて女子もいないのか」
「けど、乱入してきた二人って直前まで反応なかったんですよね?」
ストレガメンバーの内、数人がいないなら分かれて動いていると思える。
しかし、類い希な身体能力を持っているマリアだけでなく女子全員が八雲たちと行動しているのかと美鶴が考えていれば、ゆかりが前回の事を思い出しながら尋ねた。
超遠距離からの狙撃をしてきた八雲はともかく、アイギスに襲いかかった玖美奈は姿が見えるまで一切反応がなかった。
湊のように反応を消していたのかと最初は思われたが、姿が見えれば玖美奈の反応は一定距離まで離れるまでは追うことが出来た。
相手が湊であれば姿が見えていても反応は消せているので、同系統の能力にしても湊よりも弱く、別の能力であれば一度発見してしまえばある程度は追える事になる。
ただ、その見つけるまで敵の奇襲に警戒しなければならないため、どうしたものかと考えていれば、ユノを消して席に戻ってきた風花が全員に向けて話しかけた。
「もしも、敵がステルス系の能力を持っていても近くにいれば気付けると思います。ユノに進化してから小さな存在の揺らぎとかも分かるようになったので」
「なるほど、頼もしいな。遠距離からの攻撃手は分かるか?」
「距離にもよりますが、ムーンライトブリッジは海風の影響を受けます。地形データをいくら正確に把握していてもキロ単位での狙撃は不可能だと思います」
前回の戦いの場は周囲に高い建物のない街中だった。
それ故に一定の高さがある場所からであれば風も読みやすく、障害物が少ない事から狙い通りに当てることも可能だった。
しかし、ムーンライトブリッジは海の上を通っており、海面からの高さもかなりあるので風が強い上に読みづらい。
近くに高い建物もない訳ではないが、橋の上を狙うには難しい角度という事もあって前回のような狙撃は環境データを正確に入力した機械であっても不可能だ。
それ故、八雲と玖美奈を含めた相手の主戦力が後から合流するにしても、狙撃に関しては警戒する必要がないと風花は力強く告げた。
前回の戦いから最も警戒していた狙撃がないと分かると、他の者たちも僅かに安心した表情になる。
敵の増援は警戒するに越したことはないけれど、そういう事ならば必要以上に警戒する事はない。
風花の索敵と前衛組以外のメンバーのフォローで対応、厳しいようなら隊列を変えて動けば良い。
もっとも、ストレガの相手はあくまでオマケ。妨害されては面倒だから抑えるに過ぎない。
メンバーたちの本当の相手は最後のアルカナシャドウ、刑死者のアルカナを持つ大型シャドウだ。
三人のストレガの相手をしながら、これまでで最強のアルカナシャドウを相手しなければならない。
ここに敵の増援の可能性があるというのだから非常に厄介だ。
既にやる気を見せている真田たちはストレガの相手をしたがっている。
前回は天田と荒垣の因縁を利用し、上手く仲間から分断された二人を亡き者にしようとした。
その前には真田の妹である美紀を狙い。後少しでも湊による治療が遅れていれば彼女は死んでいた。
本人たちにとってそれだけの恨みがある上に、湊の遺体を持ち去った実行犯としてストレガの男たちと八雲がカメラに映っていた。
つまり、ストレガと八雲たちは繋がっており、チドリを一度は殺害し、蘇生の代償として命を落とした湊を間接的に殺してどこかへと遺体を持ち去ったという事になる。
かつては真田も湊に対して一方的に嫉妬からくる恨みを覚えていたりもしたが、美紀を助けてもらった事で彼に多大な恩を感じていた。
いつかは妹を助けてもらった恩を返そうと、何かあれば自分の全てを懸けて恩に報いようと思っていた矢先に湊が死んだ。
チドリを蘇生させた代償だとは聞いているが、そうさせたのは八雲と仲間であるストレガだ。
失ったものは戻らない。ただ、このまま影時間を消して終わりというわけにはいかない。
メンバーの割り振りについて考えている七歌に、本来ならば褒められた事ではないが、真田は自分の素直な気持ち先に伝えておく事にした。
「九頭龍、俺はストレガとやらせてくれ。勿論、アルカナシャドウの弱点によってはそっちを担当するが、最後にあいつらに一発決めなければ気が済まない」
「気持ちは分かりますけど、あんまり感情的になられると困りますよ。先輩たちの様子だと荒垣先輩と天田君もそっち希望でしょ? ペルソナ進化した三人が固まるのはバランス的もちょっとね」
進化した三人のペルソナはストレガと十分に戦えるどころか、単体の力で見れば上回っているようにすら見える。
そうなると誰かしらはストレガの抑えに回って貰う必要があるものの、全員がそっちに行ってはアルカナシャドウや敵の増援が来た時に困るかも知れない。
ラビリスは進化ペルソナと同等の強さを持っているし、チドリのペルソナが進化している事も聞いている。
ただ、それでもやはり一人はアルカナシャドウの方に欲しいと七歌が伝えれば、普段は全体を見て話をする荒垣が珍しく個人の事情を優先させて欲しいと真田に同調した。
「逆に言えば俺らだけでストレガを抑えてみせるって事だ。俺のアルケイデスはカストールよりも強い。けど、預けてた間にあいつの力を分け与えられてたのか完全に制御出来る。絶対に何があってもあの三人に邪魔はさせねぇ」
「僕もお願いします。あいつらは多分、皆さんの命を狙ってきます。影時間が終わるならって自棄になる可能性もあるかもしれません。そんなやつらを殺さずに倒そうってなったら総力より個人の実力の方が重要だと思うんです」
真剣に話す荒垣と天田の言い分も分かる。
前回も的が厄介だと分かったからこそ、単騎でも相手が出来る湊にアルカナシャドウを一体任せたのだ。
今回も他のメンバー全員で戦えるよう、出来る限り少人数でストレガを抑えてくれた方がありがたいのは確かだ。
となると、やはり天田たちの言い分はあながち無視出来ないのだが、ここで順平が他の者たちの話を黙って聞いているチドリに声をかけた。
「つか、チドリはどうするんだ? あいつらと戦うのか、当初の予定通りシャドウと戦うのでいいのかさ」
「……シャドウを倒すわ。八雲の偽物が出たら戦うかもしれないけど」
「そっか」
少女の言葉に順平はどこか安心した様子で短く返す。
チドリにとっては湊こそが八雲であった。
アイギスから話を聞いた者はどちらが本物でクローンなのかも聞いているが、彼女にとってはそんな事はどうでもいいらしい。
湊が果たせなかった影時間の解決とシャドウの討伐。今の彼女が活動している理由はそこなので、邪魔をするのであれば戦いもするが、怨敵である敵側の八雲が現われない限りはストレガは後回しにするということだった。
話を聞いていた他の者たちは、“八雲の偽物”という単語に少し困った表情になっていたが、メーディアからさらに魔法特化型へと進化したヘカテーの力を借りられるのはありがたい。
七歌は逆に玖美奈のフレイに対抗しようと、近接向けのペルソナを強化してきたのでバランスがいい。
そうして、チドリがシャドウとの戦いを優先してくれると言った事もあり、七歌が真田たちの要望を聞き入れると、それぞれが準備を整え決戦の場所へと出発した。