【完結】PERSONA3 Re;venger   作:清良 要

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第三百五十三話 黄泉帰り

――集合無意識の世界

 

 現実世界での死を迎え、湊の魂が辿り着いた集合無意識の世界。

 淡い桃色の空が頭上には広がり、暖かい気候の中で色とりどりの花々が咲き誇っている。

 そんな場所で両親やイリスと再会した湊は、背中に蓮の花が刺繍された黒いカンフー服を着た巨漢と戦っていた。

 互いに無手で挑んでいるが、両者が動く度に大地が割れ、散った花びらが闘気に当てられ裂かれてゆく。

 

「ハァアアア――――ッ!!」

 

 踏み出した右足で地面が陥没するほどの震脚を繰り出し、槍と化した巨漢の右腕がしなりながら湊の胸へと迫る。

 鉄板を穿つほどに功夫を練られた必殺の槍は、心臓を喰らわんとする蛇が如き不規則な軌道を見せる。

 

「フッ!!」

 

 青年はそれを認識しつつ、右肩から突っ込むように接近。迫る敵の腕を右手で後方へと流しながら、自身の右手と空中で交差するように左手の掌打を放った。

 攻撃を受け流しながら左の掌打を顎に当て、さらに右肩で鳩尾を強く押す二点同時攻撃。

 人の限界を超えた動き。それを見せる両者が交差したのはまさに一瞬。

 周りで見ていた者にすれば、二人の距離が詰まったと思った次の瞬間には巨漢が吹き飛んだように見えただろう。

 裏の仕事でそういった荒事に慣れている者でも全ては目で追えなかったのだ。

 赤毛の巨漢が地面に倒れたタイミングで戦闘終了と判断し、抉れて血が出た脇腹を押さえて敵を見ている湊にイリスが近付いていく。

 

「おい。お前らどんだけ本気でやり合ってるんだ。そういうのに慣れてない人間もいるんだぞ?」

「……そういう約束だったからな。死なない以上は本気で殺しにいくさ」

 

 受け流す際に相手の右腕が掠った事で抉れた脇腹は、少し手を当てるだけで元通りに復元していた。

 湊の視線の先にいる巨漢、大の字になって倒れている仙道弥勒も、掌打を喰らった顎が完全に砕け、右肩でぶつかりにいった鳩尾あたりは陥没しているが、時間が経てば元通りになって起き上がっている。

 既にここは死後の世界。見た目こそ生前と同一だが彼らには肉体がない。

 そして、そんな死者たちの身体を形作っているのは魂の残滓に残っている記憶だ。

 現世における物質的な肉体がなく、形は全てその記憶に引っ張られるため、ここでならどんな致命傷でも時間をそれほどおかずに回復する。

 だからこそ、こちらの世界で再会した湊は仙道との約束を改めて守ろうと戦う事に同意したのだ。

 イリスと一緒に周りで二人の戦いを見ていた母の菖蒲は、息子が随分と遠い世界に行ったのだなと呆けていたり。善と一緒に見ていた玲は湊と生身で戦える仙道に驚いていたりする。

 やはり裏の世界の住人は違う。そう考えている相手に対し、同じ裏の世界で生きていたイリスが、こいつらを基準にしてはいけないと説明しておいたのだが、他を知らぬ者にはあまり効果はないだろう。

 そんな現実離れした戦いを見せた男の片割れである仙道弥勒は、起き上がってくるとどこかすっきりとした表情で笑っていた。

 

「くははははっ!! いやぁ、参った参った。必殺の一撃にああも合わされては負けを認めるしかない。ソフィアと同じ怪異の力を持っているからと不安に思ったが、しっかりと体術の鍛錬も怠っていなかったようだな」

「ペルソナは街中で大砲を撃つようなものだからな。必要があれば最大火力を撃つこともあるが、基本的には体術中心で活動してたさ」

 

 トップクラスのペルソナ使いの中でも湊のエネルギー総量は頭一つ抜けている。

 さらに、肉体の耐久力によって一撃に籠めて撃ち出せる最大出力も力の管理者に迫るものがある。

 だが、そういった条件を抜きにしてもペルソナの攻撃力は街中では過剰だ。

 他の者たちならばまだそれほどの力がないので武器の延長で使えるのだろうが、湊の場合は大幅に制限して使う必要が出てくる。

 戦う際にそんな事を気にするくらいなら、銃や剣で戦った方が圧倒的に楽だからと湊は体術の鍛錬を続けていた。

 ペルソナの強さについて知らない仙道も、死合いをした事でそれが事実だと分かるのだろう。

 戦っている間、常に首筋がヒリつくほど極限の命の奪い合いは楽しかったと満足そうに笑った。

 生前の約束を改めて果たした事で、仙道は戦いが終わるとどこかへと去って行く。

 ここは死者の魂の欠片が辿り着く場所だ。去って行った彼も本人の残滓であって、最終的にはこの世界に溶けて消えてゆく。

 未練がなくなったことでそれが早まったのかもしれないが、ここから先は自分が関わるべき事ではないと湊はただ背中を見送った。

 

「ミナト、お話しよ!」

「……あぁ」

 

 仙道との戦いが終わったのを確認すると、マリアがやって来て嬉しそうに話しかけてくる。

 生前は頻繁に会うことが出来なかっただけに、これから一緒にいられるのが嬉しくてはしゃいでいるのだろう。

 この場所に咲いている花の話や、彼女が好きだった動物たちの話。

 一緒にいたメノウたちの事などマリアはとても楽しそうに色々な話をしてくる。

 花畑に腰を下ろした湊は相槌を打ったり、質問に答えて会話を続けた。

 だが、途中でふと桃色の空に視線を向けて湊は何かを探すようにじっと空を見続けた。

 

「……お前、行きたいのか?」

 

 湊が空を見ていると後ろからイリスが声を掛けてくる。

 声を掛けられて湊はイリスを見返すが、その瞳にはどういう意味だと疑問が浮かんでいる。

 すると、イリスは、はぁ、と溜息を吐いてから呆れた様子で口を開いた。

 

「あのな。こっちはお前よりも先にこの世界にいたんだ。ある程度なら現実世界の事も解るって知ってるんだよ」

 

 この世界については湊やマリアよりも他の者たちの方が先輩だ。

 集合無意識、心の海、魂のコミューンなど呼び名は色々とあるが、現実世界を離れた魂がやって来るという事は二つの世界は繋がっているということ。

 その延長で、完全な形ではないが、関わりの深い者に関してなら現実世界の事が伝わってくるのだ。

 時の流れ異なっていて、別に地球上にある訳でもないのに、チドリやアイギスに悪意が迫っているのが解る。

 だからこそ、湊が僅かな焦りを覚えている事にイリスや母など他の者も気付いていた。

 

「八雲、貴方は十分に戦った。大切な人たちのために、無関係な人が巻き込まれないように、文字通りその命が燃え尽きるまで戦ったの。もうこれ以上、そんな事はしなくていいんだよ」

「母さんの言う通りだよ。これ以上は戦わなくていい。それは生きている者たちが自分で何とかすべき問題だ」

 

 出来る事なら今すぐにも飛び出して助けに行きたいのだろう。

 両親の言葉を聞いた湊の目には、それでもという反抗心が浮かんでいるように見える。

 しかし、すぐにその色を消すと彼は自分に言い聞かせるように言葉を返す。

 

「……分かってる。大丈夫、どうせ何も出来ないんだから」

 

 わざわざ言われなくとも分かっている。死者では現世に介入出来ない事くらい彼も知っており、湊はそのまま頭の後ろで腕を組むと花畑に寝転んだ。

 現実世界の事が解る程度というのは人によって異なる。魂の結びつきの強さであったり、魂自体の強さによっても異なる。

 そういった条件で言えば、契約やコミュニティを結んでいた湊ならば、大切な少女たちの状態など完全に把握出来ている可能性すらある。

 しかし、この世界まで来た死者では現世に介入することなど出来ない。

 もしも、それが可能であったなら、ニュクスも早々に封印など解いて現世に降臨している事だろう。

 どんなに願っても、どれだけ望んでも、自分ではもう彼女たちを救えない。

 湊がその事実を受け止めようとしていれば、真剣な表情で近付いて来た善が何かを決意した表情で湊に話しかけてきた。

 

「……湊、君が本気で願うのなら可能性はある」

「ダメだよ、善っ」

 

 不安を抱いた様子の玲が善の言葉を止めようとするが、善も引かずに湊を見つめている。

 本当に、もしも、本当に可能性があるのなら湊はそれに賭けたい。

 けれど、それは再び青年が戦いに身を投じるという事。

 温かくて優しいこの世界を、ようやく得た安らげる場所を、彼から奪うことになってしまう。

 湊が周りを見れば両親たちも玲と同じようにどこか苦悩した表情を浮かべていた。

 それは、子どもの願いを叶えてやりたい気持ちと、もうこれ以上彼に戦って欲しくない気持ちで揺れているからか。

 身体を起こして湊が善に視線を向ければ、善は続きを話し始める。

 

「君と私たちは違う。君の肉体は残っていて、それはこの世界に辿り着いているんだ」

「……どういう事だ?」

「時間の流れが異なるからだろう。君の魂が肉体から離れた後、この世界に辿り着く前に、既にこの世界に君の肉体は送られてきていたんだ。ベルベットルームの住人、エリザベスの手によって」

 

 善の言葉に湊は目を見開いて驚く。

 湊が死んでからこの世界へはすぐに移動したように思えたが、こちらの時の流れは複雑なようで、彼が来るよりも先に肉体がこの世界に辿り着いていたという。

 どういう経緯でエリザベスがそうしたのかは分からない。

 ただ、恐らくは彼女も湊が蘇る可能性に賭けたのだろう。

 そして、湊の選択によってはその賭けにあと一歩で勝てるところまで来ている。

 

「私たちがいたあの世界へと辿り着けた君なら、肉体を取り戻せば恐らく戻れる」

「……けど、問題がない訳じゃないんだろ?」

「ああ。恐らくだが、内側へと招き入れた魂があちらに戻ることを拒む者がいるだろう。そいつは間違いなく神クラスだ」

 

 玲の魂を輪廻の環に乗せるためにクロノスが遣わされたように、湊が無事に肉体を取り戻しても現世への帰還を阻む者が現われる可能性が高い。

 こちらはシャドウたち異能のホームグラウンドたる心の世界。いくら湊が肉体を取り戻しても、相手に適した環境ではどうあっても不利になる。

 加えて、ここは死後の世界。となれば、当然そこを統括している存在も限られるだろう。

 再び神を相手にすると聞いて、湊が難しい表情で考え込む。

 そこには最早戦いの中に戻る事へと躊躇は一切感じられない。

 傍で見ていた母の菖蒲は、子どもが再び辛く厳しい道を征こうとしている事を悲しく思いながらも、やはり子どもには生きて欲しいのかしょうがないと苦笑した。

 

「八雲、行くのね?」

「……うん。可能性が残っているなら、俺にもまだ役割が残っているんだと思うから」

 

 一度は肉体も失ってこの世界に来たが、蘇ることが出来るならまだ命の使い道が残っている。

 チドリを最期まで守るという契約は果たされても、他の契約や果たしていない約束だってあるのだ。

 それを果たして影時間を消すまでは生きようと思う。湊がそんな風に考えていれば、青年がまた同じ勘違いをしていると察して父が声を掛けてきた。

 

「八雲、お前はどうしたい? どうすべき、どうしなきゃいけないじゃなく、お前自身はどう生きたいんだ?」

「私も、お父さんも、貴方が生まれてきてくれた事を本当に喜んだの。大丈夫よ。貴方は望まれて生まれてきた。世界に祝福されながらこの世に生を受けたんだから、自分のやりたいようにしていいの」

「俺が……どう生きたいか?」

 

 かつて同じ質問を英恵たちにもされたが、当時の湊はそんな事など考える必要ないと切って捨てていた。

 しかし、この世界へと渡ってきた事で、彼の心を縛っていた両親への罪の意識は消えた。

 ならば、今一度自分の本当の心と向き合ってみるべきだと両親は言ってくる。それこそが今の青年に最も必要な事だとばかりに。

 

「小狼、お前の両親もアタシもアンタを恨んじゃいない。むしろ、感謝してるんだ。出会えた事も、共に過した時間も、掛け替えのない宝物だ。お前の中にはそういう物はないか?」

 

 このまま戻っても湊は再び自分の命を簡単に使おうとしてしまうだろう。

 そうさせないためには、罪の意識が消えた事で自分の事を見つめ直せるようになった今こそ彼の本心を自覚させるべきだ。

 彼の両親だけでなくイリスも同じように言葉を掛ければ、湊は自分の心と向き合うように瞳を閉じてじっとする。

 

「……ある。どうしようもない俺という存在を、支えて形作ってくれたのは、出会ってきた人間との記憶だ。目的のために邪魔だからと一度は捨てたのに、それでも消えてはくれなかった」

 

 思えば随分と自分勝手に生きてきたものだ。

 目的のために走り続け、周りの忠告などろくに聞かず、それでも彼ら彼女らは青年を見捨てずにしょうがないなと彼の我が儘も受け止めてくれた。

 戦い続けなければ、人々を助け続けなければ、自分が殺してきた者たちが浮かばれない。自分を守って死んだ者に申し訳が立たない。

 そんな独りよがりな想いで戦い続けた結果が、少女を一人助けて志半ばに倒れるというもの。

 

「……俺は、俺を支えてくれた者たちに恩を返したい。義務感や強迫観念に突き動かされてじゃなく、皆を守りたい。助けたい。今度こそ、ちゃんと一人の人間として向き合ってみたい」

 

 もし、今一度生きることが赦されるのならば。今度こそ、そういった人たちと向き合っていきたい。

 これまでの“ありがとう”という言葉とその想いを伝えて、自分が受けてきたものを相手にも返していきたい。

 名切りの鬼でも、人類救済のための装置でもなく、百鬼八雲として、有里湊として生きてきた青年が持った人としての願い。

 人としての一歩をようやく踏み出した彼の心の変化が、その力に変化を齎す。

 

「……これは」

 

 現世に残った玉藻の前とネガティブマインドのペルソナを除く、全てのペルソナたちが一斉に彼の周りに現われる。

 そして、死神“タナトス”と審判“アベル”が光ったと思えば融合し、自我持ちと剛毅“大口真神”もそれぞれ光に包まれた。

 突然の変化に周りにいた者たちが驚いていれば、ちょこんと残っている時計を持った兎に善が声を掛けた。

 

「時の神クロノスの欠片よ。お前も行け。湊の力になってやれ」

 

 善の言葉を聞いた永劫“稲羽之素兎”はしっかりと頷いて返すと、光になってタナトスとクロノスが融合している中へ飛び込んでいった。

 湊の本来のペルソナに、神の力の欠片が混ざっても大丈夫なのかという疑問はあるが、飛び込んだ稲羽之素兎は弾かれず一つの光になった。

 すると、それを見ていたマリアが湊に近付いてあるものを渡してくる。

 

「ミナト、これあげる」

「……クロワフェーダ、持ってきてたのか」

「うん! ミナトにもらったものだから。今度はミナトを守ってくれるように、マリアの気持ちいっぱい込めたの!」

 

 少女が渡してきたのは、かつて彼女に渡した結合した黄昏の羽根だった。

 死んで魂が肉体を離れる際に、物質と情報の狭間の性質を持つそれを彼女は持ってきたらしい。

 確かにこれがあれば湊の力はかなり増幅する。しかも、羽根自体に剥き出しの彼女の魂から込められた強い想いが宿っている。

 受け取った湊が自身の胸に分解したそれを納めれば、彼女の想いとして込められたペルソナが顕現した。

 それは黒い甲冑に身を包んだ女龍騎士型のペルソナ、女帝“ティアマト”。

 想いと一緒に彼女の力も連れて行く事が出来る。贈った本人も満足そうに自分のペルソナを見ていれば、彼を守るという同じ想いから生まれたペルソナが反応を見せた。

 

「あ、マリアのティアマトと火の鳥が合体した!」

 

 影時間の記憶を失う直前に美紀の想いから生まれたペルソナ。青い炎の身体を持つ星“フェニックス”が羽ばたき、そのままティアマトに近付くと二体のペルソナが一つの光になって融合を始める。

 一斉に自分のペルソナたちが変化するだけでなく、他者の心から生まれたペルソナまで変化するとは思わなかった湊は、二人の少女の気持ちが同一だったからこその変化かとそれを受け止めた。

 そうして、全ての光が弾けるように消えれば、新たな力と姿を得たペルソナたちがそこにいた。

 

《フフッ、腕も戻り、ようやく生前と同等以上の力を得たか》

《この世界にはわたしたちの魂もありますからね。元の霊格に八雲の力も加わればこうなるのも当然かと》

 

 一人は燃えるような赤髪に金色の着物、一人は深雪のような青さすら感じる白髪に黒い着物を身に纏った二柱の女神が笑顔で語り合う。

 かつては太陽“茨木童子”と月“赫夜比売”という名だったが、湊に切り渡した腕や生前の力を取り戻した彼女たちはペルソナとしての名を変えていた。

 

「太陽“大日孁貴神”と月“月黄泉命”か」

《うむ。耳慣れぬ名であれば、別にアマテラスでも構わぬぞ》

《わたしも短くツクヨミでよいですよ》

 

 二人の名は“オオヒルメノムチノカミ”と“ツクヨミノミコト”が正しい。

 けれど、力を取り戻す前の玉藻は死神“シトゥンペカムイ”という名前が気に入らないからと、死神“若藻”を名乗っていた。

 それが通るくらいに自我持ちの命名は緩いらしく、湊も正式名称ではなく二人を耳慣れた別名の方で呼ぶことに決めた。

 続けて新しい自分の姿を見て貰おうと、節制“座敷童子”、魔術師“出雲阿国”、戦車“アタランテ”だった者たちもやって来た。

 

《八雲……また、一緒……》

《巫女服から袴姿になっちゃった!》

《我らは始祖と異なり純粋に八雲の力の恩恵での強化らしいな。全身に力が満ちている》

 

 漆黒のドレスに身を包む少女、節制“闇御津羽神(クラミツハノカミ)”。

 腰に剣を携えた黄色の着物に深緑の袴姿の女性、魔術師“火雷大神(ホノイカズチノオオカミ)”。

 白銀の軽鎧に金色の大弓を持つ女性、戦車“アルテミス”。

 彼女たちも大幅に力が増したようだが、血の濃さが異なるためか生前よりも遙かに強くなったらしい。

 そして、名切りの血を嫌っていた運命“鈴鹿御前”、研究員の武多の願いから生まれた人工ペルソナである恋愛“アリス”、血の付着したナイフに憑いていた亡霊が形を持った隠者“ジャック・ザ・リッパー”もそれぞれが変化した自分たちの姿を興味深そうに見ながら湊の許へやってくる。

 

《どうやら蛇神の欠片は完全に取り込んでしまったらしいな。もっとも、既にそういった括りは必要なさそうだが》

 

 ネガティブマインドとの中継役を担っていた彼女は、蛇神の欠片を取り込んで力が増したらしく、その神格は始祖二人に並ぶほどになっている。

 ツクヨミとは違った黒地に金糸の刺繍がされた豪華な着物姿になった彼女の新たな名は、運命“瀬織津姫(セオリツヒメ)”。

 

《ワンピースからドレスとローブになっちゃいました。杖も大きくなって魔法使いみたいです!》

 

 誰もが想像する絵本のアリスの姿だった少女は、ワインレッドのドレスに黒いローブを纏い大きな杖を持った姿になっている。彼女が得た新たな名は、恋愛“マーリン”。

 

《殺人鬼から夢を与える存在になって良いんでしょうか?》

「別に君自身が人を殺していた訳じゃない。気にするな」

 

 これまで赤いフードの下に黒いベルトを束ねて作ったような露出の多い格好をしていたジャックは、一転して赤い色の司祭服のようなものを着た落ち着いた姿になっていた。

 けれど、その内側にはナイフが隠され、背中にも大きな十字架型の剣を背負っている。そんな彼女の新たな名前は、隠者“サンタ・クルス”。

 自我持ちたちは自分の新しい姿と、仲間の変化した姿をお互いに見合っていて楽しそうにしている。

 そうして、本人たちから説明を聞きつつ全員の新しい名前を確かめていた湊は、残る三体のペルソナにも視線を向けた。

 ある意味で最も変化が激しかったそれは、牛ほどサイズからちょっとした客船並みのサイズになった巨大な銀狼、剛毅“フェンリル”。

 湊たちの頭上で蒼い炎の龍翼を広げて飛ぶ女龍騎士型のペルソナ、星“シャヘル”。

 そして、かつて時の狭間で召喚した時とは僅かに変わって鎧に金色の意匠が増えた白銀の天使、世界“セイヴァー”。

 他のペルソナたちよりも先に進化していた審判“麒麟”を足して、神格すら得ている者もいる十二体のペルソナが並ぶ光景は圧巻だ。

 彼を守るようにという願いを込めたマリアも、自分のペルソナがさらに力を得たことを喜んでみている。

 青年の心の変化一つでこうまで変わるのかという変化だが、これはあくまで蘇るための準備に過ぎない。

 全てのペルソナを自分の中に戻し、己の肉体が置かれている場所を索敵した湊は、しっかりと頷くと力の宿った強い瞳で両親や仲間たちを見た。

 

「……行ってくる」

「行ってらっしゃい。八雲。お母さんたちはこっちの世界で貴方の無事を祈り続けているから、貴方は愛されて生まれてきたんだって事を忘れないでね」

「うん、ありがとう。また会えて嬉しかった」

 

 イリスにマリア、善と玲、そして、気配だけ感じる岳羽詠一朗や飛騨などにも笑顔を向けて、湊は目的の場所へ向けて駆け出した。

 どこまでも続く花畑の奥に彼の身体は置かれている。

 小高い丘や緩やかに流れる川を抜けて、さらに奥へ奥へと進んでいけば、徐々に周辺の景色が暗いものに変わってきた。

 空は分厚い雨雲に覆われ、だというのに大地は干からび荒れ果てて草木一つ生えていない。

 まさに死んだ大地。これこそが命なき世界だと思える場所の奥に岩山が不自然に切り開かれた場所があった。

 岩山の頂上がすり鉢状になって中央だけ平坦にならされている。

 上から見て青年がまるでコロッセオのようだと思った場所の中央に、この世界だと不自然に感じる黒い棺桶は置かれていた。

 目的の物を見つけた湊は坂を下ってコロッセオの中央を目指す。

 どうやれば肉体に戻れるのかは分からない。

 ただ、確保しなければどうしようもないため、平坦にならされた場所まで降りた湊は、そのまま棺桶に近付くと蓋を開いた。

 

「自分の身体を見下ろすってのも変な気分だな」

 

 中に入っていたのは水色の入院着を着た青年ソックリの男。

 ソックリも何も肉体と魂に分かれただけなのだから、紛うことなく完全に本人なのだが、自分の身体を見た湊は随分と久しぶりという感じがしていた。

 その辺りも時間の流れが複雑なことが理由だろうかと考えつつ、湊が自分の身体に触れると途端に引っ張られる感覚を覚えた。

 こんな簡単に済むのかとも思ったが、湊がその感覚に逆らわずにいれば、視界が暗転してからすぐに棺桶の中で目を覚ました。

 身体を起こし、両手の掌を広げては閉じるという動作を繰り返す。

 自分の肉体がどれだけ放置されていたのか分からず、動作をチェックしていたのだが、どうやら問題がないようなので、湊は棺桶に一緒に入っていたマフラーから着替えを出した。

 すぐに戦闘になることを想定した服装に着替え、ブーツの紐を結び直すと彼は棺桶から出た。

 これで後はこの世界から抜け出すだけだ。空を飛べばいけるだろうかと考えたタイミングで、突然、地面から黒い靄が溢れ出し、靄が変化して出来た黒い触手が青年を捕らえる。

 

「くっ……ニュクスかっ」

 

 湊はすぐに拘束から逃れようとセイヴァーを呼び出し飛び立つ。

 ものの数秒で地上から三百メートル以上離れるも、死の気配を纏う黒い触手は彼の腕や足に巻き付いたまま、さらに後を追って複数の触手が伸びてきていた。

 魔眼の力を使って切り飛ばそうかと考えるが、この世界は死後の世界で相手は死その物。

 寿命を殺して死を発現させる力が死その物に効く訳もなく、魔眼を使っても死の線を見る事は出来ない。

 上空を目指して飛び続けても触手はどこまでも追って来て、さらに何もない空間からも突然現われて湊の行く手を阻む。

 あと少し、もう少しでこの世界から抜けられる予感があるのだ。

 腕を取られても無理矢理に引っ張り、足を掴まれても進むことを諦めない。

 だが、世界の理を捻曲げるような彼の存在を赦すことなど出来ないのか、生命に死という概念を与えた神は元いた地上が見えぬ高度で青年を完全に停止させた。

 白銀の天使ごと捕らえられ、さらに続けて何重にも触手が巻き付いて地上に向けて引かれてゆく。

 ようやく願いを持ったのに、大切な少女たちに危機が迫っているというのに、こんな所で終わってしまうのか。

 幾重にも巻き付いた触手で光が閉ざされてゆく最中、青年の胸の奥に悔しさと怒りが広がる。

 

「くそっ、あと少し。あと少しなんだっ!!」

 

 本来ならば、ニュクスに触れた時点で魂を取られ死んでもおかしくない。

 しかし、死との親和性が高く、特殊な魂を持っているからこそ彼は死なずに済んでいた。

 それでも惑星一つ分の生命に力の一部を分け与える事が出来るだけの最上級の神には、いくら強かろうが人間の個では出力の点で勝つことが出来ない。

 地面に向かって引かれる妙な浮遊感を感じながら、それでもまだと天に向けて湊は手を伸ばそうと足掻く。

 終われない。こんなところではまだ終わってやることなど出来ない。

 そして、彼はある存在を招き入れるために心の扉を開いた。

 

「――――来い、俺はここにいるぞっ!!」

 

 死後の世界。そこへ辿り着いたとき、彼の魂には彼の心しかなかった。

 彼の心の中にいたペルソナたちは残っていたが、本来いるべきはずの片割れがいなかったのだ。

 なら、その片割れはどこにいるのか。

 居場所は分からない。けれど、間違いなくまだ存在する。

 そう確信した湊が己の存在を示すように力を増幅させれば、その存在は空間を突き破ってこの世界へと現われた。

 何かの力が当たって湊を覆っていた黒い触手たちが次々と剥がれ落ちてゆく。

 拘束が解けたことでセイヴァーと共に空中で停止すれば、頭上にあり得ないほど巨大な黒い山が浮いていた。

 湊の内に眠っている蛇神よりも遙かに巨大な黒い山には、どうやら牛のような形をしているようで、口と眼孔から炎が噴き出した金色の牛の頭骨が付いていた。

 さらに直径五メートルはある氷の茨が黒い泥で出来た胴体を覆って無理矢理に形を成しており、その背中からは槍の穂先にも見えるものが先端に付いた氷の茨が蠢いている。

 脚は存在せず胴体を構成する泥がそのまま地面に接する形になるのか、近くで見れば山にしか見えない。

 だが、それらの姿はあくまで牛らしきものであって、牛神という訳ではないのだろう。

 今もニュクスの力から守ってくれている半身に、湊は感謝の言葉を告げた。

 

「ありがとう、ベアトリーチェ。さぁ、現世へ戻ろう」

 

 この世界の規格に合わせて無理矢理に実体を持った異界の神は、青年の言葉に応えるように光を纏うと一瞬で彼の中に消えた。

 欠けていた魂が戻ってきた事で、本来の力を発揮出来るようになった天使の背中から光の翼が放出される。

 蛍火色の光はニュクスの進行を防ぎ、その間にベアトリーチェとの完全な同期を済ませた湊が銀色の瞳で上空を見上げた。

 どこまで続く暗雲の先に現世がある。ならば、それを超えていくしか道はない。

 自分の心と向き合い。一歩を踏み出したからこそ彼は本来のペルソナを取り戻す事が出来た。

 そして、本来のペルソナを取り戻したからこそ、彼はその対となる力も制御出来るようになった。

 集中する青年の前に一枚のカードが現われる。旅路の終わり、最後のアルカナたる“世界”のカード。

 そこに宿るは彼ら鬼の一族の力の結晶。二千年以上の長きに亘り研鑽を続け、呪いという形に姿を変えても受け継ぎ続けた一族の歴史。

 だが、本来ならば心を喰われるだけの呪いも、それを受け継ぎ御するだけの心を持った者が主となれば、呪いから絶対の守護者へと姿を変える。

 

「さぁ、征こう。現われろ、无窮っ!!」

 

 瞬間、黒い炎が波紋のように燃え拡がり、湊と白銀の天使を守るように銀色の双角と瞳を持つ蛇神が現れた。

 

《グオオオオオオオオオオオオオオオ――――――――――――ッ!!》

 

 大気を震わす咆吼をあげながら現われた蛇神は、現われると同時に上空に向けて赤と黒の光が混ざり合った光線を撃ち放った。

 暗雲を散らしながら進んでゆく光を追って、湊も天使と共に上を目指す。

 まだ追ってこようとするニュクスの力を蛇神が阻み、その間に距離を稼いた湊は蛇神の攻撃で揺らいだ空間の弱所を抜けて現世へと帰還した。

 

 

深夜――桔梗組

 

 幾月たちとの戦いを終えた後、桐条の手術を終えた湊はチドリ、ラビリス、アイギス、コロマルに綾時を加えたメンバーを連れて桔梗組へと来ていた。

 七歌たちはひっそりと暗示を掛けてから寮に帰しており、ちゃんと桐条グループに湊の帰還が報告されないように手を回している。

 彼女たちが帰ったのを確認してから桔梗組に帰ってきた湊は、号泣した桜に抱きつかれてしばらく動けなかったのだが、相手が落ち着いてくると死んでから自分に何があったのかを語った。

 

「そうして、月の近くに出た後は、月面に刺さっていた九尾切り丸を回収して、真っ直ぐ地球を目指して飛んだんだ」

 

 無論、綾時の正体やニュクスの存在については濁して伏せたが、生き返るためにとんでもない敵の相手をする必要があったことだけは理解されたらしい。

 湊と綾時から彼らが戦場に辿り着くまでの話を聞いて、また湊はどれだけの無茶をしていたんだと聞いていた者たちは呆れ顔になっている。

 再会を喜んで大泣きしていた桜も、今では涙が止まって苦笑を浮かべていた。

 

「まぁ、セイヴァーの空間跳躍がなかったらかなり厳しかったけどね」

「そこに関してはクロノスの力の欠片を吸収したおかげだな。まさかエールクロイツが七熾天に変化した事で時流操作が消えるとは思わなかった」

 

 湊は肉体に残っていたエールクロイツ、チドリの心臓ごと食べて吸収したペタル・デュ・クール、マリアからもらったクロワフェーダを融合させて、新たな結合型の黄昏の羽根を手に入れた。

 枚数が増えた上に結合したことで羽根同士の同調率も上がり、力の増幅器としてはこれ以上ないほどの性能を手にしている。

 だが、そちらの機能に特化する形になったのか、増幅器として使っている間は他の機能が使えなくなってしまっていた。

 羽根の性質が変わったのか、今現在は時を操る神器としての時流操作機能が完全に使えなくなっており、増幅器として使っていない時に使える機能は機械の遠隔操作と影時間の展開のみになっている。

 他の羽根には元々ない力なので無い方が普通なのかもしれないが、調査して機能を再び使えるようになるまでは、クロノスの力の欠片だった稲羽之素兎を吸収したセイヴァーのワープ機能で代用出来る部分はしていくしかなかった。

 異能殺しのペルソナであるセイヴァーの運用には、規格外の増幅機能を持つ七熾天が必要不可欠。

 ならば、便利な時流操作が当分使えなくなっても、代償として受け入れるしかないのかもしれない。

 そんな他の者では一生悩む機会がないであろう贅沢な悩みを聞いて、チドリたちはようやく彼が本当に生き返って来たことを実感するのだった。

 




補足説明

 本来のペルソナを取り戻した事で、対の蛇神も扱えるようになっており、ポジティブマインドとネガティブマインドの区別は消滅。
 アベルの楔の剣は融合後は使えなくなっていたりと細かな変化もあるが、進化後のペルソナは服装が変化し、基本的に特化型の力がより伸びた形になっている。

【湊のペルソナ】
・世界“セイヴァー”(タナトス+アベル+稲羽之素兎)
・世界“无窮”(ネガティブマインドのペルソナ全融合)
・太陽“大日孁貴神”(元・茨木童子)
・月“月黄泉命”(元・赫夜比売)
・節制“闇御津羽神”(元・座敷童子)
・隠者“サンタ・クルス”(元・ジャック・ザ・リッパー)
・魔術師“火雷大神”(元・出雲阿国)
・運命“瀬織津姫”(元・鈴鹿御前)
・戦車“アルテミス”(元・アタランテ)
・恋愛“マーリン”(元・アリス)
・死神“玉藻の前”
・審判“麒麟”
・星“シャヘル”(フェニックス+ティアマト)
・剛毅“フェンリル”(元・大口真神)

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