【完結】PERSONA3 Re;venger   作:清良 要

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第四十三話 前篇 地下交戦-壊し屋-

――ベルベットルーム

 

 時の流れの違う世界に存在する青い部屋。今なお上昇を続けるその場所で、人間に限りなく近い人形の老人が山札から引いたカードを机に広げていた。

 裏の図柄を見せた状態で広げられたカードを順に捲って行く。どうやらタロットで占いをしているようだ。

 

「……ふむ、これは興味深い」

「何か出ましたか?」

 

 呟いた老人にベルボーイの従者が尋ねる。姉たちと違い、彼はタロットの札の名前は言えても占いの方法や、札から結果を読みとる事は出来ない。

 そのため、何がそんなにも興味を引いたのかと思ったのだが、部屋の主人たるイゴールはいつも通り思わせぶりに語るだけだった。

 

「満月が近いため、あの方の血が騒ぐということだろう。フッフッフ、やはり此度のお客人は実に興味深い」

「は、はぁ……」

 

 戸惑いの表情を浮かべるテオドアに対し、不気味に笑うイゴールの視線の先には、逆位置の“戦車”のカードが置かれていた。

 

 

7月19日(火)

午前――喫茶店“フェルメール”

 

 夏休みが目前に迫ったある日、湊は午前中から仕事の内容を聞くためフェルメールに向かっていた。

 基本的に学校のある時間はそちらを優先することにしているが、依頼内容や報酬によっては学校を休んで仕事に向かう事もしばしばある。

 そういった日には、体育をいつも見学していることにより、密かに病弱なのではと思っている部活メンバーや佐久間から体調を気遣うメールが送られてくる。だが、仕事中はプライベート用の携帯はマフラーに仕舞うことにしているため、返信は夜遅くか学校で会った時にしていた。

 そうして、店の前に到着すると周囲に探知をかけて尾行がいないことを確認して中へ入る。

 今日は、事前に依頼内容も報酬も聞いていない特殊なパターンであり、やってきてカウンターに座ると、奥で新聞を読んでいたイリスに声をかけた。

 

「用件は?」

「普通、会ったら挨拶が先だろうが」

 

 新聞から顔を上げ、挨拶も無しに尋ねてきた湊を呆れた様子で諌めると、イリスは紅茶のカップに口をつけてじとっとした視線を送ってきた。

 一見、湊は知的で寡黙な美少年のように見えるが、その内面は佐久間とは違った方向に常識を欠如しており、真面目に相手をすると疲れるというのがゆかりの談である。

 イリスもそういったことは長年の付き合いで理解していて、将来苦労しないで済むようにと普段から常識や良識を教えているのだが、残念ながらそう簡単には行かないようだ。

 

「“おはようございます。イリスおばさん”」

「よーし、手を頭の後ろで組んで背中を向けろ。景気付けに一発殺してやる」

「お、おいおい、爽やかな夏の朝にスプラッタはやめてくれ。前に依頼人をボコボコにしたときだって掃除が大変だったんだぞ」

 

 腰から拳銃を抜いて構えたイリスを見て、湊のコーヒーを用意していた五代が非難の視線を向ける。すると、イリスは銃を仕舞ったが、テーブルの下にある足が床板をタンタンと叩いていることから、年齢のことでからかった相手をまだ許していないらしい。

 けれど、五代が言ったように、イリスと湊は先月ここへやってきた依頼人をボコボコにのしてインテリアを破壊し、さらに床や壁を相手が鼻や口から出した血で汚したばかり。

 相手を痛めつけた理由は、現金か小切手で支払う約束の報酬を売れば大金になる違法薬物で払おうとしたためで、五代も契約違反の上に二人を仕事屋から密売人に落とすような真似を働こうとした相手が悪いとは思っている。

 だが、それで店内で暴れて店に被害を出されてはたまったものではない。二人は仕事だけでなく家事も人並み程度にこなせるが、仕事があるからと片付けは丸投げしていった。

 故に、再び自分が片付ける羽目になるのは御免だと止めたのである。

 銃を収めたことで店内の平和が確保されると、五代は湊にコーヒーとサンドウィッチを渡して話しかけた。

 

「はい、小狼君。それで用事なんだけどね。かなり高額の依頼が協会経由でまわって来たんだ。相手は偶然にも日本にやってきているし。どうかなと思って呼んだんだけど、話しだけでも聞いてみるかい?」

 

 情報屋である五代の言った“協会”とは正式名称“地下協会”という、裏に限らず様々な情報を取り扱い、世界中に支部と組合員を存在させている中立組織のことだ。五代はそこの組合員となっていて、組合仲間とやり取りをして世界中の情報を仕入れている。

 通称は協会やギルドと呼ばれており、主な仕事は大きく分けると三つ。一つは情報屋、一つは仲介屋、そして最後の一つは裏懸賞金の手配だ。

 裏懸賞金はその名の通りに公に出来ない懸賞金のことで、国際指名手配などとは違い一般に公表されることはなく、こちらは二通りの掛け方がある。

 一つは国聯(こくれん)や国など公的な組織からの正式な依頼。これは主にテロリストや狂人が対象になる方法で、世界にとって脅威であると認識され、人類や市民の敵であるとして排除すべきだとみなされた時に為される。

 無論、世界や市民の敵であるため国際指名手配もかかるが、進んで排除しようという者を募るために、この場合は指名手配よりも高額で懸賞金をかけている。

 そしてもう一つは、巨大な組織からの報奨金を預かって付けられるという、達成後に契約する一種の依頼形式である。

 こちらは先払いで地下協会に報奨金が預けられ、撤回するときには違約金として預けていた金がそのまま地下協会にプールされるようになっている。

 だが、どちらも自分たちでは手に負えないので助けてくださいと公表していることになり、そういった意味では組織としての敗北宣言に等しいため、余程のことがない限り掛けられることは先ずない。

 もっとも、その分、大金を手に入れようと不特定多数の人間が対象を殺しにかかるため、普通の依頼よりも確実性だけはあった。

 

「……協会経由の依頼は嫌いだ。死肉にたかるハゲワシこそ殺したくなる」

「あ、あはは、組合員としては耳が痛いよ」

 

 今回の依頼は単に協会が仲介しただけのため、裏懸賞金のときのように獲物を取りに来た他の人間とブッキングする事はほぼない。

 ブッキングしたところで、二人は譲って帰るような性格はしていないが、湊が協会を嫌っている理由は、安全な場所にいながらパイプ役になった程度で金を貰っているからだ。

 協会のおかげで回っている物もあるだろうが、逆に協会があるからこそ簡単に依頼が出回っていることも事実。己を殺されても仕方がないクズと見なしながらも、自分なりの基準で同類を狩っている湊にすれば、戦火を広げる者も同類と見なす事はなにもおかしくはなかった。

 そんなやつらの事を考え、瞳を蒼くしている湊を見て五代が苦笑して表情を引き攣らせていると、席を立ってカウンターまでやってきたイリスが湊の隣に腰を下ろして口を開く。

 

「それなら、海の向こうにある協会本部にペルソナの一撃でも叩きこめ。大都市一つを更地に出来るんなら、たぶん成功するだろうさ。だが、田舎町一つを焦土がやっとならやめときな。報復は世界が相手になるぞ」

「地球上に存在する全ての命と俺個人の命は等価値だ。相手は知らないだろうが、死なば諸共だよ」

「ほんっとに、アンタは可愛くないねぇ。それが事実だってことがさらにムカつくよ」

 

 言いながらイリスは食事中の相手の頭をワシワシと無遠慮に撫でつける。

 しかし、湊は慣れた様子でこぼさずに食事を続けていることから、これが二人とっては珍しくもないコミュニケーションであることが伺えた。

 彼女は苦笑気味に湊を見つめているが、相手が背負わされている運命については既に知っている。

 たった一人の少年の完全な死によって、世界に滅びが訪れる。

 代わりの封印の器が存在すればそれは免れるが、シャドウの王は百や千ではきかぬ人間の精神の融合体であり。そんなものを自身の内に宿して無事で済む方がおかしい。

 本来ならばまるで信じられるような内容ではないが、二人は適性を有していないなりに影時間の存在を違和感として認識できるには至っている。

 そして、ペルソナという物理的干渉力を持った超常の存在を知ってしまえば、桜から聞かされた湊の持つ特別な役割に関してもある程度の理解を示す事が出来た。

 

「ジャン、コイツに話してやれよ。まぁ、多分、受けるだろうがな」

「ああ、ターゲットの名前はアロイス・ボーデヴィッヒ。違法な臓器売買をメインに、医療関係でかなりの稼ぎを持っている人物だよ。業種からも分かる通り、各国の要人が彼に頼ることもあるけど、商品のストックを用意するために人を攫ったり殺したりもしてるからね。依頼人はその被害者遺族ってわけさ」

 

 言いながらカウンターの上に依頼書が置かれると、湊はパンの粉がついた指を手拭きで綺麗にしてから手に取り目を通す。

 ターゲットは名前からしてドイツ系と思われる白人の男一人。近辺警護しているガードは六人で全員が銃火器を装備している。

 だが、殺すのはターゲットのみなので、遠距離から狙撃したって構わない。死体の確認も不要とのことなので、協会経由で事実確認をさせれば問題ないだろう。

 成功報酬は三十万米ドル。対象を殺すために掛かった経費は自己負担だが、戦闘力を有していないターゲット一人を殺すにしてはかなりの高額だと言えた。

 そして、見終わった依頼書を五代に返しながら湊は呟く。

 

「……随分と豪勢だな。警護の人間たちの前職は警官やマフィアだが、どいつも半端者として弾かれたような人間だ」

「そうだね。警護の人間を殺してからだって、君なら簡単にターゲットを狩れるはずさ。まぁ、日本っていう場所がハンデになってしまうけど、他所に持って行かれるよりは良いだろ?」

 

 コーヒーのお代わりを注ぎ、柔らかく笑いながら五代は湊を見つめる。

 日本がハンデと言ったのは、この国が一般人に銃の携帯を許可していないため、街中での銃撃戦などになった場合に騒ぎが大きくなってしまうからだ。

 さらに言うなら、都会ならばそこら中に防犯カメラがつけられているため、それを避けて動くのは困難だという理由も挙げられる。

 影時間ならば両方の条件をクリア出来るが、スキルアップを目的にしている仕事で楽をしてもしょうがない。故に、湊は仕事をあくまで現実の時間内で行うことにしていた。

 

「……おばさん」

「殺すぞ。いつまでも、同じネタを引っ張ってるんじゃない。……んで、アタシは別に構わないよ。地形を把握しないと分からないが、逃走の待ち伏せ型にでもしようか。調査に今日と明日で決行は二日後から五日の内で予定を組む」

「了解。学校は……別に良いか。どうせ後は夏休みに向けての連絡程度しかない」

「ばーか、そっちは真面目に行け。あんまり親に心配かけんな」

「あはは、そうだね。仕事を紹介した僕が桜さんに怒られてしまうし、通えるなら行った方が良い」

 

 注意され頭を小突く様子を見ながら、五代は依頼書に判を押してギルドにメールを送る。

 少年の両親が既に死んでいることは知っているが、二人は桜を湊とチドリの母親として認識している。桜本人は親代わりにもなれていないと言っていても、出産経験もなく自身の母親が幼い頃に亡くなっていることを考えれば立派に親の務めを果たしているだろう。

 そんな努力家で子どもたち二人を真剣に想っている彼女に心配をかけるのはよくない。大人たちから諌められると、湊は溜め息を吐きながら頷いて、朝食代をカウンターに置くとイリスと共に調査のため店を後にした。

 

 

7月21日(木)

午後――横浜

 

 依頼を受けて二日後、湊とイリスはターゲットの居場所と数日中の予定を突き止めていた。

 殺すために設定した日取りは四日間あるが、そのどれもが場所を考えると中々に難易度が高かったため、二人はどうせ難しさが変わらないなら近場にしようと最も近い初日を選んだ。

 決行は深夜になってからなので時間はまだある。

 遠くに観覧車の見える海に近い駐車場に、偽装のナンバープレートを取り付けたシルバーのSLRマクラーレンを停め、二人は食事を取りながら今日の段取りを改めて確認していた。

 

「タピオカってグロくないか? 似た外見でも黒豆は食えるけど、タピオカは何か駄目だわ。生理的に受け付けない。日本だと梅雨とか今ぐらいの季節にたまに溝で見るしな」

「……勝手に買って渡してきたくせに、よくそんな事が言えるな」

「まぁ、来たついでだしな。名物なら試した方が良いだろ? ほら、こっちの点心も食えって」

 

 モバイルパソコンに五代作のマップソフトを立ち上げ、ターゲットの宿泊しているホテルと周辺の地形を確認していた湊に、運転席に座っているイリスが箸で胡麻団子を摘んで口に運んでやる。

 直前に相手が食べ物を両生類の卵に例えていたことで、何を言っているんだと呆れた表情を見せていたにもかかわらず、素直に口を開けて食べさせて貰いながらパソコンのキーを叩き続ける。

 そんな大人びた少年の素直な反応を見て優しげに目を細めつつ、イリスは大量に買って来た点心の一つを箸で摘んで自分の口に放り込んだ。

 

「んあ、あんまり味しないなこれ」

「ポン酢とからしが付いてただろ。そのままでも食べれるけど、好みに合わせて自分でつけろ」

「ああ、そういやあったな。んで、地下駐車場はどうだ? 乱戦になったら他のやつの車が爆発するかもしれないし、逃走経路は最低六個くらい用意しておかないときついぞ」

 

 横から画面を覗き見て尋ねるイリス。すると、湊は人と同じ視点の画像の隣に上から見た見取り図を並べ、それぞれの場所がかなり離れているが経路は六つ以上存在する事を知らせた。

 それを理解すると頷いて返し、イリスは笑顔のまま湊の口元にポン酢をつけた焼売を運び、話を続ける。

 

「これだけあれば各個で逃げられるな。車はアタシが使うけど、アンタは一人で逃げられそうか?」

「……アルファ部隊や特殊空挺部隊に囲まれたら難しいな」

「ばーか、せめて日本の組織で例えろ。つか、何の影響だ、それ? アンタ、外国の部隊とかに興味無かっただろ」

 

 このように軽いノリで話してはいるものの、失敗すれば姿を見られることや警察に捕まることも十分にあり得る。

 イリスは敵を逃走に追い込むだけなので逃げる事は容易いが、湊は待ち伏せして敵を叩くためどうしても逃げ遅れる可能性があるのだ。

 そして、湊の口から外国の特殊部隊の名称が出てきたことに、イリスは軽く驚きを感じながら真面目にやれと頭を小突くと、湊は頭を押さえながら自分が外国の部隊名を言った理由を話した。

 

「チドリが銃を使わせない反動か、最近になってよく銃の出てくる漫画やアニメを見てるんだ。主人公の使ってる銃の現物がみたいとかって言ってくることもある」

 

 湊は呆れたような口ぶりでパソコンを閉じると、イリスがテーブル代わり使っている膝の上に置いたボードから、大量に乗った料理を手にとって食事を始める。

 チドリが一番初めに見ていた作品は何だったか知らないが、最近になって見ていたのは大泥棒の孫の出てくるアニメや、突撃銃で狙撃をする殺し屋のアニメだった。

 相手はアニメを見終わるなり、ワルサーP38やM16を見せて欲しいと言って湊の部屋に入ってきたが、残念ながら刃物は多数揃えてはいても、銃器マニアではないので湊は自分が使う銃以外はほとんど買う事はない。

 そもそも、生産の終わっているワルサーP38は一挺で五万円はするし、突撃銃であるM16も三万円はする。使いもせずコレクションする趣味もないのであれば、仕舞っておくだけのものにそんな金を払うのは馬鹿みたいだと買うことも断った。

 相手はそれで納得して帰るかと思いきや、ならば、S&W M19という銃は持っているかと聞いてきた。これはコンバットマグナムと呼ばれる回転式拳銃であり、大泥棒の孫の相棒が使っている銃である。

 そして、湊もこちらは所持していた。普段はコルトガバメントのグリップをコルトディフェンダーのようにカスタムした銃を使っているが、状況によって使い分けるため回転式拳銃として威力のあるS&W M19とM29の二挺も持っている。

 だが、銃を使わせない事にしているチドリに、持っているからと見せるだけでなく触れさせるのはどうだろうかと悩んだ。

 結局、最後は己の部屋内で見るのであればと弾を抜いてから見せたが、チドリは少し観察すると去って行ったので、単に作品をより深く知るため実物を見てみたかったのだろうと納得する事にした。

 

「あの子が銃をねぇ……ワルサーPPKとかか?」

「007は見てない。チドリがいうには“狼の目(ウルフ・アイ)”は嫌いじゃないけど、軟派なオッサンは趣味じゃないらしい」

(狼の目ってアンバーとか金の瞳のことだよな。コイツ、マジで意味分かってないのか?)

 

 ジェームズ・ボンド役の俳優は必ずしも狼の目と呼ばれる色ではなかった。それなのにチドリが俗称を使って色を指定して言ってきた意味を理解していない湊に、イリスは呆れを通り越して哀れだと感じる。

 そして、そんな遠回し過ぎる物言いで健気なアピールをした幼い少女に、人生の先輩である同性としてエールを送りたい気持ちで胸がいっぱいになった。

 

***

 

 深夜、既に部屋の明かりも消えて、街のほとんどが寝静まっている。

 そんな時間、アロイスはホテルのスイートルームに部屋を取って休んでいた。真下のフロアにいくつかボディガード用に部屋を取り、時間交代で自身の部屋の前も見張らせている。

 だが、最強の護衛である仙道だけは部屋のリビングルームのソファーで休ませている。相手は人であって人ではない。銃弾を至近距離で躱し、戦斧を蹴りで砕き、拳の一撃で心臓を穿つ。

 そんな真似が可能な者など、この島国はおろか大陸にもそうはいない。故に、アロイスは心から安心して睡眠を取っていたのだ。そう――――無粋な侵入者が窓ガラスの割れる音と共に現れるまでは。

 

「ひやぁっ!? な、何事だ!?」

「アロイス、無事か!」

 

 窓ガラスが割れた音でアロイスが飛び起きると同時、寝室のドアを蹴り破って仙道が入ってくる。

 室内に目を凝らすと、割れた窓の近くに帽子とゴーグルで顔を隠した女と思われる体型の侵入者が立っていた。

 右手には自動拳銃、そして、左手にはM67手榴弾(アップル・グレネード)がある。確認した仙道はアロイスに向かって叫びながら駆けていた。

 

「ベッドの脇に隠れろっ!!」

「うぎゃーっ!?」

 

 ピンの抜かれた手榴弾がベッドに向かって投げられる。

 相手はワイヤーを使って窓の外に出て上へと昇って行ったが、爆発までは約四秒。

 入り口からベッドに辿り着くとアロイスをベッドの脇に放り投げ、キングサイズのベッドを蹴りでひっくり返し窓の外に飛ばし、さらに自身の身で上に覆い被さる形でアロイスを守る。

 直後、ベッドが窓から飛び出すかどうかというタイミングで爆炎が広がり炸裂音が聞こえた。

 シーツや毛布が燃えた焦げくさい臭いの中に、燃焼した火薬の臭いも混ざっている。だが、散らばった殺傷能力のある破片は、高級で丈夫なベッドを貫通しなかったようで、二人はどうにか無事だった。

 

「アロイス、貴様、走れるか? 表の人間と共に先に行け。この女、あやつらの装備では相手など無理だ」

 

 素早く身体を起こし、仙道はアロイスを逃がそうとする。しかし、怒りで頭に血が上っている相手は、銃を持った敵が部屋に戻ってきたというのに立ち上がり怒鳴りつけていた。

 

「ど、どこの人間だ! 貴様、私が誰か分かっているのか!」

「危ないねぇ、あんなデカい物を下に落とすなんて死人が出るところだ。んで、オッサン。そりゃ、分かって狙ってるに決まってるだろ。ビールとソーセージでよく肥えたその腹を見間違える訳がない」

 

 言いながら銃を構え女が撃ってきた。咄嗟にアロイスは蹲るが、その前に仙道が踊り出て銃弾から身体を張って雇い主を守った。

 コトン、と小さな音を立てて銃弾が床に落ちる。外した訳でも、貫通した訳でもない。銃弾は確かに仙道のカンフー服の腰の辺りに命中し、そこで止まっていた。

 自身の放った弾丸が床を転がったのを見て、女は忌々しそうに舌を一度鳴らす。

 

「チッ……防弾繊維か、暑い上に重いっていうのに普段から着てるとはね。おい、赤毛。そいつは刃は通すのか?」

 

 効かないと分かりながらも、仙道が自分の方へ来ないように銃で牽制し、窓枠まで下がりながら女は尋ねる。

 腕を顔の前で交差して防御姿勢を取っている仙道は、歯を見せるように獰猛に嗤いながら返した。

 

(たわ)け、敵に己の内を晒すは愚の骨頂ぞ。知りたくば、わしと拳を交えるがよい」

「いやだね。女には手を上げるなって母親に習わなかったかチャイニーズ?」

「フハハハッ! 残念だが、わしは日本人だ。この服はわしの戦装束なだけよ」

「ハンッ、愚の骨頂とか言って口が達者だなぁエセ侍。赤毛の大男でカンフー使いに“戦闘狂い”って言えば、裏界じゃ有名だろうさ。そんな化け物と戦う気はないよ。そこでチビってるオヤジと一緒に死んどきな!」

「くっ!?」

 

 窓から去っていく直前、女は何かのボトルを放り投げ、空中にあったそれを銃で撃ち抜いた。

 容器が割れ中に入っていた液体が散らばると、撃ち抜かれた際に引火した炎を燃え拡がらせる。

 鼻を突く特有の臭い、そして、引火の速度から考えるに、液体の正体はガソリン。先に火を点けて投げるという布で栓をするタイプでなかったのは、初めから撃ち抜くことで引火させられると踏んでいたためだろう。携帯性と安全性を考えるのであれば、しっかりと中身が漏れないよう栓をした方が良いに決まっている。

 初撃が室内でのM67手榴弾の投擲なんて馬鹿げた真似だったので、どこか頭のネジでも吹っ飛んでいるように思っていたが、自分たちをここに居させないため部屋に火を放って逃げる辺りに相手の狡猾さが伺えた。

 このまま部屋に留まれば焼け死んでしまう。そんな目に遭うのは御免だと、仙道はアロイスを走らせ部屋を出ていった。

 そして、ワイヤーで屋上へと昇って行った女、イリス・ダランベールはスイッチが入りっぱなしになっていたインカムに話しかけ、別の場所で待機している相棒と連絡を取る。

 

「聞こえるか、小狼。相手が部屋を出ていった。B地点(ポイント)の仕掛けを作動させて逃げ道を誘導する」

《了解。そっちの動きは把握してる。護衛含め対象の人数は八名、ホテル側が火災に気付いてエレベーターを使用しているから、誘導は上手くいくだろう。地下駐車場で待機を続けるが、敵の動きによっては追跡を開始する》

「OK。だが、報告書に載ってなかったが敵に拙いヤツがいる。赤毛の大男だ。アイツはアンタんのとこの渡瀬以上の壊し屋。ターゲットを殺したら相手をしようとせずに逃げろ」

《……ターゲット接近。通信はまた終了後に》

 

 返事をする前に湊からの通信が切れた。話をしっかりと聞いていたのかどうかも分からない。

 

「……満月か。嫌な予感がするな」

 

 背後に輝く大きな月を見つめると、胸に妙なざわつきを覚えた。

 これが予想以上の敵の出現を目にして気が昂っているというだけなら良い。

 しかし、仮にこれが“味方”に対して抱いた感情だったならば……。

 

「急ぐか」

 

 ワイヤーを巻き終え装備を確認すると、イリスは予定していた逃走経路ではなく、自分たちがターゲットを仕留める場所として選んだ地下駐車場を目指した。

 

***

 

 ホテルから少し歩いた場所にあるホテル駐車場の地下フロア。そこに護衛とともにやってきたアロイスが湊を見るなり叫んだ。

 

「っ!? ミスターマコト!」

 

 地下で待機していた湊が柱の陰から姿を現し、腰につけた銃に手をかけながら歩み寄ると、僅かな驚きを見せアロイスが微笑む。

 護衛たちも向けてきた銃口を下げたことを不思議に思いながらも、相手が無抵抗で居てくれるのならばと考え、左手で車にセットしていた爆弾の遠隔操作スイッチを押した。

 

『ぐあーっ!?』

 

 地下駐車場という閉塞された空間の空気が震える。ごうごうと炎と黒煙が立ち込め、車に乗り込もうとしていた男たちに引火し、生きたまま顔を、身体を焼き焦がしてゆく。

 吹き飛び天井や柱にぶつかり動かなくなった者、車のパイプのようなパーツが腹部を貫きぐったりとしている者など、そんな様子を見つめていた()()()()湊は、火を消そうと床を転がっている背の低い男を視界に捉えると、相手を楽にしてやるため躊躇いなく引き金を引いた。

 

――――タンッ

 

 反響がいつまでも残るような高い音が耳に届く。その数瞬後、転げまわっていた男は、ぴくりとも動かなくなっていた。

 

「……雇い主を庇う素振りも見せない護衛がいるとはな」

 

 車が爆破される直前、他のどの護衛も反応出来ていなかった中でただ一人だけ、距離を取り、柱の陰に身を隠した者がいた。

 二メートル近い体躯の巨漢。しかし、アメリカンフットボールの選手のような分厚い筋肉の鎧で身を固めているようには見えない。

 極限まで絞り込まれ、筋肉によって動きを阻害しないよう考えられた武のための肉体。黒いカンフー服に身を包んだ赤毛の男・仙道弥勒。

 

「フッハッハッハ! あやつは遅かれ早かれ死ぬ定めであった。何せ、ナギリに狙われたのだからな!」

「っ、何か知っているのか?」

「うむ、よい眼だな。鬼に相応しい、殺しの気配を纏っている。わしは仙道弥勒。遠縁の者か知らぬがナギリの末裔よ、名を聞かせて貰おうか!」

 

 三十メートルほどの距離は開いているが、銃を持っている者の前に仙道は堂々と姿を現した。

 相手が何を持って自身の捨てた名を当ててきたのかは分からない。

 だが、自分の名を知っている者を生かしておけば、そこから自分の情報が広まり桔梗組やチドリに危害が及ぶ可能性がある。

 チドリの言った“狼の瞳”を“死の魔眼”へと変貌させ、左手のスイッチをマフラーへ仕舞うと、湊は名乗り返さず刃渡り十八センチのファイティングナイフを銃と共に構えた。

 

***

 

 一言で言えば、仙道の強さは次元が違っていた。

 

「こんな物ではあるまいナギリよ!」

 

 放たれた四つの弾丸を走りながら身体を左右に揺らすだけで回避する。

 距離が詰まったことで、湊は銃をホルスターに仕舞い、逆手で持ったナイフの切りつけを囮に右手で川掌(せんしょう)による突きを放つが、仙道は笑ったまま上体を捻りナイフを避けながら、湊の手の平に冲捶の拳をぶつけ押し返す。

 だが、力負けによって下がる勢いを利用し、頭を下げつつ左肩を入れるように捻って、後ろ足で敵の後頭部を蹴りつけた。

 

「ほほう、ジークンドーも使えるのか!」

 

 しかし、今度も仙道は楽しげに笑い、聴頸を使い見向きもせず、右手の(てん)で攻撃を弾き逸らす。

 攻撃を再び防がれた湊は内心で舌打ちをするが、弾かれた事で、空いている右手を地面につき側転のような形で距離を取る。

 側転からバック転に切り替えた際に、腰に十個付けたプッシュダガーの半分を投げつけ敵が接近するのを妨害する。

 だが、相手の服は防弾防刃繊維の特殊装備。手に持っているナイフで本気で突きを放っても貫ける事はないため、それ以下の威力の刃物を投げるのなど気休めでしかない。

 現に、仙道は顔に飛んでくるナイフだけは頭を傾け避けたが、他は無視して突進を続けてきた。

 

(なんだコイツ、速くないのに攻撃が通らない。それにあの服が面倒だ)

 

 蒼い瞳で相手を観察しながらその間も湊は距離を開けるよう、側転やバック転を続けていた。

 そして、わずかにでも距離が開いたことで銃弾を横並びになるよう三発放つ。

 

「大した身軽さだ!」

 

 仙道はそれらを腕で防ぎ、震脚で一歩一歩が飛ぶように一気に距離を詰めてきた。

 アロイスを殺した際に一発使っていたので、弾倉は今ので空だ。素早く銃をマフラーに仕舞い、ナイフを右手に持ち替え接近してきた敵へと攻撃に転じる。

 助走による威力の上乗せを図る。単純な重量と筋力の差はどうしても埋め難いが、返し技ならば敵は勝手に自爆する。

 相手の右手に力が籠められるのを見ながら、それに合わせるように湊も相手と同時に渾身の震脚で床を踏み砕き、威力を乗せた肘の一撃と拳の一撃とを正面からぶつけあった。

 

「があぁぁぁぁっ!?」

 

 角度、タイミング、そして威力。返し技としてはどれも申し分なかった。

 しかし、硬度の点においても敗北していたのは湊の方であった。

 至近距離で爆発に巻き込まれたかのような衝撃、骨が砕け筋肉が断裂する音が腕を伝って耳に届く。

 持っていたナイフも握っていられず取り落とし、湊は無様に固い地面を転がり吹き飛んだ。

 勢いのついたまま転がり、その先に駐車してあったシルバーのワゴン車のナンバープレートに衝突し、歪ませながらも何とか止まる。

 

「カーカッカッカ! 中々に響いた。いや、その若さで大したものだ。眉つばかと思いきや、噂に違わぬ才の塊よ!」

 

 背中をぶつけ息を詰まらせている湊目がけて、仙道は直ぐに追撃のため駆け出す。拳を見ると肘がぶつかったと思われる個所から血をわずかに流していた。

 金属の壁を殴っても傷一つついていなかった相手に、血を流させたことは大したものだが、面と点でぶつかり片腕を代償にしたにはあまりに小さな戦果だった。

 

(腕は……完全に関節が砕けてる。ファルロスの蘇生を待ってる時間はない。左手で銃を、いや、銃は防がれる。刀は、それも無駄だ)

 

 痛みで脂汗を流しながら、歯を食いしばり立ち上がろうとする湊。

 敵は己の実力を見る事を楽しんでいる節がある。すぐに追撃に動いているが、殺す気ではなく潰す気であることにまだ救いがある。やりようによっては虚を突いて殺せるかもしれない。

 様々な方法を頭の中でシミュレートし、その度に相手には効かないだろうからと候補から除外し続ける。

 その間に間合いが縮まり、敵は走りながら飛びあがると振り下ろした右手の平で敵を打つ劈掛拳の技を放つ。

 

「くっ」

 

 バシンッ、とまるで鞭で地面を叩いたかのような鮮烈に耳に届く音が鳴る。

 車を蹴って間一髪転がるように避けたが、受けていれば今ので足をやられていただろう。湊も中国武術は八極拳と劈掛拳を同時に習ったが、流石に相手も複数の拳法も学んでいるようだ。

 

「よくぞ躱した! だが、反撃せねばわしは倒せんぞ!」

 

 転がる勢いを利用して立ち上がり湊は距離を取る。先ほど来た道を戻る形になるが、痛みを我慢しながらでも速さは自分の方が上だ。

 右腕を負傷したことで出来ることは限られていても、自分のことを知っている人間を生かして帰すわけにはいかない。

 そうして、マフラーから姫鶴一文字を取り出すと、鞘はマフラーに戻して、左手で刀を握った。

 

「フゥ――――よし」

 

 距離を開けて一気に切り返す。虚を突いた訳ではない。それでも、倒すには敵の態勢を崩す必要がある。

 

「む? フフフ、フハハハハ! 負傷して尚挑む、その意気や良し!」

 

 逃走に徹するかと思った湊が攻勢に転じようとするのを見て、相手も拳を強く握りしめ愉快そうに笑う。

 両者は相手に向かって地を蹴り続ける。爆発した車の火が燃え移り、隣の車も爆発した。だが、二人はお互いの姿しか瞳に映していない。

 関節の潰れた右腕を柄に添えて刃を寝かせ構える。両手の拳を握り腰溜めに構える。

 あと、十メートル、七メートル、五メートル、そこで湊は身体を地面すれすれまで倒し、倒れる勢いも乗せた状態から地面を一度蹴って斬り上げを放った。

 

「はあっ!」

「フンッ!!」

 

 しかし、刃は弾かれる。仙道は身体を独楽のように回転させ、腕を使い攻撃を往なし流す。

 武器と共に身体の流された湊は追撃も防御も出来ない。そこへ、仙道のもう一本の剛腕が遠心力で威力を増し、鉄の鞭のように湊の背中を強かに打ちつけた

 

「らあっ!」

 

 かのように見えた。

 刀を逸らしコンマ以下の速度で放たれた鉄鞭の如き追撃を、来る前に身体を捻っていた湊は躱すだけでなく、空いていた脇腹に受け流されたことで不完全に残っていた勢いを乗せた膝蹴りを叩き込んでいた。

 特殊な繊維を編んで作ったカンフー服は、銃弾や刃は受けられても、流石に鈍器で殴ったかのような打撃までは防ぐことは出ない。

 似たような物(黒いマフラー)を持っている湊はその事を理解し、自身の反射神経のみを頼りに懐へ潜り込み攻撃を通す事に成功した。

 死の線を切れればそれが最高の威力を発揮するが、残念ながら息もつかせぬ攻防の最中で、狙った部位を斬りつけるのは至難の業だ。

 故に、湊はその隙を突くために敵を鈍らせる。防御姿勢を取ることよりも敵に傷を与えることを狙い。背中から倒れる際に刀を敵に向けて投げつけた。

 

「――――フッ」

「ぐぬっ……!!」

 

 投擲された刀は躱しきれなかった仙道の右の頬をかすり、小さな傷をつけた。出来たばかりの傷がうっすらと染まると、すぐに鮮血が流れ出した。

 戦闘中に血を流した相手の反応は大きく分けて二つ。一つは戦意を大きく削がれ集中を欠くタイプ。一つは血を見て興奮を覚え戦意をさらに高揚させるタイプ。

 そして、仙道は後者だった。

 

「はぁっ!!」

「がはっ」

 

 血を見た仙道は嬉しそうに口元を吊り上げ、倒れようとしている湊を不安定な体勢から蹴りあげた。

 蹴りは右の脇腹と折れている腕にぶつかり、湊は転がりながら倒れた。

 しかも、それで攻撃は終わらない。

 

「ふはは、ふははははっ!」

「――――うぐぁっ」

 

 仰向けに倒れた相手に駆け寄り、その腹を胸まで振り上げた震脚で踏みつける。

 折れた部位を蹴られたことで思考が一瞬止まっていた湊は反応できず、骨と内臓を文字通りに踏み潰された。

 内臓を潰されたことで、湊の口からは赤黒い血が大量に吐き出される。

 だが、ナギリは腕を刎ねようが、内臓がはみ出ていようが戦い続ける種族だと聞いた。

 それ故、仙道は湊のマフラーを掴んで無理矢理に起こすと、柱に背を預けるように立たせ、渾身の一撃を頭部に向けて放った。

 

「はあぁぁぁぁぁっっ!!」

 

 決して速くはない。だが、震脚による威力の上乗せ、体重の移動、腰の回転、対象のさらに先にある物体を打ち抜く心構え、それらを用いた発勁で目に見える以上の威力を実現し、敵を確実に屠る凶拳を放つ。

 

 そして、ぐちゃり、と水分を含んだモノが潰れた、酷く耳に残る音が地下駐車場に響いた。

 

 

 


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