【完結】PERSONA3 Re;venger   作:清良 要

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第四十六話 二人だけの部活動

深夜――幾月ラボ

 

 深夜、幾月が一人で自分の研究所に籠もっていると、一本の電話がかかってきた。

 表示された番号から国際線であることを不思議に思いつつ電話に出ると、受話器の向こうから聞こえてきた聞き覚えのない外国人男性の言葉に耳を疑った。

 

「ボーデヴィッヒ氏が、亡くなった?」

《はい。先日のホテルの駐車場での事故の前に、何者かから襲撃を受けたと連絡があったため、死因は他殺だと思われます》

「そんな……」

 

 あまりに現実味のない話に思考が働かず、受話器を持ったまま思わず倒れそうなる。

 理の改造はほぼ終わったと言っても、まだ完全には済んでいない。それでは、同じワイルドの力を持っていても、複数同時召喚が可能な湊には勝てないだろう。

 そう考え意識を戻すと、二・三歩後退したところで踏み止まり、幾月は相手に今後の理の手術はどうなるのか尋ねた。

 

「ボーデヴィッヒ氏が亡くなられたことで、そちらも慌ただしい状況だとは思いますが、予定されていた手術に関しては今後どのようになるのでしょうか?」

《引き継ぎや襲撃者の特定に時間が掛かるため、しばらくは延期となります。しかし、それが済み次第、依頼のオペを進めて行きますので、どうかご了承いただきたい》

 

 相手の言葉に思わず安堵する。

 違法な手術だけあって、それを完璧にこなせる医者を探すのはとても難しい。国内で探すとなれば、もはや絶望的だろう。

 そのため、延期になってもどうにか受けることが出来ると分かり、落ち着きを取り戻して幾月は相手に礼を言った。

 

「ありがとうございます。延期については問題ありません。また予定が決まり次第、電話かメールで連絡をください」

《ええ、勿論です。では、これで失礼します》

「はい。ご連絡ありがとうございました」

 

 電話が切れて受話器を置くと、幾月は近くに置かれたソファーに深く座って、疲れたように息を吐いた。

 

「ふぅ……まだだ。これくらいのことで、私は諦める訳にはいかない。岳羽詠一朗やエヴィデンスの件に比べれば、ただ日程がずれ込むだけだ」

 

 疲労の浮かんだ顔で、ソファーに座ったまま中空を見つめ独り呟く。

 その言葉は、折れそうになっている自分に、どこか言い聞かせているようにも思える。

 

「大丈夫だ、(あかね)。僕は絶対に諦めないよ。玖美奈のために、君とまた暮らせる世界にしてみせる。僕は負けない」

 

 幾月の強い意志の籠められたその言葉は、独りしかいない部屋に、寂しく響いて消えていった。

 

 

 

8月5日(金)

午前――月光館学園

 

 夏休み。バカンスという制度のないここ日本では、最もそれらしい休暇と呼べるものだ。

 寮生も多く通っている月光館学園では、一年でもっとも生徒が街に少ない期間であり、その者たちはどこにいるかと言えば実家に帰省していた。

 しかし、巌戸台近辺の実家から通っている者も多数いるので、長期休暇にはいってハメを外し過ぎての苦情も多く寄せられる。

 冷房の効いた生徒会室で、桐条美鶴が真剣な表情で目を通している分厚い紙の束は、そういった近隣から学校に宛てられた、我が校の生徒の元気の良過ぎる証だった。

 

(飲食店のドリンクバーで飲み物を混ぜて遊んでいた……図書館の自習スペースで携帯ゲームを持ちこみ、充電のためコンセントを使用していた……住宅街の空き地に侵入しロケット花火をしていた……子どもか。いや、子どもだったな)

 

 自分で言った心の中の呟きに、真顔のまま自分でツッコミ返す美鶴。

 今、この部屋にいるのは彼女一人で、他の生徒会メンバーは週明けまでやってくる予定はない。

 それは、彼女のしている作業が、生徒としてのものではなく、学校経営側として報告書を読み込む作業だったためである。

 将来は企業の経営と運用を任される立場であるため、このように幼い時分からでも、少しずつグループの仕事に関わり経験を積む。父親と美鶴本人の同意の上でのことであり、いくら大変であっても美鶴は音を上げようとはしていなかった。

 

「んー……はぁ、少し休憩するか」

 

 しかし、流石に長時間の作業は疲労を蓄積させ、作業効率の著しい低下に繋がりかねない。

 仕事を終わらせようと根を詰めた結果、作業が大幅に遅れるようでは本末転倒だとして、長時間の作業で疲れた目元を揉んで、少し休憩を取ろうと美鶴は席を立った。

 向かった先は壁際に置かれたティーカップなどの置かれた棚。

 その中から自分用の陶磁器のカップとソーサーを一つとって、隣の棚からインスタントの紅茶のティー・バッグを選び始める。

 本当ならしっかりとお湯を沸かして紅茶を淹れたいところだが、生憎と生徒会室には電気ケトルとインスタントのコーヒーか紅茶しか置かれていない。

 無論、家庭科室にでも行けばコンロもケトルも置いてあるが、気分転換のためにうだる様な暑さの廊下へわざわざ出る気にはなれなかった。

 

(……そういえば、何故、美術工芸部にはカセットコンロがあるんだ?)

 

 インスタントと言えど淹れ方は拘る。電気ケトルのお湯でカップを温めていた美鶴は、ふと湊たちの部室に疑問を持った。

 生徒会室があるのは、管理棟の二階。つまり、美術工芸部と同じ棟、同じフロアに存在するのだが、場所は教室棟に最も近い場所と最奥とで離れていた。

 広さと靴箱のある生徒玄関にすぐ行けるという点では、生徒会室の方が良い環境だと思えるが、部室自体の生活環境は美術工芸部が圧倒的に勝っていた。

 まず、生徒会室には家電は最初から取りつけられていたエアコンを除けば、作業に使うパソコンに、電気ケトルと古い業務用のような掃除機しかない。

 掃除機は高さ六十センチ程度の丸太を立てたような形状に四つタイヤがついて、コードは本体にぐるぐる巻き付けることで片付けるタイプであり、重さと騒音を考えれば箒で掃除をする方が楽なくらいだ。

 対して、美術工芸部にはどこから集めたのか、ノートパソコン・電子レンジ・電気ケトル・家庭用掃除機・小型冷蔵庫に加えて、カセットコンロまでも配備されている。

 すぐ上が音楽室ということもあって、部屋の壁や扉は防音処理がされ、さらにエアコンもしっかりと完備。水も直ぐ下の保健室で簡単に汲めるので、トイレが遠いことくらいしか不便さはないだろう。

 考えれば考えるほど、己の属する学校運営組織よりも一部活の方が環境の良いことへの疑問が湧きあがった。

 

(何故、一つの部だけそんなに恵まれているんだ? 自前の道具を持ち込むにしても、生活環境が良過ぎるだろう。私もお茶のためにカセットコンロやケトルを持ち込んでも良いか尋ねるべきか……いや、あちらには監督する教師がほぼ顔を出しているが、生徒会はあまり先生も見に来られない。その差で許可は下りないだろうな)

 

 部活と同じように生徒会にも顧問の教師は存在する。

 今年で五十四歳になる、三年生の数学担当のベテラン男性教師だが、相手はクラス担任も受け持っているので、他校の高校に進学する生徒の面接練習などにも付き合っているため、生徒会ばかりに顔を出すわけにはいかない。

 その点、美術工芸部の顧問である佐久間は、一年生のクラス担任で受験とは今のところ無関係。

 尚且つ、異常に優秀なので部室で生徒の面倒を見ながら事務仕事や授業の準備を終えてしまうので、空き時間を考慮すれば佐久間が顧問になる部活ほど教師に監督して貰える部活は存在しないように思えた。

 そうして、わずかに羨む気持ちを抱いたまま、美鶴は紅茶の入ったカップを机に運ぶと、それを飲みながら再び書類に目を通し始めたのだった。

 

――とある田舎

 

 美鶴が学校で一人黙々と作業をしているとき、風花は湊と共に田舎のローカル線の駅にやってきていた。

 湊とチドリ、湊と佐久間という組み合わせを除き、特定の組み合わせで動くというのは殆どないが。他の女子がたまに休む湊よりもチドリとの親交が僅かに深いことを考えると、風花だけが湊と一緒に行動しているのは非常に珍しいと言える。

 何故、このような状況になったか。それは、ゆかりは弓道部の大会の応援に参加、美紀は荒垣と一緒に兄の試合の応援に遠征、佐久間は櫛名田と一緒に和歌山に温泉と酒を楽しみに行き、チドリは桜と前々から約束していた舞台を観に行ったためである。

 風花には予定がなかったのか、という話になるが、来週になれば盆で父方の実家に帰省するため、いまは丁度暇をしていたのだ。

 そうして、湊に誘われ駅で待ち合わせをし、電車に四十分ほど揺られてついたのは、周囲にほとんど店や建物のない長閑(のどか)な田舎だった。

 

「わぁー……自然がいっぱいだね」

 

 改札を出たところでハンドバッグから白い日傘を取り出し、眩しそうに目を細めながら風花は話しかける。

 駅の周囲は小さな森や竹林が存在し、周囲に目をやればどこかにしら緑が目に入りこんでくる。

 巌戸台ではこうはいかないと、少し新鮮な気持ちになっていたのだが、隣に立つ真夏に黒マフラーを装備している男は、手に持った平たい大きな包みを持ち直しながら、淡々と返した。

 

「ただの田舎だろ」

「え、あ、うん。で、でも、巌戸台にはあんまり緑がないから、こういう景色って新鮮だよ、ね?」

 

 少し自信無さげに、湊を見上げながら風花は尋ねた。

 相手をよく気遣うという点で美紀と風花は似ている。

 だが、美紀はしっかりとした芯を持ちながら、自分の出来る範囲で他者を手助けするのに対し、風花は自分に自信がないため頻りに相手の顔色を窺っている様子だ。

 確かに根底には彼女の優しさが存在するようだが、それでは自分が先に参ってしまうのではないか、と彼女のまわりにいる人間は気にしていた。

 そして、彼女の隣に立つ男も、相手との距離感はわからずともチドリの友人として、気遣う素振りを見せてきた。

 

「……ここから少し歩く。向こうには売店もあるから、そこでアイスでも食べよう。地域限定の味もあったはずだから、少し珍しいと思う」

「あ、そうなの? ここらへんって何が特産なんだろう?」

 

 急な話題転換にもかかわらず、風花は感心したように頷いて湊の隣を歩きだす。

 これがゆかりや美紀なら、わずかに驚いた様子見せていただろう。

 しかし、良くも悪くも風花は天然でおっとりした性格のため、世間から微妙にずれている湊やチドリにも素のまま対応できる稀有な人材だった。

 

(黒豆とかかな? それとも、果物系? 今日は暑いから、楽しみだなぁ)

 

 田舎道を歩きながら、風花はぽやぽやとした表情で地域限定のアイスクリームに思いを馳せる。

 乗っていた電車は弱冷車両だったので、外に出ても気温差に参ることはない。しかし、暑い事には変わりないので、どうしても冷たい物は欲しくなってしまうのだ。

 そうして、しばらく田舎の風景を眺めながら、湊の道案内に従い風花は歩き続けた。

 

***

 

「東西武器美術館?」

 

 三十分ほど歩き続けやっと着いたのは、美術館というよりもモノクロ調の近代博物館のような外観をした新しめの大きな建物だった。

 そこの看板の文字を読み上げ、風花は首をかしげてから隣の湊を見やる。

 美術館としか聞いていなかったが、武器に興味があったのかと思ったためだ。

 

「武器、好きなの?」

「……別に」

「本当に?」

「ここの館長が知り合いなんだ」

「ま、待ってよう」

 

 風花の質問をどこかはぐらかす様に答えると、湊は風花を置いてすたすたと歩き出してしまった。

 体格の違いで歩幅も大きな差があるため、先に行かれてしまうと追い付くのはそれなりに面倒だ。故に、風花は質問の答えよりも置いて行かれないよう、駆け足で後を追った。

 建物の屋根で影が出来ており、日傘はもう畳んでも問題ない。そうして、追い付き傘を畳んで袋に入れ鞄に仕舞うと、前を行っていた湊が急に立ち止まった。

 

「あれ? 中に入らないの?」

 

 不思議に思った風花が声をかける。

 すると、湊は右手の包みを左手に持ち直し、振り返ってから右手で隣を指した。

 

「アイスを食べてからにしよう。見終わった後に、少し館長と話をするから食べる時間がなくなるかもしれない」

「あ、そうなんだ。うん、じゃあ先に食べよ」

 

 了解したと首を縦に振り、風花はコンテナの屋台まで進むと書かれたメニューに目を通してゆく。

 アイスクリームだけでなく、ジュースやかき氷も置いてあるようで、どれにしようか目移りする。

 湊が言っていた地域限定の味は、蕎麦のソフトクリームで、色は胡麻ソフトよりもう少し白い印象を受けた。

 だが、味はいまいち想像できない。

 まさか、麺つゆ味というオチではないだろうし、こればかりは実際に食べてみるしかないだろう。

 そして、味への興味とご当地物を試してみようという好奇心から、風花は蕎麦ソフトを注文する事に決めた。

 鞄から財布を取り出し、店員の女性に声をかける。

 

「あの、蕎麦ソフトのコーンを一つください」

「……二つで良い」

「はい。蕎麦ソフトお二つですね。五百円になります」

「……ん」

「丁度いただきます。ご用意しますので少々お待ちください」

 

 店員は湊から金を受け取ると、レシートを渡してソフトクリームを作り始めた。

 お金は自分で払おうと思っていただけに、湊が勝手に払ってしまったことに驚くが、代金を渡そうとしたところで、丁度、ソフトクリームが出来上がってしまう。

 

「お待たせしました。蕎麦ソフトお二つです」

「あ、ありがとうございます。あの有里君、お金……」

「ここは俺が払うから、後で飲み物でも買ってくれ」

 

 言いながら相手は同じ日影内のベンチへ歩き出す。お金を渡そうにも、いまの湊は包みとアイスで手が塞がっているため、どちらにせよ受け取ることは出来ないだろう。

 アイスが一つ二五〇円に対し、飲み物などペットボトルでも一五〇円も出せば買えてしまうが、しつこく言えば不快がられるかもしれない。

 そうして、渋々ながら支払いを諦めると、風花は湊の隣に座って目的のソフトクリームを一口頬張った。

 

「あ、美味しい! 何だろう、お蕎麦の味と香りがするんだけど、ちゃんとソフトクリームの味もする。なんか、不思議かも」

 

 蕎麦の粉が混ざっているのか、薄いグレーの生地は普通のバニラよりも少し硬めのしっかりとした印象で、口に含む度、蕎麦の味と香りが口に広がり、甘すぎないことも含めて、飽きの来ない味だと風花は絶賛した。

 炎天下の中を長時間歩いた疲れも吹き飛び、いまの風花の表情は幸せそうな満面の笑みである。

 隣で食べている湊は、そんな風花の様子を眺めているだけだが、(はた)から見れば夏休みを過ごす兄妹のようにも見えるかもしれない。

 何故、同い年でありながらカップルに見えないか、というのは二人の容姿と身長差が原因だ。

 風花は胸の発育は良い方だが、着痩せする事に加えて、身長はクラスでも低い方で実年齢相応か少し幼く見える。

 対して、湊はこの数ヶ月で身長が一六二センチまで伸びたため、成人男性と比べれば低身長だが、陰のある大人びた表情も相まって実年齢以上か高校生ほどに見えた。

 そんな二人が並び、女子の方がにこにこと笑っていれば、真顔でいる男の方が保護者として面倒を見ているように見えても不思議ではない。

 そして、その妹がスプーンを咥えながら、兄に声をかけた。

 

「お蕎麦のソフトクリームって初めて食べたけど、すごく美味しいんだね。私、家族で出かけてお蕎麦を食べることもあるんだけど、お蕎麦屋さんでは見た事がなかったの。今度、そういう店に行ったら、お蕎麦のアイスは出したりしないんですかって聞いてみようかな?」

「サーバー……いや、ソフトクリームを作る機械があるだろ。あれは、レンタルでも結構するんだ。小さくても冷凍庫みたいなもんだし、電気代もかさむ。そういったコストを考えると、趣味でやってる店や老舗とかだと導入は難しいな」

「そうなの? 有里君、そういうのも詳しいんだね」

 

 風花の発案は全ての蕎麦屋で出来ることではないと言われたが、風花は残念そうにはしておらず、むしろ、湊の知識の広さを感心して、瞳に尊敬の色が浮かんでいた。

 そして、アイスを食べ終え、ナプキンで口の周りを拭くと、ゴミをまとめながら少し思い付いたことを湊に尋ねてみる。

 

「ねえねえ、有里君が知らないことってないの?」

「山岸が昨日の晩に何を食べたのかも知らない」

「あ、そういう個人のプライベートな情報とかじゃなくって、こういった方面の知識は疎いなぁとかっていうのは?」

「……一般常識全般」

(あ、自覚はあったんだ……)

 

 少し考えてから口にした湊の言葉に、風花は何とも言えない気持ちで納得してしまった。

 しかし、それを言葉に出すのは勿論、表情にすら出してはいけない。そう考えた風花は、かなり無理があると思いつつも、湊の分のゴミを手に取り、

 

「コレ捨ててくるね」

 

 と言って、ゴミ箱へ向かって小走りで駆けていった。

 

***

 

 休憩を終えてから中に入ると、風花は初めて見る東西の武器を呆けたような表情で眺めていた。

 華美な装飾のされた西洋剣、どこか妖しい輝きを放つ刀、宗教の儀式で使う装飾ナイフなど、単に武器と言っても用途からなにから様々で。

 中には、三メートル近い槍や、金属の板にしか見えない剣などもあり、どうやって使っていたのか想像するだけで、好奇心を刺激された。

 そうして、二階にあるショーケースを眺め、自分でも知っている武器を発見し、声を弾ませて湊に話しかけた。

 

「これ知ってる。手裏剣だよね。うわぁ、本当に折り紙で作るのと同じ形してるんだ。あ、でも、こっちは棒みたい。えっと、“棒手裏剣”? ふふっ、そのまんまの名前だね。どうやって使うのかな?」

 

 あまりに見た目通りの名称におかしそうに笑う風花。

 自身の知っている手裏剣とあまりに形状が違うため、これも投げて使用するのだろうか疑問に思う。

 そして、隣に置かれた説明文に目を通していると、横から男性の老人に声をかけられた。

 

「ほっほっほ、実際に使うところを見てみるかね?」

「え? そんなの見れるんですか?」

 

 黄色地に茶色のチェック柄スーツを着た老人に聞き返すと、老人は後ろに控えていた長い前髪を右目側に垂らしたスーツの女性に視線で合図を送った。

 すると、女性は腰のベルトからチェーンに繋がった鍵束を取り出し、ケースを開けると展示物の一つを手にとって、そのまま湊に渡した。

 

「小僧、お前ならわかるじゃろ?」

「お前の頭を狙えばいいのか?」

「死ぬわ、馬鹿もん! 紅花(ホンファ)、あそこの畳みを壁に置いてやってくれ」

「少々待ててください」

 

 老人に紅花と呼ばれた女性は、展示品にもある苦無や短刀を持った忍者たちが戦っているセットから畳みを一枚抜いて来ると、それを二十メートルほど離れた何もない柱に立てかけた。

 そして、準備が終われば戻ってくるかと思いきや、紅花は畳みのすぐ脇に立っている。

 これでは湊が狙いを外せば大怪我をしてしまうだろう。心配した風花は相手に声をかけようとしたが、その前に武器は投げられていた。

 

「っ!?」

 

 ヒュンッ、と空気を切る音がしたと思えば、すぐにトンッ、という軽い音が聞こえていた。

 見れば、投げられた棒手裏剣が綺麗に畳みに刺さっている。

 無事で良かったと思うのと同時に、あんな道具でも綺麗に刺さるものなんだと、風花は少しの驚きと共に再び感心させられていた。

 そんな風花の様子を眺めていた老人は、満足そうに笑って説明を始めた。

 

「ほっほっほ、これで使い方は分かったかな? 他にも、穴を掘るのに使ったり、直接、手で持ったまま刺したりもしたんじゃよ。また流派によって重さや鋭さなどを変えておってな? ある流派の達人じゃからと言って、他の流派の手裏剣も上手く投げられるとは限らんのじゃ」

 

 実際の棒手裏剣は、十メートルかそこらが当てられる限界距離だと言われている。

 だが、その二倍の距離を難なく命中させても、湊が風花から称賛を受けると癪なため、老人はあえて説明しなかった。

 武器に関する知識のない風花は、そんな老人の心の狭さに気付かず、素直に相手の博識さに感嘆の声を漏らす。

 

「へぇ、すごいですね。でも、お爺さんはどうしてそんなに詳しいんですか?」

「それは、ここの館長じゃからじゃよ。わしは車谷 源治(くるまだに げんじ)、彼女は秘書の紅花じゃ。小僧は今更あいさつせんで良いな。よろしくお嬢さん」

「紅花です。どぞよろしく」

 

 車谷に続いて、畳みと手裏剣を片付けて戻った紅花が、自分たち二人の名刺を風花に渡し礼をする。

 受け取った風花は目をパチクリとさせているが、確かに館長ならば、今のように勝手に展示品をいじったりすることも出来るだろうと納得した。

 そして、相手だけに挨拶をさせては申し訳ないと、名刺を財布のカード入れに仕舞ってから、真っ直ぐ立って挨拶をする。

 

「あの、山岸風花って言います。今日は有里君が誘ってくれて見に来たんですけど、初めてみる物ばかりで、すごく楽しいです」

「うむうむ、ニコリともせん小僧と違って素直な良い子じゃな。じゃが、男はしっかり選んだ方がよいぞ。こいつは極悪な外道でな。わしにさっさと棺桶に入れと言ってくるようなやつなんじゃ」

「あははー、その分、私とは気が合うですよ。遺産を私に渡すと遺書に書き、なるべく早く輪廻の輪に乗た方が良いと館長には常々言てますから」

(こ、この美人な秘書さん怖いよぉっ!?)

 

 部分的に言葉使いが変なことから、相手は名前の通りに中国人なのだろうと推測する。

 しかし、性格と出身は関係ないため、にっこりとした紅花の笑顔がとても黒い物に見えてしょうがなかった。

 怯える様子の風花に代わり、今度は隣に立っていた湊が相手に対し口を開く。

 

「姫鶴一文字が折れた。これをやるから、代わりの武器をくれ。うちの蔵には、あんまり気に入るのがなかった」

「ぬあっ、ぬあんじゃとー!? ききき、貴様、姫鶴一文字を折った? 何をしとるんじゃ、お前はー!」

 

 湊が包みを解き、桐箱を床に置いて蓋をあけると、中には無惨に折れた湊の愛刀・姫鶴一文字が収められていた。

 それを目にした瞬間、声の限りとばかりの車谷の怒声が館内に響く。

 驚いた風花はびくりと肩を揺らし、紅花は笑顔のまま耳を塞ぎ、湊はいつも通りの表情で桐箱を再び閉めている。

 車谷はその箱をひったくる様に手に持ったが、折れた刀が中にあった事しか確認できなかった風花は状況が分からず困惑した。

 

(え、えーと、あの刀は有里君の物で良いんだよね? でも、館長さんは武器を集めてるから、折れている武器を見て怒ったってこと?)

 

 困惑しながらも自分で状況を推測し、ほぼ正解に辿り着く。

 実際は、何度も譲ってくれと言っていた武器をくれると思ったら、修復不可能なレベルで折れていたという怒りが加わっているのだが、両者の関係を詳しく知らない風花には分からない事である。

 状況の把握を終え、ふと、視線を上げると紅花と目が合うが、紅花はにこにこと笑ったまま人差し指を唇に当てた。

 ジェスチャーが意味するのは、静かにしていようという事らしいが、車谷は顔を真っ赤にして怒っているので、高齢ということを考えると身体によくないのではと思ってしまう。

 

(……あれ? もしかして、紅花さんってそれを狙ってる?)

 

 部外者は黙っていよう、ではなく。このままにした方が都合が良い、という裏の意味を理解した風花は、本気で紅花の腹黒さに戦慄を覚えた。

 

***

 

 あの後、風花は誰も助けてくれない孤立無援の状態で車谷を宥め、湊と紅花の小さな舌打ちを聞かなかったことにし、車谷に案内されるまま、美術館の奥へと移動した。

 恐怖や疲労で精神的にぼろぼろで、いますぐに帰りたいところだが、他の二人と一緒に残していると車谷の身が危険な気がして帰るに帰れなかった。

 

(……アウェーってこういうのを言うのかな。二人は仲良さそうにナイフでキャッチボールみたいなことしてるし、私の知らない世界に迷いこんじゃったよ)

 

 車谷を先頭に、後ろに風花が続き、さらに後ろに湊と紅花が並んで歩いている。

 最後尾の二人は、幅三メートルの通路の壁側にそれぞれ離れ、紅花がどこからか取り出した小さなナイフを投げては投げ返しを繰り返している。

 お互いに視線は前に固定され、武器をキャッチする瞬間すら見ていないことから、かなりの実力を持っていることが分かる。

 しかし、どうみても本物のナイフで、そんな怪我に繋がりそうな遊びをする神経が理解出来ず、風花はさらに精神的に追い詰められていた。

 

(あれは玩具……あれは玩具……あれは玩具……)

「アウチっ、ちょと指切ったよ。今日は私の負けね」

 

 キャッチしそこねて右手中指の第二関節辺りから血を流す紅花。ナイフを仕舞いながら残念そうに肩を竦めているが、顔は笑顔のままだ。

 態度と表情の一致していない相手に、勝者である湊は静かに言葉を返す。

 

「一回も勝ったことないだろ」

「そうねー。でも、剣とか槍を持たせたら私の方が強いよ。こんな反射神経鍛える遊びじゃ、相手の実力は測れないね」

「遊びすら出来ないって意味では測れるだろ」

「あははー、確かにそうね。これで左肘の腱を切った馬鹿も私しってるですよ。あいつ、その後の仕事トチって、いまごろ海で魚と戯れてるかなー」

(……魚? スキューバダイビングのインストラクターさんなのかな?)

 

 喜ばしい事に、風花はこの短時間で、現実逃避して自分の心を守ることが出来る程度の精神的な強さを手に入れた。

 それが今後どのような場面で役に立つかは不明だが、素の状態で湊と普通に接する事が可能なことを踏まえれば、多少、湊の本業を覗いても今後は大丈夫そうではある。

 得体の知れない物を怖がるゆかりや、常識の枠からはずれることが出来ない美紀よりも、湊やチドリと上手く付き合ってゆけるのなら、彼女も何かしら得る物があるだろう。

 

「着いたぞい。まったく、自分の得物もろくに管理できんなら、丸太でも使っとれば良いんじゃ」

 

 そうこうしている内に目的地に到着した。

 扉を開けて中に入ると、ちょっとした倉庫のような部屋に着き、湊が持っていたような桐箱が沢山置かれているのが目に入る。

 これら全てが刀なのかと思っていると、車谷は部屋に二つ置かれている大きな机の片方で箱を開けて、折れた姫鶴一文字の破片を並べていた。

 

「ううう……可哀想に、お前のような美しい芸術品も、小僧のような猿には棒きれとしか思われんかったらしいなぁ」

「あははー、館長の目は節穴ですね。湊の剣舞はまるで神楽舞よ。それで折れたのなら、定めとしか言いようがない。茶番は良いから、ささと湊に剣あげてやりなよ。欲しがてたの貰いましたでしょ?」

「わしが欲しがってたのは完品じゃ! こんな砕かれた状態じゃ、供養しかしてやれんわ」

 

 紅花に言われても、車谷は鞘や柄を撫でて悲しそうにしている。

 どうやら本気でショックを受けているようなので、あまりお客を待たせても悪いと気を利かせた紅花が、溜め息を吐いて肩を竦めてから湊に要望を尋ねた。

 

「湊、希望はあるですか? 刃長、反り、重さ、それで見合ったの出しますです」

「前のより長い方が良いな。刃長が七二センチ弱くらいだったはずだから、それ以上で。直刀は星噛で間に合ってるから、ちゃんと反りのあるのにしてくれ」

「んー、太刀か大太刀ですね。よくそんな細長い軽いの使えるますな。ただ斬るにも技量いるし、片手で使い辛いし、武器として中途半端な長さで私は使う気ならないよ」

 

 言いながらも紅花は保管されている武器の目録を手に取り、湊の希望に沿った条件のものをメモしている。

 その間、湊はどこから出したのか、小さなナイフで何もない場所を切っているが、紅花が「ああ、謝謝。助かるですよ」と礼すら言っていたので、風花も止めることはしなかった。

 二人には何が視えているのか聞いてみたい欲求にも駆られるが、風花が口を開こうとすると、紅花が感情の籠もらない貼り付けた笑みを向けてくるので、結局、聞くことは出来ずに終わった。

 

「んー、候補はいっぱいありましたけど、実戦に耐えられるか難しいです。いっそ、既に持ってる蛍丸か之定にしたらどうか? あれも長かったでしょう?」

「之定は確か……刃長が約八五センチだな。無ければ使うけど、最終候補だ」

「使える武器をコレクションにするは可哀想ですよ。まぁ、蛍丸は遥か前に紛失した国宝ですし、之定も美術品の価値も高いですけど」

 

 湊たちが先ほどから話している“之定”とは、和泉守兼定(イズミノカミカネサダ)という刀工の中の二代目兼定と呼ばれる人物の作品である。

 国宝や重要文化財に指定されてこそいないが、非常に優れた刀剣であることは間違いなく、中でも湊が所持している物は現存する之定の中では長い部類にはいるため、コレクターなら云千万出しても欲しがるような逸品である。

 湊はこれを仕事の途中で欲しいからと持って来てしまったわけだが、持ち主は既にイリスの手によってこの世から旅立っているので、警察に盗難の届けは出されていない。

 そして、“蛍丸”は刀身だけで一メートルを超す大太刀で、昭和六年に国宝に指定されたのだが、終戦時の混乱で行方不明になっていたものだ。

 何故、湊がそんな物を持っているかというと、あるマフィアを殺しに行った際、少女が一人監禁されていて、その少女を助けたことがあった。

 少女の親は貿易業を営む美術品コレクターの富豪で、娘を無傷で助けた湊にお礼をしたいと言ってきたので、相手の別荘の屋敷でインテリアになっていた蛍丸を見つけて、これが欲しいと譲って貰った経緯がある。

 それが丁度、前に桐条英恵の過ごしている桐条別邸の近くに寄った理由だったのだが。オーディエンスになっている風花はそれぞれの漢字すら分からず、二人のやり取りを眺めているだけなので、それをどこで手に入れたのかという話も起こらなかった。

 

「では、大和守安定(ヤマトノカミヤスサダ)包平(カネヒラ)の辺りで宜しいな? 両方本物よ。前と似た感覚で振れるのは大和守安定か。包平は之定より長いからコツいるですし」

「じゃあ、両方くれ。慣れれば使えるだろ?」

「んー……ま、良いか。館長が話聞いてないが悪いですからね。ここで組みますか? それとも箱のまま持って帰りますですか?」

「自分で組むから、中身の確認だけさせてくれ」

 

 箱を二つほど持って来て紅花は空いていた机の上に置いた。

 湊はそれの蓋を開けて柄と刃の様子を見ているが、風花はどの部分を見ているのか分からず、ただ綺麗な刀だなと美術品としての感想を抱いていた。

 

「なんか怖いけど、すごく綺麗だね」

「あははー、人斬るがものですから、怖くて当然ね。むしろ、怖さを感じない武器なんて製作者の神経を疑うよ。そんなものは命を統計的データとしてしか見てないことですから。最近のプラスチック使った銃とか、舐めてるですかって感じでねー」

「あれはあれで役に立ってる。玩具みたいな見た目で市民への威圧感が低いからと、正式に採用している公的機関もあるくらいだ」

「作てる側はコストと量産性しか見てないよ。兵器を売るのがどういう仕事か理解してませんです」

 

 口調は軽いが呆れた表情にわずかに不快さのような感情が混ざっている。

 相手は武器の美術館に勤めているだけあって、近代兵器にも詳しいようだが、彼女の何がそこまで静かな怒りを感じさせるのか、相手を知らぬ風花にはまるで分からなかった。

 また、同級生である湊が、ここに来てからはさらに別世界の人間のような雰囲気を纏っていることも、風花が混乱する要因の一つであり。妙な胸騒ぎを感じる事から、早く美術館の方へと戻りたいと思った。

 そうして、箱の中身を確認していた湊が、二つの箱を持っていた包みでくるむと、手に取って紅花に向き直る。

 

「問題ない。これで良い」

「はいはい。じゃあ、どうせ館長の趣味の品ですし、お金はよろしいですから、上に戻るます。けど、これもついでにあげとくますよ。湊が来たら渡そう思ってました」

 

 譲渡した刀を筆ペンで目録から削除した紅花はそう言って、壁のところに置かれていた布袋を湊に投げ渡す。

 受け取った湊が袋から中身を取り出すと、そこにも一振りの刀が組まれた状態で入っていた。

 錆びることを考えれば組んだまま保存するなど言語道断だが、抜かれた刃は薄っすらと青く輝き錆びなど一つもついていない。

 

「それ清麿(キヨマロ)よ。前にポーカーで館長から巻きあげたから、湊にあげるです。鍔が後付けみたいだけど、愛らしい蝶だったから気に入るか思いますがどうか?」

 

 刃長約七四センチ、柄長約二四センチ、柄は蛍火色で鞘は黒。紅花の言う通り鍔が刀身より新しい時代の物のようだが、確かに綺麗な一匹の蝶の形をしていた。

 刃を通す部分が丁度胴体になっているため、大きく翅を広げている姿をしていて、これはこれで良いデザインだと思える。何より、湊はデザインとしての蝶が好きだった。

 ベルトに鞘を差し、風花を下がらせ、湊は腰を落とし構えて抜刀する。

 ヒュン、と空気を切り裂く音が聞こえたかと思うと、部屋の中の空気が流れ風が吹いていた。

 髪が風で揺れるのを感じながら、風花は相手の姿に見惚れて、ただ一言呟く。

 

「……綺麗」

 

 その隣に立っていた紅花も楽しそうに笑って頷く。

 

「うん、よろしいな。さっきあげたのより似合ってます。使うのはそちらにしたらどうか?」

「ああ、それも考えておく。号は何かついてるか?」

「号は……館長、この前の蝴蝶(フーディエ)の刀の号は何ですか?」

 

 刀を貰っただけで詳細を聞いていなかった紅花は、箱に折れた姫鶴一文字を片付けていた車谷に声をかけた。

 呼ばれて振り返った相手は、湊が自分が前に巻き上げられた刀を持っているのを見て、機嫌を損ねたようだが、言葉に棘を含みながらもしっかりと答えた。

 

「……春夢(しゅんむ)じゃよ。それを持った男が結婚してすぐに死に、残された妻が人生の儚さから名付けたんじゃ。因みに、その鍔はミヤマカラスアゲハを表しておる 。曰くある刀じゃが、小僧には勿体ない逸品じゃ」

「だ、そうです。湊、死なないように気を付けてください。お葬式は着る物が準備面倒ですから。それじゃあ、上に行きましょう。風花(ファンファ)もどうぞ、こちらね」

「あ、はい」

 

 聞き慣れない言葉で呼ばれたが、相手が中国の読みで自分を呼んだらしいことは理解したので、風花は素直に後に続いて部屋を出た。

 湊と車谷もその後ろに続き、美術館の方に戻ると、まだ見ていなかった展示品を車谷から解説して貰い、風花は初めての武器鑑賞で非常にためになる時間を過ごして帰って行った。

 余談だが、車谷は湊が春夢のみを持って帰ったと思っていたため、後日、コレクションの整理をする際に、二振りの刀が無くなっている事に気付き紅花に尋ねると。

 紅花は湊に二つともあげたと答えたため、総額で一千万以上する武器を折れた姫鶴一文字と交換したと知ってショックで三日ほど寝込むことになるのだった。

 

 

 

 


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