【完結】PERSONA3 Re;venger   作:清良 要

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第三百六十八話 三人目の転校生

11月9日(月)

朝――月光館学園

 

 桐条グループとの争いも終わり、日曜日はゆっくりと休めたことで、七歌は清々しい気持ちで登校することが出来ていた。

 桐条武治は未だに目覚めず、幾月たちの動きも不明だが、桐条グループが敵ではなくなったことは大きい。

 グループに参考人として連れて行かれていた栗原も土曜日の内に解放され、今日から骨董品屋の仕事を再開すると聞いている。

 全てが元通りという訳ではないが、それでも湊が死んでからバラバラになっていた物が以前のような形に戻りつつある。

 メンバーたちのペルソナもほとんどが進化しており、未だ終わりは見えぬものの、新たな階層が開いたタルタロスでの戦いもどうにかこなしていけることだろう。

 美鶴も帰ってきた事で、今後はどういったスケジュールでタルタロスへ行こうか七歌が考えていれば、校門の近くまで来ていた七歌の耳に近くにいた女子たちの話している声が聞こえて来た。

 

「ねぇねぇ! ビッグニュース!」

「朝からテンション高すぎ。んで、ニュースって?」

「今日、転校生が来るらしいんだけど、すっごいイケメンなんだって!」

 

 女子たちは七歌と同じ高等部の制服を着ている。

 高等部ならばイケメンなど湊でも見飽きているだろうに、どうしてそこまでテンションが高いのか理解できない。

 ただ、その転校してくるイケメンについては七歌も心当たりがあった。

 先週の終わり頃、蘇った湊と共に戦場に現われた少年“望月綾時”。彼が転入のための手続きに学校に来ていた事は知っている。

 こんなタイミングで何人も転校してくるとは思えないので、女子の言うイケメンは間違いなく綾時の事だろう。

 七歌から見た綾時は顔立ちは確かに整っているし、女性への気遣いも随所に感じられたので話しやすい。

 ただ、湊とは違った意味で人間性がどこか希薄に思えるため、付き合う相手として見れば今のところは守備範囲外と言えた。

 しかし、一般的な女子たちにとっては新たなイケメンの登場は十分なニュースらしく、話しかけられた女子の方も意外とノリ良く会話を続けている。

 

「あぁ、皇子が抜けてウチの学校のイケメン比率下がってたもんね」

「そうそう! やっぱ現実見なきゃって思うじゃん? 皇子いないならプリミナ入っててもしょうがないし。私、次はその人を追おうと思う!」

「現実見るなら追わずに声かけなよ」

 

 湊の死が生徒たちに告げられたのは約一ヶ月前。

 直後はまさに阿鼻叫喚と言った感じで、錯乱する者やショックのあまり気を失う者などが多数出てしばらくまともに授業することも出来なかった。

 ただ、人間とは慣れる生き物だ。どんなに辛いことでも時間が経てば強い感情を維持し続けることは難しい。

 彼の公認ファンクラブであった“プリンス・ミナト”の会員たちもそれは同じで、狂信者とも言えるような者たちを除けば、ほとんどはただ彼をアイドルとして好いていただけだ。

 死んだ直後は悲しくとも時間が経てばそれも薄れ、今では勿体なかったと彼の死について軽口で話せてしまえるようになっている。

 青年のように話題になった人間でもそうなのであれば、個人の命はやはり社会にとってはとても軽いのだろう。

 最近、死を身近に感じることがあった七歌は、世の中のままならぬ部分について考えながら校舎に入っていった。

 

***

 

 湊の帰還を機にアイギスも復学した事で、特別課外活動部のメンバーたちは全員が学校に来ている。

 おかげでクラスの雰囲気も一月前よりも良くなり、事前に学校中で転校生の噂が広まっていた事もあってか女子たちがどこかソワソワしている。

 男子たちは女子ほどのあれこれは無いようだが、それでも新しいメンバーがクラスに加わるイベントなどそうあるものではない。

 故に、どこか期待に満ちた表情で待っていれば、チャイムが鳴ってから教室にやってきた担任の鳥海の後ろにいる少年にクラス中の視線が集まった。

 

「はーい。皆、静かに。今日からまたウチのクラスに新しい仲間が加わります。四月から数えると三人目よ? 人数調整するならお隣のクラスに入れるべきだと思うのよねぇ」

 

 やって来た少年は案の定、先日会ったばかりの綾時だった。

 この学校の制服を着るつもりはないのか、彼の服装は初めてあった日と同じだ。

 柔和な笑みを浮かべた彼は首には黄色いマフラーを巻き、背中側でクロスしたサスペンダーがどことなくオシャレに見える。

 新たな仲間がクラスメイトたちに微笑んでいるので皆そちらに気を取られているが、先ほどの鳥海の言葉はやや配慮に欠けていた。

 大人でもそうなのかと七歌が小さくうんざりしていれば、自己紹介をするように言われた彼が口を開く。

 

「えっと、はじめまして。望月綾時っていいます。分からない事、優しく教えてくれると嬉しいな」

 

 湊が強大な軍事力を持つ帝国の皇子だとすれば、綾時は平和を愛する王国の王子と言ったタイプだ。

 女子の一部はその優しげな笑みに心を射貫かれたようで、私が教えてあげると手を振っている者もいる。

 七歌の記憶が正しければ、彼女は湊のファンクラブの高等部二年の中でそれなりに高い地位にいたはず。

 各学年に代表がおり、それを補佐するメンバーを含めて幹部と呼んでいた。

 だが、事実上休止状態だと幹部もただの女子高生になってしまうようで、綾時に手を振っている彼女の頭からは湊の存在は完全に抜け落ちているに違いない。

 七歌がクラスメイトをそんな風に観察していると、生徒名簿を見ていた鳥海が補足するように言葉を続けた。

 

「彼はご両親のお仕事の事情で海外生活が長かったの。日本の習慣に慣れてないところもあるみたいだから、皆で色々と親切に教えてあげてね。じゃあ、席は……そこ丁度空いてるから座って」

 

 言いながら鳥海は窓側から二列目の先頭の席を指す。

 綾時は言われた席に大人しく座ったが、それを見ていた他の生徒たちはどこか微妙な表情を浮かべている。

 なにせ、鳥海のクラスは人数の関係で窓側と廊下側の最後尾が一つ分少ないため、クラスに新たなメンバーが加わればどちらかに新しい机を置くことになるのだ。

 だというのに、綾時が座ったのは列の先頭。そんな場所が普段から空いているはずがなく、空いていたとすればその席には本来の持ち主がいるという事になる。

 アイギスが転校してきた時も似たような事があったので、心のどこかで無駄だと分かっていても、本来の持ち主の事を考えてゆかりが一応指摘した。

 

「先生、そこ今日は休んでるだけだと思います」

「席を決める日に望月君はいて、本来の持ち主はいなかった。なら、そこはもう望月君の席です。世の中は常に椅子取りゲームなのよ。欲しいのなら自分で勝ち取りなさい」

 

 休んでいる理由が病気なのかサボりなのかは分からない。

 ただ、別に目が悪くて前の席に座っていたタイプではなかったので、休み明けに自分の席が転校生に奪われていたというショックはあるかもしれないが、結果的に教師から遠い最後尾に移動出来て喜ぶ可能性の方が高い。

 ある意味、不幸になる者がいなかったので良いのかもしれないが、他のクラスメイトにすれば自分も何かあった時に簡単に切り捨てられるのではという小さな不安を覚えた。

 鳥海の過去に何があってそこまでシビアな価値観を持っているのかは不明だが、彼女もアラサーなので色々と考える事も多くなっているのだろう。

 簡単な質問タイムを挿むとすぐに一限目の授業が始まり、担当だった鳥海が私語が五月蝿いと叱った事で、綾時への本格的な質問タイムは昼休みまで持ち越される事になった。

 

 

昼休み――月光館学園

 

 籠球皇子ブームで全国に広まり、高等部に進んでからはテニスでも活躍した事で、万能皇子として湊の知名度は有名アイドル事務所のアイドルにも負けない規模になった。

 おかげでファンクラブのメンバーも大幅に増え、その中から各分野のスキルを持った者たちの力を借り、学校のサークル活動でしかなかった“プリンス・ミナト”も今では小さいながらも一つの企業として動いていた。

 主な活動内容は湊の芸能活動の補助であり、そういった意味では湊の所属する芸能事務所とも言えるかもしれない。

 ライセンスの取り扱いに、グッズ販売、売り上げの一部を福祉団体に寄付したりなど、大きく動くような事は稀だがそれなりに仕事はあった。

 サークル時代から会長として活動していた高等部三年の雪広繭子は、湊が死んでからもしっかりと仕事を続けていたのだが、彼の死を伝えられた日から世界が色褪せて見えていた。

 

「あの、雪広先輩。すみません。私、プリミナそろそろ抜けさせてもらいます」

「……そう。寂しくなりますね」

「本当にすみません。でも、やっぱり私も前に進まないとって思うんで」

 

 購買部に行くため一階に降りてきた雪広の許に一年生の女子がやって来ると、相手はファンクラブから脱退したいと伝えてきた。

 口では寂しくなると言ったが、彼女は本心ではそんな事は思っていない。

 後輩の女子がやって来た時点で相手が何を言ってくるかなど察していたからだ。

 脱退を告げた相手は一礼してから去って行くと、すぐに表情を一変させて購買部の人集りの方へと進んだ。

 そこには今日転校してきたばかりの少年と、彼を囲む女子の集団がいた。

 にこやかに笑って買い物の仕方を聞いている少年に、同じクラスの女子だけでなく他の学年の女子たちも姦しく何かを伝えている。

 確かに顔立ちは整っており、物腰も含めて王子様タイプと言えるだろう。

 雪広から見てもそう思えるのだから、ミーハーな女子にすれば“新しい恋”の相手にうってつけに違いない。

 先ほどの後輩女子は前に進むと言っておきながら、すぐに別のイケメンに鞍替えしただけで、彼女自身の成長や変化というものは感じられない。

 だが、転校生を囲んでいる女子の中には、後輩女子よりも先にプリミナを脱退した女子たちが多数混じっている。

 

(貴女たちにとって彼はアイドルの一人だったようですね。流行り廃りがあるように、いなくなれば代わりを探すだけ)

 

 その集団に近付く気になれず、雪広は靴箱の近くに立ち止まって冷めた目でそれを見ていた。

 一ヶ月前に彼は死んだ。もう二度と会う事はない。

 いくら活動を続けようと、それは過去の記録を繰り返し見ているだけでしかなく。時間が経つにつれてこの活動に意味はあるのかと疑問を抱く者が増えた。

 雪広は湊の指示で売り上げの一部を寄付しなければならないので、事務所の代表としての仕事を続けているが、サークル時代の幹部も全員がその企業に所属している訳ではない。

 だからこそ、彼に近い場所にいたファンクラブのメンバーほど早期に見切りを付けて脱退する傾向があった。

 脱退していった本人たちは、いつまでも自分がこうでは皇子に心配を掛けるだけだから、と健気なヒロイン気取りのようだが、外野からすればただ傷が癒えて興味を失ったようにしか見えない。

 死んだと聞いた時には大泣きしていたようだが、数日も経てばケロリとしていたので、熱しやすく冷めやすいファンの典型のような者たちだったのだろう。

 

(ですが、本来ならそういった方が健全なのでしょう。わたくしのように彼の死を聞いても涙を流せないような人間よりは)

 

 すぐに新しいイケメンに乗り換えている女子を冷めた目で見ていた雪広だが、彼女は大切な人の死を聞いても泣けなかった自分の方が異常だと思っていた。

 死んだと聞いた時は驚いたし、二度と会えないと分かった時には胸が苦しくなった。

 けれど、今もそうだが実感が追い付いて来ないのだ。

 学校で行なわれた告別式では大勢が泣いていたし、彼と親しかったチドリやアイギスがしばらく学校に来なくなっていたのも知っている。

 湊とは色々と因縁のあった真田ですら、彼の死を侮辱するような言葉を吐いていた相手を怒鳴りつけて侮辱するのは許さないと言っていたのだ。

 どう考えても彼が死んだのは事実であり、それを未だに認められない少女は鈍感なだけなのだろう。

 一月の間に何度も同じ事を考え、そういった自覚のある彼女は、けれどと胸の前で重ねた手を握り締めながら一人思う。

 

(でも、それでも、……わたくしには貴方を『思い出』にする事が出来ないのです)

 

 彼の事を思い出に出来たらどんなに楽だろう。

 思い出に、過去のことに出来たなら、雪広も今頃視線の先にいる女子たちのように新しい恋に生きていたかもしれない。

 簡単に心変わりした彼女たちのことをどこか見下していたが、それと同時に雪広は自分には出来ない事を簡単に出来る器用さを羨ましくも思っていた。

 

(今も好きで、大好きで、貴方に会いたい。声を聞きたい。出来る事なら初めて会った日のように、優しく微笑んで貰いたい。この気持ちに嘘は吐けない。だから、わたくしは貴方のことを過去にする事なんて出来ないんですっ)

 

 胸の前で重ねた手が白くなるほど強く握り締めながら、雪広は胸の奥に広がる痛みや辛さに耐える。

 本当は彼女だって分かっているのだ。こんなのはやせ我慢でしかなく、自分も他の者たちのように一度泣いてしまえば楽になれるのだと。

 しかし、他の者たちが泣いていたからこそ、自分まで同じように泣いてしまえば彼の死が現実として降りかかってくる。

 だからこそ、自分はその現実を否定し続けなければならない。

 奇跡を信じて、彼の事をいつまでも“現在”に置いておくために。

 そうして、一人の少女が彼の死を知った日から一歩も進めなくなり、時が流れてゆく世界から取り残されていることに耐え続けていると、突然、後ろから左肩に手を置かれ少女は右に向かって抱き寄せられた。

 

「――――ありがとうございます。俺の事を過去にせず想い続けてくれて」

「…………え?」

 

 急に抱き寄せられた事に驚く間もなく、雪広は耳に届いた声に驚愕して声のした方を見上げた。

 そこには最後に会った日と変わらない。いや、右眼につけていた眼帯がなくなってはいるが、記憶の中にあった姿のままの青年がいた。

 驚いているのは雪広だけでなく、靴箱前のエントランスにいた生徒たちが彼に気付き、ここにいるはずのない青年を見て言葉を失っている。

 今の彼は制服のジャケットの代わりにオリーブドラフ色の上着を着て、首にはトレードマークの黒いマフラーを巻いているが、それ以外は基本的に学校指定の制服を着ている。

 ずっと学校に来てなかったので、その姿すらも逆に新鮮に見えるが、その場にいる者たちが言葉を失っているのはそれが理由ではない。

 単純に、死んだはずの人間が目の前に現われた事で、驚愕のあまり何も言えなくなっているのだ。

 ただ、他の者と違って彼の事を過去にする事が出来ていなかった雪広だけは、ずっと願っていた奇跡が目の前に起こった事で目に涙を溜めつつも口を開く事が出来た。

 

「本、当に……皇子、なのですか?」

「本当かどうかは分かりませんが、二年の有里湊本人ですよ」

「これは、夢ではないのですよね? 貴方を想うあまり、幻を見ているとかではないんですよね?」

「先輩に触れている感覚はありますし。エントランスにいる全員が同じ俺の幻を見ているとは考えづらい。なら、逆説的に現実と言えるのでは?」

 

 その言葉を聞き終わると同時に、雪広は我慢できなくなり大声を上げて泣きながら青年に抱きついた。

 少女が泣き始めた事が切っ掛けとなって周りも動き出し、死んだはずの青年が現われたという情報は瞬く間に拡散してゆく。

 情報が広まるにつれて、真偽を確かめようとした生徒たちがエントランスに集まり徐々に空間のキャパシティーを超えようとする。

 その騒ぎで教師たちも何か起きていることに気付いたようで、何人もの教師が職員室から出てきたが、すし詰め状態のエントランスには入れない。

 しかし、集まってきた生徒に潰されないよう、雪広をお姫様抱っこした状態で靴箱の上に待避していた湊の姿が見えたことで、教師たちも生徒と同じように彼の姿を見ようと騒ぎ始めてしまった。

 どうして大人まで子どもと一緒になって野次馬と化しているのかと思わず呆れそうになるが、このままでは押し合いになって怪我をする者が出てくる。

 なら、ここらで止めておこうと青年が良く通る低い声で告げた。

 

「――――全員その場で止まれ」

 

 瞬間、騒いでいた者たちがピタリと止まってエントランスは静かになった。

 どうして自分はその言葉に従ったのかと混乱している者も中にはいたが、それでも全員が止まったことで危険が去ったのは事実。

 大人しく彼の言葉を聞くだけの余裕が出来たので、その場にいる者たちは顔と目だけ動かして彼に注目した。

 

「まぁ、再会を喜ぶ気持ちは分からなくもないが、このままでは怪我人が出る。俺はちゃんと生きているし、こうやって足もある通り幽霊ではない。どうして死んだはずなのに生きているのかなど聞きたい事はあるだろうが、生きているのならこれから話す時間はあるんだ。今は大人しく昼休みを過してくれ」

 

 そういって彼が手を叩くと言われた通りに生徒たちは自分の教室へと戻ってゆく。

 本当はこの場に残って話を聞きたいのだが、何故だか彼の指示に従おうという気になって留まることが出来なかった。

 少しすれば生徒たちはいなくなり、ようやく降りる余裕が出来た湊は下に降りてから雪広を解放する。

 

「先輩、騒ぎに巻き込んですみませんでした」

「い、いえ、それより、その、わたくしが抱きついて泣いたせいでシャツが……」

 

 言いづらそうにしながらも雪広が告げた通り、湊の着ているワイシャツの胸辺りが濡れてしまっていた。

 乙女の意地によってその水分は涙100パーセントではあるのだが、人の服を濡らしてしまった事に変わりはない。

 再会した直後に失礼な事をしてしまい。雪広が申し訳なさそうにしていれば、少し考える素振りを見せてから湊は上着を雪広に預けてワイシャツを脱ぎ、脱ぎ終わると再び上着を着て上だけ完全に私服のような状態になった。

 

「じゃあ、これは先輩にあげます。返す必要はないのでいらなければ処分しておいてください」

「えっ……あの、えっと……はい。適切に処理させていただきます。では、また。失礼します」

 

 湊のワイシャツを受け取った雪広は、頬を染めながらどこか嬉しそうに教室へと去って行った。

 それを見送った湊は、職員室前の廊下に集まり何か言いたげな教師たちの方へ視線を向けると、小さく口元を歪めてから口を開く。

 

「俺も来週の修学旅行には参加するのでよろしく。ああ、宿は自分で予約したので心配は無用です。それでは」

 

 言うだけ言って湊は教室棟の方へと歩き出す。

 教師たちは聞きたいのはそこじゃないという顔をしているが、上手くはぐらかされる気しかしていないのか引き止めようとする者もいない。

 ならば、自分はこのまま教室に向かわせて貰おうと階段の方へ進めば、一階と二階の間の階段の踊り場に以前副担任から昇格してE組の担任になった佐久間が立っていた。

 相手は俯いているので前髪に隠れて表情は見えないが、小さく肩が揺れているので泣いているのだろう。

 それを見た湊は面倒なものには関わらない方が良いと足音と気配を殺して横を通り過ぎようとする。

 しかし、横を通り過ぎようとした瞬間に横から腕が伸びてきて、無理矢理に青年を振り向かせると、そのまま佐久間は湊の唇に自分の唇を押し当ててきた。

 時間にすれば十秒にも満たない短い時間だが、ここは学校で二人は教師と生徒だ。

 こんな場面を見られればお互いにただでは済まないぞと、身体を離した湊が視線で相手を責めれば、笑顔で涙を流していた佐久間が嬉しそうに話しかけてきた。

 

「えへへ……おかえり、有里君」

「…………教師なら公私くらい分けろ。まぁ、ただいまだ」

 

 年齢的には一回り近く佐久間が上なのだが、外見的には二人は湊の方が年上に見える。

 そのせいか、どことなく年上に甘えるような態度を取ってきた佐久間に毒気を抜かれ、湊は呆れつつも相手の頭に手を置いてポンポンと撫でてから小さく嘆息した。

 相手もそれなりに自分に依存していたことは知っていたので、今回のように意外とあっさりした反応は正直予想外だった。

 湊の予想ではもう二度と離れないし、絶対に離さないと自分を物理的に拘束してくると思っていた。

 青年の周りの女性陣は、そういった闇が深いタイプの女性が大勢いるため、彼も過剰に警戒していた部分はある。

 ただ、実際に大切な人が死んで、改めて相手が自分にとってどのような存在だったかを確かめた者にすれば、彼が無事に帰ってきてくれた嬉しさで他の事はどうでもよく思えるのだ。

 生徒に対して湊が言っていたように、生きているのだから再び話すことが出来る。

 故に、佐久間も湊が戻ってきた事が実感できれば、今はそれだけで十分だと笑顔のまま涙を拭って去って行った。

 思ったよりもあっさりとした再会を意外に思いつつ、湊が階段を上っていくと二年生のフロアに到着する。

 一学期の時点で修学旅行の計画は進んでいるが、午後から来週の修学旅行のより細かい話をするはずなので、湊は個人的には良いタイミングで戻ってきたと思っている。

 そうして、E組の扉に手を掛けて開き、教室の中へ入ると生徒たちの視線が一斉に青年に集中した。

 どうして生きているのか聞きたいのだろうが困惑して話しかけることが出来ず、中には彼の姿を見ただけで泣いている者もおり、彼が教室に来ただけだというのに中々の混沌具合だ。

 だが、そういった視線を受け止めつつも無視して彼が自分の席に向かえば、彼はわざとらしく悲しい表情を作ってから呟いた。

 

「……都内でも有数の進学校だというのに、こんな子ども染みたイジメをする人間がいるとは嘆かわしいな」

 

 呟いた青年の視線の先には、彼の遺影と手入れの行き届いた花が生けられた花瓶が置かれた机があった。

 確かにイジメの一種として死んだ人間扱いするというものがある。

 相手の机の上に花瓶や線香立てを置いて、本人のことは死んで幽霊になっているからと完全に無視するのだ。

 本人が生きた状態で登校してきたため、状況的にはそのイジメと同じなのだが、周りの人間は彼が本当に死んだと思っていたのでプリミナの会員が毎日手入れしている花をそのままにしていた。

 だが、それを見た本人がショックを受けた様子を見せれば、このクラスにいるプリミナの会員が頭を抱えて「やっちまった」という顔をする。

 クラスメイトたちが両者の間で視線を行き来させ、どうするんだこの空気と困惑していれば、美紀や風花と一緒にお弁当を食べていたチドリが彼に話しかけた。

 

「……ずっと休んでるからそうなるのよ」

「チドリの席は無事みたいだが?」

「五月蝿い。てか、死体が喋らないでよ」

「死体だって文句があれば喋るくらいするだろ」

 

 彼の言葉に教室中の人間が「ねーよ」と心の中で思う。

 死体は死んでいるから死体なのだ。死んでいる以上は話すことなど出来るはずがない。

 何を思って彼は死体が話せると考えたのかは分からないが、チドリの様子から彼が生きている事を彼女は知っていたらしいと察する。

 本当に驚いた顔をしている美紀以外、一緒にお弁当を食べていたラビリスと風花も苦笑しているので、彼が生きている事を知っている者は何人かいたようだ。

 ならば、もう我慢しておく必要もないだろうと、笑顔のまま泣いていたバスケ部の渡邊や中等部の生徒会で一緒だった西園寺が湊に向かって駆け出す。

 

「かいちょー!! おかえりなさいッス!!」

「ミッチー、おかえりー!!」

 

 二人が駆け出すと他の者たちも湊の許に集まって彼の帰還を喜んだ。

 なんで生きているのかは分からないが、生きている事自体が嬉しいのでは今は細かいことはどうでもいい。

 そうして、彼との再会で教室中が大騒ぎになり、その騒ぎに乗じて遺影と花瓶を回収するプリミナの会員の姿があったりなどしたが、彼の復帰はクラスメイトたちに暖かく受け入れられた。

 

 


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