影時間――港区
全てのアルカナシャドウを倒せば影時間が終わる。
湊が目指した影時間のない世界。
そこへ辿り着くという彼の果たせなかった願いを叶えようと戦った少女は、再び影時間になった事に不思議と驚きはなかった。
桐条側から聞いていた条件を疑っていた訳ではない。
単純に、一区切りついた気にはなったが、アルカナシャドウを倒した後も時間が来るまで影時間が続き、タルタロスにも変化がなかった事で“次がある”とどこかで思っていただけだ。
だからこそ、再び影時間がやって来て、タルタロスの方から鐘の音が聞こえて来たとき、チドリはこれがそうかと武器を手に栗原の家を出ていた。
栗原の家と巌戸台分寮の位置関係から、タルタロスへは特別課外活動部の方が先に到着する。
早く着けば良いということでもないが、影時間の戦いが次のステージに進んだのであれば、状況を把握するために出来るだけ早く到着したい。
そう思って少しだけ駆け足でタルタロスへ向かっていれば、自分の知っている反応が近くにあったことでチドリは相手の姿が見えたところで足を止めた。
「……そう。最初から仕組んでたわけね」
「理解が速くて助かるぜェ。今頃あっちはタカヤと幾月の野郎が桐条のペルソナ使いらを殺してるところだ」
十数メートル離れた場所に立っているのは、かつて同じ研究所にいたカズキ、メノウ、スミレ。
向こうにタカヤがいるということは、恐らくジンも一緒にいるのだろう。
ただ、湊に懐いていたマリアが、湊と同じ顔を持っている八雲と一緒にいるのだろうかと疑問に思い。その点については尋ねておく事にした。
「マリアは? 八雲の……湊の偽物と一緒にいるとは思えないんだけど?」
「マリアは殺されたよ。ミナト君にそっくりなあいつは結城理って名前なんだけど、あいつがミナト君を殺したって聞いて、マリアは襲いかかったんだ。カウンターで心臓を貫かれて同じ影時間中に死んだけどね」
チドリの問いにメノウが静かに答える。
エルゴ研を離れてからストレガたちと会う機会も減ったが、マリアだけはたまに湊が連れて歩いていたのでチドリも会っていた。
そんな相手が既に死んでいたと聞いて驚く部分もあったが、同時にマリアが自分と同じ痛みを知らずに逝けたのなら良かったとも思った。
彼女の精神は年齢よりも幼かった。湊によく懐いており、彼が死んだ世界で生きるとなれば、心を殺す事でしか生きていられなかったに違いない。
そうなる前に、死んで彼と同じ場所に向かえたなら、あちらで彼と合流できている可能性もあるだろう。
本当ならば自分もそれで良かったのだが、と未だ彼の願いを叶えるために生き続けようとしている少女は素直に心情を吐露する。
「……そう。少しだけ羨ましいわ。マリアは先に湊に会ってるんでしょうから」
「チドリはそっちで良いの? ミナト君がした延命措置も完全じゃないし。ボクたちと来る事もできるよ?」
チドリとマリアは研究所時代に湊から黄昏の羽根を貰った事で、通常のペルソナ使いと同等以上の適性を持ち、身体の状態もある程度は回復している。
けれど、それでも一般人よりも寿命は短くなっており、終わりの時を考えればメノウたち側に立って計画に協力しても問題はない。
同じ元被験体という事でメノウがチドリに立場の確認を取れば、チドリは白い召喚器を手に持って不敵に笑い返した。
「一回殺しておいてよく言えたわね。そっちが余計な事をしなければ、そもそも湊だって死ぬことはなかったのよ」
「あいつの力は計画の邪魔になンだよ。直々に殺そうと思ってたところを横取りされたのはムカついてるけどなァ」
ストレガが理たちと別のチームであったなら手を組んで戦う未来もあっただろう。
だが、ストレガは理たちと手を組み、その理たちのせいでチドリは一度殺されて湊も死んだ。
自分を殺されたところでチドリはそこまで怒ることはなかったが、恩人であり何よりも大切な者を殺した事を赦すことは出来ない。
復讐のために生きるつもりはなくとも、その仲間が目の前にやってきて戦うつもりでいる。
ならば、少女も胸の内で燃える黒い感情に抗うつもりはなかった。
『ペルソナっ!!』
向かい合った者たちはそれぞれ召喚器を抜き、そのまま己の心の化身を呼び出す。
一対三、数で負けている上に敵方の戦力の一体は全長三〇メートルの巨大なペルソナだ。
チドリも楽な戦いではないことは分かっている。
状況を考えるのであれば、最初に全力に近い一撃を叩き込み、相手の戦力を一画でも崩してから戦うのが理想。
しかし、相手も対人戦に慣れた裏社会の人間たちだ。
昨日の戦いでチドリが放った攻撃も見ている以上、その攻撃が来ると読んでいて当然。
カズキのモーモス、メノウのデュスノミアは召喚されると同時に左右に散開。
そして、中央を巨大なテュポーンが拳を引き絞りながら迫ってくる。
敵の姿はテュポーンの影になってチドリからは見えない。
裏の仕事をしている関係からカズキは拳銃を所持しており、他の二人も同じように何かしらの飛び道具を持っている可能性が高い。
規格外の巨大ペルソナに、進化ペルソナ相当の強さのペルソナが二体。そこに戦い慣れた者が三人も加わるとなると、いくら蘇生によって適性値が大幅に上昇したチドリでもかなり厳しい。
「ヘカテー、炎で壁を作って!」
ならば、相手を分断することから始めようと、ヘカテーが杖を振るって炎の壁を展開する。
ペルソナならば突破出来るだろうが、生身の人間では厳しく、銃弾は狙い通りに飛ばなくなる。
炎の壁を無視して突っ込んでくるテュポーンを見ながら、チドリは後退しつつ次の指示を飛ばした。
「氷の槍で貫きなさい! ブフーラ!」
全身が筋肉の鎧に覆われたテュポーンは純粋な力では最強クラスだろう。
ただし、いくら強靱な身体をしていようと、人と同じように目や口があるならそこが弱点となり得るはず。
一発故にかなりの力を籠めた氷の槍を放ち、それがテュポーンの右眼に突き刺さると、テュポーンは右眼を押さえ動きを止め、痛みに悶えるように下半身の蛇ごとその場で暴れる。
第一の脅威を止めることが出来たチドリは、そのまま距離を取りつつ敵の位置を把握、左側からペルソナが高速で接近することを感知し、声に出さずにヘカテーに広範囲の電撃を放たせた。
強襲を仕掛けようとしていたモーモスは、カズキから見えていなかったのか広範囲に放たれた電撃に飛び込む。
これで動きが止まると思っていれば、モーモスは電撃を完全に無視してチドリに迫ってきた。
「くっ……」
エルゴ研脱走後、チドリとストレガたちはほとんど会うことがなかった。
おかげで相手と戦う事がほとんどなく、弱点と耐性の把握がしっかりと出来ていなかったチドリは失敗したと表情を曇らせる。
電撃を突破してきたからには相手の電撃耐性は電撃無効に成長していたに違いない。
そんな相手に電撃を放ったところで召喚者の目を数秒眩ませる程度の効果しかない。
案の定、簡単に電撃を突破してきたモーモスは、その手に持った大鎌をチドリに向かって横薙ぎに振るう。
咄嗟にハンドアックスで受けたチドリは力の差で少し後退させられる。
チドリの動きが止まったその瞬間を狙い。今度は半透明なマネキンのような見た目をしたデュスノミアが鎖に繋がった鉄の処女をハンマーのように振り下ろしてきた。
拷問器具である鉄の処女は金属の塊。そんなもので殴られれば骨折どころか一撃で死にかねない。
拙い。そう思うもモーモスの攻撃を受け止めて咄嗟に身体が動かないチドリは、間に合えとギリギリまで回避しようとした。
「やめろぉぉぉぉぉっ!!」
だがその時、チドリに向かって振り下ろされた鉄の処女は、横からやってきたヘルメスの蹴りで弾き飛ばされた。
遅れて駆け込んで来た順平は大剣をモーモスに向けて振り下ろし、それを避ける形でモーモスを後退させる事に成功する。
敵のペルソナが下がっても警戒を怠らず、チドリを庇うように立った順平は、必死に走ってきたのか肩で息をしながらも敵を睨み付けて吠えた。
「いい加減しろよ、てめぇら! 簡単に殺そうとしやがって、人の命をなんだと思ってんだ!」
あのままヘルメスが介入しなければチドリは無事では済まなかった。
いくら強い力を手に入れたとしても、それを当たり前のように躊躇いなく人に使える神経が分からない。
かつて自分も人に向けてペルソナを使ったことがある順平は、だからこそ相手の行動が素だと理解できて、よく平然とそんな事が出来るなと憤っていた。
だが、順平からそんな事を言われた相手はというと、敵戦力が増えたというのにまるで気にした様子もなくペルソナを傍まで退かせ、どこか呆れと失望の混ざった視線を向けてきていた。
「チッ、くだらねェ雑魚が送られてきたもンだぜ。テメェ一人来たところで戦力は欠片も変わンねェだろうがよ!」
カズキの指摘通り、順平のペルソナは進化しておらず戦力として数えるには完全に実力不足。
先ほどは勢いをつけた奇襲だったからデュスノミアの攻撃を弾けたに過ぎず、真っ当にやればヘルメスではダメージを与える事は厳しい。
本人も分かっているからこそ、未だに気を抜けず警戒したまま男の意地でチドリを庇っている。
ただ、順平たちは知らないが、ここに向かっていたのは彼だけではない。
「待って、カズキ。何か来る」
今にも順平に向かって行きそうなカズキをメノウが止めれば、彼女は北東の方角から何かが接近してくると視線を向けた。
順平たちも同じように視線を向ければ、影時間の空に光の尾を引きながら高速で接近してくる物体が戦場に降りてくる。
「すみません、遅れました!」
「ワン!」
「順平君が先に来とって良かったわ!」
「オマエら……つか、ようやくアイギスも復活したのか!」
空から降りてきたのはアイギス、コロマル、ラビリスの三名。
チドリと順平を守るようにアイギスらも立ち、その背中を見て順平が嬉しそうに声をあげる。
学校にも来ず、アルカナシャドウとの戦いにも出てこなかった事で、アイギスは大丈夫なのかと順平も心配していた。
いつ復活したのかは分からないが、それでもアイギスがようやく戦えるようになったのなら援軍として非常に心強い。
急に現われた者たちの存在に驚きながらも、味方が増えた事で呼吸を整えてチドリも敵を見れば、流石に進化ペルソナクラスを四体も相手にするのは難しいかとカズキが舌打ちをした。
「チッ……ゾロゾロと集まってきやがったか。おい、メノウ。アレ使え」
「いいけど、早くないかな?」
「知るか。どうせ人数は足りてンだ。こっちは足止めできりゃそれでいいだろ」
相手が何をする気なのか分からないが、警戒してアイギスが銃を取り出す。
その間もカズキたちは構わず何かを相談し、メノウが納得したように頷くと自分の腰に手を伸ばした。
敵には手榴弾を使う者もいる。なら、メノウも同じように爆発物を投げてくるのではとアイギスが手足を撃とうと銃口を向けた。
「やらせないのです!」
しかし、その瞬間、先ほどのダメージから復活したテュポーンが蛇の尾で出来た足で自分たちを守るように囲った。
これではどんなに頑張っても射線を取れない。
相手に自由にさせるのは怖いが、止められないのなら距離を置くしかないと離れれば、テュポーンの足下から何かが飛び出し、ビルの三階ほどの高さで爆発した。
一体何だと視線を向ければ、爆発したところでは怪しい紫色の光が輝いていた。
「なんなんあれ?」
「紫の光って信号弾かなんかか?」
空に光を打ち上げるなど信号弾くらいしか思い浮かばない。
見ていても身体に影響はないようなので、順平たちが次の敵の動きに集中していれば、突然テュポーンが消えてストレガたちが二体のペルソナに分かれて掴まり空に逃げた。
「おい、ここで逃げんのかよ!?」
「っ……待って、何これ。シャドウたちが騒いでるっ!」
チドリに攻撃しておいて逃げるのか。順平がそういって敵を追い掛けようとすると、周囲を探っていたチドリが彼を止める。
その様子からただ事ではないと気付き、アイギスたちもチドリの次の言葉を待てば、より集中して索敵を行なったチドリは僅かに青い顔をして空を見上げた。
「どこに隠れてたのか分からないけど、街中からシャドウが集まってくる」
「集まってくるってここにか?」
「ええ。道路だけじゃない。飛べるタイプは空からも向かってきてるわ」
チドリの索敵によれば、集まってくるシャドウの数は百や二百では済まない。
しかも、それは現時点での話であって、反応は次々と増えているらしい。
敵が打ち上げた信号弾と集まってくるシャドウが無関係とは思えない。
となれば、ストレガたちが空に逃げたのは、集まってくるシャドウに襲われないようにという事なのだろう。
「畜生、あいつら自分らだけ逃げやがって!」
「逃げてないわ。三人ともそう離れてないビルの屋上にいる。恐らく戦闘で消耗した私たちを叩くつもりでしょうね」
「用意周到ってわけやね。街に溢れたシャドウを放っておくことも出来んし。逃げようにもストレガたちが狙ってきとる。けど、向こうには裏切った理事長と残りのストレガがおるから向かわん訳にもいかんっていう」
逃げたように見せてそう離れていない場所から様子を見ている。そうチドリから聞いたラビリスは如何ともし難い状況に溜息を吐く。
どうにかチドリが殺される前に合流できたが、遠くの方から地響きのようにシャドウたちが向かってくる音が近付いているのが分かる。
遠くの空ではイナゴの大群がいるように黒い影が蠢いて迫っているのが肉眼で分かった。
タルタロスから溢れた分もあるのかもしれないが、街中にここまでシャドウが現われるなど初めての事だろう。
敵が一体どんな道具を使ったのかは分からないが、いつかの超大型シャドウが影時間を終えても消えなかった例があるので、集まってくるシャドウをそのままにしておく訳にもいかない。
シャドウの波が押し寄せてくる前にどう動くか決めねばとラビリスたちが考えていれば、先ほどの彼女の言葉に聞き逃せない単語があった事で順平が聞き返した。
「え、理事長ってどういう事だよ? 幾月さんが生きてたのか?」
「はい。八雲さんの家からタルタロスの方を見た時、もう一人の八雲さんやストレガたちと行動していたのが見えました。アルカナシャドウを倒しても消えない影時間。生きていて敵と行動を共にする理事長。これらから推測するに、影時間を消す方法について誤った情報を伝え、死を偽装して裏で活動していたんだと思います」
聞いた瞬間に「なんだよ、それ……」と表情を青くさせる順平。
もしも、アイギスの言葉が真実であれば、エルゴ研時代にエヴィデンスと呼ばれた少年のクローンを作ったのが誰か分かってしまう。
何せ桐条グループ総帥すらクローンが作られていたとは知らず、そんな百鬼八雲のオリジナルと死んだはずの人間が行動しているのだ。当然、何もない訳がない。
人々の平穏を守るために戦った子どもたちの善意を利用し、これまで間接的に散々利用してきた湊を邪魔になるからと計画の最終段階に入る前に排除した。
エルゴ研に在籍していたチドリだからこそ、それがあの男の本性だと瞳に殺意を籠めて嗤った。
「あいつもエルゴ研で被験体を何人も殺しているもの。暗躍していたって聞いた方がしっくりくるわ」
「いや、でも、それって七歌っちたちがまずいって事だろ。事情知らなかったら幾月さんを人質にされるとかあり得るし!」
本気で焦っているようだが、仲間に危機が迫っている状況になると順平は案外頭が回るらしい。
確かに彼の言う通り、事情を知らなければ幾月は人質として価値が出てくる。
誰かのために戦える者たちだからこそ、そういった狡猾な手段を取られれば動けなくなる。
ラビリスはどうすれば全員が助かるかを瞬時に考え、最も可能性が高いのはアイギスが単独で七歌たちに真実を伝えに行くことだと判断して指示を出した。
「……アイギス、こっちはウチらでやるからE.X.O.で七歌ちゃんたちのとこに向かって」
「でも、それじゃあ姉さんたちが……」
「大丈夫よ。もしもの時は八雲が残してくれた切り札もあるから」
空にもシャドウがいるとなるとラビリスの戦斧に搭載された推進器は十全に使えない。
となれば、湊のマフラーから作られたリストバンドで複数の武装を即時換装出来るアイギスがE.X.O.を起動して走った方が安全で速い。
こちらに残るのはチドリ、順平、コロマル、ラビリスの四名だが、チドリが言う通り、籠められた力が尽きるまで彼女を守るタナトスもいる。
どこまで出来るか分からないが、七歌たちに危機が迫っている以上悩んでいる時間は無い。
彼女たちから仲間の命運を託されたアイギスが分かったと頷き、走り出す準備をすれば、ハンドアックスを握り直したチドリが伝え忘れていた事があったと口を開いた。
「八雲の偽物の名前だけど、結城理っていうらしいわ」
「理さんですね。了解しました。では、戻ってくるまでどうか耐えてください。E.X.O.――――起動っ!!」
走る体勢になったアイギスの全身から水色の光が噴き出す。
ペルソナを生成するエネルギーを不安定なまま過剰供給し、溢れ出たエネルギーで全身に纏う言わばペルソナの鎧。
身体能力に大幅なブーストが掛かり、ペルソナの持つ攻撃力と防御力を自身にある程度転用出来る自己強化技だ。
この状態ならばアイギスは機械の身体であった時と同等以上のパフォーマンスを短期的に発揮出来る。仮に様子を見ているストレガたちが追い掛けてきても追い付くことが出来ないという訳だ。
E.X.O.の完全な起動を確認したアイギスは、こちらに残る仲間たちと視線を交わすとすぐに正面を向いて足に力を籠めて地面を蹴る。
一瞬にしてトップスピードに達したアイギスは一陣の風になり、仲間たちも彼女の姿をすぐに見失った。
「これで何とか状況を伝えられたらいいけどな」
「出来るだけの事はしたって事で、こっちはこっちで頑張ろうや」
七歌たちの事は心配だが、自分たちの身にはっきりと分かる形で脅威が迫っている。
アイギスが無事に合流出来ても、こちらの応援に辿り着けるかは分からない以上、応援が来なくても生き残ることを目指さなければならない。
戦う相手はシャドウだが、そうなるように仕組んだのは自分たちと同じ人間だ。
これでは何が本当の敵か分からなくなる。
そう思いながらも武器を手に持った順平たちは、姿を見せたシャドウたちと終わりの見えない戦いを始めた。