【完結】PERSONA3 Re;venger   作:清良 要

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第五十一話 夏休み最終日

8月31日(水)

昼――巌戸台駅

 

 夏休み最終日、人によっては一日中机に向かったまま、「終わらない」や「間に合わない」などと泣き言をいう日である。

 しかし、駅前に集まっていた岳羽ゆかりと他の美術工芸部女子の面々は、七月中に全員で部活の休憩時間を使って宿題を終えていたので、そのような苦しみとは無縁であり。ただ休みが終わることに対してのみ、名残惜しさを感じるだけだった。

 

「じゃあ、全員集まったし。案内してくれる?」

 

 ゆかりが辺りを見渡して、女子全員と真田と荒垣が来ていることを確認すると、行き先を知っているチドリと風花が頷いた。

 ちなみに、湊が今日も欠席しているのは、事前にバイトがあると連絡がきているので、一緒に遊べないことは残念に思うが、連絡がつかなくて心配ということもないので、ゆかりは黙って二人の後をついて行く。

 

「なぁ、昼間っから中華食いに行く意味ってあんのか?」

「お昼ご飯に中華食べるのって変ですか?」

 

 今日の集まりの趣旨をいまいち出来ていないらしい荒垣が尋ねると、ゆかりは不思議そうに返す。

 昼間にラーメンを食べるなんてよく聞く話なので、それがグレードアップしたと思えばおかしくない。

 そう思ったため聞き返したのだが、どうやら相手の聞きたい事は、“何故、昼に中華なのか”という事ではなかったようで、どうすれば伝わるかを考えてから再び口を開いてきた。

 

「そうじゃなくてだな。なんで、急に呼ばれたと思ったら、中華食いに行く話しになってんだってことだ」

「先輩、お昼ご飯食べて来たんですか?」

 

 チドリと並んで歩いていた風花は少し心配そうに荒垣に尋ねる。

 一行が向かっているのは、前に風花が湊と一緒に行った紅花の実家の中華料理店だ。

 チドリもそこへは行った事があるので、道を知っている二人が先導している訳だが、注文するのは点心の食べ放題の予定なので、既に昼を食べ終わっているとしたら悪い事をしてしまったと申し訳なく思った。

 そして、僅かに風花の表情に不安の色が混じると、荒垣はどこかぶっきらぼうな口調で直ぐに否定し答えた。

 

「まだ早いと思って食ってねぇ。だが、緊急事態発生ってメールで呼ばれて走って来たら、単に夏休みが終わるって話だった俺の徒労はどうしてくれんだ」

「え? ちゃんと下の方に書いておきましたよ?」

「ああ? …………普通に書けよ」

 

 ゆかりに言われて『緊急事態発生』というタイトルで『すぐ巌戸台駅前にきてください!』と本文に書かれたメールを下にスクロールしていくと、確かに『夏休みが終わっちゃいますΣ(・ω・*)』と書かれていた。

 しかし、何か問題が発生してすぐに来て欲しがっていると思い込んでいる状態で、こんな子ども騙しのような仕掛けに気付けるだろうか。

 何も無かったのは良かったが、単に自分が一人で勘違いして焦っていた事を知り、荒垣はさらに疲労を感じながら、風花とチドリに案内されて店を目指して歩き続けた。

 

――中華料理店“南斗星君”

 

 目的地に着くと、既に来た事のあった二人を除いた他の面々は、その高級料理店を思わせる外観に怯んでいた。

 しかし、チドリがすたすたと中に歩いて行ったので、後に続いて入って行くと、短い丈のピンクのチャイナドレスを着た女性に迎えられた。

 

「あや? チドリに風花、昼間にくるは珍しいな。今日はお客さんいっぱいだから、少し五月蝿いけど勘弁ね」

 

 言いながら案内を始めたのは、紅花の妹である鈴音だった。

 人数を確認して空いている席に皆を連れてゆくが、確かに昼時ということを踏まえても、今日は普段よりも客が多い様に感じた。

 どうして今日はこんなにも客が多いのか気になったチドリは、席に着くなり鈴音に尋ねる。

 

「今日、何かあったの?」

「ないよー。まぁ、あると言えばあるけど、実際は関係ないから単に偶然と思いたいな」

「訳分かんない。普段と違うの?」

「んー……まぁ、今日の料理は久しぶりのバイトが作ってるくらいな。でも、味は美味しいから安心して良いね」

 

 あははー、と姉と同じ笑い方をして鈴音はメニューを配って、水を全員の前に置いてゆく。

 だが、話を聞いた他の者は人が多い理由を察した。

 つまり、どういう訳か、料理人が料理を作れない状況になり、代わりにバイトが料理を作っているため、料理を出す速度が遅くなって客を捌けていないようだ。

 店員が味は美味しいと言っていること、特に客からのクレームで騒ぎになっていないことを考えると、その評価は真実らしい。

 ならば、作っているのがバイトだからと言って文句はない。そう考えて、適当にソフトドリンクを決めると、初めはお任せで点心の食べ放題を人数分注文する事にした。

 

「人数分の点心食べ放題。初めの内はそっちに任せる」

「あいあい。じゃあ、いくつか持て来るから待ててね」

 

 他の者が頼んだドリンクだけメモして鈴音は去って行った。

 そして、残された者の中で、眉を寄らせた難しい表情の真田が一番先に口を開く。

 

「……バイトが作ってるって大丈夫なのか? 明らかに忙しそうにしてるが、店が回って行かないんじゃないか?」

「客の俺らが気にしたってしょうがねえだろ。それに、注文受けて直ぐに料理は出てきてるみてぇだし。単純に客が頼み過ぎな可能性だってある」

 

 荒垣の言葉で回りを見てみると、言った通りに蒸篭を持ってきた店員に、客が直ぐに追加注文をしている。

 運んでも運んでも追加が入るとなれば、確かにどれだけ作るのが速かろうが、店側の供給が追い付かなくなるのも当然だ。

 むしろ、店員の往復のペースが尋常でない気もしてくる。現に先ほど厨房に戻ったばかりの鈴音が複数の蒸篭を持って現れた。

 注文してまだ三分も経っていない。蒸す時間を考慮すればあり得ない速度である。

 メンバーを代表して表情をやや引き攣らせながら、不思議に思ったゆかりが、蒸篭を並べている鈴音に尋ねた。

 

「あ、あの、早過ぎませんか? 頼んでからまだ五分も経ってないって言うか……」

「ん? ああ、普段の三倍速で料理提供してるな。午前様で一日の売り上げ達成してて、媽媽(母さん)も喜んでるけど。忙しいし、いつもより沢山料理だしてるから、ちょと食材の在庫が心配だよー」

 

 提供速度の理由を聞いた他の者たちは、さらに自分の顔の筋肉が引き攣り硬直するのを感じた。

 いくら忙しいと言っても、蒸す時間や焼成には必要な分数が存在する。それを無視しているようにしか思えない速度で提供するという事は、何か魔法でも使って調理時間を短縮していることになってしまう。

 そんな手抜き料理で大丈夫か心配しながら、鈴音の「めしあがれ!」という元気な声に押されて、箸で春巻きを一つ取ると、ゆかりを恐る恐るゆっくりとそれを口に運んだ。

 そして、噛んだ瞬間にパリっと気持ちのいい音が生地から聞こえ、コクのあるジューシーな中身が溢れだし、その味にゆかりは思わず声を上げた。

 

「うわ、なにこれ美味しいっ!」

「本格中華ってあんまり食べたことがなかったんですが、本当に美味しいですね」

「ああ、正直言って驚きの美味さだ。種類は任せる。どんどん持って来てくれ!」

 

 ゆかりに続いて真田兄妹も別の料理を口にして、その想像を超えた味につい顔を綻ばせる。

 客のそんな反応に満足したのか、鈴音は真田の言葉に「かしこまり!」と言って厨房に戻って行った。

 以前来た事のあった風花やチドリも、他の者が喜んでいるようで安心してパクパクと食べ進める。

 だが、他の者がそうやって食べている中、ただ一人一口食べた料理を黙って見つめている者がいた。

 何か苦手な物でも入っていたのか心配になった風花が、円卓の正面に座っている荒垣に声をかけた。

 

「あの、荒垣先輩? 何か嫌いな物でも入ってましたか?」

「いや……素直に驚いてるだけだ。豚のひき肉、生姜、タケノコ、しいたけ、玉ねぎ、白菜までは分かるが、このコクはなんだ? ベーシックな醤油やオイスターソースを混ぜてるだけじゃ出ねえ味だ」

 

 春巻きを見つめている荒垣は真剣な表情で考察している。たった一口食べただけで、彼がどうしてそこまで真剣になっているのか他の者は分からない。

 しかし、料理が出来る人間だけあって、他の者も唸らせる料理のレシピに興味を持ったのだろう。

 味や材料に不満があって箸が止まっている訳ではないと分かり、風花達もほっとすると、もうしばらく放置しておいてあげることにして、追加で運ばれてきた他の料理に舌鼓を打つことにした。

 

「二名様、ごあんなーい!」

『いらっしゃいませー!』

 

 他の者が食べ進め、荒垣が新しい料理を食べる度に長考していたとき、風花は店員の声に聞き覚えあったため顔をあげた。

 すると、深いスリットの赤いチャイナドレスを着た紅花が、新たにやってきた客をテーブルに案内していた。

 美術館の仕事は休みなのだろうかと疑問が湧く。だが、接客を終えた相手に挨拶をしようと考えたとき、紅花の後ろにいた二人の客を見て思わず声を上げてしまう。

 

「あっ、先生」

「ん? おおっ、やっほー! 皆、ひっさしぶりー!」

 

 紅花が連れていた客。それは湊らの担任である佐久間文子と保険医の櫛名田姫子だった。

 風花の声で気付いた佐久間がブンブンと手を振ると、紅花も風花たちに気付いたようで、気を利かせて二人をすぐ近くのテーブルに案内する。

 

「ここの席にどうぞー。水は今持ってくるですよ」

「ああ、ありがとう。それにしても、お前たちも暇なんだな。折角の夏休み最終日に、恋人と思い出作りに行こうとは思わないのか?」

「姫子先生、うちの部活メンバーは全員がフリーなのですよ。ま、有里君は女性の影がチラチラとあるけど、恋人はいないみたいですし」

 

 近くの席に着き紅花が水を取りにいくなり、櫛名田が生徒らを見て情けないといった表情を作る。

 だが、佐久間が自分を含めて誰も恋人がいない事を告げると、つまらなそうに「そうか」と呟いた。

 

「お水お待ちどうさまね。今日は何にしますですか? 最近は甘い酒が好きな子も多いですから、果酒(くあちゅう)とかも仕入れるようにしたですよ」

「んー、じゃあとりあえずそれと、点心の食べ放題お任せで」

「私は生中で。焼き餃子が食べたいから、一緒に持って来てくれ」

「あいあい。では、お待ちくださーい」

 

 二人もこの店では常連なのか、紅花も軽いノリで注文を受けて去って行った。

 注文後もメニューを眺めている教師ら二人に、咀嚼していた唐揚げを飲み込んだゆかりが声をかける。

 

「先生、お昼からお酒飲むんですか?」

「ん? そうだよ? だって、いまはお仕事中じゃないもん。お休みの日くらい、朝昼晩とお酒飲んだって誰にも文句言わせないもんね」

 

 ふわふわとした印象の花柄ワンピースを着た佐久間は、そういって胸を張って勝ち誇った顔をする。

 確かに休日にどう過ごそうが自由だが、生徒の前でも全く取り繕わないで良いのか、とゆかりはげんなりしつつ次の料理に箸を伸ばす。

 すると、今度はゆかりに代わって、風花の隣に座っていたチドリが質問をぶつけた。

 

「……恋人作ろうとか思わないの? 寂しく女二人で昼間から酒飲んで」

「私の求める条件を満たす良い男がいないんだ。まぁ、候補くらいはいるが、流石に捕まりたくはないからな。あいつが高校生になるまでは、摘み食いも我慢というわけだ」

「先生はねー、恋と友情を両立したいタイプなので、ちゃんとお友達とも遊ぶんだ。あ、好きな人はいるよ? でも、まだ付き合うには時間がかかりそうだから、当分は友情を温める感じかな」

 

 二人が言い終わった瞬間、その場に冷たい空気が流れた。

 両者は傍目から見れば笑っているが、獲物を前にした肉食獣が睨みあっているかのような緊張がその場に走っている。

 試合の緊張感に慣れている真田ですら、笑顔でお互いを見合っている女性二人から、冷や汗を掻きつつも目を離せないでいる。

 故に、争いごとに耐性のない風花が泣きそうになり、隣のチドリの腕を掴むのも無理はなかった。

 

「失礼するですよ。桂花陳酒、生中、点心お任せと焼き餃子お待ちですね」

 

 とそこで、場の空気をリセットする救いの神が現れる。

 ジョッキとグラスの乗った盆と、蒸篭を器用に運びながら、持ってきた料理と酒を二人の前に置いてゆく。

 先ほどまで笑顔で牽制し合っていた二人は、まるで何事もなかったかのように、料理がやってくると乾杯してから食事を始めた。

 

「ぷっはー! やっぱり、お酒は良いよねー。他の人が働いてるときに、自分は涼しい場所で美味しい物食べながらお酒飲めるって最高だよー」

「同感だな。ただ無駄に金を払って娯楽をするよりも、こういった精神的な格差を嫌でも意識させる事の方が何倍も贅沢だ」

「あははー、仕事してる人間の前でよく言えたですねー。湊に言ってお客さんの料理には一つだけ激辛爆弾しかけるよう伝えておくですよ」

『……は?』

 

 紅花の言葉を聞いた途端、隣のテーブルにいたメンバーが声を揃えてポカンとした。

 聞き間違えでなければ、相手は湊が料理を作っているかのように言っていた。

 それほど多い名前ではない事に加え。元々、風花やチドリも湊の紹介でここに来たらしいので、この店の店員がいう“湊”とは“有里湊”であるはずだ。

 だとすれば、自分たちに出されている料理も湊が作ったのだろうか?

 自分の料理スキルが未だペーペーであるゆかりは、同級生の男子がこんなプロ級の腕前であって欲しくないと願いながら、意を決して尋ねた。

 

「あ、あの、この料理って有里君が作ったんですか?」

「そですよ。湊、私の弟子になる条件として、昔からたまにうちでバイトしてるですから。ま、バイトの方が料理上手って店員にも評判で、料理長は半泣きだけども」

 

 てっきり、バイトとは眞宵堂のことだと思っていた女子らは、チドリを除き全員が心に大きなダメージを負った。

 あまりに料理スキルが違い過ぎる。プロの料理人に男性が多い事は知っていても、中学生ではまだ女子の方が料理をしているイメージが強い。

 だというのに、相手はバイトのくせに料理長よりも上の実力を持っている。それは完全に敗北を認めなければならないほど、途轍もない実力差を示していた。

 

「ち、チドリは知ってたの?」

「ええ。最初から今日はバイトだって言ってたでしょ?」

 

 自分や湊は初めから伝えていたはずだ。そう言いたげに、食べながら答えるチドリ。

 しかし、それに美紀が苦笑いを浮かべながら言い返す。

 

「いや、あの、骨董品屋さん以外にもバイトをしてるって初めて聞いたんですが……」

「まぁ、こっちはあんまりしてないからね。でも、中学に入ってからも、何回かはしてたわよ?」

(だから、初耳だってば……)

 

 いくら自分たちと出会ってからもバイトをしていようと、そもそも情報として伝えられていなければ、分かるはずもない。

 隣のテーブルの教師らは驚きもせず飲み食いを続けているので、チドリと同じように知っていたらしい。

 どうして中学生でバイトをしていることに教師がツッコミを入れないのか、という疑問も浮かんだが、ゆかりは自分たち以上に衝撃を受けている男子二人を再起動させるため、静かに声をかけた。

 

「あの、先輩? 大丈夫ですか?」

「……あ? あ、ああ、問題ねえ。ところで、シェフを呼んで貰えるか? 礼を言いたいんだ」

「あははー、うちではバイトはシェフとは呼びませんです。でもまぁ、そろそろ休憩時間だから構わないな。ちょと、待ててください」

 

 問題ないと言いつつ、どこか放心状態のまま荒垣が、シェフを呼ぶという日本ではあまり馴染みのない行動を取った。

 けれど、言われた紅花はこれと言って嫌な顔もせず。笑って承諾し、厨房に引っ込んでしまう。

 自分たちとの料理スキルの差を見せつけられた女子は、少々複雑な心境のまま、いったいどんな恰好で現れるのかと思いつつ湊の到着を待つ。

 そうして、しばらくすると、厨房の出入り口から紅花に手を引かれて、上着の丈が長いタイプの青色のチャイナ服を着た湊がやってきた。

 珍しく黒いマフラーを付けておらず、首のチョーカーがそのまま見えているのが新鮮だ。

 女子らがそんな風に思っている間に、紅花と共に到着した湊が、テーブルの横に立って静かに荒垣を見下しながら口を開く。

 

「……何かご用でしょうか?」

「いくつか訊きたい事がある。まず、春巻きのあのコクは何で出してんだ?」

「気合」

『それはない』

 

 ほぼ全員の声が綺麗に重なる。隣のテーブルにいた佐久間と櫛名田も一緒に言ってきた辺り、二人も実はツッコミ属性持ちなのかもしれない。

 しかし、湊は真面目に答えるつもりがあまりないのか、腰の黒い帯を締め直しながら、相手の次の言葉を待っている。

 そのことに荒垣は僅かに悔しそうにしつつ、次の質問を口にした。

 

「あの中華粥だが、もち米も入れてるよな? 白米との比率はきっちり決めてるのか?」

「その日の占いの結果に合わせて変えてます。今日は二位だったので、もち米多めでした」

「……何占いだ?」

「花」

『ぶふっ!!』

 

 花占いで何を基準に順位を決めるか分からない。何より、湊と花占いの組み合わせが想像出来ず、男子とチドリ以外の全員が吹き出してしまった。

 普段はお淑やかな美紀と風花でさえ、珍しく肩を震わせて笑いを堪えている辺り、中々の破壊力があったようだ。

 だが、真面目に料理について聞きたかった荒垣は歯をギリリと鳴らし、やや睨むような形で三つ目の質問をぶつけた。

 

「テメェの一番の得意料理は?」

「塩結び」

「……てっめぇ、少しは真面目に答えようとは思わねえのか!」

 

 片手をテーブルにつき、勢いよく立ち上がって怒鳴る荒垣。

 それに対し、湊は空いていた佐久間たちのテーブルに座って、歩いていた店員の女子に賄いを頼んでだらけている。

 その様子が、さらに荒垣の怒りのボルテージを上げていくのだが、相手をこれ以上騒がせないため、湊に水を持って来た紅花がニコニコとしたまま荒垣に告げた。

 

「あははー、お客さん、バイトが店のレシピ勝手にばらすわけないよ。それに、湊の塩結びは美味しいよ? 湊の得意料理は和食と中華ですから」

 

 湊は信用ならないが、他の店員が嘘を言うようには思えない。

 そのため、少し冷静さを取り戻した荒垣は、湊をよく知っていると思われるチドリに確認のため尋ねた。

 

「……吉野、本当か?」

「基本的にある程度の味で作れるけど、プロ級なのはそうよ。和食は桜に習って、中華はここで習ってたから」

「……そうか」

 

 チドリも肯定したことにより、荒垣は納得したのか、静かに席についた。

 座ってからは一人でぼそぼそと、

 

「……やっぱり、独学には限界が……なら、俺は洋食やイタリアンにするか?」

 

 など、自分の料理の腕について悩んでいるらしき言葉を呟いている。

 隣に座っている真田と美紀は、彼の中でなにかしらのスイッチが入ったのだろうと思う事にして、今は放っておいてやることにした。

 そうして、荒垣とのやり取りが終わると、紅花は仕事に戻り、湊は先ほどの女子が持ってきた料理を食べ始めているので。今度は真田が表情を引き締め、前々から言おうと思っていた事を口にした。

 

「有里、食いながらで良いから聞いてくれ」

「……なんですか?」

 

 炒飯をレンゲで掬った状態で止まった湊が、どこか面倒くさそうに真田を見返す。

 休憩時間は明確には決まっていないが、食事を終えて少し休めば、直ぐに仕事に戻らなくてはいけないのだ。

 夕方には解放されると言っても、茹だるような暑さの厨房での作業は辛い。

 そのため、少しでもリフレッシュしておきたいのだが、面倒な相手でしかない真田が真剣な表情を作っていることから、湊は嫌な予感しかしなかった。

 

「有里、俺と試合をしてくれ。ルールは一学期にしていた放課後の野試合と同じだ」

「嫌ですよ。俺に何のメリットもない」

「メリット……み、美紀と映画に行く事を許可する。チケット代は俺が持とう」

「それのどこが……いや、別に真田と出掛けることを嫌がってる訳じゃない。誘われれば、都合が合えばそれくらいはしてもいい」

 

 真田が声を震わせ、口元を引き攣らせながら参加賞として妹との実質デートを許可する。

 シスコンである真田が、たかだか参加賞程度で自腹を切ってまで妹とのデートを許すなど、普段ならばあり得ないことだ。それだけ真田は湊との試合を本気で望んでいることが他の者に伝わる。

 だが、他の男子生徒が血涙を流すほど羨ましい権利であっても、湊はまるで魅力も感じなかったため、どこがメリットなのだと言い返そうとした。

 しかし、流石に勝手に景品にされた美紀に失礼かと思い直し。出かける事自体は嫌ではないとフォローを入れた。

 これには、兄に抗議しようとしていた美紀だけでなく、話を聞いていた女性陣も皆驚いたようで、軽く目を丸くしている。

 そんな一同が驚いている場に追加の料理を持ってきた紅花が、にこやかな表情のまま会話に参加してきた。

 

「お客さん、湊と勝負するですか? んー……体型的にボクサーね。実力はどうか?」

「今のところ、公式戦でも練習試合でも負けた事はないな。だが、有里までボクシングで戦えとは言わない。格闘技をしているなら、自分の慣れたスタイルでいい」

「武器も使用してよいのですか? 湊は色々習てるですよ。素人が棒振り回すのとは、訳違うね。槍持てば、プロでも近付く前に終わりよ」

 

 それを聞いた真田は、流石に予想外だったのか少し難しい顔をして考えている。

 習っている武術に関係あるのなら武器も許可すると言っていたが、今まで武器で挑んできたのは剣道部が竹刀で来たくらいであった。

 一メートルかそこらの竹刀であっても、熟練の者が持ったなら間合いは素手の倍以上になる。

 それよりも長い槍にもなると、リングの全てが間合いの中に納まるのではないだろうか。

 湊の実力は未知数。しかし、身体の作りや、普段の身のこなしを見ていれば、他の生徒とは比べ物にならない実力を秘めていそうだ。

 何より、湊と同じクラスの後輩から、体育の授業で湊が飛んで教師を殴りに行った、と俄かには信じ難い情報も得ていた。

 いくら負けなしと言っても、武器を持った相手との試合が圧倒的に不利である事は理解している。そのため、真田がどうすべきか悩んでいると、紅花がある提案をしてきた。

 

「なら、湊は武器無しでよいな。そもそも、武器なくても湊は強いです。プロならともかく、アマチュアで勝てる可能性はゼロな。ここのタダ券、賭けてもよいよ」

「なんだと? それでは、有里は何で戦うつもりだ?」

「好きなの選ぶが良いです。武器無しですと、中国拳法・合気道・ジークンドーは使えるですから」

「……他にもカポエイラとかカリとか色々使えるわ。今回は相手がボクシングなんだし、やるならムエタイが丁度かしらね」

 

 紅花の挙げた湊の習得している武術名が不十分であったためチドリが補足する。

 聞いている間に女子らはポカンと口を開けているが、教師二人はそこまで驚いていないらしく、多少感心しながら食事を続けていた。

 それに対し、勝負する事を前提に話が進んでいることについて、湊がやや不機嫌そうに口を挟んだ。

 

「やらないって言ってるだろ。そもそも、勝負を挑まれる意味が分からない。最強の称号が欲しいなら俺の不戦敗で良いから、放っておいてくれ」

 

 心底嫌がる様に言った湊に、他の者はどこか苦笑している。

 けれど、真田だけは真剣な表情をまま、静かな口調で返した。

 

「……守るためには力が必要なんだ。いつも吉野を傍に置いているなら、お前だって吉野を守るために力を付けたんだろう」

 

 その言葉に湊はわずかに反応する。ただ強さに固執しているだけだと思っていた相手が、まさか自分の事を言い当ててくるとは思っていなかったからだ。

 湊のそんな様子に構わず、真田はさらに続けた。

 

「守る者にとって、弱さは罪なんだ。周りに止められたって、どれだけボロボロになったって、俺は自分の力で守り抜く。そうじゃないと、大切な物は簡単に零れ落ちていくんだ。だから、俺は美紀をどんなやつからだって守るため、他の人間の言う通りお前が強いとしても勝ちたいんだ」

 

 どこか悔恨の籠った言葉と、そこに秘められた想いを感じさせる瞳で、真田は射抜くように真っ直ぐ湊を見つめる。

 今まで一度も見せたこともないただならぬ雰囲気に、美紀と荒垣も言葉をかけられずにいる。

 そうして、他の者は湊がどう返すのか成り行きを見守っていると、瞳にどこか意志を宿して湊が答えた。

 

「……絶対に怪我を負うから、公式戦に影響が出ない余裕を持った日取りで実施する。負けた場合、卒業するまで俺に挑んでくるな」

 

 この条件が呑めないのであれば、真田がどれだけ望んでも試合はしない。そう瞳で語る湊に、真田はしっかりと頷いて返した。

 二年ながら部のエースで無敗を誇り、“銀の皇帝”の異名で呼ばれる真田と、“蒼の皇子”と影で女子に呼ばれている湊の試合は、話題となるだろう。

 女子らは両者に怪我をして欲しくないと思っているようだが、既に酒を飲んでいる教師らは、楽しそうに教育者として相応しくない内容で盛り上がっている。

 

「姫子センセはどっちに賭けます? 私、有里君が勝つ方に日替わりデザート券五枚です」

「それじゃあ、賭けにならないぞ。私も、有里の勝ちに、日替わり定食券を賭けようと思っていたからな」

 

 二人の話しに出てきた『日替わりデザート券・定食券』とは、月光館学園の食堂で使えるただの食券である。

 しかし、三百円という安さに対して、その味とボリュームから生徒だけでなく教師にも人気のため、授業が終われば一日五十食限定の食券を手に入れようと、熾烈な争いが起こっていた。

 もっとも、ここにいるメンバーは弁当やコンビニ食で昼を過ごしているため、その争いには興味本位で佐久間と櫛名田が一度参加したのみだが。

 駄目な大人の見本である二人を、子どもらは呆れたような目で見ながら食事を続け。その後、湊は仕事に戻り、他の者は食事後もしばらく遊んで、夏休み最後の日を過ごしていった。

 

 


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