【完結】PERSONA3 Re;venger   作:清良 要

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第四十二話 イニティウム

7月7日(木)

放課後――月光館学園中等部

 

 既に遠くの空で星が輝き出した頃、岳羽ゆかりは竹を運んでいた。

 別に駄洒落という訳ではなく、半分に切られた竹を肩に担いで風花と共に生徒玄関を出たところへ運んでいる。

 

「……普通、逆じゃない?」

「しょ、しょうがないよ。私たちは料理出来ないから」

 

 女子である自分たちが重い荷物を運び。力も体力もありそうな唯一の男子部員が、調理室を占拠して料理をしている。

 その役割分担に思わずツッコミを入れたくなったのだが、風花に現実的な返しされて、ゆかりは肩を落として項垂れた。

 しかし、そんな丁度良いタイミングで二人に声をかける者がいた。

 

「おーい、お前たち! 運ぶ物があるなら人貸すぞー!」

 

 言いながら走ってきたのは、美紀の兄である真田明彦と愉快な仲間達であるボクシング部員だった。

 予定時刻まではまだ少々あるため、食前の運動としてロードワークをしていたらしい。

 運動部にも所属しているゆかりは自身の経験から、食べる前にあまり激しい運動をすると、反対に食欲が減退するのではと思ったりもしたのだが、ここでは何も言わず相手の厚意に素直に甘えることにした。

 

「あ、お願いして良いですか? 中庭のブルーシートの上にある分も全部使うらしいんで、こっちに持って来て欲しいんですけど」

「わかった。軍手はどこから借りれば良い?」

「切り口は綺麗に処理してるんでなくても大丈夫ですけど、気になるんでしたら、職員室に行けばクリーンデーで使うのを貸してもらえます」

「了解した。鮫島、お前は他の奴らにも声かけて来い。手伝いを渋った奴は麺つゆしかやらんとも伝えろ。他のやつは俺と一緒に中庭だ。これもトレーニングになると思え」

『はいっ!』

 

 真田の号令と共に部員たちは駆け足で散って行った。元気良く返事をした者の中に、かつて美紀に声をかけて真田にスパーリングを受けたクラスメイトの姿を発見し、ゆかりと風花は思わず苦笑する。

 そして、止まっていた足を再び動かし、目的地である竹脚の組まれた場所に到着した。

 

「ああ、ご苦労。数が揃うまでは、そのまま置いてて良いぞ」

「……櫛名田先生は手伝わないんですか?」

「私は監督だからな。子どもの思い出作りを邪魔する事は出来ないさ」

 

 そのようにアウトドア用の簡易椅子に座って、不遜な物言いでさぼっている保険医の櫛名田の手には、かき氷の盛られた容器が握られていた。

 近くにかき氷屋はなく、購買にも氷を削り出したかき氷は売っていない。ならば、櫛名田はどこでそれを手に入れたというのか。

 竹をブルーシートの上に置いた風花は、重い物を運んで乱れた呼吸を整えながら尋ねた。

 

「先生、それどこで貰ったんですか?」

「ん? ああ、これは二年の目付きの悪いやつに作らせた。氷は冷凍庫に大量に入っていたからな。マイかき氷機を持参して行くと、暇そうにソーメンを茹でていたから、命懸けで削れと言ったら快く引き受けてくれたよ」

(……絶対違うと思う)

 

 クスクスと妖艶な笑みを浮かべながら、イチゴシロップのかかったかき氷を口へと運ぶ櫛名田を、ゆかりは疲れた表情で見ていた。

 しばらくすると、真田を先頭にボクシング部員らが竹を持ってやってきたので、櫛名田の指示のもと水路を組み上げ、実際に水を流しても問題がないか確かめ、主役が到着するのを待った。

 

***

 

 他の者たちが外で待っている頃、湊たちは調理室で料理を作っていた。

 今日は七月七日の七夕だ。ならば、何か行事をしようと二週間ほど前に佐久間が言いだし、美術工芸部と美紀の兄のいるボクシング部、それにゆかりがかけもちで所属している女子弓道部にも声をかけ、学校の敷地内で流しそうめんをすることになった。

 そうめんは桔梗組本部にお中元として届いたものが大量に余っていたのでそれを使い。竹は鵜飼の所有する山から切り出してきたものを組員に運ばせたため、学校側へは場所の使用許可の申請だけで済んでいる。

 そして、総勢で六十人前ほどの料理を作るのに、たったの三人では不可能だろうと、料理経験者の荒垣も呼び出され、現在、汗を掻きながらお湯の沸騰した鍋の前でそうめんを茹でていた。

 

(……おかしいだろ。なんで急に呼び出された俺が、一番きついことやらされてんだ)

 

 荒垣は黙って黙々と茹でたそうめんを水でしめ皿に移すと、次の乾麺の束を解いて鍋に投入する。

 空調を効かせているとは言っても、沸騰したお湯から湧きたつ湯気のせいで湿度も高まり、鍋の近くはサウナ状態となっている。

 鍋の中に汗が入っていけないと、頭にはタオルをバンダナのように巻いて、さらに首にかけたタオルでも顔の汗を拭っているが、心の中は不満でいっぱいだった。

 まず、現在この調理室にいる人間は五人。湊・チドリ・美紀・佐久間の四人に加え、茹で時間を気にしながら周囲を観察している荒垣自身だ。

 そして、それぞれが何をしているかというと、湊と佐久間は七夕にちなんで星型に切った具材を入れたりしているチラシ寿司を作っている。放課後になってからずっと酢飯を作り、具材と混ぜて寿司桶に盛りつけているので二人はまぁ良い。

 次に美紀は何をしているかというと、大勢で使うためヤカンに麺つゆを作り、各自が入れる薬味を切ったりしている。これも生姜をおろしたり、ネギを切るのに時間が掛かるだろうからと許せる。

 だが、最後の一人はいる意味がまるで分からなかった。

 そう、調理室にいながらチドリだけは、ただ椅子に座ってかき氷を食べている。

 先ほどかき氷機を持って急に現れた櫛名田が、そうめんを茹でていた自分に作れと言ってきた際、チドリの分も作って渡したのは確かだ。

 しかし、彼女はかき氷を食べる前は絵を描いていたはずであり。時折、美紀から麺つゆの入ったヤカンを運んで欲しいと頼まれたとき以外は動いていなかった。

 

(なんで、あいつは何もしてねえんだ? 料理ができないっつー他の二人は水路用の竹を運んだりしてるってのに。てか、あの保険医だって料理出来るって話しじゃねえか。役割分担おかしいだろ)

 

 心の中では愚痴りつつも荒垣は真面目にそうめんを茹で続ける。どう考えても最初期に茹でた分は乾いてくっついてしまっているはずだ。

 しかし、それは自分のせいではない。ボクシング部の男には微塵も期待していないが、ゆかりの所属している女子弓道部にはそうめんを茹でるくらいは出来る人間もいる。

 だというのに、七夕の笹を飾りつけるからと、全員がそちらに行ってしまっているのが悪いのだ。

 そう、これだけ必死になってやっている自分は悪くない。荒垣は自分に言い聞かせた。

 

「……あぁ?」

 

 それから、さらに茹でながら時計をジッと見ていると、荒垣は脇腹を突かれ視線をそちらに向けた。

 向いた先には、所謂、ロリータファッションのドレスに身を包んだ暗い青髪の少女が、お茶の入ったコップを手に立っていた。

 どこから入ってきたのかは分からないが、明らかに学校の生徒どころか中学生ですらない。しかし、呼ばれたので見続けていると、可愛らしい小さな声でポツポツと話しかけてきた。

 

《……これ……湊が飲めって》

「ああ、ありがとよ――――ハァ」

《……頑張って》

「っ!?」

 

 冷たいお茶を受け取り喉を潤すと、先ほどまで感じていた疲労感がいくらかマシになったような気がした。

 そして、コップを持っていって貰おうと思ったとき、相手は頑張れと言い残し、くるりと振り返って消えてしまった。

 慌てて周囲を見渡すが姿も形も完全に消えている。だが、渡されたコップは残っているので、少女が存在したのは確かなはずだ。

 

「な、なんだ? 幽霊だったとでも言うのか? お、おい、有里!」

 

 動揺したまま荒垣は寿司に海苔をちらしている湊を呼ぶ。

 先ほどの少女は湊が自分にお茶を渡すよう言ったと言っていた。ならば、湊に聞けば何か分かるかもしれない。

 そんな一縷の望みに賭けて相手を呼ぶと、湊はゆっくりと視線を上げた。

 

「……終わったんですか?」

「いや、それは後少しだが、お前、青い髪のこんくらいの背の女を知ってるか?」

「んー、あ! それ座敷童子ちゃんだよー! 荒垣君も視えたの?」

「は? 座敷童子? みえた?」

 

 急に話しに入ってきた佐久間に面食らうが、それよりも言っている意味がよく理解出来ない。

 荒垣の知っている座敷童子は某週刊誌の妖怪漫画に出てきた、せんべい好きの人形のような妖怪であり。先ほど見た小学生くらいの少女とは似ても似つかない。

 また、人間なのだから見えるのは当然であり、佐久間が何を言いたいのか全くもって分からなかった。

 そのため、そうめんをザルにあけて、水でしめながら話しを続ける。

 

「座敷童子ってアダ名かなにかっすか? つか、俺にお茶を渡したら急にいなくなったんだが、どんなタネだ?」

「ぷぷー、座敷童子ちゃんは有里君にひっついてる幽霊なのでお茶なんか渡せませーん。さては、麺と一緒で頭が茹っちゃってたな? 適度に水分とって休憩しなきゃ駄目だよー」

「幽霊? いや、確かにコップを渡してきたし、会話も……したよな?」

 

 言われてみると急に自信がなくなってきた。確かにお茶を飲んだコップは手元に残っているが、半分朦朧とした意識で自ら取りに行った可能性もある。

 それに急に人間が消えるなど普通に考えてあり得ない。

 佐久間の言っている幽霊という話しはにわかに信じ難いが、先ほどの少女は自分が見てしまった白昼夢だったとすれば急にいなくなったことも納得する事が出来た。

 

(……クソ、意識朦朧とするまで必死こいてたなんて笑えねえぞ。これで飯が不味かったら承知しねえからな)

 

 お茶を飲んだことで覚醒した思考のまま心の中で悪態を吐き、最後の一束を水でしめると、荒垣はそれを皿に盛り、外へ運ぶワゴンに乗せた。

 荒垣が皿をワゴンに乗せた頃、湊たちの方も準備を終えたようだったので、外にいた者たちを呼び、完成した料理を会場まで運ばせた。

 

***

 

「……世辞抜きに美味いな」

「ああ、そうだな。腹を空かせて待った甲斐があった」

 

 荒垣と真田は二人で並んで花壇の縁に腰掛け、紙皿に盛られたチラシ寿司を割りばしで食べながら話しをしていた。

 流しそうめんは初めの方に食べてしまい、後は湊と佐久間の作ったチラシ寿司や、各々が持ち寄ったお菓子などを食べて談話している。

 中には用意された短冊に願い事を書いて笹に吊るしている者もおり、真田は自分の妹が友人と笑いながら短冊を書いている姿を微笑ましそうに眺めている。

 

「立案はあの教師らしいが、動いたのは基本的に有里らしいぞ。美紀に言われてお前らのことを許可したのもあいつだ。ま、食材も竹もあいつの家が用意したんだから、あいつの許可がなきゃ無理に決まってるけどな」

「……そうか。なら、後で礼を言っておく。おかげで美紀も楽しそうだからな。七夕なんていつ以来だ?」

「揃ってって意味なら施設で別れて以来だろ。ここで再会してなきゃ一生会わなかったかもしれねぇんだからな」

 

 真田兄妹と荒垣はかつて同じ児童養護施設で暮らしていた。

 だが、五年ほど前に真田たちが子どものいない真田夫妻の養子となって施設を去り。それから半年後に荒垣も荒垣夫妻の養子として施設を出た事で音信不通となった。

 新しい環境に慣れるまで余裕がなかったこともあり、ようやく連絡が取れる状態になったときに連絡がつかないことを知って落胆したものだが。

 真田と荒垣は偶然にもここ月光館学園の中等部で再会する事になった。

 その際、兄の入学式について来ていた美紀も再会を喜び、来年は自分も入学すると決めた経緯がある。

 荒垣は現在月光館学園の男子寮で生活しているが、真田兄妹は実家から電車で通っているため、真田と荒垣が休日や放課後に遊ぶ事は稀にあったが、美紀も揃ってとなるとかなり久しぶりだ。

 随分と懐かしい感覚を思い出させてくれたイベント主催者に感謝し。二人は食べ終えた使い捨ての食器をゴミ袋に放り込むと、短冊を持って笹の近くで手を振っている妹の元まで肩を並べて歩いて行った。

 

深夜――巌戸台・某所

 

 影時間も明けた深夜。薄暗い廊下を白衣を着た男を先頭に、数名の男の一団が進んでいく。

 

「それで、経過の方はいかがですかな?」

「良好、と言っていいと思います。最近になってようやく再び言葉を話せるようになりましたから」

 

 鶏の卵のような体型をした、全身をブランド品で固めたスーツ姿の背の低い外国人の男がにやついて尋ねると、白衣を着た男・幾月が愛想よく笑って返す。

 幾月のすぐ後ろをいく男の名はアロイス・ボーデヴィッヒ。既に還暦を迎えている年齢だが、長年培った技術と人脈によって違法な臓器取引を行っている密売組織の元締めだ。

 今日、幾月に会いにやってきたのは、以前、幾月に頼まれて医師とスタッフを派遣し行った手術の経過報告を受けるためだった。

 臓器取引をメインにしているが、それ一本で稼いでいる訳ではなく、人体に関わる物であれば細胞から生きた人間まで取り扱っている。また、売った臓器の移植など手術も請け負い、そのための医師やスタッフに機材も超高額で貸しており、その分、信頼性の高さから彼を頼る者も大勢いた。

 幾月もその一人であり、様々なルートを通じて彼との接触を図り、来日している今がチャンスだと数ヶ月前にアポイントを取りつけたのである。

 大勢のボディガードを引き連れて歩くアロイスは、前に幾月と会ったときのことを思い出し、脂ぎった顔を愉快そうに歪めながら話す。

 

「しかし、いつの世も神の禁忌に触れたがるのは科学者の(さが)なのでしょうな。世界がタブーとした人体実験など不完全な技術に頼る。そうまでして叶えたいこととは一体なんなのですか?」

「一言で説明するのは難しいです。ただ、人類の未来のために彼を人を超えた救世主(メシア)にする必要があった、とだけお答えしておきます」

「アッハッハッハ! 人類の未来のため、そのために禁忌であるものを使うとは随分と頓知がきいていますな。いや、やはり先を見据える者は、それだけの覚悟を持っておかねばなりません」

 

 大声で笑い、まわりに唾を飛ばしているアロイスの言葉に、幾月は「恐縮です」とだけ答えた。

 そうして、廊下を進み続けると、カードキーや網膜、静脈といった多数の認証を済ませる事でしかロックを解除できない扉にやってきた。

 他の者を待たせて幾月は次々に済ませると、ガチャン、とロックの外れる大きな音を確認してから彼らを中へ招く。

 

「どうぞ」

「ええ。ですが、少々お待ちを。仙道(せんどう)、ついて来るのはお前だけで良い。他の者は扉の前で待っておけ」

 

 しかし、入る直前にアロイスはボディガードの一人を呼び、他の者らは扉の前で待っているように命令した。

 アロイスに呼ばれてやってきた男は、背中にハスの花の刺繍の入った黒のカンフー服を着た、二メートル近い大男。他のボディガードは黒いスーツを着ているというのに、明らかに一人だけ異質であり、雰囲気も相まって短めに揃えられた逆立つ赤い髪が血の色に見えてしまう。

 男がすぐ傍までやってくると、幾月がわずかに緊張していることに気付き、男の方から挨拶をしてきた。

 

「お初にお目にかかる。わしは仙道 弥勒(せんどう みろく)。いまはこいつの警護をしておるが、普段はただの壊し屋だ。お主も誰か壊して欲しい者がいれば、わしに頼むが良い。もっとも、わしに壊せるのは相手の肉体だけだがな。フーハッハッハッ!」

「ええい、やかましい! 貴様は黙って私を守っていればいいのだ」

 

 空気がビリビリと振動するほどの声量で高笑いする仙道を、迷惑そうに耳を塞いでいるアロイスが怒鳴りつける。

 ボディガードとして仙道を雇っているのはアロイスだが、そこに明確な上下関係は存在しないようで、豪快な相手の扱いに困っているようにも見える。

 その証拠に、雇い主に怒鳴られても仙道は笑顔のまま返している。

 

「まぁ、許せ。こちらに来てからというもの、全く戦えていないのだ。たまには大声で笑って鬱憤を晴らさねばやってられん」

「そんな物は別の場所でしろ! ここはミスターの研究施設なのだぞ。貴様のせいで不具合が出たらどう責任を取るつもりだ」

「ま、まぁ、気にしないでください。研究施設と言っても、ここで行っているのは彼についてのことだけです。それも娘が一緒にいてやっているので暴れたりはしませんし。多少騒いでも問題ありません」

「む、むぅ……ミスターの厚意に感謝しろ。次に騒げば、違約金を取るからな」

 

 困ったような作り笑いで幾月が宥めると、仙道を睨みつけアロイスは幾月に続いて中へと入った。

 あれだけ扉にロックが掛けられていたにも拘わらず、扉の先はまだ廊下が続いていたが、これまで歩いていた薄暗い廊下と違い。かなりの明るさが確保された、どこか病院を思わせる白い内装をしている。

 そんな場所を十メートルほど歩くと自動扉があり、それを潜ったところで、ようやく目的地についた。

 

「ん? どれがお主の研究物だ?」

 

 部屋に入った仙道は不思議そうに幾月に尋ねた。

 彼らが現在いる場所は、縦十メートル幅二十メートルほどの横に長い部屋だ。しかし、入り口から見て正面にガラスを隔てた向こう側に学校の教室ほどの広さの部屋が見えている。

 その中には中学生か高校生といった年頃の少女が、少女よりわずかに年下と思われる少年を膝枕しながら、傍にカップやクッキーを置いて読書しており、特別何かがあるようには見えない。

 アロイスが散々大仰な言い回しで話していたので、何かとんでもない物があると想像していた仙道は拍子抜けし、腕を組んでつまらなそうにしながら相手の言葉を待つ。

 すると、幾月は白衣のポケットに手を入れ、取り出したリモコンを操作し、今までマジックミラーとなっていたガラスを向こうからでも見える状態にしてから口を開いた。

 

「私の研究物は彼ですよ。娘が遊んでやっている少年。あれがアロイス殿の手を借りて改造を続けている、人を超えた救世主です」

 

***

 

「……姉さん、外に幾月さんと知らない人が来てるよ?」

 

 急に鏡だった壁がガラス状態になり、その向こう側に三人の男がいることに気付いた少年が、閉じていた黒い瞳の相貌を少女に向け静かに伝える。

 年の頃は十二・三歳、髪の色は暗い青、前髪が長く右目がやや隠れるようになっているが、驚くことにその顔は湊と瓜二つだった。

 違いと言えば、瞳が黒い事と右目の下に泣き黒子があること。それと湊ががっしりとした体格であるのに対し、少年はどちらかと言えば線が細い体型をしている。

 

「うふふ、お父さんはね。貴方の様子を見に来てくれたのよ? ほら、前に身体を少しいじったでしょう。あの手術はあそこにいるおじさんのおかげで出来たものなの。だから、今日はその経過を見に来たってところでしょうね」

 

 自身を見上げる少年の頭を愛おしそうに玖美奈は撫でる。

 すると、少年は気持ち良さそうに目を細め、身体を少し起こすと玖美奈の腰辺りに抱き付いた。

 抱き付かれた衝撃で肩に掛かる緩い癖のかかった茶髪がふわりと揺れる。その揺れた髪からは香水のような良い香りが広がり、少年は穏やかな表情で笑っている。

 

「僕、姉さんの匂い好きなんだ。花みたいな匂いがするから」

「ふふ、ありがとう。でも、今はお客様がいらしてるから、先にご挨拶をしましょうか。ほら、おじさんに自分のお名前を言って?」

 

 最後にポンポンと優しく頭を叩くと、玖美奈は相手を立たせて二人揃ってガラスの前まで行き、アロイス達に挨拶をするように言う。

 言われた少年は姉と右手を恋人のように繋ぎながら、素直に言う事を聞いてガラス越しにアロイスらに自分の名前を告げた。

 

「えっと、はじめまして。僕の名前はナギリヤクモです」

「違うでしょう? それは貴方があの模造品を殺したときに名乗れるお名前よ。さ、私が付けてあげた名前で改めてご挨拶して?」

「あ、うん。今の僕の名前は結城 理(ゆうき まこと)です。その、本当はさっきの名前なんだけど僕の偽物が取っちゃったんだ。だから、僕は偽物を倒すまでは本当の名前を名乗れない。けど、姉さんがつけてくれた名前も好きだから今はこれで良い」

 

 ガラスの向こう側で頷いているアロイスに対し、仙道は幾月から何かを聞いて驚いているようだが、湊と同じ顔を持つ少年・結城理は何を驚いているのか分からない。

 しかし、しっかりと挨拶が出来た事で、姉が額にキスを落とし頭を撫でてくれるため、見知らぬ男の反応などすぐに気にならなくなった。

 リラックスした表情で抱きしめられた理に、玖美奈がそんな風に愛を注いでいると、部屋の隅に取りつけられたスピーカーから幾月の声が聞こえてくる。

 

《玖美奈、彼に名前を付けてあげたのかい?》

「ええ、手術はほとんど終えたし、いつまでもイニティウム(始まり)なんて名前では可哀想だわ。模造品(アレ)が“ただそこに在る里”なら、この子は“結いによって作られるお城”のような存在にならないとって思ってね」

《彼はアロイス殿を初めとした様々な人の力を借りて人を超えようとしている。それは確かに“結い”という制度を用いた城造りのようなものだね。では、理というのは?》

「私たちと同じ新たな世界、“新たな(ことわり)”で生きる。さらに、居場所を奪った模造品(アレ)を殺して無事に“(まこと)”の存在となることも祈って、結城理と名付けたわ。この子も気に入っているから、彼が再び八雲という名前を取り戻すまではそう呼んであげて」

 

 名前の由来を聞いて納得したように頷く幾月とアロイス。

 しかし、仙道だけは何やら理を値踏みするようにジッと見つめているので、玖美奈はその視線を遮るように理を抱きしめ、そのまま口づけを交わした。

 理は急な姉の行動にわずかに驚き、目を大きく開いたがすぐに瞳を閉じて相手の身体を抱きしめ返す。

 ガラスの向こうにはまだ大人たちがいるが、そんな物は関係ないとばかりに、熱い吐息を漏らしながら深い口付けで二人は互いを愛し存在を確かめ続けた。

 

《ホッホッホ、ミスターマコト。その後の身体の調子はどうですか? 流石に前回の毒への免疫を手に入れるのには苦労したと思いますが》

「……ええ、かなり調子は良いと思います。それなりに身体は痛みましたが、僕はアイツと違ってそう簡単には死にませんから」

 

 自分たちだけの世界に入っていた二人にアロイスが声をかけると、理は唇を離したときにかかった銀色の橋を舌で舐め取り、少々冷たい声色で返した。

 まだ名残惜しいとばかりに、玖美奈は頬を上気させ潤んだ瞳で理を見つめており。理自身も姉との時間を邪魔されたと相手を殺したいと感じている。

 だが、いまの自分の身体はガラス越しに立っている男がいなければ完成しなかった。飛騨データに残された項目はまだ幾つか残っているため、今後もしばらくは男の力を借りなければならない。

 故に、腰に付けているホルスターに伸びかけた手を途中で止めると、理は姉をお姫様抱っこの状態で抱き上げ、奥にある部屋へと進み始めた。

 その去っていく背中に向かって幾月が声をかける。

 

《結城君、また明日から訓練を再開するから、君もそのつもりでいてくれ》

「了解です。じゃあ、僕たちはもう休みます。幾月さん、そして、お二人もお疲れ様でした。これで失礼します」

《ええ、また会いましょう。ミスター》

 

 アロイスの言葉を聞き終わるとガラスは再び鏡状態へと戻った。その向こうに離れていく気配を感じながら、理は部屋の灯りを消すと、ベッドルームに入って行ったのだった。

 

***

 

 部屋を出て廊下を進み続ける幾月とアロイスの一団。その中で仙道だけが、険しい表情で周囲に威圧感を放っていた。

 ボディガードの黒服たちは銃を使ったところで仙道に勝ち目がないため、相手に絡まれぬようアロイスを咄嗟に守れるギリギリの距離で離れている。

 そして、そんな相手の様子が気になった幾月は、歩きながら振り返り声をかけた。

 

「難しい顔をしていますが、どうかされましたか?」

「うむ、先ほどの小僧の名だが“ナギリ”と言っていたな。わしの知る限り、裏に通じておるナギリなどただ一つしか無い。もしや、小僧はその生き残りか?」

「はて? 生き残り、とはどういう意味でしょうか?」

 

 話しをすることで表情の険しさが幾らか薄れ、周囲に放っていた威圧感も消えた事で幾月も自然に言葉を返す。

 幾月自身は理の本名であるナギリには、さして興味を示していなかったため、それほど調べていない。

 こうして、ナギリという存在を知っている者にもほとんど会った事がなく。今日まで事情を知らずに過ごしてきた訳だが、知っている者がいるなら聞いて損はない。

 そう考えて尋ね返すと、少ししてから仙道はゆっくりと話し始めた。

 

「関わっているのならお主も知っているだろうが、ナギリとは名を切る者という意味だ。つまり、一族や組織の殲滅を専門とした今でいうアサシンの一族という事になる。だが、ナギリは数多ある殺し専門の一族の中でも特殊でな。量より質を究めるために、一族と言いながらも子は殆どこさえなんだ」

「アサシンならば外から優秀な人間を引っ張ってくればいいだろう。何も珍しくあるまい」

 

 アロイスの言っていることは間違っていない。血で一族という者たちもいるが、一族という体裁だけ整え中身は外から招き入れた者たちの集団ということも珍しくはない。

 量より質というなら、むしろ、そういった手法で一族を形成していた可能性の方が高く。子どもの有無はさして重要には思えない。

 しかし、それを言ってきたアロイスに仙道は呆れたような表情で返した。

 

「戯け。そんな無法者の集団が、一族として海を越えた向こうまで名を知られる筈がなかろう。確かに罪人だろうと異国の血だろうと構わずに招き入れていたと聞くが、ナギリの血筋は続いている。もっとも、それは子を為すというより、完全なるモノを作るための交配を繰り返したと言った方が正しいがな」

「完全なるモノ? それに海を越えた向こうまで名を知られていた?」

「ああ。裏で仕事をしていれば少し年老いた者らから日本のナギリの噂は耳にする。どこまでが本当かは分からんが、武器も持たずに首を刎ねる鬼がいたとな。また、その鬼は自らの腕が飛ぼうが、傷からハラワタが飛び出そうが構わず戦い続けたとも聞く。それが本当ならば、殺しに慣れた者でも怖気が走るだろうさ」

 

 その言葉を聞いて幾月の頭を過ぎったのは、あのエルゴ研の惨劇の様子だった。

 自身は別棟にいたため免れたが、瓦礫の下から出てきた部下や同僚たちの亡骸は四肢を刎ねられ、身体を分断され、心臓を穿たれ、皆が凄惨たる殺され方をしていた。

 殺した張本人は全身に血を浴びて、ただ殺す機械のように殺戮を繰り返した。幼い時点で飛騨データの改造に耐えきった耐久力を見せているため、同じ一族で成人となった者ならばさらに敵の攻撃に耐えて死を撒き散らすことが出来たのだろう。

 しかし、まさか、海の向こうにまで名が知られるほど有名な殺しの一族だったとは知らず、改めて敵としての湊の強大さに、幾月は他の者から見えない角度で苦虫を噛み潰したような表情を密かに見せた。

 

「して、ナギリの鬼だが、実は数代前に時代に合わせて廃業しておる。というのも、鬼は龍を守るための一族であり、その龍が好きに生きよと命じたからだそうだ。故に、鬼は現代に解け込み人へと戻って行ったそうなんだが、末裔が数年前に事故で死んだため、完全に途絶えたらしい」

「そんな末裔が死んだことまで噂になるんですか?」

「いや、ナギリの鬼は有名だが、流石に末裔までは話にのぼらん。だが、中には熱狂的なファンやら心酔するような輩もいてな。ナギリが完全に途絶えたと知り、首を吊った者もおるくらいだ。まぁ、わしの話もその者たちから聞いたんだが、まさか生き残りがいるとは思わなんだ」

 

 途端、肉食獣が如き獰猛な笑みを口元に作り、仙道は壁に向かって拳を放った。

 身体を横に向けたまま震脚で床を踏み鳴らし、腰に溜めた拳を真っ直ぐに打ち抜く冲捶(ちゅうすい)の一撃。

 常人ならば殴って返って来た威力で骨折してしまうほど硬い金属製の壁にも拘わらず、仙道はくっきりと壁に拳をめり込ませていた。

 そんな馬鹿げた威力と拳の強度を持った男に、周囲の者らが唖然としていると、当の本人は壁にめり込んだ拳を抜きながら高らかに哂う。

 

「フハハハハッ! 愉快だ、実に愉快だ! 今日ここで拳を交えることが出来ぬのは残念だが、鬼の末裔が生きていたのであれば、また因果により戦場で相見えるだろう。幾月殿、あの小僧に修練を積ませておけ! 如何に鬼と言えど、鍛えねばただの人だからな! フーハッハッ!」

 

 笑いながら進んでいく仙道の後を追いかけるように、アロイス達は幾月の研究所を後にした。

 強者との心が震えるような死合、それこそがこの男の求めるただ一つの物。

 己を楽しませてくれるのならば、自ら鍛えて達人の域まで引き上げてもやっても良い。それほどの気持ちで、仙道は完全な状態の理との戦いを望んでいた。

 かつては、戦いの最中に絶頂に達してしまいそうになるほど、心が震える戦いを自身と繰り広げる者がいたが、その同門だった男は自分との戦いで片目を負傷してしまう。

 以降も、男は中東へ渡って壊し屋として名を馳せていたが、隻眼となる前の強さを知っている仙道にとっては、いっそ殺して楽にしてやりたいと思うほどの弱さであり。現在の居場所を知っていてもまるで会う気にならないほど興味を失っている。

 仙道が強者との戦いを望むのは、その己と研鑽し合っていた男との戦いが忘れられないからであり、ようやく相手として相応しい者が現れたことで歓喜に心が震えるのを感じたのだった。

 

***

 

 来客たちが帰り、研究所の中が静まりかえった頃、研究所の中にあるベッドルームには玖美奈に寄り添われベッドに入っている理の姿があった。

 ベッドの脇には衣服が脱ぎ散らかされており、毛布をはぎ取れば二人の一糸纏わぬ姿が拝めるだろう。

 だが、頭の後ろで腕を組んで真っ暗な中空を見つめている理と違い、玖美奈は理の肩に頭を乗せるように既に寝入っている。それ故、この二人が情事に耽っていたのかは、本人たちにしか分からない。

 

(……桐条の方でもアイツが再び姿を現したことを確認したって言ってたな。本当なら僕が姉さんと同じ学校に行くはずだったのに)

 

 理の中に渦巻く感情は憎悪と憤怒。過去の自分を知る者から見たという意味で、自分が本来いるべき場所を奪い、再び己の邪魔をするかのように姿を現した“有里湊”という存在がとにかく疎ましかった。

 相手が現れなければ、自分も姉と同じ月光館学園に通い、奪われた場所を徐々に取り戻すことが出来るはずだった。

 桐条武治は湊に恐れを抱いているため、遺伝子レベルで同一である自分に対しても警戒するだろうが、その娘の桐条美鶴が相手ならば違う。

 影時間に対する適性数値を見せられ、幾月の言葉を簡単に信じて今も健気にコンタクトを取ろうとしているのだ。何を思って湊が接触を拒んでいるのかは分からないが、自分ならば話を聞いて徐々に信頼関係を築き仲間になることも出来た。

 そうなれば、桐条もここ数年で湊にも変化が起こって丸くなったのだろうと、勝手に警戒を解いてかつてのように接してきたかもしれない。

 

(それなのに、アイツはまた僕から居場所を奪った)

 

 時はもう戻らない。理が姉と一緒に考えたプランは全て潰えた。

 話によれば、湊は岳羽詠一朗の娘であるゆかりとも交流を持っていると聞く。そのこともまた、理には耐えがたい怒りを感じさせる。

 

(おじさんがゆかりちゃんを任せたのは僕だ。仲良くしてやって欲しい、僕みたいな強い人間が守ってくれたら安心だって、おじさんが言ったんだ)

 

 世界で初めて自らの力のみでペルソナに目覚めた少年・ナギリヤクモ。

 だが、ムーンライトブリッジでの事故から目覚めぬ少年に業を煮やし、その血と細胞から一人の少年が生み出された。

 投薬で成長を促進させオリジナルと同じ年の頃になってから、密かにエルゴ研にいたオリジナルと入れ替え、オリジナルは桐条の金を一部横領して建てたこの研究所へと移される。

 幾月が立てていた当初の計画では、第二・第三の人工ペルソナ使いを生み出し研究を続けながら、オリジナルが目覚めるのを待ち。目覚めた後は事情を説明して自身の研究に協力させ、滞っていた研究が爆発的に進み、功績からエルゴ研の主任に納まるはずだった。

 そう、そこまで計画を立てていたというのに、先に目覚めた者はどういう訳かオリジナルの記憶を引き継いでいた。

 その点に関して、人の思い出などは脳だけでなく細胞一つ一つに記憶されているという、“細胞記憶”という仮説もあるため、元となった細胞から情報を取り出しクローンの脳へ自己の記憶として蓄えられたという可能性が一つ。

 また、クローンの安定化のために生まれた後にオリジナルの血液を輸血した事で、臓器移植をした者が臓器の元の持ち主の記憶を一部引き継ぐ現象である“記憶転移”が起こったのかもしれないと、幾月は両方の可能性を玖美奈と理に話した。

 さらに、デスが理ではなく湊に内包されている事に関しては、

 

(アイギスは僕を死なせないようにデスを封印したから、まだ不完全な技術で生まれたクローンを死なせまいと、生物として弱いアイツに移動してしまったのではと幾月さんは推測していた。確かに可能性としてはそれが一番高いだろう)

 

 つまり、アイギスの籠めた“八雲を死なせない”という想いが、クローンにも働いたのではと幾月は話している。

 デスがそのまま自分の中にいれば、幾月や姉の助けになれた。

 しかし、目覚めたときにデスを内包していたのは湊だったため、それもまた理が湊を恨む理由となっていたのだった。

 理は組んでいた腕を解くと、左腕で姉の肩を抱きよせ、右手で枕元に置かれた召喚器を手に取りこめかみに当てる。

 そして、慣れた仕草で引き金を引き、どこかアイギスを彷彿とさせる金色の髪に赤い身体の吟遊詩人を呼び出した。

 デスを宿した恩恵か、オルフェウスは新たな力を手に入れていた。そのスキルの名は“勝利の雄叫び”。

 完全に死んだ状態からの蘇生は出来ないが、かなりの重傷だろうと、理は凄まじい速度で治癒する事が出来る。

 治癒速度で勝る理、心臓を破壊されようと蘇生する湊、己の存在を賭けて相見えるときを想い、理は自身のペルソナに声をかける。

 

「……僕は自分の存在を取り戻す。だから、力を貸してくれオルフェウス」

《…………》

 

 理の言葉にオルフェウスは静かに頷いた。

 

 


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