【完結】PERSONA3 Re;venger   作:清良 要

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第五十話 龍の娘

8月21日(日)

夜――桐条宗家・迎賓館

 

 本日は桐条英恵の誕生日。いつもは保養地で静養している英恵も今日は宗家に戻り、盛大に行われるパーティーの主役として、親族や親交のある旧家の者たちと食事を楽しみながら話をしている。

 そして、美鶴も一年の中で母に会える数少ない機会に、シックな青いパーティードレスに身を包んで参加していた。

 だが、その傍には父も母もいない。今日は立食パーティーだが、英恵の体調を考えて二人はテーブル席を用意し、そこで挨拶にやってきた者らを相手にしているのだ。

 本来なら、美鶴もそこに並んでいるべきだが、どうにも挨拶にきた大人たちの見え透いた媚を売る態度に食事をする気になれず。

 少し風に当たってくると席を離れて、会場の端の方でドリンクを飲みながら窓の外を眺めていることにしたのだ。

 

「ふぅ……やはり、終わるまではお母様と話も出来そうにないな」

 

 久しぶりに会った母は顔色もよく、長時間の移動もあったというのに、あまり疲れを見せていなかった。

 けれど、パーティーの準備もあったので、あまり話をする事も出来ず、近況報告も含んだ相談事もまだ伝えられていない。

 去年も同じようなスケジュールで動いていたので、これは事前に分かっていた事だが、今年は去年よりも話したい事が多い。

 そのため、特に面白くもない顔見せの機会でしかないパーティーなど早く終われば良いのに、と心の中で美鶴は深いため息を吐いていた。

 

「おーい、みっちゅるー!」

 

 だが、グラスを片手に窓の外を眺めていた美鶴に、遠くから呼びかける声が届いた。

 力の抜けるような呼び名に前のめりに倒れそうになったが、どうにか踏み止まると、美鶴は一体誰だと眉を寄らせて声の方に向き直った。

 そして、声の主はすぐに見つかった。赤い煌びやかな着物を着ているというのに、手をブンブンと振って駆け寄ってくる、どうにもパーティーという社交場でのマナーとずれた相手だ。

 他の者は、そんな少女を訝しそうに見ているが、走って美鶴の元までやってきた茶髪の少女は、そんなものはまるで気にしていないらしい。

 美鶴の前に立つと、快活な笑顔を浮かべ一人で話し始めた。

 

「やぁやぁ、お誕生日おめでとうございます」

「いや、私の誕生日という訳ではないのでな。それはお母様に言ってあげてくれ」

「あれ、そうなんですか? おっかしーなぁ、“みちゅるの誕生日”ってカレンダーに書いてたんだけど」

 

 腕組みをして首をかしげている少女の名前は、九頭龍 七歌(くずりゅう ななか)

 旧家である九頭龍家の一人娘であり、桐条とも親交があるため、当主である祖父と祖母は来ていないが、今日は客として両親と共に招かれてパーティーに参加している。

 その歴史の古さで言えば、南条と合わせて数えても桐条では遠く及ばないほど、九頭龍家は由緒正しい家柄である。

 もっとも、何かの事業をしているという訳ではないので、超富裕層ではあるものの、世間での知名度は大して高くはない。

 そんな一応は良家の娘である七歌は、全くそうは見えない、今時の若者らしい軽いノリで話を続けた。

 

「ま、いいや。それより、なんでこんな端の方でぼっち気取ってるんですか?」

「ぼっち? ……よく分からないが、挨拶を続けていて少し疲れてな。休憩がてら外を眺めていたんだ」

 

 七歌とはこういった社交の場で年に何回か会ったりしている。

 お互いに住んでいる場所が離れているので、プライベートではたまにメールや電話をするが、直接会って遊んだりということはこのような機会を除き全くしていない。

 一般常識から少しずれている美鶴に対し、七歌はどっぷりとサブカルチャーなどと呼ばれる事もあるオタク文化にも浸かっている現代っ子なので、ときどき何を言っているのか分からない事もある。

 けれど、意味を理解しなくても会話は続くので、美鶴はあまり深く考えずに七歌との会話を楽しんでいた。

 

「そういえば、さっきの『みちゅる』というのは私のことか?」

「そうですよ? ていうか、他にそれっぽい名前の人なんていないじゃないですか」

「いや、私は美鶴なんだが」

「似てるでしょう?」

「……まぁ、な」

 

 似ているかどうかで言えば、『つ』が『ちゅ』に変わっただけなので、似ていると言えるだろう。

 だが、特に意味もなく、こんな大勢の前でそんな間抜けな呼び方を大声でされる者の身にもなって欲しい。

 悪意の欠片も感じない無邪気な笑顔を見せているので、七歌は単に愛称のつもりで呼んだに違いない。

 それだけに、美鶴は相手をあまり注意する気になれず、やんわりとだけ窘めておく事にした。

 

「その、なんだ。一応、私も桐条の娘としての立場があるのでな。こういった大勢いる場では、そういった愛称で呼ぶ事は控えて欲しい」

「む? ということは、二人っきりならば呼んでもいいと?」

「……いや、君とはあまり二人きりになりたくない。何故だか嫌な予感がするんだ」

 

 野生の勘とでも言おうか。七歌と二人きりになれば、自分の身が危ないと本能が何かを感知していた。

 何がどう危ないかは分からない。しかし、こういった虫の知らせのような物は信じた方が良い。

 美鶴はそれに従って七歌と二人きりの状況になることを拒否すると、グラスを片手に持ったまま身を守るように自分の身体を抱いた。

 相手は美鶴の反応に悔しそうに指を一度鳴らしたが、本当になにかするつもりだったのかと、美鶴は小さく恐怖を感じる。

 しかし、二人がそんな風にやり取りをしているところに、白いスーツを着たある一人の男が近付いてきた。

 

「やあ、美鶴。ここにいたんだね。総帥と英恵様のところにいなかったから探したよ」

 

 言いながら、シャンパンのグラスを片手に現れた、胸に薔薇を挿した白いスーツの男の名は、常盤 兼成(ときわ かねなり)

 どこか爬虫類を思わせる顔つきの、歳は三十半ばといったところ。白スーツに薔薇という如何にも気障ったらしい風貌だが、オレンジの派手なネクタイも相まって、成金らしい悪趣味さが滲み出ていた。

 そして、突然やってきた常盤は、美鶴の隣に立つと、肩に手を回して話しだす。

 

「新しいドレスかな? よく似合っているよ」

「は、はぁ、ありがとうございます」

 

 男の態度に美鶴はどこか嫌そうにしている。しかし、無下にする事も出来ない。

 そんな雰囲気を読みとった七歌は、美鶴の手を引っ張ると、常盤の手から美鶴を奪い取った。

 突然のことに美鶴も常盤も驚いているようだが、相手が口を開く前に、七歌が鋭さを感じさせる瞳で睨みながら言葉をぶつけた。

 

「あのさ、おじさん。先に美鶴さんと話してたの私なんだよね。まぁ、挨拶に来たってんならしょうがないけど、年頃の娘にベタベタと馴れ馴れし過ぎない?」

「な、なんだ、お前は! 馴れ馴れしいだと? ボクは美鶴の婚約者だぞ。どこの家の者か知らないが、この常盤グループ次期社長であるボクに、そんな態度を取って良いと思っているのか」

「常盤グループ? 知らないなぁ。そんなIT関係で急成長しただけの成金一族の名前なんて、九頭龍の方にはまるで届いてないよ。てか、一族の経営で地位につくだけの癖に偉そうだなぁ――――跪け」

 

 言って七歌が常盤の肩に触れた瞬間、常盤の身体がぐらりと揺れて、手に持っていたシャンパングラスを取り落とし、言われた通り膝をついて四つん這いになっていた。

 そのグラスは空中で七歌が中身をこぼさずキャッチしたが、傍で見ていた美鶴も、実際に膝をつかされた常盤も何が起こったのか分からない。

 両者とも表情を驚愕に染めながら、冷たい瞳で見下す様に立っていた七歌に視線を向ける。

 

「……それで、常盤の次期社長にこんな態度を取ったらどうなるんですか?」

「お、お前、九頭龍だとっ。の、呪われた鬼を失った古いだけの一族のくせに!」

 

 七歌の言葉によって動けるようになった常盤は、立ち上がったものの未だ動揺が抜けていないようで。表情をやや強張らせながら、声を荒げて怒りを表している。

 しかし、対する七歌はいたって冷静なまま言葉を返した。

 

「確かに確かに。龍を守る鬼は滅びてしまった。だが、お前は酷く勘違いしている。我々は鬼がいなければ何も出来ないような無能ではない」

 

 再び七歌が相手の肩に触れると、常盤は何の抵抗も出来ずに膝を折っていた。

 ただ触れただけだ。それ以外に何かをした様子はない。

 先ほどまで見せていた、どこにでもいる普通の若者らしい雰囲気は鳴りを潜め、いまの七歌は何か得体の知れない空気を纏っている。

 相手はこんな人間だったか、と美鶴が言葉を失っている前で、七歌は跪いている男に声をかけていた。

 

「龍は神に等しき幻獣だぞ? お前の身を喰らう牙と引き裂く爪だって持っている。鬼が相手ならまだしも、人如きで相手になる訳がないだろう」

「ひ、ひぃっ!?」

 

 七歌の爪が相手の首をなぞると、なぞった箇所が薄っすらと傷になり、僅かにだが血が滲みだした。

 滲んだ血が垂れてきたのを感じた常盤は、慌てて傷に香水臭いハンカチを当てて止血しようとしている。

 それで周囲も異常に気付いたのだろう。テーブルを離れて会場を歩いていた桐条と英恵が三人のところまでやってきた。

 膝をついている常盤に桐条が肩を貸して立たせている間に、三人それぞれに視線を送っていた英恵が尋ねた。

 

「一体どうしたの? 常盤さんが怪我をしているようだけど」

「こんばんは、おばさま。実は、私の手がその人の首に当たっちゃったんです。でもまぁ、その前に龍の逆鱗に触れたのは相手ですから、お相子ですよね?」

「逆鱗?」

「ええ。龍を貶されるだけなら許せますが、鬼を侮辱する言葉を受けました。私はあの人たちを侮辱する者は許しません。誰であろうと撤回させます。さぁ、さっき言った『呪われた鬼』という言葉を撤回しろ」

 

 口調が静かであったため気付かなかったが、桐条に肩を借りて立っている常盤を見ている七歌の瞳は、怒りを表す様に瞳孔が開いていた。

 中学一年生の少女が放つとは思えないような、気圧される敵意を向けられ、常盤は視線を逸らしながら呟く。

 

「す、すまなかった」

「……ふん、連れていって」

 

 一応の謝罪を聞くと、七歌は普通の娘らしいむすっとした顔で男を連れていくよう命令した。

 しかし、いま常盤を支えているのは、このパーティー主催者である桐条だ。桐条の当主でありグループの総帥である人物に子どもが命令するなど、普通では許される事ではない。

 けれど、先ほどの異常な雰囲気を見ていたため、常盤のことも考えて桐条は大人しくその場を離れることにした。

 足に力が入っていないのか、支えられながらもよたよたしている男の背中を見送り。七歌は英恵と美鶴に向き直ると、何か悪戯を思い付いた様な顔をして話しだした。

 

「さっきのは重圧として気をぶつけただけですよ。ま、簡単に言えば相手は腰を抜かしてただけです。それよりおばさま、お誕生日おめでとうございます。言われていた物ですが、ちゃんと持って来ましたよ。おじいちゃんに言えば許可されなさそうだったんで、私の独断で持ってきたんですけど」

「そう、ありがとう。無理を言ってしまってごめんなさいね」

 

 七歌の言葉を聞いた英恵は嬉しそうに笑っている。祖父の許可を得ずに持ってきたというからには、彼女が持ってきたのは九頭龍の管理下にあるものだろう。

 己の母が所望した品が何か分からない美鶴は、不思議そうな顔をして二人に尋ねた。

 

「あの、お母様。七歌に何を頼んでおられていたのですか?」

「少しね。欲しい物があったから、それを譲っていただけないかと七歌さんに頼んでいたの。どれくらいの数になるか分からないから、正直諦めていたのだけど」

「あー……今回のは数で言えば三つっていうか、二振りと一張です。ちょっと待っててくださいね」

 

 待っていろというなり、七歌は会場を走ってどこかへと去って行ってしまった。

 着物でよくあれだけ走れる物だと感心するところだが、七歌は龍の一族だ。鬼には及ばぬものの、常人よりも高い身体能力を有している。

 それが分かっているため、美鶴も何も言わずに待っていると、外から入ってきたらしい七歌が、荷物を運ぶ用の台車を押して二人の前に戻ってきた。

 その上に置かれているのは、とても古そうな金属の細長い箱。長さは約二メートル、幅は約五十センチほどで、中に何が入っているのか想像も出来ない。

 周囲の人間もそんな異様な物を運んでいた七歌を見ていたのか、視線が三人に集まっている。

 すると、その観客の中からスーツとドレスをそれぞれ着た男女が、顔に驚愕を浮かべたまま駆け寄ってきた。

 

「七歌! お前、何を持って来てるんだ!」

 

 やって来るなり七歌を怒鳴った若々しい黒髪をした長身の男は、七歌の父親である九頭龍 恭介(くずりゅう きょうすけ)

 その隣にいる七歌と同じ髪色をした女性は、母である九頭龍 和奏(くずりゅう わかな)だ。

 恭介は普段は温厚な優しい大人の男性といった雰囲気をしているのだが、娘が何を持ってきたのか把握しているようで、今は鋭い目つきで七歌を睨んでいる。

 それに対し、娘の七歌は正面から視線を受け止めた上で返した。

 

「何って百鬼の武器だよ。おばさまが欲しいって言ってたから、迎えの人に百鬼の蔵から運んでもらって持ってきてたんだから。ていうか、これの所有権は九頭龍にはないんだし、親交の深かったおばさまが欲しいって言うなら、別にあげたって問題ないでしょ?」

「そんなはずないだろう! 英恵さん、貴女はこれが何か分かっているのですか? 実際に人殺しに使われていた凶器なんですよ? いくら菖蒲さんと親しかったとはいえ、これを貴女にお譲りすることは出来ません」

「はーい、御開帳」

 

 父親が話しているというのに、七歌はその隙をついて重厚な箱の蓋を足で押して開けた。

 ズシン、と重い物が床に落ちる音が響く。そして、箱の中身が晒されると、周囲の者たちは息を呑んだ。

 箱に入っていたのは、紅緋色の短弓が一張、所々に金の装飾具のついた黒地に白や金の浮雲模様の入った刀が一振りと、ほとんど装飾のない金属の塊と言って良いような、鍔はなく金色の柄が直接刀身に繋がっている大剣の計三つの武器だった。

 弓は一本の木から作られた丸木弓で、長さは一〇九センチ、そして黒い弦がピンと張られている。

 刀は白鞘のように鍔のない柄と鞘で一つのデザインとなっているが、全長およそ八三センチ、刃長は六十センチ程度。

 大剣は全長およそ二メートル弱に、幅三五センチといったところだろう。

 七歌が台車を使って運んだのも当然で、普通の大剣ならば五キロにも満たないだろうが、箱に収められている大剣は、どうみても十キロ以上はありそうだった。

 

「弓は暁って名前で、刀の方は八重桜。大剣の方はフェアティルゲンって言うらしいですけど、別名に九尾切り丸(くびきりまる)ってのがあるんで、そっちの方が覚えやすいと思います」

「くびきりまる?」

「はい、その大剣をぶんまわして九尾の狐を切ったそうですよ。だから、九尾を切った刀って意味で、九尾切り丸です。八重桜は殺した相手の血の吹き出す様が、まるで八重桜の花のようだってことらしいです。弓は本体の色が朝焼けの色っぽいから暁ってね」

 

 九尾切り丸は一切錆びも傷もなく、まるでアクセサリーのような光沢のある銀色をしているため、どの時代の物かは分からない。けれど、どうみても西洋剣だ。名前もフェアティルゲンと言っていたため、外国から齎された武器をそのまま使っていたのだろうかと思ってしまう。

 だが、英恵はそんな考えをすぐに否定した。百鬼は何代にも亘って様々な血を入れて強い個体を作ろうとしていた一族。

 ならば、その中に異国の者も当然いたのだろう。この九尾切り丸はそういった者の作った武器であり、百鬼でなければ使いこなせなかった武器なのだ。

 

「九尾切り丸の重さはどれほどかしら?」

「六尺三寸、三十貫ですから……一九〇センチ、一一二キロくらいですかね? 両手剣ですけど、百鬼の仕様だと片手持ちの武器です。蔵の本に書いてありました」

 

 一一二キロを片手で持って戦える。そんな事が可能ならば、武器で受けようと、武器ごと鎧も砕かれ、そのまま切り伏せられるに違いない。

 最強などという言葉では生ぬるい。戦国の世ならば、まさに鬼神の如き強さを誇っていたのだろう。

 過去の百鬼を通じて、改めて英恵が湊の身体に秘められた力の底の見えなさに内心で喜んでいると、娘の行動に恭介が呆れたように頭に手を当てている。

 

「お前はまだあそこに出入りしていたのか」

「はぁ? 誰もあそこの掃除しないから、休みで本家に帰ったときに私がしてるんじゃん」

「百鬼の家と違って、蔵は普通の人間が入ったら危ないんだ。業者の者に掃除させて蔵を血の海にする訳にもいかないだろう」

「だから、お爺ちゃんとかお父さんがやれば良いじゃん。何のための武器があんなに残ってるか分からない訳じゃないでしょう?」

 

 何のための武器か。それは言うまでもなく、九頭龍の命令で戦うための物ということだ。

 百鬼が九頭龍から解放されたのは湊の曽祖父からだが、戦時中や戦後には混乱に乗じて悪事を働く者から人々を守っていたため、いつまた武器が必要になるか分からないと託された湊の祖父も、父からそれを聞いた菖蒲もしっかりと管理していた。

 しかし、元服を迎えることで一族のことを知らされる十四歳の誕生日の前に、息子に伝えるはずだった菖蒲はこの世を去り、湊は公的には鬼籍に入ってしまった。

 そのため、もう百鬼の武器を扱う者はいないのだが、それでも供養の意味も籠めて七歌は掃除を自らしている。

 祖父も父も、何だかんだと強がってはいるが、内心では今も百鬼を恐れて、百鬼の家に近付こうともしていないから。

 

「死んだと思ってるんでしょ? 私が八雲君は生きてるって言っても信じてないんだし。それなら怖がる必要ないよね?」

 

 七歌たちの先祖は百鬼に命令一つで人殺しを強要してきた。相手の気持ちなど考えず、自分たちの利益のためにしてきた残酷な仕打ち。

 九頭龍も優秀な血を一族に入れてきたので、常人よりは基礎能力でかなり上回っている。

 けれど、優秀な個を作るために交配を繰り返し、どのような相手でも屠るために技術を磨いてきた百鬼には勝てない。

 それをコントロール出来たのは、ひとえに九頭龍の血のおかげである。

 理由は不明だが、百鬼は九頭龍の命令に逆らえず、また故意だろうと事故だろうと傷付けることが出来なかったのだ。

 故に、九頭龍は百鬼に対して恐怖を抱かずに過ごせていたのだが、最後に生まれた九頭龍と百鬼の混血児は、龍の血も持っていたため血の呪縛が効かなかった。

 

「あんまり粗末に扱ってるとさ。恨まれるよ、八雲君に」

「いい加減にしないか! 八雲君もあの事故で死んだ。どうしてそれを受け入れようとしないんだ!」

「だから、死体がないからって言ってるでしょ? 棺の中に一人だけいなかった。他の人は誰も不思議に思ってなかったけど、私はそれを覚えてる。一つだけ空っぽのまま骨壷を墓に納めて、なんでおかしいって気付かないかなぁ」

「っ!?」

 

 父親に反論する七歌の言葉に、常盤を送って戻ってきた桐条が驚愕している。他の誰も見ていなかったようだが、英恵はそれを見逃さなかった。

 湊に関わることは全て影時間に起こった事だ。死体がないことも、何もかも全て人々の記憶や認識に補正がかかっておかしいと認識されないはず。

 それを七歌は葬式のころからおかしいと気付いていた。嘘を言っているようには見えず、自分が正しいと確信を持っているのが瞳の強さに現れている。

 その事が意味するのは、九頭龍七歌は湊と同時期から影時間に対する高い適性を有しているということだ。

 この中でそれを理解したのは湊が生きている事を知っている二人だけ。だが、英恵は湊の生存を知らないことになっている。

 よって、自分の夫が何か行動に移す前に、百鬼の親子と親交が深かった者としての仮面で七歌に声をかけた。

 

「あら、随分と興味の惹かれるお話ね。では、七歌さんは八雲君が生きている。そう確信を持っているのね?」

「居場所は分かりませんけどね。事故現場には血痕くらいしかなかったと思いますし。生きているなら五体満足で元気なんじゃないですか? ああ、おばさまが出会う事があったら、三つとも八雲君に渡して貰えます? それまでは桐条の蔵か何かで管理って形で良いので」

「ええ、分かったわ。でも、私は普段は別宅で暮らしているから、軽い物だけでも直ぐに渡せるよう。この弓と刀だけそっちに持って行かせて貰うわ」

 

 言いながら暁と八重桜を手に持つと、英恵は歳のいった使用人と会場の警備をしていた者を二人ほど呼び付けて、蓋をしっかりと閉めた状態で九尾切り丸を保管庫の方へと運ばせた。

 その間、桐条や恭介は何かを言いたそうにしていたが、どこか狂気を感じさせる薄い微笑を浮かべている英恵に声をかけられず、九尾切り丸は会場から台車で運び出されていった。

 

「うふふ。今日はとても楽しいお話が聞けて良かったわ。でも、少し疲れてしまったから、他の方には悪いけど、先に部屋に戻らせていただきますね」

「あ、ああ。ならば、私も部屋までついて行こう」

「いいえ、大丈夫です。あなたは来賓の方のお相手をお願いします。流石に二人揃って抜けるのは拙いでしょうから」

「そうか? どうしても体調が優れないのであれば、内線で女中なりを呼びなさい。医者もすぐに手配しよう」

「ええ、ありがとうございます。では、皆さん、今日はどうもありがとうございました。またお会い出来ることを楽しみにしています。美鶴、何か話したい事があるのなら、パーティーが終わってから着替えて部屋にいらっしゃい」

 

 そういってから、もう一度、来賓へ優雅に一礼すると、英恵は八重桜と暁を手にしたまま会場を後にした。

 会場に残った他の者たちは、桐条や九頭龍夫妻は他の家の者たちと挨拶がてら談笑し、美鶴と七歌は二人で適当に食事を摘みながらパーティーが終わるまで話していたのだった。

 

***

 

 会場を出た英恵は、刀と弓を持ったまま本宅に用意された休憩室に向かっていた。

 使用人や女中がついてこようとしていたが、部屋で少し休むから誰も近付かないようにと言いつけると、何かあれば直ぐに呼んで欲しいと言って去って行った。

 そして、部屋につくなり扉の鍵を閉めてソファーに寝ている少年に声をかける。

 

「もう……ベッドで寝ていて良いと言ったでしょう?」

 

 苦笑した英恵に声をかけられると、その声で相手は目を覚ましたのか、もそもそと動いて身体を起こした。

 伸ばしっぱなしで既に肩にかかっている青い髪に、不思議な輝きの宿った金色の瞳、首にはトレードマークの黒マフラーを巻いた少年は、本来ならばここにいるはずのない人物。

 しかし、今日は英恵の誕生日だからと、パーティーが始まって警備が迎賓館に集中し、本宅の方が手薄になったらやってくる事を事前に連絡していたのだ。

 電話やメールで構わないと言っていたのに、わざわざ危険を冒してまで直接祝いの言葉を言いに来てくれた少年に、英恵は綺麗な微笑を浮かべて持っていた弓と刀を渡した。

 

「はい、八雲君。これは貴方の御実家にあった物よ。七歌さんに頼んで持って来ていただいたのだけど、もう一つは百十二キロもある大剣だから、流石に持ってくることが出来なかったの。古い骨董品を保管しておく第二保管室に運んでおいたから、また次の機会に渡す様にするわね」

「……七歌も来てたのか。おばさんの娘と、岳羽が来ているのは分かってたが、七歌は気にしていなかった」

 

 この部屋からでもペルソナを使えば簡単に来ている者らを把握出来る。桐条親子の他、母親にでも誘われたのだろう、岳羽ゆかりもブランド物の服を着て出席しているのを確認していた。

 しかし、従姉である七歌については、現在の姿を知らない事に加えて、どのような気配をしているのかペルソナで探知したこともなかった。

 そのため、カグヤを高同調状態で呼び出すと、会場で美鶴と話をしている七歌を感知出来るようにしておくため、姿と共に気配を覚えておく。

 

「……綺麗なペルソナね」

 

 湊の背後で両手を広げている月夜の異邦人に、英恵は素直に賛辞を送った。

 窓から差し込む月の光に照らされた姿は、まさに月の姫といった然で、美しいという以外にかける言葉が見つからない。

 そんな風に己のペルソナを褒められたわけだが、少年は気にした様子もなく目を閉じて探知を続けている。

 話しかけて返事がなくても、英恵はまるで不快に思っておらず、少年の隣にそのまま座って少年の作業が終わるのを待った。

 

「終わった」

「そう。ペルソナを使っていたけど、大丈夫かしら? ここには、ラボと同じようにシャドウやペルソナの出現を感知する装置があるのだけど」

「シャドウはともかく、ペルソナの出現感知は波長の記録が必要だ。エルゴ研では別の場所で目覚めた俺のペルソナの波長は記録していないから、感知のしようがない。仮に通常時の波長を記録しようと、高同調状態なら波長は変わるから、どちらにせよ今の召喚はばれない」

 

 湊の来訪がばれることを危惧し、英恵が不安の色を表情に浮かべて尋ねると、湊は受け取った刀を眺めながら返した。

 桐条側にはペルソナごとに波長を記録しておいて、それを元に相手の居場所や召喚を感知する技術もある。

 だが、研究員らの目の前で目覚めた被験体と違い、湊のペルソナはベルベットルームなどで目覚めている。

 そのため、エルゴ研時代に行っていたタルタロスの探索や、被験体との訓練の召喚だけでは記録する時間が足らず。エルゴ研にいた子どもの中で、湊だけ桐条側にペルソナの波長のデータが残っていなかった。

 そんな、ペルソナの波長や、出現感知のメカニズムは知らなくとも、湊が安全であることだけは理解し、英恵は安堵してホッと息を吐いて、隣で今も刀の外身を眺めている少年に話しかけた。

 

「そっちの弓は“暁”で、刀は“八重桜”というそうよ」

「……この弓の弦は人の髪だな。それとこっちの方は退魔刀だ。古い家だから弓や刀があっても驚かないが、これなら一般人でもシャドウを切りつけられそうだ」

「退魔刀? それに、普通の人でもシャドウを切りつけられるとは?」

 

 湊は今も百鬼の血筋について知らない。

 それは誰も教えていないからであり。もう少し上の世代であれば百鬼の噂を耳にしていただろうが、既に滅びたとされる百鬼の話を今でもしている者は、裏の仕事関係であっても少ない。

 そのため、自分の実家に武器があることを多少不思議に思ったようだが、英恵が話題を自然に逸らすと、素直に説明をしてきた。

 

「陰陽師・神官・僧侶などが、妖怪や悪霊を切るために使っていた武器の事だ。類似品に破魔刀とかもあるが、細かい分類はない。そして、この刀は実際に何かの力が籠められているから、シャドウにも反応して切ることが出来る筈なんだ」

「シャドウにまで使えるだなんて、それを作った人はすごいのね」

「そうでもない。シャドウは心の怪物だから、武器を作る際に自分の想いや魂を籠めることが出来れば、それで十分干渉できるんだ。現代の職人だって魂や想いを籠めて作っているから、後は極限まで集中して一心に籠め続ければ同じように出来ると思う」

「フフッ、それを人は極地や極意というのよ。“言うは易し、行うは難し”ということね」

 

 少年は本当に簡単そうに言うが、それがどれだけ難しいことか、大人である英恵は正確に認識していた。

 職人は皆、魂や想いを作品に籠める。けれど、力が宿るほどの物となれば、生涯の内に一つでも作ることが出来るのはほんの一握りの者だけだろう。

 当たり前のように己の全てを懸けて戦っている少年だからこそ、他の者には難しいことだと分かっていないらしい。

 相手を見ていて思った英恵は、慈しむように湊の髪を優しく撫でた。すると、刃紋が薄っすらと紅い色をしている刀身を見ていた湊が、何かを思い出したように英恵の方を向いた。

 

「……プレゼント、用意してなかった」

「ああ、別にいいのよ。貴方がお祝いを言いに来てくれただけで嬉しいのだから」

 

 真剣な表情で言ってきたため、内容を聞いて拍子抜けしてしまった。

 影時間の別宅に来るのならともかく、今日の宗家の敷地内は旧家や名家の他にも、大企業の重役なども多数来ているため、普段よりも警備は厳重になっている。

 それを掻い潜って祝うために会いに来てくれただけで、英恵にとっては十分過ぎる贈り物だった。

 けれど、自分を見つめている少年は、それに納得していない様子だ。

 何か欲しい物はないか、と暗に尋ねているのだろう。

 しかし、欲しい物は基本的に湊や美鶴にあげたい物ばかりで、自分のためだけに欲しい物となると思い付かず困ってしまう。

 そうして、しばらく悩んだ末にある事を思い付いた英恵は、少し間を開けてそれを口にした。

 

「じゃあ、一つお願いを聞いてもらっていいかしら。いつになるか分からないけど、美鶴が本当に大変な目に遭ったとき、一度だけ助けてあげて欲しいの。私や武治さんでは助けられない状況というものが、きっといつかやってくるわ。だから、そのときはあの子を助けてあげて頂戴」

 

 言って、我ながらなんと狡いやつだろうかと嫌悪する。

 少年の優しさに甘え、絶対に断れないであろうことを分かっていながら、憎んでいる男の娘を助けてやってくれと“命令”に近い“お願い”をしているのだ。

 自分たち親では助けられない状況で助けるということは、結果的に桐条武治にもプラスになることである。

 普通なら激昂してふざけるなと怒鳴るところだ。しかし、心の優しい湊は自分の頼みを絶対に断らない。その確信があった。

 英恵の話を聞いたとき、僅かに眉を寄せた湊がどう返してくるか少しばかり待つ。そして、一分も経たぬうちに、湊は嘆息して首を縦に振った。

 

「一度だけだ。タイミングはこっちで決める」

「ええ、どうもありがとう」

 

 第二の我が子とも言える少年を利用する罪悪感に胸が痛む。

 けれど、少年が一度であっても娘を守ってくれる。それも本当に大変な目に遭ったときと言ったからには、湊は桐条どころか他の誰であっても助けられない状況で、どのような方法を使ってか助けようとするに違いない。

 そのことにこれ以上ない安心感を覚え、複雑な心境ながらも英恵は喜びを感じていた。

 英恵は湊に百鬼の武器を渡し、湊は英恵の誕生日プレゼントの代わりに約束を一つした。これで今日の予定は終了だと、湊はいつも通り帰る前に英恵の胸に手をかざして生命力の譲渡を始めた。

 緑色の温かな光が手から放出され、英恵の胸の中へと吸収されてゆく。そんな不思議な光景を静かに眺めていると、湊が口を開いた。

 

「……そういえば。早ければ年明けで、遅ければ三月くらいに外国に行ってくる」

「あら、旅行にでも行くの?」

「学校側には留学ってことで伝えるが。実際は、日本ではこれ以上は難しいから、外国を巡って力をつけてくる。期間は留学名目なので一年くらいの予定だ。途中に帰ってこれるか分からないから、先に伝えておく」

 

 力を付けてくるという事は、湊は旅行などという楽しい理由ではなく、裏の仕事の延長で海外の危険な場所に行ってくるつもりなのだろう。

 正直に言えば行って欲しくない。平和な日本と違い、外国では一般市民でさえも拳銃を所持していることがある。

 酒に酔った勢いで発砲するような人間もいるような場所に、大切な子どもを送り出したくはない。

 だが、湊は明確な目的を持って外国へ向かおうとしている。ならば、例えチドリやアイギスが行かないでくれと頼んでも、きっとそのまま行ってしまうに違いない。

 相手を引きとめる力も言葉も持たない英恵は、どこか悲しそうな笑みを浮かべて、生命力を譲渡している湊の手をそっと自分の手で包んだ。

 

「……気を付けてね。何か困ったことがあったら、海外にいる知人に連絡してあげるから、電話するのよ?」

「問題ない。いま一緒に仕事してる相手が、留学中も一緒に来てくれることになってる」

「そうなの。でも、言葉が通じない場所では、色々と困る事も多いでしょうから、そういうときは迷わず連絡して」

 

 今度の英恵の言葉には湊も素直に頷いた。

 生命力の放出も終えたため、後はもう帰るだけだ。今は影時間ではないため、人に見られることを考えれば空を飛ぶ事は出来ない。

 そうして、湊は隠密行動用にマフラーで口の辺りを隠すと窓を開けた。

 

「……おやすみなさい」

「ええ、おやすみなさい。またお話しましょうね」

「時間が作れれば。それじゃあ」

 

 挨拶を終えた湊は、三階の窓から飛び降りて、音もなく着地すると、そのまま警備の人間に見つからずに中庭を走って行ってしまった。

 着地した場所から目で追っていた自分はぎりぎり把握出来ていたが、服の色もあって確かに他の者からは視認されづらいことだろう。

 警備の人間の三メートル後方を走り抜けたときなど、思わず吹き出してしまいそうになったくらいだ。

 あの様子ならば、誰にも見つからずに敷地から出て行けるはず。そう思って窓を閉めると、五分後に脱出完了というメールを受けて、英恵はとても良い誕生日だったと幸せな気持ちでベッドに入って休んだのだった。

 

 

 




本作内の設定
女主人公の名前を九頭龍七歌に設定。

原作設定の変更点
桐条英恵の誕生日は原作では明かされていないが、本作では八月二十一日に設定。

美鶴の婚約者である男の名前を常盤兼成に設定。年齢や容姿の説明は原作に準拠。

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