――月光館学園・天文台
順平たちに送り出されたアイギスが月光館学園に到着した時、七歌たちは既に幾月らに捕らえられていた。
物音から天文台の屋上にいると判断し、銃を構えてアテネで飛び上がれば、アイギスの目に飛び込んできたのは桐条武治が殺されようとしていた瞬間だ。
弾速で勝るライフルの弾を当てて幾月の放った銃弾を弾くことが出来た事で、助けに入った彼女も安堵したものだが、七歌たちの拘束を解いて武器を渡したところでアイギスも冷静に周囲を見渡すことが出来た。
五メートル以上の距離を開けて対峙する敵の人数は五人。幾月、八雲、長谷川沙織、タカヤ、ジン。
七歌の友人だという長谷川がどうしてペルソナ使いとして敵になっているのかは分からない。
けれど、黒いオルフェウス。幾月が言うには“アルケー・オルフェウス”という名らしいが、それを手に入れた事で幾月も十分に敵戦力と見なすことが出来る。
湊と戦えるだけの力を持っている理と長谷川、ペルソナが進化した真田たちと同等の力を持っているタカヤたち。
その仲間だというなら幾月もペルソナが進化した者たちと同等か、桐条グループの言葉でいうところの“特A潜在”にあたる事も考えられた。
現状、桐条グループからそのランクに分類されていたのは湊だけだったが、美鶴の報告書から八雲と長谷川、そしてペルソナが進化したチドリもそこに含まれる事になっている。
ワイルドの力を持っている七歌も候補の一人ではあるが、七歌の力は湊側の戦力であるラビリスやコロマルなどと同クラス。ペルソナが進化した者たちを僅かに上回る程度だ。
味方の戦力は数の上では勝っているが、瀕死の桐条を守りながら少数精鋭の者たちと戦うのは辛い物がある。
父親が撃たれた事で動揺している美鶴は使い物にならず、桐条は今すぐに病院へ連れて行かねば拙い状況。
加えて、残してきた順平たちも救援が必要な状態に追い込まれており、もし撤退するなら彼らを回収していく必要がある。
どうすればいいかと頭を働かせながら、アイギスは手に持った銃の引き金をいつでも引けるようにしながら幾月に声を掛けた。
「……理事長、あなたの目的は何ですか?」
「彼らには既に伝えたが、私の目的は世界の救済だよ。既に種としての限界に達してしまった人類を次のステージへと導くんだ」
「世界を終わらせる事が人にとって救いであると?」
「別に地球を砕いて割ってしまおうという話ではないさ。壊すのは今の間違った秩序に満たされた世界だよ」
幼い子どもを諭すように慈愛に満ちた声で語る幾月の姿はまるで教育者のように見える。
特別課外活動部のサポートのためとは言え、幾月も学校では教育者としての顔を見せていた。
学校で見せていたその全てが嘘ではなかったようだが、彼らの目的は本当に世界を終わらせることらしい。
しかし、シャドウを呼び出す事がどうして滅びに繋がるのか知らぬ者たちは、相手の言葉からどういった形で滅びが起こるのかと探ろうとしつつ、アイギスは今度は幾月の後ろにいる少年に声を掛けた。
「ここに来る前にあなたの事を聞きました。結城理さん、ですね。あなたも理事長の願いに賛同したんですか?」
急に声を掛けられると思っていなかったのか、八雲は少しだけ目を大きく開けると、すぐに平静を取り戻して幾月の隣に並ぶ。
その右手には生首の入った透明なケース、左手には中華風の造りの長物を持っている。
ケースの中身を見て、アイギスは思わず声をあげそうになったが、何も持っていない方の手で強く拳を握ることで何とか耐えた。
既に残りのほとんどの部位が破棄されていると知れば、今すぐにでも飛びかかって行っただろうが、知らない彼女に向かって八雲は静かに言葉を返す。
「その名は僕がこいつを殺すまでの仮初めのものだ。偽物を殺した事で僕は本来の名を取り戻した。呼ぶのなら八雲と呼べ」
「……では、あなたはベルベットルームという場所を知っていますか?」
「話には聞いてる。こいつと七歌にワイルドの情報を与えた組織だろ? 残念ながら幾月さんも、そいつらの居場所や構成員は把握出来ていないけど、この状況で助けに入らないって事は別にそっちの味方って訳でもなさそうだ」
液体で満たされたケースを振って小馬鹿にしたように八雲は答える。
幾月たちが湊や七歌を襲う際に最も警戒したのが、エルゴ研時代に既に湊が口にしていた“ベルベットルーム”という組織の存在だった。
湊にペルソナや影時間の知識を与え、様々な面でサポートしていた事で、幾月は湊のバックにそういった組織がついていると思っていた。
だが、七歌が巌戸台にやってきてから再びその名を聞いたことで、ベルベットルームの立ち位置がよく分からなくなった。
湊と七歌、共通しているのは同じワイルドの能力を持っている事。
そういった力を持つ者に接触しているのなら、いつか八雲にも接触していくと思っていたのだが、彼が長谷川と共に海外に行っている間も接触はなかった。
他人のペルソナを移した黄昏の羽根を移植している疑似ワイルドの長谷川と違い。八雲はオルフェウスと酒呑童子の二体は自力で手に入れている。
つまり、彼も間違いなく三人目のワイルド能力所持者なのだ。
けれど、その八雲にベルベットルームの人間は接触してこなかった。
居場所や力について把握していないのか。それとももっと別の要因があったのかは分からない。
ただ、湊は死に、七歌も命の危険にあるというのに、まだ助けに来ないという事は手助けはしても直接助けはしないのだろう。
八雲はそう断ずれば、今度はこちらの番だとアイギスに話しかけた。
「アイギス、君もこっちに来い。君は生贄の数には含まれていない。こちらに付くというのならストレガたちにも手は出させない」
「八雲さんを殺め、その遺体を玩具にしておきながら、どういったつもりですか?」
「十年前、君に助けられた事に対する恩返しみたいなものだ。それに、君が望むなら新たな世界になってから会わせることも出来る」
十年前の戦いにおいて、八雲は一人ではデスに勝つことは出来なかった。
アイギスも一緒にいたからこそ戦えた訳で、それでも勝利には届かず、最後はアイギスが捨て身で封印術を使わなければ八雲はとっくに死んでいた。
本人もそれが分かっているからこそ、あの時の借りを返そうと味方に付けば湊と会わせてやってもいいと提案したのだ。
しかし、既に死んだ人間と会うことなど現実的に考えれば不可能。
それこそ、同じように死んで冥府で会うくらいしか方法はないのではとアイギスも聞き返した。
「この世界から命を消し、死後の世界で会わせるとでも言うのですか?」
「逆だよ。祝福された新たな世界では、生と死の概念が変わる。それによって死んだ者とも再び会うことが出来るようになる」
新たな世界について話す八雲はどこか楽しそうだが、冗談を言っている風には見えない。
けれど、生と死の概念が変わったからといって、どうすれば死んだ者と再び会うことが出来るというのか。
言葉の意味が理解出来ずにいれば、八雲の隣に立っていた幾月も小さく笑って彼の言葉を肯定した。
「彼の言っている事は事実さ。先ほども言ったが滅びとは現在の世界の終わりを意味する。そして、皇となった者によって新たな理を持つ世界が創造される。私が創る新たな世界は生と死という概念がない。愚か者は輪廻から排除し、正しき者たちだけでこの世を満たすんだ」
幾月が調べた古文書に書かれる闇の皇とは、シャドウの持つ時空間に干渉する力を用いて世界を造り替える存在である。
その力を手にした者が一度願えば、海の水を全て枯らすことも出来れば、現世と常世を繋ぐことだって出来る。
また、一定の条件を設けることで、それに合う者や合わない者を弾いて世界から消すことだって簡単だ。
だからこそ、幾月はそんな力を使って生者も死者も関係なく、“人間”を選定しようとしている。
本当にシャドウの力を利用してそれらが行えるのかはアイギスたちには分からない。
ただ、人という種の成長限界を感じ取って憂いていたのであれば、そんな事をしても何の解決にもならないはずだと七歌が反論した。
「それは、そんな事をすれば、成長も何も関係なくなってしまう。生命の誕生と終わりがあるからこそ、人はより良いものを選ぼうとするんじゃないの!」
「それは今の世界の価値観だよ九頭龍君。新たな世界では生と死がないからこそ、生と死が等価値となり、無用な争いがない世界になるんだ」
ただ自己研鑽によって上を目指すのであればいい。
それは自分自身との戦い。他の介在などなく、あくまで自己完結した話なのだから。
だが、それが競争となってくると話は簡単では行かなくなる。
自分が上へ行くため、他の者を落とそうとする者がいずれ出てくるのだ。
より良いものを目指すのであれば、そんな事をせず自己研鑽に励めば良いというのに、人は己の限界を感じ始めると今度は他者の足を引っ張り自分の地位を維持しようとする。
幾月はそんな事がないのが自分の世界だと話し、そう言えばと薄く笑って意外な言葉を口にしてきた。
「君たちは有里湊にご執心だったね。それならば、尚のこと私の世界を選ぶべきだ」
幾月の口から湊の名前が出てきたことにメンバーたちは訝しむ。
遺体を盗み解体して捨てたことも含め、幾月らは敵だった湊を邪魔な存在だと思っていたはずだ。
ストレガなど、彼に殺され掛けたこともあり、少なくとも良い印象は持っていないだろう。
どうしてそんな相手が幾月の創ろうとする世界に関係してくるのか。
理由について考えていれば、幾月は自分も彼の事は知っているんだと言葉を紡ぐ。
「エルゴ研時代から知っているが彼の人間性はかなり特殊だ。弱者の救済。救う事を当然と考える精神性一つとっても、現代人の価値観とは大きく異なる。そして、彼はそれらを実際に行えてしまうだけの力も持っていた。だが、気付いていたかな? 救われる側の者たち、何の力も持たない凡俗共は、彼を英雄のように語って、そうするのが当然だと捉えるようになっていた。あくまで彼の慈悲でしかないというのに」
湊に救われた人間は多い。痴漢から助けられた者もいれば、不良に絡まれているところを助けられた者もいる。
普段からそうやって沢山の人を助けて回っていたことで、港区周辺では困っていれば助けてくれる彼の存在は有名だった。
“皇子”という愛称で呼ばれるようになってからさらに増え、持て囃していた人間の多くは彼を一種の装置のように考えて便利に使っていたところがある。
そんな話を聞いてしまえば、ただ困っているからと善意で助けてくれていた人間を、よくもまぁ都合良く利用出来るものだと呆れるほかない。
「だが、結局は君たちも同じだろう。彼の持つ力を当てにして戦わせ続けた。他者のために働き、戦い続け、その結末がこれだ。この世界では彼のような存在が報われる事はない」
あれだけ他者のために働き、戦って来た青年の最後は脳も眼球も抜き出された生首の標本。
死ぬ原因も、遺体をこうしたのも、全ては幾月の差し金ではあるが、あのまま湊が生きていたとしても報われる未来を誰一人想像することが出来ない。
むしろ、学校を卒業すれば、救われない者たちを求めて紛争地域に向かい。そこで人知れず死ぬまで人を救い続けるような一生を過す。
そんな事が容易に想像出来てしまうからこそ、この世界では報われることはないという幾月の言葉を信じそうになる。
「一方的に理不尽を押しつける無自覚な加害者がこの世界には多過ぎる。今回の滅びはそういった不平等を世界から消すためでもあるんだ」
「利用するだけ利用し、不用になれば化け物として扱われる。僕はそんな世界は御免だ」
これまで利用する側だったのだから、彼のような存在が報われる新たな世界の礎になるべきだと幾月が話し、青年と同じ顔と声を持つ八雲が今の世界を否定した。
八雲と湊はクローンが生み出された時点では同じ人格を持っていた。
始まりが同じならば、八雲の言葉は湊のものと思っても良いはず。
これまで相手の言葉を黙って聞いていたアイギスはしっかりと相手を見据えて返した。
「よく分かりました。やはり、あなたは十年前に会った八雲さんではありません」
「……なんだと?」
十年前、アイギスと共に戦った八雲はオリジナル。
その八雲ではないと否定する事は、つまりお前はクローンだと言っているという事だ。
言われた八雲は全身から怒りを迸らせるようにアイギスを睨み、七歌たちはどういう事だと彼女の言葉を待つ。
すると、アイギスは湊が死んでから休んでいる間ずっと考えていたと話し始めた。
「わたしと八雲さんの間には確かな繋がりがありました。ベルベットルームの住人であるエリザベスさんの話では、それは契約とコミュニティによる絆だそうです。三年前、八雲さんが海外にいたときに目覚める事が出来たのは、その繋がりを通じてあの人の危機を察知したからです」
相手がアイギスが一時的に起動していた事を知っているかは考慮しない。
ただ、事実と自分が持っている情報からの考察を告げる。
「ドイツで合流した時、八雲さんは自分がクローンかもしれないと仰っていました。でも、そこがわたしにとっては不思議だったんです。どうして、クローンの八雲さんとは繋がりがあるのに、オリジナルの理さんとは繋がりが感じられなかったのか」
そう。アイギスも湊がそう言っていたから彼がクローンなのだと思い込んでいた。
しかし、冷静に考えると後から作られたはずのクローンと繋がりがあり、逆にオリジナルと繋がりがないのはおかしい。
「そして、八雲さんが亡くなってから思い出を振り返っていたことで、ある事を思い出したんです。ベルベットルームに入る条件である契約は結んだ者の魂に刻まれると」
契約は交わした者の魂に刻まれる。だからこそ、湊がマーガレットと新たに契約を結ぼうとしたときも“有里湊”の名義では契約が出来ず、“百鬼八雲”という本当の名で結ばれた。
アイギスと契約を結べたのは十年前に出会っていたオリジナルだけ。
湊の第一の契約者はアイギス。
つまり、とアイギスは自分が辿り着いた答えを理に突きつけた。
「クローンが血を介して得たのは百鬼八雲の人格だけ。その魂はそのままです。あなたがどれだけ尤もらしい理由を用意しようと、魂に刻まれた契約は騙せません。死んだ八雲さんがオリジナル、クローンなのはあなたですっ!」
湊との間に確かな繋がりを持っていたアイギスは真実を告げた。
オリジナルだから、クローンだから、そんな事で付き合い方を変えるつもりなどない。
けれど、シャドウと戦うために作られ、目的通りにその命を使い切ったと思われたままでなどいられなかった。
彼はちゃんと両親の愛情を与えられていた。望まれてこの世に生を受けたのだと。
そうして、アイギスからクローンだと言われた少年のことを見れば、その顔からは一切の表情が抜け落ちていた。
「……言いたいことはそれだけか。ならもういい。死ね」
言い終わると同時に理は手に持っていたケースをアイギスに向かって放り投げた。
首だけだろうと湊の遺体である事にかわりはない。アイギスがそれを受け止めに行こうとした時、横から強く引っ張られ、見れば七歌たちがペルソナを呼び出して天文台の屋上から飛び降りようとしていた。
急に何を、そう言おうとして理に視線を向けると、彼の背後に赤い髪の鬼が立ってアイギスが元いた場所に掌を向けていた。
光を纏うと同時に放たれる光線。空中にあったケースは中身ごと蒸発して消えてなくなる。
目の前で湊の身体が灼き消された事に強い怒りを感じるも、七歌たちが召喚したペルソナに掴まって月光館学園の敷地に降りたことで何とか全員無事に済んだ。
着地してから再び屋上に視線を向ければ、幾月たちが冷たい視線で見下ろしてきている。
「交渉決裂だね。ならば、大人しくシャドウの餌食になると良い」
生贄の数に含まれていないアイギスだけならば、協力者として招くことも出来た。
しかし、こうなってしまってはもう無理だろう。
そう判断した幾月は上着のポケットから取り出した物を空中へと放り投げた。
「あれは……」
幾月が放り投げたものにアイギスは心当たりがあった。
ここへ来る前に、順平たちがいた場所でストレガの残りのメンバーが空に打ち上げたシャドウの誘導弾だ。
案の定、同じような爆発を見せると、その場でキラキラと不思議な光りが出ていた。
シャドウの巣であるタルタロスの真ん前で、そんなものを投げればどうなるかなど考えるまでもない。
未だ桐条は意識を失ったままで、美鶴と風花がそれに付き添っているので動くのは難しい。
「皆さん、戦う準備してください。先ほどの道具はシャドウをそのポイントへ誘導するものです。姉さんたちも同じ物をストレガのメンバーに使われ交戦中です」
「あいつらが上から見ているとなると撤退しようにも難しいか」
シャドウが来ると言われても、天文台の屋上から幾月たちも見ている。
いつ頭上から攻撃を受けるかも分からぬ状況で戦うのは厳しいだろうが、重傷者がいるとなると撤退するにもそれなりの準備がいる。
湊のマフラーと繋がるリストバンドの中に車椅子があった事で、桐条をそれに乗せる事は出来たが、少しずつ校門の方へ移動しながら撤退するのにも神経を使いそうだ。
タルタロスの内部から不穏なざわめきを感じながら、七歌たちは撤退しながら戦う準備をした。