1月29日(金)
夜――巌戸台分寮
今日もあと数時間で終わる。最後の戦いまで実質残り一日となった。
明日はそれぞれしたい事があるだろうと、影時間の探索も含めて休みになっている。
故に、決戦前に全員が揃って活動するなら今日が最後。
仕上げとして探索に出るのか、作戦を詰めるのか、全員のコンディションを見て決めようと集まれば、湊を除くメンバー全員が七時前には寮に集合していた。
本当なら湊にもミーティングに参加して貰い。彼の経験を基にしたチーム編成のアドバイスを貰いたい。
けれど、彼は彼で無関係の人間たちを出来るだけ巻き込まずに済むよう、無気力症になった者たちの保護や馬鹿な行動を取ろうとするニュクス教の信者らの制圧に動いている。
他の者たちが人間を放り投げたら通報されそうなものだが、湊はこれまでの功績による信頼のおかげで警察からもある程度の自由が許されている。
簡単に言えば、湊が相手を放り投げたのであれば、そうしなければならない理由があったに違いないと勝手に納得してくれるのだ。
もっとも、平等に接するべき警察が何も言わないのは、湊の被害者となった犯人がこんなやつに関わりたくないと訴えたりしない事も理由だったりする。
八十キロ以上ある成人男性を片手で掴んで持ち上げ、そのまま腕力で数メートル投げ飛ばすなどフィクションの世界が現実を侵食しているとしか思えない。
実際にそんな真似をした男を見た狩られる側の者は、刑務所にぶち込まれても良いから化け物から逃がしてくれと懇願するに違いない。
そういった感じで湊が今日も面倒を起こす質の悪い一般市民を狩っている頃、寮に集まった者たちはバラバラに食事を取ったり、グローブの手入れをしたり、ファッション誌を見たりしながら雑談混じりにミーティングらしきものをしていた。
「んー、調整自体は出来てるし、今更怪我をしてもあれなんだよね。誰か何かアイテムが欲しいとかこいつ倒しておきたいって敵がいたりする人いる?」
「オレっちは特にないぜー。強いて言うなら今みたいにノンビリしてたいかなぁ」
「まぁ、そうですね。最近は結構詰めてたんで、僕も皆で話してゆっくりする感じで良いと思います」
他の女子たちと一緒にソファー側の席で雑誌を見ていた七歌が声をかければ、キッチン前のテーブル席側でカップ麺を食べていた順平とココアを飲んでいた天田が自分の意見を言う。
もしここで何か大怪我をするような事があれば、湊に連絡して回復スキルを使った智用を施して貰う事になるだろう。
ただ、回復スキルは便利な魔法ではあるものの、いくらツクヨミの回復スキルが強力だと言っても、怪我で失った血液を完全に元通りするような効果はない。
七歌本人もせっかく今まで頑張ってきたのにここで怪我するのも馬鹿らしいと思っていたため、順平と天田がノンビリと仲間との時間を過したいと言えば、それも良いかなと肯定的な立場で聞きつつ他の意見はないかとゆかりや美鶴に視線を向けていく。
「私も別にこのまま雑談で良いと思うよ。下手に動き回ってストレガと遭遇ってなっても嫌だし」
「そうだな。ストレガとの決着はつけるつもりだが、我々の最終目標はニュクスだ。今日や明日にストレガたちと戦って拘束出来ても、負傷してニュクスと戦えないという事態は避けたい。当日ならストレガたちもある程度はニュクスの降臨に意識を割いてしまうはず。そこを突いてこちらは足止め斑とニュクス討伐斑に分かれて挑むとしよう」
本来ならば全員でニュクスに挑みたいところだが、ストレガたちがいる以上何の妨害もなく辿り着くことは出来ないだろう。
七歌たちも事前に現タルタロスの頂上には到達しており、そこまでのルートと出てくるシャドウの研究は出来ている。
綾時からの情報によれば当日はさらに階層が増えるとの事で、ストレガたちが待ち構えているとすれば、恐らくはその追加された階層になると思われる。
敵側に予備戦力はなく、あっても幾月が研究で作っていたキメラシャドウくらい。
キメラシャドウも戦力としては非常に強力だが、今の七歌たちであれば倒せない程ではない。
敵側の最大戦力だと思われる理と玖美奈も、単独では湊に勝てないと分かっているはずなので、湊自身もあの二人をタルタロスから引き剥がすと言っていた以上、七歌たちが戦う可能性はかなり低いのだろう。
よって、七歌たちが相手をするのはストレガに幾月を加えた計六人と、準備していれば出てくるであろうキメラシャドウのみとなる。
新造フロアがどれほどの広さかは不明で、それによってはスミレのテュポーンを相手するのに苦戦しそうなものだが、何も分かっていない状態で不意打ちを喰らうよりはマシだ。
狭いフロアをテュポーンで塞いでくるならば、そこは全員のスキルを放つゴリ押しでいけばいい。
それ以外ならそれぞれが決着を望む相手に当たるよう配慮しつつも、ニュクスへの挑戦を優先してチームを分けていく。
その事は全員に話してあるので、この場にいる者たちは改めて自分が誰々を押さえるなどと言ったりはせず、雑談がてら決戦への意気込みなどを語る。
「長かった戦いもこれで終わりと思うと、僅かながら惜しさがあるな」
「なんだ、アキ。まだ昔みてぇに強さを求めてんのか?」
「そりゃ、強いに超したことはない。だが、そうだな。昔と今じゃ求めている強さの質は違うように思う」
順平らと一緒にキッチン前のテーブル席にいた真田と荒垣が言葉を交わせば、他の者たちも二人に視線を向けて会話に耳を傾ける。
真田が強さを求めるようになったのは、九年前に起きた孤児院の火事で妹である美紀を失いかけた事が原因だ。
危険だからと周りの大人たちに止められ、自分を掴む大人たちの手を振り払うことも出来ず、燃え朽ちていく建物を泣きながら見ている事しか出来なかった。
結果的に妹は助かったが、あの時に味わった無力感と悔しさは少年の中に傷として残り、妹の恩人に誓った通り強さを求め鍛え続けた。
いくら恩人だと言っても顔も曖昧で名前だって知らない相手だ。そんな者に対して小学生が自分で勝手に誓った事を守り続けるのは難しい。
だが、真田はその誓いを破らぬよう己を鍛え続けて、中学生の時点で学生ボクシングのチャンピオンになった。
「美鶴に誘われた時点で全国大会で優勝するだけの力はあった。けど、俺が求めている強さはそうじゃなかった。妹を助けてくれた相手はもっと超常的な、己の力で何もかもを捻伏せるような不思議な存在感があったんだ」
「実際、あんの時の有里は魔眼の力を使ってたんだろ。腕を数回振って炎が消し飛んでたからな」
「だろうな。でも、力があるだけで出来る事じゃない。俺は強さを求めた結果、簡単に手に入る身体的な強さに固執してしまった。けど、本当に手に入れるべきは精神的な強さだったんだ。それが分かったおかげで俺は本当の強さを求められるようになれたと思ってる」
大切な者を守るために身体的な強さは当然必要だ。ただ、そればかりを求めても真田が本当に欲しかった強さは手に入らなかった。
ペルソナという心の力を手にした事で、如何に精神的な強さが重要なものだったか今なら分かる。
それはペルソナ自体の強さに影響するだけでなく、仮に身体的な強さで劣っていようと状況を覆すための切り札になり得るものだ。
ニュクスとの戦いで勝つ可能性は絶望的だと綾時と湊から言われている。
それでも、全員が諦めずにこうやって戦おうとしているのは、真田が求めた精神的な強さを皆がこれまでの戦いと経験を通じて得ているからだろう。
真田はまだまだ自身の強さに満足していないが、それでも自分が手に入れるべき強さの種類を今後間違えるつもりはない。
楽しいことばかりではなかったが、大切な事を教えてくれた影時間にある意味感謝している真田は、自分がこんな風に感傷的になる一面を持っていた事に苦笑しつつ話題を変える。
「さて、俺の事ばかり話してもあれだからな。少し話題を変えよう。ニュクスを倒して影時間が消えれば一時的に記憶を失うようだが、お前たちは卒業する俺たちにどんな卒業祝いをくれるつもりなんだ?」
少しだけしんみりしてしまった雰囲気を変えるように、真田はどこか不敵な笑みを浮かべて後輩たちを見る。
影時間に関する記憶を失っている間、影時間に絆を育んできた三年生たちとの距離も変わる可能性が高い。
となると、記憶を失っている間は単に同じ寮で過していた先輩後輩という薄い関係性での別れしか考えないと思われる。
思い出せば当然派手に送りだそうとするだろうが、記憶を取り戻す時期によっては、送別会の準備期間が足りないという事態も起こり得る。
送り出される三年生は基本的に卒業式の日の約束だけを考えておけばいいため、お前たちは大変だなと真田が後輩たちを煽れば、数瞬だけ気まずそうな顔をした二年生たちはアイコンタクトを交わし、七歌と順平が中心になって正規ルートのプランAからプランBに変更する作戦に出た。
「卒業ですからね。やっぱ、最後に先輩たちの格好良い姿を見てお別れって感じが良いよね」
「だな。まぁ、人数が多い上に有里っていう馬鹿みたいに食うやつもいるけど、食べ放題の店なら大丈夫だろ」
「そうだね。送る側なのにご馳走になるのは少し心苦しいけど、人間社会では先達が下の者たちに粋な姿を見せるのが通例らしいからね。僕も楽しみだよ」
七歌が流れを作れば、すぐに順平と綾時が既にプランは決まっているとばかりに話を進め、送別会では三年生が後輩たちにご馳走する食事会をする予定だとカウンターを決める。
今まで楽しそうに話をしていた三年生たちは、三人の会話に初めて聞いたぞと目を大きく開いて驚いた顔になる。
幼馴染みが煽ったせいで流れ弾を喰らう事になった荒垣は、三人で割り勘しても結構な額になるぞと内心で冷や汗を掻きながら後輩たちを問い詰めた。
「ちょっと待て。どうして、俺らがお前らに奢る話になってんだ」
「え、卒業していく先輩から後輩たちへの餞別ですよね?」
「ですよねじゃねぇ。そんな話欠片も聞いてねえぞ。つか、明らかに先輩と後輩で人数違い過ぎるだろ。そういうのは卒業生各々で後輩一人分を負担する程度の規模でやるもんだ」
三年生が三人なのに対し、後輩たちは三倍以上いる。
選ぶ食べ放題の種類にもよるが、高校生なら料金は一人二千円から五千円の間になるだろう。
新生活に向けて出費が多くなる時期に、最低一万円弱、下手をすると二万円かかるなど冗談ではない。
最初に煽った真田も焦った顔をしており、後輩たちが冗談で言っているのか本気で言っているのか判断に困っているらしい。
もっとも、経済的に余裕のある美鶴は最初は困惑していたものの、七歌たちの言葉を聞いて確かに先輩から後輩への最後の贈り物という事なら頑張る必要があるなと密かにやる気を見せていた。
美鶴の変化に周りにいた女子たちは気付いているが、誤解は後でも解けるのでここは煽ってきた男たちをさらに焦らせる事を優先しようと話を続ける。
「アイギスとラビリスはどんなもの食べたい?」
「んー、ウチは強いているならサッパリしてる方がええかな。別に焼き肉とかでも気にせんけど」
「わたしはイタリアンでしょうか。美味しいピッツァがあると嬉しいです」
元対シャドウ兵器の姉妹は同じEP社の技術を使って人間になったが、遺伝子ベースとなる人間が異なっているため、味の好みなども当然のように異なっている。
ただ、繊細な味覚を理解出来る舌を持っているので、自分の希望と違ったものになっても美味しければ問題ないと考えていた。
湊が世話をしたアイドルなどはストレスが原因なのか、異常に辛いものを平然と食べたりと軽度の味覚障害を起こしていたが、そうでないなら店を選ぶ側のハードルもある程度下がる。
バラバラのジャンルを挙げた姉妹の話を隣で聞いていたチドリは、それなら最初から何でもある店にした方が楽だろうと提案する。
「……なら、何でもあるホテルのビュッフェとかが良いかしらね」
「あ、ホテルではないけど有里君の会社傘下のレストランで評判良いところあるよ。店の中に店があるっていうかフードコートに近いシステムなんだけどさ。素材をテーブルに持って帰って焼き肉したりお鍋したりする以外に、シェフとか板前さんにステーキとかお寿司を目の前で作って貰えるの」
「そこ聞いたことあります。有名ホテルで働いてたパティシエの方が作ったデザートも食べ放題だとか」
ゆかりや風花は年頃の女子らしくファッション誌や情報雑誌を読むことがある。
そこで特集されていた店の中で、特に評価が高かった事で記憶に残っていたレストランがあったのだが、調べて見るとEP社傘下のお店だった。
知り合いが代表を務める企業の傘下であれば、その内、優待券を貰って行ってみたいなと考えていただけに、行く機会が出来たなら丁度良いとゆかりと風花が目を輝かせる。
どちらかと言えば常識人で皆を止める側だと思っていた風花まで敵に回り、自分たちと同じ立場である美鶴が真面目に店の名前をメモし始めた事で、真田と荒垣が本気でこれはヤバいと冷や汗をかき始める。
すると、今までラビリスたちの足下で伏せて寝ていたコロマルが起き上がって一鳴きした。
「ワン!」
「ん、そうやね。皆、コロマルさんが長鳴神社までお散歩行きたい言うてるけど、皆も一緒に神社までお散歩くる?」
急に起きたコロマルが実家である神社まで仲間と散歩に行きたいと言ったのは偶然ではない。
真田と荒垣の汗の匂いから二人が困っていることを察し、助け船を出しつつ決戦前に仲間たちと神社に行きたいという自身の望みもあってラビリスに頼んだのだ。
そんなコロマルの男気に溢れた行動に欠片も気付いていない真田たちは、しょうがないなと苦笑する演技をしつつコロマルの提案に飛びつく。
「ふむ、いつもコロマルも頑張ってくれているからな。それくらいの願いは仲間として叶えてやろう」
「全員で神社に行くなんて夏祭りと初詣くらいだからな。散歩ついでに必勝祈願にお参りもしとくか」
「あ、じゃあ僕上着取ってきます。流石にこれだと寒いと思うんで」
真田と荒垣が動き始めれば、天田も少しわくわくした表情で上着を取りに部屋に向かった。
他の者たちもなら全員で行こうと使っていた食器や雑誌を片付けるために動き、真冬の夜に相応しい温かい服装に着替えるためそれぞれ部屋に向かう。
元から温かい上着を持って来ていたチドリとラビリスはコロマルと一緒に集まるのを待ち。全員の準備が整えばしっかりと扉を施錠してから長鳴神社を目指して歩き出した。