【完結】PERSONA3 Re;venger   作:清良 要

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第六十一話 美術工芸部の客

影時間――真田・私室

 

 毎夜、日本の深夜零時に発生する影時間。

 海外では時差が存在するため、その国の深夜零時丁度という訳ではないが、影時間の間、世界は緑色に塗り潰される。

 空に月がなくとも、星明かりを超えた明るさに照らされた街を、真田はどこか諦めの気持ちで眺めていた。

 

(……また、この時間か)

 

 街は静まり返り、生き物の気配が一切感じられず、窓の外、月光館学園のある方角には、空に伸びる異形の塔が聳え立っている。

 こんなあり得ない状況に初めは驚いていたが、それも回数を重ねると、いつしか冷静に状況を判断しようと思える余裕が出来ていた。

 携帯やテレビの電源を入れようとしてみたり、家族の無事を確かめるように家の中を歩いてみるなど、やっている事は些細だが、それでも色々と知る事は出来た。

 まず、この世界では電池やバッテリー式であっても電化製品は起動しない。キッチンのガスコンロの火すら点けられず、原因はガスの供給が止まっているためと推測した。

 よって、これは真田家だけの問題ではなく、もっと広い範囲、街全体か世界規模かは分からないが、およそ中学生一人に調べられる規模の話ではないと、それ以上の調査は諦めた。

 次に、自分を除き、家族は全員が棺桶を思わせるオブジェに変わっていた。

 美紀の部屋に行き、妹が寝ているはずのベッドに棺桶が横たわっているのを見たときには、思わず叫んで取り乱し、どうにかして棺桶を開けられないかと試みたものだ。

 だが、ピッタリと閉じた棺桶の蓋は一切開きそうになく、知らず世界が元に戻ったときには、泣きながらベッドの横にいた真田に気付いた美紀が、何故、兄が寝ている自分の部屋にいるのか、若干、訝しんだ目で見ながらも心配してきたこともあった。

 その際、昔は純粋に自分のことを慕っていた妹が、そんな不審者を見るような目を向けてきた事に僅かにショックを受け、きっと湊と関わるうちに悪い影響を受けてしまったのだろうと思ったりもしたが、結局、棺桶になっているのは影時間の間だけだと知ることができた。

 

(何もない。という訳ではないが、このおかしな時間が明ければ元通りだ)

 

 棺桶になっていた妹に、身体に何もおかしな点はないか、何か不思議な時間を経験した記憶はないかとも尋ねた。

 しかし、美紀は真田が何を言っているのかよく分からなかったようで、棺桶になっている間の記憶は存在しないことも判明し。それ以降、真田は美紀にこの時間について尋ねることを止めていた。

 影時間という名称も含め、自分でも何が何だか分かっていないのだ。そんな奇怪な物に大切な妹を関わらせる訳にはいかない。

 そうして、真田はこの時間に目が覚めると、一度部屋を出て妹が棺桶になっている事を確認し、ベッドに戻るようにしていた。

 やましい気持ちは一切ない。自分の周りにいる女性の中でも、妹はトップクラスに可愛いと思っているが、そこに異性としての情など全く抱いていない。

 美紀が美術工芸部に入ってからは、友達付き合いが増え、どこか以前よりも距離を開けられる様になった気もするが、それもやはり湊が純粋な妹に何かを拭きこんだに違いないと読んでいる。

 そう思っているため、真田は幼馴染に過保護だと言われる事もあるが、たった一人の妹を大切にしない兄など存在しないと言い返し、今日も妹がベッドにいることを確認しに、彼女の寝ている私室へ向かうことにする。

 

(今日も何も変化はなかったな。起きていても変に疲れるだけだ。早めに寝るとしよう)

 

 妹の無事を確認してベッドに戻った真田は、窓の外に聳える塔に一度視線を送ると、掛け布団を肩まで被り、疲労を残さないよう再び眠りに着いたのだった。

 

 

4月25日(火)

放課後――美術工芸部・部室

 

 本日の授業が終了し、掃除当番であるチドリと、職員会議があるという佐久間を除き、他の女子三名は部室に集まっていた。

 先週、学校近くで風景のデッサンをしていたため、今週はデジカメの写真と記憶を頼りに水彩絵の具で色を付けている。

 

「……最近、寝ている間に兄さんが私の部屋に入ってきているときがあるんです。特になにかしている訳ではないんですが、私が驚いて起き上がると、何故だか『無事だな』と頷きながら帰って行って。これってどう対応すればいいんでしょうか?」

 

 湊がいない間、部室は少し広く感じられるが、なんとなく今のメンバーで集まることに親しみを感じているので、学校側に部員を増やさないかと言われたがそれを断っておいた。

 何より、部の創設者がいない間に、純粋に美術や工芸に興味がある以外の人間が入部して、この場所を壊すわけにはいかない。

 

「えー……それ危なくない? 部屋に鍵とかつけれないの?」

「あんまり、事を荒立てたくないと言いますか。そこまでしてしまうと、義父さんと義母さんも不審に思いますし」

 

 入部希望が男女合わせて八十人を超している事実にも驚いたが、そんなにも活動に興味があるのなら、顧問である土我先生がいるのだから、休部中の美術部を復活させればいいと佐久間も言っていた。

 それ聞いた教頭は思わず頷いてしまい。実際に復活させたところ、純粋に美術部希望だった生徒と美術工芸部と勘違いした者らを合わせ、三十人ほど入部したと報告を受けた。

 もっとも、それを聞いたところで、メンバーはそうなのかと思った程度だが、美術部と美術工芸部は別の部活ということで予算も別に出ている。

 そのため、今年は湊の分の備品を買わずに済んでいるので、キャンパスや筆などを、中学生の小遣いでは手が出にくい高級品にするなど、去年よりも実力の上がった自分たちへのご褒美気分で、部員らは新しい筆とキャンパスの描き心地を確かめながら、かなり深刻な顔で美紀に対する真田の不審な行動について話し合っていた。

 

「その、先輩は美紀ちゃんが心配だから、トイレに起きたついでに様子を見に来てるとかじゃないのかな?」

「それなら……いえ、でも、やっぱりちょっと怖いです。チドリさんも兄さんをシスコンって言ってましたし。その、シスコンって姉や妹を女性として見るタイプもいるんですよね?」

「よく知らないけど、前に兄が妹に恋して恋人になるって映画やってなかったっけ? あれ、友達に誘われて観に行ったけど、結構、ドロドロしてたなぁ……」

 

 去年のことを思い出しながらしみじみ話すゆかりの言葉は、兄の不審な行動に不安を覚えていた美紀にとって不安を煽る効果しかなく、色を塗っていた筆が止まると途端に顔が絶望の色に染まっていた。

 

「ゆ、ゆかりちゃん」

 

 美紀の表情の変化に気付いた風花が、慌ててゆかりを諌めるも、時すでに遅し。

 自分が兄に襲われる場面を想像してしまった美紀は、俯いて顔を前髪で隠しながら、ぼそぼそと呟きはじめる。

 

「……妹に欲情するってあり得ないっていうか…………いっそ、彼氏を作って護って貰えば…………でも、兄さんに勝てる人なんて、あ、有里君がいました…………うふふ、これなら大丈夫ですね」

「ちょ、真田さーん、真田美紀さーん」

 

 急に暗黒面に堕ちてしまった美紀に戸惑いつつも、ゆかりは声をかけて相手を呼び戻そうとする。

 一部、ここにはまだ来ていない二人が反応しそうな単語が聞こえてきた。仮に二人が聞いてしまったならば、また騒ぎになるのは明白だ。

 別に美紀は湊を異性として意識していないようだが、それでも、自分の兄から護って貰うために形だけでも恋人にしようとするのなら、美紀と湊のファンたちも巻き込んでの大騒動に発展するに違いない。

 

「…………あの日の男の子に似てますし…………ええ、本人なら運命と言っても過言ではないです…………」

「どうしよう、美紀が帰ってこない」

「ゆかりちゃんが変なこと言うからだよぅ」

 

 流石の風花も庇いきれず、ゆかりの失言にやや呆れたように眉尻を下げて嘆息する。

 たまに不気味に笑う美紀に恐怖を感じるが、今はストレスと愚痴を吐きださせておいた方が良いと判断することにし、そっとしておこうと思った。

 そうして、美紀を放置したまま、ゆかりと風花は自分の絵に色を付ける作業に戻ると、少しして部室のドアがノックされた。

 普段、部員らが入ってくるときには、誰もノックしたりはしないため、今回の来訪者はそれ以外の人間という事になる。

 鍵は開いているので自由に入って貰って構わないが、ゆかりらが何も答えずにいると、相手はもう一度ノックしてきたので、もっとも入り口に近いゆかりが声をかけることにした。

 

「開いてますから、どうぞー」

「失礼します」

 

 ゆかりが声をかけると、来訪者の女性の声が聞こえ、直ぐにドアノブがガチャリと音を立てて扉が開いた。

 入ってきたのは、側頭部にリボンを一つずつ付けた腰に届く長髪の女生徒で、さらにその後ろにショートツインテールの女子と、ツインリングの女子が続いて入ってくる。

 それぞれの制服についたバッヂから判断するに、順に三年・二年・一年生の生徒らしい。

 部屋に人が入ってきたことで美紀も復活したのか、入り口付近に立ったままでいる相手に、部の代表者として声をかけた。

 

「えっと、雪広先輩でしたよね。去年はTシャツ作りのときにお世話になりました」

「いえ、他ならぬ皇子の頼みとあらば、この雪広 繭子(ゆきひろ まゆこ)、どのような願いも叶えてみせますわ」

 

 とても上品で綺麗に微笑む彼女は、真田と同じ3-C所属の先輩であり、実家がプリント屋をしている関係で、去年の部活動でTシャツを作る際に依頼したという繋がりがある。

 他のメンバーは繭子が注文の品を部室に届けに来るまで知らなかったが、湊だけは繭子の実家がプリント屋をしていると知っていたようで、湊の情報網に驚いたものだ。

 だが、今は特に何も注文していないため、彼女がここにやってくる用事もないはずだが、立たせたままではなんなので、三人とも席を立って余っている椅子を対面するような形で準備すると、来訪者に着席を促した。

 

「立ったままというのもなんなので、どうぞ座ってください」

「ええ、ありがとうございます」

『失礼します』

 

 美紀に促されると、繭子と一緒に来ていた女子二人も素直に席に着いた。

 一人は同じ二年生だが、同じクラスの生徒ではないため、誰も名前が分からない。

 同じく一年生の生徒も、特に後輩と繋がりを持っている訳ではないため、名前が分からなかった美紀たちは、とりあえず自己紹介をして貰うことにした。

 

「あの、お名前を伺ってもよろしいですか?」

「ああ、これは失礼しました。こちら、二年C組の相葉(あいば)さんと、一年A組の米倉(よねくら)さんです。本年度の『プリンス・ミナト』の学年代表を務めております」

『は、はぁ……』

 

 繭子が二人を紹介すると、二人は制服の上着のポケットから『プリンス・ミナト』の会員証を取り出し、それぞれの学年を表すローマ数字の金色のシールが貼られていることを見せてきた。

 それが学年代表の証なのだろうが、生憎と美術工芸部のメンバーに湊のファンクラブに入っている者はいないため、やや呆けたように頷くことしか出来なかった。

 だが、相手がどこか誇らしげなので、学年代表は一応すごいことなのだろうと推測し、美紀は言葉を選びながらやってきた用件を相手から尋ねる。

 

「それで、本日はどういったご用件でこちらに来られたのでしょうか?」

「よくぞ訊いてくれました! ですが、その前に、貴女方は我々『プリンス・ミナト』の存在をご存じでしょうか?」

「えっと、有里君のファンクラブですよね? 非公認の」

 

 繭子に聞かれて、ゆかりが曖昧な知識のまま自分の知っていることを口にする。

 真田のファンクラブである『真田王国(キングダム)』と同規模の勢力を誇る組織であり、その会員は中等部だけでなく、初等部と高等部、はては教師や他校の生徒にまで及ぶと言われている。

 だが、両ファンクラブとも本人らに認められている訳ではなく、何故だか、学校の同好会にはなって部室を割り振られているものの、真田に至っては自分のファンクラブだというのに存在すら知らない有り様である。

 その点、『プリンス・ミナト』は、繭子が湊に質問のフリをして筆記体で『プリンス』と『ミナト』を別々に書いて貰い、それを会員証の題字に出来ているなど、いくらか実りある活動が出来ていた。

 

「ええ、その通り。ですが、皇子は我々のことを黙認してくださっています。ですので、準公認組織と呼んでください」

「会員数も四月現在で四百人を超えましたし。いま一番勢いに乗った熱いチームなんですよ。まぁ、有里先輩が海外に行っちゃってるんで、今年はファン会合くらいしかすることないんですけどね」

「おだまり、二号! 我々は、一回りも二回りも成長して帰ってきた皇子と優雅にお話しするべく、英語を勉強するという使命があることを忘れたのですか?」

 

 軽いノリでケラケラとおかしそうに笑う一年生代表の米倉を、繭子はキッと睨んで黙らせる。

 何故、名前ではなく二号というアダ名で呼んだのかは不明だが、最低学年が二号ならば、二年生の方は一号に違いない。

 だが、そんなよく分からない相手側の事情を考えるよりも、ファンクラブのメンバーのくせに、湊が日本にいた時点で英語を完璧に話せることを知らないことにゆかりらは疑問を感じた。

 指摘すれば自分たちの方が湊を理解しているように思われるかもしれない。けれど、どうせなら、英語以外で話せた方が湊の記憶にも残るのではと思ったため、風花はそれを伝えることにした。

 

「あの、有里君って英語は日本にいた時点で話せるんです。あと、中国人の知り合いがいるので、中国語も出来ますし。だいだいの主要言語は留学前に日常会話レベルは身に付けてましたから、どうせなら英語とかじゃない方が相手の記憶にも残ると思いますよ?」

「なっ!? そ、そんな……」

 

 風花の言葉を聞いた途端、繭子は大仰な仕草で立ち上がりながら驚愕の顔を浮かべ、そのまま椅子に戻らず床に膝をついていた。

 これには、言った風花だけでなく、ゆかりや美紀も驚いたようで、そこまで衝撃を受けるようなことかと思いつつも駆け寄ろうとする。

 しかし、その前に相手は勢いよく立ちあがり肩を震わせたかと思うと、とても輝いた顔で両手を広げ、会員の二人の方へ向き直った。

 

「聞きましたか、皆さん! 文武両道だけでなく、語学も堪能。あぁ、流石は神に最も愛され、世界を統べるべくこの世に舞い降りた皇子。男性ではあり得ぬ、絹のような透き通る肌。さらに、風にたなびく青き髪に、至高の輝きを持つ金色の瞳。彼の後ろ姿を見る度、わたくしはいつも翼を幻視してしまいます」

 

 繭子は、最後にうっとりした顔で自分を抱きしめ、何を視ているのか天井の隅の方を向いて笑っている。

 以前、注文していたTシャツを届けに来たときには、照れて顔を赤らめながらも、丁寧な口調と仕草で湊と会話していたので、数少ない上品で大人な先輩だという認識を美術工芸部のメンバーらは持っていた。

 だが、この学校は美形だと変人というジンクスでもあるのか、湊に対する愛という方面に突き抜けてはいるが、彼女もまた佐久間と同レベルの変人であった。

 そして、頭のネジでも緩んでいるのか、二号こと米倉はまたしても軽いノリで、先輩が話していたことも構わず笑って話しだす。

 

「有里先輩って綺麗ですよねー。初等部時代に中等部見学で偶然にも会って、何で男装してるのか聞いちゃいましたよ。それって校則違反じゃないんですかって。まぁ、そしたら一緒にいた赤髪の人に蹴り飛ばされましたけど、立ち上がるときに先輩が優しく手をかしてくれて、自分は男だって教えてくれましたぁ」

『えー……』

 

 二号の言葉を聞き、美術部工芸部のメンバーは残念な行動を取った佐久間を見るような、微妙な表情で相手を見てしまった。

 頭のネジが緩んでいるどころではない。湊のことを知っている中等部の生徒ならば、絶対に彼女の行動を自殺志願だと思うだろう。

 そもそも、学校の制服を着ているときならば、湊が鍛えていてがっしりした体格であることにも気付けるはずだ。

 かなり重要なその部分をスルーして、さらに隣に連れの人間がいる状態で訳の分からないことを急に言えば、本人が怒らなくとも、ゆかりや美紀であっても相手を注意するところである。

 それも、よりにもよって湊と家族や幼馴染という関係にあるチドリのいる場面で口にするなど、よく蹴りの一発で済んだものだと呆れずにはいられなかった。

 プリミナの上級生らも、自分たちの後輩の非常識な言動にワナワナと震え、相手を立たせると掴んだ肩を揺らしながら相手を激しく叱責する。

 

「あ、貴女は一体なにをしているのですか! 皇子が寛大な御心の持ち主であったから良かったものの、古代ローマならば鞭打ちの上に斬首刑に処されているところです!」

「えー、だって誰も先輩が男だって教えてくれなかったじゃないですかぁ」

「おだまり元小学生! そもそも、体格が違うでしょう! 昨年の文化祭のように着物で体型が隠れていなければ、制服の上からでも逞しい体躯から男性だと誰だって分かります!」

「それ偏見ですよー。世の中にはマッチョ系の女性もいますし」

 

 確かにアスリートだけでなく、ボディビルダーなど、女性にも非常に逞しい肉体をしている者は多数いる。

 そして、湊は男性の中ではかなり女性よりなので、男性的な女性と女性的な男性で、どちらが女性に見えるかと聞かれれば、とても難しい問題だと悩むのも無理はない。

 湊が女性の染色体も持っていることを知っているのは、一緒に病院に行った桜・イリス・ロゼッタの三人を除けば、つい先日教えられた蠍の心臓のメンバーしかいないので、二号の質問もあながち間違いではないと気付ける者はここにはいない。

 そうして、ろくに話も進まぬまま、プリミナのメンバーが騒いでいると、部室の扉が開き、チドリと佐久間が入ってきた。

 やってきた二人は、部屋に入るなり見慣れぬ者らがいたので、不思議に思いつつそちらに視線を向けて口を開く。

 

「およ? あー、有里君のストーカーの人たちだ! ついにこの有里ハーレム王国にも侵略してきたな! でも、残念でした。この部活は部員募集してないもんねー。そんなに入りたかったら、パチモンの美術部にでも行ってらっしゃーい」

「す、ストーカーは貴女の方でしょう! 教師という権力を不正に使い、皇子にいつも付き纏って! いい歳して恥を知りなさい!」

「うぷぷー、有里君は胸の大きい人が好きなんだもんね。つまり、ペチャパイナポゥな貴女たちはノー眼中! ファーストキスもまだなお子ちゃまは、お尻の蒙古斑が消えるよう祈って家で大人しく寝てなさい!」

 

 急に失礼なことを言ってきた佐久間に、繭子が額に青筋を浮かべながら反論する。

 しかし、腕組みをして自分の胸を強調するよう仁王立ちしながら、佐久間はプリミナのメンバーたちをさらに激しく煽る。

 本当に社会人かと聞きたくなるほど、まったく欠片も引かずに、大人げなく生徒と口喧嘩するなど、同じレベルに残念と言われている櫛名田ですらしたことはなかった。

 加えて、湊は一度として胸が大きい方が好みだなどと言った覚えはない。まわりにいる大人に巨乳が多いだけで、本人にしてみれば自分の心が如何に穏やかでいられるかの方が重要だ。

 そんなことも知らず、自身とて、不意討ちで湊にキスしたことでファーストキスを済ませただけだというのに、他の者よりも大人であると佐久間は自信たっぷりに勝ち誇っていた。

 現れた途端、人一倍騒いでいる担任兼顧問に嘆息しながら、ゆかりや美紀は状況が分かっていないチドリに先に説明することにした。

 

「えっと、あの人たちは有里君のファンクラブ『プリンス・ミナト』のメンバーで、なんか用があって来たらしいの」

「その用件を聞いている最中でしたが、先生が来た途端にこれで……」

 

 乾いた笑いを見せる美紀の言う通り、佐久間は部室に入ってくるなり、生徒をストーカー呼ばわりしてひたすらに挑発している。

 その後も、相手が言い返してくれば、さらに捲し立てるように罵倒し、小さな子どもが自分の嫌いな相手にあっちいけと言っているようにしか見えない。

 事実、佐久間は自分と湊の居場所に、湊がいることを許可した部員以外の人間がいることが嫌なのだろう。

 佐久間は、湊と出会ったほぼ最初から独占欲の強さを周りに披露していた。自分を湊の物にして欲しいと望み、また、湊に自分の傍にいて欲しいと願う。

 淡い恋心すら知らずに育った女が、一生の恋の相手に出会ってしまったが故の反動だ。

 周囲は佐久間が湊に入れ込む原因を知らないが、チドリは同じように既に才能が開花している天才として、湊がいなかった場合の世界の感じ方を想像出来ているため、佐久間の気持ちをある程度理解しつつ、それでも話を進めるために提案する事にした。

 

「……クマモン、話が進まないから、用件だけ聞いて帰らせれば?」

「えー、だって絶対に有里君関連だよ? 有里君の作品を売ってくれとか、有里君の近況報告が聞きたいとかさ。私も教師として一生徒のプライバシーに関わるような、そういう行為って出来ないんだよね」

『嘘付け』

 

 完全に湊のプライベートに突っ込んだ行動を頻繁に取っているくせに、シレッと教師の仮面を被って嘘を吐く佐久間に、生徒らは口を揃えて言った。

 コントロールが利かず、ただ近くにいるだけで疲れる人間を、湊はよく黙って相手していたものだと、二号以外の生徒は感心を超えて尊敬すらし始めていた。

 仮に相手が異性で、自分たちの好みだったとしても、流石に疲れて三日で気持ちも冷めるに違いない。

 そうして、部員らが佐久間を宥め、どうにか話しが出来る状態になると、少しばかり疲れた表情をした繭子が美紀たちを見つめながら口を開いた。

 

「単刀直入に申しますと、実はあるものをデザインして貰いたいのです」

「あるもの、ですか?」

「はい。実は、この度、我々『プリンス・ミナト』で皇子不在の心の隙間を埋めるべく、小さな根付けと言いますか、ストラップを作ろうという話しになりまして」

 

 言いながら、繭子は上着のポケットから一枚の紙を取り出すと、それを美紀たちメンバーの前に広げた。

 

『……え』

 

 そこに書かれていたイラストをみて、メンバーは思わず言葉を失う。

 紙の一番上に可愛らしい丸い字で『仮名・デフォルメ皇子』と書かれていることから、これが相手の用意した設定案で、イラストは湊をデフォルメした姿のつもりに違いない。

 だが、美紀たちの目に飛び込んできたのは、顔がアンパンで出来た子どもたちのヒーローが青いタテガミを持ったような存在であった。

 それだって、かなり譲歩しての評価であり、普通にみれば、辛うじて目や鼻など顔のパーツの数が合っていることしか判断できない。

 いくら芸術方面の才能がないにしても、丸と棒だけで人の顔を書いた方が、まだ湊に近くなるだろう。

 しかし、相手は真面目に描いてこのレベルらしく、どこか誇らしげな笑みを浮かべ、上品な口調で言葉を続けてきた。

 

「フフッ、初めてデザインしたのですがどうでしょう? これを基に、美術工芸部の皆さんに正式なデザインをお願いしたいというのが、ここへやってきた理由なのです。まぁ、幼少期の皇子の写真などがあれば、それを基にして貰った方が愛らしく出来ると思いますから、そこら辺はお任せしますが」

「え、あの、私たち別に、そういうデザインの依頼とか受けてないんですけど」

「皇子は、わたくしが筆記体で綴りを知りたいと言った際、快くこのように書いてくださりましたよ?」

 

 ゆかりが相手にお引き取り願おうと、デザイン注文は受け付けていない旨を告げる。

 だが、相手は気にした様子もなく、どこに仕舞っていたのか、背中から額縁に入ったサイン色紙を取り出して見せてきた。

 色紙にはアルファベットの筆記体で『プリンス』『エンジェル』『ミナト』『マユコ』『ラヴ』と色々な単語が書かれている。

 先ほど見せてきた会員証の題字と、色紙に書かれている文字が重なるように見えたため、題字はこの色紙の文字をスキャンした物を利用しているのだろう。

 相手が知らない人間であっても、困っている女性が頼ってきたときには、湊は暇であれば手を貸してやる人間だ。

 しかし、それは変なところで湊の面倒見が良いだけであり、この美術工芸部の活動とは何の関係もない。

 今はコンクール用の作品をとくに作ってはいないが、面倒な事は御免だと、チドリも口を開いた。

 

「面倒くさいから嫌よ。というか、その下書きでデザインを起こせなんて無理。せめて、人間に見えるものにしてもらわないと」

「なっ!? ちゃんと見えるでしょう! 風にたなびく髪、どこか憂いを帯びた表情! 皇子そのものです」

「……はぁ」

 

 真面目に描いたイラストを貶され、繭子は机に手をバンッと着いて立ち上がり反論してくる。

 だが、芸術センスが皆無らしい相手とこれ以上話しても無駄だ。チドリは深く溜め息を吐くと、鞄にいつも入れているスケッチブックを取り出し、いくらかページを捲って、ある絵を開いたまま机の上に置いた。

 そこには、上半身裸で下半身が毛布で隠れている座った湊の絵が描かれており、色は塗られていないが、陰影で筋肉の質感なども表現されている。

 普段は抽象画など様々な絵を描いているチドリも、たまにはこの絵のような普通の写実デッサンも描く。

 そうして、繭子の描いたデフォルメしたらしい湊のイラストと自分の絵を並べ、他の者にも一緒に話しかけた。

 

「これ、同じ人間を描いた絵に見える? 私は見えないから、もし見える人間がいるなら、その人がリデザインしてあげればいい」

「わー、すごい。本物の写真みたい」

「うん、すっごいリアル。でも、この有里君、なんで服着てないの?」

「着物が脱げてるだけ。別の角度だとこうなってる」

 

 風花とゆかりの言葉に答えながら、チドリは携帯を取り出すと、写真フォルダから一つのデータを画面に表示する。

 画面には、確かに絵を別角度から見たような、帯より上の着物が脱げてしまっている寝起き姿の湊が写っていた。

 プリミナのメンバーは自分たちが敬い崇めている少年の隙だらけな姿に、思わず生唾を飲み込んで喉を鳴らす。

 それは佐久間も同じようで、瞳に真剣な色を宿らせ、ジッと画像を見つめながらチドリに声をかけてきた。

 

「おー……ねぇねぇ吉野さん、そのデータ頂戴。待ち受けにしたいから」

「……あげる訳ないでしょ。なんで他人に家族のプライベートショットをあげないといけないのよ」

「むぅ、じゃあ、先生も秘蔵の写メあげるからさ。交換なら良いでしょ?」

 

 言うなり佐久間は、自分の携帯のプライベートフォルダのロックを解除し、彼女曰く秘蔵の写メを表示した状態で画面を見せてきた。

 そこに写っているのは、佐久間がたまに腕につけているシュシュで髪を結んで料理を作っている湊の姿で、チドリはこんな姿の湊を見たことがなかった。

 何より、料理を作っている場所に見覚えがない。どこかの部屋のキッチンのようだが、チドリは部活メンバー以外の家に遊びにいくことが基本的にないので、画像を見ただけではその場所が分からない。

 それは他の者も同じようで、考えても思い付かず、ゆかりがお手上げだと佐久間に撮影場所を尋ねることにした。

 

「先生、これってどこで撮った写真なんですか?」

「ん? ああ、私の家だよ。ていうか、アパートの部屋ね。皆はまだ来た事なかったっけ?」

「ええ。というか、先生、そんなに有里君を家に招いてたんですか?」

「んーと、五回くらいかな。遊びにきてた姫子先生が中華が食べたいって呼び出したこともあるし。お家デートしよってお菓子で釣って来てもらったりとか。結構、普通に来てくれたよ?」

 

 佐久間はニコニコと楽しそうに話すが、対照的に、女子たちの顔は微妙な表情で固まり、湊と佐久間の関係に対する疑念が湧いていた。

 ただでさえ、二人は佐久間の校内での振る舞いのせいで、もしや教師と生徒でいけない関係になっているのではと疑われているのだ。

 それが疑いで済んでいるのは、湊が佐久間をほとんど相手していないからで、佐久間の湊への想いに関しては学校中が知っている。

 しかし、ここで湊も佐久間の家に遊びに行っていた事実が発覚してしまった。

 これでは、学校では相手していないだけで、湊も佐久間を満更でもなく思っていると周囲が考えてしまってもしょうがない。

 このことが広まれば、佐久間も湊も学校に居られなくなる可能性が高いだろう。

 故に、この場にいる女子らは、アイコンタクトで意思疎通を図り、一度頷くと、代表者である美紀が佐久間に進言した。

 

「先生、こういった写真はあまり人前で見せない方が良いと思います。男子生徒が女性教師の自宅に上がり込んでいたと聞けば、下世話な雑誌記者がやってくるかもしれませんから」

「あー、パパラッチかぁ。確かに先生もちょい有名人だし、そういうのはメンドっちぃよね。うんうん、じゃあ今後は普通に惚気るだけにするよ。ストーカーの貴女たちには刺激が強いかも知れないけど、ちゃんと全年齢版の話しかしないから安心してね!」

 

 最後に綺麗なウインクをして見せて、佐久間はチドリとの交渉に入ってゆく。

 どこか主婦っぽい調理姿と寝起きのセクシーショット、どちらも入手のためならファンクラブの間で金銭が動きそうな写真だ。

 実家では桜が湊とチドリに料理を作ってやりたいという理由から、湊は基本的に料理をしないので、チドリも普段見る事のない湊が着物以外の私服で料理している写真は欲しい。

 だが、着物が脱げて事後にも見える貴重な寝起き姿を、明らかに湊を狙っている女に渡したくないという気持ちも存在する。

 反対に、佐久間は佐久間で、自分と湊しか知らない二人だけの時間を切り取った写真を、いくら相手の家族とはいえ他者に渡したくないとも思っている。

 けれど、チドリの持っている写真には、それだけの対価を払う価値がある。写真集を出すのならば、間違いなく表紙に選ばれるであろう芸術作品だ。

 故に、佐久間は表情では笑顔を作りつつも、断腸の思いで他の写真もチラつかせつつ交渉を続けた。

 

「姫子先生に三つ編みにされた有里君とかどう?」

「弱い。湊は昔はもっと髪が長かったし、理由があって女装させられてたから、髪型で遊んでる写真は沢山残ってる」

 

 佐久間が三つ編みにされた湊の写真を見せると、チドリは髪をお嬢様結びにされて水色のワンピースを着た八歳頃の湊の写真を見せた。

 その湊の隣には、同じ髪型で色違いの黄色のワンピースを着ているチドリが写っている。

 これは湊の変装を手伝ううちに、二人に可愛らしい恰好をさせるのが楽しくなった桜の暴走した結果であり、衣装を提供したロゼッタと、ロゼッタを車で桔梗組まで連れて行ったイリスの携帯にも、これと同じ画像は保存されている。

 普通ならばこのような写真を見せられれば不思議に思うが、日本には文化として、身体の弱い男子を幼少期に女子の恰好をさせて育てることや、悪霊から守るために女装させる習慣が存在した。

 体育を見学していることや、たまに学校を休むことから、実は身体が弱いと思われている湊ならば、とくに不思議にも思われず皆に受け入れられていた。

 そして、普段はクール&ワイルドな真田に対し、常にクール&ビターなイケメンという評価を得ている湊の、現在からは想像も出来ないそんな姿に、画像を見た他の者たちは思わず表情が緩んでしまう。

 

「ブフッ、昔の有里君ってこんなだったの? チドリと姉妹みたいになってるし、可愛すぎでしょ」

「お、皇子の幼少期がこんなにも愛らしいだなんて……想像以上です。お願いします、吉野さん。どうかそのデータをわたくしにも譲ってください。また部活動で何かをプリントする際、ウチの店でサービスしますから」

「あ、会長ずるいです! 先輩、私にもください。前に蹴られたこと許してあげますからぁ」

 

 ゆかりが幼い二人の姿に純粋に可愛いと思っている隣で、最初に交渉していた佐久間に加えて、繭子だけでなく二号も一緒になって湊の画像をくれと言い出した。

 ずっと喋っていない一号は、湊の上半身裸の写真を見た時点で鼻血を出し、今も幼少期の湊を見て「ハァハァ」と息を荒くしている。

 そうして、『プリンス・ミナト』のメンバーたちが、当初の目的を忘れて画像に熱中したことにより。話し合いは完全に湊の写真品評会へと様相を変え、それぞれが持っている画像を見せ合い、時には交渉が成立して交換されるなど、下校時刻まで女子八人でかしましく続けられたのだった。

 帰宅後にメールしたチドリからその事を知らされた湊は、帰国後に全員の携帯を潰しにゆくと宣言し、文面から湊が本気であると読みとったチドリは、さらに部員と佐久間に湊が本気で携帯を破壊するつもりでいる事を伝えた。

 それにより、全員が驚きつつちゃっかりバックアップを取っていることまでは、流石の湊も知らされていないため、結局、湊の知らないところで本人の抹消したい過去は生き続けることとなった。

 

 

 




補足説明
本話投稿時点では、今回のゆかりの発言にあった「兄が妹に恋をして恋人になる~」という作中内作品の設定は公式に存在しないが、後にペルソナQ内のイベントにて「生き別れの兄妹だと思ったら兄と妹で周囲の反対を押し切りお付き合いを始めた途端に余命宣告」といった内容のケータイ小説を読んでいたとアイギスの発言によって判明。

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