影時間――タルタロス
幾月を倒したゆかりと美鶴は、相手が完全に気を失っていることを確認した後、治療が必要かどうかだけ確認してから休んでいた。
死んだ幾月茜について言及してから、幾月は冷静さを失っていたように思える。
妻を助けられなかった自分の無力を嘆くような、母を失った娘の代わりに憤っているような、どこか歪な感情がそこにはあったように思う。
そして、ただ利用していると思っていたニュクス教の者たちに対しても、幾月は駒ではなく本当の意味で自分と同じ痛みを知る同志として見ていたように今なら思える。
自分と同じように今ある世界に見切りをつけた者たち、新たな世界に救いを感じている者たちに同情か共感を抱いていた事は間違いない。
幾月の持っていた拳銃を氷漬けにしてから階段近くに座って休んでいた美鶴は、一体どちらが本当の姿だったのかと考え込む。
すると、同じように休んで水分補給をしていたゆかりが、何やら難しい表情を浮かべている美鶴に気付いて声をかけてきた。
「美鶴先輩、何をそんなに考え込んでるんですか?」
「いや……幾月の本性について少しな」
「敵にもそうする理由があった、って部分に同情でもしましたか?」
ゆかりは美鶴が何に悩んでいるか大体察していた。
十二体目のアルカナシャドウを倒した翌日、幾月が生きていて裏切っていた事を知り、その時の様子から馬鹿な妄想に取り憑かれた狂人だと思っていた。
しかし、敵について調べる中で、幾月には妻と娘がいることが新たに分かった。
娘は美鶴の一つ上、妻は十二年前に飲酒運転のトラックに轢かれて亡くなっていた。
事故は完全に相手の過失。幾月茜はただ近くにいて運悪く巻き込まれただけだ。幼い子どもを残してこの世を去ることになった点も含めて、犯人にはとても重い罰が下ると思われた。
だが、そうはならなかった。相手の親族や知り合いに強い権力を持っている者でもいたのか、相手はたった二年で刑務所を出てきた。
初犯ならそれが普通だと、感情論で罪の重さを決める事は出来ないのだと言われても、幾月は亡くした母を想って悲しみ続ける娘を見て、そんな結果に納得する事など出来るわけがない。
美鶴もそう感じたからこそ、もっと他の道はなかったのだろうかと悩んでしまう。
「……幾月はどこか八雲に似ていたんだと思う。何を犠牲にしてでもという部分は違っているが、誰かのために何かをしようとする想いが人よりも強かった」
「その想いだけで桐条の研究に辿り着いてここまで来たのはすごいと思います。娘のためだっていう部分も納得は出来ます。でも、幾月は他者を犠牲にすることを厭わなかった。そこが彼との大きな違いです」
美鶴は湊と自分に似ている部分があると以前考えた事があった。
その時、湊がどういった人物であるか、どういった行動をこれまで取ってきたかを調べたからこそ、彼がどんな人間か第三者の視点で考えた分析データを持っている。
そして、最後の決戦の前に幾月の過去を調べる過程で彼が歪んだ原因と、それ以降の暗躍についてもある程度分析出来ていた。
戦いの中で交わした言葉もそこに含めれば、湊と桐条と同じように、湊と幾月の共通点や類似点を見つける事も出来た。
二人は似ている。大切な者の死を切っ掛けにして、誰かのために自分の残りの人生全てを捧げるように生き急ぐようになった。
「私もお父様のためにと戦い始めた口だ。二人の主義主張を否定する事は出来ない。大切な者のために何かをしようとする。それ自体は尊いものだ。だが、八雲は奪われる痛みを自分だけのものとし。幾月は同じ痛みを他人も味わえばいいと開き直った。やはり、守る物があるというのは重荷に感じてしまうものだったのだろうか?」
「……有里君が前に言ってましたけど、自分だって泣きたいのに、頼られて守らないといけないから弱音も吐けないってのは地獄らしいですよ。いっそ全部放り出せたらどんなに楽なことかって」
幾月は自分も妻を失った悲しみを感じていながら、母を失った幼い娘を守っていかなければならなかった。
守る物があるせいで、その優しさを守る物以外に向けられなくなり幾月はここまで来てしまった。
だが、そんな男の計画を阻む最大の障害となった“有里湊”という存在が生まれる切っ掛けとなったのは、幾月が関わっていた研究が失敗に終わり、百鬼家の三人が爆発事故に巻き込まれたからだ。
中等部の修学旅行で湊と交わした言葉を思い出しながら、ゆかりは携帯食のブロッククッキーを口に放り込みながら続ける。
「実験を失敗に持ち込んだのはお父さんですけど、幾月が関わっていたその実験がなければ有里君が戦いに巻き込まれる事もなかった。自分で計画の最大の障害を生み出したんですから皮肉ですよね」
最初の研究は岳羽詠一朗に邪魔され、その時の事故が原因でエルゴ研に送られた少年が最後の最後で敵として計画を阻みにきた。
娘のために新たな理を敷いた世界の創造を目論む幾月からすれば、どうしてこうまで思い通りにならないのかと悪夢のような状況だろう。
そして、そんな幾月は彼が見下していた桐条武治と岳羽詠一朗の娘たちによって倒された。
彼が自分の娘を愛していたように、美鶴とゆかりも自分の父親のために戦うほど彼らの事を想っていた。
親と子の立場は逆だが、抱く想いは負けていない。
子のために戦った父親が、父親のために戦った子どもに負けるのもまた皮肉な結末と言えた。
「美鶴、岳羽っ!!」
そうして、二人が休んでいると階段を駆け上がってくる足音と共に、下のフロアでストレガたちと戦っていたメンバーが姿を現わす。
現われたメンバーに無傷の者はいない。皆、どこかしらに怪我を負っており、しかし、それでも勝利してここまで走って追い付いて来た。
誰一人欠けずにここまで来てくれた事に安堵しながら、立ち上がった二人はやってきたメンバーを迎える。
「明彦、お前たちも全員無事だったか!」
「フッ、ちゃんと後で追い付くと言っていただろ。それより、お前たちも勝ったんだな」
言いながら真田の視線は壁際で気を失い倒れている幾月に向けられる。
真田からすれば中等部時代からの付き合いがあり、彼がストレガに殺されたと知った時には弔い合戦だとストレガとの決着を誓ったほどだ。
裏切られていたと知り、自分たちが殺されかけた時には色々と言ってやりたい事があった。
それは他のメンバーたちも同じようで、研究所時代から相手を知っているチドリやエルゴ研の実験に複雑な思いを持っているラビリスもじっと相手を見つめている。
実際に彼が行なっていた実験の被害者としては思う事があるのだろう。
他の者たちがそれを黙って見ていれば、幾月から視線を外したチドリが口を開いた。
「……体力に問題がないなら上へ行きましょう。上ではまだ戦いが続いてる。八雲が色々と手を回しておいたようだけど、外では象徴化も解け始めている以上時間がないわ」
「せやね。皆も気付いたと思うけど、海の方に今も大きな気配が二つあるわ。湊君もまだ戦っとるみたいやし。先に頂上の敵を倒さんと」
正直に言えば、敵がここまでの力を持っているとは誰も思っていなかった。
湊の持つセイヴァーの力はニュクスに由来する超常の存在に対する切り札。
それさえあれば敵のペルソナは完全に封殺出来ると思っていただけに、湊が龍人型ペルソナであるセルピヌスを出して応戦することになるなど完全に想定外の事態だった。
けれど、彼が負けるとは思っていない。
湊はただ殺すのであれば負けることはないと言っていたのだ。
まだ戦い続けているという事は、彼もまだ相手を殺さずに済むよう諦めていないという事。
残る時間は少ないだろうが、完全体となりデスの写し身となったニュクス・アバターの相手はタルタロスへやってきた特別課外活動部の役目。
湊にはあちらに集中して貰うため、自分たちは七歌たちに合流して急いでニュクス・アバターを倒そうと彼女たちは走り出した。
――海上
悪魔型ペルソナ“シャイターン”は、炎の翼で風を捉えて加速しながら炎の剣で斬りかかる。
炎の熱によって像が歪み、本来とは異なる軌道を相手に認識させながらその身体を切り裂かんと迫る。
対する龍人型ペルソナ“セルピヌス”は大きく一歩踏み出し、波飛沫を上げながら敵へと迫ると腰溜めに構えた豪腕を突き出し敵の腹部を捉える。
上段から切りつけようとしていた悪魔は腹部に重い一撃を喰らい。身体をくの字に曲げながら吹き飛ぶ直前、せめて一撃と炎の剣で龍人の肩口を切りながら吹き飛ばされた。
水切りのように海面をバウンドする度、身体に纏った炎で海水が蒸発して白い蒸気が辺りに広がる。
龍人はその蒸気を散らしながら突っ切り、相手の勢いが弱まり沈み始める瞬間を狙って天高く振り上げた足で踵落としを繰り出した。
攻撃を喰らう寸前で腕を使って直撃を防いだようだが、龍の力を持つ巨人の一撃だ。
攻撃の威力を物語る水柱と共に海中へと沈んでゆく。
《それでやれると思うなっ!!》
しかし、相手も龍人と同様に規格外のサイズを持つペルソナ。
並みのペルソナであれば一撃で消し飛ぶような攻撃に耐え、海中から渦巻く熱線が噴き上がる。
迫る熱線に龍人は一歩大きく後退する事で直撃を回避し、射線上から逃れたタイミングで身体を一回転させた勢いを乗せた尻尾で立ち上がった敵を横から殴りつけた。
悪魔もこのタイミングでの攻撃を読んでいたのだろう。攻撃を喰らいながらも横に飛んでダメージを逃がす。
そして、着地と同時に両手に炎の剣を再度呼び出すと、龍人の目の前の海面に向けてそれらを叩き付けた。
《僕は幾月さんの、姉さんたちの願いを叶える! お前を向こうには行かせない!》
最初は邪魔な存在である湊を殺そうとしていた。
だが、結城理も湊に勝てないと悟ったのだろう。個人の勝利よりも、目的達成のために動こうと方針を変えていた。
湊さえこの場に足止めしていれば勝てる。他の者ではニュクスを倒せない。
それが分かっているからこそ、理はどれだけ無様だろうと湊に喰らいついていく。
《お前は大勢の人間を救ってきたんだろ! なら、今救いを求める人間も救ってみせろ! 新しい世界、新たな理に希望を見出した人々の願いをお前は知ってるんだろ?!》
自分には出来ない。湊の、百鬼八雲の劣化複製品でしかない自分では、救いを求める人々を助けるだけの力がない。
けれど、自分だけでなく、他者の死の運命すらも捻曲げてみせた男であれば、自分に救えない人々も救ってみせる事が出来るはず。
理とて百鬼八雲と同じ人格を持っている。今ある世界を壊そうとしている自分たちが悪だなんて最初から分かっている。
それでも自分にとっての恩人である幾月や玖美奈を見捨てる事は出来ない。
だから、人を超え神に届き得る力を持つ湊に、お前なら救えるんじゃないのかと呼びかける。
《……不可能だ。ニュクス教の人間は救われることを望んでいない》
《嘘だ!! 新しい世界での幸せを望んでいると彼らは言っていた!》
再び炎の翼を羽ばたかせて距離を詰める。
炎の剣を槍に変えて、悪魔は龍人の腹を貫こうとする。
龍人は黒い炎を纏った裏拳で槍を弾き、逆の腕の肘を相手の腹にめり込ませて吹き飛ばす。
《死、その物が救いだと考えている。新たな世界は来世を指している。そんな人間に出来る事などない》
理の言いたい事は分かる。だが、お前の希望には添えないと湊は冷たく言い放つ。
それを聞いても諦められない理は、空中で体勢を立て直すと、海底に足を着けて再び湊へと挑みかかっていった。