【完結】PERSONA3 Re;venger   作:清良 要

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第三十九話 ある日の部活動

6月7日(火)

放課後――生徒玄関エントランス

 

 佐久間の家での一件以来、湊に対する佐久間の対応は一時沈静化した。

 他の生徒よりも特別扱いしているのは変わらないが、出会う度に抱き付くことがなくなり、今では湊の手に触れるだけで嬉しそうに笑っている。

 女子らは、そのはにかむような喜びの表情から、佐久間が恋する乙女になったと言っているが、一方の湊が完全に今まで通りの反応なので、報われない恋だなと思いつつ応援している者もいる。

 もっとも、湊はチドリとペアの扱いが強いので、浮気されても良いのかとチドリに言った者もいるが、チドリは自分たちの関係を異性のものではないと否定したので、三角関係というゴシップを求めていた相手はつまらなそうに離れていった。

 さらに、一学期の中間テストを迎え各自が勉強に忙しかったこともあり、その話題は知らぬ間に廃れ、生徒たちの関心はテストの順位に移っていた。

 一年生の結果で言えば上位陣に変動は無く、一位は全教科満点の湊だった。二位の美紀は489点、三位のチドリは487点と上位陣はかなり競っている。

 それから少し差があって、風花が十一位、ゆかりは成績トップ陣に教わりながらテスト勉強をしたためか、約240人いる一年生の中でほぼ中間だった順位を67位まで引き上げていた。

 一学期の初回から躓くと後の成績にも大きく響くため、大躍進を遂げたこと自体には大いに喜んでいる。

 だが、同じ部活メンバーがほぼ一ケタ台ばかりのため、もろ手を挙げて喜ぶ事は出来なかった。

 そうして、順位の発表からさらに一週間ほど経って、それぞれが普段通りの変わらぬ日常に戻った頃、部活の前に購買で何か買おうとしていた湊の前にある人物が現れた。

 

「すまない。君が有里湊君でいいか?」

「…………」

 

 現れたのは緩い縦ロールの髪型をした女生徒。二年生の桐条美鶴だった。

 相手は他者を魅了するような、歳不相応な色気の混じった笑みを浮かべて湊と対峙している。

 その手には薄ピンクのバインダーがあり、中に何枚かの書類が挟まっているようだが、興味のない湊はペットボトルのコーラといくつかのお菓子を選ぶと、売店の女性にお金を払い、そのまま部室を目指すため管理棟へ向かいだした。

 声をかけた時点では視線を一度送ってきたというのに、まさか無視して相手が去っていくと思っていなかった美鶴は驚き焦る。

 成長期に入って背が伸び出したことで身長差のほとんどない湊の肩を掴むと、美鶴は改めて声をかけた。

 

「ま、待ってくれ。君は1年D組の有里君だろう? ちょっと用事があって話を聞いてもらいたい。少し付き合ってはくれないか?」

 

 予想外の相手の行動に驚きはしたが、美鶴は相手に用件を伝えながらすぐに冷静さを取り戻す。

 初めから真面目に話を聞いて貰える可能性は低いと踏んでいた。無論、事前の人柄調査では他人の話を表面上は聞くタイプだと出ていたので、今のように聞きもせずに立ち去られそうになったのは予想の範疇外だが、それでも正気を疑われ罵倒されるよりはマシだ。

 そう考えると、相手に話を聞いてもらうにはどうすれば良いかと冷静に考える余裕が生まれる。

 相手との会話のために事前の調査はしてきたつもりだ。学内での交友関係、男女・生徒と教師・同級生と上級生、それぞれに対する対応も分かる限りで調べた。

 調査結果を踏まえて考えると、女子で上級生である自分にはそれほど冷たい態度は取らないはず。誰の教育の賜物か湊は女子には甘いと出ているから。

 内心でそのように思いながら美鶴が肩を掴んだまま待っていると、湊が反応を返した。

 だが、それは美鶴との会話のためではなく、まるで服に付いていた糸クズを取るかのように、肩に置かれた美鶴の手を興味無さげに払うものだった。

 

「っ!? き、君! 何故なにも答えない? 何か返事くらいしてくれても良いだろう」

「…………」

 

 管理棟へ入っていく相手の背に言葉をかけるが、湊は一切足を止めなかった。

 事前の調査とまるで違う人柄、それ以前に相手は最初の一瞬しか自分を視界に収めてすらいない。

 道を行けば自然と周囲の視線を浴びることに慣れていた美鶴にとって、今受けた歯牙にも掛けない態度は未知の感覚であり、胸中に言い様のない痛みを感じた。

 二人のやり取りを見ていた周囲がなにやらざわついている。

 だが、美鶴の視線は、廊下の奥で職員室から出てきた若い教師の相手を面倒そうにしている男子の背中に注がれていた。

 

「有里、湊……」

 

 まわりに聞こえないほど小さな声で呟くと、美鶴は拳を強く握りしめたまま踵を返し、エントランスを後にした。

 

――部室

 

 職員室の前で出会った佐久間と共に湊が部室に向かうと、部室には全員が揃っていた。

 壁や天井に防音処理のなされた部室の広さは普通の教室より一回り小さいが、部員五名の文化部には十分な広さだ。

 机と椅子、ホワイトボードにエアコンは初めから置かれていたため、今週からの作業内容が書かれ、エアコンで涼しくなった教室内で、各自何やら準備をしていた。

 ここ美術工芸部の部室は、道具を置いておく幅の広い三段の棚、資料を置いている本棚の他、湊が勝手に運び入れたノートパソコン・電子レンジ・冷蔵庫などの家電用品、佐久間が用務員室から貰って来たカセットコンロに掃除機もあり、他の部室よりもかなり恵まれた環境になっている。

 そんな、若干プライベートスペースと化した部屋に、湊が荷物を置いて適当に座るため歩きだそうと思ったとき、視界の端で何かが動いた。

 そちらに目をやると、部員でもっとも小柄な少女・山岸風花が、左の壁に沿うように置かれた棚の下の段に左腕を伸ばしてごそごそと漁り、入り口の人間に向かって尻を振っていた。

 

「……ハァ」

「わははー、有里くーん? その溜め息はどっちの意味かな?」

「……あいつの無防備さに呆れてだ」

「うんうん。君ならそういうと思ってたよ。という訳で山岸さん、探し物をしてるみたいだけど、スカートがめくれて部屋に入った人に下着が見えちゃってるから気を付けてね」

「え? えーっ!? 痛っ……うぅ、頭うったぁ……」

 

 キョトンとした表情で振り返り、湊と佐久間の姿を発見した直後、風花は驚いて跳び上がったときに上の段の底に頭をぶつけた。

 血が出るような怪我はなかったようだが、目に涙を滲ませ、手でぶつけた箇所を触りながらいそいそと出てくる。

 見ていたゆかりや美紀は相手を心配しながら苦笑し、冷蔵庫から保冷剤を一つ取り出し、ハンカチで包んでそれを風花に渡した。

 

「はい。コブにならないように冷やしておきな」

「血は出てませんか?」

「う、うん。ただぶつけただけだから。そ、それより……有里君も見た?」

 

 ゆかりから手渡された保冷剤を患部に当てて、座ったままの風花が上目遣いで照れながら尋ねる。

 尋ねられた湊にすれば、同級生の下着を見たところで何の感情の揺れも起こらないが、相手が恥ずかしがっていることは理解出来る。

 なので、どう答えれば良いかを少し考えると、空いている机の上に鞄を置きながら静かに答えた。

 

「山岸の方を向いたときに少し。嫌な想いをしたなら謝る」

「そ、そんな、謝らなくて良いよ! 私の不注意っていうか、ただ油断してただけだし。私の方こそ変なもの見せてごめんね」

 

 申し訳なさそうに謝る山岸だが、他の者は別に変なものではないだろうにと小さくツッコミを入れたい気持ちになった。

 山岸風花はとても礼儀正しく真面目だ。1-Dの中では美紀と共にクラスの良心と呼ばれ、それほど深い交流があるわけではないが、湊やチドリよりもよっぽど普通にクラスメイトらと付き合っている。

 体育の着替えも丁寧に制服を畳み、授業後に制服へ着替える前にタオルなどで汗をきちんと拭いてから着替えているので、とくに制服が汚れているわけでもない。

 彼女の下着に少女アニメのキャラクターがプリントされているなら、それは確かに年齢を考えると変に思われるが、別にそんな事はなく、リボンのワンポイントのついた薄い水色の年相応といえるものだ。

 そんな彼女の下着が変な物だというのなら、似たような物という意味で、ここにいる女子の下着は全てが変な物になってしまうだろう。

 

「風花さ。別にそんな、自分を卑下しなくて良いと思うよ? ほら、有里君も見れてラッキーとか思ってるかもしれないし。あ、嘘です。ゴメンなさい……」

 

 耳を真っ赤にしていた風花を慰めるつもりが、ゆかりは口を滑らせたことに気付き、後ろに無言で立っていた湊に頭を下げて謝る。

 しかし、湊はゆかりを粛清しようとやってきた訳ではないので、その隣を通り過ぎると、床にしゃがみこんでいた風花に手を貸した。

 

「あ、ありがとう、有里君」

 

 相手の行動を意外に思ったのか、風花は差しのべられた手を取りながらも不思議そうに湊を見つめて立ち上がる。

 風花がしっかりと立ち上がったことを確認した湊は、逆にしゃがみこんで風花に尋ねた。

 

「探し物は?」

「探し物? あっ、えっと、六十センチ定規ってあったよね? あれ、どこにしまったかなって思って」

「六十センチ定規は……佐久間」

「ふぁい? えと……あ、ごっめーん。前に姫子先生とチャンバラして折っちゃった」

 

 窓際に置かれた事務机でノートパソコンを使って作業していた佐久間は、声をかけられると少し考える仕草を見せ、ばつが悪そうに頭を掻きながら謝罪した。

 佐久間が定規を折ったのは、部員で言えば湊とチドリだけが部室で昼食を取っていた日で、佐久間と櫛名田も事務仕事をここでしがてら昼食を取っていた。

 だが、途中でアニメの話題で二人が盛り上がり、抜刀術と言い合って一メートル定規と次点で長い六十センチ定規で斬り合った。

 その結果が、六十センチ定規はひびが入って折れてしまい、一メートル定規も目盛りの部分が大きく欠けて使えない状態になるというものだった。

 部の備品を破壊した教師二人は、二人の生徒から冷たい視線を受け、後日新しい物を持ってくると謝罪したのだが、未だに納品されていないようである。

 一週間以上前に言っていたことが未だになされておらず、使おうとしていた部員が被害を被っていることに軽い怒りを感じた湊は、他の者から見えない角度で瞳を蒼くして相手を脅した。

 

「っ!? わわっ、いま直ぐ取ってきまーす!」

 

 湊の瞳の秘密は知らないが、その瞳で見られることに慣れていない佐久間は大慌てで部室を出ていった。

 残された者は不思議そうに顧問が出ていった扉を見ているが、風花の探し物は解決した。

 そうして、いつまでも遊んでいる訳にもいかないので、各自が座っていた机に戻り作業を再開する。

 部員達がいまやっているのは、Tシャツにプリントするデザインの作成だった。

 模様でも絵でも文字でも構わないが、夏に着られるようなTシャツの柄を自分でデザインし、それを業者に頼んでプリントしてもらうのだ。

 当初は部員でお揃いのものにしようかという案も出されたが、これも各自の向き不向きを知るためのものになるので、個人別にしようという結論になった。

 今までは一週間おきにテーマを変えていたが、今回は人によっては色を塗る作業もあるため、製作時間は二週間設けてある。それだけあれば、昼休みも利用すれば出来そうだと、ゆかりや風花も言っていたので、皆それぞれ思い思いのデザインを考えていた。

 

「うーんと……有里君、こういう英語のデザインって何ていうの?」

 

 尋ねてきたゆかりの手には、自分で書いたらしい中が一部白抜きされたアルファベットが書かれている紙が握られていた。

 手書きにすれば十分に上手いが、フォントというのは非常に多種に亘り、似ていても名前が全く違っていたりする。

 そのため、珍しく難しい表情で悩んだ末に、湊はそれと思わしき書体名を挙げた。

 

「……オールドイングリッシュか? オールドイングリッシュと書体やフォントで検索してみろ。なかったら、図書室か美術室に書体名鑑みたいなのがある」

「了解。でも、よく知ってるね。どこでそんなの覚えてくるの?」

 

 湊の知識にはいまのところ偏りが見られない。佐久間も仕事をしているときに、ふとド忘れして湊に尋ねることがあるが、そんなときでも普通に答えを返す。

 生徒だけでなく教師でも知っている者は限られているが、佐久間が大学で在籍していた学部の偏差値は75と、日本でもトップクラスだ。

 そこを首席で卒業し、さらに高校時代には海外で設立された知能指数の高い者のみが入会を許される、非営利団体“ラウンズ”への入会資格を有していた。

 そんな聞けば誰もが認める本物の天才である佐久間だが、彼女が知識に関して自身と同列以上に認める数少ない人間が湊である。

 もっとも、佐久間と同じ天才型なのはチドリなのだが、チドリは興味のないことにはどうでもいいと考えるタイプなので、佐久間のように暇つぶしに知識を得ようとはせず。また、湊のように何が使える知識になるか分からないからと学ぶ気もないので、学校の授業と宿題だけをしていて成績は学年三位になっている。

 そうして、湊の知識の豊富さの理由を知りたいと思ったゆかりが、情報源を尋ねたのとほぼ同じタイミングで部室の扉が大きな音を立てて開いた。

 

「おっまたせー! 教頭先生に新しい定規貰って来たよー」

「あ、ありがとうございます。わざわざ持って来てもらってすみません」

「いいの、いいの。元々、私と姫子先生が壊しちゃったんだしさ。だからぁ、ね? 有里くーん、怒ったりしないでよー」

「……仕事でもしてろ」

 

 ゆかりの質問は、騒がしく入ってきた佐久間によって有耶無耶になり流れてしまった。

 その点については少々残念に思うが、佐久間の登場によって湊への質問が終わってしまうことは珍しくない。

 あまりに狙ったようなタイミングで登場するので、密かに湊と接点を持とうとしている女子などからは、大人げなく他の女が近付くことを妨害しているとまで言われることもあるが、ゆかりは単純に間が悪い人間なのだろうと考えていた。

 故に、生徒に仕事をしていろと言われ、落ち込んだ様子でパソコンの前に戻っていく相手に苦笑しながら、自分のデザインを考える作業に戻った。

 

***

 

 雑談を交えながらの作業が進み、三十分ほど経った頃、六十センチ定規を使い終えた風花が立ち上がり、部室の端にある長い物を差しておく箱にそれを片付けた。

 席へと戻ってくる際に今までの座り作業で固まった筋肉を解すように背伸びをする。

 

「んー……はぁ」

 

 自分の直ぐ近くで声を出されたため、チドリが紙から視線をあげると、そこにはやや胸を張るような姿勢の風花の姿があった。

 クラスでも小柄な方なのであまり気にしていなかったが、身体を弓なり反らせてみると意外と胸が大きい事に気付く。

 性格は兎も角として、知能・体術・プロポーションのそれぞれがチートスペックな部活顧問を除けば、二次性徴を迎えてクラスでも背が高くスタイルが良い美紀と同じレベルに見える。

 いや、身長差で考えれば風花は胸だけが育ち過ぎているくらいだろう。

 佐久間・美紀・ゆかり・自分とついでに湊を見てから、再び風花の胸に視線を送る。大きさが全てではないが、女性として分かり易い性的象徴は確実に武器になりえるため、現段階で負けているチドリは、少々悔しそうに風花を見つめた。

 そして、珍しくチドリがジッと見ていたため、背伸びを終えた風花は視線に気付き、優しげな表情で声をかけた。

 

「あれ、チドリちゃん、何か私に用事あった?」

「……別に。ただ、背は小さいのに胸だけ大きいのねって思って見てただけ」

「……胸? な、急に何でっ!?」

 

 予想だにしていないチドリの発言内容に、風花は顔を真っ赤にして胸元を手で隠す。

 二人のやり取りを見て、パソコンで作業していた佐久間は一人で大笑いしているが、他二人の女子は風花に同情的な視線を送りつつ、作業していた手を止めチドリを窘めた。

 

「あー、あのさ。一応、ここって男子もいるから、そういう話題はやめようよ。じゃないと風花が次回から恥ずかしくてこれなくなるし」

「……どうして? さっきは下着の話をしてたでしょう?」

「どうして、と言われても。内容に裸を見せるのと、下着を見せるくらいに違いがありますから」

「湊は見ても気にしないわ」

 

 チドリの言葉を聞くと、今度は顔を真っ赤にしていた風花も、大笑いしていた佐久間も、他の女子と同じように驚愕の表情で湊を見た。

 同じクラスの男子などが比較対象だが、どの男子も女子の足や胸元へ邪まな視線を送っていることがある。前に佐久間が授業で、湊の視線にはそんなものは含まれていないと言っていたが、流石に同じ年頃の女子の裸体を見て平然としているとは思えない。

 しかし、チドリの言葉から想像すると、実際に湊が一切動じていない場面を見たことがあるのではと考えてしまい。では、誰の裸体を見たのかと考えると、当人のもっとも近い場所にいる異性と言えばチドリだとすぐに思い至った。

 だとすれば、チドリは湊に見られたことが、湊はチドリのものを見たことがあるという訳だが、いくら家族だと言っても中学生でそれは駄目なのではという想いが視線に籠められ、紙と向き合っていた湊に注がれた。

 会話に参加せず、いままで紙と向き合っていた湊も、流石に四人から見られていると何も答えない訳にはいかず。小さく嘆息すると、誤解を生まないよう気を付けて話しだす。

 

「……昔、俺たちは一緒に風呂に入ることもあった。チドリが言ってるのは、そういったときの話しだろう」

「最後に入ったのはいつ?」

 

 尋ねるゆかりの瞳に疑いの色が混じる。何故、いまの質問でそんな事になるのかが分からない。だが、湊はその疑問を表情に出さず、淡々と答えた。

 

「最後は……去年の」

『アウトー!』

「……年末くらいに、旅行先で水着着用の家族風呂に入っただけだ。本当に裸で入ってたのは、三、四年前までで、それ以降は一切ない」

 

 途中まで聞いたところで、ゆかりと佐久間が勢いよく立ち上がり球審のような動きを見せた。

 実に息の合った動きに他の者も目を見張るが、その判定は完全に誤審である。

 あまりに呆れて湊が眉を顰め、チドリが小さく「ばーか」と呟いたため、先走った行動をとった二人は、先ほどの風花のように顔を赤くして席へと戻った。

 一方で、美紀と風花は最後まで話を聞き、二人も世間と同じような倫理観を持って過ごしてきたことを理解し、ほっと胸を撫で下ろしていた。

 

(はぁ……流石に中学校に入る前まで一緒に入るのはないよね。ゆかりちゃんじゃないけど、私も勘違いしてびっくりしちゃった)

 

(施設では男女別で入っていましたから、私は兄さんとも殆ど入ったことがありませんが。チドリさんの立場ですと、有里君が裸に無反応というのはどんな気持ちなんでしょう? ですが、やっぱり、有里君は他の男子よりも攻略が難しいんですね)

 

 腕を軽く組むポーズで考えながら、美紀は他の女子たちに同情する。ある意味で、湊は色仕掛けには惑わされないため、プロポーションによる優位性はかなり低くなった。

 年齢を問わずスタイルの良し悪しで悩む女性は多く、それが男を落とすための武器になるのは、変えようのない事実と言える。

 その武器が武器になりえないのなら、スタイルに自信のない者には朗報となるだろう。

 だが、逆を言えば、いくらか挑発的な恰好をしたところで湊には効果がないことになる。

 全裸よりも厭らしく見える恰好というのもあるが、湊がそんなものに惑わされるとは思えず。女性の好みも全く分かっていないので、どういったアプローチが効果的かも不明だ。

 そうなると、今回のこの情報は、敵にはこの攻撃が効かないと分かっただけなので、湊攻略の難易度がマニアクスだと再確認されただけと言えた。

 美紀がそのように考え、苦笑してから作業に戻ろうとしたとき、意外なことに最近は湊にあまり絡まなくなっていた佐久間が席を立って湊の背後に回った。

 他の者が一体何をするつもりなのだとそれを見ていると、肩をトントンと叩いて湊が振り返ったタイミングで佐久間が湊の頭を胸に抱いた。途端、三人がうろたえ、一人が眉を顰め不快感を表情に出す。

 だが、構わず湊の顔を自分の胸部に押し付けながら、ぎゅっぎゅと何度かやったところで、佐久間がようやく口を開いた。

 

「……どう? 興奮する? 服の上からでもある程度は柔らかいと思うんだけど」

「せ、先生! 急になにをしてるんですか!? 相手は生徒ですし、男の子ですよ!」

 

 突然の佐久間の行動に常識を持った美紀が立ち上がり注意する。

 風花など茹でダコのように顔を赤くし俯いてしまっているので、そういった男女の関係を想起させる行動を慎むよう言いたいのだが、注意されている間も佐久間は湊の頭を抱いたままだ。

 

「え? いや、有里君も男の子なら好きかなと思って。裸を見て動じないとしても、実際に身体に触れればちょっとはムラっとしないかなぁと思ってさ」

「させてどうするんですか!」

「どうするって……ちょっとイチャついてみたり? あ、えっちぃ事はしないよ? 先生はお付き合いには順序があると思ってるからね」

「おかしいです、その順序!」

 

 美紀は珍しく大きな声でツッコミを入れた。

 佐久間は、厭らしいことはしない、ちゃんと順序を踏んで節度ある付き合いをすると言っているが、言葉とは裏腹に目の前でしていることは順序をいくらかすっ飛ばしている。

 今まではよく抱き付いていたのだから、その次のステップがこれだと言われれば確かにそうかもしれない。

 しかし、これが厭らしいことに含まれないというのは、声を大にして反論する。それはおかしい、明らかに他者と考えがずれていると。

 そんな美紀の想いが雰囲気と気迫として伝わったのか、佐久間は渋々といった表情でようやく湊を解放した。

 

「むー……で、有里君はどうだった? 気持ち良かった? 心がぽかぽかした?」

「……息苦しかった」

「あ、そっか、ごめんね。次は気を付けるから」

『しなくていい!』

 

 今度のツッコミは風花以外の女子全員がいれた。二人は良識ある一般人として、一人は危険人物から湊を守ろうとして。

 湊の反応はこの際無視しておいても問題ない。ハニートラップに引っ掛からないとは大した精神力だと思うのが普通だが、それは一般人の話であり、湊が相手ならば結果は分かっていたというのが本音だからだ。

 

「先生は座っててください。仕事しろ、仕事!」

「ちょっ、岳羽さん、先生ちゃんと仕事してるよ? わわっ、吉野さん、腕掴む力強いよー」

 

 声を揃えた女子三人は、席を立つと佐久間を湊から引き離し自分の席へと座らせる。

 急に囲まれ連行された事で、相手は状況が理解出来ていないようだが、風花は可哀想な人を見る目で、湊は呆れたような目でそれぞれ見ていたので、彼女たちの行動を理解できていないのは連行された本人だけだ。

 佐久間を椅子に座らせると、他の者は自分の作業に戻ったが、佐久間がパソコンのキーを打つ以外の動きを見せると直ぐに鋭い視線を向けられた。

 そんな空気に耐えきれず、最後はパソコンをシャットダウンしてUSBだけ抜き取り、

 

「うえーん、皆のばかー、岳羽さんのペチャパイ! 吉野さんの半目! 真田さんのお兄さんシスコン! 女の嫉妬は見苦しいんだから!」

 

 と言い残し走って部室を出ていった。

 チドリは自分に対する言葉が悪口なのか不思議そうにしていたが、ゆかりは地味に気にしている点を突かれダメージを負い。美紀はまた自分の兄の存在が己への罵倒に使われたと落ち込んでいた。

 結局、そのまま佐久間は帰って来ず。下校時刻になって部室の鍵を返しに行ったときに、職員室で授業に使うプリントをコピーしている姿が発見されたため。

 ゆかりの言葉を否定していた通り、仕事自体はきっちりしているのだなと部活メンバーに認識されたのだった。

 

 


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