【完結】PERSONA3 Re;venger   作:清良 要

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第六十五話 とある昼休みの一幕

――蠍の心臓・食堂

 

「本当に持ち直したようね。少し驚いたわ」

 

 食堂で紅茶を飲みながら離れたテーブルを眺め、ナタリアがイリスに話しかける。

 彼女の視線の先では、銃のカタログを眺めながらレベッカ・バーバラ・チャドの三人と一緒にケーキを食べている湊が座っていた。

 

「完全にって訳じゃないけどな。ただ、自分が何のためにこんな仕事をしてるか再確認させたんだ。アイツの長所でもあった、弱者を殺さないっていう甘さは薄れたかも知れない。それでも、とりあえず、あんな八つ当たりみたいな戦い方はしばらくしないよ」

 

 たった一日日本に戻していただけで、湊は行く前とは別人かと思うほど、以前の冷静さを取り戻して帰ってきた。

 他の者にすれば、どうやって朝に行って夜に戻ってこられたのか不思議でならないが、傍で見ていても恐怖を抱くことはなくなった。

 レベッカなど安心して泣きながら湊に抱き付き、父親のラースが娘に男が出来るかもしれないと動転していたが、そんな愉快な光景が、他の者の緊張を解す事に一役買って、今ではすべて元通りになっている。

 

「……にしても、レベッカの入れ込みようは不思議ね。あの子、ボウヤのことを嫌っていたでしょうに」

「ああ、イラつくよな。昨日、小狼がいないと思って探したら、大浴場の女湯で水着きて小狼の髪の毛洗ってたんだ。ご丁寧に清掃中の札を置いてな」

 

 離れたテーブルで、フォークを使って湊の口にケーキを運んでいるレベッカ。

 湊がショートケーキで、自分はチーズケーキなので、別のケーキも食べさせてやろうという、お姉さん的な行動らしい。

 しかし、イリスはそれを見ながら、紅茶に入れようとトングで掴んでいた角砂糖を粉々にして、反対の手に握り拳を作り、それを激しく震わせている。

 以前は、並んで狙撃銃を撃っているのを見て、子ども同士が遊んでいるのは微笑ましいと笑っていたくせに、随分な変わりようだ。

 静かにカップに口を付けて紅茶を味わっていたナタリアは、旧友の大人げない行動に呆れながら忠告する。

 

「水着を着てたなら良いじゃない。ラースも貴女も子離れしなさいよ。みっともないわよ」

「アイツはまだ中学生だろうが!」

「昔の日本ならとっくに元服の歳でしょ。別に二人が結婚したいんなら、私は特に反対しないわよ」

「誰がさせるかっ。アイツの保護者にも言われてんだ。変な女に引っ掛からないように注意してやってくれって。だから、最低でもアイツのために生きるくらい言えるようなやつじゃないと駄目だ」

 

 断固として湊とレベッカの交際は認めない。

 腕組みをしてはっきり言い切るイリスは、性別は異なっていても、娘を嫁にやらない父親にしか見えなかった。

 失意の淵に立ち、この仕事を始めた頃からは想像も出来ない姿だ。

 過去の自分に重なり放っておくことが出来ず、彼女をこの仕事に誘った張本人としては、実に喜ばしいことである。

 けれど、恋愛は当人同士でやるものなので、そこで大人がしゃしゃり出るべきではない。

 そう思いながら話しを聞いていたところ、ナタリアはイリスの出した条件に引っ掛かるものを覚え、実はかなり甘い条件ではないかと思った。

 

「……意外と沢山いるんじゃない?」

 

 すると、相手もナタリアと同じ考えに至ったのだろう。

 何せ、名切りの一族は生物としてワンランク上の存在だ。これより優秀な遺伝子が天然ではほぼ存在しないとなれば、雌は本能で湊を求めるはず。

 ミーハーな女子など、湊と結婚出来るのなら、自分の人生くらい余裕で捧げると言い出す者も大勢いるに違いない。

 

「……本当だな。よし、小狼自身が相手のために生きるって言った場合のみ許可することにしよう。これなら、レベッカはアウトだろうからな」

 

 流石に、それほどまでに条件を達成する者が大勢いるのでは困るので、絶対に少ないだろうと思える物に条件を変えた。

 もっとも、変えたところで、既に達成者は数名いるのだが、イリスは居てもどうせチドリだろうと思っているため、満足気に頷いていたのだった。

 

 

5月15日(月)

昼休み――2-B教室

 

 昼休み、学生にとっては空腹の辛さからようやく解放される、一日のうちで最も重要な時間である。

 四限目の授業が終わってからの生徒の反応は、大きく分けて四つ。

 まず、最も多いのは、授業という束縛された状況からの解放感を味わいつつ、自分の鞄から弁当箱や店のレジ袋を取り出して、昼食を机の上に広げる者。

 次に、財布や携帯などの貴重品を持って、安くて美味いと評判の食堂に向かって教室を出る者。

 さらに、食べればどこか懐かしい気持ちになれる、購買の総菜パンを買いに走る者。

 最後が、昼食を用意しておらず、総菜パンを買う金も持っていないため、机に突っ伏して睡眠で空腹を忘れようとする者だ。

 順平はこの中の三番目、購買へ総菜パンを買いに走る者で、目当ての焼きそばパンと三食パン・うぐいすパンを手に入れ、飲み物として後光の紅茶も買ってから教室へと戻ってきた。

 

「おかえりー。いいの買えたか?」

 

 戻ってきた順平を迎えたのは、以前、一緒に鍋島ラーメン“はがくれ”に食べに行ったメンバーで、コンビニの袋からオニギリを取り出していた友近が、順平の手に持っているパンを眺めながら尋ねてくる。

 昼休みの購買は一種の戦場だ。誰も彼もが人気のカツサンドや焼きそばパンを求め、おばちゃんにパンをくれと叫ぶ。

 しかし、おばちゃんは皆に平等、早い者勝ちで次々と生徒の求めるパンを渡し、代金を受け取って次の生徒の所望品を用意するだけだ。

 唯一の例外が、買いに来れば自然と他の者が列を開ける湊で、おばちゃんもその時には他の者が彼を通したこともあって優先的に買わせている。

 もっとも、湊は桜のお手製弁当を持って来ていたので、買うのは飲み物とお菓子類だけ。他の者たちも、湊が昼休みにパンを買わないと知っていたから通していたに違いない。

 そんな一種の名物的な光景を未だに目にしていない順平は、飢えた獣たちとの戦いで得た戦果を自慢げに見せつけた。

 

「焼きそばパン、ゲットだぜー! んで、あとは適当に三食パンとうぐいすパンも買ってきた。ま、パンばっかり食っても、すぐに腹減るし。帰りに買い食いすると思うけどな」

「なら、来る前にコンビニでオニギリでも買っとけよ。パンよか腹持ちはいいぞ」

 

 友近は放課後の買い食いには賛成派だが、それでも頻繁に行うのはよくないと思っている。

 理由は、単純に自分たち中学生の一般的な経済事情を考えての事だ。

 遊びたい盛りでも、バイトが認められていない以上は、親から貰える少ない小遣いをやりくりしてせいぜい楽しむしかない。

 なら、最も切り詰める事が出来るのは何だと考えれば、それは食費だと友近は思っている。

 育ち盛りでもあるので、すぐにお腹が空くのは分かるが、昼に総菜パンと菓子パンを合わせて三つ食べて、さらに放課後にたこ焼きなど買い食いする。それよりは、学食で四百円のカツ丼でも食べた方が満腹になるだろうし、経済的な負担も少なく済むだろう。

 こういった小さな積み重ねが、一月で五百円以上違ってくる結果を生む。

 そんな思いも込めて、友近は順平に金の使い方を考えろとアドバイスするも、ノリで生きる中学生にはあまり響かなかったのか、直ぐ前の今は誰もいない席に座って、順平は笑いながら返してきた。

 

「まぁ、その日の気分ってあんじゃん? 今日はオニギリだとか、カツサンドが食べたいだとか。オレっち、そういうの大切にする派だから、今日は焼きそばパンな訳よ」

「はぁ……月末に泣いても金は貸さないからな」

 

 金銭の貸し借りは友情に亀裂を生む。例え薄情だと言われようが、身から出た錆びである以上、友近は本当に一円たりとも順平に貸すつもりはなかった。

 相手も今は親戚から貰った小遣いという金銭的余裕があるためか、友近の言葉を大して気にせず。

 

「へへっ、わかってるよ」

 

 と言って、三食パンを包みから出し、餡子・チョコレート・クリームのどれかは分からないが、その一角を千切って口に運んだ。

 それを眺めてばかりもいられないので、友近も最後に呆れた様子で一度深く息を吐いてから、袋から取り出したツナマヨネーズのオニギリの包装を開けた。

 片手で持ちながらかぶりつき、パリッとした海苔の食感と、ご飯の少しひんやりした温度を感じながら、友近は机の中に入れていたA3サイズの大きなプリントを取り出し眺め出す。

 前の席で椅子に横座りしていた順平は、自身もパンを口に運びながら、相手が何を見ているのか気になり、口の中の物を飲み込んでから尋ねた。

 

「あれ、ともちー何みてんの? バイトの求人?」

「友近な。つか、中学生を雇ってくれるのなんて新聞配達くらいしかねーだろ。求人じゃなくて、皇子通信の特別増刊号だ」

「皇子通信? なんだ、それ?」

 

 全く聞き覚えのない単語に、順平は不思議そうに首をかしげる。

 『通信』という名の付いた紙媒体であるため、その後の特別増刊号と合わせて考えるに、何かしらの新聞的な物なのだろうとは思う。

 だが、友近が手にしているのは、普通より大きなただのコピー用紙だ。

 新聞社の発行する新聞にしては紙が上等過ぎるし、広報版のような地域新聞にしては逆にちゃっちく感じる。

 そうして、考えても何も思い付かなかったため、順平はうぐいすパンを口に咥えて、お手上げとばかりに肩を竦めた。

 

「まったく分からねえ。それどこの新聞よ?」

「プリンス・ミナトだよ。俺は帰ってて知らなかったけど、なんか有里が一時帰国して放課後の学校に来てたんだとさ」

 

 言いながら友近が順平に皇子通信の誌面を見せてくると、そこにはカラー印刷された湊の写真がトップに載っていた。

 以前、順平が友近らに見せて貰った文化祭の画像と違い、写真の湊は私服で化粧もしていない。

 頬が何故だか腫れているようにも見えるが、それを差し引いてもこの学校のどの女子よりも美麗だ。

 同じ写真内で、美術工芸部のメンバー・佐久間・櫛名田という錚々たる面々に囲まれているというのに、それでも尚、圧倒的な存在感を放っていることから、順平は自分の感覚は間違っていないと断言できる。

 しかし、女に見えるか、と聞かれたら疑問符が浮かぶ。

 肩甲骨よりも長く伸びた髪は、前髪もそれに近い長さで無造作に伸びていて邪魔ではないかと思うし。

 校内女子の中では長身に分類される美紀や櫛名田よりも背が高い。三年生や同学年の高身長の男子に比べると、まだそれには及ばないほどではあるが、既に一六〇センチ後半にはなっているだろう。

 それだけの身長を持って、尚且つ、眼光が鋭く、身体もかなりがっしりしている。

 女子と並べると、体格の差は歴然だ。

 声はまだ聞いた事がないので判断材料に出来ないが、少なくとも、順平は私服や制服を身に付けた湊は一目で男と判断できると思った。

 

「なーんか、文化祭の写真とイメージ違う感じだな。この有里君って結構キレキレな感じ?」

「キレキレ……ああ、不良かって? いや、服装以外の校則違反はたぶんしてないぞ。何故だか年中マフラー巻いてるけどな。寒がりなのかもしれん」

「マフラー? ああ、この黒いのか。確かに五月に巻くには暑そうだな」

 

 どこのブランドの品なのか、この写真からは判断できないが、それでも雰囲気からすると高級品に見える。

 きっと値段を聞けば、マフラー一つでそんなにするのかと目玉が飛び出すに違いない。

 だが、いくら高級品だとしても、夏へ近付いている五月中旬に巻くには流石に暑いだろう。

 薄いスカーフ程度なら許容範囲でお洒落さんだなと思うところだが、いくらイケメンで似合っているにしても、分厚い黒マフラーはない。

 もしや、所謂、『厨二病』と呼ばれる思春期特有の精神疾患を患ってしまっているのだろうか。

 その可能性が浮上すると、無造作に伸ばされた長髪も金色の瞳も、順平にはもう厨二病の塊にしか見えなくなっていた。

 

「あー、有里君ってもしかして厨二病か。いやぁ、オレもヒーローとか超能力には憧れっけど、カラコンとか暑いの我慢してヒーローマフラー装備する気にはなれねぇわ」

 

 最後にアハハと笑って、順平は楽しみにしていた焼きそばパンに取りかかる。

 できたてではないと言うのに、袋から出すなり、焼きそばソースの食欲をそそる香ばしい匂いが鼻腔に届く。

 そのまま、口を大きく開いてかぶりつくと、パンが焼きそばのしょっぱさを丁度良い塩梅に整え、上に乗った紅ショウガがさっぱりとしたアクセントとなり、味に飽きさせずに次の一口を誘ってくる。

 たかが購買の焼きそばパンだ。もっと美味しい物は他にいくらでもある。

 しかし、順平はこの安っちくも、また食べたくなる懐かしい味が大好きだった。

 

「ばっ、おまえっ!?」

 

 だが、食べている途中で、友近が顔を青くして焦っていた。

 一体どうしたのか。順平は友近の様子を怪訝に思いながら、最後の一口を飲み込んだところで、周囲の様子の変化にようやく気付く。

 

「え? あ、あれ? どったの?」

 

 戸惑い周囲を見渡す順平の声が、静かにだが教室中に響く。

 いまは昼休みだ。誰も彼もが授業から解放され、くだらない雑談をしながら食事を楽しんでいるはず。

 そんな状況で、大して大きくもない一人の声が、教室中に響くなどありえない。

 結論から言おう。そのとき、教室から音が消えていた。

 

「……湊の目は、カラコンじゃない。私の髪と同じで、治療の副作用による後天的なものだけど、ちゃんと自前よ。実際、私が湊と初めて会ったときは瞳は黒かったし」

 

 音の消えた教室の後方から、気だるさを残しながらも、耳にすっと届く静かな声が発される。

 順平がゆっくりそちらに顔を向けると、風花と一緒に自分の席で弁当を食べていたチドリが、真っ直ぐ順平を見つめてきていた。

 女子の友達を作ろうと思いつつも、接する機会がなかったので、順平は今まで彼女を遠目に見るだけだったが、相手の半分しか開かれていないような目に見られると、何故だか視線を逸らすことが出来なくなってしまった。

 恐怖は感じていない。けれど、身体が竦んでいると言う訳ではないのに、顔だけでなく身体全体の自由が利かない。

 順平は、こんな経験など初めてだった。

 

「そ、そっか。知らないで適当なこと言ってゴメンな」

 

 どうして自分の身体がこんな状況になったのか分からないが、順平は相手に謝らなければ自分は生きていけないと確信した。

 そして、口が動く事を確かめて、相手にしっかりと謝罪を述べた。

 頭まで下げるべきかとも思ったが、身体が動かないことには、言葉による謝罪しか出来ないため、順平はそのまま相手の反応を待つ。

 すると、意外なことに、チドリは特に気にしていなかったように、自然な態度で返してきた。

 

「……別にいい」

「あ、ありがとう。それと本当にゴメンな」

 

 相手から許しの言葉を貰うと、順平は自分の身体が自由になっていた事に気付いた。

 身体が動くのなら頭を下げる事が出来る。座ったままだが、相手に軽く頭を下げて、許してくれたことへの感謝と改めて謝罪を述べた。

 今度のそれにはチドリは言葉を返さず。ただ僅かに頷いただけだったが、他の者も動けるようになったようで、教室に音が戻り始めた。

 順平の前に座っていた友近など、本当に安心して腰が抜けたように、椅子に座ったまま力なくへたり込んでいる。

 確かに、当事者の順平ほどではなかったにしろ。その正面に座っていたとなれば、チドリや他の者の視線にも晒されていたことだろう。

 自分のついうっかり発言によって巻きこんでしまったことで、順平は友近にも謝罪しておく事にした。

 

「おう、ゴメンな」

「ゴメンじゃないっつの。有里とその周辺を敵に回したら生きていけない。これ、この学校の常識だから」

「いやぁ、まさか教室から音が消えるとは思ってなかったわ」

「あれで済んだのは幸運だ。吉野さんが許してくれなかったら、お前、明日には社会的にも物理的にも席無くなってたからな。プリンス・ミナトは巌戸台中に潜んでるんだよ」

 

 それはそれでかなり怖いことだが、順平としては身近に感じる分、クラスメイトに嫌われる方が怖かった。

 口は災いのもと。それはお調子者の自分に母親がよく言い聞かせてきた事だったが、親元から離れて少しばかり浮かれ過ぎていたようだ。

 今回のことを戒めに、順平は少しばかり不用意は発言を控える事に決めた。

 だが、その前に、友近に言われて気になっていたマフラーについて、クラスメイトで唯一知っているであろうチドリに尋ねておく事にした。

 友近の席と距離があるため、順平は言葉に気を付けながら、やや声を張り上げてチドリに話しかける。

 

「えと、吉野さん、ちょい聞きたいんだけど。有里君て、このマフラーって何で巻いてるの?」

「……さぁ? 年上の女からの贈り物だからじゃないの」

「……へ?」

 

 予想の斜め上をいく答えに、呆気に囚われた順平は間抜けな声をあげてしまう。

 だが、ぶっきらぼうな口調の相手の言葉に棘があったことで、自分が地雷を踏み抜いてしまったと確信した。

 それと同時に、他のクラスメイトたちも今まで知ることの出来なかった湊のマフラーの秘密に、些かスキャンダラスな事情が絡んでいたため、誰も彼もが直前にしていた雑談を止めて、湊のことについて話しだしている。

 順平の隣の席だったプリミナ会員である女子も、立ち上がってやや動揺を見せながら、チドリに質問をしている。

 

「よ、吉野さん。その女の人っていくつくらい? 綺麗な人?」

「……歳は知らないけど、見た目は二十代だった。綺麗かどうかは個人の好みによるでしょうけど、雰囲気が人間っぽくないし。それらを踏まえれば湊レベルね」

「ちょ、有里君レベルって、いやあぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」

 

 聞かれたチドリは面倒そうにしながらも、前に力の管理者が家にやってきたときの事を思い出し、客観的な評価を告げた。

 相手の女子は驚き過ぎて大変な事になっているが、聞いてきたのは相手なので、チドリは全く気にせず食事を続ける。

 しかし、実際のところ、チドリは表面上は冷静を装いながら、心の中では面白くないと荒れていた。

 先ほど述べたエリザベスのルックス評価だが、チドリが今まで出会ってきた中では湊のルックスが最高ランクとなっているため、それと同等ということは、認めたくはないが超絶美人という評価だ。

 他にチドリが湊と同ランクと思っているのは四人いて、内二人はエリザベスの姉弟であるマーガレットとテオドアである。

 しかし、エリザベスも含めた力の管理者たちは、人とは理の違う世界の住人ということもあって、存在の根っこの部分から違っているとはっきり分かる。

 人間よりも高位の存在。絶対に勝つ事ができないからこそ、どこか侵し難い雰囲気もあって、いわば信仰の対象として美しいと感じるような物だと思っていた。

 故に、チドリの中でルックスは同ランクでも、信仰の加護を抜きに考えれば、力の管理者よりも湊の方が上という評価だ。

 そして、次に湊と同ランクだと思っているのは、湊の絵に描かれていた女。つまりは、七式アイギスだった。

 湊の写実画は、本当に写真かと思えるほど緻密で忠実に描くため、あのデッサンが湊によるプラス補正の働いた想像の産物ではないと断言できる。

 となると、これも悔しいことだが、同性でもドキリとするような笑みを浮かべていた絵の相手を、客観的に湊レベルと評価するしかない。

 けれど、あれは一年以上前に描かれた絵で、湊がチドリと暮らす様になってからは一度もそんな相手を見ていないため、二人が出会う以前の知り合いだと推測できる。

 ならば、絵の相手はおよそ十八歳前後だと思われるので、六年以上経った今ならば劣化している可能性もあり得た。

 湊は現在進行形で美しく成長しているので、相手が劣化している可能性があるのなら、チドリ的にはまたしても湊の勝ちである。

 そうして、これはチドリも特に気にしていない人物だが、最後の一人は湊のペルソナである座敷童子だ。

 湊本人は気付いていないらしいが、召喚されたときに姿を見ているチドリや桜は、座敷童子が湊によく似ていると思っていた。

 湊の妹、または子ども、にしては湊がまだ若過ぎるが、血縁者と言われれば素直に信じられるほど、髪や顔の造形に似た特徴を持っている。

 相手は湊の心の一部のはずなので、湊自身から分岐した存在だと思えば姿が似ていることにも納得できるが、とりあえず、二人が身内レベルに姿が似ているため、同ランクと評価するのは当然だった。

 そうして、同ランクと言っても湊がトップなのは変わらない。これがチドリの出した結論だった。

 

「……ま、当然よね」

「えと、何が当然なのかな?」

「……別に。ただ、湊が変態だって再確認しただけ」

 

 勝手にルックスを評価しておきながら、酷い言い草である。

 いまチドリが言った『変態』とは、ゆかりの言う『無駄にイケメン』という言葉と同じ意味だ。

 けれど、言葉のニュアンスからそれを読み取る事など出来る筈がない。風花も困ったように首を傾げているので、チドリが何を思って湊を変態だと言ったのか理解出来ていないのだろう。

 普段の湊を見る限り、彼が他者の評価を気にするとは思えないが、それでも自分の知らないところで勝手に根も葉もない噂で評価を落とされたくはないはずだ。

 よって、いまチドリの話しを聞いていたのが風花だけだったことは、湊にとって非常に幸運なことであった。

 

「え、えっとぉ、久しぶりに会えて良かったよね。お家の人も喜んでたでしょう?」

「夕食を食べたらすぐに戻って行った。なんか、向こうで次の国に行く準備とかがあるんだってさ」

「あ、そっか。キャラバン隊の人たちと一緒にいるんだもんね。有里君がゆっくりしてたら、他の人が移動できないし。用事を終えたら、またすぐ戻らないといけないんだ」

 

 そう言って風花は、「大変だね」と苦笑してから卵焼きを口に運ぶ。

 キャラバン隊云々は湊たちが考えた設定に過ぎないが、チドリの言った次の国に行く準備があるのは本当だ。

 治安のよくないラナフに滞在することで、日本しか知らない湊の常識を更新し、気候の違う場所での仕事にも慣れさせた。

 砂漠の砂塵によって武器が故障することや、照り付ける太陽で熱くなった砂が陽炎を発生させ、狙撃の照準に狂いが出るなど、日本の都市部で仕事をしているだけではまず味わえない。

 近接戦闘を好む湊にすれば、武器の故障は大した痛手ではなかったが、それでもそう言った経験は後に活きてくる。

 身体も成長を続け、あらゆる状況に対応できる知識と経験を得れば、湊は来たるべき戦いも無事に乗り越えられるだろう。

 そのときには、チドリも一緒に戦うつもりでいるので、湊が必死に頑張っているのなら、自分も相手がいない間に一回りも二回りも成長しようという気になれた。

 

「……秘密の特訓が必要ね」

「……え?」

 

 急に意味ありげに呟いたチドリの声が聞こえた風花は、きょとんとした顔で相手を見返す。

 “秘密の特訓”、それの中身は分からなくとも、中々に心の惹かれる響きだ。

 クラスの男子たちだけでなく、運動部の者ならば、女子であっても興味を抱く者は大勢いるに違いない。

 風花も、映画や漫画に出てくる修行のイメージなら思い浮かぶので、チドリが白装束を着て滝に打たれている姿を想像しながら、相手に素朴な疑問を伝える。

 

「その、なんの特訓か分からないけど、言ったら秘密にならないんじゃないかな?」

「なら、いま聞いた貴女が黙ってればいい。ばらしたら、去年の夏に湊とデートしたことを湊のファンクラブの人間にリークする」

「だ、だから、あれはデートじゃないよぉ!」

 

 去年のゆかりと同じようなこと言ってくるチドリに、風花は羞恥で耳を赤くし、手を胸の前でブンブンと振ってデートではなかったと否定する。

 待ち合わせをして、二人で電車に乗り、並んでソフトクリームを食べて、会話をしながら博物館を回った。博物館を後にすると電車に乗って巌戸台に戻り、一緒に夕食を食べて、家までは湊がしっかり風花を送って帰った。

 そう、あの日の二人は、言葉にすればたったそれだけの事をしたに過ぎない。

 いくら他者から強烈なツッコミが入ろうとも、風花は断固としてただ部活動の一環だったと言い張る。

 

「もう、チドリちゃんが変なこと言うから汗掻いちゃったよ」

「事実でしょ。私たちのスケジュールを把握して、上手く日付を調整するなんてやるじゃない」

「ちょ、調整って……。真田先輩の試合と弓道部の大会が重なるのはシーズンだからまだ分かるけど、先生たちの旅行とチドリちゃんが舞台を観に行くのまでは把握できないよ。仮に出来たとしても、有里君が出掛けるかどうかも分からないし。二日前に連絡くれたのも有里君の方からだよ?」

 

 チドリの言い方では、まるで自分が計算高い悪女のようではないか。

 などとは、クラスの良心とも呼ばれている心優しい風花は思ったりしていない。

 しかし、チドリの考えているような事はしていないと、その点についてはキッチリと否定した。

 何故なら、風花にとって、デートとは『二人の内、双方もしくは片方が相手に好意を持っている男女が行うもの』であり。チドリの言うように意図的に二人で出掛けることをセッティングしてしまえば、それは風花のデートの定義に抵触することになるからだ。

 山岸風花は有里湊の事が好きだ。けれど、そこに異性としての感情は全く存在しない。

 それは同じ部活のメンバーのほぼ全員に言えることで、湊に関わる者のほとんどは湊という個性の塊に対し、あまりに常人から逸脱し過ぎているせいで恋愛対象として見る事が出来なくなっていた。

 学内にはファンクラブ会員のように、一目見て恋に落ちている者もいるが、あれは画面の向こうのアイドルに憧れを抱いているようなもので、一種の信仰や崇拝に近い。

 本当に湊を異性として好きになるのなら、人の輪の一部である常人では駄目なのだ。

 それは真の意味での天才であったり、人とは違う時間や理に生きる者であったり、人の心を持った機械であったり、そのような者たちでなければ湊を純粋に一人の男として見る事は敵わない。

 故に、湊と関わる内に無意識にそれを理解している風花は、部活メンバーで湊とデートが出来るのは、チドリか佐久間だけだとそのように思っていた。

 

「デートって言えば、チドリちゃんは有里君としたりしてなかったの? 昔から一緒にいるなら、二人だけで出掛ける事も多かったと思うけど」

「さぁ? あんまり近過ぎると、一緒にいることが自然過ぎて、そういう考えって湧いてこないのよね。それなら、マリア……ああ、知り合いのことだけど、そっちの方が普段は一緒にいないから、距離感としては適切なのかもしれないわ」

「そ、そうなんだ。難しいことはよく分からないけど、なんか大人だね」

 

 質問に答え終えると、水筒のお茶をカップになっている蓋に注いで口を付けるチドリ。

 直前の台詞とその姿に、人生経験の豊富な仕事の出来る女社長のイメージが合致したため、風花はチドリがとても大人な女性に見えた。

 ただいつも一緒にいるだけでは、男女の適切な距離感は測れなくなる。

 風花はチドリの言葉からそれを学び、自分もいつかはそんな事を考えて、お互いを想う事が出来る素敵な恋愛がしたいと思った。

 そうして、二人は弁当を食べ終えると、昼休みが終わるまで雑談をして過ごしながら、午後の授業も真面目に受けたのだった。

 

 

 


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