11月17日(火)
昼――新幹線
月光館学園は修学旅行の準備に掛ける時間と労力を減らすため、隔年開催で二年と三年が合同で行くことになっている。
旅行を目前に控えたタイミングで美鶴の父が倒れ、彼女が修学旅行に来ないのではという話もあったが、今朝学校で行なわれた結団式でも生徒会長として挨拶し、心配していた生徒たちを安心させた。
だが、それ以上に生徒たちを喜ばせたのは死んだはずの青年の帰還だろう。
彼の帰還は公認ファンクラブであるプリンス・ミナトが発行する新聞で大々的に発表され、どうして生き返ったのかも具体的な部分は濁しつつしっかり説明されていた。
おかげで彼の死を切っ掛けにファンクラブを抜けた者たちも、死すらも克服した超越者として真なる信仰心を抱いて再び入会するほどだ。
彼のアイドル性に惹かれて入っていたのか死んですぐに退会した者たちに対し、残っていた者の中には虫が良いと怒りを表わしていたが、会長である雪広たちは皇子の再誕の前には些事だと気にしないように伝えていた。
何せ本人は神を否定しながらも本当の奇跡を起こして見せたのだ。
であるならば、自分たちがすべきは心の弱い者を責めるのではなく、彼により一層の心を捧げる事だろう。
信仰とは他者と比べるものではなく、己に何が出来るかという探求の道である。
それを伝えれば相手もハッとした顔になり、以前よりも引き締まった表情で帰っていった。
彼女が一体何を考えたのかは分からない。ただ、東京駅を出発した新幹線の中では、湊の席の周りはプリンス・ミナトの三年生女子たちで埋まっていた。
「皇子、何か食べますか? わたくし、さきいかなど持っているのですが?」
「繭子の馬鹿! そんなの皇子が食べる訳ないでしょ! それに車内が臭くなるじゃない!」
「てか、あんた会長だからって皇子の横キープしてんじゃないわよ! 時間交代って最初に言ったでしょ!」
周りで三年生の女子たちが騒いでる中、湊はイヤフォンを付けて音楽を聴きながら“レ・ミゼラブル”を読んでいた。
別にこの作品が好きという訳ではないが、移動中の暇潰しになる物がないか探していたとき、イリスの故郷にある教会から連れてきたシスター・アンナが長さもあって良いのでは薦めてきたのだ。
別に湊は古い物をありがたがる訳ではないが、価値を考えて原書を手に入れようとするも流石に一日二日で手に入るはずがない。
なので、言い回しを現代の文法に変更して読みやすくしただけの原語版を買ってきた。
そうして、彼はやり手のビジネスマンかインテリヤクザという雰囲気で静かに移動時間を過していた訳だが、本来席を取った車輌自体が異なる二年生の湊が三年生の車輌にいるのには理由があった。
それは、元々参加するはずのなかった湊の席を学校が取り忘れていたというものだ。
湊は復帰してすぐに学校に修学旅行に参加する事を伝えた。
ただ、宿は自分で同じ宿の別の部屋を予約すると言った事で、学校側は特別何かの手配をする必要はないと思ってしまったのだ。
そして、当日になって新幹線で湊が座る席を取っていなかった事が発覚。
三年生の中に体調不良で休んだ者がいたことで、湊がキャンセル扱いになったその席を取って何とか無事に乗ることが出来たが、湊と一緒に移動時間を楽しもうと思っていた二年生の女子生徒らから大きなブーイングがあった事は言うまでもない。
逆に、同じ班員の男子が休んだことで隣の席に座ることが出来た雪広たちは学校のミスを褒めていたのだが、突如降って湧いた幸運に対して三年生の方でも皇子の独占だと騒ぐ者たちがいた。
月光館学園は指定席の車輌に乗っているので、そもそも知り合い同士でも席の交換などは褒められた行為ではない。
しかし、プリンス・ミナトには皇子の独占禁止という掟がある。
誕生日やクリスマスのプレゼントはプリミナが企画したイベント内で渡し、話すときは二人以上で、簡単に言えば「テメェら、ゼッテー抜け駆けすんなよ!」という事なのだが、彼の隣の席に座っている雪広は会長にもかかわらず他の会員たちから責められていた。
本人は湊の隣に座れた事で嬉しすぎて気にしていないようだが、彼女たちが醜い争いを続けていると、通路側に座っていた湊の顔の前に何かが突き出された。
本を読んでいる状態で顔の前に何を出すなど邪魔でしかない。比較的良識的な者が揃った三年生にそんな事をする者がいたこと自体が驚きだが、面倒臭そうに顔を上げたそこにいたのは何と三年生ではなかった。
「有里君、さっきの名古屋駅で手羽先売ってたから一緒に食べよ!」
「……よくあの停車時間で買えたな」
汚れてはかなわないからと本を閉じ、湊は担任である佐久間が顔の前に出してきた手羽先にかぶりつく。
一応、紙ナプキンはあるようだが、それを使っても油で手が汚れるのは避けられない。
それを嫌がった湊がそのまま彼女の持ったままの物に口をつければ、女子たちの悲鳴が辺りから上がる。
湊の家族に分類されるチドリ、ラビリス、アイギスの三名に加えて、同じ部活に所属しているメンバーらはどうしても湊と接する機会が多くなる。
そこでプリミナでは彼女たちは皇子の独占禁止の対象外に設定しているのだが、担任である佐久間だけは元からスキンシップが多いからと要注意人物としてマークしていた。
案の定、旅行でも手を出してきたかと会員らは交戦モードに思考を切り替える。
しかし、敵の排除行動に移ろうと思ったここで予想外の問題が発生する。なんと自分たちが崇拝する皇子が食事をしているのだ。
佐久間をここで排除すれば彼女の持っている手羽先も消えるため、油で唇に艶が出て普段より艶めかしさの上がっている湊の食事も中断される。
敵は排除したい。だが、湊の食事は見ていたいし、邪魔もしてあげたくない。つか、メッチャ手羽先の良い匂いしてるんですけど。
そんな様々な葛藤の末にプリミナ会員たちが選んだ行動は、
「いやぁ、やっぱ旅の思い出を写真に残しておかなきゃね!」
「まったくその通りですわね! 出発してから帰るまでが旅ですもの! 行きの新幹線も思い出に残しませんと!」
湊の食事シーンをプライベートな記録に残す事だった。
ファンクラブの広報向けに写真をサイトにアップするとは告げていたが、それは結団式と解団式を除けば京都に着いてからのこと。
ここはまだ京都行きの新幹線の車内。ここで撮影されたものは共有する必要はないのだ。
故にこれは何のルールにも抵触しない正当な行為。自分たちの旅の思い出でしかないのだと彼女たちは新幹線の中だけで百枚以上の写真を撮りまくったのだった。
午後――京都駅
数時間ほど新幹線に揺られ、一同はようやく京都に着いた。
初日は新幹線の移動に時間をほとんど取られるからと、到着後も基本的には集団行動で観光巡りに勤しむ。
ただ、ずっと椅子に座りっぱなしだったこともあり、駅構内の端で整列した生徒はほとんどが背伸びなどして身体を解していた。
「いやぁ、ようやく着きましたな! 飛行機だったら半分以下で済んでたと思うけど!」
他の者と同じように身体を解していた七歌は、やっぱり飛行機の方が良かったんじゃないかと妙なところでケチる学校に向けて地味に毒を吐く。
周りで聞いていた者たちも同じように思わなくもないが、新幹線の中でお菓子を交換したり、周りの者たちとトランプしたりするのも楽しかった。
なので、新幹線での移動にも良い部分はあるんだぞと順平が指摘する。
「いやいや、飛行機だとマジで移動だけになるっしょ。周りのやつらと遊んだりできねーじゃん?」
「フフッ、新幹線なら椅子を回転させて向かい合ったりも出来るからね。僕も貴重な体験が出来たから新幹線で良かったと思ってるよ」
「だべ? ほら、七歌っち。日本の生活に慣れてない綾時もこう言ってるぜ?」
転校生である綾時はずっと海外にいたので日本の文化に疎い。
あくまでそういう設定であって、彼はファルロスとしての記憶を持っているのだが、その話を信じている順平は綾時が楽しめたなら良かったじゃないかと本人も嬉しそうに話す。
湊の友人と聞いていたため最初はどことなく壁を感じていたが、綾時の性格が湊と対称的にフレンドリーで、さらに特別課外活動部で初めて同学年の同性という事もあり順平は急激に仲良くなっていた。
新入りが浮いたりせず上手くクラスの輪に加われた事は素晴らしいと七歌も思う。
ただ、その一方で可哀想な目に遭っていた者もいるんだぞと低い声で返した。
「……トイレに行ったときに見たんだけどさ。八雲君は三年生の女子に囲まれて、一人で暇そうにずっと本読んでたよ?」
「あー……いや、それはオレっち関係ないしな。学校側のミスだろ?」
七歌たち二年生と三年生は乗っている車輌自体が違っていた。
けれど、トイレの場所が三年生の車輌を抜けた先だったこともあって、七歌も途中で湊の様子を見る機会があった。
その時の彼はイヤホンを耳に付けて、分厚い洋書に視線を落として暇そうにしていたのだ。
周りの女子たちは湊の写真を撮ったり、たまに話しかけたりしていたが、やはり尊き血筋の人間と下々の者たちとでは話が合わないのかまるで相手をしていなかった。
自分が彼の傍の席であれば、大事な家族に一時たりとも寂しい思いをさせなかったのにとミスした学校に怒りを抱き、ミスを犯したのが副担任に降格させられた江古田だと知った時には大声で「テメェ、ヅラ野郎!!」と遠くから叫んでしまったほどである。
だというのに、彼に命を救われたはずの順平は自分さえ楽しければそれで良いと、湊の事など知った事じゃないと宣った。
七歌は血が冷えていくのを感じながら順平を昏い瞳で睨む。
「そこじゃないでしょ。八雲君が可哀想な目に遭ってたのに、順平は何とも思わないの? 血も涙も髪の毛もない畜生なの?」
「全部あるわ! これ短く刈ってるだけだからな?!」
「ハゲは皆そういうんだよ」
所詮は芋臭いDTブサメンのハゲだったか。七歌はこれ以上彼と話すことはないと踵を返すと隣のクラスの列にいる湊を探す。
出席番号で言えば彼が先頭にいるはずなのだが、今回は班単位で行動するため、班長が点呼を取る関係もあって先頭付近にはいない。
ただ、纏う高貴なオーラと長身もあって彼は遠くからでも非常に目立っている。
すぐに見つけて近付いていくと、彼はチドリやラビリスと一緒にいるようだが何故だかその左腕には七歌の知らない女子が抱きついていた。
「ねぇ、ミッチー。まだ十一月だけど京都駅に大きなクリスマスツリーが飾ってあるんだって! とってもキレーらしいから一緒に見にいこ!」
ゆるふわウェーブが掛けられた黒髪の女子は、猫なで声で湊に甘えながら二人で別行動しちゃおうよと湊を悪の道に走らせようとしている。
有里湊としての戸籍では四月生まれだが、七歌は湊が十月生まれだと知っている。
七歌自身の誕生日は夏なので、秋生まれの彼は弟という事になるのだ。
そんな可愛い弟を守るのは姉として当然。悪の道に誘う悪女は今すぐに排除しなければならない。
ポケットから髪留めのダッカールを取り出し、ナイフのように構えれば、七歌は気配を殺しながら悪女に近付いていく。
残り四メートルになれば一足飛びでその首筋に刺してやれる。
瞳孔の開いた瞳で近付く七歌が小さく口元をつり上げれば、その時、愛しの青年の声が耳に届いた。
「……あぁ、あれか。一緒に見たカップルは別れるってジンクスがあるやつだな」
「ええっ!? 何それ! まどか、そんなの聞いてないよ?」
「本当か嘘は知らないがこっちじゃ有名らしいぞ。あとは大阪の水族館にある観覧車に乗ったカップルも別れるってジンクスがあるらしい」
湊の口から恋愛系のジンクスを聞くとは思わず、意外すぎると七歌は小さく驚いた。
ただ、湊が話した内容は島根にいた七歌も聞いたことがあったので、幼少期から東京在住のくせに妙な情報を知っているなと少し感心する。
ただ、七歌がそうやって考え事をしている間も、悪女は湊の腕をギュッと抱きしめて、女子から嫌われる男に媚びる女子その物の態度で湊に話しかけていた。
「あ、そっちは聞いたことある! でも、それじゃあ一緒にツリー見れないね……。しょうがないから、十二月になってから六本木のやつ見に行こうね!」
「……お前、大学生の彼氏はどうした?」
「イケメンは心の栄養だもん。彼氏もまどかの事は理解してくれてるから大丈夫だよ?」
「……そうか。まぁ、俺に一切メリットがない以上、付き合う事はないがな」
悪女はかなり計算高いのか普通の男であればコロッと傾きそうなくらいに全てが上手い。
しかし、同年代の女子など子どもにしか思えないくらいに青年は女性慣れしていた。
逆に自分が女性を掌で転がす技術を習得している彼にすれば、恋と愛をしっかりと区別しているであろう悪女の愛を彼氏から奪う事も可能に違いない。
どうしてチドリたちが傍にいながら悪女に好きにさせているのかと不思議に思っていたが、きっとチドリたちも悪女では湊をどうすることも出来ない確信があったのだろう。
ならば、自分が手を下すまでもないとダッカールをポケットに仕舞えば、七歌はあくまで知り合いに挨拶にきた体で湊に声を掛けた。
「八っ雲くーん! 新幹線で寂しい思いをした貴方にお姉ちゃんが会いに来てあげましたよぉ!」
今日一番の笑顔で話しかけた少女に対し、振り返った青年はまた五月蝿いのが増えたと心からうんざりした顔を向ける。
ここは姉弟が感動の再会を果たす場面のはず、なのにどうして悪女に向けるべき表情を自分に向けるのか。
不思議に思いつつも七歌は空いている彼の右腕を取ると、詐胸である悪女と違って本物である胸の膨らみで彼の腕を包みつつ彼の班の予定を尋ねた。
***
七歌が湊の許に向かったとき、新幹線を降りたゆかりは周りを見渡して美鶴の姿を探していた。
父親が死んだはずの部下の裏切りにあって倒れ、さらに桐条グループの内部分裂騒動などもあったことで美鶴は非常に疲れている様子だった。
最初は修学旅行に参加しない可能性もあると言っていただけに、とりあえず参加してくれた事には安堵した。
けれど、生徒会長として挨拶しているときも、どこか無理して普段通りに振る舞っているように見えた。
(桐条先輩、やっぱりいつもと違ってたよね……)
大好きな父が信頼していた人間の手で殺され掛けたのだ。
いくら一命を取り留めようともたった一週間程度で心の傷が埋まるとは思えない。
ゆかりは自分が似たような状況になったことがあるため、その辛さだけは少しは理解できる。
ただ、彼女はその生まれもあって、人前では本心を隠してどうしても仮面を被ってしまうところがある。
今回は“周りの楽しんでいる者たちの邪魔をしないように”といったところだろうか。
確かに高校の思い出として重要な修学旅行で、自分と一切関係ない話で暗い顔をされては気分が盛り下がるかもしれない。
それを思えば美鶴の気遣いは正しいのだろうが、今の彼女は精神的に脆く非情に不安定な状態にあるとゆかりは考えていた。
(どこかでガス抜きしないとヤバいかも……)
遠くに美鶴の姿を発見したゆかりは、ふと見せた彼女の表情をみてそんな風に考える。
高校生活最大の思い出作り。それを楽しい思い出にするためゆかりも小さな決意を固めるのだった。