【完結】PERSONA3 Re;venger   作:清良 要

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第三百六十五話 制裁

影時間――桐条本邸

 

 民間軍事会社“蠍の心臓”の兵たちに屋敷を囲まれ、本邸と離れにいた者たち全員が外に出ていた。

 影時間を迎えた事で桐条の裏の顔を知らぬ使用人たちは象徴化してしまったが、昨夜の遺言開封に出ていた者や高寺派として動いていた警備部の者たちは全員が指輪を付けているのか、警戒しながらも影時間を体感している。

 そうして、桐条側が勝手な動きをしないよう監視しながらも、蠍の心臓側が特に何も動きを見せず時間が過ぎていけば、広い庭園の方で蛍火色の光が弾けて白銀の天使が現われた。

 数十メートルは離れているというのに、実際にペルソナやシャドウを見たことがなかったからか、桐条の分家筋の者たちは取り乱して警備部に自分たちを守れと命令する。

 もっとも、その天使が持ち上げたコンテナから実働部隊として巌戸台分寮を襲撃していた警備部の者たちが放り出され、手足がおかしな方向に曲がっていたりヘルメットが砕かれ頭部から血が流れているのを見て彼らも動きを止めた。

 だが、何よりもそんな彼らの視線を集めていたのは、天使を背後に控えさせながら悠々と歩いて近付いてくる女性だ。

 

「さて……余計な事はするなと忠告したはずですが、どうやら聞き届けられなかったようですね」

 

 屋敷の方へと歩いて近付く女性の輪郭がぼやけ、その姿が変化してゆく。

 艶やかな黒髪は徐々に青みがかって地面に着きそうなほど長く伸び、黒いレディーススーツはカジュアルな男性物に、美鶴よりも低いと思われた背丈はヒールを履いても見上げなければならぬほどの長身になった。

 ここにいる者たちは変化したその姿を知っている。当然だ。何よりも敵に回すなとグループ総帥から散々言われていたのだから。

 

「あの時、ちゃんと言ったはずですよ。有里湊は“ここにいる”と」

 

 言葉遣いは和邇八尋のまま、蒼い瞳を輝かせ嗤って立つ青年の姿を目にし、高寺派の者たちは顔色を悪くしながら震えている。

 未だ背後に白銀の天使を控えさせているものの、相手はただ立っているだけだ。

 だというのに、影時間の適性の差なのか、指輪を付けて影時間を体験している者たちは相手が化け物に見えていた。

 威圧も何も放っていない状態でこれでは、彼が僅かにでも力を解放すれば意識を保つことも出来ないだろう。

 全員がそれを無意識に理解している中、今回の騒動を主導した高寺は湊が現われたという事実を直視できないでいた。

 

「ば、馬鹿なっ……何故だ。何故、生きているっ!?」

 

 高寺とて特別課外活動部の抵抗だけでなく、チドリやラビリスが別働隊で動く可能性を警戒していた。

 さらに、生きていた幾月がストレガと共に襲撃してくる事だって可能性の一つとして考え、そのパターンでの動きを警備部にも伝えていたのだ。

 しかし、しかしだ。完全に死んだはずの人間がこうやって目の前に現われる事など予想出来るはずがない。

 どうして生きている。どうやって生き返ったのだ。その答えを求めて高寺が離れた場所に立つ湊に向けて叫べば、湊は心底つまらなそうに返した。

 

「それは哲学か? 純粋な物理現象の話で言えば、この世に生を受けたからとしか言えないが」

「そんな事を聞いているんじゃない。有里湊、君は確かに死んだはずだ。遺体は盗まれる際にいくつかのパーツに分解されたと調査した者たちからも聞いている。仮に蘇生能力を使おうにも不可能な状態にあったはず」

 

 首を落とされれば湊の蘇生能力は発動しない。チドリやラビリスの発言もあって、それが事実であると桐条グループには伝わっていた。

 もし、それが嘘だったなら彼が死んだ後のチドリたちの反応の説明が付かない。

 ならば、自分たちと対峙している存在は彼ではない。彼であって良いはずがない。首を落とされようと蘇るなど、古い伝承にも残る化け物でしかないのだから。

 彼の姿を騙った事は確かに効果的だが、そろそろ正体を現わしてもいいだろう。そんな願いを込めて睨む高寺に、湊は小さく溜息を吐くとグループの力を盲信しすぎだと返す。

 

「……だが、現実に俺はここにいる。なら、お前たちの調査結果が間違っていただけの話だろ」

 

 グループの調査が確かなら生きているはずがない。

 しかし、その調査のどこかにミスがあったなら、彼が生きている事も可能性としてはあり得る。

 湊の言うことはもっともだが、高寺たちは未だに納得できていないようだ。

 しかし、そう言えばと先ほど庭園に現われた際の姿の謎が残っていた事もあり、高寺は再び湊に質問をぶつける。

 

「そ、そうだ。あの女は、本物の和邇八尋はどこにいるっ」

「何故、俺にばかり尋ねるのか。雇っていたおばさんに聞けばいいだろうに」

 

 元を辿ればあの女が散々邪魔してくれたおかげでこんな事態になっている。

 御側御用のくせに自由に主から離れていたり、どこまでも見透かしたように上から目線でいたり、同じグループの人間でありながら裏切ったあの女はどこにいるのか。

 高寺派の者たちの視線が湊と英恵の間を行き来していれば、お前たちは聞いてばかりだなと湊が答えた。

 

「だがまぁ、答えるなら最初から和邇八尋という人間は存在しない。和邇八尋はおばさんの護衛に俺と玉藻の前が交代で演じていた架空の人物だ。というよりも勉強不足だぞ。古事記と日本書紀を読めば俺の祖先である豊玉姫が“八尋和邇”と記述されている。こんなに分かり易い偽名もないだろう?」

 

 湊の本来の名が百鬼八雲である事は既にグループ上層部に伝えられている。

 その中でも桐条に近かった者たちは、さらに彼の血筋についての説明も受けており、豊玉姫の話は高寺も知っていた。

 だが、いくら彼が優秀であろうと、総帥の補佐を務めることもある多忙な毎日を過している中で、古事記や日本書紀に目を通したところで特別興味もない事を詳しく覚えているはずがない。

 言われた事でその記述があった事を思い出した高寺は、どうして自分はこんな簡単なことも気付かなかったのかと悔しそうに自分の足に拳をぶつける。

 

「さて、冥土の土産というやつで種明かしをしてやった訳だが、今回の件についてお前たちはどう落とし前をつけるつもりだ」

 

 相手の質問には十分に答えてやった。今度はこちらの番だと湊は腰の左に差した白い刀を右手で抜きながら相手に問う。

 武器を抜いた瞬間に纏う空気が変わり、距離が離れているというのに高寺たちは喉元に刃を突きつけられている錯覚に陥る。

 

「わ、私たちは、社会への影響を考えて行動したまでだ。日本のトップ企業が揺らげば社会にどれだけの影響が出るか分からない。これまで大勢の人間を救ってきた君なら理解できるだろう!」

 

 湊にとって重要なのは個だ。不特定多数の人間ではなく己が認めた者たちの安寧を第一に考える。

 しかし、彼が人という種を、この惑星に生きる命を救おうとしている事もまた事実。

 高寺はそこから自分たちの行動に対する理解を求めたが、ここで高寺たちは大きな勘違いをしていた。

 

「……いいや。欠片も理解できないな。どうやらお前の定義する人とはグループの人間やそれに関わる者のようだが、そんな者たちは世界から見れば大した数じゃない。別に死んだところでそう大きな影響は出ないだろう」

 

 神の視点に近い本質を持つ湊は命を救おうと、守ろうとする。

 だが、彼にとって自分の認めていない個の命は無価値だ。

 最初から全ての命を救えるなどとは思っていないし。そもそも、救う気だって欠片もない。

 だからこそ、命を救うために箱船は用意するが、自分の認めた者たちが全員乗ったなら後は誰が乗ろうと気にしない。

 そこからあぶれて奈落へと落ちていく者がいようと、運が悪かったなと考える事すらしないのだ。

 だからこそ、湊は桐条グループが解体されようと気にしない。チドリやアイギスたちの生活に影響があったとしても、彼女たちの生活くらいであればEP社の力を使って最小限の被害で済ますことが出来るのだから。

 湊の言葉に高寺たちが唖然としていると、湊は彼らに背を向けて庭園に転がる警備部の者たちの許へ向かいながら言葉を続ける。

 

「お前たちは百を生かすためなら一を切り捨てる事を容認するみたいだが、当然、それは自分が一に振られても同じ意見なんだろうな?」

 

 彼の言葉から熱が消える。

 一切の感情がなくなり、言葉だけで寒さを感じるほどだ。

 急な彼の変化に驚き、そして、彼が何をするつもりなのか見ていれば、湊は左足がおかしな方向に折れたままうつ伏せに倒れている女性隊員の傍で立ち止まる。

 

「なるほど、お前は先月婚約して来年に結婚するのか。おめでとう」

 

 ゾッとするほど冷たい言葉を吐いた直後、湊は口元を歪めながら右腕を振るう。

 空に浮かぶ月の光を反射させながら白刃が一閃すれば、倒れていた女性隊員の左手が宙を舞った。

 

「あぁぁぁぁぁぁぁぁああああああっ!?」

 

 女性隊員が絶叫を上げる傍で、湊は黒刀も抜き放って宙を舞った左手を細切れにしてゆく。

 赤い血飛沫が舞う中、二刀で斬られる腕は最早どこが肉で骨なのかも分からぬほど微細になり、それらが地に落ちた時にはただの血溜まりが広がっているようにしか見えない。

 

「可哀想に……二度と左手の薬指に指輪を付けられなくなったな」

 

 切られた腕の痛みだけでなく、手にした幸せを目の前で壊された事で女性隊員の瞳から光が消えてゆく。

 重傷ではあるものの、身体はまだ無事だというのに、急速に心が死んでいくのが周りで見ていても分かった。

 自分たちの仲間がそんな目に遭わされた事で、青年に対して強い怒りと殺意を抱いた者もいる。

 けれど、彼らは既に一度敗北し、最早満足に戦える状態ではない。

 あまりの悔しさに歯を食いしばって奥歯が砕けた者や、地面に叩き付けた拳が砕けた者もいたが、そんな彼らの様子を一切無視して青年は次の獲物に近付いた。

 

「ふむ、お前は妊娠中の妻がいるのか。元気に子どもが生まれるといいな」

 

 歳は三十を過ぎたくらいだろうか。まだまだ活力に溢れた顔をしている男の傍に立てば、湊は這って逃げようとする男の背を踏みつけてうつ伏せに倒し、抵抗して暴れようとした男の両肩に刀を振り下ろす。

 

「だが、人の親になろうという者がこんな事をするのは戴けない。その汚れた腕に抱かれては子どもが可哀想だ。こちらで対処しておいてやろう」

 

 両肩から腕を失った男は激痛のあまり声をあげることも出来ずに意識を失う。

 心を壊された最初の女性よりもマシと思うべきか、意識を取り戻した後を思えばこちらの方が地獄だと思うべきか。

 さらに続けて、幼い頃より柔道に励んできた者の軸足を完全に砕き、ピアノを趣味としていた者の両手の指を切り刻むなど、隊員たちにとって最も失いたくない身体の部位を破壊して回る。

 殺してはいない。一人たりとも殺してはいないが、桐条側の人間だけでなく蠍の心臓の者たちまで青年の行いに顔を顰めている。

 だが、どれだけ彼が残虐な行為をしようとも誰一人として止めようとしなかった。

 今の青年に近付けば自分も敵と認識される。そんな状態で桐条側の足止めに雇われた蠍の心臓が動くはずがない。

 そして、桐条側の人間たちは頭では止めねばと思っているのに、本能が邪魔をして一歩も動くことが出来なかった。

 他の者たちが見ている前で次々と粛正は続けられ、最後に隊長だった本田という男が残れば、湊はこれまで以上に口元をつり上げて嗤う。

 

「ははっ、隊長殿は年明けに娘の成人式があるのか! 一生に一度の晴れ舞台だ。さぞかし楽しみにしていた事だろう」

 

 近付いてくる湊に恐怖で震えながらも、腰が抜けて立てない隊長の男は腕の力だけで逃げようとする。

 無駄な足掻きでしかないそれを冷たい目で見つめた湊は、黒刀を鞘に戻して空いた左手に黒炎を纏わせながら相手の顔を掴んだ。

 

「あがぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああああっ!?」

「だが、残念だ。光を失ったその目では見ることが出来ないな。可哀想に」

 

 万力のような力で顔を掴まれた事で逃げることも出来ず、隊長の男は両眼を灼かれながら絶叫した。

 風に乗って漂ってくる肉の焼ける臭いに、荒事に耐性のない桐条の分家筋の者が嘔吐している。

 殺すよりも残酷な事をこうも淡々とこなし、時に楽しげに嗤っていた彼の姿はまさしく鬼のようだった。

 とんだ化け物を敵に回してしまったと、今更ながらに理解したことで、高寺派についた者たちが助かる方法を考え始めたとき、湊は白刃を持ったまま振り返った。

 そして、ゆっくりと歩きながら屋敷の前にいる高寺たちの許へと近付いてくる。

 

「さて、お前たちの命令を聞いた者たちはちゃんと自分の罪を認め、こうやって罰を受けた訳だが、お前たちも同じように反省するんだろうな?」

 

 近付くにつれ湊の纏う空気が変わってゆく。

 先ほどまで纏っていた殺気はただの見せかけだった。

 今の湊からは何も感じない。そこにいて、明確な殺意を抱いているはずなのに、相手の感情や思考がまるで伝わってこないのだ。

 空間の一部が切り離され、そこに空気だけでなく光すらも通さない黒い穴が存在しているかのような違和感。

 自分の命もその穴に呑み込まれるのではないか。そう思った分家筋の者が一人集団から飛び出すと、湊に向けて今回の件について口を開いた。

 

「わ、私は関係ない! こいつらが勝手にやったことだ。私は御当主が目を覚ますまで現状維持にてっ……がぼっ……」

 

 話している途中、男は視界の中で何かが光ったと認識すると、直後に喉からナイフを生やして血を吐いて倒れた。

 倒れた男は自分の喉に刺さったナイフを抜こうとするも、その前に力尽きたのかナイフを抜くことなく動かなくなった。

 

「誰が主導したかなんてどうでもいい……。敵になった以上、無事で済むと思うな」

 

 散々敵をいたぶっていた青年が、ここに来て人を殺した事で桐条側の者たちに緊張が走る。

 もし、先ほどの行動が意図したものであったなら、湊が警備部を殺さなかった理由に納得できてしまう。

 彼は戦いにおいて独自のルールを作ってそれを守る。今回ならば、恐らくは最初から桐条家の人間と今回の騒動の首謀者たちを狙っていたに違いない。

 だとすれば、このままでは高寺たちは全員殺される。

 白刃を持って駆け出した青年が真っ直ぐ高寺たちの許を目指せば、これ以上彼の手を汚させる訳にはいかないと美鶴が召喚器を抜いた。

 

「やめろ、八雲!! これ以上殺すなっ!!」

 

 現われたペンテシレアは進路を塞ぎ、レイピア状の腕を湊に向けて突き出す。

 青年は頭を下げるだけでそれを躱し、相手の懐に入り込むと逆手で抜いた黒刀で斬りつけ、体勢を崩したところに白刃の振り下ろしで追撃を繰り出し消滅させた。

 ほとんど一瞬の内に放たれた連撃により、数秒の足止めすらかなわなかった美鶴はダメージのフィートバックに顔を歪める。

 だが、先ほどの妨害によってこの場で最も優先的に排除すべきと判断されたのか、湊は進路を変えて美鶴に迫ってきた。

 今の美鶴は召喚器は持っているが近接武器を持っていない。

 あったところで彼の攻撃を防げるとも思えないが、再びペルソナを呼び出そうにも彼が迫る方が速い。

 そして、冷徹な金色の瞳を向けて迫った青年が距離を詰め、美鶴から数メートルのところで刀を振り上げれば、美鶴は横からきた衝撃に突き飛ばされ、彼女を突き飛ばした人間が代わりに白刃に斬りつけられた。

 

「き、菊乃っ!?」

 

 左肩から右の腰まで袈裟切りに切られた菊乃は、仰向けに倒れながら地面に鮮やかな色の血溜まりを作る。

 純白のエプロンは赤く染まり、傷の痛みと急激に血液が失われた事で脂汗を掻いている。

 幼馴染みが自分を庇って切られた事に動揺し、起き上がった美鶴は顔を青くしながら彼女を抱き起こす。

 美鶴を狙ってきた者が目の前にいるというのに、逃げるのではなく戻ってくるなど愚かな行動だ。

 しかし、青年は刀についた血を振り払っただけで行動を止めている。

 今ならまだ言葉が届くのではないかと考えた菊乃は、痛みに顔を歪ませながらも主のために青年へ話しかけた。

 

「お、お嬢様は……今回の件に関与していません…………全て……私や、あそこにいる者たちが勝手にした事です……ですから、どうかお嬢様の命は……」

 

 美鶴は先ほど彼の行動を邪魔したが、湊が敵と定めたのはチドリやアイギスに危害を加えようとした者だけのはず。

 今回の高寺派の行動は美鶴のためを思っての部分はあったが、あくまでグループを守ろうと考えた者たちの独断専行。

 故に、特別課外活動部と同様に巻き込まれた美鶴は無関係だから見逃して欲しい。

 今にも死にそうな菊乃が必死に頼み込めば、それを聞いた湊は瞳を蒼くさせながら嗤った。

 

「お前にとって最も大事な存在が桐条美鶴ならば、考え得る限りの苦痛を与えてお前の後を追わせてやろう。あちらで仲良くやると良い」

「…………下衆がっ……」

 

 敵の願いなど聞いてやる義理はない。湊の言っていることは敵対者として真っ当なのだが、人々を救ってきた彼の良心に賭けた菊乃に取っては、どこまでも敵を苦しめる事をしか考えていない彼が悪魔に見えた。

 死にかけていながら、それでも憎しみを込めた瞳で睨む菊乃に、湊は心底呆れたように言葉を返す。

 

「……勘違いしているようだが、この事態はお前たちが招いたんだぞ? 他者から自由という尊厳を奪っておきながら、自分たちは安寧を得ようだなんて虫のいい話が通ると思ったのか?」

 

 確かに美鶴を殺そうとしているのは湊だが、彼にその行動を取らせた原因は菊乃たちにある。

 彼女が他者を犠牲にしてでも美鶴を守ろうとしたように、湊にだって命に代えても守るべき人がいるのだ。

 人数の問題ではないが、よりにもよって高寺派の人間は彼が守るべき相手を三人とも捕らえようとした。

 湊が守っている少女たちについて桐条側は情報を持っていたはずなので、それで狙ってきたなら最早戦う以外の選択肢は残っていない。

 

「未遂かどうかは関係ない。お前が何もしなければこんな事にはならなかったんだ。あそこに倒れている者たちがこんな目に遭ったのも、これから桐条美鶴が殺されるのも、全てお前たちのせいだ」

 

 桐条武治が倒れた事で桐条グループが弱体化したのは事実だが、その後、どうなるかなど分からなかった。

 もしもの事を考えて備えるのは当然であり、そこに関しては湊も間違っていないと認めている。

 けれど、高寺も菊乃も影時間に関わる事柄についての理解が不足していた。

 世界で最も真理に近付いている青年ですら手に余り、彼を除けば最も深く理解している幾月は新たな理を築くことでしか扱えないと理解している。

 そんなものの情報が特別課外活動部のメンバーたちを捕らえたくらいで秘匿できるはずがない。

 既に公安なども非科学的な力の存在に気付いている。それでも彼らが踏み込んでこないのは、その力の存在を証明出来ないからだ。

 桐条はそういった事を理解した上で、相手がより踏み込んでこられないように手を回していたというのに、高寺たちは妨害などによる外部への働き掛けではなく、身内の口を封じるという情報の拡散を防ぐ事を優先してしまった。

 これでは今もグループを狙っている者たちに準備する時間を与えているようなものだ。

 

「なぁ、自分のせいで大切な者が殺されるのはどんな気持ちだ? はした金で親に売られ、ペルソナの研究のために身体を弄られても適性を得る事しか出来ず。それでも、自分を引き取り良くしてくれた恩人たちのためを思って行動すれば、失敗するだけでなく恩人まで殺す事になった」

 

 やる事なす事全てが空回りで、むしろ、動く前より自分たちや守るべき者の立場をより危険にしている。

 一体何がしたかったか本気で分からないと、美鶴に支えられたまま倒れている菊乃に湊は冷め切った視線で問う。

 

「――――お前、何のために生まれてきたんだ?」

 

 その言葉を聞いた菊乃は心の中で何かが壊れる音が聞こえた。

 幼少期に散々な目に遭わされながら、しかし、桐条家に引き取られて今日まで生かされてきた。

 何を犠牲にしてでも、どれだけ自分が泥を被ろうとも、何としてでも美鶴とその家族だけは守りたかった。

 だが、全ては無駄だった。自分のせいで大勢が犠牲になった。これから守りたかった大切な人たちまで殺されてしまう。

 こんな事にならないために動いたというのに、それらが全て真逆に作用し、名切りの鬼を呼び寄せてしまった。

 自分のせいで大切な人が不幸な目に遭う。自分のせいで大勢の人が死んでしまう。自分なんかいなければ良かった。両親に売られ、人工ペルソナ使いの研究を受けた時に死んでいればよかった。

 恩を感じていたからこそ、美鶴たちに対して愛情を持っていたからこそ、菊乃は行動の責任を感じ、自分自身の存在を赦せなくなる。

 

「あ、ああぁ……ああ……ああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」

 

 湊に切られた傷でまともに動けないはずだというのに、菊乃は正気を失って自分の頭を掻き毟って暴れ出す。

 美鶴が相手の腕を掴んで覆い被さるようにして止めさせようとするが、彼女は奇声を上げたまま暴れて残り少ない自分の命を消費していく。

 そうして、一人の人間の心を完全に壊し終えた青年は、小さく口元を歪めるとその場を離れて高寺たちの方へと向かった。

 

「待たせて悪かったな。お前たちはそこの莫迦ほど優しく済ましたりはしないぞ」

 

 相手を精神的に追い詰め、唯一の心の支えすらもへし折って壊しておきながら、どこが優しいのかと高寺たちは心の中で吐き捨てる。

 自分もあんな風に心を壊されるのか、それとも警備部の実働部隊のように絶望を抱いたまま生かされるのか。

 そんな恐怖に震える者たちは、自分の上着の内ポケットに入っている銃を抜くべきか考える。

 高寺たちと共に屋敷にいた警備部も武装はしている。蠍の心臓の兵士たちは、外に出て大人しくしていろとは言ったが装備は取り上げなかった。

 湊とは二十メートルほどしか離れていないので、ここで数の力で攻めれば相手もただでは済まないはず。

 しかし、そう考えた者たちは自分たちの方が有利なはずだというのに、欠片もその奇襲が成功する未来が想像できなかった。

 僅かでも銃に手を伸ばせば、先ほど投げナイフで喉を貫かれた男のように殺される。

 そうなる確信があった事で、奇襲を諦めた者の内の一人が一歩前に出て湊に話しかけた。

 

「き、君は大勢の人々を助け、救ってきた人間だろ?! 世間だけじゃない。私も君は優しい正義の味方だと思っている。だからこの通りだ。金ならいくらでも払う。見逃してくれ!!」

 

 この期に及んでまだ金でどうにか出来ると思っている者がいた事に、高寺や警備部の者たちは唖然として言葉を失う。

 そも、湊の後ろにはEP社がいるのだ。今後、桐条武治の持っていた株を全て売りに出したとき、最もそれを買う可能性が高いのがEP社である。

 ここにいる分家の人間の中に同じ事が出来る者はおらず、だからこそ、高寺に個人的に相談してきた者もいたというのに、自分より金を持っている人間を金で動かそうとは馬鹿なのかと本気で言いたくなる。

 先ほどの男と違って即座に殺されてはいないが、巻き込まれて死ぬのは御免だと高寺たちが距離を取ろうとしたとき、右手に刀を持ったまま左手を顎に当てて考える様子をみせ、少ししてから考えがまとまったのか口を開いた。

 

「なら、お前たちから全てを奪おう……ここから南東の方角には何があると思う?」

 

 そう言って湊が具現化した“世界”のカードを握り砕くと、突如発生した重圧に彼以外の人間は立っていられなくなり地に伏せる。

 何が起きたのかと空を見上げれば、そこには全長が分からぬほど巨大な黒い蛇神がいた。

 どうしてここで蛇神を出したのか。重圧に苦しみながら高寺はこの後の相手の行動を推測する。

 蛇神が戦うための力と仮定し、それをどうやって使うかのヒントは既に出ているはず。

 湊の言葉を思い出せと重圧に耐えながら記憶を辿り、この桐条本邸から南東の方角に何があるかを考える。

 

「っ、ダメだ!! やめろぉ!!」

 

 その答えに辿り着いた高寺は、這うようにしながら湊に手を伸ばして止めようとする。

 ここから南東の方角にあるのは都心だ。それだけなら湊が首都に向けて攻撃を放つようにしか思えないが、地図上で桐条本邸から南東に向けて線を引くと、丁度その方角に桐条グループの本社ビルが存在するのだ。

 都心まではかなり距離がある。これまで聞いてきたペルソナのデータを考えれば、攻撃を放ったところで射程は一キロにも満たない。

 けれど、それはあくまで七歌たちが扱っている普通のペルソナの話だ。

 今、高寺たちの上空にいるのはペルソナの枠に収まるような存在ではない。

 桐条や美鶴が報告書で蛇神と呼称したことも納得できる。本能でそれを理解した高寺は、服が汚れることも構わず届かない手を伸ばし続けた。

 

「消せ、无窮」

《グオオオオオオオオオオオオオオオ――――――――――――ッ!!》

 

 蛇神の咆吼と共に放たれた赤と黒の光が混じり合った禍々しい光線が影時間の空を灼く。

 攻撃の余波だけで雲が霧散し、蛇神の放つ重圧とは別の圧力が地上にも届く。

 この地から本社までどれだけ離れていると思っているのか。間に小さな山や他企業の高層ビルだってある。

 常識で考えればあり得ない。不可能だと鼻で笑って流すような話だ。

 しかし、地に伏しながら蛇神を見た者たちは、この存在にとってその程度の事など造作も無いのだと分かってしまった。

 一分以上放たれ続けていた光線が消え、攻撃をやめた蛇神が上空で蠢きながら待機していると、高寺たちの方へ振り返った湊の耳に男たちの呟くような声が聞こえてくる。

 

「馬鹿な。ふざけている。なんだこれは、こんな、こんな事などあってたまるか。日本の就労人口の二パーセントだぞ。日本だけじゃない。世界の経済にも大きな影響を及ぼす事になる。それを、たかが子ども数人を拘束しようとしただけで全て消すなど……」

 

 蛇神が破壊したのはあくまで建造物なので人材は残っている。

 だが、グループの心臓とも言える場所を消されては外敵に備えるなど言っている場合ではない。

 どこで間違えたのか。どうすれば良かったのか。情報の処理が追い付かない高寺と、最早経営権がどうのという状況ではなくなった事を理解し呆然としている桐条分家の者たち。

 青年はそんな相手の無様な姿を見ながら愉しげに嗤うと、何も持っていない左手を高く上げ指を鳴らした。

 タンッ、という甲高い音が聞こえると、これまで呆然としていた者たちは意識が急にクリアになっていく感覚を覚えた。

 先ほどまで感じていた重圧もいつの間にか消えており、何が起こったのかと顔を上げて辺りを見渡す。

 

「っ、どういう事だ……?」

 

 顔を上げて周りの様子を見た高寺たちは、実働隊の警備部が転がっていた庭園を見て驚愕する。

 先ほどまで血の海になっていたはずだというのに、そこには整えられた植物たちと共に五体満足な状態で座ったまま高寺たち同様辺りを見渡している隊員の姿があった。

 心を壊されたはずの菊乃も一切の傷が消え、美鶴と共に訳が分からないと言った顔で座り込んでおり、未だに蠍の心臓の兵たちに囲まれてはいるが、自分たちの身に何があったのかと不思議そうにしている。

 そうして、全員が今の状況を理解できずにいると、少し離れた場所に置かれたテーブルセットに、先ほどまで自分たちの傍にいたはずの青年がいつの間に座っており、対面で苦笑している英恵と共にこちらを見て口を開いた。

 

「余興は愉しんで貰えたか? なら、戦後処理の話に移ろうか。得意なんだろ。グループの人間を守るといった話が」

 

 訳が分からないが全ては彼が見せた幻のようなものだったらしい。

 その事だけは理解できた高寺は、桐条が何故彼に手を出すなと言ってきたのかを改めて実感した。

 対応を間違えれば先ほどの光景は現実となるはずだ。これは確かにただの殺戮者などより質が悪いと苦笑いせずにはいられない。

 しかし、借りを作ったことは事実だが、人的被害がなかったのならまだ挽回も可能。

 故に、高寺は今の自分はグループの代表なんだと立ち上がり、襟元を正してから真剣な表情で湊に言葉を返した。

 

「改めまして桐条グループの新代表に就いた高寺一郎と申します。今回の騒動は全て私の責任で行なわれたものです。誠に申し訳ありませんでした」

 

 緊急で就いたにせよ大企業の代表が簡単に頭を下げるものではない。

 だが、以前桐条は桔梗組を訪れた際に頭を下げて誠意を見せていた。

 これが正しい。罪を犯した身ではあるが、こうすることがグループの者たちを守る事に繋がるのだと高寺は心からの謝意を込めて頭を下げ続けた。

 

 


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