――港区
街の遙か上空。巨大な光翼を広げ、その翼から蛍火色の光の粒を放出する天使がいた。
放出された光は街へと広がり、その光に触れたシャドウは溶けるようにして消滅してゆく。
ビルや停車している乗用車に触れても、それらには変化がないというのに、モナドクラスだろうが下層フロアクラスだろうがシャドウであれば関係なく消える。
酒呑童子で飛びながら光から離れている理たちは、その光景を見て自分たちが触れた場合はどうなるのだろうかと僅かな恐怖を覚えていた。
「なんなんだ……なんなんだよ、あのペルソナは…………!」
「私たちはあんな力は知らない。それに、同一のペルソナが力の解放で姿を変えるなんて……」
放出される光の広がりが速く。玖美奈のノートでは追い付かれるからと、玖美奈は酒呑童子の腕に抱きかかえられていた。
追い付かれた時のことを考え、建物の屋根と変わらぬ高度で飛びながら幾月たちとの合流を目指す。
必死に飛ぶ理とは対照的に玖美奈はジッと敵のペルソナを見ていた。
酒呑童子の肩越しに見える相手の姿は、白銀の甲冑を着た天使でしかなかった状態から変化し、虹の光輪を冠してその全身が白く発光している。
黒いバイザーの奥には三つの右眼と四つの左眼を象った赤い光が灯り。左右の腕の肩と脇のあたりから鎧を纏った腕が生え、端から端まで最長数百メートルに及ぶのではないかという巨大な三十六対の光翼を広げている。
七つの眼、六本の腕、三十六対の翼を持つ異形の天使。
玖美奈は滅びを研究する父の手伝いをする中で、聖書などを読むこともあったが、そこに出てくる数字には意味を与えられているものもあった。
七は完成を表わす数字。
六は神の敵を表わす数字。
三十六という数字についての言及はなかったが、その翼の数は人から天上へと昇り“神の代理人”の異名を持ったメタトロンと同一だ。
もし、もしも、考えたそれらの通りの力を有しているが故の姿ならば、と玖美奈は自分が想像してしまった最悪の展開を頭から振り払う。
「あり得ない。神を、ニュクスを殺し得る存在なんて……」
父の求める世界。人々が真の意味で幸せになれる理想郷。
そこに至るために降臨するニュクスの力は必要不可欠。
人の力が及ばぬ絶対的な存在、あらゆるものを超越したものが神だ。
それに人という個の力で届き得るなど絶対にあり得ない。
光の龍が残るシャドウたちを喰らうのを見ながら、理の頑張りによって光の効果範囲から逃げ切った玖美奈は、再び相対した時を思って最後まで敵の姿をその目に焼き付けていた。
***
海に浮かんでいた超大型キメラシャドウを雷で消滅させた綾時は、セイヴァーが光の放出を始めるとすぐに移動を開始していた。
セイヴァーの持つ浄化の力は、シャドウやペルソナにとって防ぎようのない必殺の力だ。
人の性質を持っているため綾時が浴びても死にはしないが、光の領域内では発揮出来る能力に制限が掛かる。
そして、今出しているタナトスはその制限に掛かってしまうため、光に呑まれれば移動手段を失う綾時はこれ以上にないほど必死にEP社を目指す。
海上から陸地へと戻り、海岸沿いにEP社の方へと近付いてゆく。
だがセイヴァーの放つ神威がズンと背中にのしかかり、高度と速度を維持しながら飛ぶのが途中で辛くなっていた。
もっとも、諦めれば光に呑まれて力を失い。人間の身体能力で数キロ走ることになるため、封印が解けたばかりだというのに、綾時は超大型キメラシャドウを倒した時以上の力を使って七歌たちのいる場所へと戻った。
凄まじい速度でやってきた綾時に対し、その場に残っていた者らは目を大きく開いて驚いている。
そんな光景がおかしくてタナトスを空中で消して着地した少年は、やぁ、と手を挙げて帰還の挨拶をした。
「やぁ。仕事を終えたから戻ってきたよ」
「あ、うん。お疲れさま。けど、なんでそんなに急いだ感じで戻ってきたの?」
自分たちでは対処出来なかったであろう敵を倒して戻ってきた綾時を七歌が労う。
ただ、あまりに必死な様子だったため、どうしてそんなにも急いでいたのか尋ねた。
訊かれた綾時は、理由はすごく単純だよと笑顔を浮かべたまま答える。
「湊がセイヴァーの力を使い始めたからだよ。あの光に触れるとシャドウやペルソナは存在を維持出来なくなる。つまり、飛んでる途中に喰らうとそのまま墜落させられるんだ」
湊や綾時、敵側では理や玖美奈がペルソナで空を飛んでいたが、ペルソナを移動手段として利用している者にとって、セイヴァーの力はこれ以上ないほどの脅威だ。
けれど、力の真価はそこではない。
触れただけでシャドウもペルソナも殺す。異能を殺す異能。
下界を見下ろす天使の翼より放たれ、街を覆ってゆく温かな蛍火色の光を見ながら綾時が話していれば、あの日の光景を覚えていた風花が心配したように口を開く。
「あの、でも、あの光って。有里君の生命力ですよね? チドリちゃんを蘇生させるために使った時は、あんな事になったのに。こんなに使ったらまたっ」
彼女たちの見ている目の前で、街が光に覆われてゆく。
幻想的でありながらどこか懐かしく、穏やかな気持ちにさせる温かな光。
しかし、それらは全て青年の命と言えるものだ。
少女を生き返らせる時には自身のリミッターを壊し、天高く立ち上るほどの勢いで放出していたが、今はその時の比ではない勢いで街に広がっている。
これでは再び彼の命は尽きてしまうのではないか。
風花がその事を心配していれば、綾時は安心させるように微笑みながら答える。
「大丈夫だよ。チドリさんを生き返らせた時は、エールクロイツとペタル・デュ・クールを持っているだけだった。でも、今の彼はその二つとマリアさんのクロワフェーダが合わさった黄昏の羽根を持っている。七枚の羽根が結合した“
話している彼らの視線の先で天使の翼から九頭の光龍が生まれていた。
それぞれが七歌の持つ黄龍と同等以上の大きさをしており、光の中を泳ぐ龍たちは生き残ったシャドウを喰らっている。
個々で異なる動きを見せる様はまるでペルソナのようだが、綾時曰くあれは全て湊の遠隔操作によって動かしているという。
放出する光も龍も彼の命の源で出来ているからこそ可能な事らしいが、何故湊が七枚の羽根を持っているのか知らない者たちは彼の言葉に耳を傾ける。
「黄昏の羽根には力を増幅させる効果がある。それは羽根の枚数が増えるほど効果が高まるけど、結合した羽根だとお互いの増幅させる力をも増幅させるんだ。並列と直列の違いと言えば分かるかな? ただの羽根が二枚だと二枚分プラスアルファ程度だけど、二枚が結合した羽根なら発揮値は乗算されるんだ」
「では、八雲さんの持つ羽根も他の六枚と増幅させ合っているのですか?」
「その通り。共鳴した七枚の羽根が互いに力を増幅させ、本来の七乗、人並み外れた彼の力なら無尽蔵に近いレベルで増幅させ続ける。召喚者の命を喰らうセイヴァーも彼だからこそ制御下に置けているんだ」
彼自身の適性値を七乗するなど、最早計算するのも馬鹿らしい値なのがはっきりと分かる。
だが、それだけの力を持っていなければ扱えないのが神クラスのペルソナなのだ。
彼が死んでから一月ほどしか経っていないが、少女たちは知らぬ間に彼が随分と遠い存在になってしまったように感じた。
そうして、幾月らの放ったシャドウを全て倒し終えたのか、役目を終えた光の龍たちが天に昇ると弾けるように消えていった。
セイヴァーも光の放出を止めており、翼と腕の数が元に戻っている。
港区全域をこの短時間で全て覆ったとは恐れ入る。
ただ、これで彼がこちらにやって来るという事なので、遙か上空にいる彼が来るのを待っていれば、空に浮かんでいる湊の前方に十二本の剣のような物が現われた。
剣のような物は時計盤のように均等に配置され、そのまま黄昏の羽根と同じ光を放つと、湊とセイヴァーがその中央を潜って消えた。
「やあ、お疲れ」
「……ああ」
直後、湊とセイヴァーは七歌たちの前に一瞬にして現われた。
暢気に挨拶を交わす綾時と湊に対し、一体どんな方法で移動したのかと尋ねたかったが、彼らの背後に街の上空に浮かんでいた剣のような物が浮いている。
黄昏の羽根と同じ光を放っていたそれらから光が失われると、剣のような物はセイヴァーの背中に移動して六対十二枚の翼に変化した。
どうやら特殊な効果を持った翼を利用したワープゲート的な移動法らしい。
よく思い出してみると幾月が攻撃を放った時、湊は遙か上空にいて間に合うタイミングではなかった。
時流操作を使えば可能だとして意識していなかったが、その時ももしかしたらワープゲートで移動していたのかもしれないと七歌が考えたところで、ペルソナを消して地面に降り立った彼にチドリが近付いた。
自分を助けるために命を落とした青年が目の前にいる。
霊安室で寝ていた彼には何も感じなかったが、視線の先にいる彼は、確かに生きてそこに存在している。
どうしてあんな馬鹿な事をしたのか。なんで生きているのか。今までどこで何をしていたのか。
少女は彼に対して言いたい事や聞きたい事が沢山あった。
しかし、彼を見ているだけで視界が滲み、声を掛けようにもしゃくり上げて上手く話すことが出来なかった。
すると、チドリのそんな様子に気付いた湊は綾時との会話を切り上げ、彼女の方へ向き直るとその頭に左手を置いて口を開いた。
「……ただいま」
「……ばかっ」
それだけ言うとチドリは湊に抱きつき、彼の胸に顔を埋めて声をあげながら泣き出した。
戦っているのは見ていたし、その気配は彼の物であったが、ようやく触れ合ったことで彼が生き返ったことを実感出来たらしい。
他の者たちもチドリにつられるように再会を喜び、笑顔のまま涙を流す。
ただ、敵である理たちが湊の遺体の頭部を持っていた事もあり、心のどこかで信じ切れていないのか真田が湊に遠慮がちに尋ねた。
「有里、本当にお前は生き返ったという事で良いのか?」
「別にこれまでも生き返っていただろうに。今更何を疑っているんだ」
「いや、しかし、敵の……理だったか? あいつがお前の遺体の一部を持っていたんだぞ?」
既に撤去されているが、湊の遺体が盗まれた時の寝台には刀傷が付いていたし、寝台と霊安室の床には髪が散らばっていた。
そして、敵として現われた理がホルマリン漬けの頭部を持っていた事で、やはり湊は死んでいて遺体も敵の手にあると思っていたのだ。
これで湊が死んでいないと思う方が無理があると真田は言い。他の者たちも、彼が生き返るに至った経緯が気になるのか彼に視線が集まる。
訊かれた方は非常に面倒臭そうなやる気のない表情をしており、久しぶりにそんな顔を見たことで彼が戻ってきた事を余計に実感する。
もっとも、聞かないという選択肢はないので、彼が答えるのを待っていれば湊は小さく嘆息して答えた。
「敵が持っていったのはEP04“プロトフルオーダー”。アイギスたちの生体ボディを作る研究で試作した俺モデルの生体ボディだ。以前、依頼でそれを渡したエリザベスが俺の身体とそれを入れ替え、遅れてやってきたあいつらは気付かず持っていったという訳だ」
因みに、プロトフルオーダーの着ていた入院着は薄緑色、辰巳記念病院の入院着は水色なので、敵がしっかりと調べていれば遺体のすり替えに気付いた可能性もあった。
だが、結局は今日までバレることなく、こうして蘇った湊によって敵側の企みは阻止された。
遺体が二つあった理由を聞いて真田たちも納得すれば、話はこれで終わりかと湊が早々に話を終わらせようとする。
けれど、まだまだ聞きたい事はあるとラビリスが質問してきた。
「でも、どうやって生き返ったん? 蘇生って湊君だけの力じゃ出来ないって聞いてたんやけど?」
「まぁ、肉体が損傷していたらそうだが、蘇生自体は俺の肉体と魂側が持ってた機能だぞ。生きながら死を内包出来たように、死んでいながら生を内包することも出来る。だから、遺体をしっかりと保存しておけば少しの切っ掛けで生き返ることは可能だった」
湊の持つ性質は矛盾すら内包した陰陽の調和。
死んだ状態で生まれ、そして、生まれてから魂を肉体に戻した事で、湊は生まれた時点で生と死の二つの性質を持っていた。
だからこそ、デスを封印する器にもなれたのだから、別にデスが離れようとも切っ掛けがあれば蘇生自体は可能だった。
そう。世界で最もあの世に近いからとわざわざ月までやって来たエリザベスが、空間に穴を開けて集合無意識の世界にいる湊に向けて遺体を投げ込んだりすれば、魂だけになっていた湊が肉体に戻ることだって難しくない。
エリザベスはその可能性に気付いたからこそ、肉体が処分される前に動き、見事にすり替えと蘇生への布石を打つことに成功したのだった。
自分たちが湊の死を受け止め切れていない間に、随分と頑張ってくれた様子のエリザベスにアイギスらは心の中で礼を言う。
すると、湊は長い髪を軽く結い上げながら、EP社の方へと視線を向けて口を開いた。
「さて、どうせ桜さんたちにも挨拶には行くんだ。詳しい話はまた後でしよう。俺はこれから手術を手伝ってくる。お前らは帰るでも、手術が終わるまで待つでも好きにするといい」
今現在、EP社の方ではシャロンたちが桐条武治の手術を行なっている。
シャロンたちは絶対に助けると言っていたが、桐条は血を流しすぎていたし衰弱も激しかった。優秀な人材を揃えているEP社でも正直に言えば難しい状態だったのだ。
けれど、常に患者の体内を見ながら処置が行える湊が参加すれば、それだけで大幅な速度アップと細心の注意を払い続け、状況の急激な変化にも対応する事が出来る。
ずっと憎んでいたはずの相手を助けようとする青年の様子には少々違和感を覚えるが、そも、シャロンたちの手配をしてくれていたのも湊である。
となれば、ここで桐条を助けようとする発言をしたのも本心からなのだろう。
素人でも手術が時間との勝負だとは知っているため、七歌たちは後でいくらでも話は出来るから頑張ってきてと声を掛けて彼を見送る。
そして、湊はEP社に到着するなりすぐに手術に合流すると、影時間が明け、さらに一時間ほど経ってからようやく手術を終えて外へと出てきた。
湊が光の柱で街を薙ぎ払った際に桐条にも生命力を分け与えていたのだが、それでも桐条の状態はかなりギリギリで予断を許さぬ状態だった。
けれど、どうにか命を繋ぐことには成功し。とても長く感じた今日の戦いで死者が出なかったことを一同は喜び合ったのだった。