【完結】PERSONA3 Re;venger   作:清良 要

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第五十二話 放課後の試合

10月4日(火)

放課後――月光館学園外周

 

 ジャージ姿でウォーミングアップとして軽く走りながら、真田は他の者が声をかけるのを躊躇うような雰囲気を纏い一人で考えこんでいた。

 

(後輩らの話を聞き、盛本先生から有里についての話が真実か確認したが、恐ろしいやつだ。身長差二十センチ以上ある相手を一撃で殴り飛ばすとは……)

 

 湊の腕力が強い事は分かっていた。全身の力を伝えるように腕相撲では戦ったが、それでも相手はビクともしなかった。

 今でこそ湊も身長一六〇センチを超えたが、当時の体格差を思えば、相手の腕力の強さだけが負けた理由ではないのはすぐに分かる。

 服の上からでもがっしりとした体型をしているのを見てとることが出来、さらに、効率的に力を伝えることに適した状態に筋肉も仕上げられているのだろう。

 

(油断は出来ない。過去最強の敵、格上を相手にするくらいの気持ちで丁度良い。だが、それで気負い過ぎては力が発揮できなくなる)

 

 相手が自分と同じように対人戦を経験していることと、見た目以上に腕力が強い事以外に情報がないため。真田は湊がどのようなスタイルで戦うか分からない。

 情報ゼロでの戦いは不安だが、結局、相手がなんであれ自分は自分の全力で勝ちにいくだけだ。

 そうして、真田は気合を入れ直すと、試合会場の部室へと戻って行った。

 

――ボクシング部部室

 

 夏休みに湊と真田が試合をすることが決まってから約一ヶ月が経った。

 これは、単純に真田の公式戦に影響が出ないときを待っていた事が原因であり。湊が面倒がって試合を拒否していた訳ではない。

 だが、試合すると決まってからの真田の追い込みは凄まじかった。

 九月にも公式戦を一つこなしたのだが、真田は紅花やチドリの言っていた『アマチュアでは相手にならない』という実力を持った湊を想定し鍛錬を積んだ。

 結果、他校の三年エースを開始四十一秒でKOして勝利を決めるという、相手の実力を考えると嘗てないほど圧倒的な勝利を見せた。

 その試合を応援名目で観戦しに行った湊を除く部活メンバーは、真田のあまりの強さに湊に勝ち目などないだろうと思い。今日のために設置された観客席で不安そうに主役の登場を待っていた。

 

「いやぁ、ギャラリー多いね。私たち以外の先生も何人か観に来るって言ってたし。有里君も真田君も有名人だねー」

 

 そういって笑う佐久間に加えて、チドリと櫛名田も、お菓子片手にまるで映画を見るような気軽さで待っている。だが、それとは対照的に他の女子三人の表情は暗い。

 例え食券だろうと賭け事は禁止だと言われて、佐久間たちは渋々諦めたようだが、二人の対決を聞き付けた学校の新聞部が勝敗予想調査を実施しており。どちらが優勢かという生徒の予想が出ている。

 調査の結果では、約76%の生徒が真田の勝利を予想し、生の試合を見たゆかりと風花も真田の勝利を予想した。

 

「有里君、絶対に怪我するって言ってたよね。大丈夫かな……」

「他のやつよりがたいはしっかりしてる。多少、パンチを喰らっても筋肉で守られて大した怪我はしねえよ」

 

 一列に並んだ部活メンバーと一緒に座っていた荒垣が、心配そうにしているゆかりを宥める。

 それを聞いても女子ら三人の表情は沈んだままだったが、一年のボクシング部員に案内されて、湊が部室に入ってきた。

 ボクシング部の更衣室で着替えてきた湊の服装は、ムエタイ用なのかパンツにグローブ、素足に足首と踵周辺を覆うサポーターを身に付けた、殆どの者にとって見慣れぬ姿である。

 そんな姿で現れ、部室内を見回していた湊にチドリが手を上げて場所を知らせると、相手はそのまま歩いて部員らの前にやってきた。

 そして、アンニュイな表情で自分たちの前に現れた湊に、最初に櫛名田が声をかける。

 

「……お前、良い身体してるな。体脂肪率は一ケタだったか?」

「すっごーい。なんか涎出てきそうだよー!」

「……どうでもいい」

 

 教師二人が鍛え上げられた湊の肉体に驚き、無遠慮に腹筋や腕にペタペタと触れ始める。

 本人は面倒そうにして、チドリは教師二人を不機嫌そうに睨んでいるが、他のメンバーは想像以上に逞しい湊の身体を見て言葉を失ってしまった。

 ボディビルダーのような作られた筋肉ではなく、実用性を重視して鍛えられた肉体。

 だが、筋肉達磨にはなっておらず、柔軟運動で180度の開脚も出来ていることから、しなやかさも持っているのだろう。

 真田も非常に良い身体をしているが、湊と比べてしまえば二段ほど見劣りする。

 先ほどまで湊の身を案じていたはずなのに、メンバーはいつの間にか湊が勝つのではないかと思い始めていた。

 

「湊。今日はムエタイだけでいくの?」

「いや、混ぜていく。俺と先輩は対極な鍛え方をしているから、それを分からせるつもりだ」

 

 柔軟をしている湊の背中を押しながらチドリが尋ねると、湊は簡潔に答えた。

 だが、真田の戦闘スタイルは試合で知っていても、普段のトレーニングを知らないチドリは、二人の鍛え方がどう対極なのか分からない。

 

「対極って?」

「補完型と突出型」

「ああ、そういうこと」

 

 再び尋ねてようやく得心がいったとチドリは頷いて見せる。

 チドリはトレーニング方法の違いだと思っていたが、湊は武術の習得そのものを指していっていた。

 先に言った『補完型』、これは湊のことだ。

 自分に合う合わないではなく、とりあえず習得してみる。そして、その武術の弱点を他の武術で補完し埋めてゆく。練習時間に物を言わせた、泥臭い習得方法だ。

 対して、『突出型』はその人物に合った武術を習得する際に有効な方法で、自分の武器をひたすらに鍛えて究めてゆく。才を持った者の多くはこちらを選び、真田もその一人だった。

 どちらが強いかは一概には言えない。守りならば対処方を多く持つ補完型が有利だが、突出型は自身の武器を使って一点から相手を崩す事が出来る。

 攻め切れれば突出型が勝つが、捌ければ補完型が勝つのだ。

 結局、最後は相性や錬度によるため、戦う者同士の実力を知らない者には、タイプが違う事を理解したところで、どちらが勝つか予想する事は出来なかった。

 

「きたわよ」

「闘気が剥き出しだな。予想より楽に勝てそうだ」

 

 室内が騒がしくなったことで顔をあげると、ウォームアップを済ませてきた真田が、ギラギラとした瞳で現れた。

 途端に部員やファンクラブの生徒から歓声が湧くが、真田の瞳には湊しか映っていないらしく、歓声には何も答えず、準備運動をしている湊のもとにやってくる。

 

「来てくれて感謝する。ウォームアップの時間はどれくらい必要だ?」

「柔軟と準備運動だけで十分です」

「そうか。では、改めてルールを確認しておく。試合時間はボクシングと同じだが、お前は拳だけでなく蹴りや投げ技、肘や頭突きもありだ。だが、ダウンした相手への追撃は無しだぞ」

 

 真田が簡潔にルール説明を終える。

 すると、そのまま去って行こうとしていたので、湊は話す事があったため相手を呼び止めた。

 

「一点だけ。あらゆる攻撃手段の許可は、俺だけじゃなく先輩にも認めます。これは、後で外野から言いがかりを付けられないためだと思ってください。拳より蹴りの威力が高いのなんて誰でも知っていますから。あいつは蹴りもあったから勝てたなんて言われたら、たまったもんじゃない」

「了解した。レフェリー役にもそう伝えておこう」

 

 真田自身も、試合はその後の風評においてもフェアでいたいらしく。しっかりと頷いてから、レフェリーと新聞部の生徒に変更点を伝えに行った。

 説明を受けた生徒らは、すぐにホワイトボードに書かれていたルールを、両者とも攻撃手段は自由だという内容に訂正している。

 ボクシング以外は、不慣れな絞め技や投げ技を少ししか習得していない真田は、ルールが変わったところで自分の今まで通りの戦い方を変えたりはしないだろう。

 だが、これで周囲から余計なバッシングを受ける事はなくなった。

 柔軟を終えた湊はサンドバッグに近付き、部屋中に打撃音が響くほどの威力で、連続した拳と蹴りを叩き込み調子を確かめた。

 

「……手、抜いてる? 威力があんまり乗ってなかった」

「速度はだいたい真面目だ。威力は、壊さないように要調整って思ってるけど」

 

 調子を確かめて戻ってきた湊にチドリが声をかける。

 他の者が驚いて言葉を失うような連続攻撃も、湊の戦う姿を知っているチドリにすれば、ほとんど体重を後ろに残した軽い攻撃ばかりにしか思えなかったのだ。

 案の定、湊もそれを認めた上で、理由が真田を壊してしまわないように必要なことだと説明した。

 だが、新聞部の調査で湊が真田よりも低く見られていることを不快に思っていたチドリは、周りの目を覚まさせるため、わざと力を見せつけるように言う。

 

「零距離砲やってよ。たぶん、相手も驚くから」

「見世物じゃ……ま、見世物か」

 

 チドリの言葉に呆れたような表情を見せ、途中で諦めたように嘆息し。湊は、グローブを外してチドリに預けると、素直にサンドバッグの前に戻って行った。

 二人の話しに出てきた『零距離砲』がどんな技か分からないメンバーらは、湊の動きに注目している。

 そして、湊が足を軽く前後に開いて、バンテージの巻かれた両手を重ねたままサンドバッグに触れた。直後、触れてから一拍置いて、ドゴンッ、と先ほどの比ではない打撃音が響いてサンドバッグが大きく揺れていた。

 

「……え? 今のどうやったの?」

 

 ポカンと口を開けた佐久間がチドリに尋ねる。

 湊は本当にただ“触れた”だけだ。手でサンドバッグを押した素振りも、腰を落としたような素振りもなかった。

 だというのに、サンドバッグは力士が全力の体当たりをかけたのかと思えるほど、激しく揺れて吊り金具をガチャガチャと鳴らしている。

 本人を除けばチドリしか、原理の理解も状況の把握もまるで出来ていないその場で、周囲の人間の呆けた様子に満足したのか、尋ねられたことにチドリはやや上機嫌に答えた。

 

「あれが零距離砲。本当は中国拳法の発勁だけど、私は面倒だから見た目通りに零距離砲って呼んでる」

「発勁って?」

「効果的に自分が生み出した力を対象に伝える技みたいなものよ。湊の零距離砲は、全身の細かい筋肉の動きと、呼吸とかを合わせて、掌から接地面に力をぶつけただけなの。あそこまでほぼ無動作で威力を出せるほどの身体操作の使い手なんて、世界中を探しても五人といないわね」

 

 フフン、と得意げに笑ってチドリは湊の技の説明をした。

 リングを挟んだ反対側で、バンテージを巻き直していた真田が、湊の今の一撃を見て驚愕に顔を染めていることが、チドリが上機嫌になっている理由だろう。

 無知な者たちに知らしめるように、始まる前から勝敗は分かりきっていると言うように、チドリは真田の勝利を信じていた者たちを見下したように見まわし湊にグローブを返した。

 そして、受け取った湊がグローブを装備し、紐をしっかりと結び直すと試合の開始時刻となり。他の者たちが不安そうに見つめる中、真田と湊はリングに上がって中央で向き合った。

 

***

 

 言葉も交わさず両者が向き合ったことで周囲の音が止むと、二人がグローブをぶつけ合い、試合開始のゴングがなった。

 先に攻めたのは真田だ。両の拳を顔の高さまで上げた状態で構え、接敵すると様子見のジャブを左手で数度放つ。

 

「フッ!!」

 

 湊はそれを両手をだらんと垂らした状態のまま、後退しつつ身体を捻るだけで回避する。

 一見隙だらけだが、先ほどのサンドバッグへの連撃が頭に残っていた真田は、下手に打ちに行けば自分が餌食になると一度距離を取ることにした。

 

「……はぁ」

 

 それを見た湊は、はっきりと周囲にも聞こえる溜め息を一つ吐いた。

 不真面目にしか思えない湊の態度に、見ていた者は試合中に何のつもりだと不快感を覚えただろう。

 しかし、攻撃に転じた湊を見て、その意味をすぐ理解する事になった。

 

「ッ!!」

 

 様子見に後退した真田に湊が迫る。だが、その速度が尋常じゃない。

 お互いに距離をとってロープ際に近い場所にいたというのに、湊はほぼ一瞬で真田の目の前に拳を振り上げながら現れた。

 

「くっ!?」

 

 別に瞬間移動した訳ではない。ただ真っ直ぐ、信じられない加速で走って接近したのだ。

 そんな助走の威力も乗せて顔面を真っ直ぐ狙いにきた拳を、首を傾け身体を捻る様に真田は躱す。

 カウンターを放つ余裕はない。それほどまでに、湊の拳は鋭く、耳の横を掠める拳の風圧だけで途轍もない威力を持っていると理解させられた。

 だが、たった一撃を躱した程度で安心してはいけない。真田が必死に避けている間に、湊は突き出した拳と逆の足を軸に、回し蹴りのモーションに移っていた。

 

「ぐうっ」

 

 咄嗟の回避で思考力を取り戻していなかった真田は、相手の回し蹴りを右腕に喰らい、やや体勢を崩し背中からロープにぶつかる。

 正面からの攻撃に備え、反動でリングに戻されながらも両手のガードを胸と顔の前に構えるが、ガードを抜く様に重い攻撃が連続で放たれた。

 湊は左脇腹、右頬、鳩尾、腹部を拳と肘で狙うと、さらに間髪いれず蹴りで足を刈りにゆく。

 殻に閉じこもる様に守りに徹していた真田は、自分の腕で相手の蹴りが見えておらず、簡単に足を取られて左肩から落ちるように倒れ

 

「アキッ!!」

 

 かけていた途中に、湊の膝蹴りを腹部に喰らってロープにぶつかり、そのままうつ伏せに倒れた。

 

「ごほっ、ごほっ……ぐっ」

 

 完璧に攻撃を決められたことで、真田は蹴られた箇所を押さえながら苦しそうに咳き込んでいる。

 ダウン中の相手に攻撃をすることは禁じられているので、レフェリー役の生徒によって湊は下がる様に言われているが、その間もカウントは続いてゆく。

 まさか、真田が一撃当てる前にダウンを奪われると思っていなかった観客らは、皆、困惑顔でざわついていた。

 

***

 

「い、いやぁ、有里君って私にDVするときは手加減してくれてたんだねー。うん……本気でやられてたら学校お休みしなきゃいけないところだったよ」

 

 湊の勝利に賭けていた佐久間も、予想以上に湊が一方的に攻撃し続けているのを目にして、引き気味に乾いた笑いを漏らしている。

 相手がダウンしかけたときに、膝蹴りを躊躇いなく的確に放つなど、こういった荒事に慣れていないと出来ない芸当だ。

 

「だが、今も本気ではないな。というより、全力を出す気がそもそもないようだ」

 

 隣に座っていた櫛名田が、飲み物の入った紙コップに口を付けながら冷静に解説する。

 櫛名田は保健医をやっているが、本来なら医療の前線で活躍できる腕を持つ医者だ。

 そして、学校勤務になるのならと、部活で生徒が怪我をしたときに応急処置が出来るよう、格闘技などについても学んで、どんな打たれ方をすればどういった怪我をするかというのもしっかりと覚えている。

 その目から見て、湊の攻撃は相手が酷い怪我をしないよう考えられた打ちこみ方をしていた。

 

「随分と優しいじゃないか。怪我をしないように、しても長引かないように、角度や威力を考えて打ちこんでいる。実力の差は歴然だな」

 

 苦しそうにしながらも、リングに手をついて立ち上がりファイティングポーズをレフェリーに見せて、まだまだ続行可能だとアピールしている真田を見て笑いながら呟く。

 確かに、一見クリーンヒットのようでも、体重を乗せきっていない攻撃なら、もう二、三発喰らっても立てるだろう。

 けれど、それだけに埋め難い実力差があるのは、素人でも見ていればすぐに気付く。

 まだそのことが分かっていない美紀が、並んでいる者の中でチドリに次いで状況を分かっている櫛名田に尋ねた。

 

「そ、そんなに兄さんより有里君の方が強いんですか?」

「ん? まぁ、馬鹿みたいな縛りプレイで勝っているからな。ほれ、見てみろ。攻撃が当たったらすぐに次の攻撃に移ってる。触れるか触れないかのところで拳を引いたら、相手になんのダメージも与えられないだろう?」

 

 櫛名田の指した先に視線を送ると、再び湊が一方的に真田を滅多打ちにしていた。

 逃げようにも湊の蹴りが退路を塞ぎ、ガードをしていても骨に響くような打撃を上下左右からランダムに打ちこんでくる。

 しかし、それでもガードがなんとか崩れていないのは、単に湊の攻撃が力を自分側に残した軽い攻撃ばかりで攻めているためだ。

 

「もう半歩踏み込めば簡単に決まるぞ。吉野、有里に指示して見ろ。流石に、ここまで実力差があると、手加減されても嬲り殺しのようで真田が可哀想だ」

「ええ――――湊、もう帰りたい」

 

 櫛名田に言われてチドリは静かに頷き呟いた。

 観客らが騒いでもいても、しっかりとそれは耳に届いたのだろう。

 今まで相手をロープに追い込み殴り続けていた湊は、殴るのを止め。さらに半歩だけ下がると、相手に背を見せるように一回転して勢いを乗せた回し蹴りで、ガードごと真田の頭部を蹴り飛ばした。

 あれだけ話題となり騒がれていた試合も、そんな少女の呟きから引き出された一撃で、ただただ呆気なく終わりを迎えたのだった。

 

***

 

「ん……ぐっ……」

「兄さん? 大丈夫ですか?」

 

 目を覚ました真田は、妹の声を聞いて徐々に意識を覚醒させ状況を把握しようとする。

 自分はいまベッドに寝かされ、天井や周囲の様子からすると、ここが保健室であると判断した。

 頭はまだどこかぼーっとしているが、身体の痛みに耐えながら起き上がり。どうして自分がここにいるのかを尋ねた。

 

「俺は……どうなったんだ?」

「それは……」

 

 湊と試合をしたところまでは覚えている。しかし、肝心の試合内容が思い出せない。

 そのため、美紀に何があって自分がここに運ばれたのか尋ねたのだが、どこか悲しそうな表情で美紀は黙ってしまう。

 そんな物を見てしまうと、本当に何があったのか知りたくなる。

 もう一度教えてくれるよう頼もうとしたとき、ベッドを囲っていた仕切りのカーテンが開き、幼馴染が姿を現した。

 

「シンジ、お前もいたのか」

「他のやつらは帰らせたが、一応、お前が目を覚ますまでってことでな」

 

 答えて荒垣はカーテンを開けたまま長椅子に戻り、ベッドで身体を起こしている真田に話しかける。

 

「試合だが、結果はお前の一ラウンドKO負けだ。ロープに追い込まれてたところを、最後にガードごと蹴りでブッ飛ばされて、気絶してたから保健室に運ばれたんだ」

「一ラウンドKO負け……?」

 

 言われて試合内容を思い出そうとする。

 始まってすぐに自分の攻撃は躱された。その後、すぐに攻撃に転じた湊が一方的に攻めて、自身は躱す事も、逃げる事も出来ず守らされていた。

 そして、ダウンを取られて、再び立ちあがってからは、さらに一方的に……。

 全てを思い出した真田は、わなわなと震える手を見つめながら絞り出す様に溢した。

 

「俺は、負けた。何にも出来なかった。反撃も、脱出も考えられず、ただ耐えていただけだった……」

「吉野に聞いたが、有里は鍛え初めて五年くらいらしい。お前よりも経験を積んでるってことだ。ま、それだけじゃねえが、負けた理由なんて結局は実力が劣ってたってことだな」

「シンジさん……」

 

 負けて落ち込んでいる人間に、何もそんな風に言わなくても、と美紀が僅かに責めるような視線で荒垣を見る。

 だが、荒垣は構わずに続けた。

 

「有里が言ってたぜ。テメェの拳は守るにしては軽いってな」

「……どういう意味だ?」

 

 怪訝そうに顔を上げて真田が聞き返す。それに対し荒垣は、荷物をまとめつつ肩を竦めながら軽い調子で返した。

 

「さてな。俺にはよく分からねえが、曰くお前は美紀自体を守ってる訳じゃないらしい。自分が傷付くのが嫌で、自分のために美紀を守ってるようにしか見えないそうだ」

 

 その言葉を聞いた真田は驚いたように目を見開いた。

 自分でも気付いていなかったことに気付かされた。そんな様子を見せる兄に、美紀はどんな言葉をかければ良いのか分からない。

 しかし、兄に声をかけた荒垣は、話すだけ話すと荷物をまとめ終えて保健室から出て行ってしまった。

 そうして、残された美紀がどうすれば良いか悩んでいると、俯いていた真田がぽつりと呟く。

 

「先に帰っていてくれ。俺はもう少し休んでから帰る」

「え、でも」

「……頼む。少し一人にさせてくれ」

 

 静かだがどこか懇願するような口調に、美紀はそれ以上引き下がろうとはせず。言われた通り、自分の荷物を持って立ちあがると、一度心配そうに振り返ってから部屋を後にした。

 一人になった真田は、自分しかいないことを確認すると、悔しそうに拳を握りしめ、寝ていたベッドマットを殴りつけた。

 

 

影時間――弾指記念病院

 

 真田との試合をした日の影時間。湊は制服姿のまま、巌戸台から少し離れた場所にある病院の一室に来ていた。

 湊はベッドの隣にパイプ椅子を置いて座り。ベッドの主の少女は上半身を起こし、リハビリと勉強を兼ねた文字の書きとり練習をしながら、湊に話しかける。

 

「それじゃあ、相手の人を蹴り飛ばして、そのまま帰っちゃったんですか?」

「勝った後に、対戦相手のことまで気遣う方がおかしいだろ」

「それは……そうですけど」

 

 眉を寄せ、口を突き出す様に言って、水智恵はやや困ったような溜め息を吐く。

 アイギスの人格形成実験に参加していた彼女は、夏休みに湊に麻痺を治して貰ってからリハビリを続け、今では自分で話すことや食事をすることが出来るようになっていた。

 流石に、まだ走りまわるような事は出来ないが、歩行器を使えば自分でもゆっくりと少しは歩くことが出来る。

 けれど、ずっと病院に籠もってリハビリをしていては退屈になるため、たまに会いに来て話してくれる湊の近況報告が彼女は大好きだった。

 しかし、今日の話題は湊が友人と不仲になりそうな印象を受ける。

 実際、真田を慕っている者の中には、湊に黒い感情を抱いた者がいたのは確かだ。

 聡い湊がそれに気付いていないはずがないので、どうして自分から敵を作る様にするのだと、恵は少々呆れていた。

 

「八雲さん、お友達は大切にした方が良いですよ。貴方が困ったときに助けてくれる人が大勢いた方がいいじゃないですか」

「生憎、友人はシャドウに一人いるだけだ。それ以外の同世代は基本的に知り合いでしかない」

「もう、私もいるじゃないですか」

「それはお前が勝手に言っているだけだろう。諦めて他に同世代の友人でも作ってろ」

 

 友達と認めているのはファルロスだけ。そう、湊が答えると、恵は頬をむくれさせて怒っているとアピールする。

 だが、湊は恵の反応を流して、黒い弦の張られた弓を引いていた。

 病室という狭い空間で弓を引く練習をするのは非常識だが、恵は湊のすることに対して寛容だ。

 故に、弓を引いていることには何も触れず、何か思い付いたようにノートにさらさらと字を書きこむと、それを湊に見せて悪戯っぽい笑みを浮かべた。

 

「八雲さん、八雲さん。これ、声に出して読んでみてください」

「……莫迦か。一人で読んでろ」

「えー……“私とあなたは友達です”。ほら、読みましたよ。次は八雲さんの番です」

 

 恵がノートに書いたのは、湊に自分を友人だと認めさせるための言葉。

 それを見た湊が馬鹿らしいと切り捨てるも、恵は素直に読み上げて次は湊の番だと催促した。

 あしらわれながらも、湊を相手にここまで踏み込んで接することが出来る同世代など皆無と言っていい。

 それだけに、湊もどこか慣れない様子で、傍目には淡々と映る様に恵へリアクションを返した。

 

「“残念ながら、水智恵は友達のいない寂しい娘です”」

「んんっ、もうっ! いますよ。ちゃんと、二人います。七式アイギスと八雲さんっていう、数字続きの二人が友達なんです」

「……俺の名前は従姉と関連付けられてるんだ。アイギスは関係ない」

「え、そうなんですか? 珍しいですね。親子とか兄弟以外で名前に共通点をつけるって」

 

 近況報告以外で湊が自分のことを話すのは珍しい。加えて、従姉がいたというのも初耳だ。

 今も左右どちらに構えても同じように引けるよう弓の練習をしている少年を見ながら、好奇心で瞳を輝かせながら、恵は尋ねた。

 

「その人の名前を教えて貰っても良いですか? ああ、できれば、今まで聞く機会のなかった八雲さんの苗字も一緒に」

「……誰にも漏らすなよ。百鬼だ。百鬼八雲。従姉の名前は九頭龍七歌。従姉が97で、俺が108になってる。まぁ、他にも意味があるらしいが、よく知らないし、知っていた人間ももういない。存命の父方の祖父である九頭龍の爺は、理由は分からないが俺や両親を嫌っていたから、交流自体ほとんどなかった」

「え、実のお爺さんなのにですか?」

「撫でられた記憶も、抱き上げられた記憶もない。うちと九頭龍は実家が隣接していたが、家の前の道ですれ違ったときには、自分の前から失せろと言われた。嫌いなら無視すればいいのに、子どもながらに本当に器の小さい人間だと思ったさ」

 

 昔を懐かしむような雰囲気ではなく、ただ相手の矮小さを無様だと言うように湊は嗤っていた。

 感情の起伏が乏しく、喜怒哀楽が本当にあるのかも不明だった少年の見せた初めての笑みだ。

 けれど、その歪んだ感情から出た笑みは、どこか痛々しい悲しさを含んだ物のようにも思えた。

 

(八雲さんが可哀想。ご両親もいないのに、血の繋がりのある人から、そんな風に嫌われているなんて。普通、自分の孫なら愛おしくて仕方ないはずなのに。なんで、お爺さんは八雲さんを嫌ってたんだろう)

 

 湊が悲しい顔をしていると、自分も胸が締め付けられる様に悲しくなってくる。

 相手の悲しさを癒したい、孤独でない事を教えてあげたい。そう思ってベッドから降りて抱きしめようと動き始めたとき、急に湊が弓をマフラーに仕舞って立ちあがった。

 

「そろそろ帰る。また、お前の父親なりから、桐条側のことが聞けたら、勘づかれない程度に聞いておいてくれ」

 

 自分が何をしようとしたのか気付いたのだろうか。

 そんな風に、唐突に立ちあがり窓の方へ移動した湊の行動に疑問を持ちながらも、恵は素直に了解と告げて挨拶する。

 

「あ、はい。わかりました。気を付けて帰ってくださいね」

「ああ。それと、来年になったら俺は一年ほど海外に行って、実戦経験を積んでくる。その間、シャドウ狩りは知り合いに頼んでおくから、無気力症の被害はそれほど広まらないと思うが、お前も気を付けておけ」

 

 窓の外でタナトスを呼び出し空中に浮きながら、湊は本来、先に伝えておくべき重要な用件を話した。

 流石に、帰る前の挨拶でそんな事を言われると思っていなかった恵は、座ったままこけると言う、器用なリアクションを見せて、身体を起こしてから相手に抗議する。

 

「ちょっ、なんで、先にそれを言わないんですか! 友達のお兄さんを蹴っ飛ばしたことより、そっちの方が何倍も重要でしょう?」

「……? まぁ、いま言った通りだ。出発まではまだ時間があるから、そんなに気にすることはないだろ」

 

 相手が何故そんな、言及してくるような様子で話してくるのか分からない。そう言いたげな表情を湊は作っている。

 そんな表情を見せられた恵は、本当に湊は変なところで天然でボケボケだと、不意に見せる少年の隙だらけな顔に母性をくすぐられながら、しょうがないなと苦笑を浮かべて抗議をやめるしかなかった。

 

「はぁ……もう、今回はいいです。ただ、次からはもう少し早くに連絡ください」

「善処する。それじゃあな」

「ええ、お休みなさい」

 

 飛び去っていく少年の姿を見ながら、恵はゆっくりベッドから起き出すと、開いていた窓を閉めてクスリと笑みを漏らす。

 今日の湊はいつも話してくれない過去の事も話し、さらに、素直に自分の身を案じる言葉をかけてもくれた。

 何があって、今日はそれらを話す気になっていたのかは分からない。

 けれど、また少しだけ湊の心に近付けたような気がして、恵は充足感を感じていた。

 

「……いいなぁ、アイギスは。あんな人に想われて」

 

 未だ目を覚まさないお友達に、ちょっとばかしの嫉妬を覚えつつ、自嘲的に苦笑して、恵はそのままベッドに戻り休んだ。

 

 

 


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