放課後――月光館学園
本日は高等部二年の進路面談日。どのクラスも担任が別々の場所で自分のクラスの生徒と面談を行なっていた。
七歌たちのクラスは鳥海が移動を面倒くさがった事で、職員室の応対スペースで行なっていた。
だが、他の担任教師たちはほとんどが自分の受け持つ教室を利用している。
もっとも、高等部の教師の中では新人に入る佐久間文子は、不慣れ故に資料が必要だと言って進路指導室を事前に確保してそこで面談を行なっていた。
進路指導室を確保した本当の理由は、単純に教室よりも狭いのに高性能なエアコン設備があるため、雪が降るほど寒くても寒さの影響を受けないからだったりする。
一部の者はそんな彼女の思考を読んで呆れたりもしているが、彼女は途中で担任を降ろされた江古田に代わってしっかりと担任としての勤めを果たしていた。
生徒たちの成績と教科ごとの得手不得手を事前に把握し、さらにアンケートで本人の進路希望を聞いて、自宅から通うパターンと遠方で下宿して通うパターンで経済負担の少なく済む進学先をいくつか事前にピックアップしてから面談を行なうようにしている。
生徒たちも大まかにどういった分野に進むかは決めていたりするが、それを学ぶためにはどの学科のどのコースを選べば良いかまでは分かっていない事が多い。
パンフレットや資料は学校もある程度揃えているものの、具体的にこの職業についてこんな事をしたいと思っている者の中には、学科の名称やら資格について勘違いしている者もいる。
オープンキャンパスや学校見学に行けばそういった疑問が解消したりもするだろうが、今日、ここで面談を受けた生徒たちはまだ数名しかそういったイベントに参加していなかった。
参加していない生徒にすれば佐久間の選んでくれた資料はとても参考になったようで、チドリやラビリスも彼女に礼を言って資料を持ち帰って面談を終えていった。
「んー……はぁ」
佐久間のクラスは学年全体で見れば最も総合成績が優れており、その分、優秀な生徒の進学先には気を遣う。
チドリやラビリスのように何やら訳ありな生徒だろうと、佐久間は本人たちの学業成績と本人の希望進路からオススメ出来るものを選んだつもりだった。
結果、本人たちにも今回の進路面談は有意義なものだと思って貰えたようで、少しは頑張った甲斐があったと佐久間も身体を伸ばして充足感を得る。
チドリは美大希望、ラビリスは教育大希望、風花は悩みながらも理系大学、美紀はぼんやりと文系大学希望、このように彼女が受け持った中で特に関係の深かったメンバーは希望がばらけている。
一応、ラビリスは教育大でも文系寄りの内容を学んでいくつもりのようなので、学部などを除けば美紀と被っている部分もあるだろう。
しかし、改めてこうやって生徒と進路について話をすると、あと一年ほどで彼女たちともお別れかと佐久間も少々寂しさを覚えた。
中等部で部活の顧問になってから色々なイベントを経て、彼女たちとの仲も深まったと思っている。
それが正しい教師と生徒の距離感かという問題を別にすれば、学生時代は常に仮面を被って人と接してきた彼女にとって、教師として働き始めて深く関わった者たちは素の自分で接して初めて得た友人なのだ。
完全に関係が切れる訳ではないと言っても、これから徐々に社会に出て行く彼女たちにすれば、中学・高校時代の教師は同窓会で数年に一度会う程度の関係に落ち着くだろう。
大人になった彼女たちとお酒を飲むというシチュエーションに憧れたりもするが、それでも相手に忘れられていくようで少し寂しい。
最後の一人との面談の前に佐久間がそうやって落ち込んでいれば、扉の方からノックの音が聞こえて沈んでいた気持ちが浮かび上がってきた。
「はーい、どうぞー!」
気持ちが浮かび上がってきた佐久間は笑顔で元気よく入室の許可を出す。
本来は名簿順に行なうはずだった面談の順番をわざわざいじり、最後にしたのは少しでも彼としっかり話をするためだ。
突然の別れを知った時には涙を流し、彼の死に対する哀しみ以外の感情を失い。
機械のように事務的に教師としての仕事を行なっていた時期もあったが、どういう訳か彼は生き返って再びこの地に戻ってきてくれた。
あれから何度も言葉を交わしたりもしたが、こうやって二人きりで話すのは本当に久しぶりである。
最近は彼の方も何かと忙しそうにしていたので、一体何をしているのだろうかと気になったりもしたが、ここ数日で雰囲気が柔らかくなっていたため、どうやら抱えていた問題の方は解決したらしい。
扉が開いて入って来た青年、有里湊はそのまま佐久間の正面にやってくると、佐久間が声をかける前に勝手に席についた。
これが面接なら減点だぞと苦笑しつつ佐久間はやってきた湊に声をかける。
「遅くなってゴメンね。他の人の方が色々と話が立て込むと思ったから有里君を最後に回しちゃったんだ」
「……立て込むと分かっているなら、早く終わる方を優先したら良いだろうに」
「んー、それも思ったんだけどね。でも、今日がメインの面談日だから、ずれ込んだ時を考えると短く済みそうな人たちを残した方が予定組みやすかったんだ」
こんな時間まで待たされた湊は不満そうにしているが、別に怒っている訳ではないので謝罪する佐久間の表情も笑っている。
他のクラスだと面談は数日に分ける前提で組んでるようで、湊のいう事も分かるのだが、佐久間は事前に準備をしっかりしておいた事で全員分を初日で消化できる予定だった。
なので、仮に後日になるとしても、昼休みなど短時間で終わる者の後回ししておいた方が楽なこともあり、一番難しいようで短時間で済みそうな湊が最後に回されるのはある意味当然の結果と言えた。
佐久間がそういった理由を説明すれば湊も一応の納得を見せ、早速ここへ来た用事を済ませようとばかりに足を組んで座り直す。
教師を前にして、しかも進路について話をするというのにその態度はない。
けれど、別に面接や説教のために彼を呼んだ訳ではない佐久間は、相手の態度を一切気にせずファイルからプリントを取り出すと相手に見えるように机の上に置いた。
それは事前にクラスの生徒に書かせていた進路希望のアンケートだ。
進学、就職、その他の中から一つを選び、さらに希望の進学先や就きたい職業などを書くようになっている。
その他に関しては、進学と就職で悩んでいる場合に丸をするように書いておいたので、生徒の何名かがそれを選んでも不思議ではなかった。
ただ、他の生徒たちはその他に丸をした上で、進学ならばどういった学校に、就職するとすれば経済的な理由が大きいなど、悩んでいる理由をしっかりと書いてくれていた。
だというのに、目の前にいる青年の提出したアンケートは、その他に丸をしただけで悩んでいる理由が書かれていない。
代わりに書かれていたのが“今年で学校を辞めて旅に出る”という言葉で、これを職員室で読んだ佐久間は思わず飲んでいたジュースを噴き出しそうになった。
いつから君はスナフキンになったのか。そう思った佐久間は少しばかりプレッシャーをかけて、目だけ笑っていない笑顔で相手に声をかける。
「で、有里君。これはどこまでが本気なのかな?」
「……全部だ。元々、夏前に学校は辞めたつもりだったんだが、桜さんがそれを止めたから少し復帰しただけだ」
「別に学校辞める必要なくない? そりゃ、今すぐに旅に出たいんだって言うなら多少理解出来るけど、そういう訳じゃないみたいだしさぁ」
湊が本気で旅に出たいのなら、彼は“ちょっと世界を旅してくる”とメモを残して勝手に旅に出るタイプだ。
仮に準備があるのだとしても、数ヶ月も日本で過しているなら急いでる感じはしないので、衝動的に旅に出ようとしている線は消える。
では、彼はどんな目的を持って旅に出ようとしていると言うのか。
目的を探るように佐久間が相手を見つめていれば、湊は指を鳴らして自分の前にコーラを、佐久間の前にホットのココアが入ったペットボトルを出現させてみせた。
手品なのか知らないがモテそうな特技を持っているなと思いつつ、佐久間は貰ったココアの蓋を開けて一口飲んでから再び彼に話しかける。
「ふぅ……で、さっきも言ったけど旅が目的なら学校辞める必要はないと思うの。中等部時代に留学したように、それを学業の一環として認める形で旅をする方法もあるし。海外の大学を受験して色々と見て回る方法もある。この学校が嫌だっていうなら、それは残念だけどしょうがないから籍を他校に移して留学する方法もあるよ?」
湊の目的が旅をすることなのか、目的を達成する手段が旅なのか、ただ学校にいたくないだけなのか、佐久間は質問を続ける事でそれを判断しようとする。
佐久間も昔大勢の人間に囲まれたせいで人との関わり自体に疲れてしまった経験がある。
湊も他人との関わりに積極的なタイプではないため、自分を取り巻く環境をリセットしたくて旅に出ようとする可能性はある。
青年と出会ったことで“一般人”の枠に戻された佐久間と違い。湊は今もまだ一般人の枠から外れ、人に囲まれながら“孤独”に過している。
彼はそれを当たり前のものとして既に諦めていたはずだが、何かちょっとした切っ掛けで今の状況を煩わしく思ってもおかしくはない。
なので、彼の真意はどこにあるのか。佐久間がそれを見抜こうとしていれば、コーラに口をつけた湊が静かに答えた。
「別に何かに困ったりしている訳じゃない。自分を取り巻くこの環境も今では悪くないと思えるようになった」
「じゃあ、どうして急に旅に出るだなんて言い始めたの?」
「……必要な事だからだ。お前は、俺やチドリたちが何かしらの問題を抱えていることに気付いているだろう?」
急に問いかけられた佐久間は少し驚くも、すぐに冷静さを取り戻して相手に頷いて返す。
彼らがどういった問題を抱えているのかは知らないが、湊とチドリだけじゃなくラビリスや七歌たちも恐らく同じ問題に相対していると見ている。
学校やその経営母体である桐条グループも、七歌たちには何かしらの便宜を図っている痕跡があるため、佐久間は真実に近づけないなりに何かが存在することを確信していた。
湊にそれがバレている事には驚いたが、彼は何やら桐条グループをよく思っていないようなので、佐久間が気付いている事を報告したりはしないだろう。
ただ、ここでそれを話題に出してきたのなら、何かしらの説明はあるのだろうと思って姿勢を正して聞く体勢に入る。
すると、湊は首を横に振って別に詳しく説明する気はないと示してから、触り程度の説明だけをしてきた。
「真っ当な人生を生きたいなら知る必要はない。けどまぁ、今カルト宗教が騒いでいるだろ。あれが実は事実で、俺が旅をするのはそれ関連が理由だ。チドリたちが今後も平穏に生きていけるように、俺は少し旅先で仕事をしてくる」
「その仕事っていつ終わるの? 皆と一緒に卒業出来ないくらい時間がかかるの?」
「……まぁな」
静かに答えた湊の言葉に、佐久間は彼がどこか遠くへ行って二度と戻ってこない予感を覚える。
とても曖昧な感覚で、どうしてそう思ったのかも分からないのだが、湊は距離がどうこうという問題ではない場所へ行くのではないか。
そう思ってしまったことで、彼女は慌てて彼の腕を掴んで彼がまだここにいる実感を得ようとする。
「有里君、どこに行くの? それって私でも行ける場所? 仕事って何か手伝える事はないの?」
「ないな。行く場所も一般人じゃ辿り着けない場所だ」
「……また、死ぬ気じゃないよね?」
湊の言う一般人じゃ辿り着けない場所。そこはもしかしてあの世ではないのか。
そんな風に思ってしまった佐久間が不安げに瞳を揺らして尋ねれば、湊は穏やかな表情で笑っていた。
「……ちゃんと考えて決めたんだ。ずっと、悩んで悩み続けて、それでも答えが分からなくて、諦めようとした時にようやく答えに辿り着いた。だから、これは義務感や自己犠牲なんかじゃない。俺がそうしたくてする我が儘だ」
「でも、有里君が死ぬ必要なんてっ」
佐久間もニュースでやっていたのでカルト宗教がどんな事を言っていたかは知っている。
曰く、ニュクスという存在が降臨し、世界はもうすぐ滅びるのだとか。
湊がここで冗談を言うとは思えないので、それらの真相がどういった形なのかは不明だが、世界に何かしらの危機が迫っているのは確かなのだろう。
ただの学生ではないと思っていたが、目の前にいる青年はそれを止める手段を持っているという。
ただし、その結果彼自身が死んでしまうのでは、世界の危機を止めても彼には何の得もない。
佐久間はそんな風に考えるも、彼にとっては全く違うようで、冷静さを失っている佐久間を落ち着かせるように静かに言葉を続けた。
「俺一人が生き残るか、俺だけ死ぬかの二択なんだ。幸いな事に選択権は俺にある。おかげで俺は納得して選ぶことが出来る。チドリたちだけじゃないんだ。俺はお前や櫛名田、羽入や宇津木や渡邊たちだって死なせたくない。全員が俺を人でいさせてくれた大切な者たちなんだ」
「そんなのって……」
チドリたちだけじゃなく、自分たちのためでもあると言われ、彼に何もしてやれていないと思っていたのに、彼は傍にいてくれた事がありがたかったと感謝すらしていた。
既に心を決めている彼に、これでは何を言っても意味がないと悟った佐久間は俯いてしばし黙る。
世界に何が起きているか分かれば違うのだろうが、湊が決意を固めているとなると今更慌ててももう遅いのだろう。
では、それとは別に自分が彼にしてやれることはないのか。
佐久間がしばらく黙って考え込むと、彼女は突然顔を上げて目の据わった状態で相手に話しかけた。
「ねぇ、有里君。貴方がいた証はちゃんと残したの?」
「俺がいた痕跡は出来るだけ消して旅立つ予定だ。だから、子どもは作らないぞ」
「……ケチ。じゃあ、その前段階だけしてよ。お別れの前に、思い出くらい作らせて」
「ただの疵にしかならないだろうに物好きだな」
佐久間は湊が生きていた証として、子どもを作ろうと考えたようだが、湊は出来る限り自分がいた痕跡を消してから旅立つつもりだったので、ソフィアたちからの頼みも断って避妊していた。
しかし、そこさえしっかりしていれば構わないと考えを改めたのか、佐久間の頼みを彼は断らなかった。
誘った佐久間自身断られなかった事を意外に思いつつも、そういう事なら今日の仕事をすぐに終わらせてくると言って荷物をまとめると部屋を出て行って職員室に向かって走り去っていった。
普段から仕事を残していない彼女は、細々とした用事を済ませればほとんど定時上がりでいけるようで、少しすると戻ってきて一緒に帰ろうと彼を誘って学校を出た。
教師と生徒がそういった関係になれば大問題だが、EP社の敷地内で起きた事など外の人間に分かるはずもない。
そうして、自分の仕事場へと佐久間を連れて行った湊は、そこで食事や入浴を済ましつつ、夜から明け方にかけて長い時間を共に過した。