――旅館
どこかで莫迦たちが教師に怒られている頃、湊は旅館の最上階にあるスイートルームで露天風呂に入っていた。
他の部屋の倍以上に広いスイートルームは、その半分は露天風呂が併設された屋上庭園となっている。
閂の掛けられた戸を開ければ露天風呂から庭園に出る事も可能になっており、塀の向こう側からは精神年齢の若い自我持ちのペルソナたちの声も聞こえている。
湊の借りた部屋は他の部屋と桁が一つ違っており、その分、料金は人数分ではなく部屋代として独立している。
無論、食事などは別途人数分の料金が必要であるが、そういう仕組みなら自我持ちたちにも休暇を与えてやれるなと湊は全員呼び出して好きに過させていたのだ。
部屋に食事を運びにきた仲居たちは、頼んでいた料理の量で湊が一人で泊っている訳ではないと分かっていたはず。
それでも、湊と変わらぬ美貌を備えた女性や美少女が九人もいるとは思わなかったに違いない。
世話係となった仲居らの年齢はバラバラであったが、その誰もが落ち着かない様子で中々目を合せられずにいたようであった。
(……なるほど、お前はやはり道を違えるのか)
そんな仲居たちにとっては落ち着かない食事の時間も終わり、ならば自分は風呂を満喫させて貰おうと湊は一人で温泉にずっと浸かっていた。
アマテラス、玉藻の前、瀬織津姫、火雷大神ら大人組は旅館から借りた麻雀をしていたり、闇御津羽神、サンタ・クルス、マーリンら子ども組と一緒に庭園をみているアルテミスや、一人でのんびりとテレビを見ながら旅行ガイドを読んでいるツクヨミのような者もいたが、全員が傍から見れば人間と変わらぬ様子で過している。
自分の眷属らのそんな様子を感じつつ、お湯に浸かりながらボンヤリと京都の夜景を眺めていた湊は、自分から借りていった物を犯罪に使おうとしている気配を感じ、ある程度泳がしたタイミングで機械の支配能力でコントロールを奪ってやった。
友近の声は玉藻の前の変化で用意した物だが、彼が道具の使い方を誤らなければ使うつもりなどなかった。
しかし、借りた物を覗きに使うとなれば話は別だ。これで道具を貸した自分まで責められれば堪った物じゃない。
(まったく、なんで旅行に来てまで仕事をしなくちゃいけないんだ)
作業自体は温泉に入ったままでも可能な大した事ではない。
ただ、馬鹿が余計な事をしなければ余分に力を使う必要もなかった事は確かだ。
これで今日の残りと明日の夜は静かにしているだろうかと考えつつ、湊は自分の中にいるもう一人の事を思い出した。
現世に戻ってくるときには彼女にも随分助けられてしまった。
あのままではニュクスの拘束を解くために最終手段の直死の魔眼を使う必要があったかもしれない。
相手は死を司る神だがこの世に存在する以上は殺せないという事はない。
ただ、地球の生命の死を司っている神を、一部分であろうと殺した場合に何か不都合が起きないかが心配だった。
それをせずに無事に戻ってこられたのは、世界の壁を越えて助けに来てくれた彼女のおかげである。
温泉から出て身体を拭いてから浴衣を身に着けた湊は、部屋の方に戻ると旅行ガイドから顔をあげたツクヨミに声を掛けた。
「ツクヨミ、ベアトリーチェにも温泉を楽しむように言っておいてくれ」
《それは構いませんが、八雲はどうするのですか?》
「俺は十分に入ったから、明日の朝風呂までに身体を返して貰えれば問題ない」
《そうですか。ならば、その様に伝えましょう》
湊とベアトリーチェは入れ替わらなくとも情報をやり取りできる。
しかし、ベアトリーチェは人間としての生活に馴染んでいる訳ではないので、その手伝いを他の者に頼んでおく必要があった。
テレビ前のソファーに座っていた彼女ならば手伝いも安心して任せられる。
庭園に繋がる出入り口の前で、どこかピリピリとした様子で雀卓を囲んでいる者たちだけなら不安もあっただろうが、後はツクヨミがどうにかしてくれる事を期待して湊の身体が光に包まれた。
光に包まれた湊の身体は徐々に輪郭が縮んでいき、七歌たちとそれほど変わらぬ背丈で変化が止まる。
そうして、変化が止まって光が弾けるように消えれば、そこにはブカブカなサイズの浴衣を身に着けた少女とそれに抱かれる赤ん坊がいた。
《まぁ、八雲も出てきたのですね。ふふっ、ならば貴方も着替えましょう》
「私は“私”の着替えが分からない。全て貴様に任せよう。“私”もそれでよいか?」
「あい!」
出てきた赤ん坊は湊の黒いマフラーを首から垂らしただけで、衣服を一切身に纏っていなかった。
これまではオムツやパジャマを着ていたはずだったが、どうやら今回はベアトリーチェが八雲も自由にさせようと分離したらしい。
人間の文化に対する知識は湊から得ているものの、経験不足で八雲の服装を準備出来なかったようなので、立ち上がったツクヨミはベアトリーチェに新しい浴衣を渡してから八雲を受け取り、彼女に温泉の楽しみ方を説明してゆく。
《手桶で湯をすくい。身体を洗ってから湯に浸かればよいだけです。ここは我らだけの部屋。故に、好きな時間に好きなだけ楽しむとよいでしょう。あがった後は身体を拭いてから呼びなさい。浴衣の着方や髪の乾かし方を伝えます》
「ふむ。“私”は共に来ないのか?」
《八雲は先ほどまで入っていましたからね。この小さな身では長く入ることも出来ないでしょう》
説明を聞きながらブカブカな浴衣を脱いでカゴに入れていたベアトリーチェは、そういう物なのかと少し残念そうにしながらも八雲の頭を撫でると露天風呂の方へと出て行った。
彼女を見送ったツクヨミは露天風呂と脱衣所を仕切る扉を閉め、脱衣所からも出てくれば、部屋の方で湊のマフラーから八雲の服を出してゆく。
以前、桜や英恵が大量に買っていた事もあって、旅館でも過しやすそうな物がたくさん入っていた。
髪の毛も床に届くほど長いので、どんな風に結ってやろうか考えて髪に触れる。
すると、湊の髪の状態はベアトリーチェではなく八雲に引き継がれていたようで、未だに湿っていることに気付いた。
《八雲、おしめを穿いたら先に髪を乾かしましょう》
「みー?」
首から垂らしていたマフラーを外せば、八雲は生まれたままの姿だ。
赤ん坊なので恥ずかしさなどないのだろうが、いくら暖房を入れていようと十一月に全裸の赤ん坊を彷徨かせる事は出来ない。
そうして、オムツを穿かせてから脱衣所に戻ってドライヤーで髪を乾かせば、八雲は風で暴れる髪が面白いのかとても楽しそうな声をあげる。
「うきゃー!」
《ふふっ、八雲は本当によい子ですね。さぁ、どのように結いましょうか。わたしのように纏めるだけでもよいですよ?》
「むー……あい!」
どんな髪型が良いだろうか。本人に希望を聞けば、八雲は黒いマフラーから玩具の刀と背中に“誠”の文字が書かれた浅葱色の羽織を出した。
何故、赤ん坊の八雲がそれを知っているのかは分からないが、京都という事で新撰組の服にする事に決めたらしい。
本人がそれを着たいのであれば、髪型もそれに合わせて髷のように結ってやらねばなるまい。
《ならば、先に着付けをしましょう。その方が綺麗に結えますから》
羽織はしっかりと赤ん坊用のサイズなので、それに合わせた着物と袴があるに違いない。
そう思ってツクヨミがマフラーの中を探せば、思った通りの物が出てきたので八雲に着せてゆく。
身体が小さく、手足も短いので、何ともちんまりとした見栄えだが、本人はキリッとした表情を作っているので美少女剣士風にはなっている。
ただ、あまりにも女の子にしか見えない事もあって、ツクヨミはちょっとした悪戯心から赤い飾り紐を使って総髪を結い上げた。
鏡でチェックした八雲もご満悦の出来。服を着替えて髪を結い終われば、後は刀を装備するだけ。
しかし、今の八雲の背丈では腰に差せば地面についてしまう。
どうしたものかとツクヨミが悩めば、八雲は分かったとばかりに斜めがけに刀を背負った。
《まぁ。とても立派な姿ですね》
「むふー!」
刀を背負った八雲は最後に短く子どもサイズにした黒いマフラーを巻いて背中側に垂らす。
彼が走れば黒いマフラーがはためき、侍というよりも正体を隠そうとする人斬りっぽくなってしまっているのだが、本人は素早く刀を抜いて振ってみたりと気に入っている様子。
そうして、刀を振り終わった八雲は背中の鞘に刀を戻すが、実は今の八雲が背負っている刀はEP社の食堂で貰った玩具とは別の刀だ。
それはそれで玩具にしてはクオリティが高かったものの、妙なところで凝り性な湊が赤ん坊状態だろうと下手な武器は持ちたくないと言い始めた。
けれど、いくら湊だろうと赤ん坊の状態では危険な刃物を持たせる訳にはいかない。
そこで考えられたのがカーボン製の模造刀だった。
軽くて丈夫。刃を研ぎ出したりはしないものの、見た目も本物ソックリに仕上げれば玩具であっても合格点を付けることが出来る。
造形はフィギュアの自作もしている武多が手伝って湊と一緒に造り、赤ん坊サイズに変化した玉藻に実際に振って貰って長さも整えた。
仮に本物の刀で斬りつけられようと、刀身でも鞘でも何度か受け止められる丈夫さがあれば、子どもが遊んで壊れることもないだろう。
そんなハイスペックな赤ん坊用“和泉守兼定”を背負った八雲は腕を組んで最高のドヤ顔で笑う。
何よりも大切な愛子のそんな姿をツクヨミも拍手で讃え、着替え終わった事で一緒に部屋に戻ると、庭園から戻ってきていた闇御津羽神たちにも披露して賞賛の声を受けたのだった。
――旅館・ロビー
友近が青山に連行されていってからしばらく時間が経った頃、旅館のロビーにコンビニの袋を持った佐久間と櫛名田の姿があった。
どうやら地域限定のビールを求めにコンビニに行っていたようで、旅館に戻ってきた二人は部屋で酒盛りでもするかと階段の方へ歩いて行く。
外に出ていた彼女たちにも風呂を覗こうとした男子たちの情報は伝わっていたが、全て男子だったので対応するのは同性の教師になる。
無論、朝一の打ち合わせで経過と処分については聞くことになるが、それまでは最終点呼を終えた彼女たちも自由の身だ。
馬鹿なやつらがいたものだと話しつつ、売店で生八つ橋を買って今度こそ部屋へ行こうとしたとき、自分たちの向かう階段の方から何かが飛び出してきた。
「きゃっふー!」
上機嫌な声をあげて飛び出してきたのは一人の赤ん坊だった。
見た目からすると少女のようだが、彼女の足下には玩具の刀があり、どうやらその鞘に乗ってスノボーよろしく階段を下りてきたらしい。
大したバランス感覚だと思うと同時に、そんな危険な事をさせて親は何をしているんだという怒りが湧き上がってくる。
一階に到着した事で赤ん坊は刀を背負い直しているが、その親は待っていても下りてこない。
それどころか赤ん坊本人がどこへ行こうかと考える素振りを見せ、今にも走りだそうとしていた事で佐久間たちが声を掛けた。
「わぁ、小さいお侍さんだ! ねぇねぇ、何してるの? 迷子かな?」
「武士の魂を移動手段に使う侍などいるか。それより、親はどうした? まぁ、祖父母や親戚でもいいが知り合いは来ていないのか?」
「う?」
知らない者に話しかけられても赤ん坊は不思議そうな顔をするだけで逃げる様子はない。
階段の方を見ていても追ってくる者はいないので、どうやら勝手に脱走してきた迷子のようだと櫛名田たちも当たりを付ける。
「ねぇ、その服可愛いね。お母さんが着せてくれたの?」
「いー。ばーば!」
「ばーばね。おばあちゃん良いセンスしてるね!」
京都で孫に新撰組の服を着せるというシャレの分かる御仁ならば、本人もそれなりに若いのだろうと予想する。
近年では十代で作った子が、同じく十代で子を産むことも珍しくなくなっている。
赤ん坊は見た目からすると一歳程度だと思われるので、祖母が三十代というのも十分にあり得るのだ。
自分たちもアラサーなので、それでこんな赤ん坊の孫が出来るのかと想像できない世界の事に佐久間たちも小さくカルチャーショックを受ける。
ただ、大人としてこんな小さな赤ん坊を放置して去ることは出来ないので、泣き出さないよう注意しながら情報を集める。
「で、お前はどこから下りてきたんだ? 上がれないなら連れて行くぞ」
「やーの!」
「んー、ならどこか行きたいとこでもあるの?」
「あい! うーな、うにゅー!」
櫛名田が上に連れて行こうかと言えば、赤ん坊は首を振って嫌がった。
対して、佐久間が何か用事があるのかと聞けば、八雲は手で何かを持っている風に見せて口元で伸ばすようなジェスチャーをした。
雰囲気からするとお餅や大福のようだが、赤ん坊がそんな物を求めて一階に来るのだろうかと首を傾げずにはいられない。
とりあえず、一階の売店にそれらは売っているので、逃げないよう佐久間が抱き上げて商品を見せてみることにする。
「うんしょ。わー、軽いね。でも、あったかい!」
「みー?」
「えへへ、お名前何て言うのかな? ていうか、珍しいね。有里君と同じ色の瞳してるんだ」
急に抱き上げられても嫌そうな顔もせず、赤ん坊はじっと佐久間を見返している。
いくら人間的に欠陥のある佐久間でも赤ん坊は可愛いと思うようで、小さく頭を撫でながら自分の想い人である青年と同じ色の瞳を眺めた。
黄土色や明るい茶色というのはいるが、輝くような黄金色の瞳というのは海外でも珍しい瞳の色である。
髪色や常人離れした顔立ちの良さを含め、随分と湊に似ているなと言う感想を二人は抱く。
「ふむ、有里の親戚か何かか?」
「一人っ子って言ってたから、考えられるとすればそうですね。まぁ、そもそも無関係かもしれませんけど」
青年にも最低限の常識はあるので、その信頼から湊の子どもという可能性は除外できる。
となると、個人で部屋を借りていることで、彼の親族なども一緒に来ているのかもしれない。
赤ん坊の用事が済めば、旅館の人間に湊の部屋に他に人がいるかを聞いて、人がいるなら湊に赤ん坊の親戚がいるか尋ねれば良い。
無論、それまでに保護者が気付いて探しに来てくれるのがベストなのだが、とりあえず佐久間は赤ん坊にお土産コーナーの大福を見せてみる。
「ねー、これかな? 大福が欲しいの?」
「いー。うにゅー!」
「どうやら別物らしいな」
赤ん坊なので何を言っているのかは分からない。
ただ、相手は佐久間たちの言葉をある程度分かっているようで、これじゃないよと首を振って見せた。
大福じゃないなら次はお餅だ。ただ、売店で伸びるようなお餅など売っているのだろうかと佐久間たちが探していれば、赤ん坊が急に激しく動いて何かに手を伸ばそうとする。
「うにゅー! うにゅー!」
「ちょちょっ、え、どれ?」
「……生八つ橋か」
赤ん坊が反応しているのは、試食で置かれている生八つ橋に対してであった。
相手の年齢が分からないので、食べて大丈夫なのだろうかという不安がある。
一応、口を開けて櫛名田に確認して貰えば歯は生え揃っているらしい。
「歯の様子から計算した目安だが、年齢的には固形物も食べられるんだろう。ただ、赤ん坊だからな。アレルギーが分からないと食べさせることはできない」
「んー、ならやっぱり保護者に確認とらないとですね」
「やーの! うにゅー! うにゅー!」
目的の生八つ橋が手に入らないと分かったのか、赤ん坊は佐久間の腕の中で暴れて駄々を捏ねる。
いくら暴れようとも佐久間たちにはどうしようもないのだが、保護者が来ないとどうにもならないと売店から出たところで、少し離れたところから声がした。
「……え? なんでクマモンが八雲といるの?」
声のした方をみれば、チドリたち二年女子の一団がそこにいた。
どうやら温泉の帰りらしく、全員が浴衣姿で巾着とタオルを持っている。
彼女たちの視線は赤ん坊と佐久間たちの間を行き来しており、近付いてくると暴れている赤ん坊を佐久間から受け取った。
「八雲、どうしたの? クマモンに何かされた?」
「みー。うにゅー」
「あ、その赤ちゃん生八つ橋が欲しいんだって」
そういう事かとチドリは八雲と一緒に売店に入っていくと、そのままお土産の箱を持ってレジに向かった。
チドリと八雲が生八つ橋を買っている間、佐久間は残っていたラビリスたちに質問した。
「あの子知り合い? 有里君の親戚かな?」
「そんな感じです。湊君から何も聞いてへんかったからビックリしたけど」
「そうなのか。あの赤ん坊は背中の刀の鞘を使って一人で階段を滑り下りてきたんだ」
「あー、八雲君やったら出来そうですね」
彼は小さくなってもシャドウを殺せるほどの身体能力を持っている。
ならば、それくらいは出来てもおかしくないだろうとラビリスは苦笑した。
ただ、話を聞いていた佐久間は、そこに聞き逃せないフレーズがあった事で再びラビリスらに尋ねた。
「え、八雲君って、あの子女の子じゃないの?」
「八雲さんは立派な日本男児であります」
「でも、飾り紐で髪の毛結ってあるけど?」
「多分、お婆様の誰かが似合うからと使用したのかと」
ラビリスの代わりにアイギスが質問に答えたが、彼女の予想はまさに当たっていた。
周囲からすれば可愛い赤ん坊の性別などあってないようなもので、極端にどちらかの格好をさせる意味もない。
そんな事を気にするくらいならば、最も似合う物で着飾らせた方が良いに決まっている。
桜と英恵がそうだったので、自我持ちたちも同じようにしたのだろうと考えていれば、買ったばかりのお土産の箱から生八つ橋を取りだし、それを美味しそうに食べている八雲がチドリと共に戻ってきた。
一応、医者の資格も持っている櫛名田は、チドリが勝手に与えた訳ではないだろうなと心配して声を掛ける。
「食べさせて大丈夫なのか?」
「大丈夫よ。タコ焼きでも何でも好きに食べてたから」
チドリたちはヤソガミコウコウの中で起こった事件について忘れている。
それでも、数日間だけ一緒に過した時の事は覚えているので、彼に好き嫌いやアレルギーがないことは分かっていた。
モチモチとした生八つ橋を食べている姿は実に満足そうで、見ている方も思わずほっこりした気分になってくる。
ただ、このまま赤ん坊を放置しておくことは出来ないので、湊の部屋へ連れて行こうかと思えば、旅館の浴衣を着た綺麗な白髪の女性が階段を下りてやってきた。
《ああ、チドリたちが八雲を見つけてくれたのですね。感謝します。八雲、勝手に部屋を出てはいけないと言ったでしょう?》
「うー、めんめ。うにゅー!」
やってきた女性はチドリから八雲を受け取るとやんわりと叱った。
けれど、謝ってすぐに八雲が嬉しそうに生八つ橋を見せてきたことで、そんなに部屋に置いてあった生八つ橋が気に入ったのかと苦笑する。
《気に入ったのならいくつか買っていきましょう。あぁ、チドリ。後で御代は返します》
「……別にいいわよ。それより、どうして八雲がいるの?」
《本人の意志でベアトリーチェと別行動しているだけです。問題は起きていないので大丈夫です》
ヤソガミコウコウでの記憶がないと言うことは、彼女たちは湊がベアトリーチェと赤ん坊の八雲に分裂出来ることを知らないという事だ。
無関係な人間がいる場で話せる事ではないので、問題が起きている訳ではないことだけ伝えて安心させれば、突然綺麗な女性が現われた事で驚いていた佐久間が再起動を果たしてツクヨミに話しかけた。
「あー、えっと、八雲ちゃんのお母さんですか?」
《いえ、祖母です。あなたは湊の担任でしたね。いつも湊がお世話になっております》
「い、いえいえ、こちらこそ。あれ? えっと、有里君とのご関係は?」
《ふふっ、そちらも祖母ですよ。年齢で言えばあなたと倍は違いましょう》
その言葉に今度は櫛名田も一緒になって驚く。
どこをどう見ても自分たちと同年代かむしろ若く見えるのだ。
これで親世代以上に年が離れていると言われて信じられる訳がない。
誰か本当のことを言ってとばかりに佐久間が女子たちを見れば、視線があったアイギスが口を開いた。
「その方は七歌さんのお婆様でもありますが、八雲さんの血筋の皆さんも相当にお若く見えるので、元からそういった一族なのだと思われます」
「えー……ていうか、九頭龍さんだっけ? 九頭龍さんって本当に有里君の親戚だったの?」
「まぁ、うちの父親の弟が八雲君のお父さんですね。あ、でも、ユーリお婆様は祖母っていっても両親の親じゃなくてもう何世代か離れてますよ」
「んん? 曾おばあちゃんとかそんな感じってこと?」
説明されればされるほど訳が分からなくなってくる。
とりあえず、女性が見た目通りの年齢でないことは分かったが、訳ありな湊の情報を漁ると何が飛び出してくるか分からないので佐久間もそこで詮索を打ち切った。
「ま、いっか。とりあえず、八雲ちゃんの保護者の人が来たなら良かったよ。じゃあ、先生たちは部屋に戻るから皆も早く寝なよ」
《八雲がお世話を掛けました》
「いえ、全然。では、失礼します」
生徒しかいない場ではふざけた態度が多いが、TPOを弁えた行動をしっかりと取れるのは佐久間たちの数少ない美点だ。
そうして、彼女たちが会談を上って部屋へ戻っていくと、追加で買った生八つ橋を持ってツクヨミも八雲と一緒に部屋に戻ろうとする。
チドリたちはその後を追って湊の部屋を訪れるが、そこで八雲と別行動するベアトリーチェを見て当然のように驚くのだった。