【完結】PERSONA3 Re;venger   作:清良 要

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第三百四十三話 自分の心と

夜――マンション“テラ・エメリタ”

 

 時は少し遡り、七歌たちが食事会をしている頃。

 ラビリスが湊と暮らしていたマンションの部屋では、遅い時間ながらラビリスが夕食を用意してアイギスとコロマルと共に食べていた。

 普段はベッドで布団にくるまるように寝ているアイギスも、ラビリスが食事や風呂だと伝えればゆっくりではあるが動いてくれる。

 もっとも、今のアイギスは半分無気力症のようなもの。

 本来の無気力症ならば抜け出したシャドウやアルカナシャドウを倒せば回復する。

 しかし、アイギスの状態は心因性のものであるため、彼女自身が乗り越えるか、時間の経過で心が回復することを祈るしかない。

 鶏の鍋を器によそって渡しながらラビリスはアイギスに話しかける。

 

「ようやく終わりやね。まぁ、ウチは実験を除いたら二年くらいしか戦ってへんけど、それでもこれで終わりって聞くと安心な気もするわ」

 

 ラビリスたち対シャドウ兵装シリーズはシャドウと戦うために作られた。

 危険なシャドウの研究をするにあたって、それに対抗する手段を考えるのは当然。

 眞宵堂店主の栗原が在籍していた時に、シャドウと同系統の力でありながら、人から生み出される異能としてペルソナの存在が示唆された。

 当時はまだシャドウがどういった存在なのか分かっておらず、だからこそ、シャドウとペルソナが表裏一体だとは気付かれることはなかった。

 そのため、シャドウの対抗手段として存在するとみられたペルソナを、どうにか兵器にも搭載出来ないかと考え、桐条グループはオーパーツである黄昏の羽根に人格をインストールすることでロボットに人間性、もっと言えば心を持たせようとした。

 

「ウチらは戦いが終わったら廃棄処分されることになったんやろか。まぁ、今頃言っても今更な部分もあるんやけど」

 

 対シャドウ兵器に精神を与える事、加えてペルソナを発現させる事、それらの実験は結果から言えば成功した。

 五式となる機体のテストベッドたちを戦い合わせて、戦闘経験を積ませると同時にそれぞれの精神面の成長も促したことで、同型モデルの姉妹全員分のメモリーを得たラビリスは感情を獲得した。

 もっとも、感情を獲得した事で心を持つ自分や姉妹の扱いに激昂し、施設を破壊して脱走を図ったことで彼女は拘束後に機能停止され、湊が研究所に封印されているのを発見するまで眠ったままだった。

 あのまま影時間の戦いが終わっていたどうなっていたのか。

 また、封印が解かれて活動していたとしても、彼女たちが作られた理由であるシャドウとの戦い自体が終わってしまえば、人や物を簡単に破壊する事が出来てしまうラビリスたちは社会の脅威でしかない。

 いくら心があると言っても人間どころか生き物ですらないのだ。

 人を中心とした社会を良くするために作られた法律では、人型兵器を守ってくれることはない。

 仮に守られるとしても、それは桐条グループという所有者のいる機械として扱われる場合であり、そこに彼女たちの心に対する配慮は一切ない。

 もし、湊とEP社の協力で人間の身体にしてもらえていなければ、自分は人なのか物なのかと深く悩んでいた事だろう。

 どうして彼があんなにも研究を急いでいたのか、今になってようやく理解出来たラビリスは、箸で摘まんだ白菜を口に運んで咀嚼してから飲み込み再び話す。

 

「戦い自体は辛いことやったけど、それを通じて得たものもあったわ。妹と会えて、友達も出来て、人格モデル(お母さん)が願ってくれた学校にも通えるようになったし」

 

 ラビリスの人格モデルとなった少女は、自分が学校に行けなかったからこそ、自分の人格をコピーして生み出される五式シリーズの娘たちが学校に行くことを願っていた。

 別に学校に行けなくても幸せになってくれれば良いとも考えてくれていたが、今のラビリスは学校に通って幸せに過ごせている。

 戦いも終わり、これからもその日常が続いていくならば喜ぶべきだ。

 しかし、ラビリスの対面に座っていた少女は、姉のように素直にそれを喜ぶ事は出来ないと、久方ぶりに自分の心情を吐露してきた。

 

「……でも、その平和な世界に八雲さんはいないじゃないですか」

「……アイギス?」

 

 湊の遺体が盗まれて以降、アイギスはずっと無気力に過してきた。

 大切な人が死んだのだ。そういう時期があってもしょうがない。

 そう考えてラビリスは自分も悲しいと思いながらも、どうにか彼との約束を果たしながら妹の世話を続けてきた。

 アイギスがその間に発した言葉など、はい、わかりました、程度で会話らしい会話など皆無だった。

 だからこそ、彼女が久しぶりに話していることは喜ばしいのだが、テーブルの上に並んだ食器に視線を落としながらアイギスは言葉を続ける。

 

「十年です……。十年掛けて、桐条グループも必死に対策を続けて来たのでしょう。でも、結果から見れば桐条グループの為した事は多くありません」

 

 影時間が毎日現われるようになったのは十年前の事故が原因。

 その事故で生き残った者や、新たに雇い入れられた者たちは、どうすれば影時間を消せるのだろうかと研究を続けてきた。

 自分も研究に関わっていたにしても、桐条武治も先代の暴走に巻き込まれた形で事故に遭って怪我を負った身だ。

 片目を失明する大怪我だが、トップとしての役目を果たし心ない報道に晒され続けながらも、影時間を消す方法を探すというのは並み大抵の精神力で出来る事ではない。

 ただ、それでもアイギスにとっては、桐条グループが十年の中で為した事は十分とは思えなかった。

 

「わたしたちは兵器でした。人間が無事でいられるよう、代わりに戦って、人々を守って平和を維持するのが役目だったはずです」

 

 桐条グループには対シャドウ兵器シリーズを作るだけの技術とノウハウがあった。

 デスとの戦いで倒れたアイギスがラストナンバーだと言われているが、敵が不完全な状態にしろシャドウの王と相打ちに持ち込むだけの実力があったのだから、その後も生産を続けていれば戦力に困ることなどなかったはず。

 そこにどういった理由があったのか分からない。だが、桐条グループは事実としてそこで対シャドウ兵器シリーズの生産をやめてしまった。

 もっとも、彼女たちは知らないがその後に数体だけRシリーズと呼ばれる弟妹機が作られてもいるのだが、それらはアイギスたちのように実戦に配備されることもなければ、表立って運用されてもいないため極限られた関係者しか存在を知らない。

 増産された後継機でもそういった有様では、戦力が不足していると常々言っていたのは嘘だったのかと疑いたくなる気持ちも分かる。

 何より、その戦力が足りないという状況の打開策が、どうしてよりにもよって無関係の子どもたちに犠牲を強いる事だったのかと、当時動けなかったアイギスは自身と桐条グループに対して憤る。

 

「でも、肝心な時に動けなくて、代わりに八雲さんや被験体となった子どもたちが犠牲になっていたんです」

「それは機能停止してたからしょうがないやろ? 機械の身体だったときのウチらは自分の意思だけでは動かれへんかったし」

「コアの移植でも、新しく弟妹機を作るでも方法はあったはずです。そのために作られた存在なのですから」

 

 シャドウと戦うことを目的に作られていながら、この十年で対シャドウ兵器が実際に稼働したのはラビリスの封印が解かれてからだ。

 それも桐条グループの決定ではなく、ただ偶然彼女を見つけた湊が自由にさせようとした結果でしかない。

 これでは何のために対シャドウ兵器シリーズを作ったのか、何のためにラビリスの同型機たちは犠牲になったのか分からない。

 彼が死んでからずっと自分の存在意義について考えていたアイギスは、視線を上げてラビリスと目を合わせて話す。

 

「八雲さんがどんな風に生きていたのか聞きました……。幼い子どもが、力を得るために自ら手を汚し、影時間にはシャドウを狩り続ける毎日。本来与えられて当然の平和な日常を自分から捨てて、これ以上無関係な人たちが犠牲にならないようにと戦っていたんです」

 

 アイギスの目を見て、彼女がどうして急に感情を露わにしたのかラビリスも察する。

 これまでアイギスはどこかで自分の存在意義を認識していたのだろう。

 対シャドウ兵装シリーズとして作られた存在であるが故に、生体パーツを使って作られた人造人間になってからでも、自分にはシャドウを倒して人々を守る使命があると。

 しかし、最後のアルカナシャドウを倒した事で影時間が終わってしまった。

 アルカナシャドウとの戦闘に参加し、最後の敵を倒してくれば無事に役目を終えることが出来たと思えたかもしれない。

 役目を果たした事でこれからは自分の人生を歩むことが出来ると。

 だが、彼女は大切な人の死によってそうすることが出来なかった。

 戦闘に参加しなかったのは自己責任。いつまでも伏せっているのは彼女の心が弱いから。そう考える者もいるかもしれない。

 ただ、アイギスと同じように機械の身体から人間の身体になったラビリスだからこそ、どうして彼女がここまで大切な人の死に落ち込んでいるのか分かった。

 

「そんな人が、どうして、なんで死なないといけないんですかっ!!」

 

 膝の上で拳を握り締め、アイギスが目に涙を溜めて叫ぶ。

 彼女の心は弱いのではない。単純にまだ幼いのだ。

 人格モデルの人格をそのままコピーしたパーソナルを持っているラビリスは、最初からどことなく人間らしさがあった。

 それに対し、ラビリスが実験の最終段階で暴走した件から方法を改めたことで、アイギスは『7式特別兵装開発計画』として複数名の被験者の人格をサンプルとして集めて切り貼りするように再構築して今のパーソナルを作った。

 インストールされた知識のおかげで精神年齢は見た目相応ながら、感情面での自我の発達が未熟だったからこそ、アイギスは精神的な支柱になっていた青年と使命を失ったことで、どうしたら良いか分からなくなり溜め込んだ気持ちを吐き出すしかなくなったに違いない。

 そんな妹の様子をただ黙ってラビリスが見つめる中、アイギスは水色の瞳からぼろぼろと涙を流して言葉を続ける。

 

「いくら世界が平和になったって、影時間が終わったって、そこに八雲さんがいないのなら、わたしにとっては意味がないんですっ。わたしは、わたしは八雲さんに死んで欲しくなかった。……いいえ、生きていて欲しかったんです」

 

 大切な人がもういない。それをようやくはっきりと彼女は理解した。

 これまで分かっていたつもりだったが、どこかで心が麻痺してはっきりとは認識出来ていなかったのだろう。

 一月でそれが分かるようになったのを早いと思うべきか、随分と時間が掛かったと思うべきか。

 自分もどこかで湊の死を実感出来ていなかったラビリスは、人の事ばかり言っていられないなと静かに涙を流しながら席を立って妹に近付くと彼女を抱きしめた。

 

「……そっか。アイギスは、本当に湊君が大好きだったんやね」

 

 こんな悲しい出来事を通じて知りたくはなかったが、妹の成長が嬉しいラビリスはアイギスの頭を胸に抱いて頭と背中を撫でる。

 いつか自分も湊にやって貰ったことを思い出しながら、ただ相手を安心させるように優しく続けて語りかけた。

 

「あんな。ウチも人から聞いたんやけど、好きって気持ちには二種類あるんやって」

「二種類、ですか?」

「英語にするとライクとラブ。好ましいと愛しいがあるらしいわ」

 

 どうしてアイギスがここまで彼に執着するようになったのかは分からない。

 それでも、ラビリスはアイギスの中にある湊への想いが、昔と同一ではないと何となく理解できた。

 彼女がここまで苦しんでいるのも、ただ好きな相手が死んだからではないのだろうと。

 

「多分、今までのアイギスはずっとライクやったんちゃうかな。最初に会った時にそう感じたから、途中で変わってもそうやと思い続けてた。でも、本当はとっくに変わってたんちゃう?」

 

 今の彼女に必要なのは自分の心と向き合う事だ。

 しっかりと自分の心の向きや状態を自覚し、そこからどうしたいのか、これからどうして行くべきかを考えていく。

 少女の中にある青年への想いは、本来ならゆっくりと時間を掛けて自覚していくべきものに違いない。

 ただ、彼女が再び立ち上がるには、今を逃せば次はいつ機会がやってくるか分からない。

 そうして、ラビリスは恋愛面で妹より数歩先を行く女性としてアドバイスをする。

 

「アイギスは湊君とどうなりたかったん? 自分が望む未来でどういう形でいたかったん?」

「わたし、は……ただ、一緒にいたかったんです。ずっと、八雲さんの隣で、あの人が笑顔でいてくれれば、わたしはそれだけで自分も幸せでした……」

 

 本当の気持ちと向き合うなら段階を踏んで理解させればいい。

 自分で考えて、自分の言葉にさせることで彼女もゆっくりと本心を理解する。

 

「その時、他の子が隣にいてもええの? チドリちゃんとかゆかりちゃんとか風花ちゃんが一緒でもかまへんの?」

「それは…………八雲さんが望むのであれば、皆さんと一緒でも……」

「でも、個人的には違うんやろ? 自分と一緒にいて欲しい。自分だけを見て欲しい。湊君を独占したい。そう思ってる自分はおらん?」

「…………いない、訳ではないと思います。でも、もうその八雲さんはいません。どれだけわたしが彼を好きでも、もうこの想いに意味はないんですっ」

 

 こんな事を話したって彼がいない以上はIFどころか妄想でしかない。

 想いを向ける相手を失った感情など価値はないと、アイギスがそういって自分を抱きしめていたラビリスを押し退ければ、距離を置いて妹を見つめる相手は真剣な表情で言葉を返した。

 

「あんな。確かに湊君はおらんけど、アイギスの気持ちは今もここに残ってるんやろ? なら、それを否定したらアカンよ。人の記憶からも消されてもうたら、湊君がこの世界に居た証がなんも残らんくなってしまうから」

 

 彼がしてきた影時間の戦いは表の世界で語られることはない。

 日常の中で大勢の人間を助けてきた事は有名ではあるが、彼が影時間の中で行なってきた事に比べればお飯事のようなものだろう。

 だからこそ、時間が経てば湊の事は人々の中から消えていってしまう。

 まるで最初から存在しなかったかのように、人で溢れるこの世界から“有里湊”という人間がこぼれ落ちていくのだ。

 なら、どうすれば彼の存在をこの世界に残しておけるのか。

 それは彼と関わってきた者たちが、その記憶の中に留めておくしかない。

 姉の言葉を聞いたアイギスはどこかハッとした表情を浮かべ、一度視線を落とすとしばらく黙り、時間が経ってから再び口を開いた。

 

「……ずっと、夢の世界で八雲さんと会おうとしていたんです。繋がりが消えても、夢の中でなら会えるんじゃないかと思って」

「それで、夢で会えたん?」

「……はい。でも、夢の中の八雲さんはずっと同じでした。過去の映像の再現。思い出を繰り返し見ていただけで、繰り返すたびに目が覚めると辛い気持ちが増していきました」

 

 夢で出会っても、目が覚めれば現実が彼女を襲う。

 そして、繰り返し見る度に、もうその思い出が増えることがないと徐々に理解していく。

 彼女の辛い気持ちが増した理由はそれを無自覚に分かっていたからだろう。

 本人がそこまで理解できていたなら、あともう一押しだとラビリスは再び問いかけた。

 

「なら、もう湊君との記憶はいらん? 意味がないなら、もう思い出を消してもええと思う?」

「……いいえ。意味がなくても、思い出す度に辛く感じても、八雲さんとの思い出を消したくはありません。これは、わたしだけが持つあの人との大切な絆ですから」

 

 ラビリスの言葉にアイギスは静かに首を振って否定する。

 彼との思い出を持つ者は他にもいる。ただ、アイギスの持つ思い出は彼女だけが持っている湊がここにいた証だ。

 それを消すということは、アイギスの手で彼を殺す事と同義である。

 そんな事はしたくない。どんなに苦しくても思い出を持ち続けていたい。

 自分の気持ちと向き合えば、どうしてラビリスが最初に好きという言葉の意味を語ったのかもようやく理解できた。

 

「姉さん、わたしは姉さんの言う通り。多分、八雲さんを好きだったんだと思います。昔は一緒にいられたらいいと思っていました。でも、今はただ一緒にいたいんじゃなかったんです。彼の事をもっと知りたい。わたしの事をもっと知って欲しい。一緒に笑い合っていたい。いつまでも二人で一緒にいたいと思うようになってしました」

「そっか……。あんな、さっきは好きに二種類あるって言ったけど、好ましいと愛しいの他に恋しいって気持ちもあんねん。まぁ、これは好きって言葉の意味やないけど、アイギスの気持ちはそういう状態やと思うわ」

「……恋しい。言葉の意味は知っていますが、そうですね。この胸の苦しさはただの喪失感ではないと思います。今の言葉を聞いて納得できました。わたしは八雲さんに恋をして、愛していたんだと思います」

 

 自分の気持ちと向き合ったアイギスの瞳にはしっかりと光が宿っている。

 ラビリスがそれを理解して彼女を見つめれば、アイギスも正面から見つめ返して、自分の気持ちをハッキリと言葉にした。

 その変化が彼女の心の化身、ペルソナにも変化として現われる。

 

「ペルソナの姿が……」

「心の成長、アイギスが自分の気持ちに気付いた証やね」

 

 彼女の頭上に現われた青銅色の神像は、光に包まれてその姿を変える。

 眩い光の中から現われたのは、宙に浮く巨大な盾を展開し、その手に鋭い槍を持った武装した女性型のペルソナ。

 これまでのペルソナが作り物の身体でしかなかったのに対して、新たなペルソナはどうやら生身であるらしい。

 それはまるで彼女が機械から人になった事を表わしているようだ。

 

「ありがとう、アテナ」

 

 影時間が終わった以上、もうこの力は必要ないはずだが、最後にちゃんと自分が人として成長できていた事を知れたのは嬉しい。

 そう思ったアイギスは消えていったペルソナの存在を自分の中に感じ、胸に手を当てて新たなペルソナに礼を言った。

 

「よし。それじゃあ、ご飯たべてしまおか。少しは元気になったんやったら味わって食べてな」

「はい。長い間、すみませんでした」

「ううん。こんな時くらい別にええよ。ウチはお姉ちゃんやからな」

 

 まだ完全に吹っ切れた訳ではないのはお互いに分かっている。

 それでも、少しでも前に進む気持ちが出てきたのなら、周りもそれを手助けしやすくなる。

 何より、ラビリスは姉として大切な妹の世話をしていただけだ。

 妹が落ち込んでいれば、姉として支えて当然。

 そこに変な遠慮など無用だと笑って言えば、アイギスも笑って礼を言って再び一緒に食事を始めた。

 ずっと傍で成り行きを見守っていたコロマルも、アイギスが少しは立ち直ったとわかって嬉しそうに尻尾を振っていた。

 そうして、二人と一匹で食事を摂り。寮にいる七歌たちと同じように、零時の前には静かに影時間の消えた世界が来ると思って待っていれば、時計の針が頂点を指した時、世界が緑色に塗り潰された。

 

 

影時間――マンション“テラ・エメリタ”

 

「な、んで……どうして、こんな……」

 

 戦いは終わったのだと、これでもう平和な日常を生きていく事になるのだと信じていた。

 しかし、時計の針が頂点を指すと、街から灯りが消え、窓の外には巨大な月と異形の塔が見えていた。

 彼の果たせなかった願いを叶えようと戦ったラビリスにすれば、この結果は到底受け入れられるものではない。

 最後の戦いに参加しなかったことを悔やむ想いがあったアイギスも、このような形で皆の願いが否定されることは望んでいなかった。

 コロマルもどこか不安そうに二人を眺めており、どういう事か思考を巡らせていると外から鐘の音が聞こえて来た。

 

「この音は? タルタロスの方から聞こえているんでしょうか?」

 

 急いでバルコニーに続く扉を開けて外に出ると、確かに鐘の音はタルタロスの方から聞こえているようだった。

 全てのアルカナシャドウを倒し、これまで一度として鳴ったことのない鐘が鳴った。

 これらに何の繋がりもないと考えるのは無理がある。

 そう判断した彼女たちは、何かがタルタロスで起ころうとしている事は理解した。

 そして、遠くに見えるタルタロスをジッと見ていた時、その傍に動く影がある事にアイギスが気付いた。

 

「……あれは人ですか?」

「どこにおるん?」

「タルタロスから見てやや右の方です。五人ほどでしょうか?」

 

 かなりの視力を誇る二人は数キロ離れた場所からでも人陰が動いている事が分かった。

 しかし、光源が不気味な月明かりしかないこともあって、流石にその距離で相手が誰か判断することまでは出来ない。

 そこでアイギスが湊から貰ったリストバンドから狙撃銃用のスコープを二つ取り出し、片方をラビリスに渡して人陰を見た時、二人はその正体に驚愕した。

 

「あれは、ストレガともう一人の八雲さんたち……」

「それと何で死んだはずの理事長が一緒におるんよっ」

 

 死んだはずの人間が生きていた。それも本人を殺したはずの敵と一緒に行動している。

 その情報があれば詳細は分からずとも、おおよそどういった事があったのかは理解できる。

 つまり、幾月の死は偽装。彼はストレガたちと手を組んで、アルカナシャドウを全て倒せば影時間が終わるという誤情報を伝えていたという事だろう。

 死を偽装していた事は憤りを感じるがまぁいい。敵と手を組んでいた事も、最初から裏切っていたならしょうがないと諦めよう。

 しかし、影時間を終わらせる事が出来ると騙していたことは許せない。

 

「八雲さんの優しさを、願いを、利用したと言うのですかっ!!」

 

 あまりの怒りにアイギスの視界が一瞬真っ白に染まる。

 だが、すぐに視界が元に戻ると、あの男だけは許さないという思いが頭を占拠する。

 それは隣に立って身体を震わしている姉も同じようで、真紅の瞳に黒い感情が混ざった事を察した。

 足下にいるコロマルも二人の会話で全てを理解したようで、部屋に入ると自分の道具箱から影時間用の装備を引っ張り出してアイギスたちの許に戻ってきた。

 

「ワン!」

「そうですね。向かいましょう。あの場所へ」

「行くなら空から行くで。長距離は無理でもブースター使って高い建物を渡っていった方が速いわ」

 

 幸いな事にアイギスたちはマンションの最上階にいる。

 ここからビルの屋上などを渡っていけば、障害物の多い道路を走っていくよりも随分と時間を短縮できるだろう。

 話ながら自分たちの準備を進める二人がルートについて確認していれば、ふと敵の人数が少ないことに気付いてアイギスが指摘した。

 

「しかし、敵の別働隊が気になります。ストレガの他のメンバーはどこに?」

「……可能性として考えるなら、寮におらんチドリちゃんを狙っとるんかもしれん。今、ウチらの中で一番強いんは蘇生経験したチドリちゃんやから」

 

 言われてラビリスも狡猾な敵がただ待ち伏せをするだけとは思えないと考え、すぐにチドリが狙われる可能性に思い至った。

 チドリは現在栗原の家におり、影時間が終わっていないと分かれば再びタルタロスを目指すと思われる。

 敵もそれに気付いて別働隊が待ち伏せしていると考えられるので、準備を終えて背中に推進器付きの戦斧を装着したラビリスはルートの変更を進言した。

 

「ここからタルタロスへ向かう途中に、栗原さん家の方へやや進路を取るわ。少しだけ迂回する事になるけど、チドリちゃんを放っておくわけにもいかんから」

「はい。大丈夫です。行きましょう」

「分かった。しっかり掴まっておきや!」

 

 コロマルを抱っこしたアイギスをお姫様抱っこしてラビリスが駆け出す。

 推進器を途中で起動し、僅かな跳躍で鉄柵の上に乗ると、それを強く蹴り出して影時間の空へと飛び上がった。

 向かうはタルタロス。そして、狙われているかもしれないチドリの許だ。

 


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